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スカーレットの魔術師  作者: 鈴木智一
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第十六章〜第十七章

 第十六章 聖地チチペッタ



 イグナフィア奥地の密林地帯。

 砂漠を抜けたぼくたちの馬車は、普通なら絶対に走行できないような道なき道を突き進む。

 そこは、人が住まう場所ではなく、町や村も存在しない。『聖地巡礼』の魔術師などを除けば、ほとんど人がやって来ることすらない、秘境である。


 それでも、目的の場所はあった━━聖地チチペッタ。

 町ではなく、村でもない。そこにあるのは大きな神殿と、それらが連なる構造物。そこにいる人々は、神殿に住み、神殿を守る一族だという。

 これらの情報を、道中で団長の口から聞かされていた。

 当初は「聖地巡礼」とだけ言っていた団長だが、それは建前で、実は本当の目的が他にあったことを、ぼくたちは知らされることになる。

「どうしてそんなとこ行くの、団長?」

「うむ、それでは到着までには時間もあるし、少し話をしましょうか」

 御者台の団長はもはや振り返りもせず前を向いたままなのに、その声ははっきりぼくたちへと届いている。魔術の便利さも、ここまで来るとすごすぎる。できないことが、なにもない。

「通常、というか惑星というものは本来的に球状で、当然、海や大地もそれに沿って存在するわけだが━━」

 突然、団長がそんな話をはじめる。

 惑星?ああ、なんとなく、思い出せるものがある。

「まあ、外から見なくてはわからないけれどね。でも、そう云った通常の惑星で見られるような地平線が、この世界では違って見える。その原因は、この世界が『平ら』だということにあるの。それは、違いがわかる人間からすると、地平線を見ただけで、違和感を覚える景色となる」

 確かに、ぼくはなんとなく抱いていた違和感があった。それは、海の先を見た時なんかに感じた、景色への違和感だ。ぼくが知っている景色とは、明らかに何かが違ったのだ。

「ただし、平面世界がそのまま宇宙空間に浮いているというわけでもない。それでは、空や大気があることの説明がつかないでしょう?そこで、どうなっているのかと云うと━━"この世界は目に見えない透明な球体の中にある"のよ。その中に閉じ込められた空と海と大地が、透明な球体ごと自転している。平面な世界にも朝と夜がある理由が、それで説明できる。平らな世界が実は球体の中にあった、という事実を知っている者は少ないけどね」

 フィリエルはもはやついてこれてはいないだろうが、ぼくやロゼもすぐには理解が追い付かない。世界の秘密も、団長にとっては事実でしかないのだ。

「スノウドームみたいなイメージよね」と団長は言ったけれど、単語の意味がわからないのでイメージが湧かない。

 そんなぼくらに団長がスマホを見せてくれる。ロゼいわくスマート本━━その画面にあるのが、どうやらスノウドームか。

 ガラスの丸の中に景色があって、雪のようなものが舞っている。なんとなく、言わんとしていることはわかった。この世界の周りにも、見えないけれど『ガラスの球体』があるというようなことだろう。やはり疑わしい思いは拭えないが、そんな嘘をつく理由が、団長にはない。

「透明なんだから、宇宙もそのまま見えそうなものだけれど、そこは不思議と制限されているのよね。中からは、外が見えないようになっているの。でも、外から━━宇宙空間から見れば、この世界が透明な球体の中にあることがはっきりと見てとれる。不公平と言えば、不公平な話よね」

 話がどこへ向かうのか、ぼくにはわからない。はっきりしているのは、団長が話す内容は、この世界の誰も知らないような秘密の事柄であるだろうということだけだ。

「そんな世界━━『世界』としか呼ばれていないこの世界は、大別して三つの地域に分かれていることは、みんなもすでに知っているよね。

 西のマクシマーグ地方、ここが最も狭く、東へ行くほどに広大になる━━人間の領域は、この世界ではまだまだ限定されているということね。

 そして今いるイグナフィア地方。二番目に広く、様々な気候や地形が集中する地域。

 さらにその東にあるのが、ファムゲイン地方。ここが最も広大ながら、そのほとんどが人跡未踏の地域。開拓されていないということもあるけれど、ほとんど人がいないわね」

 団長の説明を、ぼくたちは黙したまま聞いている。特に従順なロゼは、真剣な表情で耳を傾けているように見える。

「これだけでも十分に広い大地と言えるのだけれど、それでも平面であるがゆえに、ひとつの惑星とすれば半分ほどの面積しかない。通常の惑星に比べて、半分少ないのよ」

 なるほど。でも、ファムゲイン地方すら開拓できていないなら、それで間に合いそうなものだけど。おそらく、まだこの世界には住む土地がなくなるほどの人間はいないはずだ。

「ただし、そこには秘密があって━━実は同じ広さの『地底世界』が、この世には存在しているの。平面ではあるが、その実二層構造になっていて、全体として通常の惑星と同等の面積を有している。

 かなり稀な例ではあるけれど、この世界はそのような構造になっているの」

 おそらく初耳であるはずの、フィリエルとロゼがぽかんとした顔をしている。ぼくも、関係性は薄いけれど、同じような驚きは感じている。

「さらに言うと、あなたたちも見てきた天界やフェアリーランドがある別次元の世界もあることだし、世界の広さとしては申し分のないものなのよね」

 かなり稀有で、特殊な宇宙。団長は、そのような表現をした。

「話は戻って、その地底世界へ行くための方法なのだけれど、これもかなり限られていて、偶然現れる"次元の穴"に落ちるのでもなければ、道は二つしかないの。

 ひとつは、ファムゲイン東端近くにある"大穴"から行くルート。そしてもうひとつが、この先にある聖地チチペッタの最奥に秘されている地底世界への通路を使うという方法。偶然に頼らないのであれば、いずれかの道を使うしかないというわけ」

 それはわかりましたが━━どうして向かう必要があるのか、そこのところがわからない。

 そんなぼくの疑問を読み取ったかのように、団長がつづける。

「で、どうしてその地底世界へ行きたいかと言うと━━これはロゼに関わることなのだけど、きみの使命を果たすためには直接太陽へと赴く必要がある。しかしながら、そのためにはとある乗り物が必要になってくるのだけれど、それがあるのが、地底世界というわけなのだ」

 なんと、団長は本気でロゼの使命を果たさせるつもりでいるようだ。まさか━━太陽を破壊するのか?

「マスター、超感謝」ロゼも、本来の使命を忘れているわけではない。故郷の危機を救うという、大事な目的がある。

「そしてついでに申すと、地底世界の内部を移動することで、ファムゲインの大穴まで早く着けるのよね。最初、そちらから地底世界へ入って、ロゼの用事を済ますつもりでいたのだけど、だいぶ早めに合流できたからね、予定変更というわけ」

 そうだったのか。聞かされてこそいなかったが、団長はそんなことを考えていたのだ。

 ぼくとしてはどちらでも構わないが、ロゼにとっては嬉しいことかもしれないな。故郷が心配でないはずがないだろうから、早めに解決されるほうがいいはずだ。

 そんな話を聞いているうちに、密林の奥地に道が現れた━━


  ★


 道へ出ると、目の前には巨大な神殿の群れがあった。

 その数は多く、あるいは山のように重なりながら、ずっと奥までつづいている。

 ぼくたちの馬車が、長槍を持った人たちに囲まれる。わりとあっという間のできごとで、人が走って来るなぁとか思っていたら、もうこの状況になっていた。

 先頭の人物がなにごとかを叫ぶが、なにを言っているのかわからない。知らない言語である。

 そして、うちの団長も知らない言語で喋っていた。

「オドレノーパンデシャブルモノコロガシテナメス」

「ワイノパラソルヒラカンデステタロカ」

 言って、団長が魔術師協会の証書を広げて見せる。

「ヤサグレタオカンハラワッテノバス」

 話がついたらしい、長槍の人たちが道をあけて去っていく。

「さあ、行きましょうか」

 言って、馬車を進める団長。しかし、直接神殿へは向かわずに、脇のほうへと逸れていく。

 女性たちが馬やその他の動物を世話している場所があった。団長となにごとかを相談しているようだが、もちろんその内容はわからない。言葉が通じないって、大変なことなんだなと思う。団長がいてよかった。

 で、ぼくたちはそこで馬車を降りることになった。

「レディとはここでお別れになる」

 団長がいきなり衝撃の事実を告げた。

「少なくともわたしとニーナ、そしてタケシももう会うことはないでしょうね」

「オレは?」と、フィリエル。

「まあ、会いに来ようと思えば、来れる。なんだったら、レディのことはあなたに任せるけれど?」

「ん〜、そんじゃあまた会いに来るかなぁ?」

 と、ぼくを置いて話が進んで行く。なぜぼくは会えなくて、フィリエルはまた会えるのか?

 そこにはどうやら、ぼくの知らない事実が隠されているようだ。

 団長がレディの頭を撫でたり、額をくっつけたりしている。

「彼女もわかってくれたわ。それと、フィリエルが迎えに来るとも伝えておいたから、くれぐれもよろしくね?」

「うん、わかった」

 バカみたいな素直さで、フィリエルは頷いた。

 そして団長は、馬とも普通に意思の疎通ができていた。

「それじゃあ、必要な荷物を、持てるだけは持ちましょうか。お金は置いてってもいいかな。ここの人たち、お金には興味がないから。それに、フィリエルが取りに戻るかもしれないしね」

 ぼくたちは言われた通り、必要最低限の荷物を選んで持ち出した。少なくとも替えの下着は必須だろう。ロゼは気になるオモチャもあるようだったが、最終的には苦渋の決断をしたようだ。

 それはそうとここの女性がみんな胸のないことが気になって仕方ない。こんなこと気にするべきではないのだろうが、気になるものは仕方ない。ぼくも男だということだろう。

 なにか特別な理由や原因があるのかもわからないが、それも聖地で暮らす人たちの特徴なのだろうか。でも、みんなぺったんこだなんて、変な病気じゃないだろうな?と、ぼくは失礼極まりない想像をする。多分、そんなことではないはずだ。

 神殿に入る前からそうだったが、神殿の中の人たちもみんな━━男の人ばかりが━━深々とお辞儀をしているのでなんだろうなとよく観察したら、フィリエルを見て股間を膨らませているだけだった。お辞儀ではなく、ただ前屈みになって股間の膨らみを誤魔化しているだけだった。

 やはりそれは、ここの女性たちの胸がぺたんこなのと関係があるだろう。ないわけがない。彼等はフィリエルのように膨らんだ胸に免疫がないのだ。しかもアイツは、露出が高いのでよく目立っている。男性たちの反応は、わかりやすすぎるものがあった。

 それと今気づいたのだが、聖地の名前も女性の胸に関連したものなのだろうか。そうであってほしくはないが、そうであったとしても不思議ではない。チチペッタなんて名前だしね。

 きっと団長の権限によるものだろうが、ぼくたちは神殿の奥の奥まで通された。そこには、皺だらけの顔に笑みを浮かべた老人が待ち構えていた。


  ★


「大魔術師スカーレット殿、よくぞ参られた」

 老人の言葉は、ぼくたちにもわかる言葉だった。さきほどの言語はなんだったのだ。

「どうも、大僧正さま。今日は地底世界へ行きたくて参りました」

「うむ、わかっておる。すでにそなたが訪れることはわかっていた。地底の第二層を知るものは少なく、その存在は秘されておる。だがお主はその存在を承知しており、確かな目的もある様子。我々とて誰でも通すわけにはいかないが、通すべき人間を見誤ることもない━━さあ、行くがいい。門は開かれる」

 老人の背後にあった大きな扉が、ごごごと音を立てて、ゆっくりと開く。中は薄暗く、先がよく見えない。

「感謝します、大僧正さま」

 ぼくたちも団長に倣ってお礼をしてから、門の中へと踏み入れた。


 中は迷宮そのもので、歩く者を迷わせようとする意志が感じられる。道が左右に分かれていたり、わざと段差が作られたりしている。しょっちゅう十字路に遭遇するようになると、さすがにあからさまな仕掛けだと確信できる。完全に迷わせようとしている。一本道ではなかったのか。お通りくださいなんて言うから、もっとまともな通路を想像していたのだが、これはたとえ地図を手に歩いたとしても、迷わないほうが難しいだろう。しかもぼくたちの手元にも足元にも地図の類は一切ない。

 それでも進めているのは、先頭を歩く団長が迷わず道を選んでいたから。ぼくたちはただそのあとをついていけばよかった。

「階段になるから、気をつけてね」

 団長の言う通り、下りの階段があった。

 まっすぐな階段は細くて長くて、だいぶ下まで伸びている。

 足を踏み外して転がり落ちでもすれば、まず助からないな、ぼくは。腕の一本や二本くらいは千切れ飛ぶかもしれない━━腕がなくなってしまうじゃないか。

 そうならないよう、慎重に歩を進めた。

 けっこう地下深くまで降りた印象だったが、そこでもまだ半分も来ていないと団長に言われて、ぼくは驚いた。さすがは地下世界ということか、並の深度では到達できないらしい。もうすでに足が疲れはじめていたので、最後までもつかわからないぞこれは。

 階段の先はまたもや迷宮状のフロアになっていて、無駄に入り組んでいて無駄に広い。たとえば槍が突き出たり、矢が降ってきたりといったような仕掛けこそなかったが、それでも迷いつづければいずれは空腹などで死んでしまいそうな、そんな大迷宮である。しかも、それがさらにワンフロア、さらにさらにワンフロアと立て続けに現れる。

 下っても下っても、一向に到着する気配がない。

 体感としてはもう完全に地の底の底あたりの世界だったが、景色は石造りの迷宮ばかりで、変わらなかった。

 数日がかりで、十近くもの長い長い階段を降りた先だった━━

「さあ、もうすぐだ」

 団長の言葉に、元気を取り戻す。

 途中、回復の魔術で疲労は取ってもらってはいたが、気持ちはずっと重いままだったので、ようやく光明が見えた心地だ。

 なんか暑いなと感じていると、目の前を横切る溶岩の川が現れた。石の通路が途切れていて、溶岩の川になっている。

 その真ん中に橋がかけられていて、向こうの通路につづいていた。ちょっと渡りたくないぞ、これは。

 見ると、ロゼは苦しそうだ。氷の国の氷魔であるから、当然か。自らの周囲に冷気のバリアを張っているが、それでもまだ暑いのだろう。ただ、近くにいるぼくとしては、その冷気が心地よかった。なのでこっそりロゼの近くをキープしている。できれば密着したかったが、さすがにそれは無理だろう。


 溶岩から火柱が上がり、中からなにかが飛び出した。

「出たな、溶岩忍者」団長が言う。

 忍者?これもなんとなくぼくの記憶にある気がするぞ。

 でも目の前のそれは、炎が人間の形をしているというだけに思えるが━━がんばれば忍者の姿に見えなくもない・・・微妙なところだ。

「なんだあれ、炎の化け物じゃねえか」

「炎の精霊の一種ですね」とは、ニーナさん。

「その通り。ここの溶岩に配置された守護精霊なのだが、忍者っぽいのでわたしは溶岩忍者と呼んでいる」

「って、団長ここを通るのはじめてなんじゃ?」

「ここははじめてだけど、あの精霊には他の場所で何度かお目にかかっているからね、見慣れたものだよ」

 あれって、他の場所にもいるものなのか。

 溶岩限定だろうけど。

『ヒャッハーッ!ひさしぶりの人間じゃねーか、ええ?はてさて悪い輩かそうじゃないのか、もしも悪者野郎なら、オレ様の溶岩でドロッドロに溶かして消しちゃうもんね』

 うわ、喋ったよ。溶岩に声帯なんてあるのか?

「あいつ喋るのかよ」

「そう、そこがおもしろいところ」

 団長は攻撃しない。大丈夫なのかな?

『おうおう、そうかいそうかい━━なるほどなるほど。ええ、ええ、はい、はい。わっかりました、わっかりました。どうもどうも、いえ滅相もない。もちろんです。了解しました。問題ございません、あい、あい。はいどーもー、失礼しやしたー』

 なんか勝手に喋って勝手に戻って行った。溶岩の中に。

「話、つけといたから」

「え、今喋ってたんですか!」

「心の中でね」

 事も無げに話した団長であるが、もはや会話に発声すら必要としないらしい。人間だろうが動物だろうが精霊だろうがすべて話し合いが通用するというのも、すごい芸当である。

 なんにせよ、これで先へと進めるわけだが。

 そこから先は一本道だった。

 最初からそうであってほしかったところではあるが、あるいは不法な侵入者に対する処置なのだろうか。いや、合法な侵入者であるぼくたちとしても、地図を渡されたわけでもないし、団長がいなかったら今も迷宮をさ迷っていたことだろう。他の人は、どうしているのだろうか。地図を持って入るのか。

 やがて通路が突き当たる。

 そこに、人一人がなんとか通れるサイズの、小さな扉があった。地上の入り口とはまったく違う、まるで小人の世界への入り口みたいな感じがする。

 団長が手をかざすと、扉はわずかな音とともに開いた。

 ほんのわずかに光が入る。

 夜に近い、夕暮れ時の明るさしかない。

 ━━ここが地底世界なのか。

 扉の外は、断崖絶壁になっていた。



 第十七章 地底世界のヴィマーナ



 一歩踏み出せば、中空へと投げ出される━━そんな状況が目の前にはあった。

「うわあっ、あっぶねーなぁ」ともすれば踏み出しかけた足を慌てて引き戻すフィリエル。

 これは、以前に訪れた天界とフェアリーランドの中間にある絶壁の途中にでも出てきた感じだ。

 地面もかなり遠くて、やはり落ちたら助かりそうにはない高さだ。

「これ、出口でも入口でも、場所がおかしくないですか?」ぼくは言う。

「まあ、簡単には行き来できないようにということでしょうね」

 いや、簡単にもなにも、無理そうだけど。これ、どうやって登って来るんだろう。それとも上から降りて来るのかなと上を仰ぎ見るも、やはり予想通りの断崖、というか岩の壁がつづいている。上は、地上の底まで繋がっているのだろうか。高すぎて見えない。

 ここが地底世界なのだとすると、空には上の世界の地面がありそうなものだけれど、一見してそうは見えない。薄暗い空が広がっている。

「この世界は、ずっと夕暮れ。朝も夜もなく、ただ時間が過ぎてゆくの」

 不思議な世界だ。人はいるのだろうか?

「さて、いつまでここにいても仕方ないから、降りましょう」

 まさか、飛べと?

 そんなことはなくて、団長の魔術で━━簡単な重力制御らしい━━ものすごく軽くなったぼくたちは、みんなで手を繋いだ格好のまま、なにもない空間へと飛び出した。

 落下というよりは、ふわふわと下降していく。

 綿毛の気分だ。この速度であれば気持ちにも余裕があるし、ぼくは高所からの景色を楽しんだ。

 遠くに町が見える。

 人の住む場所があるようだし、人もいるらしい。

 こんな薄暗い世界に住んでいるなんて、いったいどんな人たちなのだろうか。すごく興味があった。

 なんの衝撃もなく地面に降り立ったぼくたちは、もちろん無傷である。一切の恐怖を感じなかった。

「ようし、到着ぅ。地底世界へようこそ」

 聞いたことのない鳥のさえずり、形のおかしな木々。地面に変わったところはないが、なにが潜むかわからない。

 ここは未知なる大地なんだ。


 団長が先導して、おそらくさきほど見えた町の方角へ向かっているのだろうと思う。

 森の中を歩く。

 そこは、地上の森ともまた違う雰囲気があり、方向感覚がおかしくなる気がした。方位磁針でもあったなら、その針は回転していたかもしれない。はぐれたら、即迷子の雰囲気が強かった。

 森の中はたくさんの細い小川が流れていて、何度もそれを飛び越えながら進まなくてはならなかった。ぐねぐねとおかしな曲がりかたをする小川ばかりで、気持ち悪い。ぼくにとってはきらいなミミズの類を想起させるものでもあった。

「なんだか薄暗くって、眠くなるな」

 そう言ったフィリエルは、すでに眠そうだ。着替えの入ったバッグをぼくに持たせているので楽だろうし、歩きながら眠るかもわからないな。そのまま小川に落ちてしまえば、なお良しだ。

 ━━それでも確かに、夕暮れの世界はぼくたちのバイオリズムを崩しかねないものがある。視界だって良くはないので、なんとなく神経を使う。まったく見えないわけではないが、つい目を凝らしたくなるような、絶妙な明度だった。

「町がある」

 先に森を抜けたロゼが、指さす先を見る。

 やはり、崖から降りる途中に見えた、あの町に違いない。

 まだ遠目なので詳しくは見えないが、家々の建築様式は地上のそれと変わらないような感じだ。もしかしたら特殊な造形であるかもしれないが、それは近づいてみないとわからない。


「わあー、地上の人間よー」

 町の入口で出会った女性は、そんな、どこかとぼけた調子の話し方で言った。

 どうして地上の人間だとわかったのか。それは一目瞭然で、逆にぼくもその女性が地底世界の人間であるとすぐにわかった。

 肌の色が薄い緑色をしていたのだ。

 ただし、それがその女性だけであったなら否定される可能性もあった。しかし、集まって来た人たち全員が同じ色の肌をしていたので、これはもう間違いないと確信する。

 見た目に明らかな特徴。

 夕暮れの世界の影響なのだろうか、そのような色の肌になってしまうのは。ぼくは絶対なりたくない。

「グリーンピーポー・・・グリーンピース」

 なんとなく豆の名前を言った気がしたが、いくらロゼでもそこまで失礼なことは言わないだろう。空耳だと信じたい。

 そこには地上でよく見たような、町の名前を記したものがなにもなく、その場所の名前すらわからない。

「ようこそ、地上の人間さん。ここはボッコチンの町という。宿もあるから、休んでいかんか」

 三メートルくらいの身長がある細長い男が、町の名前を教えてくれた。彼はクラロスという名前で、町の町長だという話だ。

 案内されて、ぼくたちは宿に向かった。


 宿にも名前がなかった。地上とは文化が違うということか、特に名付ける必要性がないのか。

 気になったのは壁の材質だ。白い、変わった石壁でできている。木造のものが多かった地上世界に比べると、やはり異質だ。

 人数が多いので、二組に別れる。

 団長、ニーナさん、ロゼ組と、ぼくとフィリエル組だ。

 この組み合わせだと、ぼくは死ぬかもしれない。

 それはそうと、この世界がずっと夕暮れ時なので、正確な時間などすでにわからなくなっている。なので団長に尋ねたところ、地上ではもう夜になっている頃だ、ということだった。

 どおりで眠いわけだ。

 食事を終えたあとなので、なおのこと、眠気を感じている。

 部屋に戻るとフィリエルと二人きりになったので、なんとなく気まずい感じがしたけれど、気のせいだろう。

「タケシさぁ、ロゼとチューしたんだろ?」

 ごふっ!なにもないのに、急にむせてしまった。突然なにを言い出すかと思えば・・・確かに、団長とかとそのことを話していたようではあったけど、あれは夢の中での出来事だし。

 生身でやったわけじゃない。

 言ってしまえば、冤罪だろう。罪かどうかはさておき。

「どうだった?気持ちよかった?」

 なにその質問。なんかエロいな。

「いや、別に・・・夢の中だし」

「ふ〜ん・・・オレともしてみたい?」

 ごふっ!魂が飛び出しそうになった。実際、少し出たかも。

「え、なんでそんな・・・いや、別にぼくは」

 どう答えるのが正解かわからない。正解などなさそうだ。

「ジョーダンだよ、なに本気にしてんだ。エロいな、タケシ」

 からかわれただけだった。

 しかも一方的にエロ呼ばわりとは。

 全力で否定できないのがツライ。だって、男の子だもん。

 そんなこんなで、ご就寝。フィリエルはよほど疲れていたのか、ものの数分で深い眠りに落ちていた。

 ぼくもそれを追いかけるように、眠りにつく。


 翌朝、宿に迎えがやってきた。

 どこからやってきた、誰なのか━━ぼくたちが宿の外へ出てみると、そこには黒い人間(?)が立っていた。

 ━━真っ黒な、影。

 そう、その人物はまるで直立した影そのものだった。

「うわ気持ち悪い、なにこいつ?なんで黒いの?」

 フィリエルが引いている。無理もない、ともすればそれは、幽霊に近い存在だろう。あるいは幽霊そのものか。

「驚かせてしまい申し訳ありません、お嬢さん。わたしはトニー。シャドウマンのトニー・ノッカーズです。スカーレット様がこちらにいらしているとお聞きして、お迎えにあがりました」

 その、人間の形をした━━しかも、衣服や髪型までなんとなくわかる━━影人間が、そう名乗った。どこからどうやって声を出しているのか。顔が黒い影でしかないので、口があるかもわからない。

「トニー、迎えに来てくれたのね。ありがとう、助かるよ」

 言葉から、団長の顔見知りだとわかったが、なんでこんなところにあんな知り合いがいるのか。ぼくの想像を越えている。

(セント)シュタイナー国王も待ちわびています。さっそくセントシュタイナー王国へ参りましょう」

 影人間のトニーさんが宿の裏手に向かう。

「なあ団長、あいついったいなんなの?オバケ?」フィリエルはそれをはっきりさせたいらしい。

「彼は聖シュタイナー国王の元で働く、シャドウマンという変わった存在なの。彼の場合は、この宇宙の中にあった別の世界が消滅する時に、そこから逃げ出してきたようね。元々この世界の住人ではないのだけれど、たどり着いたセントシュタイナー王国でそのまま暮らしはじめた、ということね」

 全然意味がわからなかった。世界は一つじゃないらしいけど、別の世界とか、いったいどこにあるのだろう。

「意外と、タケシに近い存在だったりするのよね、状況的には」

 と、それこそ意外なことを言われたぼくは考える。あの影人間とぼくが似ている?まさか、一歩間違えばぼくも影人間だったとか、そういうことなのだろうか?難しくてわからない。

 宿の裏手で、トニーさんが待っていた。

 最初、壁に映った影かと思ったが、違かった。

 紛らわしいなぁ。

 トニーさんの隣には巨大な銀色のお碗みたいな代物があった。百人近くを相手に炊き出しができそうな、大きなものだ。

「それではみなさま、ウツロブネにお乗りください」

 まさかの乗り物だった。

「この乗り物は重力制御で空を飛ぶ、地底世界内の移動用に造られたものなの」

「乗り心地はいいですよ」と、これはニーナさん。

 乗ったことあるんだ。

 ぼくたちはそのお碗みたいな乗り物に乗り込んだ。みんなで縁に両手をかけて、上半身が出ているという光景は、なんだか恥ずかしいような気がする。周りから見ると、かなり間抜けな感じに見えるのではないかと心配になる。

 そんなぼくの心配をよそに、お碗━━ウツロブネが浮かび上がる。トニーさんが操縦しているのか、なにか操作をしている。

 ━━本当に浮かんだ。

 さほどの高度ではないが、家の屋根よりは高い。そのまま、耳鳴りのような音を残して、ウツロブネが移動をはじめる。

 アホみたいな速度だった。たまに中空を高速で横切っていく、地上世界の翼竜類よりも断然速い。しかもそれだけの速度であるにも関わらず、風を感じない。

 ぼくたちが気づかず、しかも見えないだけでなんらかのシールドが張ってあるのか?でも、ぼくたちは縁に手をかけているし、そこから先に手を伸ばすこともできる。

 風を感じない説明がつかない。

「進行方向に無風状態を作り出すメカニズムがあって、だから風を感じないのだよ」と、すぐに団長のほうから答えをくれた。

 こういうことは、考えるより訊いたほうが早い。

 今度からそうしよう。

 流れる景色を追うことすら難しくて、目が疲れてきた。

 そうするうちに、眼下には地上のフラストリアよりも大きいのではと思われる、大都市が広がっていた。

 そこで、その乗り物は速度を遅くする。

 どうやらここが目的の場所らしい。


  ★


 ウツロブネは直接王宮の敷地へと降り立った。

 広大な庭園のような場所で、緑が多い。高い王宮の壁に囲まれていた。

 そこからトニーさんに案内されるかたちで、ぼくたちは王宮の内部に入る、

 天井の高さが尋常ではない。そして、ぼくたちの歩く階段とは別に、なぞの段差があった。そちらはとても飛び乗れる高さではないので、ただの飾りだろう。

 そう思っていたぼくの考えは間違っていた。

 巨大な扉を開いて入った王の間には、めちゃくちゃデカイ王様がいたからだ。

 ━━あの段差は王様用の階段だったのか。それに、扉の大きさや部屋の広さ、天井の高さなどもその事実ひとつですべて説明がつく。

 王様の身長は十メートル級ではないだろうか。玉座に座ったままなので想像するしかないが、とにかく巨人であることに間違いはない。

「化け物じゃねーか」フィリエルが王様に対して絶対に言ってはいけない言葉を吐いたが、どうやら仲間内にしか聞こえなかったようで助かった。

「スカァーレットくんッ!いらぁーっしゃいッ!」

 もの凄い声量で、なんだか無駄に力の入った喋り方を、王様はした。

 特徴がありすぎて、逆によくわからない人だ。

「どーもです、聖シュタイナー国王様。本日来たのは他でもありません、太陽へ向かうためにヴィマーナをお借りしたくて参りました」

「そぉーっだったネッ!必要ぉにぬわったらッ、貸すっていうやぁーくそクゥ、だったもんネッ!」

「太陽活動の異常で真っ先に被害がでるのは地上世界のアスバーンですが、いずれそこだけにはとどまらなくなるでしょう。最終的に地上世界は壊滅し、結果としてこの地底世界にまで被害が及ぶ。二つで一つの世界だから、どちらがダメになってももう片方までダメになる。ここがそのような世界であることは、国王様もご存知のはず━━」

 ぼくたちの代表である団長が、国王の足元近くで上を見上げながら、対等に話をしている。さすがは団長だ。

「うぅむんッ!もちるぉん、このぉオレぇとてぇ、それわぁわかっているんッ!

 太陽はぁ、ぬわんとかぁせねぶぁぬあるまいッ!

 頼めるくわッ、スカァーレットくんッ!」

 国王のブレスか、部屋の中に風がある。

 肺活量がありすぎて、空気が動くのだろう。

「ええ、もちろんです国王様。そのためにわたしたちが来たのですから、おまかせくださいな」

 どうやら話はついたようだ。

 国王の号令一下、慌ただしく動き出す王宮の緑色の方々。彼らの背丈はぼくらと同じだったので、なぜ王様だけがあのサイズなのかはわからない。女王アリみたいなものなのか?まさかな。

「さて、それでは国王の許可がおりましたので、格納庫へと向かいましょう」トニーさんが示した方向の扉が開いていた。


 格納庫とやらは地下階にあり、そこは広大な空間だった。

 4〜5階建ての建物に匹敵する大きさの、吊り鐘のような物体がいくつか並んでいる。

 それらは吊るされているわけでなく、鐘でもないが、巨大な梵鐘のようななにかとしか表現できない。

「あれがヴィマーナ、太陽へ行くのに必要な乗り物よ」

 あれが乗り物?

 ぼくの脳内には、あんな乗り物の情報は存在していない。もちろんはじめて見るものであるし、聞いたこともない。

「あれはわたしも、乗ったことがありませんね」

 ニーナさんも珍しそうに眺めている。どうやらヴィマーナとやらに関しては、団長だけが知っていたようだ。

 まさに、秘密の乗り物といったところか。

「これで、ケルビムを倒しに行ける」ロゼはやる気だ。

 だが一つだけ言わせてもらおう━━太陽を倒すのは無理だぞ。

 いくらなんでも。

 いくら団長でも、それは人間には不可能なはずだ。

 スケールが大きすぎる。

 人間の力が及ぶ規模では、あり得ない。

 いかに団長の魔術をもってしても、それは変わらないだろう。


 では、なにを以て問題を『解決』するのか?

 それは、ぼくごときにわかるものではないだろう━━

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