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スカーレットの魔術師  作者: 鈴木智一
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第六章〜第十章

 第六章 盗賊の掟



 ぼくは、少し前から気になっていたことを訊いてみた。

「ニーナさん、レディ(馬の名前)一頭だけで馬車を牽くのって、たいへんなんじゃないですか?」

 街道ですれ違う他の馬車が、どれも二頭以上の馬で動いているのを見て、ふと思ったのだ。そういやレディ、すごいなと。

「あれ?タケシくん、知りませんでしたか・・・お姉さまの魔術で馬車そのものが軽量化されている上に、レディの体力も底上げされていますので、負担は軽いのですよ?」

 えっ、そんだったんですか━━なんだよレディ、楽勝じゃないか。どうりで疲れないはずだよ。元気いっぱいだし。

 そして団長の魔術・・・もはや万能の極み。

 なんでもできてしまったら、それはもはや、本当に神の領域じゃないですか。

「団長って、神様なんですか?」と、思わず訊いてしまった。たとえ肯定されたとしても、驚かない自信はある。

「さあ・・・わたしにはなんとも・・・」

 えらく歯切れの悪いニーナさん。珍しいこともあるものだ。

 ━━っていうか、本当に神様かも知れないという可能性が残されてしまった。これは、もしかすると、もしかするのではないだろうか。

 とまれ、ぼくはそれ以上追及をしなかったし、質問も重ねなかった。なにより、ニーナさんを困らせたくはない。

「そういやさぁ、こないだの団長、なんで魔術師協会の服着てたんだ?」と、リンゴを転がして遊んでいたフィリエルが言った。こら、食べ物で遊ぶんじゃない!バカ女!と、ぼくは心の中だけで怒る。

 でも確かにフィリエルの言う通り、以前の団長はずっと自前の衣装を着用していたはずだったのだが━━カリマシラ村の浜辺で会った時には、魔術師協会の制服を着ていた。ぼくですら知っている通り、団長は魔術師協会に所属こそしているが、そこでの職務には携わっていない・・・はずなのだが。

「さあ、どうしてでしょうね?なにか、お仕事をされていたのかも」

 ニーナさんですら、団長がなにをしているのかは把握しておらず、知らない様子だった。なので、その話はもはや進展するわけもなく、そこで途切れたのだった。

 そのタイミングで、馬車が停止したのがわかった。

「どうした?なんかたったのかロゼ?」幌の下から顔をだして、フィリエルが訊いた。

 このところ、馬の上にいるのはロゼであることが多い。最近になって乗馬に目覚めてからは、レディの上がお気に入りの場所となっているようだ。

 そんなロゼが答える。

「あそこで休憩、憩いの広場」

 あそこ、と言われたほうを見ると、そこには数台の馬車が停まっている大きな広場があった。

 町でも村でもないのだが、十人以上の人間たちが休憩し、あるいはテントを張って宿泊しているようだった。

 よく見たら、ちゃんと看板もあるじゃないか━━『憩いの広場』って、ロゼが言ったそのままの名前だった。もしかして、これを見て言ったのかな?ロゼ、視力はいいみたいだし(ちなみにフィリエルはその倍くらいすごい。多分ぼくの3倍くらいの視力があると思う)、遠くからでも見えた可能性はある。

 ロゼが先導するかたちで、休憩をすることになったぼくたち。広場に入ると、なんとなく他の人たちに仲間意識を覚えるのはなんでだろうか・・・おそらく、広場の名前のせいだろう。


 広場には、ぼくたちも含めて5台の馬車と21人の旅人がいた━━がんばって全部数えた。

 なので、辺りに森と平原しかない場所であるとは思えないほどの活気がある、即席で作った小さな村みたいだった。

 所々に新旧の焚き火をした跡があって、おおよそその周辺を目安にして場所取りをしているようだったので、ぼくたちもそれに倣って空いている場所をさがした。

 よさそうな場所を見つけるやいなや、フィリエルは手際よく屋外用の敷物を広げ、折りたたみ式のテーブル1つとチェアを3つ用意して、そこへニーナさんとロゼを座らせてから残った1つに自分が座る━━

「って、ぼくの椅子は!」

 言われたフィリエルが、ん?なんのこと?みたいな顔をしやがったので、よほどひっぱたこうかと思ったが、もちろんそんなことはしない。したとしても、結果はすでに見えてるし。

「冗談だよ、ほら」と、空になったお野菜ボックスを渡された。もしかして、今の、これが冗談だよという意味だったのか?

 でもまあいいや、とにかく座ろう・・・なんだかぼくだけ頭の位置が低すぎるような気がするんだが・・・なんだこれ。

 あっ!しかもこの高さだと、ちょうど目の前にいるロゼのスカートの中身が━━見え・・・。

 思わずちょっとだけ覗き込むような仕草をしたぼくの頭部が、ロゼの魔術で氷の塊にされてしまった。

 あ、やられたと思った時には、ぼくの意識はなくなりかけていた。

 消えかける意識のなかで、ライフが見る間に減っていく。

 ・・・3・・・2・・・1。

 ━━はいっ、死んだ!


  ☆


 タケシが窒息により息絶えたその時━━

 しかし、そちらには興味を示さずに、違う方向を向いていたおかげで、フィリエルはそれを発見することができた。

 自分たちの馬車の裏から、森のほうへと走る人影。

 その肩口からチラリと見えた物は、すでに見慣れた黒革のバッグではなかったか?

 確信はない。だが、予感はあった。

 それは、元盗賊としての直感のようなものだった。

 そこまで走り、勢いよく馬車に飛び乗ったフィリエルは、すぐさま荷物を確認した。

 あったはずの荷物は、さすがに憶えてある。

 衣類のケース、食料の箱、貴重品の入れ物、現金入りの革バッグ・・・一見して、すべて揃っているように見える。

 けれど、おかしい。

 現金の入った黒革のバッグは、2つなければいけないのに━━目の前にはそれが1つしかない。

 つまり、大金の半分が奪われたという事実を示していた。

「うわあああっ、やられた!ドロボーだーっ!」その瞬間、かつて自分が盗賊であったことなど記憶にないかのような叫びを、フィリエルは上げた。

「本当ですか?」ニーナが馬車を覗き込む。

「わたしのオモチャは!」ロゼも己の財産を心配して訊く。

「それは大丈夫だ━━カネを盗られたっ!」

 フィリエルは悔しさのあまり床に転がる金のインゴットを殴りつけるが、拳を痛めてしまう。見た目に明らかな黄金が盗まれていないというのは意外だったが、見落とされただけかも知れない。

「くうぅ・・・いてぇ・・・」涙を流すフィリエル。

「全部やられたのか?」ロゼが問う。

「いや・・・半分だけだよ・・・うぅ」

「ならば問題なし。半分だけでも、まだ大金」ロゼはそう結論した。

 確かに、家でも買うつもりでもなければ、バッグ1つの中身だけで数年は暮らせそうな額があった。

 だが、フィリエルはその意見に賛同できない。盗賊としてのプライドがあったからだ。

「ダメだ。オレはぜってーあきらめないぞ。どこのどいつか知らねぇが、必ず取り返してやる」

「やめておいたほうがいいのではないですか?ここは潔く、あきらめましょう」

 ニーナは諭すように言ったが、フィリエルはそれに首を振る。

「いくらニーナに言われたって、オレは嫌だね!盗むのはいいけど、盗まれるのは我慢ならねーんだ。おまえの物はオレの(以下略)」

 と、無茶苦茶な理屈をこねて、もうすでに追いかけるための準備を始めている。団長から渡された"魔力増幅器"であるという赤い宝石の指輪を装着する。

「どうしても取り返すというの?」

「ああ、絶対だ。オレのもんを盗んだこと、必ず後悔させてやるよ」

「仕方ないですね・・・ただし、わたしも行きますよ」とニーナは言う。

 それにはロゼが異を唱えた。

「ボス、ダメ、危険・・・代わりにわたしが行く。ボスは留守番、もやし番」

「そうだな━━こいつの面倒、誰か見てなきゃなんないだろ?ニーナは待ってろって」フィリエルは左手の親指で行儀よく絶命しているタケシの方を指し示す。

 ニーナが、あ、そういえばという表情で、死んだタケシに気がついた。

 離れた場所にいる旅人の女性が「アイスヘッド」と連呼しているのが聞こえる。

 どうやら、座ったままの姿勢で、頭部が氷に覆われたタケシが目立ちはじめていた━━

「わかりました、わたしはここにいます。くれぐれも、気をつけて。危険があれば、すぐに戻ってくださいね。お金などよりも、あなたたちの命のほうが、大切なのですから」

「大丈夫だって!すぐカタつけて、大金取り戻してくっからさ」

「ボス、行ってきます」

 フィリエルとロゼの二人が、森に向かって走り出した。


  ☆


 おおよそ、人影が向かったと思われる位置を記憶していたフィリエルは、その辺りに向かった。

 足元をよく観察してみると、人が分け入ったような場所がある。草が踏まれて、しっかりと足跡まで残されていた。

 小さな頃から一流の盗賊である父の背中を見て育ったフィリエルにとって、盗人の逃走経路を見つけることなど造作もない。ほんのわずかな痕跡すらも、その目はけして逃さないのだ。

 大金の入った重いバッグを抱えていたためか、土の柔らかい場所には深々と足跡がスタンプされている。傾いた草花もそのままで、まるっきり痕跡を消す努力を怠っていた。

 フィリエルに言わせれば、そんなものは素人のやることだ。まるで「追いかけてきてください」と言われているも同然で、なんの苦労もなく追っていける。

「お望み通り、地獄の果てまで追いかけてやるよ」

 フィリエルが速度を上げて、いつの間にか上り坂に変わった山中を、それでもぐんぐん進んで行く。

 フィリエルの姿が遠ざかり、木々の陰に隠れ、足音さえも聞こえなくなり━━気づけばロゼは完全に置き去りにされてしまっていた。とてもではないが、追いつける速さではない。歩速があまりに違い過ぎた。

「あ・・・スキンゴッド(肌の神?)、ロスト・・・」呟く。

 でも、まったく焦る様子もない。

 なぜなら、完全に置いて行かれたけれど、フィリエルの歩いた道はだいたいわかるから。

 はっきりとした足跡を残しているし、草が倒されているのでとてもわかりやすいのだ。

 まるで追いかけて来てくださいとでも言うように、道を示してくれている。

 迷子になる心配もなさそうだったので、ロゼは自分のペースでゆっくり追いかけようと考えた。


 フィリエルが山道を歩きつづけること数十分━━小高い山の頂上付近にそれはあった。

 木製の、見上げる高さの柵に囲まれて、石造りの砦らしき建造物が存在していた。

 その中は三階層ほどの広さがありそうな、山の上にあるにしてはなかなか大きな建物だと思える。まだ日中のうちから松明の灯りがあって、ちらほら人影も見受けられる。

「山賊のアジトってとこか・・・ここだな」と、フィリエルは確信した。他に考えられない。

 山賊のくせに堂々と真正面から略奪もせずに、コソ泥みたいな真似しやがって、と腹が立った。

 しかし、侵入しようにも柵が高すぎて乗り越えられそうにない。いくら身軽なフィリエルといえども、その高さを飛び越えることは不可能だった。

 そうなると、正面ゲートからしか入ることはできなさそうだが、当然のように見張りの人間が立っている。屈強そうな、いや、まるでクマのような二人の大男だった。顔がそっくりなので、双子かも知れない。おそらくそうだろう。

「あのクマちゃんズ、なんとかしねえとな・・・」

 とは言ったものの、なにか策があるというわけではない。なにも思い浮かばない。

 となれば、自分にできることは正面突破、それだけだ。

 なので、思いきって奇襲をしかけようと思ったのだが、直前で気が変わった。

 相手二人の体格があまりにもよすぎるので、それぞれを一撃で倒せなかった場合のリスクを考慮したのだ。

 もしも相手に体を掴まれでもしたら、その場合、振りほどくこともできずに万事休すということになりかねない。そのリスクだけは避けたかった。

 ふと閃いたフィリエルは、あまり深く考えずに、今思いついたアイディアを試してみようと思った。

 木立の陰から出ていくと、くねりくねりと体をくねらせるようにして歩く。フィリエル渾身のセクシーウォークだった。

 その色気により相手を油断させようという魂胆だが、果たして━━

「あっ、兄貴アレ!」右のクマみたいな男が左のクマみたいな男に言う。

「おわっ、アレってお前、女じゃねえか!」左のクマみたいな男が驚きを見せる。

「お、女・・・兄貴、オレ、女なんてひさしぶりに見たから、よく憶えてねえよ!」

「ばかお前、そんなもんオレだってそうだよ!おわ、なんだよアレ、なんかプルプルしてるよ、なんなんだよ怖えよ!」

「ほ、ほんとだ!なんだアレ・・・なんか、なんかすげえよ兄貴!なんかすげえよ!」

 そんな会話を交わしながら、徐々に頭を低くしていく二人の大男。

 フィリエルが近づくころには、すっかり前屈みになり、お辞儀をしているようだった。

「・・・なんでお前ら、お辞儀してんの?」フィリエルが不思議そうに訊く。

「いや、これはアレだぜ、なんでもないぜ!」

「なんなんだよ、アレって」

「なんでもないぜ、アレは、なんでもないってことだぜ!」

 意味がわからない。

「・・・お前ら、もしかして勃っ━━」

「それよりお姉さんは、アレですか、おカシラの女ですかい?」

 そのように問われたことは、フィリエルにとって好都合だった。これは使えると、すぐに判断する。

「ああ、そうそう、おカシラに呼ばれちまってさ、わざわざこんな山ん中まで来たってわけ」

「そうですか、それは、ご苦労様です」

 大男は疑う素振りも見せずに、フィリエルを労った。

「では、おカシラのところへ案内しますんで・・・おいベンザミ、オレがお姉さんを案内してくるから、ちゃんと見張ってるんだぞ」

「わかったよ兄貴、行ってらっしゃい」

 その間もずっと前屈みだった二人の男。いつまでその姿勢でいるのかと思ったフィリエルだったが、おもしろいので黙っていた。

 そして、まさか、とは思っていたがそのまさかで━━「兄貴」と呼ばれたほうの大男はそのままの姿勢で歩きだした。まるで腰でも悪くしてしまったように見える。

 なにはともあれ、無事、侵入に成功したフィリエルは男のうしろをついて行く。

 石造りの建物に入った。

 廊下があって、左右にいくつか部屋がある。正面に、上階へとつづく階段があった。前屈みの男は、まっすぐそちらへ向かって歩く。

 途中、フィリエルを見つけた数人の男たちが、口笛を吹いたりヨダレを垂らしたりといった反応を見せる。

「おいエンザミ、その女、誰だよ?」片方の目がただの傷痕と化してしまっている隻眼の男が言った。

「このお姉さんは、おカシラの女だよ」エンザミと呼ばれた大男が返す。

「チッ、やっぱりな!イイ女は全部おカシラ専用って決まってんだよ━━ところでエンザミ、お前、なんで腰曲がってんだ?」

「これはアレだよ、なんでもないぜ」

 まったく説明せずに、エンザミは再び歩きだした。

 フィリエルはなにも言わずに黙っている。黙ってさえいれば、それなりに見えるということを自覚していた。にっこり微笑みながら、さてどうしようかと思案する。

 それとなく観察しながら歩いたけれど、黒革のバッグは見当たらない。でも、この場所にあるという確信を、フィリエルは持っていた。逃走者の痕跡を辿った先にこの場所があったのだ。他の可能性など考えられない。絶対どこかに、あるはずだ。

 では、どこにあるのか?

 大抵の場合、あれほどの大金ともなると、それはそのまま、ここの連中の中で"一番偉いヤツ"の手元に届けられるはずだ。つまりこの場所における『おカシラ』のいる所ということになる。

 ━━このまま行くしかない。

 結局、取り戻すべきものはそこにあるのだから、この方法がベストなのだ、とフィリエルは考えた。あとは、その時になってみないとわからない。

 行き当たりばったりと、タケシあたりは言うのかも知れないが、回りくどい作戦を練ったところで結局戦闘が避けられないのであれば、こっちのほうがよほど手っ取り早くていいじゃないかとフィリエルは思うのである。

 大男エンザミは前屈みのまま階段を上って二階へ、さらに上って三階へとフィリエルを導いた。

 三階には正面の扉しかなく、おそらくそこがおカシラの居室に違いなかった。

「おカシラぁ〜、女ぁ連れてきやした〜!」エンザミが、扉越しに呼びかける。少しの間を置いて、中から声が返ってきた。

「女だぁ?そんな話はしてねーはずだが・・・」

 その時が来たことを認めたフィリエルは、エンザミの背後から、その股関を狙って思いきり足を振り上げた。エンザミの柔らかくて硬いものが潰れた感触が足先に伝わる。

 声すら上げることができないまま、エンザミは泡を吹いてぶっ倒れた。

 直後、フィリエルは木製のドアを蹴り開ける。意外なことにカギがかかっておらず、扉は簡単に開いた。

 部屋の中にいた数人の男たちが、身構える。

「なんだてめえ━━は?」

 一番奥にいた髭面の男が、怒りの形相から間抜けな顔への変貌を披露する。その変化は一瞬の出来事だった。

「ん━━あれぇ?」フィリエルも何かに気がつく。どうも、目の前の男を見た覚えがあるような気がする。記憶の中からその姿と名前が掘り起こされる━━それはすごく浅い場所に埋まっていた記憶だったので、すぐに思い出すことができた。

「お前、ゴイスじゃねえか!」フィリエルが、その名を呼んだ。

「おっ、お嬢〜っ!なっ、なんでここにいるんですかいっ!」

 心底驚いた様子で、ゴイスと呼ばれた男が言った。

「おカシラ?この女、誰なんです?」もみあげが異常に長い男が訊いた。

「おまっ━━ばっか野郎!この人はオレの古巣"アーメイダ盗賊団"の頭領だったゲイグランド・アーメイダ親分の娘さんだ!てめえこの頭下げろタコ!」

 マジっスか!と驚いた男たちがあわてて頭を下げる。

 ゴイス・ハムチャン。かつてアーメイダ盗賊団の幹部だった男で、その度胸と盗みの腕前から"すごいゴイス"あるいは"盗っ人ハムチャン"などと呼ばれ怖れられていた。フィリエルとは遊び仲間でもあり、幼少の頃から一緒に過ごしてきた男の一人でもあった。

 そんなかつての仲間の足元に、見覚えのあるバッグと現金の山があった。

 それは間違いなく、盗まれたフィリエルたちの私物だった。

「まさかまたお嬢に会えるなんて、オレぁほんとに嬉しいですよ。でもなんで、お嬢がこんなところにいるんです?まさか、わざわざオレに会いにきてくれたんですかい?」

 そんなゴイスの質問には答えずに、フィリエルは黙ってすっと手を上げると、床に積み上げられた現金の山を指さした。

「それ、どうしたの?」と、訊く。

「ああ、これは今さっきそこのディアスンが間抜けな旅人からかっぱらってきたもんで、バカみてえな量の札束が入ってたってんで、驚いてたところなんですぜ」

 ディアスンと呼ばれた若い男はへへっと照れたように鼻の頭を掻いている。

「それさぁ、オレのなんだよね」

 フィリエルの言葉に、男たちの動きが止まる。

 特にゴイスの顔から血の気が引いていくのが、はっきりとわかった。

「で、デデデっディアスンてめえこの野郎ばか野郎!てめえは、貴様は今ここであなたの処刑が決定しましたのでぶっ殺すぞこの野郎!」

「ひ、ひいぃぃ!お許しくださいおカシラぁ〜、オレ、知らなかったんスよ〜!」

 それはそうだろう。彼はただ、運がなかっただけだ。

 ━━アーメイダ盗賊団は同業者にとっての尊敬と畏怖の対象であり、今や伝説となった存在である。そして、その頭領であったゲイグランド・アーメイダはすべての盗賊の憧れであり、また、象徴そのものだった。

 その娘であるフィリエルという人間は、盗賊たちにとってはけして傷つけてはならない存在であり、ある種、神聖視すらされるほどの人物だった。

 そのような理由から、フィリエルの私物を盗む━━これが、どれほどの大事かは、もはや考えるまでもない。それでなくとも、仲間内での窃盗は重罪とされる世界である。

 その罪はもはや、死をもってしか償えないほどのものなのだ。

「こ、こんなことになるなんて・・・お嬢、オレぁ、今すぐ死んで詫びますんで、どうかこいつらの命だけは見逃してもらえんでしょうか?」

 ゴイスの言葉に、男たちがざわつく。

「おカシラ・・・いいや、今回の件はすべてオレの責任です。オレが死にます!」と、涙ぐんだディアスンが申し出る。

「いや、オレっちが死ぬっち!おカシラのために死にたいっち!死ぬの大好き!」と、変なパンダの帽子を被った男が突然言い出したけれど、全員に無視された。

 フィリエルはしばらくそんな様子を黙って眺めていたのだが、そろそろ頃合いかと思って口を開いた。

「ふっ、お前ら全員、死ぬ必要なんてねーよ。オレはそんなの見たくもねーし、だいいち、ゴイスに死なれちゃ困るからな。あとで父ちゃんになんて言われるかわかんねーし」

「え、それじゃあ、お嬢・・・」

「ああ━━カネさえ戻ってくれば、オレは文句ないんだ。ただし、ちゃんとした詫びのひとつくらいは欲しいから、お前ら全員土下座しろ。それで、許してやるよ」

 フィリエルは腕組みの姿勢で、自分よりもはるかに年上の男たちに対して命令を下した。

「わかりました、お嬢っ!」

 元気を取り戻したゴイスはそう言うと━━膝をつき、顔面を床にめり込ませようとしているかのような、渾身の土下座を試みる。

 あまりに顔を押しつけようとする意識が強すぎて、逆にお尻が浮かび上がるという奇妙な姿勢だった。

 それを見た周りの男たちもゴイスに倣い、まったく同じ姿勢で土下座する。

 全員の声が、完璧に重なった。

『どうも、すいませんでしたぁぁぁぁぁーっ!』


 部屋の入り口を塞いでいたエンザミの巨体がどかされて、男たちが部屋を出る。ゴイスと、バッグを持ったディアスンをフィリエルが引き連れるかたちで、階下へ下りる。

 そこへ、順番に説明を聞いた男たちが次々と合流する。建物の外に、全員が集合していた。

 正面ゲートへ向かうと、そこにはなぜか氷の立像ができていた。

 魔術によって氷漬けにされた、ベンザミの無惨な姿だった。

 その近くに立っていたロゼの姿を見つけると、フィリエルは片手を上げて近づく。

「ようロゼ、遅かったじゃねえか」

「これは・・・状況がわからん。なにがあった?」

 フィリエルの背後に控える大勢の男たちを目にして、さすがのロゼも驚いている。

「こいつらオレの知り合いでさ、盗んだカネ、ちゃんと返してくれるって」

 正しくはゴイスのみが旧知の人物であったが、そこは偽って報告するフィリエル。あるいは本当に、全員すでに顔見知りのつもりでいるのかも知れない。彼女の性格や特性からすれば、それは十分あり得そうな話だった。

「そんで、ついでにみんなで広場まで送ってくれるんだってさ。まあ・・・気にすんなよ」

 そう言われても、ロゼとしては気にしないわけにもいかない。

 けれどまったく状況はわからないので、とりあえず困惑しながらも従うしかない。解決したのならば、あとは帰るだけだから。

 フィリエルとロゼが歩くうしろを、数十名の男たちがぞろぞろとついてくる。二人の少女が男の群れを従える光景そのものに、ロゼの困惑はさらに深まる。

 なんだ、これは。

 わたしは今、どういう状況にいるのだ?

 ロゼはずっと考えていたが、本当にわからないので、途中で考えるのをやめてしまった。

 うしろが気になって仕方なかったけれど、気にしたところで状況が変わるわけでもない。

 途中からは諦めの境地に達して、ただ、足元だけに集中しながら山を下った。


 森の中から、たくさんの人間が湧き出てくる。

 屈強そうな、あるいは強面な男たちがぞろぞろと湧いて出る様は、それを外から眺めていた人間にとっては、恐怖の情景であったに違いない。

 広場にいた女性たちが悲鳴を上げて、男たちは慌ただしく荷物を馬車へと放り込む。特筆すべきは、一人の老人が物凄いスピードでテントを畳んだことだろう。長年の経験と技術によって成し得た、まさに達人技と呼べるものだった。

 そのようにして、我先にと広場から逃げ出す旅人たち。彼らの目には先頭を歩く二人の少女など見えてはおらず、そのうしろから来る大勢の男たちしか映ってはいなかったのだろう。

 あっという間に閑散としてしまった広場には、フィリエルたちの馬車だけが取り残されていた。その前方に、ニーナとタケシが佇んでいる。

 ニーナは不思議そうな顔を、タケシはひきつったような顔をして、フィリエルたちを出迎えた。


  ★


 またしても(ちくしょう!)ぼくが死んでいる間に、この世界ではなにかが起こっていたようで━━

 ぼくとニーナさんが見つめる先には、たくさんの男たちがいた。

 フィリエルとロゼの二人が連れてきたようだが、なにがどうなればこのような状況が出来上がるのか、ぼくにはわからない。

 まさかこの人たち全員を、仲間に加えるつもりじゃないだろうな?と、恐ろしい想像が浮かぶ。

 さすがにそうなったら、ぼくはもうお家に帰ろうと思う。

 家なんてないけどね。

「たっだいま〜。カネ、取り戻してきたぜ!」

 そう言ったフィリエルであるが、しかし彼女の手にはなにもない。フィリエルが顎で示すと、うしろにいた若い男が前に出てきて、抱えていたバッグを地面へと置く。

 どういう関係なんだろう。まるでフィリエルの下僕みたいに見えるのは、ぼくの気のせいなのだろうか・・・。

「フィリエル、この方々はいったい、どなたなのでしょう?」ニーナさんが当然の質問をする。

 それに対してフィリエルは「ああ、こいつらは全員オレの友達みたいなもんだよ。ここまで送ってくれたんだ」と、全然詳しくない説明で返した。

『友達みたいな』ってことは、友達ではないはずだ。じゃあ何なんだよ、と思う。

「それと、なんかわかんないけど二人にも謝りたいって言うからさ、謝らせてやってくれよ。まあ、なんだかわかんないんだけどさ・・・人に謝るのが、趣味なんだろ」

 そんな人いるかよ。

「じゃあみんな、ニーナたちにも謝罪しな」無慈悲なフィリエルが無慈悲な命令を下す。

 言われた男たちは、全員揃って膝をつき、汚れるのも構わずに頭を地面へ押しつけると、なぜか天に向かっておしりを突き出す格好になった。見事に統一されたその動きに、ぼくは得体の知れない恐怖を感じる。

 目の前の光景が現実なのか疑ったぼくの目の前で、男たちが一斉に謝罪の言葉を口にする。

『どうも、すいませんでしたぁぁぁぁっ!』

 ぼくは思わず耳を塞いだ。それくらい大きな声量だった。しかも、この見た目が恐い男性たちに、なにを謝られているのかすらわからないというのは恐怖でしかない。

 次いで、妙な姿勢で変な土下座をしている男たちに対して、憐れみの念が浮かぶ━━この人たち、フィリエルにやらされてるんだよなと考えると、本当にかわいそうに思えてくる。

 なぜか、親近感のようなものを覚えた。

 そうしてから、徐々に状況にも慣れたあたりで冷静に整理して考えると、一つの答えが見えてくる。

「もしかして、その人たちが盗んだんじゃ?」

「さあな」とフィリエルはとぼけたが、まず間違いないだろう。理由はわからないが、男たちを庇っているらしい。まあ、なんでもいいんだけどね。

 ぼくとしては。

「ようし、お前らもう帰っていいぜ!見送りご苦労、気をつけて帰るんだぞ」

 絶対にフィリエルより年上の男性たち、あるいは完全に年輩の男性━━それも、大勢の人間に対して、ほんの小娘でしかないはずのフィリエルが王様みたいな言動をとる・・・世の中は、間違っている。

「今回のことは本当にすいませんでした、お嬢。できればこのことはアーメイダの親分には黙っておいてもらえると、助かるんですが・・・」

 男たちの中の一人、髭面の男がフィリエルに言った。

「ははっ、大丈夫だって!心配しなくても、そんなこと言いやしねえよ。だいたいオレたちまだ旅の途中だし、父ちゃんに会うことねーもんな」

 それを聞いて安心したのか、ほっとした表情を見せた男は最後にこちらへ一礼すると、他の男たちに向けて号令をかけた。

「ようし、帰るぞ野郎ども!」

 どうやら彼がリーダー格らしいが━━それよりも立場が上なフィリエルって一体・・・。

「それじゃあお嬢、いずれまたお会いしましょう!」

「ああ、暇んなったら遊びに行くよ」言って、フィリエルは笑顔で手を振る。


「すまなかった、もや・・・タケシ」

 馬車の中、ロゼがぼくに対して正式に謝罪をしてくれた。

 謝罪が流行っているのだろうか?変なブームもあるもんだ。

 ともあれしかし、これでぼくはフィリエルとロゼからそれぞれ一回ずつ殺害されたわけなのだが━━残るニーナさんに殺された時点で、ぼくはもうこの世から消滅しようと心に誓うが、ニーナさんは間違ってもそんなことをする人ではないので、安心して存在していられる。それだけが救いだ。

「っていうかタケシ、団長からなんか貰ってたんじゃねーのかよ?あれで、生き返るんじゃねーの?」

 フィリエルの言うそれは、ハート型のガラス玉のことだろう。だがそれは身につけていなければ効果を発揮するものではない。この時ぼくはそれを貴重品入れの中にしまっていたので、改めて、肌身離さず持っていなければと思った。反面、今回のことで使用されなくてよかったなとも思う。せっかく団長がくれたものを、なんでもない日常の中で、しかも仲間に殺された時に使ってしまうなんて、もったいなさすぎるじゃないか。それではあまりにも団長に対して申し訳ない。そして単純に、情けないしね。

「あれは、こんなことで使っていいもんじゃないよ。せっかく団長がくれたんだから」

「ふ〜ん、ま、それもそうだな」

 話しながらも現金を数えているフィリエル。だがどうも、見る限り枚数が減っているようなので、それを訊いてみる。

「ところでフィリエル、そのお金、少し減ってるんじゃ?」

「うん、そうだよ。さっきの奴ら、あんましカネ持ってねーみたいだからさ、少し、わけてやったんだ」と、衝撃的な発言を耳にする。フィリエルの人格が変わったのかと心配になる言葉だ。

 あの強欲守銭奴破廉恥娘と(ぼくに)言われたフィリエルともあろう女が、まさか無条件で他人に財産を分け与えるなんてことがあるだろうか?

 ━━まさか、世界が終わるのか?

 それくらいのことがないと、多分ぼくは納得できない。

 それくらい、信じられない出来事だった。

「・・・お前、なんか文句あんのかよ?」

「いえ、まったくございません!存在しておりません!」脊髄反射的に答えると、ぼくはそっぽを向いた。

「今回も、なにごともなくてよかったです」

 とニーナさんは言うけれど━━はて、なにごともなかったと言えるのかどうか。

 ニーナさん、ぼく死んだんですけど・・・。

 それはさておいたとしても(複雑である)広場から旅人がいなくなったような気がするんだが・・・。ロゼなどは「憩いの広場、台無し」などと言っていたが、まったくその通りだ。

「でもよ、まだまだ先は長いんだから、カネ取り戻して正解だったろ?カジノに戻ってカネもらってくるなんて、すぐにはできねーんだからさ」

 確かにそれはそうだ。フィリエルの言うことにも一理ある。ないよりは、あったほうがいい。

 でも団長にお願いしたらすぐに取ってきてくれそうな気もするんだよなぁ・・・なんかあの人、どこへでも自由自在に行き来できる感じだし。少なくとも、空は飛べることだし。

 そういえば以前に、その団長の力でぼくたちをまとめて『約束の地』へと運ぶことはできないのかと、ニーナさんに訊ねたことがあったけれど、答はノーだった。そりゃそうだよな、それができるなら、はじめからそうしているはずだ。

 そして、団長にどれだけの力があるのか、あるいはこの旅の目的や理由━━そう云ったものを、ぼくはまだほとんどなにも知らないのだ。



 第七章 フェアリーヒル



 カタカタと、わずかに揺れる馬車の中━━ぼくたちは山猫のオモチャを囲んでいた。

 ぼくと、フィリエルと、ロゼ。その三人である。なので現在レディの背中にいるのはニーナさんで、ロゼが馬から降りるのはひさしぶりのことだった。

 おそらくオモチャで遊ぶという、たったそれだけの理由で。

 未舗装の道には小石や木の枝、あるいはそれ以外の様々な障害物が転がっていたりするので、当然、馬車は揺れて然るべきものなのだが━━ぼくたちの馬車に限って言えば、揺れはほとんど感じなかった。

 これも最近知ったばかりで恐縮なのだが、団長の魔術で揺れも減じているのだとニーナさんに教えてもらった。

 なるほど、どうりで快適なはずである。夜なんて、たとえ走行中だとしても、宿でもないのに熟睡できるんだもんな。

 さて、そんな揺れない馬車の中━━ぼくは真剣勝負の舞台へ戻ろうと思う。


 山猫のオモチャは縦横二十センチくらいの、ほぼ顔だけのもので、それに加えて顔の前にある十センチほどのお皿とワンセットになっている。皿の中に一センチ〜二センチくらいのドライフード型ブロックをセットして、スイッチを入れれば準備完了。そこから順番に一つずつブロックをつまみ上げるのだが、その時に猫のオモチャに噛みつかれたら負け、という簡単なルールだった。

 おもしろそうじゃないか━━しかしロゼ、オモチャが本当に好きだよな。見つけてくるのも得意だし。

 さて、それでは今回も前回同様、ぼくが女の子二人に男の強さというものを見せつけてやろうじゃありませんか。今度こそ、泣いたって知らないからな。

 ぼくは気合いを入れた。遊びの時しか気合いが入らないというのは、だれかの言いがかりに過ぎない。

「よっし、そんじゃオレから行くからな」

 言うが早いか、フィリエルはドライフード型ブロックの中に雑な感じで手を突っ込むと、適当に一つをつまみ上げる。

 反応なし。山猫のオモチャはピクリとも動かない。

「へっへ〜、楽勝だぜ。次、取れよ」

 言われて、ぼくとロゼが顔を見合わせ、睨み合う。

 ・・・なんで睨まれているのだ、ぼくは?

「死んでこい、もやし」

 わかったよ、先に取れってことね。仕方ない、それではぼくが挑戦しよう。

 と、冷静に考えを巡らせるぼく。

 ドライフード・ブロックはまだまだ皿の中にたくさん入っていて、ぱっと見ただけでもハズレを引く可能性は低い。まだ、三人がそれぞれ十個近く取れるくらいは数があるので、序盤はまだ、あまり考える必要もないだろう。

 そう思い、一番上から一つをつまむ。

 すると、カチリ━━何かが外れたような音がしたかと思ったら、驚異的な速度で押し出された山猫の頭がぼくの右手に重なっていた。

「いっ、いっでえええええっ!」ぼくは思わず大絶叫。これはマジで痛い。

 とてもオモチャとは思えない!狩猟用の罠かなにかの間違いではないのか?

 山猫の頭が元の位置に戻ると、ぼくの右手にはくっきりと牙の痕が残されていた。あとほんの少しの力加減で皮膚が破かれていたのに違いない。それほどの強さで噛まれている。

 そんな強く噛むもんだから、ほら見なさい━━ぼくのライフが数ポイント減っているじゃないですか。まさかオモチャにすら命を削られてしまうとは・・・どれだけ脆弱なのだ、ぼくは。

「うわぁ、え、なに今の・・・ヤバくね?」フィリエルが若干引いている。さすがに今のはおかしいと感じたようだ。

 当たり前だ。あれは普通じゃない。冗談抜きで、子供が怪我をしてしまうくらいの代物だ。

「地獄・・・高齢者向けオモチャ・・・地獄」

 ロゼがブルブル震えながら呟いている。

 ん?高齢者向け?

 ぼくはその言葉が引っ掛かったので、ロゼの隣に置いてあったオモチャの外箱を確認する。

『対象年齢70歳以上』と書いてある。

 70歳以上向けの商品だった━━だとしても!

「だとしても、おじいちゃんおばあちゃん、怪我するし!」

 へたすりゃ、死ぬし!とは言わなかったが、あり得ない話でもないはずだ。

「なんだよこれ、とんでもないオモチャだな」さすがのぼくも、頭にきたので言ってやる。

「これ、インチキで有名なチキ・インの製品」

 ロゼが、そんな説明をする。

 そんなので有名なメーカーの製品を買うんじゃありません!と思わず怒鳴りそうになったが、そんなことをしたらロゼが気を悪くしてしまうので思いとどまる。

 そんでチキ・インを逆から読むとまんまイン・チキだしね。何を考えているんだろうね。

「次の質屋で、売っ払う」ロゼが宣言する。是非ともそうしてもらいたい。

 ほとんどぼくが実験台になったようなかたちで、オモチャの危険性が証明された。なのでもう、誰もそれで遊ぼうとは言わなくなった。ロゼの選んだオモチャでも、時にはハズレがあるということが学べたので、今回はそれでよしとしよう。

 でなければぼくが、ただ痛い思いをしただけになってしまうから。


 道の真ん中で、突然馬車が止まった。

 なんだろう?辺りにはなにもないし━━トイレかな?などと思ったが、どうも様子が違う。ニーナさんの話し声が聞こえるので、みんなで顔を出して、確認する。

 ニーナさんは、5〜6歳くらいの小さな女の子と話していた。

 ん・・・女の子?こんな場所に、一人で?と不思議に思う。

 町までは距離があったし、近くに人家も見当たらない。なにより女の子のそばに親がついていないのはおかしい。

 どうしたんだろう。迷子か、それとも誘拐されて逃げて来た?などと、勝手な想像を膨らませるぼく。

 ニーナさんが女の子の手を引いて、こちらへ来る。

「この子、道に迷ってしまったそうなので、お家までお送りしたいと思います」そう、報告する。

「なんだお前、迷子になっちまったのか。安心しな、姉ちゃんたちが家まで連れてってやるからさ━━ほら、おいで」

 フィリエルは女の子を抱きかかえて、持ち上げる。

「かわいい」自分よりも小さな女の子に目を細めるロゼ。

「お前、名前は」女の子を座らせてから、フィリエルが言った。

「・・・わたしは、アンヨです」

 かわいい声で名乗った女の子。でもあんよって、足って意味かな?そんなことはないだろうけれど、変わった名前だ。なんにしても、かわいいからいいか。

「で、アンヨの家、どっちなんだ?」

 フィリエルは訊ねた━━それを知らなければ出発もできないために、馬車の外にいるニーナさんもしっかり聞き耳を立てている。

「ん〜・・・アンヨの家は、あっち?」

 なんだかあまり信用できない言い方ではあるが・・・なんのことはない、アンヨが指し示した方角は、馬車の進行方向だった。つまり、このまま進んで大丈夫ということになる。

 おそらく、この先の町からやって来たのだろう。

 ニーナさんはこちらに頷くと、レディの背中に戻る。すぐに、再び馬車は動き出した。

「でもアンヨ、どうして一人でいたんだよ。危ないだろ?」

「うん」

「うんって・・・なんであんな所にいたのか訊いてんの」

「あっちから、こっちに、歩いて来たの」

「・・・へえ〜、そうか〜、なんで?」

「灰色の小鳥さんがいたの」

「あ?それが、なに?」

「追いかけて来たの」

「あ〜、そうゆーことか」

 女の子━━アンヨは白いワンピースのスカートを着ていて、お尻をぺたりと床に付けて座っているのだが、ぼくの位置からだと奇跡のおパンツ様がモロに見えている。ちなみにそちらも、純白である。

 これは━━まずい。絶対に感づかれてはならない。こんな小さな女の子のおパンツ様を観察していただなどと知られたら、フィリエルに骨まで焼き尽くされかねない。

 ━━絶対に知られるわけにはいかない!

 無だ・・・心を無にするのだ。

 できるはずだ。ぼくになら、それができるはずだっ!

「おいタケシ、さっきっからなにをブツブツ言ってんだお前。ヤバすぎだろ」

「ゲロキモ・ヤバマックス」ロゼに意味不明の暴言すら吐かれてしまう。

 だがしかし・・・気づかれなかった!

 これは、ぼくの勝利である。何を言われようと"その事実"にさえ気づかれなければ、この勝負はぼくの勝ちなのだ!

「イエーイッ!」ぼくは拳を突き上げた。

「おわっ、タケシがイカレた!」

「もやし、ご乱心!」

「イエー!」なぜかアンヨが真似をする。

 その晩、勝利の余韻に浸ったぼくが熟睡できたことは言うまでもない━━


 次の町に到着したのは、翌日の夕方近くになってからのことだった。

 地図上には、ライルレントの町とある。

 アンヨは、本当にここから来たのだろうか。この町から歩いたのだとすれば、アンヨは丸一日以上は歩き続けなければならなかったはずだ。小さな女の子の足で、果たしてそんな距離を移動できるものだろうか。

 真実はさておき、疲れていたのだろうアンヨは昼近くまで馬車の中で眠っていたが、それから目覚めるとパンとスープで軽い食事をとってから、フィリエルとロゼに遊んでもらっていた。

 町へ着くなり、ぼくたちはアンヨに確認する。

「アンヨ、お前の家、本当にこっちのほうなのか?」

「うん、こっちのほう」

 やはり間違いはないのか。よく歩いたもんだな、アンヨ。

「で、家ってどの辺なんだ?」と、彼女を抱っこしたままで訊くフィリエル。

「ん〜と、あっち?」

 しかし、アンヨの人差し指の先には小高い丘があるだけだ。一見して、丘の上に人家はない。

 あれぇ・・・アンヨの家って、町の中にあるわけじゃないのか、と全員が思った。

 一軒だけ離れた場所にあるのだろうか━━あるいは、町や村に所属していない民家もあるので、そういった家のひとつなのかも知れない。

「え〜、なんだよ。この町じゃねえのかよ?」

「うん、違うよ」アンヨは肯定した。

「まいったな、どうするニーナ?」

「アンヨちゃんのお家は、ここからまだ遠いのですか?」

「う〜ん、すぐそこ・・・だけど、遠いかも?」

 かわいい仕草で首を傾げて答えるアンヨ。しかし曖昧すぎて近くなのか遠くなのか判断がつかない。

 まあ、そもそもが迷子だからな。

 仕方ないか。

「仕方ありませんね。ひとまず今夜は宿をとって、また明日、あらためて向かうことにしましょうか」

「そうだな。そうしようぜ」

「そーしよーぜ!」アンヨがフィリエルの真似をして言った。すでになついているようで、その様子をロゼが羨ましそうに眺めているのがいじらしい。フィリエルのポジションに、自分も収まりたいができないのだろう。

「さて、そんじゃ宿屋にぶっ込みかけんぞ、野郎ども!」フィリエルが叫ぶ。

 ってゆーか、どういう意味なんだよそれは。あと、野郎ってぼく一人だけだしね━━ほんと、意味のわからない独自の言葉が多いよな、フィリエルって。まあ、それはロゼも一緒か・・・いずれにしても、楽しいからそれはそれでいいのだけど━━ただ、できればアンヨには覚えてほしくない言葉ではあった。


 宿屋『怒りの睡眠王』━━なんて名前だ。

 二階の一部屋を借りたぼくらは、みんなで楽しく過ごしていた。

 アンヨが"あれ"を発見するまでは━━

「これ、なあに?」

 彼女が見つけたのは、そう、例の山猫噛みつきマシーンこと地獄の高齢者向けオモチャ━━パッケージの商品名いわく『山猫カップンチョ』である。

 そんな生易しい擬音があてはまる威力ではないはずだが、それこそがチキ・イン社最大の特徴と言えるのだろう。つまりは、インチキ商品だということだが・・・。

「それはな、タケシが猫の餌を盗む途中で、いつ噛まれるのかを予想するオモチャだよ」

 ちょっと待て、なんだそれは。そんなルールでしたっけ?

「やりたい、やりたい!」

 アンヨがせがむのでフィリエルは頷くと「よし、じゃあやってみるか」と言った。

 ぼくの意思は確認するまでもないということだろう。意見が通る通らない以前に、まさか発言権がなかったとは・・・少なからず衝撃を受ける事実だよ。

 そんなことを思っている間に、ぼくの前には山猫のオモチャがすでに置かれており、どうやら退路はなくなっていた。

「よおし、それじゃあ予想開始だ!」

 フィリエルが告げる。どうやら始まってしまったらしい。

「オレはねぇ、5回目くらいで噛まれると思うな。アンヨはどうだ?」

「うんとね〜、う〜ん・・・8回!8回で噛まれる!」と、指を4本立てて言った。それ、かわいすぎるでしょ。

「一発」最後にロゼが、そう告げる。

 なんだよそれ、かわいくないな。

 一発って・・・さすがにそれはないだろう。ブロックの数を完全に無視したダメ予想でしかない。当てる気がないとしか思えなかった。

「よし、予想が出揃ったな」

 出揃ったか・・・嫌だなぁ。

「それじゃスタートだ。タケシ、はじめてくれ」

「わかったよ、仕方ないなぁ・・・」

 ぼくは本当に嫌だったけれど、これもアンヨを楽しませるためと思えば耐えられるだろう。とにかく、やるしかない。

 仕方なく、一番上のブロックをつまむ。

 カチリ━━と、音。

「あででででででで!」

 ぼくの手を、ぱっくりとくわえ込んでいる山猫の頭。

 逃げたいのに逃げられない、その強力な顎の力で、ぼくの手が完全に固定されてしまっている。なんだか前回よりもパワーが増している気がするし、とにかく痛くてたまらない。

「的中」ロゼが誇らしげに言う。

 ・・・当ててんじゃねーよ。

 っていうかぼく。なんで一発目で噛まれるかな。

「あはははは!」それを見たアンヨは大声で笑い転げていた。

 まあ、なんだ・・・痛いけど、幸せな気分にはなれたから、よかったのかも知れない。

 ・・・・・・。

 そんなこんなで、アンヨが眠るまで談笑はつづいた。


 明くる朝、ぼくたちは宿に馬車を預けたままで、徒歩移動することになった。アンヨが示した丘の方角へ、馬車に乗ったままの移動ができなかったからだ。

 小高い丘の方面は木々もまばらで、歩きやすそうには見える。実際行ってみないことにはわからないが、ハイキング気分で歩くのもいいだろう。

 フィリエルとロゼとアンヨが手を繋いで往来を塞ぐように歩いている。他の通行人にとっては邪魔で仕方ないものだろうが、女子供にわざわざ文句を言う人間はいなかった。

「あんたら、どこへ行きなさる?」

 民家の玄関先で、なにかの箱に座っていたおじいさんが、ぼくたちに訊ねた。禿頭のてっぺんに米粒がついているのはわざとなのか、違うのか、言うべきか言わざるべきか悩む。

 ニーナさんが、丘のほうへ行くのだと言うと、おじいさんは「そっちはフェアリーヒルと云ってな、あまり人が近づかない場所なんじゃよ。あっちの世界に連れて行かれると、昔から伝えられとるもんでな」と、言葉を紡ぐ。

 なにやらいわくのある場所なのだろうか。

 ちょっと恐いけれど、ぼくたちにはアンヨを送り届けるという目的があるので、尻込みもしてられない。

「気をつけなされ」

 いずれにしろ、強く引き止められたわけでもないので、おじいさんとはそれで別れた。結局、米粒のことは伝え忘れた。

 ただ、あっちの世界というのは気になる。

 一人だったら怖くて行けないが、ぼくには仲間がいる。

「あっちの世界って、あの世ってことなのかな?」

 フィリエルに訊かれたけれど、ぼくだってそんなことは知らない。

「そうじゃないの」いい加減に答える。

「やべえな・・・オレ、そっち系ダメなんだよな・・・」と、前にも言っていたことを再び口にするフィリエル。

 生身ではないもの=物理的にどうにもできないものが苦手なのだろう。魔術を駆使する人間の言葉とは思えないが、フィリエルらしいと言えばフィリエルらしい。

 幽霊より、絶対お前のほうが恐いけどな━━内心で呟く。

「大丈夫。いざとなったらタケシが囮に━━」ロゼが恐ろしいことを言った。

「おとりー!」アンヨも真似る。

 うん、キミのためだけに、ぼくは囮になるよ━━誓った。

 町の敷地から外れて、自然のエリアに踏み入れる。

 見慣れた草花や、見慣れない草花が自生する緑の豊富な場所だ。木々もまばらで見通しがよく、陽射しも暖かい。

 なんだか素敵な場所だ。

 丘は緩やかな上り坂になっている。小鳥や蝶、ポムポム(綿毛みたいな昆虫)やリーフドラゴン(サナギのような浮遊生物)などの姿も見られる。それらの生息には自然環境がかなり限定されるはずなので、その意味で貴重な場所でもあるようだった。

 ━━おや?あれはまさか、大ドリル鎧虫ではないか!あれは確か業者の間ではかなりの高額で取引が行われているという、超レア昆虫じゃないか。すごいな。捕ろうかな。

 やめておくか・・・何か言われそうだし。

 ちなみに昆虫の知識は前の村でこっそり購入していた『ポケット生き物図鑑』に拠る。さっそく役に立ったことが、なんだか嬉しい。

 小さな生き物を眺めながら、丘の上までやってきた。

 その先は林のようであり、奥に行くほど木々は密集していき、影が濃くなっている。

 家なんて、どこにも見当たらない。

 本当にこっちなのか?

「おいおい、本当にこっちで合ってんのか、アンヨ?」フィリエルもおかしいと感じたらしく、再度確認する。

「うん・・・えっと、あっちかな?」

 少し悩んでから、それでも方角を示したアンヨ。フィリエルの手を取って歩き出す。

 とても人家があるような雰囲気ではないが、ぼくたちはついて行くしかない。先に行けば、拓けた場所でもあるのだろうか。

 アンヨは、左へ進んだかと思えば次の木を右へ回り込み、また左へと折れる。どうも、適当に歩いている気がする。

「歩き方、めちゃくちゃだな・・・」と、フィリエル。

「迷いそうですね」ニーナさんも困惑顔だった。

 あれ、でももう、これって・・・。

「迷った」確信したように、ロゼが言う。

 まさにその通りだった━━今、どこにいるのかわからない。

 どこをどう歩いて来たのか記憶にないし、前も後ろも似たような景色がつづいている。目印などあるはずもなく。

 ━━ぼくたちは完全に迷子になってしまった。

 そう思った時だった。

 肌に触れる空気の質感が変わった。温度がわずかに変化して、辺りの匂いにも違いがあるような・・・なにか、世界の雰囲気がまるごと入れ替わったような現象が起きた。

 目に見えて、世界の色が変わっている。

 光が薄くなったのだ。

 太陽が翳った時とも微妙に違う、わずかな違和感。100降り注いでいた陽光が、7〜8割に減った感じ━━と言っても、自分自身わかりづらいものがあるが。

 そんな不思議な変化が起きたあと、ぼくたちの進路から木々が途絶えた。

 前方の眼下には、大きな町が広がっていた。



 第八章 フェアリーランド



 なだらかな丘を下って、町の入り口に着く。

 しかし町の名前が書かれているであろう、木製ゲートの文字をぼくは読むことができなかった。

 なんだろう、見たことがない文字だ。

「エルフィン、というようですね。この町の名前は」

 ニーナさん・・・読めるんスか。何語スか、これ。

 ぼくはとりあえず背負い鞄で持ち歩いていた地図を広げて確かめる。けれど、エルフィンなんて名前の町は見当たらない。ライルレントの町の周囲には、少し南にラフリンの村、ずっと北にルシアンという大きな都市があるくらいで、あとは東へ行かないと主だった町はないはずだった。

 地図上では、おそらくここは森の中。このような大きな町などあるはずのない場所である。あったとしたら、地図に書き忘れるなんてあるはずもない、大きな町だ。

 しかも、町の先にはお城が見える。あるいはそこに王がいるのであれば、王国と言って差し支えないだろう。むしろその呼称が正しくなる。

「ここ、エルフィン王国だって」

 いつの間にか家屋の前で中年の婦人と会話をしていたフィリエルが報告した。

 ご婦人はなにかに気づいたようで、こちらにやってくる。

「あれまあ、アンヨ様じゃあないかい。王様が探しておいでだよ」

 アンヨ様?王様?

「あんたら、外から来た人だね?もしかして、アンヨ様を連れてきてくれたんだね。だとしたら、王様は喜ぶよ。なにか貰えるかも知れないね」

 そこまで一気に言われて、しかしぼくたちは話についていけなかった。いったい、どういうことなんだろう。

「アンヨって、なんなの?」

 フィリエルの疑問に、ご婦人が答えた。

「あら、知らないでいたのかい?アンヨ様はエルフィン王国の王女さまなんだよ。ほら、あのお城に住んでいるのさ」

 へえ〜、なるほどなぁ。

 ━━って、マジかよ!

 そんな話は聞いていないぞ。アンヨもなにも言わなかったし。訊かなかったこっちも悪いとは思うけれど。

「おそらくここは━━」

 アンヨの件には驚かず、ニーナさんは言う。

「元の世界とは少し違った場所にある町ですね」

「それって、あの蛾人間がいた世界みたいな?」と、フィリエル。ぼくは餓人間がわからない。

「いえ、それとは違います━━彼の世界は、この世界とはまったく別のものです。ここは、同じ世界の一部分」

 なんの話をしているのだろうか?それすらもわからない。

「元々の場所が3次元だとすると、ここは4次元の先にある場所ということです。同じ世界の、裏側のようなものですね」

 やっぱり、わからない。最後まで聞いても結局ぼくは理解できなかった。ならば当然フィリエルも似たようなものだろうとややバカにして見やると、しかし彼女は納得したように頷いていた。

「なるほどね。そういやガキの頃、父ちゃんに聞いたことがあったな━━妖精の世界があるって。それがここってわけだ」

「右に同じく。わたしも聞いたことはある」ロゼが言う。

 どうも、この世界では有名な話のようだ。

 所詮"部外者"であるぼくとは違うということらしい。

「なんでもいいけどさ、あんたら早いとこ王様のところに、アンヨ様を連れて行ってくれないかね?」

 放って置かれたご婦人だが、そのことを気にするでもなく的確な意見を口にした。

「わかりました、わたしたちが責任を持ってお送りします」ニーナさんが丁寧にそう言うと、婦人は納得した様子で離れて行った。

「しかし、アンヨが王女さまとはねぇ・・・」

「わたしと同じ」

「あ、そういやロゼもだったっけな」

「む・・・忘れられていた。ショック」

「ショーック!」

 アンヨが嬉しそうに跳び跳ねる。

 でも、妖精の国というわりには、みんな普通の人間に見える。そもそもアンヨが普通の女の子なので、まさか妖精の国から来たとは夢にも思わなかった。

 ぼくのイメージが間違っているのか、あるいはそれ以外の理由があるのか━━とにかくここは、妖精の国であるらしいのだ。


 お城の門前には、二人の兵士が立っていた。

 すでにアンヨの姿を遠目から確認していたようで、警戒されることもなかった。ニーナさんが事情を説明し、アンヨも拙い言葉でそれなりに説明しようと努力してくれたおかげで、ぼくたちはお城の中へと通されることになった。

 どうやらこのまま王様との謁見となるようで、少しだけ緊張してくる。妖精の国の王ともなれば、それなりの人物であろう。なるべく粗相のないよう、しっかりしなくては。

 大きな両開きの扉を開けて、いよいよ王の間へと通される。

 玉座にものすごく小さい男が座っている。

 その人物はアンヨの姿を確認すると、玉座から転がり落ちるように走り出すと、こちらへやって来た。

「アンヨちゅわーっん!もぉーっう、どこ行ってたのよぉ!パパたん心配し過ぎて尿管結石になっちゃったのよぉ!」

「アンヨ!ああ、わたくしのアンヨ!無事に戻って来てくれてママたんは嬉しいです。さあ、いらっしゃい」

 王様もそのお妃も、どこかおかしな人たちだった。ちなみにお妃さまは普通の背丈があるけれど、王様のほうはアンヨと大差ない身長である。

 めちゃくちゃ小さいな・・・このオッサン。

「パパたんママたん、アンヨお外で遊んで来たよ」

 親の心配など、子供は知らないもので━━アンヨは無邪気に報告する。

「あなたがたが、アンヨを連れてきてくださったのですな!」王様は潤んだ瞳をこちらに向けて(かわいいおめめだ)そう言った。

「わたくしはエルフィン王国国王・シイシと申す。こちらは妻のネンネです」

「ネンネと申します。この度は、大切な娘を保護していただきまして、心より感謝いたします」

 そこでニーナさんが代表してぼくたちを紹介し、さらに事の顛末を詳しく説明した。"外の世界"で、それもかなり遠くまで歩いていたという事実に二人の表情は凍りつき、アンヨを抱き締める力も強くなった。

「そんなところまで行っていたなんて・・・これからは気をつけておかなければなりませんな。本当に、大事がなくて良かった━━あなたがたは、わたしたちにとっては英雄です。大切な娘を救ってくれた、英雄なのです」

 迷子を送り届けただけが、とうとう英雄になってしまった。世の中は、なにが起こるかわからない。

「お礼と言ってはなんですが、国宝でもある短剣を差し上げようと思います。なぜかと言いますと、この国には争い事がありません。なので、本来武器は必要ないのです━━ですから、あなたたちが持っていたほうが価値はあるでしょう」

 なぜ必要のない武器があるのか、そんな簡単に国宝をあげちゃっていいのかなど、言いたいことはいろいろあったが。

 シイシ国王が奥へ引っ込んで戻って来ると、その手には鞘に入った短剣が握られていた。

 さすがは国宝と言うべきか、それなりの装飾が施されている。売ったらいくらになるだろう。

「では、これを、あげちゃいます。おめでとう」などと言って手渡すので、それをニーナさんが受け取った。

「短剣ですか・・・フィリエル、どうぞ」さらにフィリエルへと手渡す。

「サンキュー。父ちゃんの短剣、折れちまったからな。これ使おーっと」

 全然国宝だと意識していない、軽い気持ちのフィリエル。でももうぼくたちのものなので、どう扱おうと文句はあるまい。

「では、わたしたちはこれで・・・」

「えー、帰っちゃうの?」

 帰ろうとしたぼくたちに、アンヨが悲しそうに言う。

 ぼくもなんだか悲しくなる。できればいっしょにいたい。アンヨはそれくらいかわいい。自分の子供にしたいくらいだ。

 これは、誘拐者の思考なのでは?と、ふと感じたけれどかぶりを振る。ぼくは犯罪者ではない。あくまでも純粋な好意である。

「仕方ねーよ。オレたちまだ旅の途中だから」

「うん・・・また来てね?」

「おう、ぜってーまた遊びにくっから、父ちゃんと母ちゃんの言うこと聞いて、元気にしてるんだぞ」

「うん・・・ぜったい、ぜったいまた来てね!」

「ああ、約束だ」

「お姉ちゃん、大好き!」

 その言葉はまるで魔術のようで━━

「くうううっ、別れたくねえええ・・・」とフィリエルの足を遅らせる。ちょっとプルプルしている。未練が大きすぎるらしい。

 ロゼがその背中を押してやる。

「行くぞ。またきっと会える」

「あ、それと町のほうにお触れを出しておきましたから、歓迎されると思いますが、気にしないでください。帰りの案内役も用意してあります」

 背中に声がかけられた。


 城から出ると、町の中は人で溢れかえっていた。どこから湧いてきたのか、来た時とは活気が違いすぎた。よく見ると明らかに人間ではない者も見受けられる。突然、妖精の国の本領を発揮された思いだ。

 前方に立っていた薄緑色した髪の男が一礼する。

「ぼくは、帰りの案内役を任されましたニイニと申します。町の入り口におりますので、ぼくのことはお気になさらず、町を見て回っていただいて結構です。お帰りの際に言っていただければ、外の世界へお連れいたしますので」

 それだけ言うと、ニイニはすぐに行ってしまった。

「せっかくだから、町の中、見て回ろうぜ」

 そう言ったフィリエルの意見に同意したぼくたちは、やたらと賑わう町を歩いた。

 行く先々、すれ違う人や人ではない者たちから、何度も喝采を浴びる。どんな言葉で触れ回ったのか、アンヨを送り届けただけでこれほどの歓迎を受けるとは、信じられない。

 なぜかわからないが、あちこちに屋台が出現していた。この短時間にどこからどうやって出てきたのか、けっこうな数の屋台がある。すっかりお祭り騒ぎじゃないか。

「おい、あれって輪投げじゃないか?」

 フィリエルが見つけた屋台には、奥に五段の棚があり、そこに大小の景品が並べられている。オモチャのリングがたくさん用意してあるので、それを投げて景品に掛けるのだろう。

「レッツ、チャレンジ」ロゼはすでに店の前だった。

 だが、店主がいないじゃないか。と思ったら台の上にいた縞模様の猫が言葉を喋った。

「一回三百ネンりん。やるりん?」

「うっわ!猫が喋った!」

「化け猫」ロゼも目を丸くする。

「妖精の国ですからね」と、ニーナさんはこともなげであるが、猫が急に喋ったら、誰だって驚くだろう。

 ぼくだって驚いたよ。

「やるりん?やらないりん?」

「やるりん」言って、ロゼが三百ネン分の硬貨を置く。

「それでは輪っかを3つ、どうぞりん」

「ありがとりん」

 ロゼはリングを受け取ると、半身を引いて構えた。狙いは━━おそらく最上段『アンヨ姫のサイン色紙』に違いない。多分。

 ぼくはそれが一番欲しい。あの、なんて書いてあるのかわからないところが素晴らしい。「アニコ」って読める。

「一撃必中!」ロゼが気合いとともにリングを投げる。

 猫の顔面に直撃させた。

「痛いりん」

「す、すまん」

 今度は慎重に、もう一度投げる━━猫の顔面に命中!

「だ、大丈夫か、猫さん!」

「大丈夫りん。全然痛くないりん」

 どっちなんだ。痛いのか痛くないのか。

「えいっ!」

 もうヤケになったのか、最後の一投はあさっての方向に飛んでいった。

 ロゼ、コントロール悪すぎるだろ。

 そして猫の顔面がコツンと硬そうな音を立てていたのも気になる。なにでできているんだよ、猫さん?

「オレにまかせな」

 次はフィリエルが挑戦するようだ。お金を支払い、リングを受けとる。

 結果━━三回のうち二回が成功となり、景品をゲット。アンヨ姫サイン色紙と雑な作りの猫のぬいぐるみを手に入れる。

「やるよ」フィリエルはロゼに景品を譲った。

「ベリベリハッピー。超感謝」

 うらやましい。正直、あのサイン色紙だけはうらやましい。

 その後は食べ物の屋台にいくつか立ち寄り、それ以外の店なども見て回る。来るときには気づかなかったオモチャ専門店を見つけて、ロゼが吸い込まれるように中へと入る。

 勝手な行動ばかりして、とは思ったが、ぼくたちも一緒に入店した。

 ほお、さすがは専門店だけあって、種類が豊富だ。どこかで見たことのある拳闘士のオモチャを見つけたが、微妙に違いがあるようだ━━拳闘士の人形と全体の配色が異なる。もしかすると、こちらが通常版というやつなのか。買おうかどうか少し迷うが、買ったとしても遊んでくれる相手はもういなさそうなので、諦める。

「仕入れ完了」

 いつの間にか購入を済ませていたロゼは、両手にそれぞれ紙袋をぶら下げていた。何個買ったんだよ?

 業者かよ?

 どうせまた売却することにはなるだろうなと思いつつ、少しだけ楽しみでもあった。例のメーカーの商品を買っていないことだけを願う。

 一通り町を見て回ったぼくたちは、その入り口へと戻ってきた。

 ゲートのすぐ外で、案内役のニイニが待っていた。

 こちらへ再び一礼する。

「もうお帰りになりますか?」

「はい、お願いします」

「承知いたしました。では、ご案内いたします」

 ニイニに案内され、丘へのぼり、林の中まで行く。

 来た時と同様に、いつの間にか変化するのかと思いきや、そうではないらしかった。

「普通は、簡単に行き来できるものではないのです。アンヨ様は特別な力をお持ちなので、それができるのでしょう」と、ニイニは説明した。

 石碑のようなものが等間隔に三角形を作っている所があった。ニイニはその中までぼくたちを導くと、立ち止まった。

「それでは、外の世界へお送りします」

 言って、一拍一礼。両手を頭の上まで高く上げると、その場でゆっくり回転を始める。

「チョッピリ・ネッチョリ・グッチョリ〜ナ!」

 なんだそれは。真面目にやっているので笑ってはいけないと思えば思うほど、笑いの衝動が込み上げる。

 ぼくが笑いの衝動と戦っている間に、辺りの雰囲気は一変していた。

 いつの間にか、元の世界へ戻ってきたようだ。

 ニイニがまだいたので、実感は湧かない。

「外の世界へ来ました。わたしはここで失礼しますが、別れの際に言伝てるよう、国王から言われた言葉があります」

 なんだろう。

「『あなたがたを友と認め、エルフィン王国の名誉国民としますので、いつでも、好きな時にいらしてください』とのことです」

 名誉国民・・・住んでもいないのに、か。

 でもまあ、アンヨの父から言われたと思えば、嬉しいものだ。

「つきましては、エルフィンへいらっしゃる際にはこちらの鈴をやかましいくらいに鳴らしていただけますと、ぼくたちの耳に届きますので、お迎えにあがります」

 やかましいくらいにって・・・ニイニは青みがかった金属製の小さな鈴をニーナさんに渡した。

「それでは、失礼します」

 すーっと、ニイニの姿がかき消える。あの変な踊りはしなくていいのかよ、と思った。


 宿に戻る途中━━行く途中にも話しかけてきたおじいさんがまたしても話しかけてくる。前とまったく同じ場所で同じように座っていて、その頭部にはやはり米粒が付着していた。いや、あるいは米粒ではないのだろうか?前衛的装飾具の類いかも知れず、やはり指摘することは躊躇われた。

「あんた、あんたの持っとるその短剣は━━」

「これ?これは貰い物だよ」フィリエルが手にしていた短剣を見せながら説明した。

「誰に貰ったんじゃ?」おじいさんは目を大きくして、食い入るように見つめている。

「アンヨの父ちゃん━━妖精の国の王様に貰ったんだよ」

「なにいっ!なんじゃって・・・あんたら、あっちの世界に行ってきたってぇのかい?」

「そーだよ。おもしろかったぜ、あっちの世界」

「なんと、信じられん。しかも何事もなく帰ってくるとは」

「別に、危ねーことなんて、なんもなかったぜ?じいちゃんも行ってみたらどうだ?」

「おすすめランド」

 ロゼがなにやらピースサインを見せる。

「その短剣は━━」

 おじいさんが言う。

「この地方に伝わる伝承の中に出てくる"風切りの短剣"ではなかろうか・・・その昔、この地を訪れた魔術師と妖精の王が共に力を合わせて、邪悪なる悪魔の軍勢を退けたのち、魔術師から王へと贈られたという魔力を秘めし奇跡の短剣」

 よく知ってるな。そして、よく喋るよな、おじいさん。

「まさか生きている間に見ることができようとは・・・長生きもしてみるもんじゃのう」

 と、なんとなくよく聞くセリフを聞かされる。いや、はじめて聞いたセリフだけどね。既視感というやつだろう。

「よかったな、じいちゃん。まだまだ長生きしろよな、もっとすげえもんが見れるかも知れないぜ」

 その言葉に、まさか裸でも見れるのかと勘違いしたおじいさんが身を乗り出したみたいだけど、ぼくたちは挨拶とともに歩きだしていた。

 頭の米粒は、結局なんだったのだろう。


 宿屋に戻った。

 ぼくは両手に目一杯持たされた荷物からようやく解放された。

 すでに荷物持ちとしての人生はいつの間にかスタートしていたようで、ぼくの意思には関わりがないようだった。

 また両肩をやらかしたかも知れない。関節に変な痛みが走っている。

 オモチャとぬいぐるみとアンヨのサイン色紙を広げてホクホク顔のロゼと、国宝級の短剣を入手したフィリエルは本当にいいよなぁ。そりゃ、楽しいだろうさ。

 ぼくは多少の美味しいものが食べられたってくらいで、あとはもうただの従者と成り果てていた。

 拳闘士のオモチャ、買ってくればよかったかなぁと、今更ながらに思ってみる。

「しかしこの短剣、そんなにすげえモンなのか」

 と、フィリエルが無造作に鞘から短剣を引き抜くと━━

 彼女の居場所を中心にして、部屋の空気が動いたのがわかった。肌で感じたその出来事に、魔術師ではないぼくですら、短剣に秘められた力が理解できたような気がした。

 おじいさんが話した伝承とやらも、疑ってかかるべきではないのかも知れない。

 明らかに魔術の力を有したその短剣を、フィリエルはあろうことかぼくの方向に振ってみせた。

 ひと振り━━それはたったのひと振りだったのだが、シュシュシュッという幾重にも重なる風切り音が発生し、ぼくの髪の毛がぶわっと上がり。

 目を細めた時にはすでに、顔面がズタズタに引き裂かれていた。

 多量の出血の中、目の前に表示したライフポイントが一気にゼロをカウントする。

 だよね。

 これはやっぱり、死んじゃうよね━━

「こっわーっ!なにこの短剣、こっわーっ!」

「危険等級、最上級」

 そんな少女たちの声を最後に、ぼくはあるいは、永遠の眠りへと沈んでゆく。



 第九章 フラストリアの惨劇



 工業都市・フラストリア。

 マクシマーグ地方最東端のこの都市が、東西の工業生産における中心地でもあった。

 機械仕掛けの半自動生産機構のほとんどが、この都市で造られて世界の方々へと輸送される。それは機械の部品であったり、地方でも生産可能な製品の設計図面である場合も含めて。

 ゆえに、文明の最先端という意味において、世界の中心地であると言うこともできた。

 およそ二百年前の開闢以来、東西の中継地として急速な発展を遂げた大都市である。


 その都市の北側に位置する魔術師協会フラストリア支部の建物は、地上八階、地下三階という広さを誇る。これは、工業都市最大の企業であるバシャダ社の本社工場に次ぐ大きさだった。

 支部の中━━地下三階。

 最も厳重に守られた深部の宝物庫は、魔術による障壁と扉で虫一匹すら通さぬほどのものである。その上、常に複数人の限られた資格を持つ上級魔術師により監視されているので、なんぴとたりとも侵入することはできない━━はずだった。

 宝物庫の扉はすでに解放されている。

 床は一面が血の海となり、三人もの上級魔術師がすでに息絶えて転がっていた。

 惨状の中で、男が一人笑みを浮かべる━━

 愚かなり、魔術師ゼガロア━━そのような独白を、他に誰もいないフロアで一人喋る。右の手には邪悪なる神のスカル、左手には神さえ殺す邪竜の逆鱗。身につけたローブは殺された者たちと同じ、上級魔術師にのみ着用が許された白のローブ。それが今はほとんど赤に染まっている。

「愚者は表層のみを視る。常に、それは真理なり」

 破壊された最後の封印が解かれ、分厚い鋼鉄の蓋が開く。

「愚かなるゼガロアは邪神の気を吸い込んだだけで、その力を我が物としたなどと錯覚し━━」

 箱の中には"次元があった" 。

「邪竜の障気を取り込んで、力を得たと思い込む」

 見た目にはわからない。人の目には、歪んだ空間にしか見えない。しかし、そこには"D"という物質が存在する。"D"は次元に関わる物質である。

「愚か者には手にできない、本当の力というものを、わたしはここで手に入れる」

 男が"D"にスカルを入れる。

 次元物質に触れたことで、完全に死んでいたはずのスカルに気配が戻る。

 太古の邪神の魂が、はるか遠くの時空の果てより舞い戻る。

 暗き魂が黒色の霧となり、神の形を成してゆく。

 それはスカルの表面に、太古の邪神が持った顔を甦らせていた。

 想像を越えた邪悪な表情は、いかなる文献に残るものとも違って見える。実物を見た者などいないであろうから、当然か。

 ━━邪神は語る。声なき声で。

「神の子供よ、我が肉となり、我に従え」と。

 しかし男は動じない。なんの用意もなく、このような無謀を行うはずもない━━対抗手段なら、左手に存在する。

 神殺しの、逆鱗。

 それは真実、神をも屠る邪竜の鱗。

 それを突き付け、邪神との交渉に臨む。消滅か、共生か、選択を迫る。が、邪神に選ぶ余地はない。

 男の目論見通りに、シナリオは進む。

 消滅を恐れた邪神の魂は"D"の次元へ男を繋ぐ。肉体が置換され空間の皮膜をすり抜ける。

 "半歩後ろの世界"の中で、男は新たなる力を得、未知なる次元の魔術を手に入れる━━


 緊急アラームが鳴り響いた。

 魔術師協会フラストリア支部にその音が鳴り響いたのは、建設以来はじめてのことだった。

 当然だ。その音は元来鳴ってはいけないはずの音だ。並の事態ではまず聞く機会などないはずの。

 最初に殺された上級魔術師の生命反応が一定時間以上途切れたことによって、その警報は発動した。

 緊急事態発生。

 誰が言ったわけでもないが、支部内の魔術師すべてがそれを悟った。死亡した魔術師の名前と、その人物の居場所が特定されると、責任ある立場の数名が早くも階段を駆け降りて行く。

 さらに、旧知の支部長と世間話をするだけという非公式の目的で偶然訪れていた"三賢人"の一人、〈聳え立つ畏怖〉ジャブロッカ・ピャーニャは素早い判断を下した。

 機知に優れるからこその賢人であり、強大な魔術を有してこその頂点━━それを知らしめるかのような鋭敏な判断と動作で、めったに展開することのない規模の上級魔術を発動させる。

 それは、空間そのものを閉じ込める、檻の魔術である。

 外からは、魔術師ではない人間の目にも、魔術師協会の建物が球状の薄い膜に覆われた姿が見えたはずだ。

 これは内からも外からも通過することができない、絶対の壁である。

 なにが起きたにせよ、誰一人のがさず、誰一人侵入させないための最良の措置と言えた。

「賊が入ったか?」支部長が確認を求める。

 しかし、誰もまだなにが起きたのかを把握してはいない。しかし上級魔術師の命が失われたことは間違いなかった。

 ━━なにがあった?

 賢人ピャーニャさえ、そう思っていた。


 血肉が舞い、臓物が飛び散る━━あり得ない光景。

 そう、それはあらゆる意味であり得ない。地下二階へと駆けつけた魔術師たちが、いとも簡単に殺されていく。しかも、普通の殺されかたではない。

 "全身が真っ赤になり"血肉と臓物を撒き散らして絶命するのである。これは、魔術の成せるわざですらない。

 男は悪魔と化したのか、あるいは邪神そのものか。

 対する魔術師たちの攻撃の一切が、男には通用しない。手応えがなく、当たったと思っても仕留められない。上級魔術師ですら、力の正体がわからぬまま、全身を真っ赤に染める。

 地下二階が血に沈むと、男は上階を目指す。

 その足取りは遅く、慌てた様子は見えない。まるで、殺戮を楽しんですらいるようだ。

「貴様はッ、グロワーリ!」

 上級魔術師の中でも位の高い一等魔術師であるデテキッテ・スグシヌスはその男の名を叫んだ。

 特級魔術師フレイスラ・グロワーリ。スグシヌスよりも位の高い、協会全体で十人にも満たない大魔術師の一人。

 その男が、よもやこのような凶行に走ろうとは、誰も想像できなかったであろう。

「このようなことをしでかして、もはやただの死罪では済まされぬぞ!」

 前後左右を血と肉に囲まれて、グロワーリは立ち止まっていた。余裕の表情で、笑みさえ浮かべる。

「それは先刻承知している━━しかし、もはや我を裁ける者など存在しない。人間には、それが不可能だからだ」

「なにを言うかッ!」

 スグシヌスが魔術の炎を放つ。

 ごくわずかな時間の中で、数百もの炎の弾丸が連続してグロワーリに降り注ぐ。一度に放たれる限界まで、それはつづいた。

 一等以下の魔術師であれば、たとえ障壁を張っていたとしても持ちこたえることができないほどの、猛烈な炎の魔術である。

 無傷で済む道理はない。

 だが、グロワーリの体に炎はなく、ローブさえ無事なまま。

 ━━そんなことは、あり得ない。

 スグシヌスは愕然とする。いくら特級魔術師といえど、魔術を展開させずに避けきるなどという芸当は不可能なはずだ。しかも、ヤツは指一本動かしてはいないのに!

 スグシヌスの目が、化け物を見るそれに変わる。

 グロワーリの体が点滅して見える。

 なんの魔術だ?

 あるいは、魔術ではないのか?

 なにもわからない、理解ができない。

 グロワーリが近づいてくる。一歩、また一歩と。

 灼熱の獄炎を現出させる。グロワーリの足元から人体を消し去るほどの超高熱の火柱が上がる。

 それでもなお、手応えがない。まったく当たらない。まるで、目の前にいる男が幻であるかのように。

 ならば、向こうとてわたしに触れることはできないだろう。そう考えたスグシヌスの体に、グロワーリが触れた。

 瞬間━━

 瞬きの間に見逃してしまうようなコンマ何秒かの時間、二人の姿が消え、再び現れる。と同時に『パンッ!』となにかが破裂したような音がして、すでにスグシヌスは全身が赤に染まっている。骨や血肉が落下して、おぞましい音を立てた。

「なんという・・・」

 駆けつけたフラストリア支部長が、踵を返す。目の前の相手が自分の力量を上回ることを悟った、賢明な判断だった。

 階段を駆け上がり地下一階、さらに地上一階まで一気に走った。とても高齢とは思えない速さだったが、相応に息は上がっている。

「た、大変だぞあれは・・・特級の力を越えている!」

「地下三階・・・禁書でも開いたのか?」賢人ピャーニャは支部の正面出入り口で待ち構えていた。

 ここから、一歩も出してやるつもりはない。

 まだ生きている魔術師たちは、数人だけを残して上階へと待避させていた。もう、地下へ向かう者はいない。

 静かな靴音が、階段を上がって来る。

 地下へとつづく通路から、血にまみれた魔術師が姿を見せる。柱の陰で待ち伏せていた二級魔術師が剣で斬りかかった。

「やめろ!」ピャーニャは警告したが、すでに聞こえていない。

 パンッ!

 鋭い音が響いて、魔術師は己の血溜まりに沈む。

「これは━━もはや魔術ではないな」

 ピャーニャはそれを確信する。だが、肝心の正体はなんなのだ?力の謎がわからぬまま、対処するしかないのか。

 ━━勝てるだろうか?

 魔術師たちの頂点に立つ者が、はっきりとそう考えていた。

 相手はそれほどの敵である。

 神にでも向かうつもりで、戦わなければいけないだろう。

 ピャーニャは魔術の力で床石を剥がし、それを高速でグロワーリへぶつける。衝撃で石が砕け、しかしグロワーリは無傷で同じ位置に立っている。確実に当たったタイミングだったのに、当たっていない。体をすり抜けたとしか思えなかった。

「どうなっておるんじゃ?ヤツは、幻なのか」

 そんなわけがない━━しかし、つづけざまに放った拘束の魔術も効かなかった。自由に体を動かして、こちらへ一歩近づく。

「残念でしたな、ピャーニャ先生。もう"あなたごとき"の力では我を止めることはできない」

 不敵な笑み。また一歩近づく。

「貴様、グロワーリ、いったいなにをした!」

「冥土の土産ということならば、教えて差し上げよう━━我のこの力は、邪神ザブナマルクより与えられし、次元の魔術なり」

「次元の魔術だと・・・?」

「想像すらできまい。これがすなわち、神の力。表と裏、我こそが真にこの世界を手に入れし者なり!」

 そこで、グロワーリは走り出した。

 賢人・ピャーニャへと向かって。すでに支部長は身動きすることを忘れている。それは、大魔術師であるピャーニャが、現時点における最後の砦だとわかっていたからだ。

 彼がどうにかできなければ、そこで終了。それが、彼の下した唯一無二の判断だった。

 もはや無駄であることはわかっている。

 それでもピャーニャは最上の障壁を置く。

 グロワーリが迫る━━

 その時、ピャーニャとグロワーリの間に突然降ってきたように、人影が現れた。

 三賢人の一人に名を連ねる、大魔術師スカーレット。まだ若いその女は、しかしピャーニャすら足元に置くほどの力を持っている。

「スカーレット!」驚きと警告、二つの意味でピャーニャは言った。

 しかし、もう間に合わない。

 グロワーリの右手がスカーレットの腕に触れる━━

 パンッ!

 なにかが破裂するような音、そして・・・スカーレットからは出血がない。血肉の塊になっていなかった。

「なっ!」これにはグロワーリが驚く。

「ざ〜んね〜ん!」スカーレットが笑う。

「貴様っ、まさか━━」

「超時空ぱ〜んちっ!」

 ふざけたようにそう言って突きだしたスカーレットの拳は、すべての攻撃が当たらなかったはずのグロワーリの顔面を見事に捉えて、吹き飛ばした。

 ピャーニャさえ、目を疑う。

 ただの拳の一撃で、倒したというのか。

「申し訳ないです、ピャーニャ先生。ちょっと来るのが遅れてしまいました」スカーレットは謝った。

「謝ることはなかろう。本当に助かった・・・感謝する」

 ピャーニャとしても、そう言うよりなかった。彼女が来ていなければおそらくは・・・。

「ヤツの、あの力は?」

 スカーレットであれば、答えを知っている。そう確信したピャーニャが訊いた。

「彼は、次元を行き来する能力を手に入れたようですね」

「なんじゃと・・・それこそが、邪神の力か。その力で、彼らをあのような姿に変えたのか」

 血と肉の海を見やり、言う。

「彼は次元を越えられます。ですが本来、三次元の生物である人間には、それができません」

 うめき声を上げて、グロワーリが起き上がろうとしている。

「そこで彼はその特性を利用して、本来行き来できない普通の人を強制的に四次元へ移し、すぐさま三次元へと戻します。この時、人間の体の"表と裏が逆転する"のです」

 だが、スカーレットの説明を完全に理解した者はいなかった。ピャーニャでさえ、にわかには飲み込めずにいる。

「それが彼の、力の正体」

 立ち上がりかけたグロワーリに向けて、スカーレットは手のひらを向けた。

 グロワーリの体が痙攣する。

 その体内から黒い霧が漏れだしてきた。目や鼻や口、あらゆるところから発生している。

「なんという禍々しき力か」

 賢人ピャーニャさえ怖れる、それは邪神の魂だった。

 スカーレットがさらに腕を伸ばすと、グロワーリの上方に真っ黒な渦が出現する。

 グロワーリから発生した黒い霧が、真っ黒な渦へと吸い込まれてゆく。

 時間にしてわずか数分。

 黒い霧が途絶えたところで、渦が小さくなっていき、跡形もなく消滅する。そこには床に倒れたグロワーリの体だけが残されていた。

「これでもう、彼は本来の魔術師に戻りました。先ほどのような力はありません」

「と、捕らえるのじゃ!」それを聞いた支部長が、残っていた魔術師たちに指示をだす。

 拘束の魔術と、どこからか持ち出した縄により、グロワーリの体が必要以上に固められる。

「スカーレット、本当に助かった。わしらだけでは、おそらくどうにもならなかった」ピャーニャが言った。

「いえ、本当ならば、犠牲を出す前に気づかなくてはダメでした。気づけなかったことには、責任を感じます」

 スカーレットはそう言ったが、彼女の責任など問えるはずもない。それは自明の理だった。

「ところで、どうやってここへ来た?わしが障壁を展開していたはずだが」

「わたし、フリーパスなんで」

「は?」

 その答えに、思わず間抜けな表情で返したピャーニャ。事の終決を知った魔術師たちが上階から押し寄せた上、支部長にも指示を仰がれたためそれ以上の会話はできなかった。

 悲惨な現場を、片付けなくてはならない。

 殉職した多くの魔術師への弔い、その遺族への説明、グロワーリの処分━━仕事が山積みになった。

 元々、ちょっと顔見せに来ただけだったが、まさかこのような事態になるとは。さすがの大魔術師でも予想外のことであった。


 最上階━━支部長室内。

「私用のほうが思ったより早く終わったので、今は時間があります。しばらくこちらでお手伝いしましょうか?」

 それは、協会の仕事にあまり関わることのない女にしては珍しい提案だった。はじめてのことだったかも知れない。

「それは助かる。なにぶん、人が減ってしまったことだしな」

 苦い顔のピャーニャはため息をついた。被害はあまりにも大きく、多くの優秀な魔術師たちが命を落とした。さながら、短い戦争を終えた気分だった。

 今回の出来事は、魔術師協会全体にとっても、大きな損失である。その埋め合わせなどできはしないだろう。

「しかし、おぬしの魔力は凄まじいな、スカーレット。それほどの力を、いったいどのようにして得たのだ?」

 ついに、この質問ができた。大魔術師はそう思いながら、だれもが知りたかった答えを待つ。彼女と会話をする機会自体が貴重なものなので、訊きたいことは山ほどあった。

「う〜ん、どのように、と云うことであれば・・・多くの偶然が重なって━━としか説明できませんね」

 はぐらかされたのか、スカーレットの説明は曖昧だ。

「元々、望んで得た力ではありませんので」

 それは貴重な情報だった。そもそも、素質がなければ魔術師にはなれず、かと言って才能だけでも一流にはなれない。特に上級魔術師を目指すのであれば、多くの修練を経てしか到達することはできない。素養もなしに、生まれ持った能力だけで大魔術師になった人間など、歴史上存在しないのだ。

 まさか、彼女がその、最初の一人だとでもいうのか。

「神の力か?」

 思わず、そう言っていた。

「いいえ、人間の力です」

 珍しくそこだけは、厳しい声で彼女は言った。

「すまぬ、言葉を違えたようだ」

「いえ、お気になさらず。まあ、ぶっちゃけますと、わたし、この世界の生まれではありませんので━━それに、もうすぐこの世界を離れる予定もあるので、協会から去ることになると思います。なんて、いきなりこの場を借りたついでに申し上げました」

「なんと・・・」

 スカーレットの告白はあまりに突然で、あまりにも衝撃的な内容だった。それでもどこか、彼女がこの世界の人間ではないということに、納得ができてしまう。逆に、それくらいの秘密がなければ納得はできなかっただろう。

 力の正体が、存在の秘密がついに明るみに出た。

 が、それを知ったところで、今更関係性が変わるようなことではなかった。純粋に、自分より優れた魔術師は、やはり普通の存在ではなかったのだという感動のほうが勝った。

「やはりおぬしは、神に遣わされた人間であったか」

「遣わされてません。自分で来ました」

 即座に否定すると、スカーレットは仕事に向かった。

 人手は、いくらあっても足りない━━



 第十章 不死者の栄光



 ライルレント、及びエルフィンの町をあとにしてから数日が過ぎた。次なる町へ到着するには、まだ時間がかかりそうだ。

「あ〜あ、なんかアンヨいないの寂しいよなぁ」

 暇をもて余したフィリエルは、どういうつもりかインクで表情を描いてしまった金のインゴットを人に見立てて遊んでいる。人間、暇をもて余すとろくなことを考えないな。と、学習する。

 それにしても、寂しい気持ちはぼくとしても同じだったので、共感はできた。アンヨには、すでに仲間意識があったし、あの小さなお姫様は見ているだけでも癒しになった。

「タケシを置いてくればよかったのに」と、フィリエル。

 まったくだ、ぼくもそう思うよ。

 町で購入した額縁に入れられた"アンヨ姫のサイン色紙"を眺めながら、彼女の愛らしい容姿を思い出す。

 ほんとに寂しくなってきた・・・。

 また会えるといいな、本当に。いや、いつか絶対会いに行こう。ぼくはぼくの魂にそんな誓いを立てる。

 こんな感じで、ここのところ事件もなく、ほとんど平和ボケしていたぼくたちであったが、事件はいつだって、ある時突然に訪れるもので━━

「化け物発見!エンカウント!」

 ロゼの大きな声が響いて、馬車が停止する。

「よっしゃ任せろ、オレが細切れ肉にしてやるぜ!」

 と、勢いよく飛び出そうとしたフィリエルだが、どうやらぼくが邪魔だったようで、思い切り突き飛ばされてしまった。

 頭から地面に落下して、ライフのほとんどが削られた。

 あっぶな!ギリギリで死ななかったよ、ラッキー!

 揺れる視界の中、それでもなんとか確認すると、フィリエルがトカゲのような化け物と対峙していた。

「ちょちょちょ、ちょぉーっとお待ちになってぇ!」トカゲ人間とでも言うべき怪物が、あろうことか人語を喋った。よく見るとボロっちいながらも、ちゃんと衣服を着たりしている。

「あたくし、悪い化け物じゃあないんですよぉ!」トカゲ人間が慌てながらも、必死に弁解するように話す。その仕草はまるっきり人間と一緒だった。

 悪くないかどうかはさておき、ちゃんと化け物を自称するところに、ぼくは好感をいだいた。なんだか本当に、悪い化け物には見えない。

「ホントかぁ?悪いやつほど言いそうなセリフじゃねーか」

「いやいやいやいや、よぉく考えてくださいよお姉さん、本当に悪い化け物が、こんなこと言いますか?」

 確かに、本当の化け物ならば、問答なんてしないだろう。いいぞ、トカゲ人間。その調子でフィリエルを納得させるんだ。と、ぼくは心の中で応援する。

「ん〜、そう言われてもな、はいそうですかと納得するわけにゃいかねーって。見た目、化け物なんだからさ」

 頑なな女だな。なかなか納得しないぞ。

「見た目はそれはそうなんですが、それは偏見というものですよお姉さん。見てください、あたくし、武器なんて持っていないじゃないですかぁ。暴力って、嫌いなんですよぉ!」

 おお、化け物らしからぬ言葉。人間よりもよほど善良な化け物ではないのか。フィリエルよ、上っ面だけ見てないで、彼の人間性(この表現で正しいのか?)で判断するべきじゃないのか?

「その顔でそんなこと言っても・・・って、よく見たらお前どっかで見たことがあるような?」

 おや?フィリエルさん、化け物にお知り合いでも?と思ったら、まさにその通りだったらしい。

 なにかを思い出したフィリエルが、指さして叫ぶ。

「あーっ!お前、あん時のトカゲ野郎じゃんか!」

 その言葉に、ぼくはもとより、トカゲ人間も驚いたようで、目を見開いている。小さな目だけど。

「ええ?そういうあなたは、もしかしてぇ・・・かつてあたくしを悪い悪ぅ〜い行商人から救いだしてくだすった、盗賊団のお嬢さんではないですかぁ!ああ、今はっきりと思い出しましたぁ、あの時はありがとうございましたぁ。助けていただけなかったら、あたくし今頃トカゲの革になっちゃってますよぉ!」

 なんと、そんなことがあったとは・・・いや、以前にトカゲがどうとかフィリエルが話したことがあったような気もするが、よく憶えてないなぁ。

「いやぁ、ひさしぶりだなトカゲ野郎!」

 しかし酷い呼び方だな、フィリエル。少しは気をつかえよ。

「あたくし、リザードマンのゲンシロウといいますぅ。助けていただいた時にも名乗りましたと思いますが、改めてお見知りおきください〜」

 彼はトカゲ人間でもトカゲ野郎でもなく、リザードマンという種族のようだ。名前がどことなくカッコいいな。

「ところで他のお仲間や、親分さんはご一緒じゃないのですかぁ?」

「ああ、父ちゃんたちは故郷で元気にやってんだ。オレは今、こいつらと旅をしてるってわけ」

「そうだったんですかぁ。道理でこんな所にいらっしゃるわけだぁ」

「お前は、この辺に住んでんのか?」

「ええ、少し先の"毒の沼地三丁目"に家があるんですけど、これから年に一度の獣人組合大運動会に出場するのでぇ、秘密の地下大空洞運動公園に行くところだったんですよぉ」

 なんだ?いろいろ情報が多いな、リザードマン。ゲンシロウ。

「はぁ、なんだかわかんねーけど、まあ、かんばれよ」

「あっ、そうだ!」と、リザードマンのゲンシロウはなにかを思い付いたようで、手を打ち鳴らした。

 中に人間が入っているわけじゃあないよな?

 見た目さえどうにかすれば、完全に人間として通用するな、彼は。

「せっかくお嬢さんと再会できたところで、一つお願いがあるんですけどぉ」

「なんだよ、言ってみな」一応、フィリエルは話を聞く気があるらしい。旧知の者にはやさしかった。

「実はそのぉ、今年に限ったことではないんですけど━━運動会のほうが、年々参加者が減少傾向にありまして、今年は特に人手不足となり、困っているんですよぉ」

「まさか・・・」

「よろしければ、是非ともお嬢さんがたにもご参加いただけないかなと思いましてぇ・・・どうですかねぇ?」

 話を要約すると、つまり、化け物運動会に出ろと?

 ダメだろ、そんなの。無理だって、ゲンシロウ。

「え〜、お前らの運動会にオレたちが出るの?う〜ん・・・」

 さすがのフィリエルも思いきり悩む。いや、悩むまでもなくお断りする話だと思うが。

「食われそう」ロゼは真っ当な感想を口にする。

「いやいやいや、食べませんって!あたくしたち、人間さんなんて食べないんですからぁ!」

 ほぅ、何故だろうか、ゲンシロウが言うと信用できる気がする。

 それでも、運動会に参加しようとは思わないが。

「出てもいいけど、なんか賞品とかあんのかよ?」

 それ次第、みたいな訊き方だけど、まさか出るつもりでいるのか。ぼくは嫌ですよ、フィリエルさん。

「ええもちろん、優勝チームにはトロフィーが贈られますし、そのチームのMVPには━━今年は確か非売品の妖精王女フィギュアが贈られるはずですぅ」

 なんだって!

 おいおいトカゲの兄ちゃん、そいつは本当かい?

 妖精王女フィギュア・・・それってつまり、アンヨのフィギュアということではなかろうか。

 そうであるなら、話は変わってくる。

 フィリエルもぼくと同じだったらしい、さらにはロゼも。

「お前バカ野郎、それを早く言えっての!オレたちは人助けが仕事みたいなもんだからな、フィギュア超欲しいってわけじゃないけど、お前らが困ってんなら当然協力するに決まってんだろ!あーフィギュア超欲しいぜぇっ!」

「わたしがMVP」ロゼが決意の表情で言う。

「ぼくも、運動会に参加したほうがいいと思うんだ。うん、どうだろうかい?」もう興奮しきっていて、ちょっと我を忘れてしまったが、ここは是が非でも参加する方向でお願いしたくて言ってみた。

「ありがとうございます、お嬢さんがた!すごぉく助かりますぅ。みんな、喜ぶと思いますよぉ!」ゲンシロウは拍手しながら言う。本当に嬉しそうだ。ぼくも嬉しい。

 非売品アンヨフィギュア━━命に代えても手に入れなければ!

「参加することにしたのですか?」

 それまで黙って話を聞いていたニーナさんが言った。おそらくニーナさん的にはどちらでも構わないのだろう。決めるかどうかはぼくたちの━━と言うよりは、実質フィリエルとロゼの意見ですべてが決まる。

 まあ、聞くまでもなく答えは予想できるのだが。

「よし、参加しようぜニーナ!あいつら困ってるみたいだしさ、これも人助けってことで」

 相手はリザードマンなので、人助けかどうかは微妙だけれど。

「絶対勝利宣言」ロゼが宣言する。

「わかりました、みんなで参加しましょうか」

 さすがニーナさん、話がわかる。

 こうして、お宝ゲットのチャンス到来、ということになった。


 リザードマン・ゲンシロウが示した方向は未舗装の岩場がつづき、馬車で行くことはできない。

 その手前の目立たぬ草むらの中に馬車を止め、ニーナさんがその周囲に宝石をばらまいてゆく。

「隠者の王よ、その名を崇めし我らの居場所に、真なる韜晦の力を━━」

 サークル状に置かれた宝石たちが輝きを放つ。

 眩さに目を細めると、一瞬後には馬車の姿が消えていた。

「外からは見えませんが、馬車はここにあります」

 ニーナさんが説明する。フィリエルが「すげえな」と言って近づくも、不思議な力で向きが変わった。あさっての方向に歩いて行く。

「なんだこれ、近づけねえじゃん!」

「わたしが効果を切るまでは、誰もレディに近づけません」

「すげえな、今度タケシと同じ部屋で寝る時に、やってくれよ」

 どういう意味だ、それは。お前なんて頼まれたって襲ったりしないぞぼくは!

 法廷があったら訴訟を起こしているところだよ、まったく。

 とはいえこれで馬車や荷物の心配がなくなった。

 ゲンシロウの後につづいて、険しい岩場へと向かった。


 道は思った以上に険しく、そして長かった。

 ニーナさんがバランスを崩したところを、フィリエルが支える。ロゼがつまずいて、ぼくに頭突きをくらわせた。

 3ポイントのダメージ。ザコモンスターなら死んでいるぞ。

「お足元に気をつけてくださいねぇ、なにしろ、人間さんが歩く道ではありませんのでぇ」とゲンシロウは言う。

 そんな場所に連れてきやがって、と思ったが行くと決めたのはぼくたちだった。文句も言うに言えない。

 だがこれもアンヨフィギュア入手への試練だと考えれば、どれほどのこともない。死なない程度で、なんとかなるだろう。

 わずかに横へ移動したら数メートルは落下しますよ、とでも云うような危険地帯すらこえて、ぼくたちは洞穴の入り口へとたどり着いた。ようやくである。こんなところ、人間がわざわざ踏み入ってきたりなどしないだろう。だからこその化け物たちの巣窟というわけか。

 改めて考えれば、これから向かう所って化け物の巣窟だよな、ということに気がついたけれど、今更引き返すつもりもない。

 ぼくの頭は物欲に支配されていた。

 洞穴の入り口は狭く、また、目立たないような位置にある。

 そこから入って、さらに奥へと進んだ。入り口から想像されたものとは違って、中は広くて歩きやすかった。

 百メートルも歩いただろうか、先は、行き止まりになっていた。まさかリザードマンの罠にかけられたのかと疑ったが、そうではなかった。

 ゲンシロウが行き止まりの壁に向かって、大声で言葉を発する。

「開け開けよ女神の股ぐら!」

 なんてことを言うのだ。それ、まさか合言葉なのか?

 他にいくらでも言葉はありそうなものだけどな・・・。

 ゲンシロウの言葉に反応した岩(の扉)が地面へと沈んでゆき、道が現れた。

「さあ、こちらですよぉ」

 ゲンシロウに促されてそこを潜ると、彼はまた後ろを向いて今度は別の言葉を唱えた。

「閉じろ閉じろよ女神の股ぐら!」

 やはり股ぐらだった。誰なんだ、これを考えたヤツは。

 再び壁が上がってきて、道が塞がれる。

「ちゃんと閉めておかないと、怒られるんですよぉ」とゲンシロウは言った。

 まあ秘密の場所であるのなら、そうだろうね。

 さらに通路を進むと、巨大な空間が現れた。鍾乳石に囲まれた広大な空間で、不思議と地面は平らであった。人工的に造られたものに見える。そこに、櫓やテントなどが外周に沿って建てられていた。石灰で描かれた競技用トラックもあるし、まさに運動会の会場といったおもむきだ。

 なんだか懐かしいような気持ちになる。

 見たところ、普通の人間はいないようだ。目を合わせたくないような方々がぼくらに注目している。

 襲われやしないかと、気が気ではない・・・変な汗が止まらなくなった。

 ゲンシロウは一際大きなテントの中に、ぼくたちを案内した。

 ゲンシロウと同じリザードマンが三人と、狼男、そして体は人間のようであるが、頭が魚な怪物がいた。

 立ち位置から見て、頭が魚な人が一番偉いようである。ゲンシロウも、その人物の前に立った。

「組合長、こちらの4名の人間の方々を、あたくしどもの赤組に助っ人として参加していただきたいのですがぁ、よろしいでしょうかぁ?」

「あら〜ん、人間だね〜ん。大丈夫ぅん?危なくない〜ん?」

 組合長は気持ちの悪い喋り方だった。顔に似合っている。

「ここに入られた時点で、大丈夫でなくては困るだろう。なにかあればこのオレが━━」狼男の目が光る。

 怖いよ怖いよ、ヤバいよアイツは・・・ヘタな行動をしたらすぐにでも襲ってきそうだったので、ぼくはなるべくなら心臓すら止めていたかった。殺される前に死んでおこうという、革新的なアイデアである。

「危なくないなら〜ん、人足りないし〜ん、別にいいんじゃない〜ん?」

 組合長はどうやらいい加減な性格らしい。だが、これで参加は認められたようだ。まずは第一関門突破といったところか。

「なああんた、なんで狼男なの?」フィリエルが突然質問をする。

 バカ、やめとけって!怒らせたらどうするんだよ。

「生まれつきだ。父がウルフマンだったから、オレもウルフマンとして生まれた。当たり前の話だ」

 狼男は別段気にした風もなく、しっかり質問に答えた。

「へえ〜、そうなんだぁ。母ちゃんは違うのか?」

「母は違う。お前と同じ人間だ。女は狼にならない」

「そうなんだ、なるほどなー」

 しかし全然臆することがない女だ。実体のある生物に対しては怖いものなしなんだろうな、羨ましいよ。

「それではお嬢さんがた、あたしらの陣営に参りましょうかぁ」

 そう言えば赤組とか言っていたな。

 であれば、相手方が白組ということか。って、なんでそう思ったのかはわからないが、それはそういうものな気がしたのだ。

 赤組対白組。ぼくの記憶にそれがあった。


 赤組のリーダーはゲンシロウと同じリザードマンだった。

「どもです、こにちわっ!わたし、毒の沼地町内会長のザウサーといいますです。人足りなくてまいってたんです。まさか人間さんがいらっしゃるとは思わなかったけど、この際それはどうでもよいですわ」

 やはり適当だ。みんな、こんな感じなのかも。見た目で人はわからないという話か━━人間じゃないけれど。

「もうそろそろ開会式がはじまるんで、人間さんがたもグラウンドに集合してください」

「ではお嬢さんがたぁ、行きましょうかぁ」

 土で固められた"グラウンド"の真ん中に、おそらくすべての出場者が整列した。それぞれが赤か白のマークを付けているので、どちらの組かは一目瞭然だった。ぼくたちも渡された物を腕に付けている。

 総勢でも3〜40人といったところか。それぞれ20人程度だとすると、確かに少ない人数だ。正直、運動会には足りない。

 それでも開催するということは、よほどの伝統行事なのだろうか。賞品も、少なくともぼくたちにとっては豪華だし、これはお遊び感覚ではいけないのかも。

「それでは開会にあたりまして、獣人組合長プロンツォン様による開会宣言です」司会役であろう、リザードマンが言った、

 一段高い壇上にのぼり、組合長が宣言する。

「それでわ〜ん、これより〜ん、第3回、獣人組合大運動会を開催しますぅぅぅん!」

 結構最近はじまったばかりの大会だった。全然伝統行事じゃなかった。騙されたじゃないか。

 人数の割には大きな歓声が上がった。叫んでいるのは主にリザードマン種族だったので、どうも彼らが主体の運動会なのではないかと推察される。おそらくそうだろう。狼男なんてずっと仏頂面だしね。

「さあ、お嬢さんがたぁ、はじまりましたよ〜。あたしら赤組の勝利のために、よろしくお願いしますよぉ!」

 どうやらぼくたちは、わりと期待されているようだった。


「第一種目は大鉄球ぶっ転がしですぅ」

 絶対やりたくないな。ぼくは思った。

「あたしらの組からは、毒の沼地二丁目のゲイシくんと三丁目のンシさん、あとぉ、首吊りヶ丘のチャギさんが出場予定ですぅ。なので、あと一人、お嬢さんがたから誰かに出てもらえるととても助かりますぅ」

「わたしは出ません」珍しくニーナさんがいち早く口を開いた。気持ちはすごくわかります。

「よし、行ってこいタケシ」

「オトコヲミセロ」

 うーわ・・・ロゼなんて全然気持ちが入ってない言い方だし。こうなるような気はしたんだよね。

 なんだよ大鉄球ぶっ転がしって。

 転がせるかよ、そんなもん!

 絶対に出たくなかったぼくは、もう絶対にやらなければならないらしく、グラウンドの端に設けられた専用舞台の近くにいた。

 それぞれ最も遠い位置に高さのある土台があって、その上に巨大な鉄球が用意されている。そこからさらに、両者の中間地点に向けて下り坂になるよう傾斜が作られていて━━ああ、こりゃあとんでもないぞとぼくは理解したのだった。

 もう大体わかったけれど、一応ルールの説明は聞いておく。

 台の上に各チーム二人が上がり、スタートの合図で鉄球を押して転がす。坂を転がり落ちたそれぞれの鉄球は、うまくいけば中央付近で衝突する。そこで、最終的により相手側の近くに鉄球があったほうが勝ち、というルールだった。

 やっぱりね。

 なんだよこの競技は。

 とまれ、用意された舞台の都合上、競技は全二回戦で行われるということだった。同じ舞台が二つ用意してあったから、それは見ただけでもわかった。

 不幸中の幸いか?ぼくは二回戦に回った。なので、とりあえずは一回戦目の様子を観察することができる。見たからどうということもなさそうだが、気持ちの準備くらいにはなるだろう。

 赤組からは二人のリザードマンが台に上がった。確かゲイシくんとンシさんだったか。よく覚えたな、ぼくも。

 白組の代表は、リザードマンと岩石男だった。あれ、ちょっとズルくないですか?

 岩石男、三メートルくらいあるぞ、おい。

「位置について〜」

 徒競走かよ。もうとっくに位置についてるよ。

「よ〜い」

 ばふっ、とどこか気の抜けた空砲が、スタートの合図だった。

 両チームの四人が、一斉に鉄球を押す。赤組のリザードマンたちは意外なことに力があって、鉄球は確実に動き出す。

 だが、相手のほうが圧倒的に早かった。

 そりゃそうだろう、岩石男がいるんだぜ。

 赤組の鉄球が坂を転がりはじめた時にはすでに、白組側の鉄球が目前まで到達しようとしていた。

 ほとんど勝負にならなかったほどの、圧倒的な敗北だった。

(これ、ぼく、勝てないよな・・・)

 特に、あの岩石男みたいなヤツが出てきたら、その時点でおしまいである。それと、一点だけどうしても気になったのは、あの岩石男も"獣人組合"でいいのか、ということだ。獣と関係ないじゃないか。

 広義の化け物仲間ってことでいいのかもしれないが、どうにも納得いかないなぁ・・・。

 そんなことを考えている間に、ぼくの出番がやってきた。

 終わった━━もうやるしかない。

 鉄球押すって、一番向いてない競技じゃないか。ぼくの腕の細さとか、気づかないのかなぁ。

「わしの相方は、あなたですかのぉ」

 確か首吊りヶ丘のチャギさん━━だったか。よく見たらこの人、お年寄りのリザードマンだった。

 マ・ジ・かっ!

 どうしろと・・・この二人で、いったいなにをどーしろと仰いますのでしょうか!

 神も運命も残酷そのものである。間違いない。

 ぼくは処刑台に上がるような気持ちで、鉄球の前まで歩いた。

 遅れてチャギさんがやって来る。足も遅いし、もうダメだ。

 いや、まだ希望はある。相手がぼくたち二人よりも弱━━

 身長三メートル級の類人猿と筋骨隆々な熊人間だった。

 本気で仕留めるつもりのコンビじゃないか。そして今までどこに隠れていたんだよ、あいつら。

 絶対無理。もう、絶対にやられるぞ、これは。

「タケシー!もうニーナの準備はできてっからなーっ!安心して死んでいいぞぉーっ!」という、フィリエルからのありがたい声援が届いた。本当に、心に染みるよね。

「それでは〜、位置について〜」

 無慈悲な声が喋りだす。だからもう位置にはついてんだよ!

「よ〜い━━」

 神よ、あなたを恨みます。

 ばふっ━━運命の空砲が鳴る。

「いっせぇ〜のぉ〜、ゴリィィィィッッッ!」そんな掛け声がしたと思ったら、あっという間に鉄球の音が近づいてきた。

「ひいいいーっ!」チャギさんが逃走する。

 残されたぼくの力では、当然鉄球は動かせない。まあ、二人でも無理そうだったけれど。

 いったいどれほどの力で押し出されたものか、どうやらこちらの坂を登ってきたらしい相手の鉄球が、一ミリも動いていないぼくたちの鉄球に当たり━━ほとんど一瞬で爪先から潰れ膝の関節が逆に曲がり体ごと鉄球の下敷きにされたぼくは、あまりにも悲惨な最後を迎えた。


  ★


 ちょっとだけ騒ぎになったみたいだけれど、ぼくがすぐに生き返ったということで、それも収束していた。

 競技のほうは言わずもがな、赤組の全敗だった。ぼくも死んだことだしね。

 まだ第一種目を終えたばかりではあるが、どうにも先が思いやられて仕方ない。もう死ななければいいのだが━━

「次の競技は玉入れですぅ。こちらは安全な競技ですのでお嬢さんでも大丈夫ですぅ」

 リザードマンはニーナさんに向けて喋っていた。ぼくもできれば玉入れが良かったな。見たところ『玉』も砂かなにかを詰めた小袋のようだし、死ぬことはなさそうだ。

「わかりました、それでしたらわたしが出ましょう」

「わたしも行く」ロゼもつづいた。

 相手の白組からも、どうやら女性が参加するらしく、彼女らもまたリザードマンと呼ぶべきかどうか悩むところだ。

 ちゃんと胸はあるんだな、と変なところに感心する。

 どう見ても安全安心な競技がスタートした。

 赤組白組共々、五人のメンバーが玉を拾って、かなり高い位置にあるカゴを目掛けて放り投げる。

 位置が高すぎる上にカゴが小さくて、なかなか入らない。

 しかもニーナさんなんて力が足りなくて届きもしていない。

 味方のリザードマンもカゴの底にばかり当てていて、全然玉が入らない。両チーム一個も入っていない。

 よく見たらロゼが一生懸命投げている玉が四方八方に飛び散って、仲間の邪魔をしている。真上に飛んでいるものが一つもない。ある意味安定のコントロールがつづいている。あ、リザードマンの顔面に直撃した・・・なんでカゴを狙ってるのに真横に飛ぶんだよ。

 究極の泥仕合じゃないか、こんなの。

 数分間━━わりと長く感じられた時間が経過して、終了の笛が鳴らされる。

 奇跡が起こった。

 ある意味、奇跡的な結果である━━赤組のカゴの中には玉がひとっつも入ってはいなかった。みんなであれだけ投げておいて、ただの一つも入っていないなんて。

 そして、それは白組も同じだった━━いや、違うのか?

「赤組ゼロ個!白組、ひとぉーっつ!よって今年の玉入れ競技は白組の勝利となりまーっす!」

 うわぁ、負けてるし。僅差といえば僅差だが、なんだかなぁ。

「はぁ、ダメでしたね。わたしの力では届きませんでした」ニーナさんが珍しく汗を浮かべている。結果は出なかったが、がんばったのはわかる。

「なぜ入らん・・・タケシの呪いか?」と、ロゼ。

 お前の才能だよ、と内心告げる。

 ロゼの手首はイカレているのだろう、きっと。真横にカゴがある玉入れならば、チャンピオンも夢じゃないかもね。いや、それはそれで横を狙うと今度は上に飛ばしたりして・・・あり得そうな話だ。

 ともあれこれで連敗は継続。MVPどころか赤組の勝利も怪しくなってきた。

 あといくつ競技があるのか知らないが、ここからの巻き返しは可能なのだろうか?


 つづく競技はリレーだった。

 各チームから五人の代表を選び、それぞれが百メートルを走ってバトンを渡す。馴染みのあるものだった。

 赤組の代表はゲンシロウを含めたリザードマン四人プラス、人間代表のフィリエル。ここが勝負どころだろう。

 大会本部のテント前には各組の勝利ポイントが掲示されている。現在のところ白組が3点、赤組はずっと0のままだ。

 そろそろ勝っておかないと、本当にマズイかも知れない。

 リレーの準備が整った。赤と白のバトンを持ったリザードマンが合図を待つ━━ばふっ、と空砲。

 リザードマンが駆け出した。

 二人目、三人目と順調にバトンを繋ぎ、四人目に渡るころには赤組がリードを広げていた。

 よしっ、これなら勝てそうだ。しかも五人目、アンカーを務めるのは走りの得意なフィリエルである。これはもらった。

 およそトラック半周ほどまでリードを広げ、バトンはいよいよ最後の走者、フィリエルへと渡る。

「よっしゃ楽勝ぉ!」言って、スタートを切るフィリエル。やはり速い。リザードマンでは追いつけない速さだ。

 フィリエルが半分以上走ったところで、ようやく白組はアンカーにバトンが渡った。

 どうやら例の狼男のようであるが、さすがにこの差は━━

 フィリエルがゴールする寸前、その横を風が通った。そうとしか見えなかった。確認できたのは、フィリエルがゴールした時にはすでにその前方に狼男の姿があったということだけだ。

 は?

 なにが起きたんだ?まさか、抜かされたのか?

 あの距離で?

 ぼくは我が目を疑ったが、白組の喜びを見る限り、どうやらそういうことらしい。フィリエルは、負けたのだ。

 やっぱり化け物の運動会だったと、改めて痛感する。あんなの、勝てっこないじゃないか。

 フィリエルもまさか負けたとは受け入れられず、呆然としている。今度ばかりは同情するよ。あれはないって。

「なんだアイツ、走ったのか?」

 言いたいことはわかる。狼男の足が速すぎて、見えなかった。戻ってきたフィリエルは気持ちげっそりしていた。

 大会本部のほうへ目を向けると、また白組にポイントが加算されていた。まさかの全敗も見えてきたのか。

 どうも場違いな所へ来てしまったようだと、ぼくたちが今更ながらに感じはじめたころ、食事休憩のアナウンスが聞こえた。

「このあとお弁当を食べてから、全員で躍りを踊りましてぇ、最後の競技をおこなって終了となりますぅ」

 え?今、なんて言った。

「お前それって、もう勝ち目ねーじゃん」ぼくが言いたかったことはフィリエルが言ってくれた。

 これってもう、帰っていい状況じゃないだろうか。負けが確定していて、賞品も手に入らないのでは、やる気もでない。

「いえいえ、最後の競技は勝てば10ポイントもらえるのでぇ、それに勝てれば優勝ですよぉ」と、ゲンシロウはふざけたことを言った。

 今までのはなんだったんだよ!のパターンか。これは勝っていた場合はフィリエルが暴れているレベルの話だが、完全に負けている現状では、ただただありがたい話でしかない。見れば、フィリエルが嫌らしい笑みさえ浮かべている。

「へっへっへ、そういうことかぁ・・・これはもらったな」

 まだ一度も勝てていないとは思えない自信だ。

 ともかく、それはぼくたちにとっては朗報だったので、モチベーションを維持する役には立った。

 配られたお弁当を開けてみると、なんだかわからない肉が入っていた。なんの肉かわからないので食べるのをためらっていると、フィリエルがうまいうまいと食べはじめていた。毒味完了。どうやら食べても問題はないようだ。

「これ、なに肉?」ロゼがリザードマンの一人に対してそう訊ねた。

「これは、野牛の肉ですよ」

 普通だった。普通においしいお肉だった。

 この人たち本当に見た目に似合わないな。もっとなんか聞いたことのない生物の肉でも食べていてほしかった。その場合は弁当を諦めるしかないが、話としてはおもしろい。


 食事が終わるとすぐに、ダンスタイムがはじまった。

 ぼくたちも是非にと誘われたが、どう踊ればいいかもわからないし、その気にならなかったので断った。

 みんな断ったとばかり思っていたら、フィリエルだけはちゃっかり参加しているじゃないか。あいつ、いつの間に。

 踊りはじめたフィリエルは、あっという間にリザードマンたちの人気者になったようで、パートナーに誘う化け物が後を絶たないようだった。

 二人一組で踊る者もあれば、それぞれ単独で踊り狂っている者も多く、決まったカタチはないのだろう。とにかくダンスがしたいだけなのかな。

 ・・・・・・。

 ━━それにしても、長い。

 いつになったら終わるんだ、これ?

 陽気な音楽すら子守唄になってしまったようで、ロゼはすでにニーナさんの膝枕で快眠していた。ぼくも正直、眠くなってきている。

 あいつら、いつまで踊るんだよ━━内心毒づく。

 ・・・・・・。

 ・・・・・・・・・・・・。

 結局バカどもは二時間近くも踊りつづけた。もう運動会じゃないのでは?と思うのも当然。これではダンスパーティーだ。

「それでは儀式も終わりましたところで!」

 儀式だったのか、今のは!

「これよりメインイベント、最終競技に入りたいと思います!」

 会場の盛り上がりが最高潮に達する。グラウンドの中央付近にテーブルが一つ運ばれてきて、その上に何かが乗せられた。

 あれは、なんだか見覚えが・・・あるような・・・。

 あれって、もしや拳闘士のオモチャでは?

「それでは最後の競技━━全員参加の『脊髄損傷ファイターズ』勝ち抜きトーナメントをはじめますっ!」

 いや、運動しろよ!どうもお弁当が出たあたりから大会の趣旨が変わってしまった気がする。ヤバいくらいいい加減だな、獣人組合。

「タケシ、お前、いけるんじゃねーか?」

「不本意だが・・・もやし最強説」

 仲間たちに言われて、ぼくもその気になってくる。確かにあのオモチャには自信がある。少ししかプレイしていないけれど、すでに勝ちかたは心得ている。

 思いもよらず、チャンスが巡ってきたのか。

 ぼくは勝利へのイメージを思い浮かべる━━


「だぁーっ、負けたー!」

 フィリエルが一回戦目であっけなく敗退。ロゼも同様に、いいところなく敗北した。

 ふっ━━ぼくは内心でほくそ笑む。やっぱり女の子たちでは無理なのさ。ここからは男の仕事だ。ぼくに任せたまえよ。

 思っていたら、ニーナさんだけは何故か勝利していた。まあ、オモチャだしね。実際の筋力を必要としないものだし。

 ぼくはと言えば、今のところ順調に勝ち上がっていて、どうも本当に才能があったようである。自分で言うのもなんなのだが、勝負の駆け引きがうますぎる。

 もしかしてニーナさんとの決勝もあるのか、と思ってすらいたのだが、そのニーナさんは二回戦であっさり敗れていた。残念。

 どうも白組に、めちゃくちゃ強い獣人がいるようだ。そんなにオモチャの扱いに長けた化け物がいるとは思えないが。

 あいつか━━ぼくは一人の獣人に注目する。全身が黒い肌。あれは、そう、蟻人間であろう。だとすれば、正確には昆虫人間と言うのが正しいのか。

 彼の操る拳闘士人形は、ものすごい速度のパンチやキックを繰り出していた。その猛攻に、相手はまともに試合をさせてもらえずに、ほとんど一方的にやられている。

 強い。あいつは、本物だ!

 プロの脊髄損傷ファイターズプレイヤーを自称し始めたぼくの直感が、蟻人間の危険性を告げる。

 彼と戦うことになるだろう。そんな予感がしていた。

 そしてトーナメントは進み━━

 決勝の舞台に、ぼくはいた。

 ついに到達した、最高の舞台。戦士としての誇りを胸に、これまで培ったものすべてを賭けて、頂点を奪い合う。

 王座は一つ。ぼくか、相手か。座る者は一人だけ。

「調子に乗るなよルーキー。オイラは第一回大会からすべて無敗で優勝しているんだぜ。昨日今日はじめたヤツとは経験が違うのさ」

 蟻人間は笑ったようだったが、表情がわかりづらい。声も聞き取りづらい。さらに言うと絡みづらい。

 あらゆる意味で厄介な相手だ。

「タケシーっ、そんなアリンコ潰しちまえーっ!」

「もやしゴーファイ」

 珍しい味方の声援を背に、ぼくは口角を上げる。

「あまり下に見ていると、後悔することになりますよ」

「ルーキーごときが、女の子の声援があったからって調子に乗るなよ!お前なんてオイラの18連打で粉々にしてやるさ!」

 蟻人間の目に狂気の輝きが宿った。ような気がする。黒目しかないのでいまいち感情が読み取れない。

「それでは位置について〜」

 掛け声、全部それなのかよ。ずっと気になっていたけど、やっぱり最後まで気になった。

「よ〜い、はじめっ!」心の中で、ゴングが鳴った。

「オラオラオラオラオラオラオラオラ!」

 開始早々、予想通りの猛攻がはじまった。それは、凄まじいまでのパンチとキックの嵐で、一切の隙がない。

 一秒間に18回の攻撃を繰り出すという蟻人間は、やはり並のファイターではなかった。

 勝てないのも頷ける。ただし"ぼく以外は"という注釈が付くけれどね。

 ぼくはずっと考えていた━━どうして誰も、この相手に勝てないのか。それはもちろん、18連打の凄まじさという理由はある。その上で、どうして勝てないのか?そこを考えたのだ。

 答えはもう出ている。

 "手を出してしまうから勝てない"のだ。つまり、一瞬の隙もない乱撃を相手に、攻撃をしようとするから、負けるのである。勢いで勝る相手に、それより劣る攻撃が勝つ道理はないんだ。

 動くから負ける━━これがぼくの導きだした答えだ。

 そしてそこには、もう一つ、決定的な理由があった。

 それは、このオモチャは"相手から最も離れた位置が安全地帯になっている"ということである。

 つまり、拳闘士の人形を自分の側に引いて、なにもせずにじっとしてさえいれば、どんなに激しい攻撃も絶対に当たることがないのだ。

 このオモチャは、その部分にも駆け引きが生まれる。端で止まっていれば攻撃されないが、前に出なくては相手を倒すことができない。

 この特性を知っていたぼくだからこそ、対策を立てることができた。

 何も知らない観客から、歓声が上がる。

 蟻人間の猛攻が届かない。ぼくには絶対、当たらない。嵐のような連打がつづく限り、こちらから手は出せない。出した瞬間、負けが決まる。

 ぼくは耐えた。じっと、息を殺すようにして━━

「くそくそくそくそくそーっ!なんで当たらねぇんだよぉぉぉぉっ!」

 仕組みを理解していない蟻人間は、当たらないことに苛ついて遮二無二連打を繰り返す。たとえ一秒間に何百回攻撃を繰り出したところで、構造上、絶対に届きはしないのに・・・。

 時間ばかりが経過する。

 会場の盛り上がりは何故だかさらに増して、もの凄い声援が飛び交っている。蟻人間を応援する者もいれば、ぼくを応援してくれる声も少なくない。

 決着の時は近い━━ぼくはそれを予感していた。

 とてつもない勢いだった蟻人間の攻撃が、明らかに弱まっている。今や、一秒間に18回は打てていない。完全にそれを下回ってきている。

 蟻人間は苦しそうだ。

 休みなく連続攻撃をつづけたことで、限界が近づきつつあるのは明らかだった。

「はぁ、はぁ、腕やべえ・・・折れそう・・・・・・」

 いよいよプルプルと痙攣がはじまった。これはもう、ダメだろうな━━ぼくが思ったころ、ついに蟻人間の手が止まった。

 拳闘士の人形も、ピタリと止まる。

「これまでのようですね」

 言って、ぼくは拳闘士を前に進める。

 振りかぶって━━パンチ。

 べきいっ!と、会心の一発が蟻人間(の人形)の首をへし折った。

 今日一番の大歓声が上がる。

 ぼくはついに、頂点を極めたのだ!


 閉会式の中で表彰がおこなわれた。

 途中までは完全に負けていたはずなのに、結局最後の種目(と言っていいのかは微妙だが)であるオモチャの格闘トーナメントでぼくが優勝したことにより、結果的には10対4という点差でぼくたちの赤組が勝利を納めた。

 勝利チームの全員にゴールドメダルが配られてから、大会MVPの発表となる。

 今大会のMVPは━━なんと、ぼくだった!

「うおおーっ、まさかのタケシきたぁっ!」

 フィリエルが喜んでぼくの肩を叩く。なんの冗談か、ライフが減らないほどのやさしい叩きかただった。

「おおお、もやし━━否、お野菜キング」

 それは褒め言葉なのか?褒め言葉なんだろうな。

「すごいです、タケシくん。やればできるじゃないですか」

 ニーナさんまで、ぼくを誉めちぎるなんて・・・照れるなぁ。

「いやぁ、たまたまですよ」ぼくは謙遜したが、正直なところを言えば、あのオモチャに関しては世界王者になったつもりでいる。

「師匠、是非ともオイラを弟子にしてくださいっ!」

 蟻人間に土下座でお願いされたけれど、そこは丁寧にお断りした。

 なんだか英雄扱いされはじめたぼくは、表彰台に上がる。リザードマンたちが拍手をしている。蟻人間は泣いているのか、体を震わせていた。

「それでは今大会のMVPに選ばれた人間さんのタケシさんにはトロフィーと、副賞としまして超激レア獣人組合オリジナルの妖精王女フィギュアが贈られまぁーっす!」

 いよおぉぉぉっしゃぁぁぁっ!フィギュアゲットだぜ!

 フィリエルが羨ましそうに指をくわえて見ているぞ。ようし、あとで見るだけなら許可してやらないこともない━━

 ん?

 渡された透明ケースの中身を見た瞬間、ぼくの天国気分は消失してしまった。

 なんだこれ?

 アンヨには似ても似つかない。というか、はっきり言ってフィギュアの出来が悪すぎる・・・泥人形みたいだ。

 なんとな〜く女の子の形はしているが、良くも悪くもそれ以上ではない。フィギュアと言えばフィギュアたが、泥人形と言われれば泥人形になってしまうような、その程度のクオリティである。

 ぼくはなにを期待していたのだろうか、あの化け物たちに。と、冷静になった頭で考えていた。

 こんなもののために、がんばっていたのかと思うと情けない。

 あとでフィリエルにあげようと思った。


「うっわ・・・なにこの呪いの人形?」

 フィリエルの反応はおおよそ予想通りのものだった。

「あげるよ」ぼくは笑顔でフィギュアを差し出したが、お断りされてしまった。

「いるかよ、こんなもん」

「いらん。返してこい」とはロゼ。

 ぼくもそう思うけれど、まさかいらないとは言えない。見た目はともかくとして、妖精王女フィギュアと明言されているので、なんとなく捨てるのもためらわれるし。困ったなぁ。

 質屋で買い取りしてくれるかなぁ?

 ぼくはもう、売ることを考えていた。

「お嬢さんがた、今日は本当にありがとうございました。おかげで素晴らしい運動会になりましたよぉ。獣人組合長もよろこんでいましたし、是非、またご参会くださいなぁ。タケシさんも新チャンピオンになられたわけですし、もう、お嬢さんがたはあたくしたちの仲間ですからねぇ」

 そのように喋るゲンシロウ。

 感謝されたことに関しては素直に嬉しいけれど、残念ながらもう二度と参加することはないでしょう。さようなら。

 獣人組合長や終始仏頂面だった狼男に別れを告げると、ぼくたちは来た時と同様、ゲンシロウと一緒に地下の大空洞を後にした。

 別れを惜しんだリザードマンたちのタケシコールがしばらくの間聞こえていた━━


 ようやくの思いで馬車まで戻り、ニーナさんが結界を解くと、レディの姿が現れる。当然ながら、無事だったようだ。

「本当に助かりましたよぉ。あたくしの家がある毒の沼地にも、是非とも遊びにきてくださいねぇ」

 いいや、絶対に行きませんよ。

 だって、毒の沼地でしょ?行くわけないだろ、まったく。

「ああ、気が向いたらな。オレたちも楽しかったよ、運動会。誘ってくれてありがとな」

「いえいえ、これもご縁というものですよぉ。来年も同じ日に運動会はおこなわれますので、特にタケシさんは絶対にいらしてくださいねぇ」

 ぼくは百パーセントNOの意味で「わかりました」と言った。まさかこのまま本当に伝統行事になったりしないよな。と、まったく関係のない獣人たちの未来に思いを馳せる。

「それじゃあ、あたくしはこれで。この栄誉あるゴールドメダルをお母様に見せなくてはいけませんからねぇ」

 ぼくとフィリエルがゲンシロウと固い握手を交わして、お別れとなった。短い付き合いだったが、いいヤツだったなぁ。

 ゲンシロウを見送り、馬車へと戻る。

 そういえばニーナさん、今日はほとんど喋っていない。どうも、運動会に参加したことを後悔している感じだ。

 馬車で待っていたほうがよかったなと思っている顔をしている。ぼくも、それなりに一緒にいて、なんとなく、そういった機微がわかるようにはなってきたのだ。

 これが仲間というものか。

 団長に言わせれば"家族"なのか。それは少し照れるから、やっぱりぼくは仲間と呼ぼう。

 沈みゆく西日を反射したトロフィーが、ぼくの未来を照らしているようだった━━

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