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スカーレットの魔術師  作者: 鈴木智一
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第十一章〜第十五章

 第十一章 女神の日



 謎の獣人たちが生息するエリアから、さらに東へ進むこと数日。

 今、ぼくたちの馬車は綺麗に舗装された街道を進んでいる。

 遠くからすでに見えていた高層の建物が近づいてきていた。それらは世界有数の大企業であるバシャダ社や、あるいは魔術師協会の建物などであると、ニーナさんは説明をしてくれた。

『"世界一"の都市・フラストリアへようこそ!』という巨大な看板に迎えられる。

 それは誇張ではなく、どうやら事実であるらしい。

 石造りの道を歩く人々は多く、家々も密集している。かつて見た首都のそれよりも、発展したものに見える。明らかにこちらのほうが大都市だった。


 フィリエルの希望で「いちばん高そうな宿屋」を探して、広い駐車スペースに馬車を入れる。

 宿屋『春風と陽だまり亭』、宿泊料金も建物の高さも、ここがおそらくもっとも高い。フィリエルご所望の宿だ。

 一階が酒場になっている珍しい造りで、2階〜3階に客室があるらしい。もはや値段すら確認することもしないで「いちばん高い部屋四名様」と、合言葉のように告げるロゼ。しかし宿の主人に「どの部屋も料金は同じですよ」と肩透かしをくらった。それでも田舎の宿に比べれば高額なのは間違いない。

 二階の2号室と3号室が、ぼくたちの部屋になった。ぼくにとって最大の喜びは、ニーナさんと一緒にの部屋になったことだ。この瞬間、命の保証がなされたことを意味する。それは、とても素晴らしいことであるはずだ。

 わずかな手荷物を置いてから、片方の部屋に集合する。今回はフィリエルとロゼの二人がぼくのいる部屋まで来る。馬車に残した大金や貴重品は、魔術障壁により持ち出される心配がないので、誰も気にしていない。この間の窃盗騒ぎを教訓にして、全員が少しでも馬車を離れる際には、ニーナさんが防犯措置を施してくれるようになっていたのだ。

「久しぶりにベッドで寝れるな!」

 フィリエルは勝手にぼくのベッドの上であぐらをかいている。女のくせによく股を開くので、ぼくは目の保養に努める。が、見慣れすぎていて、まったく効果がない。残念だ。

「これからの予定ですが━━」

「とりあえず明日は休みだろ?自由行動にしようぜ」

 なにか予定があるわけでもないだろうが、待ちきれない様子のフィリエルが言った。落ち着きがなく、常に体は動いている。

「ええ、そうね━━わたしは少し、魔術師協会のほうにご挨拶をしておこうかと思います」

「なんだよ、ニーナは真面目だなぁ。オレはそうだなぁ、またカジノにでも行こうかな」

 お前はそれしかないのかよ。こんなこと言いたくないけど、いや、別に言いたくないこともないが、腐ってるな!

「ロゼはどうする、一緒に行くか?」

「わたしはオモチャ工場見学ツアーがある」

 そんなのあるの?いつ情報を仕入れたのだろう。あるいはロゼ自身が企画立案したツアーなのか。それにしても、こっちはこっちでオモチャのことしか考えていないし・・・。

「そっか、気が向いたらカジノに来いよ。タケシはどうすんだ?エロい店でも行っとくか?」

 言われて、考える。エロい店には行かないけれど、まる一日なにもしないのはもったいないし、とりあえず街を見て回ろうかな。

「う〜ん、どうしようかな・・・そうだ、どこかで例のフィギュアを買い取ってくれる店がないか、探してみるよ」そのことを思いついたので、ぼくは言った。

「ああ、アレな・・・オレだったら絶対買い取り拒否だけど、まあ、探せばあるだろ、買い取ってくれる店」

「なければ捨てるが吉」ロゼが元も子もないアドバイスをくれる。それができればとっくにしている。ぼくは人の気持ちを無下にするようなことは嫌いなんだよね(売るのはいいのかという話だが)。せめてお金に替えなくては、申し訳ないだろう。

「ではそのように、明日は各々で行動しましょう」

 ニーナさんが話を締めて、会議は終了。

 ぼくたちは夕食をとるため、一階の酒場へと向かった。

 時間も時間なので、酒場は人で溢れていた。端のほうに空いているテーブルを見つけて、みんなで座る。

 けっこう豊富なメニューがあって、なにを頼もうかあれこれ相談していたら、さっそく事件が起きた。事件のあるところにぼくたちがいるのか、ぼくたちがいるから事件が起きるのか。なんて、そんなことを一瞬考えてしまう。

 酒のグラスを運んでいた女性がつまずいてバランスを崩し、あろうことかフィリエルの頭にぶちまけた。頭から酒をかけられたフィリエルが大げさに叫び、立ち上がる。

「のあああーっ!っざけんなバカ野郎!」

 相変わらずガラが悪い。親の顔が見たいよ。いや、見たくないか。元盗賊の頭領だし。

「わあああーっ!っごめんなさい!」

 見たところまだ若い少女で、フィリエルと同じくらいの歳に見える。ちなみにアイツは16歳らしい。この情報、誰かに需要はあるのだろうか。

 ぼくはわりかし、どうでもいい。自分の歳もわからんし。

「髪も服もベチョベチョんなっちゃったね、ごめんなさい。ちょっと奥まで来てくれる?シャワー浴びて、それからわたしの服を貸してあげる」少女はフィリエルの腕を取って言う。

「くそ、しょうがねーな。相手が子供じゃ、怒るに怒れねー」

 アイツいったい自分が何歳のつもりでいるんだろう?盗賊の娘ったって、限度というものがあるだろう。非常識の限度というものが。

「オレちょっと外すから、先に食っててくれよ」

「わかりました、なにか注文しておきますね」

「お先にイートイン」

「ごゆっくり」最後のぼくの一言だけ、どうしてか余計だったらしく頭を小突かれた。痛いよ。そしてもう帰ってくるなよ。

 ぼくはフィリエルの背中を睨んでみた。


  ★


 シャワールームに入った瞬間、神業のような素早さで全裸になったフィリエルを、少女は驚きとともに見ていた。

「はっや、どうやって脱いだの、今?」

 フィリエルは答えないし、少女も追及はしない。話を先に進める。

「本当にごめんね、わたし、たまにやらかすんだよなぁ」

「気にすんなよ、オレも気にしてねーし」

 ノズルから冷水が飛び出す。フィリエルが「ヒョッ」と鳴いた。

「あなた、男みたいな喋り方するよね」少女が言う。

「まーな。ガキの時から男の中で育ったら、こーなった」

「おもしろいね。わたしリラ。あなたは?」

「フィリエル。フィリエル・アーメイダだ」

「フィリエル、歳はいくつなの?」

 ボディソープを差し出しながら、リラが尋ねる。

「たぶん16」

「そんないい加減な・・・でも、わたしと同じじゃんか」リラは嬉しそうに言った。

「学校は?」

「行ったことねーよ」フィリエルは言う。真実、これまでの人生で彼女が学校と呼ばれる場所に関係したことはなかった。すべての知識は盗賊仲間から覚えたものであった。

「信じられない、そんな人いるの?」

「いるだろ、いくらでも。目の前にもいるわけだし、な」

「フィリエルって、なんだか今まで出会ったことがないタイプの娘だなぁ、すごく楽しいよ」

「そうか?」たいして興味なさそうに、髪を洗うフィリエル。

「そうだよ、めちゃくちゃおもしろい。ねえフィリエル、学校行ってみる気ない?」

「へ?学校?オレが?」

「フィリエル、ここに泊まってんだよね?」質問に質問を重ねるリラ。

「ああ、そうだけど?」

「すぐに行っちゃうの?」

「いいや、とりあえず明日もまた泊まるし」

「明日って暇じゃない?」

「え〜、明日はカジノ・・・まあ、暇と言えば暇だけど・・・」

「じゃあ学校、行こうよ。うちの学校一日体験入学アリだから。たまに制服に憧れたおばさまなんかが来たりして、おもしろいんだよ」

「え〜、制服ねーし」

「わたしの貸すから。ねえ、おもしろいと思わない?フィリエルならきっと、人気者になれると思うし、学校行こうよ!一日くらいいいじゃない」

 リラはフィリエルにタオルを渡し、それとは別のタオルで体を拭くのを手伝ったりしている。

「う〜ん、じゃあ、行ってみようかなぁ・・・」

 なんとなく押しきられたようで、そう答えるフィリエル。まだ少しだけカジノに未練は残したが、すでに大金を所持している以上は完全に遊び目的だけなので、必ずしも行く必要がない、ということに気づいた。

 それならば、この機会に学校というものを見ておくというのも、悪いことではない気がする。後学のため、というやつか。

「やった、決まりだね!じゃあ明日は朝に迎えに来るよ。わたしこの宿の娘なんだけど、家は隣なんだ。あっ、ごめん、着替え用意してなかった━━ちょっと取ってくるね」

 一人で慌ただしいリラが、バスルームを飛び出して行く。

「学校行くことになっちゃった・・・」素っ裸で取り残されたフィリエルが呟いた。


  ★


「ぶほっ!」

 ぼくは思わず口の中の食べ物を吹き出してしまい、隣のロゼから顔面パンチをくらってしまう。

 ライフは減ったかもわからないが、この際それは気にならない。そんなことより、目の前のフィリエルの姿が━━

 なんで、なんでコイツちゃんとした女の子みたいな格好してるんだよ。と、おかしくて仕方ない。膝下まであるスカートなんて、まったく似合っていないじゃないか。そんな街娘みたいな格好、したことないだろう。ほとんど仮装みたいなものじゃないか。

「そんなに肌を隠したら、皮膚呼吸ができないんじゃグチャッ!」今度こそ、ぼくの顔面が陥没した。

 よく見えなかったけど、フィリエルに殴られたらしい。どうも内心の考えを喋ってしまったようで、完全にぼくのミスだった。

「明日、学校行くことになっちまった」と、フィリエル。

「なぜに?」ロゼが怪訝な表情をする。

「さっきの娘、リラってんだけど、アイツに誘われちまって。学校なんて行ったことねーからさ、おもしろいかなって思って」

「いい経験になると思いますよ」

 確かに。ニーナさんくらい教養があれば話は別だが、フィリエルは確実にバカだから、きっと必要性はあるのだろう。まあ、一日行ったくらいじゃなにも変わらないとは思うけど。

 そんなことを思いながら、顔面が陥没してしまい固形物を食べづらくなってしまったぼくは、仕方なくスープだけは飲み干そうと決心した。

 フィリエルは肉の塊をほおばっている。喉に詰まらせてしまうといいよとか考えたら、睨まれた。鬼である。


 翌日━━ニーナさんが魔術師協会へと出かけ、ロゼは工場見学に向かい(ほんとに行ったのか?)、フィリエルが宿屋の娘と学校へ行ったのを見送ってから、ぼくは泥人形、もとい妖精王女フィギュアを手に、宿を出発した。

 さて、質屋を探さなくてはならない。

 果たして買い取りはしてもらえるのだろうか?

 まあ、最終的には捨てればいいし━━と、結局ロゼと同じことを考えはじめたぼくであった。


  ★


「フィリエル、準備終わった?」

 部屋の外で待っていたリラが、扉越しに呼びかける。かわいらしい学校の制服に身を包み、鞄を手にしていた。

「おっけー・・・ちょっと待って、今行くから」

 扉が開かれて、フィリエルが姿を見せる。

 リラと同じ制服を着ていた。

「すごい、似合ってる。超かわいいよ、フィリエル!」

「え〜、そうかな〜、そうなのかな〜」

 フィリエルはまんざらでもなかったので、顔がにやついている。タケシが見ていたら、あるいはバカにされていただろう。

 ━━わずかに開いた扉の隙間から、タケシが見ていた。

「それじゃ行こうか」

 リラに手を引かれて、フィリエルは学校へ向かった。


 一方ロゼは、酒場で見つけたチラシ━━チキ・イン社の工場見学、随時参加可能です(am9:00〜)━━を確認してから、時計をみやる。時間的にはもうやっている。ただ、場所がいまいちはっきりしない。土地勘がないから当然だが。

 とりあえず広場までは歩いたものの、皆目見当がつかない。あたりをきょろきょろ見回すと、マップを見つける。

 現在位置はフラストリアの東南寄り・・・工場地帯はもっと北のほうにある。確かに、よく見たらそれらしき一帯があった。なによりバシャダ社の建物がはっきりわかるので、それを目印にするのがよさそうだ。

 チキ・インの工場は━━バシャダ社のわりかし近くにある。これはわかりやすい。

 一つ頷くと、ロゼは目標に向かって歩みを再開した。


  ★


 学園長と紹介されたその恰幅のいい中年女性は、しかしフィリエルにとっては珍しいほどの上品さをそなえていた。彼女の中にある"おばちゃん"のイメージには存在していないタイプの人間だった。

「ようこそ、我がバラワー学園へ。わたくしが学園長のユリヤロ・バラワーです」

「どうも、こんちわ〜」フィリエルが精いっぱいの"品"を出して挨拶しようとするも、成功していない。そもそも身に付いた言葉遣いが品格とは無縁のものだった。

「本日はリラ・マクシマーグさんのご紹介ですから、彼女のクラスで一日過ごしていただきましょう。あなたの年齢であれば、正式に入学することもできますから、もしこの学園が気に入った場合には、後ほど入学案内の書類を差し上げますわね」

 それはいらないな、と思うフィリエル。それよりもリラの姓はマクシマーグだったのか、と考えている。マクシマーグ姓はこの地方でもっとも多く、もっとも一般的な名前だった。盗賊仲間にも十人近くいたっけな━━ほとんど話に集中していないフィリエルは上の空だった。

「━━説明はこのくらいにして、クラスのほうに向かいましょうか。ああ、その前に職員室へ。クラスを担当するマクシー先生にご紹介しなくては」

 紹介された女教師はマクシー・マクシマーグと名乗った。こちらもマクシマーグ姓で、覚えやすい。どうやらこの学園は生徒も教師も全員が女性のようで、男慣れしているフィリエルにとっては逆に居心地の良くないものがあった。なんとなく、肌に合わない気がする。

 それでも、タケシの存在さえ無視すれば女だけで旅をしているようなものだし、そう考えれば問題ない。

 それに、ずっといるわけでもないし・・・今日一日はせいぜい楽しんでみようと、観察をはじめる。

 廊下も、校舎そのものもとても綺麗で、雰囲気がいい。女性だけの学舎という趣が、随所に見られる。

 授業をはじめる前にフィリエルが紹介されることになっていたが、それより前にもう目立ちはじめていた。あちこちで話す声が聞こえている。「あのカワイイ娘、だれ?」だの「なんだかカッコいい」みたいな声が、フィリエルの耳にも届いている。

 ちょっと調子に乗ってウインクなぞしてみたら、歓声が上がったようだ。ますます得意気になる。

(オレ、そんなにイケてんのか)

 あまり人からの評価など気にして生きていなかっただけに、女生徒たちの反応は新鮮だった。女としての自信がついた気がする。

「フィリエルさん、もう大人気じゃない」マクシー教師が小声で囁く。

 教壇の横に立たされたフィリエルが、自己紹介をする。

「え〜と、オレはフィリエルっていいます。学校には行ってないんだけど、今日はリラに連れられて来ました。えっと、今日一日だけだけど、みんなよろしく」

 彼女にしては珍しく、やや恥ずかしそうにして喋り終えた。

 なんとなく、まだ慣れない。大勢の、それも同年代の女の子から注目されるなんて経験ははじめてだった。

 助けを求めるように、視線はリラを探してしまう。

 彼女は一番後方の席だった。笑顔で手を振っている。

「じゃあフィリエルさんは、一番後ろのゲスト用の席についてくださいね」マクシー教師が指示する。

 わかりました、と言って席の間を進む。

 意地の悪そうな顔をした女生徒が、見た目そのままの行動とでもいうように、フィリエルの足をひっかけようとして左足を伸ばした。反射的に応じたフィリエルが、その足を踏む。もちろんバランスなど少しも崩れはしない。並の運動能力ではないのだ。

「いたい!」女生徒が叫ぶ。

「あ、悪い。足なんて出すから、踏んじまったじゃんか」

 悪びれもせずに━━もちろん、先に仕掛けたのは相手のほうであるから、フィリエルだけの責任ではないが━━そう言ったフィリエルはすでに自分の席へたどり着いている。リラが「やるじゃん」などと言ってくる。

 足を踏まれた女生徒がわざわざ振り向いてまで、ものすごい形相で睨んでいたが、気にもならなかった。


 机を寄せてきたリラに教科書を見せてもらいながら、フィリエルは人生ではじめて、まともな人間からまともな勉強を教えられていた。正直よくはわからないが、たとえばゴイスが教えてくれたクソダマコロガシムシの捕まえかたとかよりは、よほど意義のあるものではないのかと、さすがに感じている。

 みんな━━自分と同じ歳の女の子って、こういう人生生きてんだなと、改めて感心する。でもやっぱり、自分には合わないという思いも、正直なところあったのだが。

「かつての詩人、アマネ・ヒナッキが離ればなれになった恋人に捧げたという詩の一節にある『すべての星をこの手で繋ぐ、きみとぼくとの約束のために』という言葉は、当時内戦が激化していた社会的な背景を鑑みるに、言の葉の力で争いいがみ合う人々らを変えて行こうとする彼の決意の表れでもあると解釈されているものです」

 なにがなんだかさっぱりなフィリエルは、すでに眠たくなっている。時折、リラが腕をつついたりしてみるが、あまり効果はなさそうだ。

「この時、民衆とともにイグナフィア地方への逃亡を計画したのが魔術師ジマイアと、さてもう一人は誰だったでしょうか?それでは、ゲストは知っているでしょうか━━フィリエルさん、答えてくださいな」マクシー教師はフィリエルを名指しした。

 だが、半分寝ているので、聞こえていない。

「フィリエル、指名されてるよ、答えて」リラが耳元で言うと、フィリエルはようやく気がついて、辺りをきょろきょろ。

「さあフィリエルさん、イグナフィア逃亡計画の首謀者は魔術師ジマイアともう一人は誰でしょうか?」

「答えて、フィリエル」

 リラに言われたので、とりあえず立ち上がるフィリエル。しかし答えなどは存じ上げない。

「あ〜、え〜と、クンカッス?」フィリエルは頭に浮かんだその名前を口にする。

「誰それ?」リラが眉をひそめた。

 ちなみにクンカッスとはフィリエルの故郷であるイチチ村の男で、うら若き少女から幼女まで見境なくその匂いを嗅いでまわるという希代の変態野郎で、フィリエルには数えきれないくらいボコボコにされ、それでも懲りないある意味凄い人物である。

 教室中から温かい失笑が聞こえ、教師も困り顔だ。

 ある程度は一般常識レベルの問題だったので、それでフィリエルの頭の程度は測られたようなものだったが、バカにするような生徒は一人もいなかった。いや、一人だけ例外はいた━━

 フィリエルを転ばせようとした女生徒マリア・モッコイだ。彼女だけは「バカじゃん」と、独り言を言っていた。

「フィリエル、勉強ダメなんだね」と、リラは言う。

「当たり前じゃん、したことねーもん」

 まったく気にもせずに、フィリエルは言った。「大丈夫、今からだって覚えられるよ」とリラはフォローしたけれど、フィリエルとしては勉強するつもりもなかった。「そうだな」と気のない返事を返す。

「フィリエルさんは、これからがんばりましょうね」とマクシー教師も言ったけれど、フィリエルはすでに聞いていなかった。


 休み時間になると、リラ・マクシマーグとフィリエル・アーメイダの周りに人だかりが形成される。それはあっという間の出来事で、二人が席を立つ余裕さえなかったほどだ。

「ねえねえ、フィリエルってどこから来たの?」

「フィリエルさん、是非ともわたくしとお友達に━━」

「好きな食べ物は?彼氏はいるの?」

「リラさんとは、どういうご関係?」

 このように、少女たちのかしましい質問攻めは猛烈なもので、次から次へと言葉が飛び出すので、もはや答えを期待した質問であるとさえいえず、フィリエルとしてもそのうちのほんの数個に答えるのがやっとだった。とても全部は聞き取れない。

「ほらみんな、フィリエルが困っちゃうから、あんまり質問攻めはよそうよ」リラが助け船を出すも、それはかえって逆効果となってしまう。

「リラさん、どういう関係か知りませんけれど、フィリエルの独り占めはよくありませんわ」

「独り占めって、フィリエルは物じゃないし」

「物だなんて、そんなことは言っていないでしょう!」

 なんだか言い争いになる流れを察したフィリエルが声を高めた女生徒の肩を抱いて、言う。

「まあまあ、オレは気にしてないし、みんな仲良くやろーぜ」とウインク一つ。

 激情に流れかけた女生徒は一変、押し黙り、うっとりとした表情で目を細め、フィリエルを見つめていた。

 それは少女一人に限ったことではなく、周りにいたほとんど全員が眩しいものでも見つけた表情になった。

「フィリエル、なんか、すごい・・・」リラが呟く。


 次の授業もフィリエルにとっては退屈なもので、特になにかを学んだわけではなかった。

 複雑な計算式などは、謎の記号にしか見えない。それに、なにか意味があるという発想すら浮かばない。

 リラの丁寧な解説も、右から左に流れていた。

 昼食の時間になると、リラが二人分用意していた弁当の片方をフィリエルに手渡す。

「おほっ、うまそう」それもそのはず、宿で出ている食事と同じ材料で、料理人がわざわざこしらえたものなので、旨くないわけがなかった。

 この時もこの時で、彼女らの周りには磁力で引き寄せられたみたいにして、机が密集していた。ここにきて、フィリエルの異常なまでの人気を目の当たりにしたリラは、やはり連れてきたのは正解だったなと確信するに至る。なんとなく、同級生たちに人気が出そうな気はしていたのだ。それはもちろん、リラ自身が彼女に魅力を感じていたということでもあった。

 午後の授業には、運動が組み込まれていた。

 フットボールの真似事みたいな授業だ。

 そもそも女がやることではなかったし、少女たちに男達と同じ内容のゲームができるはずもなく、そこはあくまでも体を動かすということを主目的としていた。

 ゴールキーパーの少女などは、手鏡片手に前髪を整えたりしている。これでは主目的さえどうかという有り様だった。

 ゲームが開始されると、リラから前線のフィリエルにぬるいパスが通った。少数の真面目にやっている生徒がディフェンスらしき動きをするが、それも本気でやっているわけではないのでボールを奪うには至らない。

 ただ一人、純粋さゆえの本気を見せたフィリエルが、右足一閃。猛烈なスピードで真っ直ぐ飛んだボールは、ゴールキーパーの少女の頭をかすめて、ネットを揺らした。

 遅れて気づいた少女の手から、手鏡がぽとりと落下する。

 全員が呆気にとられていた。

「なにそれ、フィリエル。めっちゃすごいじゃん」リラがわずかに上ずった声で、そう言った。

「こういう授業なら、オレ向きだぜ」

 フィリエルは親指を立ててみせる。少女たちがみな、うっとりしている。かつて出会ったことのないタイプの同い年の少女に、誰もが心を惹かれていた。それは、意地の悪い性質を持つマリア・モッコイとて例外ではなかったが、彼女のプライドが正直な気持ちを否定していた。

「あんなもの・・・一点、取り返すわよ!わたしにパスを寄越しなさい」

 相手チームだったマリアの気持ちに火がついた。なんとしてもフィリエルに負けるわけにはいかない、その思いが強すぎた。

 仲間からのパスが、マリアの足元に通る。

 マリア・モッコイは先ほど目にしたばかりの、フィリエルの弾丸シュートを真似しようとして、大きく足を振りかぶる。渾身の力でボールを蹴ろうとしたのだが、残念なことに、彼女の運動能力がイメージした動きに追いついておらず━━思いきり空振りしたマリアが頭から後方に倒れる。

 もしもそのまま、頭から地面にぶつかっていたのなら、彼女は大怪我をしていたかも知れない。しかし、そうはならなかった。

 ただ一人反応したフィリエルが滑り込んで、地面に激突するまえにマリアの体を受け止めたのだ。

「あっぶな。ったく、できないことをすんじゃねーよ」セリフのわりにはやさしい声で、フィリエルが言った。

 その時にはすでに、マリア・モッコイの意固地さというものが氷解していたのだろう。すでに彼女の心はフィリエルという存在を受け入れていたし、完全に心を奪われてしまっていた。

 マリアにとって、このようなことははじめてだった。なので、その気持ちがなんなのか、自分でもわからない。

 とにかく、フィリエルに体をあずけていることが心地よかった。

(これは、何?)

(この気持ちはいったい━━)

 気持ちの正体が掴めないままのマリアを、フィリエルはやさしく立ち上がらせる。二人が見つめ合った。

「あの・・・その、ありがとう・・・それと、いろいろ意地悪して、ごめんなさい」マリアが小さな声で、謝罪した。

 それを目撃したリラや他の少女たちは一様に、信じられないといった表情をしていた。まさか、あのマリアが素直に謝るなんて、と。それは、なにかしらの革命が起きたようなものだった。

 フィリエルがなにかを変えてしまった━━

 リラは自分が考えていたよりも、もっとずっとすごかったフィリエルの姿を目に焼き付けようと、瞬きも忘れ見入っていた。

 目が乾いて、ピリッとした痛みが走った。


 放課後になり━━

 その頃にはもう、フィリエルという存在が学園中の噂となっていたし、クラスの中においてはまさにその中心として君臨していた。

 誰も彼もが彼女に惹かれ、その周りへと集まるのだ。

 連れてきたはずのリラが端のほうへ追いやられるほど、全員が少しでもフィリエルの近くへ寄ろうと躍起になった。その中にはマクシー教師の姿さえあって、もはや収集がつかないような状況にまでなってしまっている。

「フィリエルさん、今晩わたくしの家に泊まりませんか?」

「お姉さまと呼ばせていただいてもよろしいですか?」

「わたしと、付き合ってください!」

 もはや本心を隠そうともしない少女たちは、恥も外聞もかなぐり捨ててフィリエルへのアピール合戦を繰り広げた。

「あなたのような素晴らしい方が、この学園には必要です。是非とも入学していただきたいですわ」いつの間にかそこにいたバラワー学園長が入学願書の書類をフィリエルの手に押し付けた。

「いや、オレは・・・」

 もはや誰もまともな精神状態ではなかっただろう。一方的にフィリエルへの言葉を投げつづける女たちは、すでに狂気の次元へと突入していた。

 なんとしてもフィリエルを手に入れる。

 そんな、わけのわからない妄執にとりつかれて、憧れているはずのフィリエルの言葉さえ聞いてはいない。

 フィリエルにとっては、ある種の恐怖体験として刻まれた、そんな出来事となってしまった。

 一日の終わりを告げるホームルームの時間には、早くもフィリエルとの別れを惜しみ泣き崩れる者さえいた。マリア・モッコイも流れる涙を隠そうともしない。クラス全体に悲しみの感情が蔓延していた。

 フィリエルはもう、なにがなんだかわからないから、とにかく早く帰りたかった。

 学校って、こえーな。

 そんな感想さえ浮かんでいる。

 そしていよいよ、別れの時━━

(やっと帰れる・・・)

 正直もう疲れ果てていたフィリエルはため息をついた。隣に立つリラにも、疲れが見える。大変な一日だった。

 校門の前には学園中の生徒が集結して、フィリエルとリラを送り出そうとしていた。他のクラスだった生徒は好奇の目で、同じクラスだった者たちは、ほとんど全員が涙目で二人を見ている。中にはリラに対して明確な敵意を表す者さえいた。

 たった一人の人間が、これほどの人心を動かせるものなのか。リラ・マクシマーグは思う。世の中には、まだまだ知らないことがたくさんある。狭い世界の中だけでは、そのほとんどは知ることができない。そして、フィリエルのような人間は、狭い世界の外側にいる。わたしも、広い世界へ━━

 人知れず考えたリラの心中は、誰にもわからない。この出来事がきっかけとなり、その後の彼女の人生が大きく変わっていくことも、この時点では、誰も知らない。本人でさえも。

「なんか、王様みてーだな」

 大勢の人間に見送られる自分を、そんなふうに例えたフィリエル。まさにリラもそんな気分だった。

 通りを歩く人々も、いったい何事かと学園の門を見ている。

 フィリエルが一日体験入学したこの日の出来事は後に伝説となり、記念日と定められた『女神の日』として後世にまで伝えられることになるのだが、それはまた別のお話。

 フィリエルにとってはただの面倒な一日の出来事に過ぎず、明日には忘れているような話なのだ。

 バラワー学園に別れを告げて、フィリエルは戻る。本当の、自分の居場所へと━━


  ★


 見学者の案内を担当している男が、懇切丁寧に説明をしている。が、見学者はロゼ一人な上に、彼女は真面目に聞いていない。

 懐かしき30ネンガチャの景品を手作りしている風景に興味津々だった。

 遠く離れた北の故郷アスバーンの商店にもあったガチャガチャマシーン。一回30ネンという安さだが、それに見合ったものか、あるいは30ネンの価値もないゴミみたいな景品が出てくるというもので、オモチャとすら呼べないような針金の造形物を手に入れた記憶が思い出される。

 それらが一つ一つ手作りされている様子は、感慨深いものがあった。

「我がチキ・イン社はこのような驚き、サプライズというものを重要視しており、お客様をいかに驚かせるか、楽しませることができるかということを常に念頭に置きまして━━」

 話はつづいていたが、ロゼはすべて聞き流す。

 熱湯に浸けて柔らかくしたゴム玉を人間らしき造形にして、固めている。それで完成らしく、そのままカプセルに詰めてしまう。さすがは30ネンガチャのクオリティである。

 ロゼはしきりに感心して、頷いていた。

 あの様子であれば、その辺で拾ってきたちょっと形のいい石でもカプセルにさえ入れてしまえば、商品として成立するかもわからない。さすがはチキ・イン。良くも悪くも、普通ではない。

 その後もいろいろな作業工程を見学したが、部分だけではよくわからないものも多く、感動は少なかった。やはり30ネンガチャの部署が一番おもしろかった。製造していたオッサンには、心からの敬意を払おうと、ロゼは思った。

 帰り際に、お土産を渡される。

 それは玩具メーカーならではのもので、伸び縮みするマジックハンドだった。が、手の形がグーになっているので、厳密には伸びるパンチマシーンである。

「触りたくないムシを倒す時などに、役立ちます」との説明を受けた。

 確かに、無理にでも役立たせようと思ったら、それくらいしか使い道はないだろう。そもそもなんで作ったのかという話だが。

「楽しかった。30ネンガチャのオヤジによろしく」

 言って、ロゼは工場を去る。

 貴重な経験ができたと、それなりには満足していた。


  ★


 一番に宿へ戻ったぼくは、なにもすることがないのでぼーっとしていた。

 結局、あのフィギュアは売るには売れたのだが、ほとんどタダ同然という値段にしかならなかった。最初の二店で断られ、ダメ元で入った大手買い取りチェーン店でなんとか売れることにはなったのたが「本来、こういった手作りの物は買い取りできませんので・・・30ネンになりますがよろしいですか?」ということだったので、ぼくはそれに了承し、30ネンで売却した。

 店の入り口横に30ネンガチャがあったので、ちょうどよかったし、手に入れたばかりのカネを硬貨投入口に突っ込んだ。

 ハンドルを回すと、景品のカプセルが転がり出る。

 カプセルを開き、中身を確認━━まさに、泥人形みたいなかろうじて人の形をしたゴムの塊が出てきたので、ぼくは無言でそれを放り投げた。店の屋根に消えたが、知ったことではない。

 と、そんな出来事があった一日だった。

 得たものはなにもなかったが、失ったものはなにかしらあったのではないかと思われてならない。


 最初に帰って来たのはロゼだった。

 手になにか持っている。

「これ、もらった」と、マジックハンドをこちらに向けて、伸ばした。

 離れた位置から顔を殴られたぼくは、無表情である。またろくでもない物を持って来たなとしか思わない。

 そのあとに戻って来たのはニーナさんだったのだが、ぼくとロゼは大変驚くことになる。

 なぜならば、団長が一緒だったからだ。

「マスター、なぜに?」ロゼも困惑している。

 ぼくも同じだった。まさかここで会えるとは、想像していなかった。

「やっほー、帰ってきたよー」と、団長。

「魔術師協会で大きな事件があったようで、お姉さまもお手伝いされていたそうです」

「そう。それで片付けも済んだところで、ニーナがお迎えに来たというわけだ」

 それは、相当にタイミングが良かったのだろう。

「それで、予想外に暇となってしまったわたしは、恥ずかしながらここからの旅に同行しようと思うのだが、よろしいですかなお二人さん?」

 ぼくはもちろん、大歓迎だ。思ってもみなかった幸運を掴んだ気持ちだ。

「ベリベリハッピー」ロゼも嬉しそうにしている。

「でもまあ、考えてみればこれで正解かも知れない。最後にしようと思っていたロゼの問題も、早めに解決できるしね」

 と、団長は言ったが、ぼくにはなんだかわからない。ロゼの使命は知っているけれど、それは無理な話だし。

 まさか━━いや、さすがの団長でも太陽を消滅させたりはできないはずだが、印象としてはやりかねないのでなんとも言えない。

 怖すぎて考えたくもないなぁ。

「ところでパツキン美少女は?姿が見えないけど」

 フィリエルはまだ帰っていない。果たして勉強なんてできたのだろうか。まあ、無理だろうな。どう考えても。

 問題を起こしていなければいいが・・・。

 そんなことを思っていたら、さっそく噂の問題児がご帰還なされた。心底疲れ果てた表情かと思ったら、団長の姿を認識するや一変して、涎を垂らさんばかりのだらしない笑顔で跳び跳ねた。

「やったーっ!団長いるぅ、なんで、どうして!」

 その切り替わりかたは、人としてヤバいのではないかと思えるけれど、まあ、アイツが人間かどうか確かめたわけじゃないし。実は人間じゃなかったとしても、多分ぼくは驚かない。

「団長ぉ〜、しゅき〜」さっそく甘えだしたバカフィリエルがベタベタと団長にまとわりつく。ぼくと交代してくれ。

「これからお姉さまも一緒だと思うと、心強いです」

 ニーナさんの言葉は、ぼくたちみんなの言葉だった。

 心強い、というどころではない。団長さえいれば、ほとんどの不可能が不可能ではなくなるだろう。

 そしてそれこそが、ぼくたちスカーレット魔術団であるのだ。

 団長がいてこその、ぼくたちなんだ━━



 第十二章 マガツピラミッド



 フラストリアの三日目。

 ぼくたちが━━というかフィリエルが大金を稼いだことを教えていなかったので、その話を団長にしてみたら、さすがに驚いた様子だった。

「それはすごい。前に会った時、言うの忘れてたでしょ?」と言われた。その通りだったので、返す言葉もない。

 お金があるから━━というわけでもなかったが、急遽団長が加わることで手狭になった馬車を新しくしようということになった。旅の中で増えた荷物もあり、ちょうどいい頃合いだったろう。それに、この都市には世界最大の馬車メーカーがある。これ以上ない好条件が揃っていた。

 バシャダ社のショールームには最新のモデルが展示販売されていた。どれも立派で、高価なものばかりだった。

「これでいーじゃん」

 フィリエルが選んだものは、最も高額な最新式馬車で、無駄に豪華な内外装と屋根付きの御者台、よく見れば所々に宝石が埋め込まれているというとんでもない代物だった。これは、山賊などからすると、格好の標的なのではないかという気がする。それに、正直なところ趣味が悪すぎる。センスのない金持ち向けの商品だった。

「これはないなぁ。乗るの、恥ずかしくない?」

 団長に言われてしまい、肩を落とすフィリエル。

 結局、同じタイプの無駄な装飾が施されていないものに落ちついたのだが、やはりそちらも値段は高かった。今まで使っていた馬車を下取りしてもらったのだが、そちらは、ほとんど足しにはならなかった。

 馬も必要になりますよ、と販売員に言われたが、もちろんぼくらは断った。まさか、その馬一頭では牽けませんよ、と常識的忠告もいただいたのだが、ぼくらに常識は通用しない。団長の魔術によって、馬車が超軽量化されて、ぼくが手で押せるくらいの軽さになり、バシャダ社の人間を驚かせた。

 御者台には団長が座り、真のスカーレット魔術団としての姿を取り戻したぼくたちは工業都市フラストリアの出口へと向かう。

 都市の東門付近に、なぜだか人だかりができている。

 新しい馬車の中には前後左右の壁に、上げ下げできるブラインド付きのかなり大きめな窓があって、今は開いている前方の窓から、団長の背中越しに確認することができたのだ。

 なにかのキャンペーンか、デモンストレーション?それとも、誰か有名人でも通るのか。

 ぼくたちは全員で、なんだろうねと話していた。

 近づくにつれて、その正体が明らかとなる。

 と言うか、近づくに前に声は聞こえてきていたが。

「フィリエルさま〜っ!」

「フィリエルちゃん、行かないでーっ!」

「わたしと結婚してぇぇぇぇぇっ!」

 ぼくは一瞬白目になり、どうにか意識を保った。なんだ、なにが起こっているんだ?

 馬車を取り囲む少女たち。その表情は様々で、ほとんどの女の子は涙を見せているが、数人は鬼のような形相をしていたり、白目を剥き出して泡を吹いている者さえいる。

 ある種、地獄絵図と言っていいような光景に思えた。

 ぼくは怖くて、ニーナさんにすり寄ってしまう。身の危険を感じていた。

「ヴィギヴェルざぁぁぁん、いがなびべぇぇぇっ!」

 もうなにを言っているのかもわからない、獣の唸り声だ。

 ぼくの腕の鳥肌がすごいよ。

「まさに狂気━━ゴッド、降臨せよ」

 ロゼが突き放すように、フィリエルへ命令を下す。

「え〜、なんかこえーよ。チビりそうだよ」

 気持ちはわかるが、これはもう、フィリエルを犠牲にするしか解決の道はないと思う。いよいよお別れだね、バイバイ!

「フィリエル、みんな呼んでるよ」御者台から振り返った団長が告げる。これも魔術の効果なのか、声はすごく通るのだ。

「え〜、仕方ねーなぁ」

 渋々といった様子で、馬車を降りるフィリエル。

 まるで王様でも現れたかのような大歓声が上がる。ほとんど悲鳴に近いような叫びも多く、耳が痛い。

 あいつらいったいなんなんだよ、とぼくは思う。思い当たるのは、フィリエルが学校へ行ったことと関係があるのだろう、ということだけだ。

 まさか━━たった一日で、あんなにも人気者になれるとでもいうのか?嘘だ━━ぼくは信じないぞ。

 だって、フィリエルなんだし。

 フィリエルなんだよ?

 ぼくとロゼは横側のブラインドをそっと半分押し上げて、外の様子を観察する。

 少女たちに取り囲まれたフィリエルが、なんだか輝いて見えるのは気のせいだろう。

 少女たちの肩を抱いたり、サインをせがまれたり、キスをされたり胸を揉まれたり小石を投げられたり、なんだかめちゃくちゃな状況だ。好まれてはいるのだろうが、一部違う人間がいたりしてわけがわからない。

「オレ、もう行かないと!」

 散々もみくちゃにされたあげく、とうとう限界に達したフィリエルは逃げることを選択した。

「フィリエルさん、また必ず、この町に来てよね!」

「ああ、約束するよ、マリア」

 言って、とっとと馬車に戻って来た。

 チッ、帰って来たか。

「フィリエル━━また会おう!」一際大きな声が、少し離れた場所から届いた。

 彼女は確か、宿で働いていた女の子だ。

 結構かわいい子だったので、フィリエルと交換したい。

「わかった、リラ!」フィリエルが応える。

 馬車の前方から人が消えたので、団長は馬車を前に進めた。

 女の子たちはそれでも何事かを好き勝手に叫びながら、門の外まで追いかけて来た。

 馬車が遠くへ離れても、しばらく手を振っていた。


「ずいぶんと、お友達ができたようですね」

 ニーナさんはどことなく嬉しそうに、そう言った。

 フィリエルはなんか髪が乱れたままだし、頭に小石が乗っている。ぼくは教えてやらなかったが、気づいたロゼが指摘した。

「お友達なのかな〜?なんかわかんねーけど、いろいろ言われた」

 ぼくの聞き違いでなければ、結婚だの愛してるだの、そんな類いの言葉が乱れ飛んでいた気がする。それは果たして友達なのかどうなのか、ぼくには判断できない。

 そして、なんでフィリエルがそこまで愛されることになったのかも、理解できない。

 世の中には不思議なことがある。不思議なことしかない。

 土の上に寝ていた、馬車と同じくらいの大きさがあるワニの怪物が襲ってきたけれど、団長がフワリとそれを浮かせると、どこか遠くへ運んでしまった。

 ぼくたちは、まったく動じもせずに、ただその出来事を観察していた。

 はっきり言って、団長がいるという安心感が強すぎて、ぼくたちからは緊張感というものがすっかり失われていたのだ。

 化け物だろうが悪魔だろうが、出てきたところで怖くもなんともなくなっている。それはぼくだけじゃなくて、ニーナさんもフィリエルもロゼも、全員がそうなのだ。

 最強の矛と盾を手に入れてしまえば、もはやこの世に敵はなし、といったところか。最強の矛盾が生じないことだけを心配していれば、それでいいのだ。うまいこと言ったぞ、ぼくは。

 ━━と、まるでそのことを悲しんだかのように、さらさらと雨が降りだした。なにが悲しいんだ、なにが。

 ちょうど馬車も湿原地帯にさしかかり、なんとなく空気も湿ってくる。自ずと、気分も湿っぽくなるのは自然の摂理か。

 先ほどのワニも、この辺りから来たのだろう。だとすれば他にも同じような個体がいて然るべきだ。が、こちらには団長がいるので心配なんてなにもない。

 御者台の団長が窓に手を伸ばした。その手はするりと壁を抜けて、ぼくの目の前にやって来る。

「タケシ、お菓子ちょうだい♪」

 おやつの時間らしい。ぼくはお菓子ボックスをがさごそやって、イチオシのチョコレートサンドビスケットを見つけると、それを団長に渡した。壁抜けの手が、ビスケットとともに戻る。

 便利だな、団長。

 なぜかビスケットで思い出したのだが、そう言えば団長から貰っていた復活のアイテムをまだ身につけていなかった、ということに気がつく。すっかりその存在を忘れていた。貴重品の箱を探ると、やはり入れっぱなしになっていたので、申し訳なく思いながら今さらだけど身につける。

 このところ、どうしてか死ぬ機会も少なくなったぼくなので(考えてみれば普通は一度も死んじゃいけないのだが)、前ほどには危機感を抱かなくなってきているし、団長が加わってからはまったくのゼロになってしまった。

 どう考えても、死ぬ心配はない。

 団長が側にいる限りにおいて、ぼくを殺せる者などこの世に存在しないのだ。ぼくは自分の力を把握しているから、人に守ってもらうことを恥ずかしいとは思わない。我ながら賢明だと思う。

「ちょいと寄り道」

 急にそう言った団長が、進路を外れる。

 整備された道をそれて、悪路へと突入する。通常の性能を超越したぼくらの馬車なので、別に悪路は問題ないのだが━━団長、どちらへ行かれるのですか?

 湿地帯なので、あちこちに水溜まりや泥のエリアがあって、本来であれば、とてもではないが馬車で進める道ではない。ところがぼくらの馬車は水に濡れることも、泥に沈むこともなく平気で前へと進んで行く。馬のレディもそれは同じで、なにも苦にすることがない。知らない人が見たら、きっと驚くだろう。

 不思議なかたちの広葉樹の間をすり抜けて、馬車はぐんぐん進んでいる。ちょっとした沼地の上を走行するに至り、もうそれは浮遊していますよねとぼくは思う。

 さすがは団長。これはニーナさんでもできなかった芸当だ。もしかしたらやる手段はあったのかも知れないが、だとしたら湖や川を直進できる場面はいくつかあったので、そのいずれかの上を浮遊してもよかったはずだ。

 余計な騒ぎを起こしたくなかった、という可能性もあるかな。

 なんにしろ、団長が操る馬車の前には、障害物など無いに等しい。すべて道であり、どこへだって行ける。

 木々が途切れて、窪地状の広場が現れた。

 いや、これは━━

 木を除去したというよりは、窪地を中心にして、一定の半径までの草木が枯れている状態に見える。

 ある境界線を挟んで、枯れている木とそうでないものとがはっきりと分かれていた。

 なにか、禍々しいものを感じる。

 木が枯れている、というだけでも、絶対に歓迎すべきものではないと言っていいだろう。

 窪地の中心━━枯れた木々の真ん中に黒く大きな石を積み上げてつくられた、四角錐の建造物が鎮座していた。

 見ただけで嫌な気持ちになるような、そんな建造物だ。

 これがいったい、なんだというのか。

 団長がにゅるっと顔を入れてくる。おもしろいマジックの趣があるが、タネも仕掛けもない━━いや、あるのか?どっちだ。

「ここは通称で災厄の墓標と呼ばれるところ。正式にはマガツピラミッドというのだけれど、そちらは一般に知られてないわね。これをつくった始祖の魔術師たちがそう名づけたの」

 災厄、という言葉がなるほど納得できる雰囲気がある。

 禍々しい気配は、まさにそう表現するのが正しいだろう。

「役割は、現世の悪意や怨みとか、そう云った負の思念を一つところに集めて、浄化を行うというもの。ただし、それは生きている者が対象ではなくて、すでに亡くなった者たちの思念、ということなのだけどね」

 やはりなにやら恐怖の建造物らしく、横のフィリエルは目を閉じて両耳を塞ぎ、なぜか口だけ笑っているという状態だった。ぼくも少しだけ鳥肌が立って、わずかに寒気も感じている。

「それで、こないだの『事件』で魔術師がたくさん亡くなったのは話したけれど、その人たちのこともあって、ここの思念がとても強力なものになってしまっているの。だから、通るついでにわたしが浄化を申し出た、という次第なのでした」

 団長が御者台から降りる。

「危ないから、わたし一人で行ってくる。みんなは馬車から出ないように」

 言って、団長はピラミッドの元へと向かう。入口は低い位置にあるのだろうが、全体は木々と同じ高さがある。

「タケシ、行ってこいよ。団長を守ってこい」

 まったく意味のない、ふざけた言葉を吐くフィリエル。ぼくがいったいなにをすれば、なにからどのように団長を守れると?それに、馬車を出るなと言われたばかりではないか。

「試しに」とは、ロゼ。

 なにを、なんのために試すんだよ。

 ぼくを使って。

「気になるから、ちょっと中を見てこいよー」

「いやだよ、出るなって言われたじゃないか」

「言われたけど、見てこいよー」

 無茶苦茶だな。よし、仕方ない。どうなっても知らないぞ。そんなに言うなら見てきてやろう。

「わかったよ、ちょっとだけ、覗いてくるよ」

 実はぼくも好奇心があったらしく、中がどうなっているのか興味があった。

 危険かも知れないが、覗くだけなら大丈夫だろう。

 ぼくは馬車を降りて、団長が向かった場所へと歩いた。

 なんだかやっぱり寒気がするし、気分も悪い。変な頭痛もするし、なにか人の声みたいなものも聞こえる。

(これ・・・ほんとにヤバいやつじゃ)

 ぼくは開いていた入り口から中を覗こうとしたのだが、その前に頭が割れそうなくらい痛くなって、地面にうずくまった。

 気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い!

 頭と首と背中を誰かに締め付けられていて、とてつもない激痛が走っているけれど、それよりも酷かったのは生きているのが嫌で嫌で仕方なくとても悲しくて絶対に許せないし頭から足の先まで切り刻んで吐き気が苦しくて頭が割れてしまう耳が痛い目が痛い手が痛い足がいたいぼくがいない━━


  ☆


「もやし、ダウン」

 ロゼはタケシが体を丸めるようにして倒れたことを確認した。

「マジか、なんにもいねーのに」

「止めるべきでしたね」

 ニーナは自らの判断を悔やんだ。

 助けに行こうにも、それができずに三人はただ倒れたタケシを見ていることしかできない。

「なんで死んだんだ、タケシ」

 フィリエルはその驚異的な視力で観察するが、なにもわかったことはない。ただ、タケシの表情が歪んだまま固まっているのだけははっきりとわかった。

 外傷はない。

 血の一滴すら流すことなく、おそらくは絶命している。

「毒ガスかなんかで、やられたのかもな」

 フィリエルは適当な予想を口にしたが、そんなものは当たるわけがなかった。

 そんな感じで、出来ることもなくただ見ていたら、タケシの体が光に包まれはじめた。

「おわ、なんかタケシ光ってる!」

「あれは、お姉さまの道具によるものですね」

 ニーナの言うとおり、それはタケシが身につけていた復活のアイテムによるものだった。

 光が収まって数秒、タケシが起き上がる。

「もやし復活」

「おお、勝手に生き返った」

 が、一歩動いただけで、再び頭をかかえて悶えるタケシ。見たこともない形相になり、間もなく倒れる。

「二回目」ロゼが無慈悲に呟いた。

「あ〜、惜しかったなぁ」

「かわいそう・・・」

 と、それぞれの感想を口にするも、やはり彼女たちにできることはなにもなかった。

 やがて、ピラミッド全体が白く発光をはじめる。

 なにごとかが、起こっていた。


 ピラミッド中央の四角い部屋にスカーレットはいた。

 一方の壁に、やって来た階段があり、その正面の壁の一部では、絶えず黒い炎が燃え盛っている。

 それは、炎であって炎ではない。

 悪しき怨念が集まってできる、邪悪なる魂の放出現象だった。

 その壁の一点は、いわばガス抜き穴である。通常、そこには壁の穴があるのみ。なので、このように黒い炎のようなものが吹き出しているということは、すでに貯めておける限界量を超えているという事実を示している。

 やはり先日の惨劇が影響してのことだろう。

 早く浄化をしなければ━━

 スカーレットはフラストリア支部から運んで来た、浄化に必要な道具を一式床に並べると、さっそく儀式を開始した。


 事が終わり、再び"からっぽ"になったピラミッドの入り口で、なぜか死体と化しているタケシを発見する。

「えー、なんで来たかなぁ」

 スカーレットはタケシを肩で支えると、馬車を見た。

 フィリエルがいたずらを咎められた子供のような顔をしたので、あの子がそそのかしたのかなと察してやる。

 怒るつもりはない。

 でも、たまには叱ることも必要だろうか?

 そんな、母親みたいな考えを浮かべた自分に、スカーレットは内心で苦笑するのだった。


  ★


 生き返ったのはいいけれど、なんとなくまだ気分の悪さが残っているような気がして、ぼくの気持ちは沈んでいる。

 今回の死は、なんだかすごく嫌な感じだった。それに比べたら、こないだ鉄球で轢死したことのほうがよほどマシだったと思える。

 ━━そんなわけあるかよ!

 死なないからと言って、死ぬのが嬉しいわけじゃない。

 いや、死なないわけじゃなくて死んでも生き返るだけだから、やっぱりぼくは死んでいる。もう精神が崩壊しそうだ。

 しかもなんか、二回死んだしね!重要なことだからもう一度言うけれど、二回死んだしね!

 で、結局団長に貰った復活のアイテムを無駄に使ってしまったという・・・涙が出るよ。

 そして、こんな危険なピラミッドをなんでわざわざ造ったのか、正気を疑ってしまう。まあ、正気ではなかったのだろう。そうであってほしいと、ぼくは思う。

 この世界の魔術師がこの世界のルールに則り、なんらかの必要性があっての物なのだろうけれど、ぼくにはまったく関係がないので、やはり理解はできないのだ。

 ━━邪悪なる黒いピラミッドが後方に遠ざかっていく。

 団長の話では、普段は障壁が張ってあるので誰かが間違って侵入してしまう心配はないらしい。

 あんな場所へ人が入ったら大変だよ。絶対に、ぼくと同じようなことになるし、問題は、その人たちは生き返れないということだ。ぼくとしても、もう二度と行きたくない場所となった。

 雨が降りつづいている。

 強くはなく、ほとんどミストのようなやさしい雨が。

 その上空、厚い雲間に光が射して、湿った大地を照らし出す。

 ずっと前方に、虹がかかった。

 でも、なんだろう?

 すごく違和感がある。

 幅広の虹が、手前から奥に伸びていて、しかもその先は半円を描いておらず、雲の中へと消えている。

 虹って、ああいうものだっけか。ぼくの記憶にあるものとはだいぶ趣が違ったが、この世界では普通のことなのか?

 そこへ、またしても団長の顔がにゅるっと馬車の中へ入って来て、結果的に、ぼくのその疑問に答えてくれる。

「珍しい虹がかかったよ。あれは、天界行きの虹の橋━━古来、虹を橋に見立てた物語は数あれど、実物と言えばあれ一つ。でも、普通は見つけたとしてもそれを渡れるわけじゃない。"招待された"のでもなければ、ね。どうだろう、せっかくの機会だし、みんなで天界行ってみようか?」

 団長の提案に、フィリエルとロゼが大賛成。ニーナさんも、多数決に反する人ではないし、ぼくも別に異存はない。

 というわけで、突然ぼくたちの天界行きが決定してしまった。

 それはそうと、天界ってなんだ?

 ぼくは天国のようなイメージを浮かべようとしたが、うまくいかなかった。翼の生えたリザードマンが雲の上をスキップしている映像が浮かんだので、的中率は低そうだ。



 第十三章 天界英雄譚タケシ



 そもそも、虹に追いつくことはできないはずだ。

 光の屈折が見せる自然現象に過ぎず、ひとつの固体としてそこに存在するわけではないのだから。

 だけど今、ぼくたちの馬車は大きな虹の根元にいた。見事なまでに七色に分かれた虹は、幅が三メートルくらいあって、雲の中へとつづいている。

「とても綺麗な光景ですね」

 依然として小雨が降りつづいてはいたが、馬車を降りたニーナさんが虹を見上げる。

 本当に、夢の中みたいな景色だった。いや、これほどの物は、夢でだってなかなか見られるものじゃない。

「ファンタずい」

 ずいって。噛んだのだろうか、ロゼが言う。

 フィリエルはバカ丸出しのキラキラまなこで、団長は腰に手を当てた姿勢で、やはり不思議な虹に見入っていた。

『あなた様が━━』突然、声が降ってきた。

 どこからかはわからない、とにかく頭の上のほう。強いて言うなら、虹の先から聞こえてきたような気がする。

『この時代の、我らが救世主となられるお方』

 それは、どことなくおじいさんの声のようだった。けして若い人や、女性の声ではない。

「なんだこの声?誰が喋ってんだよ」

「まあフィリエル、とりあえず聞いときましょうよ」

 団長に言われ、フィリエルは黙る。

 声は━━

『我らの国は、数百年に一度の周期で"邪悪の王"の魂を引き継いだ魔人王なる者の脅威にさらされるのです。しかし、その時代ごとに、必ず魔人王を打ち倒すための"救世主"が選ばれるのです。その方は必ず人間の少年であり、救世主を迎えるべく虹の橋がかかるのです』

 なのですなのですと丁寧に説明されても、なんのことやら、だ。邪悪の王だの、救世主だの、本気で言っているのだろうか。

 しかも、少年と言われた時点で、この場に該当者は一人しかいなくなってしまう。そう、ぼくだ。

 フィリエルである可能性もあるにはあるが、いや、ないか。

「タケシ、救世主だってよ」

「やっぱり、ぼくのことなんですか?」

「他が少女なのだから、そうなんじゃないの?」

 これはいよいよ、他人事ではない。

 どうしてぼくが選ばれた?救世主?そもそも、この声はどこの誰が喋っているものなのか、そして話は本当なのか。

『救世主様、是非とも虹の橋へお乗りください。どうか、この時代の魔人王の手から、我らの国をお救いください!』

 これは困ったことになった。拒否権はあるのかな?もしも救世主に拒否されたら、あの声の人たちは黙って滅びるのだろうか。

「タケシ、ここまで言われて乗んなかったら、男じゃねーぞ?」

「死んでこい」

 いや、死にになんて行かないし。行くならみんなで行こうよ。

「元々そのつもりだしね、みんな、馬車に乗って」

 団長の指示でぼくたちは馬車に乗り込む。まさかと思ったけれどそのまさかで、馬車ごと虹の橋に乗ってしまった。

 それも驚きだが、やはりなんと言っても虹に乗れたこと自体が驚きだった。

 馬車は進んでいる。

 しかし、レディの足は止まっていて、もちろん車輪も動いてはいない。なのに、馬車は虹の上をどんどん上空へと向かって進んで行く。

 自動的に運ばれているという、不思議な現象が、いったいどのような仕組みで成り立っているのか見当もつかない。魔術みたいなものなのか、あるいはまったく別の力なのか。

「すげー、空飛んでるじゃん」

 そう、まるで空を飛んでいるような感じだ。高空を飛ぶ鳥たちも、何事かと思っていることだろう。

 こんなに気持ちのいい経験は、なかなか出来るものじゃない。

 雲の間の光の中に、虹は消えているようだった。

 果たしてそこが終点なのか。まさか橋が途切れてしまって、そのまま落下するなんてことはないだろうな。

 団長がいたとしても、怖いものは怖いので勘弁してほしい。

 ぼくはびくびくしながらその時を待ったが、結果的にはすべてが杞憂に終わった。橋が途切れることも落下することもなく、馬車は光の中へと吸い込まれ━━その先には違う世界が広がっていたのだ。

 わずかに弱まる太陽の光。なんだか、身に覚えのある雰囲気。

 先の方に大地があり、橋はそこまでつづいている。

 眼下へ視線を移すと、そちらにも広大な大地が広がっていた。

 つまり、大地から隆起したとてつもなく高い山の上に、更なる大地があり、ぼくたちはそこへ向かうらしい。

「下にあるのは、妖精の大地ね。この世界ではフェアリーランドと呼ぶようだけど」

「ってことは、下にあんのがアンヨたちがいたところ?」

「そうよ、みんな大好き妖精王女が暮らす王国も、あのどこかにある。今、向かっているのは空の民が暮らす天界ね。空の民とは言っても、元々は妖精たちと同じものなんだけど、大昔にその中の一部から枝分かれした人々というわけだ」

 団長はなんでも知っている。勉強したのか、違うのか。今まで答えられなかったものはないと思う。ぼくの知る限りにおいては。

「さあ、もうすぐ到着だ」

 切り立った崖になっていて、遥か下方の大地までの距離がありすぎる景色は、見ているとスケール感がおかしくなる。落ちたら助からないのは当然として、落下の衝撃で地面の染みになれそうなくらいの高さがあるだろう。それ以前に下の大地に到達するまでだいぶ時間がかかるだろうから、落下の途中で亡くなったとしても不思議じゃない。

 いずれにしても、絶対に落ちてはいけない場所であるのだが、よりにもよってその端ギリギリに終着点が存在した。もうちょっと内陸に入ってもよかったのではと思えてならない。

 近づくにつれて、ぼくの目にも詳細な景色が見えてくる。

 崖の近くだというのに、そこは村のようであり、素朴な外観の家屋がちらほら見られる。

 そして、虹の周りには、たくさんの人々が集まっていた。

 ぼくたちの馬車がついに天界へと到着し、その大地へと降り立った。

「お待ちしておりました、救世主様!」

 小さいおじいさんが前に出てきて、そう言った。

 おじいさんが小さいのはいいとして、他の人々も全員小さいことにぼくたちは驚いた。みんな、ぼくの半分くらいの身長しかない。老若男女問わず、全員がそれくらいの身長だった。

 ぼくだって背が高いわけではないが、この人たちは低すぎる。

「ちっちぇ」フィリエルが洩らした。

 誰にも聞かれなかったことを願う。

「あなた様がそうですな、ちと、こちらへ━━」

 パーティーの中でただ一人、明らかに男であるぼくに、おじいさんは言ってどこかへ誘おうとする。団長に目をやると頷いたので、ぼくはおじいさんの後を追って、ついて行く。名前を訊かれたので正直に答えた。偽名を告げようかとも思ったが、なんの意味もないのでやめておいた。おじいさんはソラ村の村長で、テテと名乗った。「タケシ様、こちらです」テテ村長が言う。ほとんど距離を歩いていない。

 すぐ近くだったので、まだ団長たちや小さい人々の目が届く場所に、小さな囲いで覆われた場所があった。ゲートが開くと、中にあったのは、岩石とその中央に突き刺さっている抜き身の剣だった。

「さあ、救世主であるタケシ様ならば、この剣が抜けるはずです」

 伝説の剣、みたいな感じか。まさかこういうのが本当にあるとはね。信じられない。しかも、自分がやることになるなんて。

 どうでもいいけど、これで抜けなかったらどうなるの?代わりの救世主がまた、現れるのだろうか?そのあたりの仕組みは気になるところだ。

 まあ、とりあえず、自信はないけど挑戦してみようか。

 ぼくは剣に両手を添えて引き抜こうとし、ちょっと力を入れただけで剣のほうから飛び出してきた。

「うわっ、ヌルッと抜けた!」

 全然抵抗がなかったし、まったく力がいらなかった。これ、ぼくじゃなくても抜けるのではないかと思ったが、テテ村長の説明では、絶対に抜けないらしい。信じられない。

 それくらい拍子抜けしてしまった。

 ぼくが抜いた剣の刀身が輝きだして、一筋の光が空に向かって伸びていく。ある一定の高さで光の球へと変化して、さらにそこから三つに分裂したものが三方向に飛び散った。

 仮に虹のある崖側を南だとすると、東西と北、それぞれの光が落下した場所が隆起して、五メートルくらいの高さがある岩の塊が出現した。次いで岩が割れると、中から人の形をした機械が姿を現して、輝きはじめる。

 北側の機械が銀色に輝くと、ぼくの体も同じ色に輝きだして、光の糸で繋がった。体が浮き上がり、銀の機械に吸い寄せられる。

 見れば、東側の機械は金色に光っていて、そちらはフィリエルと繋がっているではないか。どういうことなんだ、一体。

 そして西側の機械は水色に光っていて、こちらはロゼと繋がっている。まったく状況が掴めない。

「なんと、二人の仲間までいっぺんに見つかるとは!」

 テテ村長の声が聞こえたが、それどころではない。

 ぼくは銀色の機械の中に吸い込まれてしまった。

 中は機械の内部とは思えないほど広大な空間で、地面も壁も天井もない。その中にぽつんと置かれたひじ掛けソファーみたいな形状の椅子に、いつのまにやら座っていて、目の前には大きなスクリーンがあって、外の景色がはっきり見える。手元には肩幅ほどのパネルがあった。

『我はジーン。対魔人兵器、ジーンなり。此度選ばれたキミは魔人打倒のため、我と力を合わせる必要がある』

 声は機械的なものではなく、人が喋っているみたいだ。どこから聞こえてくるのか特定できないが、はっきりとしていて聞き取りやすい。

『まずはキミの情報を登録する必要がある。手もとのパネルに手を置きたまえ』

 ぼくは言われるがまま、パネルの上に右手を置いた。

 ぎりぎりで可聴域にあるような、そんな音がして、パネルに文字が現れる━━登録完了。普通に、ぼくが読める文字だ。

『内部接続完了、外部出力異常なし━━最後に、この言葉を叫べば起動完了となる。さあ、叫びたまえ』

 パネルにセリフが表示される。

(大きな声でお願いします)と、わざわざ注意書きまであるところがすごい。初心者のぼくにも、わかりやすいぜ。

「天界のジーン!」ぼくは恥ずかしがらずに大声で叫んだら、その声はスピーカーを通してなのかなんなのか、外の世界に響き渡った。恥ずかし過ぎる。団長が笑っている!

 しかもこの3頭身のロボット(と言っていいだろう)は、ぼくは叫んだだけなのに、なにやらポーズを決めていた。

 ますます恥ずかしいじゃないか。

 そして、おそらくフィリエルが搭乗した金色のロボットもポーズを決めると、彼女の声が高らかに響く。

「星海のリーン!」

 同じくロゼが乗り込んだであろう、水色のロボットがポーズを決めるけど、なんかあの機械だけボロいのは気のせいじゃないはずだ。ぼくたち二人のロボットと比べて、明らかに違う。歯車とか見えてるし、なんか手作り感がすごい。

 叫んだ声も、なんとなくくぐもっていて聞き取りづらかった。

「限界のハーン!」

 三体のロボットが集合して、さらに人々も集まりだす。

「素晴らしい!まさか、最初から三体の天空機人が揃うとは!」

 テテ村長は興奮を隠しきれない様子で、こちらを見上げている。

 外からの声もよく聞こえるのがすごい。普通に近くで喋っているような感覚だ。

「神が造りし三体の天空機人。遥か昔より、この地を魔人王から救ってきた、いにしえのヒト型兵器」

 テテ村長が説明している。

「そのうち限界のハーンは後年いずれかの戦闘で傷つき倒れたが、我らの先祖によって修復されたという。まさかその実物を見る日がこようとは」

 なるほど、ロゼのロボットがボロい理由がここで判明した。思った通りの手作りだったというわけだ。

 大丈夫なのか、それ?

「タケシ、カッコいいじゃない!」団長の声が飛んできた。

「団長、笑っていたじゃないですか」

「笑ってない、笑ってない」

 絶対ウソだ。ぼくは確かに見ましたからね。

「なんでオレまでこんなことになってんの?」フィリエルの声だ。ということは、ぼくの左側のロボット━━星海のリーンだったか━━から聞こえているというわけだ。

「フィリエルも選ばれたってことでしょ」

 団長とニーナさんは楽しそうにしているけれど、ぼくたちはわりとそうでもない。

「このロボ、ボロっちい」つづけて、このロボ、ボロの子と回文まで披露したロゼだったが、誰にもウケなかった。

 なんだか煙が出ている。名前の通りに、限界なのでは。

 で、ぼくたちはどうすればいいんだろう。

「タケシ様たちには、その天空機人で魔人王を倒していただくことになります」

「はあ・・・で、その魔人王とやらはどこに━━」

 その時だった。これほど都合の良いタイミングもなかったが、見計らっていたのだろう、群衆の中から高笑が上がる。

 小さい人々が左右に分かれて、一人だけ、笑いつづける男が残っている。

「まさか本当に救世主がやって来るとはな!我輩が魔人王ハイハイである。一部始終を見させてもらった。我輩の使命に、天空機人は邪魔になる。今ここで、破壊しなければならないだろう」

 魔人王ハイハイはやはり小さい人種で、とても弱そうに見える。実際、団長が素手で簡単に倒せそうな気がしたのだが、静観しているのを見ると、手出しするつもりはないらしい。

 それを考えると、正直あの魔人王とやらはそれほど危険な存在でもないのだろう。最終的には、団長の魔術が奥の手として常にある。

 絶対、ぼくたちを使って楽しんでいるよな、団長は。

「はっはっはっ、よもや、天空機人がその三体だけだとでも思っていたか!」

 なに!まさか、魔人王にも天空機人が!

 だんだん、ぼくもその気になってきた。せっかくなので楽しもうと思う。

「出でよ。冥界のモーン!」

 魔人王ハイハイが叫ぶと、上空から黒いロボットが降りてきた。まさに悪の天空機人といった外見で、意外にかっこいい。

 魔人王が冥界のモーンに入ると、目の位置が光る。

 その機体を見た小さい人々が散り散りになり、家屋やその他の場所へと一斉に逃げ出した。村長だけが残っている。

「タケシ様、どうか我々をお救いください!」

「無駄だ。我輩の機人が最強であると説明を受けた」

 誰にだよ。ああ、機人にか。説明を受けたって・・・なんかほんとに大丈夫なのか、あの敵は。

「我が冥界のモーンが、貴様らに地獄界の・・・これなんて読むの?ふりがな、ふりがな振って・・・ひうん?ええと、貴様らに地獄界の秘蘊(ひうん)を見せてやろうではないか!」

 おいおい、完全に読んでるじゃないか。どこまでが自分の考えなんだよ、あんた。

 そして地獄界とは。

「なんか話なげーな。今のうちに攻撃したら、倒せるんじゃねーの?」と、空気を読めないフィリエルは言う。まあ、その通りなんだけれど、敵に対する礼儀というか、演出というか。

「とりゃ〜」こちらもまったく空気を読まないロゼが待ちくたびれて襲いかかった。一応、敵の実力もわからないし、危険といえば危険なのだが。

「笑止ッ!」

 冥界のモーンは片手でロゼ━━限界のハーン━━を吹き飛ばした。ただでさえボロかった機体が、ますます破壊される。最初から上がっていた煙がその勢いを増している。

「あかん・・・コワレタ」ロゼの声がした。

 どうやら限界のハーンは限界を迎えたらしい。なんか登場時点からわかっていたけど。

 これで、残ったぼくとフィリエルの、二体対一体。さきほどの一撃を見る限り、相手は確かに強かった。

「貴様らに我を倒すことなど不可能、と書いてある!」

 画面にか。あいつ、ロボットに踊らされてるだけじゃないのか?完全に、いいように使われているだろ。

 いずれにせよ、倒すことには変わりないが。

「タケシ、なんか必殺技みたいなのあるけど、これやるか」

 あ、本当だ。手もとのパネルに必殺技の説明が出ている。本来なら三体の攻撃もあったのだろうが、沈黙したロゼの機体は省かれている。天界のジーンと星海のリーンによる協力攻撃を発動可能らしい。フィニッシュ・アタックとあるので、これ一撃で決まるようなものなのか。ぼくが承認ボタンを押すと、味方の承認を待っています、しばらくお待ち下さい、との表示が流れる。

 一から十まで、ほんとに丁寧なシステムである。

『承認完了━━天界剣、スタンバイ』天界のジーンの声がして、画面の表示が変わる。なにかを待っているようだ。

「おっ、オレからってことか━━よし、やるぞ星海のリーン!」

 フィリエルはもうすっかりヒロイン気分なのだろう、ノリノリでやっているようだ。楽しそうでなにより。

「囲め星屑の鎖━━スターダスト・チェーン!」

 光の鎖が冥界のモーンを囲み、その機体に巻きついた。完全に固定された冥界のモーンは、身動きができない。

「なにいっ!くそっ、動かん!動かんぞ!」魔人王ハイハイの焦る声が届く。まさかそのセリフも画面に表示されているわけではあるまいな。

『今だタケシ、天界剣を握るのだ』天界のジーンが言うと、ぼくの目の前には岩から引き抜いたあの剣が浮かんでいた。ぼくはそれを両手で掴む。

 すると、外の世界にも機人サイズの剣が現れて、天界のジーンがぼくと同じ姿勢で剣を掲げた。

『さあ、叫ぶのだタケシ!』

 パネルに文字が現れる。ぼくはそれを叫ぶ━━

「必殺ッ、転・回・ソォォォォッド!」なんで最後だけ横文字なんだと思いながらも、全力で叫んだ。

 剣と一体になったかのようにして、回転しながら冥界のモーンへと突撃する天界のジーン。

 凄まじいまでの回転にも関わらず、ぼくにはまったく影響がなかった。

 光の鎖で固まった冥界のモーンに逃げ場などはなく━━天界のジーンの大回転斬りにより、バラバラに破壊されてしまう。中から魔人王ハイハイがぽとりと地面に落下して、倒れた。

「大・勝・利ッ!」指示があったので、ぼくはその決め台詞を言わされたのだった。

 一から十まで、機人に踊らされてしまった。


 使命を終えた機人たちは、再び眠りについた。

 限界のハーンがぶっ壊れたまま眠りについたのは、良かったのだろうか。

 ともあれ、ぼくたちは使命を果たした。魔人王ハイハイは改心し、村人ハイハイとなりやり直すことをみんなに誓った。

「やはり伝説に偽りはなかった。救世主タケシ様のおかげで、我らの国は救われました。ハイハイも心を入れ替えたし、すべての脅威は消え去りました」

 これであと数百年は安泰なのか。なんか、簡単な話だなぁ。

 正直、あんまり手応えのない戦いだったし。あれって、別にぼくである必要はなかったよね。すべて機人の力だし。

 なんだろう、神々が仕掛けた悪ふざけみたいな印象だ。数百年に一度の、ちょっしたおもしろイベント、みたいな。

 ・・・まじめに考えるのはよそう。とにかく、この天界を救ったということでいいじゃないか。

「これは我らからのお礼です」

 カゴいっぱいの果物(?)だ。嬉しいけど、しょぼいな。

 その珍しい果物は天界にしかないもので『エンジェルボム』というらしい。味はというと、なにに似ているということもなく、独特の甘さがあった。まずくはないが、うまくもない。

 ひたすら、甘い。

 天界には特に見るべきところもなさそうで、なによりメインイベントが終了し帰りの土産まで貰った以上は、もうこれは帰るしかない雰囲気だろう。

 ぼくたちとしてもそのつもりなので、異論はない。

 天界の住人たちに別れを告げて、再び虹の橋を渡る。

 今回の被害らしい被害は、ロゼが少し焦げたというだけで、ぼくは珍しく無傷だった。死なないことが、なによりである。

「それにしてもタケシ、カッコよかったじゃんか」これも珍しく、フィリエルがぼくを誉めた。誉められ慣れていないぼくは、ドキリとする。

「あの必殺技、最高だったよな!」

 確かに、爽快感すら感じたし、誇らしい気持ちもある。まさかぼくが英雄になる日が来るなんて思わなかった。生きててよかったよ。

「わたしのボロ、終わってた」

 まだちょっと焦げたままのロゼが、なんだか暗い。

 残念なことに彼女のロボットは最初から壊れていたのだろう。まったく役に立たなかった。

「あのロボ、欲しかったなぁ。持って来ればよかったかな」

 フィリエルと同じことをぼくも考えていたけれど、役目を終えた天空機人たちは自らの意思で石になり地中へと沈んだので、交渉の余地すらなかったのだが。それに、また何百年後かに魔人王が再び現れた際に必要だろうから、やはりそこにいなければならないだろう。

 天空機人なしでもなんとかなるような気もするが、なんとかならなかった場合に申し訳ないので、やはり持ってくることはできなかった。

 虹の橋を渡ったぼくたちは、再び、元の大地へ戻ってきた。

 雨は晴れていて、雲も少なくなっている。

 虹の橋が、ゆっくりとその姿を消していった。



 第十四章 イグナフィア・バザール



 湿地帯を抜けると、今度は砂漠地帯が見えはじめる。徐々に気温が上がっていって、そろそろ上着がいらなくなってきている。

 フィリエルは裸みたいなものなので関係ないが、ロゼとニーナさんはいつもより薄着になっていた。

 団長は変わらない。もしかすると、体温が調節できるのかも知れない。おそらく、本当に出来るのではと思われる。

 ぼくも暑くて上着を一枚脱いだ。

 フィリエルが嫌な顔をして、ぼくの上着を投げ捨てた。

 馬車の外に。

「うわあっ、なにするんだよフィリエル!」ぼくは慌てて馬車から飛び降りたら、走行中だったのでうまく着地できずに足首がぐにゃりと曲がり、そのまま折れた。

「いっでえええええっ!」

 ぼくの大声に馬車が止まる。

「ちょっと、なにしてんのよ?馬車から飛び降りちゃダメじゃない」

 団長の手によりあっけなく骨折は治癒したのだが、しっかりと怒られてしまった。

「もうすぐ町に着くから、おとなしくしてなさい」

「は〜い」

 ぼくは汚れの付着した上着を抱えて馬車に戻る。般若のような表情でフィリエルを見てやったが、それ以上にすごい形相で睨み返されたので、視線をそらした。

 鬼じゃ、鬼がおる。

 ぼくはひさしぶりに地図を広げて、周辺の地理を確認した。

 イグナフィア地方━━首都から離れたこの地域を抜けなければ、世界の東端へと至ることはできない。

 湿地帯に砂漠地帯に山岳地帯と、あらゆる地形が存在する。工業都市フラストリアが文明の中心地とすると、そこから東へ離れるほどにそのレベルは低下していくだろう。すでに教えられていたので知っていたが、約束の地には「原住民」と呼ばれる部族がいるらしい。彼らは文明を嫌い、昔ながらの狩猟生活を営んでいるのだとか。

 もうすぐと言った団長の言葉に偽りはなく、砂漠の町が見えてくる。見るからにオアシスを中心に栄えたような地形で、すでに賑わいが見てとれる。

 "砂漠のオアシス・カックラカン"と書いてある。

 路上にシートが並び、その上に商品が置かれている。そんな様子が町中に広がっていた。

 祭りのような活気があって、とにかく人が多い。

「ちょうどバザールの時期だったか」

「バザール?」フィリエルが首をかしげる。

「年に数回行われている、蚤の市ね。近隣の人々も集まるから、毎回賑わっているね」

「蚤の市ってなに?」フィリエルはまだ納得していなかった。

「商店や個人の出店が集まって形成される市場かな。まあ、この時だけお店を出す人がいるようなイベントだね、別名フリーマーケットとも言う。ここのものは、カックラカン・バザールとかイグナフィア・バザールなんて呼ばれているわね」

 なるほどな。団長の説明で、ぼくも勉強していた。

「じゃあさ、オレたちもやろうぜ、店」と、フィリエル。

 でたよ、バカのバカによるバカな思いつきが。

「やってみる?」団長はしかし、そう言った。

 マジですか。でも、売り物なんてなにも━━

「わたしは、オモチャ屋さん」

 ロゼが遊び尽くした中古のオモチャを広げて見せる。ここのところ質屋に行くこともなく、結構な数がたまっている。確かにそれらのオモチャをこの機会に売るのはアリだった。いったいいくらで売るつもりなのかは知らないが、ぼったくり店主にならなければいいが。

「オレは・・・これぐらいしかねーな」と言って見せたのは例のいたずら書き入りのインゴットである。いや、まあいいんだけど売るのか、それ。大事にしてたんじゃなかったのか。

「あとは、これとか?」

 ってお前、それ着なくなった下着類じゃないか!捨てろ捨てろそんなもん、売るんじゃない。誰が買うんだよ、まったく。

 団長が適当な場所を見つけて馬車を停め、その前方のスペースにシートを広げただけで、不思議と店っぽく見えてしまう。バザールの雰囲気も手伝っているのだろうが、これならぼくたちにも商売ができそうだった。

 シートの上に商品、というかいらなくなった物を並べていく。

 ロゼのオモチャと、フィリエルがインゴット(マジで売るつもりなのか)と結局下着を含んだ古着類を並べている。ぼくもなにかないかと思ったら、ずいぶん前に買ってもらってからまったく使っていない剣が出てきたので、それをいっしょに並べてもらう。

 ぼくたちの店に、さっそく客がついた。

 鼻の下を伸ばした年配の男だ。

「お嬢さんたち、みんなカワイイんだねえ。その、かわいらしいパンチィは、いったいどのお嬢さんが履いてらっしゃったのかな?」男は団長とニーナさんまで含んだ女性陣━━ぼく以外全員の顔を舐めるように見ながら、言った。

「オレのだよ、じいちゃん。買うのか?」

「なんと、こちらの金髪美少女のものですか・・・よろしい、購入しましょう。孫のプレゼントにちょうどいい。ああ、袋は結構ですよ、すぐに使いますから(・・・・・・・・・)

 いやいや、孫にプレゼントじゃないのかよ。それとも、その孫が近くにいて、すぐにでも必要な状況だとでもいうのか?

 違うんだろうな。自分用なんだろうな、きっと。

 団長もニーナさんもこの状況になにも言わないのね、とぼくは二人の顔を見たけれど、いつも通りの笑顔だった。

 っていうか、フィリエルのパンツを本当に売ったし売れてしまったんだが、どうなんだ、これ。なんだかすごくダメなことをしている気分なんだけど。

 なによりも、三万ネンという超高額な値がついたという事実。しかもこれは、フィリエルがふっかけたものではなく、客である男性自らが提示した金額であるのだ。

 おいおいおいおい━━狂ってるぜ、世界が。

 そして、その後もなぜかフィリエルの古着だけが売れつづけた。ブラジャーなどの下着類から先に(この際はっきり言うが)変態紳士たちが買っていき、次にまともな女性客が古着を買っていくという売れかただった。フィリエルの服は基本的に露出が多く面積の小さいものばかりなので、てっきり売れないとばかり思っていたので完全に逆の結果を見せつけられたかたちだ。

 片や、ロゼのオモチャがまったく売れない。誰もまったく、見向きもしない。

 ラインナップが悪いのか、それともただの場違いか。

 わからないけど、とにかく売れない。誰も買わない。

「オレの商品、完売しちゃった」

 フィリエルがそんなことを言ったので「まだ延べ棒が残ってるじゃないか」と指摘したら「これ、売りもんじゃねーし」ときやがった。なんだ、商売繁盛のまじないだったのか。だとしたら、完全に成功してるじゃないか。なんだこいつ、なんか怖い。

 片やロゼ━━ほんとにまったく売れないので「全品百ネン均一」と紙に書いたところ、一人の少年がボタン連打で人形が周回するというだけのくだらないオモチャを手に持つと、百ネン硬貨をロゼの足元にぽとりと落として去っていった。

 結局、売れたのはそれだけだった。

 ぼくの剣は、多分誰の目にも映っていなかったのだろうと思われる。なので、無言で馬車に戻しておこう。


「よかったですね、フィリエル。ぜんぶ売れて」

 見ているだけだったニーナさんだが、それでも満足そうだった。それにしても、下着を売ったことに言及しないのはなぜなのだろう。

 それとも、気にしているぼくのほうがおかしいのだろうか。だとしたら、もはやなにが正しいのかもわからない。

 ぼくも下着を売ってみようかな。

 そんな間違った考えを浮かべていたら、遠くで土煙が上がった。

 巨大な蛇のようなものの姿が見える。いや、ミミズか。

 なんにしろ、砂漠の化け物が現れたのか━━とにかく大変な事態である。大勢の人がこっちに向かって逃げてきていた。

「きゃあああーっ、ひったくりよーっ!」

 化け物とは関係のないところでも悲鳴が上がる。女性の手提げバッグを奪い逃走した人影が、ぼくにも見えた。めちゃくちゃ逃げ足が速く、すぐに見失ってしまう。その時にはすでに、フィリエルが馬車から飛び降りて走り出していた。

「あっちはオレに任せろ!」

 頼もしい言葉を残して、駆けていく。逃走した窃盗犯と同じくらいの速さだった。贔屓目に見れば、フィリエルのほうが速いかも知れない。あれならば、じきに追いつくだろう。

 それよりもこちらは、巨大な化け物をなんとかしなくちゃならない。とは言え、ぼくには無理であるのだが。

「あれは、砂漠に住むサンドワームね。こんな町中に現れるなんて珍しい。遠くに捨ててきてもいいんだけど、それだとまた同じことになる危険性もあるし、そもそもただの危険生物だから今回はぶっころ的な処分ということで━━」

 団長がサンドワームの方向に指を向けると、その指先に炎の球が発生する。その炎はかなり小さい球状なのだが、なぜだろう、とてつもなく恐ろしいものに思える。なんというか、見た目だけでもフィリエルの炎とは色合いがまったく違う。黒に近いような、凝縮された炎だ。

「丸焼きごめん」言って、その指先から炎が離れる。

 サンドワームに吸い寄せられるかのように飛んだ炎の球が、数秒後、その巨体へと到達する。

 すると、一瞬にして炎に包まれたサンドワームが丸焼きになり、肉の焦げたにおいがぼくの鼻まで届く。

 ちょっとおいしそうなにおいだったので、お腹がすいてきてしまう。サンドワームって、食べられるのだろうか。

「マスター、ナイス調理」ロゼが称賛する。

「タケシ、サンドワーム食べてみる?」

「いえ、遠慮しておきます」お腹がすいていたけれど、やはりサンドワームは食べたくなかったのでお断りする。ぼくにそんな勇気はないのだ。

「あれ、ところでフィリエルはどうしたのかな?」

「まだ戻ってきませんね。いったい、どこまで追いかけて行ったんだろう?」

 ━━ぼくたちの視線の先に、まだフィリエルは現れなかった。


  ★


 狭く入り組んだ路地ばかりを選んで逃走する窃盗犯。その迷いのなさと経路から、土地勘のある人間と思われる。

(くそっ、めちゃくちゃ速いじゃねえか)

 その速度は素人のそれではない。おそらく手慣れた、常習犯。かつての盗賊仲間にオーバメンという男がいたが、そいつに匹敵する速さではないか、とフィリエルは思う。唯一、フィリエルより足の速い人間が、オーバメンだった。

(だが、逃がさねーぞ。絶対に捕まえてやる)

 相手の背中は見えているのだけれど、距離がなかなか縮まらない。その事実が、二人の速度が同じくらいであることを示している。走りに自信のあるフィリエルは、ひさしぶりに出会った好敵手に気分が高揚していた。

(やるじゃねーか!体力もあるし、速度も落ちねー)

 路肩の木箱に接触して、盛大に崩していく男。わずかに影響はあっただろうが、それでもスピードは落ちず、体勢も崩れない。若い女性がはじき飛ばされて転びそうになったところへ、後方から来たフィリエルが瞬間的にバランスを戻してやると、そのまま止まることなく走り去る。助けられた女性も、あまりに一瞬の出来事で呆然としている。

 逃走劇は大通りを突っ切って、再び狭い路地へ。

 フィリエルはすでにどこをどう走り、どこへ向かっているかもわかっていない。

 とにかくひたすら、男の背中を追いかける。

 自分と同等か、それ以上の速さがあるのでずっと全速力で走りつづける必要があった。でなければすぐにでも離されてしまうだろう。

(さすがにキツくなってきたかな・・・)

 息などとうに上がっていたが、それでも止まるわけにはいかない。苦しいのは相手も同じはずだ。

 少なくとも、やつが人間であるのなら。

 フィリエルの予想は当たり、逃走者の速度が明らかに減速していく。しかしそれはフィリエルとて同じで、結局のところ差は縮まることがなかった。

 とにかく見失わないことが肝心と、それでも諦めずに追いかける。

 いつの間にか周りには建物もなく、人もいなくなっている。どうやら町を出てしまったようだ。

 砂漠の砂に足をとられるが、それは向こうも同じはず。そう思いなんとか背中を追いかけるも、徐々に姿は小さくなる。どうやら砂地に関しては向こうのほうが慣れているようだ。ここにきて、離されはじめている。これはマズい。

 だが気持ちとは裏腹に、距離は開くばかりだ。

(ちくしょう、ここまでか)

 とうとう見失ったのか、姿が見えなくなる。

 それでもフィリエルは進んだ。

 おおよそ、見失ったであろう地点まで行くと、岩場の陰になった場所に洞穴の入り口があった。

(アジト発見、浸入開始だ)

 フィリエルはためらいもせずに、洞穴へと入った。

 松明が焚かれているのは、やはり人がいる証拠である。洞穴は深く、わずかに下りながら奥へとつづいている。

 話し声がする━━

「なんか、女に追っかけられたらしい」

「うそだろ、オーバメンさんについてこれる女なんているわけない」

(ん?いまなんつった?)

 フィリエルは聞き間違いではないのかと一瞬思ったが、やはり確かに耳にした。懐かしい名前。

 さきほど頭に思い浮かべたばかりの名前が、まさか見知らぬ男たちの口から飛び出すとは。

「お前ら、オーバメン知ってんのか?」

 フィリエルは堂々と男たちの目の前に登場した。

 どうやら扉を守る役割らしい、二人の男は驚きを隠せない。

「うわあっ、ほんとに女が追いかけて来た?」

「てめえっ、ここが韋駄天盗賊団のアジトと知らねえのか!女だからって容赦しねえぞ━━っていうか、めちゃくちゃいい女じゃねーか、やべえ、たまんねえぜ!」

 片方の男が股間に手を当てながら迫ってきたので、とりあえず顔面に一撃をくらわせて、両手が上がったタイミングで股間を蹴り上げる。フィリエルはいとも簡単に男の一人を無力化した。

「うわああっ、強い女だ!」

 もう一人の男は向かってこずに、逆に扉を開けて逃げていった。

 フィリエルもそれを追って、扉を開ける。

 中は広い空間になっていて、テーブルの上に食べ物が散乱している様子が、どこか懐かしくもある。

 幾人かの男がフィリエルに注目している。その中にはさきほど逃げ込んだ男の姿があり、その隣には見覚えのある下着を被った男と、さらにこちらも見覚えがある顔の男がいた。

「オレのパンツ!と、オーバメン!」

 それぞれを言葉にするフィリエル。

 オーバメンと呼ばれた男は目を見開いてフィリエルを凝視していた。なんだか、前にもこんなことがあったなと、フィリエルは感じる。

「あんた、お嬢じゃねえか。なんでこんなところに」

「おパンチィの娘さん、なんでここに!」パンツが喋る。その光景はさすがにシュールで、孫の話はどこにいったんだと、さすがのフィリエルでも思った。

「じいちゃん、なんでパンツかぶってんの?」

「ふごふご、これはふご、健康にいいからだよ」

 健康かどうかはさておき、明らかに不健全ではあったが、フィリエルはとりあえず納得しておいた。健康法なんて、それこそ人によるだろうし、頭ごなしに否定はできない。

 それより今は、かつての仲間と話したかった。

「オーバメン、お前こんな遠くまで来てたんだなぁ。あんまり足が速かったから、もしかしてとは思ったんだけど、まさか本人だったなんてな」

「オレだって、まさかお嬢に追いかけられてたなんて思いもしねえよ。ところでオレだってわかんなかったのに追いかけてきたのはどうしてだ?」

「それはお前、目の前でひったくりが出たから追いかけただけだよ。オレ今、人助けしなくちゃなんないからさ」

「はっ、あのお嬢が人助け!ひったくりを追いかけただけだって?ほんとかよ、元々こっちの人間じゃねえか」

「しょーがねーだろ、もう盗賊じゃないんだし、今はこーゆー仕事してんの」

「まったく、変わっちまったもんだな、お嬢も。ああ、わかったよ、こいつは返してやる」

 オーバメンが女性から奪った手提げを放り投げる。フィリエルは片手でそれを掴んだ。

「お前さぁ、いくらなんでもフツーの女の人からこんなバッグ一つ盗むなんて、恥ずかしくねーのかよ?」

「言いたいことはわかるがお嬢、オレだって好きでやってるわけじゃねーんだよ。きょうび、金持ちだけを標的にしてたら食ってけねーのよ。警備はかてぇし、人によっちゃあ魔術師なんて雇ってやがる。リスクが高すぎるんだよ。それに比べりゃ、バザールの買い物客を狙うほうがよほど成果が上がるってわけだ」

 そう言われて納得しそうになるが、でもダメなものはダメだと考え直すフィリエル。

「フツーの女の人はかわいそうだからさ、せめてフツーじゃない女から盗るようにしろよ?」

「へ?どういう━━」

「はっはっ、おもしろいことをおっしゃる娘さんだ。ところでオーバメンと娘さんは、どういった関係が?」

 フィリエルは答えようとしたが、それより先にオーバメンが口を開いた。

「いや頭領、このお嬢はあのゲイグランド・アーメイダ親分の娘さんだぜ?」

「はへえっ?」

 パンティの両脇から覗く目が、大きくなった。

「ゲイグランドの娘ぇぇぇ?」

「そうだよ━━ああ、お嬢。この人は韋駄天盗賊団の頭領でジョバン・メンデンツってんだが、若いころにゃゲイグランドの親分と組んで仕事してた人なんだぜ」

「へえー、そうなんだ。聞いたことねーや」

「親分、あんまり昔の話はしなかったからな」

「ってことはだよ?」突然、メンデンツ頭領のパンティ越しのくぐもった声が高くなる。

 いよいよ、その姿は気持ち悪いものがあった。

「ミランダちゃんの娘ってことだよなぁ?」

 その名前を聞いても、フィリエルの中に浮かぶ感情はない。ミランダは間違いなく母の名前であるけれど、その思い出はフィリエルの中には残っていない。彼女が生まれると同時に、この世を去ってしまっていたからだ。

「まあ、そういうことだが・・・?」

 オーバメンが不審そうな目を向けて、言う。

「いーやったぁぁぁぁぁっ!ミランダちゃんの娘━━それもとびきり美少女に育った娘さんのパンチィだったとは!これは生まれてきた喜びを噛み締めることができる、生涯でただ一度のチャンスだろう、なあそうだろうオーバメン!ああ、確かに言われてみれば面影がある。どおりで美しすぎると思ったわけだ!なにしろあのミランダちゃんの血を受け継いでいるのだから、当然のことだよな!いやあ、もうこのおパンチィはあの世まで持っていくことに決めたぞ、オーバメン!こんなに嬉しいことはない!バザール行ってよかったぁぁぁぁっ!」

 我を忘れて勢い込んだメンデンツ。フィリエルはその様子を見てたら、なんだか腹が立ってきた。

「おい、じいちゃん、そのパンツ返せ」

「嫌だ」

「なんでだよ、返せよ」

「嫌だ。なんで急にそんなこと言うの?」

「わかんねーよ、なんかそうなったんだよ。いいから返せ!」

「嫌だもんねーっ!」

 メンデンツは脱兎のごとく逃げ出すと、奥の部屋に入り扉を閉めてカギをかけた。

「・・・・・・」オーバメンが呆気に取られて、立ち尽くしている。盗賊団の面々も、どう捉えていいのかわからないといった、得もいわれぬ表情をしている。

「くそっ、カギかけやがった!開かねえ!」

 押しても引いてもびくともせず、蹴り破ろうにも鉄製の扉では無理がある。諦めるしかなかった。

「お嬢、なんか、申し訳ねーな」オーバメンが謝る。

「ほんとだよ、なんなんだよあのじいちゃん。ほんとに頭領なのかよ?」

「今日のところは、勘弁してやってくれ。それと、ミランダさんのことも、すまねえな」

「別にいいよ、それは。母ちゃんのこと憶えてねーし」

「すまねえ。まあ、オレはここでがんばってっからよ、ゲイグランドの親分にもよろしく伝えておいてくれよ」

「ああ、わかったよ、帰ったら伝えとく」

 やはり懐かしい顔に会うというのは、悪い気がしない。あの頭領はどうかと思うが、フィリエルはすでにこの韋駄天盗賊団が好きになっていた。元々こういった環境の中で育ったこともあり、とても居心地が良く感じるのだ。

 盗賊団の面々も、フィリエルが伝説の男の娘だと知ると、我先にと話しかけてくれて、なかなか帰してくれなかった。

 一段落したところで、フィリエルは別れを告げた。わずかに開いた扉の隙間からパンティの頭が見えていたけれど、もうなんとも思わなかった。冥土の土産にでもなんでも、勝手にしてくれ。そんな感じで、洞穴のアジトをあとにした。


  ★


 同じ場所から動かずに、ずーっと待っているのだけれど、フィリエルはなかなか帰ってこない。

 さきほどサンドワームの肉が配られて、大盛況だったけれど、ぼくは結局食べなかった。団長やニーナさんに「美味しいよ」と言われても、どうしても食べることができなかった。

 大きさの大小に関わらず、ミミズみたいなやつが苦手なのだ。

 バザールは相変わらずの賑わいで、団長の力によってその平和が守られた。でなければ今頃はそれどころじゃなく、あるいは死人が出ていただろう。これが究極の人助けというものか。人を助けるにも、力はいるということだ。ぼくの力では、誰も助けることなんてできやしない。

 バッグを取られた女性も、ぼくたちと一緒にフィリエルを待っているのだけど、女性同士で話が弾んでいて、ぼくが入る隙間はない。彼女はイリス・ニールヤーズさんといって、歳は二十代らしい。はっきり言わなかったところを見ると、二十代後半なのではと邪推してしまう。

「わたしの妹が、先週からずっと眠ったままで」

 どんな話の流れだったか、ぼくは聞き流していたが、不意にそんな言葉が耳に入って、気になった。

「ご病気?それとも事故かしら?」団長が訊く。

「わかりません、その日、庭先で倒れているのが見つかって以降、一度も目を覚まさないんです。傷もありませんし、息だってちゃんとしているのに」

「なるほど。もしかしたらお役に立てるかも知れないから、あとでおうちにお邪魔しても構いませんか?」

「ええ、もちろんです。魔術師様のお力で、どうか妹を助けてください」

 偶然の出会いながら、彼女にとっては幸運となったようだ。もしかしたらイリスさんがバッグを盗まれたことも、あるいは運命だったのかも。

 そして、どうやらこのあとの予定も決まったところで、ようやくフィリエルが戻ってきたのだった。

 その手にはしっかりと、イリスさんのバッグを持っていた。よくやったぞフィリエル。ミッション完遂だな。

 これは誉められるべきだろうと判断したので、内心で誉めてあげた。けして口には出さないが。

「お待たせー。これ、取り返してきたぜ!」

 フィリエルがイリスさんにバッグを渡す。

「本当にありがとうございました。まさか取り返してもらえるなんて━━」

「いいって、気にすんなよ」

 フィリエルがかっこよく見えたのは悔しかったが、実際かっこいいので認めないわけにもいかないだろう。ぼくだって、そこまで愚かな人間ではない。

 その後、団長からイリスさんの家に行くとの説明を受けて、フィリエルとイリスさんが自己紹介をしあってから、さっそく向かうことになった。

 バザールの賑わいは変わらず、日が落ちるまでそれはつづいた。



 第十五章 夢の中で



 バザールの賑わいとは反対側の住宅地、その奥まった場所にイリスさんの家はあった。

 先に宿を見つけて馬車を預けていたので、そこまで行くのは徒歩だった。家の裏手に綺麗なオアシスがあり、小さいながらも貴重な水場のひとつとして重宝されているようだ。夕食の支度のためか、水を汲んでいく女性がちらほらと見られた。

「どうぞ、お入りください」

 イリスさんに案内されて、家のなかに入る。

 ちなみに全員でおしかけると迷惑になるとの判断で、団長とぼくとロゼの三人だけしか、今はいない。ニーナさんとフィリエルは宿で待っていることになった。

 家には三人の人間がいた。イリスさんのご両親と、ベッドの上に横たわる妹の三人である。

 ぼくたちは挨拶もそこそこに、ベッドの前に集まる。イリスさんの説明を受けたご両親も、期待と不安が入り雑じった表情をしている。

「妹のアリスです。このようにずっと、眠ったままで━━」

 団長がその寝顔を覗き込む。ふむ、と頷き、離れる。

 まさか、もう原因がわかったとか?

 そのまさかだった。

「これは、ユメミホタルというものによる症状ですね」

「ホタル、ですか?」イリスさんは不思議そうな顔をする。おそらくぼくも、似たような表情だったろう。

「ええ、ですがそういう名前というだけで、ホタルとは異なるものです。この世ならざる場所に住まう、めったに見れない生物です。ですから、その存在自体が珍しいものですし、まして人に取りつくなどということは、ほとんどあり得ないことです。過去に症例がないわけではありませんが、それも両手の指で間に合うくらいの数に過ぎません」

「それは、どうにかなるものなのですか?」

「正直に話せば、この症状を治すことは高等魔術師にとっても難度の高いものです。でも大丈夫、わたしはその高等魔術師より上の魔術師みたいなものですから、治せますよ」

「よかった・・・どうか、アリスを助けてください、お願いします」

 団長がぼくたちに向き直り、言う。

「というわけで、ここからはタケシとロゼの協力が不可欠だ」

「え、ぼくたちなにかやるんですか?」

 聞いてないぞ、そんなことは。と、ぼくは慌てる。

 ロゼは真顔で聞いているだけだ。

「今からこのアリスちゃんの夢の世界に入ってもらう」

「は?」なんスか、それ。

「彼女の夢の中に行って、ユメミホタルそのものを除去する必要があるの。でもそのためには魔術の力が必要になるわけだけど、わたしを入れてくれる人はいないし、戻るにも外部からの力が必要になる。つまり、誰かに行ってもらうしか方法がない、というわけだ」

 マジかー。宿屋で待ってればよかったなぁ、と本気で思う。フィリエルのほうが適任だったのではないか。

「大丈夫よ。指示は出すし、危険も少ない。一番の問題は夢の中から帰還するってところだからね」

 ミイラ取りがミイラ━━みたいなことになるわけか。

「なに、たいしたことじゃないよ。要はアリスちゃんの夢の世界でユメミホタルを見つけるというだけだから」

 とは言われても、不安がなくなるわけじゃない。

「天国行き、了解」

 いや、天国に行ったらダメだろう。相棒がロゼというのも、なかなか不安なものがある。まあ、ロゼ自身が高等魔術師みたいなものではあるので、その点には期待が持てる。

「それじゃあ遅くならないうちに、やっちゃいましょう。二人ともベッドの前に座って」

 言われて、ぼくとロゼが並んで座る。

「もっとくっついて、体重をあずけあった姿勢のほうがいいわね。こっちの体は、眠った状態になるから」

 ええ、そんな恥ずかしい━━と思う間もなく、ロゼのほうから体を密着させてくる。ずいぶん一緒に旅をして、慣れたものとばかり思っていたけれど、やはりこの至近距離にはドキドキしてしまう。なんだか女の子の匂いがする。無意識に、鼻で呼吸することに集中している自分がいた。

「それじゃあ、目を瞑って━━」

 いい匂いに包まれながら、ぼくは目を瞑った。

 団長の手がやさしく触れて、本当に天国へ行ってしまったような、そんな感覚がしていた。

 全身から、力が抜ける━━


  ★


 ふと気がつくと、座っていたはずのぼくは、立っていた。

 視線の先では、紫色の空が渦を巻いている。

 辺りの風景はまるで書き割りのようで、現実味がない。

 平面な岩場と紫の空と、そんな中にロゼの姿を見つける。

「ロゼ」声をかける。

「おお、もやし発見。ここが夢の世界?」

「多分、そうなんだろうね。なんだか無気味だよ」

 流星のような光が下から上に伸びていく。聞いたことのないような音がして、ぼくはびくりとなる。何もいない。

『やっほー、聞こえてるー?』

 と、団長の声が響き渡った。それには空間全体から発せられているような不思議な響きがあった。

「はい、聞こえてますよ!」ぼくは一応、大きめな声で返事をする。どこに向けて言えばいいのかわからないので、ただ目の前に向かって。

『お、どうやら大丈夫みたいね。よし、それではさっそくユメミホタルを探しましょうか。どこにいるかはわたしにもわからないので、こういう場合は足で探すのみ!いざ進め』

 うわぁ、人任せなパターンだ。でも仕方ないので、進むしかない。ロゼはほんと団長には従順だから、文句のひとつも言わないな。

 荒涼とした地形を進むこと数分(体感なので、確かではない)、突然神殿のような建物が現れて、ぼくたちは驚く。

「ボスがいる」と、ロゼ。

 いや、いないだろう。いたら困るし。

 ぼくたちは恐る恐る、ほんとに怪物でも出そうな神殿の内部へと入っていく。

 中は意外に明るくて、綺麗な内装だった。赤いカーペットが敷かれて、巨大な絵画が飾ってある。

 その絵画に問題はあったが。

 全身に物凄い筋肉がついている全裸の男性のようでいて、しかしその顔の部分だけが切り取った絵を無理やり張り付けたような感じで、アリスちゃんの顔になっているというものだ。

 趣味が悪い、というだけではない。マジでこわい。

「うむ、ゲイジツだ」

 ロゼは言うが、あんなものを芸術とは認めたくない。

 なるべく見ないようにして、先へと進む。

 次の部屋ではさらなる混沌が待ち受けていた。

 なぜか神殿とは異なる材質の部屋の中で、裸の男性たちが絡み合っている。年齢や体つきは様々だが、全員が美少年か、あるいはかっこいい青年であると云った点では共通していた。

 みんな一心不乱に絡み合っていて、ぼくたちには見向きもしない。いや、そもそも彼らは生きた人間ではないのだろう。あまりにリアルなので、夢の中であることを忘れてしまう。

「ふおお・・・濡れ場」ロゼがなんか興奮している。ぼくはなんとなくロゼの腕を引っ張って、とっととその部屋を抜けた。あれはいろんな意味で目の毒だ。子供には見せられない。ぼくも子供だろうという話は、今は棚に上げておこう。

 そうして神殿を抜け出すと、今度は巨大な草花に囲まれたエリアに到達した。しかし、やはりそこも書き割りのような景色で、どこか作り物めいている。

 赤いチューリップがぼへえ〜と変な声で鳴いた。

 光る繭を見つけたのは、その近くだった。

 背の高い草に隠れるようにして、その繭はあった。

『それがユメミホタル。その中に、本体がいるわ』

 まるで見ていたようなタイミングで、団長の声がする。どうやらこれが目的のものらしい。見たところ、危険はなさそうだが。

「どうすればいいんですか?」

 とりあえず触る前に、確認をとる。まあ、こわくて触れないというだけだが。

『割ってみたら?』

 団長の答えは適当だった。あとから思ったことなので、この時点では気づかなかったが、繭ごと踏み潰せば済む話ではあった。

 が、ぼくは嫌な顔をしながらも、その繭を手で割ってみる━━中からぽとりと米粒のようなものが落下して、ウネウネしている。

「キモッ!」すぐさまロゼが足で踏み潰す。

 踏み潰されたユメミホタルは、金色の液体となり、やがて煙のように消えていった。

 そして、残された繭も、不思議なことに消えてしまった。

 結局、なんだったのだろう。そのあっけない幕切れに、ぼくはしばらく放心する。

「ミッション完了」ロゼが拳を上げた。

『よくやったね二人とも、それじゃあ二人で抱き合って━━チューをするのだ!』

 はっ?なに言って━━

「ぐっ、やむを得ん」

 あまりに従順すぎるロゼがぼくに抱きつき、唇を重ねる。

 避ける間もなかった。

 ━━うわあっ、やっちゃったよ!

『わお』おそらく冗談で言ったはずの団長の、驚いたような声が聞こえる。

 団長、責任取ってくださいよ。

 ぼくはロゼとキスをしたままで、気を失ったのだった━━


  ★


 目が覚めると、ロゼの顔がすぐ近くにあって、ドキリとする。キスこそしていなかったが━━あれは、夢の中の出来事ということでノーカウントだよな、と確かめたくなる。

 あとで誰かに相談しよう・・・誰にだよ。

「お帰りタケシ、ロゼ。ご苦労だった」

 あんなことをさせておいて、団長はまったく気にした様子もなかった。ちょっとだけ、腹が立つなぁ。

 イリスさんや、その両親が泣いている声が聞こえて振り向いてみると、妹・アリスさんがベッドの上に上体を起こしていた。

 目が覚めたのだ。

「二人がユメミホタルを除去したおかげで、彼女は目覚めたのよ。仕組みはわからないけれど、ユメミホタルが体の中に入ってしまうと、その人は夢の世界に囚われてしまうの。自分の力では抜け出すことができなくて、目覚める方法を忘れてしまう」

 そして、永遠に眠ったまま━━歳を重ねていく。考えてみれば、恐ろしい話だった。しかも、団長に会わなければ、その理由すらわからなかったのだから、なおさらだ。

「助けていただいて、ありがとうございます」

 アリスさんが言った。ぼくやロゼとあまり変わらない年齢に見える。イリスさんとは歳の離れた姉妹なのかも知れない。

「わたしずっと、男の子をもてあそぶ夢を見ていて、このままではダメになると、夢の中なのにずっと思っていたんです」

 隠すことなく話すあたり、尊敬に値する。なんとなくその断片を見てきたぼくとロゼだけが、本当に彼女を理解できた。

「夢だってわかっているのに、全然覚めなくて・・・本当にこわかった」

 母親に抱きしめられたまま、アリスさんは涙を流した。

「本当にありがとうございました。それで、あの、お礼は」

 お金の心配ならいらないのに、イリスさんは不安そうに言う。

「いりません、完全なる慈善事業ですから。アリスちゃんが元に戻ったことが、すべてです」

「ああ、なんて素晴らしい魔術師様・・・」

 せめて夕食でもとのお誘いを受けたが、宿で仲間が待っていることもあって、ぼくたちはそれを丁寧に断ってから家を出た。

 なんとか起き上がったアリスさんも含めた家族四人は、ぼくたちが路地を曲がって見えなくなるまで見送ってくれていた。

 人助けの充足感に包まれて、ぼくたちは宿へと戻った。

 カックラカンの夜が更けてゆく━━

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