「佐藤一斎『重職心得箇条』を読む」 の十七、
ではでは、「佐藤一斎『重職心得箇条』を読む」 の十七、これで最後になりまする。
「【人君の初政は、年に春ある如きものなり。先人心を一新して、発揚歓欣の所を持たしむべし。刑賞に至っても明白なるべし。財帑窮迫の処より、徒に剥落厳沍の令のみにては、始終行き立たぬ事となるべし。この手心にて取り扱いありたきものなり】
「人君の初政は、年に春ある如きものなり」
人君が政り事をする。その政治の初めにあたっては年に春の季節があるようなものである。
「先人心を一新して、発揚歓欣の所を持たしむべし」
例えば皆さんが支社長になって赴任される、これは年に春があるようなものである。まず人心を一新して、意気があがるといいますか、「ああいい人が来てくれたなあ」と皆が喜ぶようにしなければいかん。これが「歓欣の所を持たしむべし」ということです。
「刑賞に至っても明白なるべし」
何を罰する、何を賞める、これも明白でなければならぬ。こそこそと何やらわからないようではいけません。
「財帑窮迫の処より、徒に剥落厳沍の令のみにては、始終行き立たぬ事となるべし」
金がない、予算がないというところから、いたずらにあれもいかん、これもいかんという。
「沍」は冷える、寒いという字ですから、きびしくしめ、寒々とした令だけの政治では、始終行き立たぬことになるだろうといって、最後に「この手心にて取り扱いありたきものなり」
と結んでいる。
以上で十七箇条の全部をご説明しましたが、この「重職心得箇条」は、実に何と申しますか、微妙なところをうまく押さえて、親切にかつ平明に、しかも多少ユーモアも含めて、こだわらず、淡々として妙味津々たるを覚える重役の心得です。しみじみ読んでみますと、さすが一斎先生だと感服される次第です。
この一斎先生には、「言志四録」という有名な著書があります。
これは初年の「言志録」から始まって「言志後録」「言志晩録」に続き、最後に「言志耋録」に終わっています。
八十歳のことを「耋」というのですが、先生は八十歳を過ぎてから耋録を著し、八十八歳で亡くなりました。この言志四録は徳川時代末期から明治時代にかけて、心ある人々によく読まれたものです。
また今読みました「重職心得箇条」も先程申しましたように、実によく機微をうがって、しかもあまり窮屈でなく、どこか余裕綽々としたところがあり、名作の名に恥じないものだと思います。
皆さん、それぞれ任地に帰られますと、多くの部下を任用されるわけですが、この「重職心得箇条」は皆さんがその部下を用いて事業を進められるうえに大変良い参考になるものであると信じます。
こういうものはただお話しただけでは印象にあまり残りませんので、耳と同時に眼を働かせて読み、読みながら聞くというふうにしてあとあとまで心に滲み残るように一緒に読みながらご説明した次第です。これを熟読され、折にふれ事に臨んで活用されますと、単なる知識でなく、大いに見識を養うことになり、また難問題に取り組まれる時は、見識のもう一つ上の胆識、すなわち実行力を身につけるうえに役立つことになります。
先程も申しましたように、重要な職務に当たりますと知識を持つだけでは何にもならないので、知識に基づいて批判する、判断する、つまり見識を立てて、そうしてこれを実行しなければなりません。
このように、先哲、先賢の言葉や行い、言行を知る、学ぶ、行う、これを「活学」というゆえんです。
皆さんのように実生活に最も生き生きとした仕事をしておられる人々は、こういう生きた哲学に親しまれることが一番有効です。その意味で明治以来識者に重んじられてきたこの「重職心得箇条」を改めて取り上げた次第です」
安岡先生から直々に講義を受けられた、住友生命の支社長など重役さん方に、この大切な教えがどれほどいまも息づいているか聞いてみたい気がします。
幕末、明治と、こうした大切な教えがたくさんあって、志ある人はそれを貪るように読んだとか。
それで、どうして日本はこうなってしまったのか。
明治のご維新後、昭和になったら日本はイデオロギーにかぶれ社会主義国となり、諸外国と同様、帝国的覇道を邁進し、同じ覇道を驀進する米国に蹴散らされました。そして、日本の再起を恐怖する米国によって骨抜きにされ、しかも、戦前以上に左翼思考が日本国内に蔓延し中共、半島に対し何も言えぬ、ただただ隠忍自重する国に成り果てた。
いまようやく、よりにもよって半島のおかげで敵対心を掻き立てられ、日本の自立を求められる始末。
澎湃として日本国内から、誉れある大和男子から大和魂が叫ばれることなどなく、敵が現れたから、脅威が目前に迫っておるから泥縄でようやく対抗し始める始末。しかし、すでに中共の魔の手は日本国内に深く深く入り込み、名だたる大企業は中共の手に落ち、北海道などの国土も、中共が買い漁っておるとか。
安岡先生の教えをうけた人々は日本中にたくさんおわすでしょうが、先生没後の昭和から、令和に至るまで彼らの胸中に去来するものは何だったのか。
せめて、令和四年は、もう少し大和魂が沸き立つ国であってほしいものであります。
といったところで、「佐藤一斎『重職心得箇条』を読む」 の十七、はこれまで。
日の本に栄えあれ。
皆様、よいお年を。-人-
「出征兵士を送る歌」を聞きかつ、大いに歌いながら。