プロローグ〜第五章
プロローグ
スカーレット魔術団、と呼ばれる者たちがいた。
誰が呼び始めたのか━━そこのところは曖昧であるが、一団の長が燃えるような緋色の髪をしているのが理由だった。
その人物は女性で、名前はなかった。
名乗らないだけかもしれない。いずれにしろ、誰も本名を知らなかった。
所属━━とは言っても、籍があるというだけではあるが、魔術師協会内、そして世界政府の中では"スカーレット"と呼ばれていた。
極端な話、名簿に名前があるだけの人間が世界の中枢で好き勝手ができる理由は、ひとえに彼女の力にあった。
強大な魔力と、ある魔術師は言い、またある者は魔術を超越した神の成すわざである、と評した。
それだけの力があれば、たった一人で世界を滅ぼすことも不可能ではない━━そのことを誰もが承知していた。なんにせよ、野放しにしておくよりはマシ、という話だった。
ぼくたちの━━もとい、ぼくの旅がはじまったのは、深い、深い地の底からだった。
ぼくの名前はタケシ。
その名前が元々のものであるか、あるいは団長に付けていただいた名前かは、よくわからない。最初からそう呼ばれた。
過去の記憶が曖昧な状態だったので、説明を聞くしかなかった。
我々は魔術団として旅をする。
それは、この世界の端から端までの旅だ、と言われる。
ということは、ここが片方の端なのだろうか。そう思った記憶がある。見ただけではわからない。
魔術団、とは言ってもぼくたちは最初、三人しかいなかった。
炎のような髪と、聡明で理知的な眼差しをした団長。
銀髪のショートヘア。穏やかな性格で物腰が柔らかく、団長のことをお姉さまと呼ぶニーナさん。実際の姉妹ではないが、そのようなものだと、よくわからない説明をされたことがあった。
そして吹けば飛ぶような細身の少年こと、ぼくの三人である。
「家族のようなものだと思いなさい」
団長はそう言うが、ぼくはまだ、ぼんやりとしたままだった。
ぼくの感覚としては、突然はじまった旅なのだ。
地の底の洞穴で急にはじまった人生。
目的もわからず、足を動かす。
当初は、そんな感じだったと思う。
団長の頭上にふわふわと浮遊する光の玉によって、地の底だろうが関係なく、昼間のような明るさの中を歩いた。
地上に出るまでに数日を要した。
いったい、なんであんな場所にいたのだろう。
ぼくは、あんなところで生まれたのだろうか?
なにもわからないまま、旅はつづく。
さらに数日ののち、たどり着いた街で馬車を手に入れてからは、格段に楽な旅路となった。
なにもなかったわけではないが、誰に襲われようとも、ぼくたちが負傷するということはありえなかった。団長一人で、すべての脅威が無力化される。その様を見るのが、ぼくのひそかな楽しみだった。
道中の、とある村でのこと。
五人の少年を裸にして木に縛り付け、その股間をこねまわしていた少女がいた。
訊けば、目にあまる悪さをしたので仕置きをしているという。
ぼくからするとその光景が目にあまったが、それはさておき。
少女は名をフィリエルといった。かつては盗賊団をしていたのだが、その頭領であった父親が廃業を宣言し、まっとうな仕事をするようになってからは暇で暇で仕方ないのだとぼやいた。
要するに、暇潰しの一環でもあったわけだ。
それなら、一緒に旅をしようか━━そう言った団長の言葉にフィリエルの目は輝いた。
そして、その日のうちに父親の了承を得たフィリエルが、新たに仲間として加わった。
団長やニーナさんは楽しそうにしていたが、ぼくはそれほどでもなかった。
やたらとちょっかいを出されたし、まるで下僕のように扱われることもあった。ただ、フィリエルに悪気がないことだけはわかっていたので、これはタチが悪いなと内心毒づいていた。
それから数週間を経て、ぼくたちは世界政府のある首都・ザパンシティにたどり着く。
団長に待機を言い渡されたぼくとニーナさんとフィリエルの三人は宿屋に入り浸った。
丸一日経っても帰って来ない団長にしびれを切らせたフィリエルがお金を勝手に持ち出してカジノへでかけたが、元手を三倍以上にして帰って来たのでニーナさんに誉められた。
「ギャンブルの才能がありますね」と、ニーナさん。
フィリエルは「へへっ、まあね」と照れたが、そもそも勝手にお金を持ち出したことを、ぼくは忘れない。
そうこうしているうちに、団長が帰還した。
ただし、一人ではなかった。
青く透き通るような髪をした少女が一緒だった。
「この子はロゼ。迷子の王女様よ」
それから、団長が説明した話はこうだった━━
北の永久凍土にあるという氷魔族の王国。
千年の昔、その地に国をつくりし英雄の氷像がわずかに溶けるという大事件が発生した。それは、氷の王国にとって、あってはならない出来事であった。
予言が残っているという。
その一節にあるのが『氷の英雄が溶けだすようなことがあってはならない。もしも溶けだすようなことがあれば、それから数年ののちには破滅が訪れるであろう』という予言である。
王国は騒ぎになった。そして、その原因を探した。
原因は、彼らの言葉で言うケルビム。つまり太陽にあるということを突き止めた。
太陽活動が急激に活発化しており、その放熱量が高まっているという見解に達したのだ。
そして結論がだされる。
もっとも強大な冷気を宿した姫君が、その魔力をもってケルビムを打倒するべきである、との結論だった。
太陽を倒す。それが、ロゼに与えられた至上命題だった。
「無理ゲー」とロゼは言ったが、ゲーの部分がどんな意味なのかぼくは知らない。
太陽打倒のための旅にでたはいいが、具体的にどうするかという話はなかった。誰も知らなかったのだ。そもそも、太陽まで届く魔術などなかったし、そこまで行く手段もない。まさに、見たこともない神を倒しなさい、とでも言われたような状況だった。
有識者ですら、とりあえず首都へ行けば何か手がかりを得られるかもしれない、というアドバイスしかできず、ロゼとしてはそれに従うよりなかったのだそうな。
その結果首都へはやって来たものの、なにをすればいいかもわからずさ迷っていたところを団長に拾われた、という次第だ。
この時点ではまだ仲間ではなかったのだが、結果として、ロゼはそのまま仲間になった。
その晩から、団長はそれぞれのメンバーに、個別に話をするようになる。
みんながどんな話をされたかは知らない。訊こうとも思わないし、訊くべきではないだろう。
ぼくの場合は出自に関するものだった。
衝撃がなかったわけではない。だが、気にするのもおかしいような話だった。あまり覚えていないこともあったから、ぼくとしては目の前の現実がすべてだった。
実感のない過去などは、有って無いようなものだ。気にするべくもない。
その後、数週間を首都で過ごした。
その間に団長から様々な話をされ、あるいは魔術を施され、多様なアイテムを渡されて、またその説明を受け━━そのようにして日々は過ぎたが、わけてもフィリエルの魔術修練に充てられた時間が長かった。
素質があるとのことではじまったものだが、確かに素質はあったのだろう、わずかな期間の中でもフィリエルの魔術は上達をみせた。ニーナさんのように、団長の力をアイテムなどで間接的に使用する方法もあるが、自分の力で使えるにこしたことはない、というわけなのだろう。
まったく素質のないぼくとしては、夢のような話だった。
で、なぜそういった日々を過ごしたかといえば━━最終的に団長から告げられた事実は、ここから先の旅に自分は同行しないので、あなたたちの力が頼りなのです、ということだった。
わけあってしばらく留守にするけれど、あなたたちは彼の地を目指しなさい、と。
こうして団長が離脱したスカーレット魔術団。
その四人旅がはじまった。
第一章 邪神の封印
ある街道を進んでいる折に、遠くから手を振り叫びながら駆けて来る男に出会った。なんでも、少し前にならず者の斥候らしき男が村の様子を探っていた、近く襲撃される可能性があるので助けてほしい、とのことだった。
魔術団の噂をどこで聞いたのか、いる場所を探すなど至難のわざとしか思えないが、男はこうしてここにいる。となれば、断る理由は最初からなかった。
『困っている人がいたら、できる限りを尽くしなさい』大人が子供に教える言葉そのものだが、これが団長の指示だった。そうしながら、約束の地を目指して旅をする。
それが、スカーレット魔術団なのだ。
まだ平穏な村へ到着できたのが救いだった。
襲われたあととなれば、人助けもなにもない。失った物は戻らないし、命も、帰らない。
まあ、例外はあるのだけど━━
十軒ほどの家屋が並ぶだけの、小さな村だった。男がいないわけではないが、ならず者の襲撃に対抗できるほどの力にはならないだろう。武器という武器も見当たらず、せいぜいが木を切るための斧くらいだ。
村人には、余計なことはせずに、屋内にいるよう話をする。
馬車は村の中央に、団長を除けば四人しかいないメンバーで配置を決める。もっとも、極端な話、誰がどこにいようとあまり関係はない。実質の戦力は2。ぼくと、できる限り人を傷つけたくないニーナさんは戦力外。
いや、ぼくもまったく役に立てないわけではないが、正直、村の男性より非力かもしれないので、自分自身に期待できない。
「みんな、気をつけてくださいね」戦闘に参加できないニーナさんは幌の下から動かない。
ずいぶん前に買ってもらった細身の剣(これ以上は重くて扱えない)を抱えたぼくと、二人の少女が向かい合う。
まるで貴族と見紛う金色の髪と、貴族ではあるまじき露出のいでたちをした元盗賊団出身、頭領の娘フィリエル・アーメイダと独特のクリアブルーの頭髪が際立つ氷の王国・氷魔族の王女ロゼの二人である。考えてみると、すごい組み合わせだ。団長がいなければ、絶対一緒にはならなかった人たちだろう。
「じゃ、オレは入り口見張ってっから」
男所帯で育ち、すっかり中身が男前になってしまったのだろう頼もしきフィリエルは言うと、さっさと村の入り口へ向かって行った。
「・・・・・・」無言でじっと見つめるロゼ。いや、なにか言ってほしいような、ほしくないような。
「じ、じゃあぼくは村の後方を見張るから、ロゼはニーナさんの護衛を頼んだよ」
「わかった。行ってこいタケシ」命令される。
最近では慣れてきたが、ロゼの高圧的な物言い、というか物凄い毒舌には恐怖さえ覚えたが、団長いわく内心の想いは違うのだという。信じられないことだが。それと、氷魔族が住まう氷の王国自体が、そういう言葉を使う文化だとも言っていた気がする。いったい、どんな文化なのだろうか。
ともあれぼくは、宣言通りに村の後方を見張ることにした。小さい村なので、声を上げればフィリエルまで届くだろう。そう思いながら小高い崖になっている村の後方に立ったその時、物音一つなかったはずの崖上から複数の人影が躍り出てきた。一様に武装して奇声を上げながら迫り来る男たちを認めても、身体は硬直したままだった。あまりに突然すぎて、ぼくは声を上げることさえできなかった。もちろん、鞘に納めたままの剣などなんの役にも立たない。
どうしようもなさすぎて思わず微笑んだぼくの頭に、手斧が勢いよく振り下ろされた。
頭蓋の割れる音と衝撃の中で、半ば飛び出た眼球が自らのライフがゼロになるのを確認する。
言い忘れたが、ぼくたち魔術団のメンバーは団長の魔術によって自分たちにしか見えない、自分たちの生命力を数値化したライフポイントが表示されている。任意で消すことも可能だが、特にぼくはずっと表示させていろと、強く言われている。フィリエルに。とは言え、もともと33しかないライフなので見えても見えなくてもあまり変わらない気もするけれど。ちなみにフィリエルは277、ロゼが569もあって、ニーナさんが一番親近感の持てる128という数値だった。
それはさておき、ライフがゼロになったぼくは、当然のことながらお亡くなりになってしまった。
☆
頭をかち割られたタケシが倒れるより早く、ロゼは魔力を集中させた━━突きだした両手の先に、急速に冷気が集約する。
敵の数は7人、まとまって現れたのは好都合だった。
狙いすまして放たれた冷気の魔術が地面をなぞるように滑り、倒れているタケシの亡骸ごと、男たちの足元を凍結させた。膝より下のごく一部が地表ごと凍結されただけであったが、氷魔族の魔術でできた氷は、ただの氷ではない。剣で突こうが斧を振り下ろそうが、破壊するには至らなかった。
突然の出来事に、わけもわからず叫び散らす男たちだが、彼らにはもうなす術はなかった。
中の一人は勢いがあり過ぎたのか、膝の関節から前方に折れ曲がってお辞儀をしているみたいになっていたが、それもご愛嬌と言っていいだろう。命は奪っていないのだ、問題はない。
「やったなロゼ。なんだよ、オレの出番なかったじゃんか」息も乱さず、悠々と歩いてきたフィリエルが言った。「あれ?もしかしてタケシ、死んでんのか」
「開戦2秒でくたばった」
「あっはっはっは、よわっ!」
仲間が死んでいるというのに、死んでいるのをいいことに二人の少女は言いたい放題だった。もっとも、生きていたとしても同じ態度ではあったが。
「ま、いつものことだしな。ほんじゃ運んで来るわ」
魔術でのみ影響を与えられる氷を、フィリエルは簡単な炎の魔術で溶かして━━タケシの亡骸は、かなりぞんざいに引きずられて、馬車の前まで運ばれるとポイっと雑に捨てられた。
幌の下では、ニーナが青白い炎のような鷹と会話していた。
この鷹は、遠方の魔術師と会話をするためのもので、しわがれた男性の声で喋っていた。相手は世界政府の担当官だろう。このパイプも、団長の力なくしてはあり得ない話だった。世界政府とは別の組織でありながら、しかし密接な関係性を持つ魔術師協会、その頂点に連なる団長がいるからこそ、こうした繋がりが存在していた。
連絡を受けた政府は、付近の担当者をすぐに向かわせることだろう。到着を待ち、男たちが拘束されたのち、ロゼが氷を消し去れば、あとは担当者が牢獄まで運んでくれるはずだ。
一仕事を終えて、さて帰り支度かという段になり━━「あ、タケシ死んだままだった」と、気づくフィリエル。
「え、タケシくん、死んでいたんですか?」
「開戦2秒でくたばった」
「あらまあ・・・」
それを聞いたニーナはあわてる様子もなく、ゆったりとした動作で馬車の外に降り立つと、タケシの亡骸に手を当てた。なにごとか、誰も知らない言語と発音でニーナが呟くと、やさしい輝きが生まれ、タケシの亡骸を包み込む。無数の細やかな光の筋が絡み合いながら、タケシの体を再生させてゆく。光の中で頭部の傷が閉じ、飛び出した眼球も元の場所へ収まっている。魂が呼び戻されて、鼓動が生まれた。
★
ぼくの体は作り物だった。
もともとこの世界には存在しないはずのぼくを存在させるため、団長によって創造された人間なのだ。
━━本当の意味での、魂の容れ物に過ぎない。だからこそ、簡単に生き返るのだし、簡単に死んでしまうのである。せめてもう少し頑丈にしてくれたら、とはいつも思うが、贅沢は言えない。この世界に連れて来てもらえただけでも、感謝するべきなのだ。
世界政府の中枢・ザパンシティから東の山岳地帯に差し掛かるころ、景色が一片した。
ただの荒れ地と言うにはおかしい━━突然、草花が枯れ果てている様が広がった。すぐ後方には緑がある。その境から、これほど急激に変化するというのは、もはや自然ではありえない。
張りつめた空気の中、山道を馬車は進んだ。
なにかの獣の骨、腐敗したなにか、なんだかわからない紫色したゼリー状のなにか。ただただ気味の悪い景色がつづく。
「おい、あそこになんかあるぞ?」
フィリエルが指さす先を見やると、確かになにかがあった。
近づくとそれは棒の先に飾られた人間の頭骨だった。しかも一つや二つではない、斜面の上に無数に存在していた。
「ひいいいっ、ひっ、ひいいいいんっ、あべっ!」あまりの恐怖に足元が乱れふらついたぼくは硬いところに頭を強打してしゃがみ込む。残りライフが8しかなかった。危うく死ぬところだった。
「なんだか気味が悪ぃなぁ。おいタケシ、敵もいないのに勝手に死ぬんじゃないぞ?」
「もやし、針金・・・線」
線って。
いや、線って。
細い物を追ってたどり着いたんだろうけど、さすがにそこまで細くはない。やはりロゼの心が優しいなんて、団長の嘘に違いない。
針葉樹の森を抜けると、拓けた場所に出る。
そこにあったのは、無数の廃屋と家の残骸ばかりだった。炭と化した木材の中には、まだ火がくすぶっているものもある。破壊の痕跡はそれほど古いものじゃなかった。
「いったい、なにがあったのでしょう」外の有り様に、ニーナさんは顔をしかめた。
「野盗にでも襲われたのか?それにしちゃあ、死体がいっこも見当たんねぇな」
フィリエルは馬車を降りて、そこいらの木片を蹴飛ばす。確かに人間がいたような痕跡が残っていない。まるで家屋に恨みでもあったかのように、徹底的に破壊されている。
ロゼに背中を叩かれたので、仕方なくぼくも馬車を出る。
正直なにが起こるかわからないので、ニーナさんのそばを離れたくないのだけれど。
「タケシ、そっち」
そちら側を見てこい、という意味だろう。察しが良すぎるぼくは忠犬のように黙って命令に従う。
半壊した家屋の中をのぞいて見ても、やはり人はいなかった。
崩れかけた壁の裏側を確認しに行ったぼくは、突然、槍のようなもので喉元を貫かれた。
動脈がぶち切れる音を残して、ぼくは絶命した。
☆
「む・・・もやし死んだ」
盛大に血を吹き上げて、仰向けに倒れたタケシ。それを目撃したロゼが、冷静に事実のみを伝える。
死んだタケシの、その向こう側から化け物が姿を現した。
肥大した人間の体に見えるが、その皮膚は硬質の鱗を思わせる。短い首に乗っている顔は、豚に近いような、悪魔みたいな表情を浮かべていた。
右手には、槍のように尖らせた太い骨を握っている。あれで、タケシはやられたのだろう。
「ブヘッ!」
ロゼに視線を向けた化け物が、豚のような音を立てる。やはり豚だったらしい。
身構えたロゼが攻撃するよりも早く、それを追い越したフィリエルが化け物に向かって突進した。
「オレにやらせろっ!」
その右手に魔力の光が見える。
「消し炭にしてやるぜ!」
フィリエルは化け物の顔面めがけて、手のひらサイズの火炎の玉を投げつけた。
直撃し、広がった炎が豚の頭部を包み込む。
なにごとか叫びを上げ、たじろいだその隙に、身軽さと身体能力に優れたフィリエルは壁を蹴り、その背後へと回り込む。
「タケシがやられた分の、お返しだ」言って、愛用の短剣を構えると、首筋目掛けて飛びかかる。
がきぃぃぃん━━という激しい音とともに、短剣の刃が折れ地面に転がる。化け物は、切り傷すら負っていなかった。
「あぁぁぁーっ!父ちゃんにもらった短剣がぁぁぁーっ!」
頭を抱え、膝をつくフィリエル。
「この、豚野郎がぁぁぁーっ!」頭を抱えて膝をついたまま涙目で叫んでも、どうにもならない。
それどころではなく、彼女には命の危険が迫っている。
顔を覆っていた炎が消えると、化け物は背後を振り向いた。まるで悪魔そのものの顔に笑みが張り付いている。
楽しくて仕方ないのだろう。
骨製の槍を持つ手に力を込める。
「とんこつ臭いから、臭いの元は閉じ込める━━」
ロゼの声がしたかと思うと、突然、豚顔の化け物が足元から氷に覆われていく。もちろん地面ごと、タケシの死体まで巻き込んで。
「うわっとっと、アブネ!」
危うく自分まで巻き込まれそうになったフィリエルが、あわてて距離を取る。
わずかな時間で、化け物の氷漬けが完成した。それは、趣味の悪すぎるオブジェだった。
「くそがっ!」フィリエルは怒りが収まらずに蹴りを入れるが、相手は氷魔族の氷である。「いってぇ!骨折れた!」折れてはいなかったが、足首を痛める結果になった。
「この怪物は・・・なんなのでしょう?」
いつの間にか馬車を降りていたニーナが、そこにいた。
「さぁな、オレもこんなヤツ見たことないし。ロゼは、なんかわかるか?」
「シラヌ、ゾンゼヌ」わからないらしい。
「正体が気になるところですが、今はそれよりも、タケシくんを早く助けてあげましょう」
「あ、そうだった。タケシのやつ、死んでんだったな」
「激めんど」
うまい具合にタケシのところだけ氷をなくして、例によって広い場所まで引き摺って運ぶ。
刻まれた蘇生の術が発動する。
★
「お前、くっそ弱いんだからもうちょっと慎重に行動しろよな」
そんなことを言われるのは心外だったが、強くは言えない。
「いや、だってロゼが・・・」
「もや死」
もやしの『し』が『死』に聞こえて怖かったので、ぼくはそこで黙り込んだ。余計なことは言わないに限る。
「あのような怪物は見たことがありません。政府と魔術師協会のほうでも正体がわからないので、とにかく担当者を向かわせるとのことでした」連絡を終え、再び馬車の外に出たニーナさんが説明した。
「いろんなヤツがいるもんだなぁ。盗賊だったころに、父ちゃんが襲った馬車の中にトカゲ野郎がいたんだけど、あんなのはたいしたことなかったしな」
トカゲ野郎がどんなものか、想像できているのはフィリエルだけだったが、彼女は過去を懐かしむように話した。
「トカゲうまい」
氷魔族の王女は食べ物として捉えたようだった。「そうね、たしかに美味しいわね」と、賛同するニーナさん。
そんな談笑の最中、突然、風が吹いた。
次いで、それが熱風であることを悟る。その時にはすでに、目の前にまで黒く大きな炎の塊が、猛烈な勢いで迫りつつあった。
すでに諦めたぼくは目を閉じてしまったが、ほとんど瞬間的に展開された氷の障壁が、ぼくたちの命を救う。
さすがのロゼも、急に、しかも巨大な魔力を展開させたためか、端正な顔が歪んでいる。
氷魔族の氷に防がれてもなお、身を焦がすような熱を感じる。直撃を受けたのなら、骨も残らなかったのではないか。
禍々しい色の炎は防がれていたが、しかしまだ消えず、むしろロゼの氷が急速に溶け減っていった。
このままではマズイ。氷が溶け消えた瞬間、ぼくたちもまた消えることになるだろう。
さらなる覚悟を決めたぼくの目に、ニーナさんの姿が映った。
「輝き纏いし絶海の宝剣━━光の中の光━━汝、邪悪なる夢を消し去る者━━」詠唱とともに、片手に持ったロザリオを地面へと突き立てる。すると、目映いばかりの輝きが生まれ、ほとんど同時にロゼの氷は消滅したが、邪悪な炎もかき消えていた。
「おいおい、今のはシャレになんねーだろ」さすがのフィリエルもこの時ばかりは冷や汗を流した。
ぼくに至っては、心的なストレスと熱風の影響だけで、ライフがわずかに減っていた。
あたりを警戒し、身構える。
いつ、どこから来るかわからない。
敵は、どこだ━━
いつの間に現れたのか、かろうじて原型の残る石壁の上に、謎の人影が直立していた。
それはまさに黒い炎が向かってきた方角であり、それほど離れた距離でもなかった。この近距離からの魔術攻撃━━それも、かなり強力なものを防いだのだから、やはりぼくたちの力も相当なものなのだ。と、一応、自分の存在も含めておいてもらいたくて言ってみた。なんの役にも立たなかったのは、気のせいだろう。
突如出現した人影は全身をマントに包まれている。深くフードを被り、そのわずかに露出した口元だけでは、男女の区別がつかなかった。
しかし今は、その人物が男であろうと女であろうと、およそ友好的な人物であるとは誰も考えなかった。
「てめえか、この野郎!タケシ以外まで死んじまうような攻撃しやがって、ぜってーに許さねえぞ!」
ぼくは耳を疑ったが、疑うべくもなかった。
「ここで死のうが生きようが、結局は同じこと」
大声で語りはじめたその人物の声は、めちゃくちゃ高い音程であった。なので、声を聞いたあとでも、男か女かは結局わからないまま。気になるので、訊ねてみるのも一興かとも思ったが、そんな雰囲気ではないので我慢した。
「緋色の者がおらずと余裕であったのだが、まさか氷魔が紛れているとは思いませんでしたよ。
しかしながら、すでにこの地に眠りし邪神・ザブナマルクの封印は解かれ、わたしは更なる力を得ました。
これはまだ、わたしにとってはじまりに過ぎませんが、いずれにせよ、あなたたちが死のうが生きようが大差はないのです。
まあ、できれば今ので仕留めておきたかった気持ちはありますが、今日のところは諦めましょう。邪神の力を得たとはいえ、あなたたちのほうにまだ分があると見ましたので━━」
そう言い残し、フードの男、あるいは女の姿が消える。
あっという間の出来事だった。
「くそっ、とんずらしやがった!」
「声」
が高かった、とロゼは言いたいのだろう。言葉が足りなすぎるけどだいたいわかるから、良しとしよう。
「なんだか団長のことを知っている感じでしたね。それに、邪神がどうとか言っていたのは、なんだろう」ぼくは、おもにニーナさんに向けて喋る。
「各地に、遥か昔に邪神や竜などを封印したとされる場所や遺構などがあるようですが、それらは協会により管理されています。それに、解こうと思って解けるような封印でもないはず。
お姉さまのことをおっしゃっていたようなのも気になりますし、本当に、何者だったのかしら」
四人でうんうん悩みながら待つこと数時間。あたりの薄暗さが増して夜の帳も下りかけたころ━━
大型馬車を引き連れた、十人からなる部隊が到着。
先頭にいる、ひょろっとした痩身の男が口を開く。
「ど〜も〜、回収係ただいま到着で〜っす」
なんだかやる気のなさそうな、軽薄そうな若い男であるが、ちらほら見える年輩の人を率いているところを見ると、印象には反して優秀な男なのかもしれない。見た目通り、ということもあるだろうが。
「えっと、それで例のブツはどちら━━おわっ、アレっスか!とんでもない化け物じゃないスか。いやあ、こんなかわいらしいお嬢さんがたがアレをね〜。いやぁ、ほんとに感心しますよ」
腕組みして、うんうん頷く。どうも、ぼくの姿が認識されていないような気がするのだが。
「そうだな〜、今回のはちとヤバそうなんで、せっかく氷漬けになってるから、あのまま運ぼうと思いますわ」
「では、地面のところだけ、なくしましょう。ロゼ、お願いします」ニーナが言う。
「イエス、ボス」
従順な態度で、動き出すロゼ。ぼくに対する態度とは大違いだ。そんなロゼに、男はちょっかいをかける。
「ところでブルーのお嬢さん、このあとぼくと一緒にデートなどいかがっスかね?」
「ノー、ダボカス」
一瞬で断られた。まあ、それはそうだろう。
「う、つれないっスね〜。ではそちらのエロいカッコのお姉さんでも━━おほおっ!」
まだ言い終わらぬうちに、フィリエルに股関をがっしり鷲掴みにされた男が情けない声を上げた。
「いい加減にしとかねえと、これ、使い物にならなくなるぜ?」
「おっへっほっほっ、ほっ、もうひ!もうひわけありょまひぇんでひは〜っ!ああんっ」
すっかり去勢された男はへなへなと、女のようにくず折れる。
「よ、よお〜っし、野郎ちゃんたち、さっそく仕事にとりかかるっスよ〜・・・」それでもなんとか指示を出すあたり、たいしたものだったが。
男たち数人がかりでも動かせそうもない氷の塊であったが、彼らは声をかけあいながら、それを運んだ。魔術の力を宿した装身具により、筋力が増幅されるのだという。これは、男が勝手に喋ったために、しり得た事実だった。
「それでは、回収も終わりましたんで、帰りは途中まで護衛がてらご一緒するっスよ」
「そうですか。わたしたちも、このような場所に長居をしても仕方がないので、行きましょうか」
「えー、護衛なんていらねーだろ」フィリエルはかなり不満そうな態度を示したが、無視された。
「まあまあ、単に行く道が同じってだけですし、うちらが先導するっスから、なにも、お姉さんのケツを眺めて楽しもうってわけじゃあないんスから・・・いえ、すんません、なんでもございませんっス!」
ただならぬ殺気を感じ取った男が慌てて訂正する。フィリエルはひひひと嫌な笑いかたをしていたが、ぼくは見なかったことにした。
「あ、それと、今さらっスけど、オレの名前はチャラウスっス、覚えといてほしいっス」
「ほんとに今さらだなおい。しかも興味ねーし。あと、すっすすっすうるせー」
「そんな〜」
こうして、大型の馬車に先導されるかたちで山を抜け、ぼくたちは首都の東側にあるマクシマーグ地方の港町・エゼンスマに到着した。
第二章 エゼンスマの悪霊
マクシマーグ地方。その中央に位置し、東西を二分しているのがマクシマーグ湾とよばれる、長大な半円型の港湾だ。
対岸へ渡るのに陸路を使えないわけではなかったが、その場合は北方へ大きく迂回しなくてはならず、それを考えると、船で渡ってしまうほうがはるかに手っ取り早いのだ。
マクシマーグ地方・エゼンスマ市。
船の都合をつけるため港へ向かう途中、ぼくたちの馬車の前方にふらふらと女性が歩いてきた。
危うく轢かれそうになったところで、馬車が急ブレーキ。馬上のフィリエルが怒声をあげる。
「あっぶねーな、おい!前見て歩けよな!」
「あっ・・・す、すいません、申し訳ありません」
危なかったことにようやく気づいたのか、女性は平謝りに謝った。そこまでされれば、さすがのフィリエルとて怒りを治める。
「あんたどーしたんだよ、顔、やつれてるぜ?」
「あ、いえ。実は最近、よく眠れないもので・・・」女性はうつむき加減でそう答えた。
「ふ〜ん、なんか困ってるなら、オレたちに話してみなよ」
ぼくたちの旅は人助けが優先される。
フィリエルの提案に、女性は迷いながらも頷いた。
馬車をおりて、ぼくとフィリエルとニーナさんの三人が、女性を挟むようにしてベンチに座る。ロゼは「パズルの完成が間近」とのことで引きこもっている。有名な拳闘士の男が半裸で逆立ちをしている絵柄だったので、彼女の趣味を疑ったが。
「わたしは、メリベルといいます。すぐそこの、青い屋根の家に夫と二人で住んでいるのですが━━」
そこで、メリベルさんが言い淀む。
彼女の家だという青い屋根の屋敷を見る限り、おかしな様子はない。家の前を小太りの男性が「モギュたんの限定版っ、モギュたんの限定版っ!」と言いながら通りすぎたが、それは関係ないだろう。
「最近、おかしなことが起きるんです」と、メリベルさんは口にした。
「おかしなこと?」
「はい、たとえば・・・寝室の扉が勝手に開いたり、台所の食器がひとりでに落下してしまったり・・・そういったことが、ここのところ毎日のように起きるのです」
「???」フィリエルは不思議そうな顔をしてから「それって、ポルターガイストってやつ?」と言った。へえ、バカのわりには意外と物知りだなぁ、と思ったら何故か睨まれ「お前、今なんかバカにしなかった?」と訊かれ、心臓が止まりそうになる。何故だかライフが1ポイント減っていたのが憎い。
「他にはなにか、変わったことは?」ニーナさんが言う。
「はい、あとは・・・」
心なしか、メリベルさんの顔色は悪い。
よく見たら、ちょっとやつれている。
「これは、わたしの気のせいかもしれないんですが・・・夜中に目が覚めたときに、寝室のドアが開いてたんです。その隙間から、その、人影のようなものが見えて・・・」
げえっ、と、フィリエルは変な声を出した。
「それって、めっちゃユーレイじゃん」
「旦那様だったのでは?」戦慄するフィリエルとは対照的に、ニーナさんは冷静な質問をする。
「いえ、その時、夫は隣で寝ていましたので・・・」
「なるほど。では、それが本当に人影だった場合、泥棒か、めっちゃユーレイかのいずれか、という可能性がありますね」
うわ、ニーナさんまでめっちゃユーレイって。イメージが崩れるからやめてほしいなぁ。
そして、そんなニーナさんの言葉を聞いて、いよいよ青ざめてきたメリベルさん。なんだか見ているだけで、かわいそうになってくる。
「ああ、なんだか、家に帰りたくありません」本音が漏れる。
「そのようなことがあって、旦那様はなんとおっしゃっているのですか?」
「気のせいだと、取り合ってもらえません」
「なんだよ、薄情な旦那だな」
「でも、本当に気のせいなのかもしれないし・・・」
旦那を庇うわけでもないだろうが、まだ、決定的な確証もないのだろう。とにかく、ぼくたちとしては目の前に困っている女性が存在するという事実が、第一にある。
そこで、フィリエルが提案した。
「まあいいや、そんじゃあ・・・今夜、オレたちを家に泊めてみないか?な、もう友達ってことだし」
ことだし、はよくわからないが、提案としては悪くない。原因がわかれば、対処の仕方も見えてくる。
「え、今夜、あなたたちを?」
「あっ、さすがに四人は多かったかな」
「わたしとロゼは宿で待ちましょう」
あれ、ちょっとニーナさん?と思ったが言葉は出ない。
「なら、オレとこいつの二人だけでいいからさ、泊めてくれよ。一応言っとくと、オレたち魔術団なんて呼ばれていてさ、もちろん、魔術が使えるわけ。なんかあっても、大丈夫」
ちなみにぼくは魔術なんて使えないし、大丈夫でもないのだが、それについての補足説明はいっさいなかった。
「な、旦那にも説明すればいいんだし、嫌なことはとっとと解決しちまうに限るだろ?」
フィリエルに顔をのぞき込みながら言われ、それで気圧されたようにメリベルさんは意を決したようで。
「わかりました、夫にはわたしが説明します。どうぞお泊まりください・・・よろしく、お願いします」
こうして話がまとまったので、ひとまず船は後回し。メリベルさんのお悩み解決に向けて、行動を開始した。
招き入れられた家の中は、とても綺麗で片付いている。けして安くはないだろう調度品なども散見されるところから、なかなかのお金持ちなのではと推察できる。
そして、ピアノやヴァイオリンなどの楽器類が多い。
訊けば、メリベルさんの旦那さんは、わりと名の知れた音楽家なのだということだった。この地方で流行し、首都にまで影響を及ぼした名曲『かんむり潰しの乱れ雨』の作者なのだとか。ぼくは『かんむり潰しの乱れ雨』を聴いたことがないので、それについての感想はなかったのだが。
フィリエルも同じで、はぁ?という顔をしただけだった。
居間に通されると、これまた高そうなソファに座らされ、なんともかぐわしい香りの高級ハーブティーとやらを飲まされる。高級すぎたのか、ぼくの口には合わないらしい。死ぬほどマズかった。フィリエルなどは「なんだこれ、なんかの虫の汁?」との発言をする。幸いなことにメリベルさんの耳には届かなかったようで、本当によかった。
一息つき、夫は二階にいるはずですので呼んで来ます、と、メリベルさんが階段を上がっていく音が遠ざかる。
ぼくたちは待たされる間、ずっと一口飲んだだけのハーブティーを真顔でただ見つめていた。
二人とも、二口目にたどり着くことは永遠になかった。
「これ、なんの虫の汁だろ・・・」
「・・・・・・」いや、ハーブだから。とは思ったが喋らない。
二階から、二人分の足音が聞こえて来る。
先に姿を見せたのはメリベルさんで、そのうしろから背の高い顔面の八割強が毛で覆われたもじゃもじゃが表れた。
もじゃもじゃの中にくりくりした両の目が輝いていて、なんだかおもしろい。
「こちら、夫のマーシャルムです」
メリベルさんが紹介する。
「どうも、はじめまして。音楽家をやっとります、マーシャルムです。だいたいの話は妻から聞きましたが、いやなに、こんなわざわざ魔術師のかたを煩わせるようなことではないと、わたしは思っていたんですが。
妻は少し臆病が過ぎるようなところもありまして。でもまあ、それで気分が晴れるというのなら、わたしとしましては魔術師さんがたの協力には感謝いたしますよ」
と、マーシャルムは高級ハーブティーを一息で飲み干す。それ、ぼくのなんだけど・・・。
フィリエルが化け物でも見たかのような顔をした。
「それと、実はわたし、急な話なんですが今日から三日間エゼンスマ音楽協会のほうに出向かなくてはいけない用事ができてしまいまして━━その間、妻が一人になってしまうので、ちょうど良かったのかもしれません」
マーシャルムの説明によれば、間近に迫った音楽祭の準備もろもろが遅れに遅れていて、本来出向く予定ではなかったマーシャルムが緊急召集されたのだという。
残りの準備期間中は、協会の宿泊施設で寝泊まりするのだと説明した。
「もうそろそろ出なければいけない時間でしたので、その前にお会いできてよかった。妻のこと、よろしくお願いしますね」
と言ったマーシャルムの視線はほとんどフィリエルの胸元にあって、ぼくの方など見向きもしない。
「オッケー、任しときな。あんたが帰るころには、解決してるからさ」自信たっぷりに、フィリエルが告げる。
その後、すでに支度を終わらせていたマーシャルムはすぐに出かけて行った。
ぼくたちと会わなければ、今晩メリベルさんは一人だったのかと思うと、本当にによかったと心から思えた。
マーシャルムさんが出かけると、まるでそれを合図としたかのように怪現象が発生した。
マーシャルムさんが飲みほした、空のティーカップが勢いよく床に転がったのだ。その、あまりに突然の出来事に、ぼくたち三人は目を丸くした。
フィリエルですら、身構える余裕もなかった。
「おいおい、うそだろ?タケシ、おまえ今なんかしただろ」
言われても、二人とも離れた場所にいたのに、ぼくがなにをできたと思うんだ。
「そうです!このようなことが、たくさん起こるんです!」
メリベルさんが勢い込んで言った。
「なぜかはわかりませんが、夫のいるところでは、なにも起こらないのです。ああ、やっぱり気のせいなんかじゃない!この家は呪われてしまっているのよ!」
「ちょっとアンタ、落ち着きなって。なんかの拍子に落っこちただけかもしれないしさ、まだ、呪われてるなんて決まったわけじゃねーんだから」
「・・・すみません、でも、やっと他の人にも見ていただけたから、もう絶対、恐ろしい現象なのだと確信してしまって・・・」
「まあまあ、それがなんなのか調べるために、オレたちが来たわけだから。まだ、こっからだぜ、原因調べんの」
「そうですね・・・よろしくお願いします」
ひとまず落ち着いたメリベルさんは、落下したティーカップをおそるおそる拾い上げたが、異変はない様子だった。なんの変哲もないカップをまじまじと見つめる。
その後も異変があるのではないかと、警戒しつつ時間を潰した三人であったが、結局、夜になるまで何事も起こることはなかった。
そして、夜になり━━
なにかが起こるとしたら、これからの時間が本番と言えるのではないか。ぼくはなんとなく、そう感じていた。
フィリエルは恐怖に怯えるメリベルさんを護るため、一緒の部屋で寝ることになった。
ぼくは━━「夫の部屋が空いておりますので」と言ったメリベルさんの話を遮ったフィリエルによって、ティーカップの転がり落ちた事実のある、この部屋の床に寝ることとなった。もう敷物が用意してあったので、寝るしかない。
正直、死ぬほど怖いのだが。
またストレスでライフが減ったのじゃないかしら、と確認したけど、まだ大丈夫だった。減っていない。
特にやることもなかったので、ぼくは仕方なく敷物の上に寝転がって、目を閉じた。
深夜━━
カタッ、カタッ・・・と、わずかな音が耳に届く。
微睡みの中のぼくは、まだ覚醒には至らず。
パキッ・・・パキッ・・・、そんな家鳴りのようなものを、まだ気にしていない。脳も体も、睡眠を強く希望していた。
していたのだが━━
ぎぃぃぃぃ・・・・・・と、キッチンへ通じた扉が開いたその音に、さすがのぼくでも気がついて、意識がはっきりする。
あまりの恐怖に体は硬直していたが、もはや眠気は消滅していた。
目だけをギョロつかせて、部屋の様子をうかがう。
扉がわずかに開いていた。
確実に、閉まっていたはずの扉が。
フィリエルか、あるいはメリベルさんなのではないかと期待もしたが、生きた人間の気配はない。そもそも、誰かが階段を下りて来れば、足音は聞こえたはずである。
では、いったい誰が?
もはや眼球だけの存在と化してしまったようなぼくは、目をカッぴらいて扉に注目していた。
なんだか部屋の気温が下がったようで、鳥肌が立つ。闇に慣れてきた目で、扉の隙間を見ている。
うっすらと、なにか、人影のようなものが・・・?
「!」
この部屋とキッチンとの間、扉のわずかな隙間からそれはこちらを見ていた。
目だ。
両目ではなく、片目。そこにかかるような毛髪もあったはずだ。どこか血走ったような、大きな目玉だった。
ほとんど一瞬のことだったので、完璧に観察できたわけではなかったが、ぼくは確かにそれを目撃していた。
これが、気のせいなんかであるわけがない、という自信があった。
そして、ああ、ぼく、見ちゃったよ!と戦慄する。
ビビりながらもう一度見るけれど、そこにあの目はなかった。
何日も何日も徹夜続きで限界を迎えたかのような、そんな目玉だった。見ただけで人を殺せるような、恨みがましい眼光。あれって絶対それだよね?と、自分自身に問いかける。
つまりは、そう、"めっちゃユーレイ"なのである。
いや、でも、まだわからないじゃないか━━体を起こしたぼくはそう考えた。たとえ相手が何者だろうと、それを確かめるためにこの場所にいるのではなかったか?
そう思い、気持ちを奮い立たせる。
フィリエルを起こしに行こうか、との思いもよぎるが、ここで男を見せなくてどうする、と考えを改める。
それに、寝ている婦女子の部屋に潜入などしたら、あとでどんな目に合わせられるか、何を言われるのかもわかったものではない。最悪、変態ゴミ虫タケシとか呼ばれそうだ。それだけは絶対に避けなければいけない。
ぼくだって魔術団の一員なのだ。
魔術は使えないけれど、存在価値を証明しなければ、ただのお荷物で終わってしまう。
そんなのは、ぼくのプライドが許さない。
え?ぼくにプライドなんてあったのかって?
いいでしょう、わかりましたよ、今からそれを証明してご覧に入れようじゃありませんか!
ぼくは全身ぶるぶる、冷や汗たらたら、ほとんど状態異常みたいな有り様でドアに近づいて行く。
まさに漸進。
百二十歳くらいのおばあちゃんでも、もっと速く歩けそうなスピードで、時間をかけて移動する。
自分ですら、こりゃあ扉に着くまで朝になるぞ━━などと考えているうち、たどり着いた。
もう、扉の隙間からはキッチンの様子が窺える。
誰もいないし、異変も見当たらない。もちろん、あの恐ろしい眼球も、現れない。
ぼくはそっとドアノブに手をかける。
ぎいい、と音の鳴る扉をゆっくりと押し開ける。
キッチンの全貌が見渡せた。
やはり、なにもおかしな所はなく、誰の姿も見あたらない。
安心して、そっと足を踏み入れる。
キッチンに一歩入ったその瞬間、立て掛けてあったはずのナイフが、ぼくの首筋目掛けて飛んできた。
頭のどこかで「やっぱりね」と思い、何故かニッコリ笑顔になったぼくの首に、鋭いナイフが突き刺さる。
それは動脈を切断し、ぼくの血液を空気に晒した。
あはは、また、動脈やられた!
ちょっとおもしろくなったぼくだけれど、それから間もなく死亡した。
嫌な予感が、当たったようだ━━
☆
モーニングコールよろしく、どこかの家の雄鶏が高らかに朝を告げる。
わりと早朝と呼べる時間帯であったが、フィリエルは目を覚ました。
メリベルはまだ寝息を立てている。鶏の声など慣れたものなのだろう。起きる様子はない。
「ん〜、結局なんもなかったなー」
言って、また瞼が下がる。
「もうちょい寝るか。なんかこのベッド、めちゃくちゃ寝心地いいからな。永眠しちまいそうだぜ・・・」言って、ぱたりと倒れた。幸せそうな顔をしている。
「いやあぁぁぁぁぁぁっっっ!」
突然の悲鳴に、フィリエルは飛び起きた。二度寝してからどれくらいの時間が経過したかはわからない。隣にいたはずのメリベルの姿は、もうそこにはなかった。
悲鳴は階下から聞こえた。
メリベルの身に、なにか良くない事が起きてしまったのか。
だとしたら、自分はいったい何をしていたのか!ここに来た意味がないではないか。
「くそっ!」
自分自身の迂闊さが嫌になる。朝を迎えたことで、すっかり油断してしまっていたのだ。
もしもメリベルの身になにかあれば、自分はもうやっていけないかもしれない。少なくとも、ニーナたちに合わせる顔などなくなってしまう。スカーレット魔術団ではいられなくなるかもしれない━━それほどの危機感を覚えて走った。
階段など一足飛びに飛び降りる。
突き破らんばかりの勢いでドアを開けると━━目の前にメリベルの姿があった。両手を口に当てたまま、止まっている。
「メリベルっ!いったいどうした、なにがあった!」
「あ・・・あっ・・・あそ、こ」
「アソコ?性器か!性器がどうしたっ!」
「た、タケシさんが・・・し・・・死んでいるんですっ!」
「・・・・・・」
震える指でメリベルが示した所に目をやると、確かに、血まみれのタケシが仰向けに倒れている。
動かないので、言う通り、確かに死んでいるのだろう。
「・・・・・・なぁ〜んだ、そんなことか〜」
拍子抜けしたフィリエルは一気に緊張感を失った。
そんなフィリエルに、信じられないといった目を向けるメリベル。それは、当然のリアクションだった。
「そんなことって、ひ、人が死んでいるんですよ!」
「まあまあまあ、落ち着いて大丈夫だから」
「なにが大丈夫なんですか!ふざけないでくださいっ!」
「ええと、そうだ、あいつ、死んでも生き返る系の魔術がどうのこうので・・・」
全然説明できなかった。
なので、説明は諦める。
「ちょっとニーナたち、呼んで来るよ。あいつ、生き返らせる魔術が使えるんだ」
「あ、ちょっと、待ってください!一人にしないで!わたしも行きますっ!」
タケシの死体と残されるのが心底嫌だったのだろう、メリベルは慌てて追いかけた。
★
ぼくが意識を取り戻すと同時に、床や壁を汚していたぼくの血液が煙のように消えていく。
両手を口に当てたメリベルさんの顔が見えた。
「なんで一人で死ねる・・・自動絶命装置?」
ロゼが呆れたように言うけれど、そんなこと言われても・・・という感じだ。
ぼくはなんとか絶命前の様子を思いだしながら、仲間たちとメリベルさんに夜の出来事を話した。メリベルさんはまだぼくが甦ったことに納得がいかない様子だったけれど、そこは無理矢理にでも納得してもらうしかない。
ぼくは、こういう奴なんだ、と。
「目ん玉見たぁ?ほんとかよ、それ?どうせまた寝ボケてたんじゃねーのかよ」とフィリエルは言うが、どうせまた、なんて言われるほどぼくは寝ボケてたりしないし、むしろそれはロゼに当てはまることなんじゃないかと思ったが、秘密にしておく。激ヤバ少女二人を同時に敵に回すほど、ぼくは愚かではない。
「本当なんだ!あれは絶対、人間の目だった」
で、ナイフがひとりでに飛んで来た━━
「やっぱり、なにかがいるんですね!きっと、恐ろしい悪霊に住み着かれてしまったのだわ!」
「まあまあ、悪霊なんてそんなんいるわけ━━」
「いるな」
ロゼは言い、絶望のメリベルさんにとどめをさした。
「ええ、なにか、いますね?」
え、ニーナさんまで?
てっきり冗談とばかり思っていたぼくだったが、どうやら二人は本当になにかの気配を感じている様子。
マジか。本当に、なんかいるのか?
急に寒気が襲ってきた。それは、昨日の夜中に感じたものと同一のものだった。
「うへぇ、ほんとかよ。オレ、そっち系はあんまり得意じゃないんだけどなぁ」と、フィリエルが嫌そうな顔をする。
「あぶり出しましょうか」ニーナさんは言った。
「イエス、ボス」
それに応えてロゼが懐から取り出した物は、小さな小さな手鏡だった。あまりに小さすぎて、鏡の意味がないほどの。
ニーナさんはロゼから鏡を受け取ると、頭の高さにそれを掲げた。
「我の目に隠れし世界よ、隠匿の罪を憂いし神の名において、その秘密は今ここに暴かれよう━━」
詠唱とともに、鏡から光が漏れる。
その輝きは見る間に増大し、やがて部屋一面を包み込んだ。
あまりの眩しさに、とても目を開けているなんてできない。太陽光を直視するのと同じような危険性があった。
「なんも見えねぇーっ!」
フィリエルの声が、どこか遠くから聞こえたように錯覚する。
魔術の影響が弱まると、徐々に視界が戻ってくる。
ぼくの景色が元に戻った。
そして、フィリエルの隣に今までいなかったはずの女が立っているのを見た。
腰のあたりまである黒髪で、片目が隠れているが、露出したほうの目を、ぼくは確かに知っていた。
昨夜、ドアの隙間にあった、あの目に間違いない!
白い上着とスカートを履いた体は、半透明だった。向こうの壁が透けて見える。どうやら、生身の人間ではなさそうだ。
「!」ニーナさんも気がついた。
「やっべぇのキタッ!」ロゼも叫ぶ。
「ひっ、んっ━━」メリベルさんがぶっ倒れる。
「ほ?ほげぇぇぇぇぇぇっ!」フィリエルが大絶叫して、がに股になり両手を上げた姿勢で思いっきりツバを飛ばした。
「ぺぺぺぺぺぺ!」
なんだあの最低な、文字通り汚い攻撃は!
魔術でも肉弾でもなく、本当にパニックになったフィリエルってそうゆう攻撃方法になるのか、と勉強するぼく。
それどころじゃなかった。
「ぎえっ!ぎえっ!ぎゃがああああっ!」
ツバを吐きかけられた幽霊女が苦しそうに顔面を掻きむしっている。まるで死に際のような声が、耳に痛い。
まさか、効いているのか?
「わああああーん!」
そしてなぜか部屋から脱走するフィリエルと、成り行きを見守っているロゼ。ニーナさんですら、動けない様子だった。
ぼくは言わずもがな。なにもできませんよ、ええ。
そんな、ぼくたちの目の前から、女の姿が消えていく。
徐々に薄れていき、声もどこかへ遠ざかり、しまいには跡形もなく消え失せた。
まるで、最初からいなかったかのように。
「すごいものが見れましたね。あれが"めっちゃユーレイ"ですか」
「ゲロヤバ」
そう言ったロゼの顔も、心なしか青ざめて見える。
かなりハードな体験だった。
ぼくのライフが無くならなかったのが、奇跡のようだった。
それから、泡を吹いて倒れていたメリベルさんを介抱してから、ぼくたちはフィリエルが逃げた方向に向かった。
開かれた扉の先は、中庭になっているようだ。
正面にある、背の高い花々が植えられた花壇の中で、フィリエルは逆さまになっていた。
おそらく頭から地面に突き刺さったのだろう。天に向けてピンと伸ばした両足は、彫像のごとく動いていない。
なるほど、これから彼女は、土から養分を吸い上げ両足で光合成をしながら、植物として生きてゆく決心をしたのだろう。
おめでとう、そして、さようなら━━
(うれしくて)涙を流しそうになったぼくの気持ちをよそに、ロゼが「ふんぬっ!」と、フィリエルを引っこ抜いた。
完全に白目をむいて、なんか笑っていた━━怖すぎるって、それ。
こうしてひとまずの脅威は去ったと思われたが、結局、あれがなんだったのか、ニーナさんからの回答はなかった。
本当に悪霊だったのか?
どうしてあの家にいたのか?
その答えは、意外とすぐにわかるのだった━━
市の腕章をつけた救護班が、近くの家に殺到した。緊急の患者が出たらしく、家の者が呼んだのだろう。
市内の医院から5〜6人の人間が駆けつけていた。
なにごとが起きたのかと、ぼくたちは野次馬をしに行く。
ただの興味本位だったのだが。
担架に乗せられた患者が運び出される。
上下が白い服装の、病的に長い髪をした女性のようだった。
その顔を覆っていたタオルが落ちる。
女性の顔は、火傷でもしたかのように爛れていた。
「げええっ、あれって、いや、まさか・・・」
フィリエルは感づいたようだったが、まだ信じられず、混乱している。
そう、その女性はついさっき見たばかりの、あの女だった。
鮮明な記憶と合わせてみても、間違いなかった。
さらに言えば、あの火傷を負ったような箇所って、ちょうどフィリエルがツバを吐きかけたあたりのような気がする・・・。
そこまで来れば、ニーナさんには大体のことがわかったようである。納得した様子で、話しはじめた。
「おそらくですが、先ほどのユーレイはあの女性の生き霊だったのではないでしょうか?まるっきり同じ人物に見えましたし、あの火傷のような箇所も、符号するものがありますし」
もはや確定でしょうね、それで。と、ぼくは思った。
「なにか心当たりはありますか?」
その後、メリベルさんが語ったことによると━━あの女性は不倫の魔女と呼ばれている、悪い意味での有名人で、他人の物は良く思えるというやつなのか、気に入った既婚者男性を見つけると手段を選ばず誘惑するのだという。
そして決定的だったのが、メリベルさんと結婚する以前のマーシャルムさんを、徹底的に誘惑していたという事実だった。
彼女はマーシャルムさんが好きで、なんとしてでも手に入れたかったのだが━━マーシャルムさんは、あらゆる誘惑になびくことなく、思い人であったメリベルさんと結婚する。
さすがに諦めたものとマーシャルムさんは思っていたらしいのだが。
しかし、女性の執念は、それほど甘くはなかった━━というのが、今回の顛末だった。
ということで、いいのだろうか?
本当に解決したのか不安だったぼくたちであるが、以後数日が経過して、マーシャルムさんが帰宅してもなお、かつての現象は観測されなかった。
そんなわけで、ぼくたちは解決を見たのだと確信するに至ったわけだ。
夫婦にはとても感謝され、さすがは魔術師と誉めちぎられた。ぼくはなにもできなかったけれど、なんだか自分の手柄であるように思えるから不思議だった。
こうして、また一つ善行を積み重ねたぼくたちは、更なる先へと進むべく、船に乗るため港へ向かった━━
第三章 黄金の魔術師
長大なマクシマーグ湾を船で渡り、ぼくたちは、対岸の港町・ラクフォティへとやって来た。
エゼンスマ市よりもオシャレな街並みに、人の数も多い。首都側にあるエゼンスマよりも発展している理由は、おそらくアレだろうなと、ぼくは当たりをつける。
街の中心地にある、巨大なカジノ施設である。
カネと娯楽、その最高峰の建物があるために、各地から訪れる人間もたくさんいることだろう。
田舎町の小さなカジノとは規模がまったく違うので、遠目に見るだけでも気後れしてしまうぼくだった。
オシャレな外観の宿屋を選び、宿泊する。
人の数に合わせてか、宿屋はあちこちにたくさんあったけど、ここを選んだのはニーナさんだった。彼女とて、どこでもいいというわけではなかったのだ。今まではオシャレな宿屋なんてなかったから、ぼくはそんなニーナさんのセンスに気づくことがなかった、というわけだ。
部屋に入るなりベッドに錐揉みダイブするフィリエル。早々に備品を破壊するつもりなのか?
おそらく、常識は故郷に置き忘れてきたのだろうなと、憐れみの目を向けるぼく。
そして、二人部屋だったのでぼくとフィリエル、ニーナさんとロゼの2チームに別れたという事実!
この世の地獄!
その後、夕食のために宿の食堂へと集まって翌日の予定を立てる。
急ぐ旅ではない、という共通認識があったぼくたち魔術団なので、時間の余裕はいくらでもある。だから、すぐにこの街を離れようという話にはならない。
まずは準備が必要なのだ。
「とは言え、そろそろ路銀も尽きますので、わたしはこのレッドダイヤのイヤリングを、質屋さんに持って行こうかと思います」
ニーナさんが、赤く輝くイヤリングを手に言った。確かに、それは別に団長の魔力を込めたものでもなんでもない、ただのお高い装飾品だったので、売ってしまっていいだろう。
「お供する」と、ロゼ。
「わかりました、ではロゼも一緒に行きましょう。二人はどうします?」
「決まってんだろ、カジノだよカジノ。手っ取り早く稼いでくっから、カネちょーだい」
どうしようもないなコイツと思ったら睨まれた。
ぼくの心の声って、聴こえているのだろうか?
「わかりました、あんまりないですけど、これで」
わかっちゃったよ、ニーナさん。しかも貴重な有り金を全部渡してしまった。なんでそんなに信用できるんですか?
「おっけー、こんだけありゃじゅうぶん!」
「頼んだぞ、ギャンブラー」ロゼが親指を立てる。
「任せとけ!」
なんで、そんなに自信あるんだよ。
「つーわけで、オレとタケシはカジノ担当だ」
え?ぼくもなの?
なんだかガックリ来て、急に疲れが出てきてしまう。
なんでもいいや・・・はやくご飯たべて、とっとと寝ることにしよう・・・。
諦めの境地で、ぼくは現実から目をそらした。
翌朝、ぼくとフィリエルの二人はカジノへとやって来た。
オープン前から並んでいたような人々が、メインゲートに吸い込まれてゆく。施設は大きく、内部から他の建物へと繋がっている。ゲームごとに、それぞれ広いスペースが与えられていた。
その中でも人気のスロットマシンのコーナーが、メインゲートから入った最初のフロアに存在した。ここが最も広く、多くの客が楽しむ場所である。
カジノの中は、開店直後だというのに、かなりの数の客で賑わいを見せている。
スロットマシンの機械音が意外に大きくて、うるさかった。
「フンフーン♪どーすっかなぁ〜」
物凄く上機嫌のフィリエルは、今にもスキップをしそうな感じで、スロットマシンの間を歩いている。
ぼくはとにかく、そのうしろを追いかける。
途中、トークン交換所に立ち寄って、有り金ぜんぶをトークンに交換していた。正気の沙汰とは思えない。
「持って、タケシ」
しかも両手に抱えるサイズの、目一杯トークンが詰まった箱を持たされる。生き地獄のようであると、わたしは伝えようではないか。
歩くこと数分、一台のマシンの前で立ち止まる。
「タケシ、ちょっとコレやってみろよ」
「え、ぼくがやるの?」
てっきり荷物持ち専門だと思っていたので、意外だった。
「これ、リールが2つしかない超初心者用だから、配当はめっちゃ少ないけど、うまくすりゃジワジワ増やせるってヤツなんだよ。タケシにちょうどいいだろ?」
なんでもいいけど、えらく詳しいじゃないか。盗賊と兼業でカジノでもやっていたのか?
「ほら、座れって」
プレイ用の椅子に座らされる。トークンの箱はフィリエルが持ってくれた。
"トゥイン・リール"と書かれたマシンだった。
で、どうすれば?
完璧なる初心者のぼくは、なにもわからない。教えてもらうよりなかった。
言われるがまま、トークンをスロットに投入すると、マシンが派手に輝きだす。
左手でレバーを引くと、ガシャコンと音がしてリールが回転をはじめた。
その様子を、口を開けたバカ丸出しの顔で、ぼくは眺める。
リールは勝手に停止した━━が、なにも起こらない。
図柄が揃っておらず、ハズレなのだという。
なんだか、あっけない遊びじゃないか。と思う。
その後も何度か同じ作業を繰り返し、十数分後━━
「・・・・・・」
「・・・・・・え、一回も揃わねえって、え、お前、え、え?」
やたらと「え」とばかり発声するフィリエル。はて、なにかおかしなことでも?みたいな顔を、ぼくはした。
「ありえねーだろ、このマシンで一回も揃えらんないって、聞いたことねーよ。お前・・・なんなの?」
なんなのとは、なんだ。そんなもの、ぼくにだってわからない。機械の故障じゃないのか?
そう思って憮然としたぼくの上から、フィリエルがトークンを投入して、レバーを引く。
がしょん、がしょん、てれってって〜ん♪
なんて、今までは聞いたことがない音がして、わずかなメダルが払い出される。
犬の図柄が揃っていた・・・。
「・・・うん、だよなぁ・・・」なにかを一人で納得するフィリエル。ぼくはもちろん、納得がいかない。
払い出されたメダルを更にスロットに入れて、再び回転。
揃う図柄。
わずかばかりの払い出し。
・・・う〜ん、なんだろうなぁ。
「お前、アレだな。多分この世で一番ツイてねーわ」
自分で思うならともかく、他人から言われると泣きたくなる。
なんでもいいから発散したくて「わざわざ代替硬貨に替えてメダル出すって、二度手間なんじゃ」とか言ったけど、それはそういうものなので「それはそういうものなんだよ」と当然のお答えをいただいた。
ぼくの存在とは、いったい?
「まあ、タケシがギャンブルに不向きだってのがわかったから、収穫はあったな。よし、次いくぞ次」
もはや完全に意気消沈したぼくは、言われるがまま、ご主人様に付き従うのであります。
それからフロアをいろいろ見て回ったフィリエルは、最終的に部屋の中央にある、一際目立つマシンの前に立った。
ゴッド・ファイブ━━マシンの上部に金色の文字で大きく示された名前は、見るからに豪奢だ。
さらに、他のマシンでも何台か表示されたものを見かけた、ジャックポット時の払い出し枚数がある。ただし他と違うのは、その桁が膨大であるということだ。ゼロがたくさんある・・・よくわからないが、超高額だった。
リールが五つあることと、関係があるのだろう。
つまりそれだけ、揃いにくいというわけだ。
「一番やべぇやつ、やってみっかな」とフィリエル。
いやいや、一番ヤバイやつは避けてもらいたいのだが・・・。
「これ、プレイ料金高いんだよ━━ええっと・・・どっかの不運なアンラッキーボーイのせーで、あんましやれねーなぁ」
・・・・・・。
「7〜8回転ってとこだな。一発狙いだ」
それしか遊べないって、本当に高いんだな、と思う。その分払い出しも多いのだろうが、当たれば、の話である。
そして大抵、そうそうウマイ話はない。
「くっそ、やらかしたぁーっ!ざっけんな!カネ返せ!」
叫ぶフィリエル。
うわぁ・・・なんか、典型的なダメ人間を見ているような気がするんですけど、気のせいでしょうか。
ちょうど7回遊び終わって、収穫ゼロ。トークンはまだ残っているが、一枚足りないのでもう遊ぶことはできなかった。
最悪の結末じゃないか・・・ニーナさんになんて言うつもりだろう。まさか、ぼくのせいにはしないよな?
「あ〜っ、残念だったなお姉ちゃん。まあ、そいつで当てたヤツなんて、オレぁ見たことねーけどな、はっはっは!」
通りすがりのガラの悪い男が笑って行った。
フィリエルの顔面筋肉がピクピクしている・・・怖いぞ。
「あ、ダメだ、オレ、暴れるかも」
「いや、それだけはダメだって・・・」
本当に暴れられたら、ぼくには止められないからやめて欲しい。
「諦めて帰るしか━━」
「ちょっとどけ、タケシ!」
突然、突き飛ばされるぼく。
フィリエルがぼくの立っていたあたりに屈み込むと、なにかをつまみ上げた。
「おっしゃ!トークンめっけた!」
自分が落としたものか他人が落としたものか、たった一枚のトークンを握りしめたフィリエルの目に輝きが戻る。
「最後の勝負だっ、ぜってー潰す!」
なにを潰すんだよ、なにを。ってゆーか、そこまでして最後の最後まで使い切ろうという根性に、ぼくは戦慄した。なんたる無謀!なんたる狂気であろうか!と。
「うおおおお!」
気合いとともに、残りのトークンをすべて投入。
「死ねやコラァァァァッ!」
とんでもないことを叫びながら、渾身の力を込めて━━全体重を預けた両手で、ほとんど体ごとレバーを倒す。
瞬間、ガタタンとマシン全体が揺れて、レバーかどこかわからないがベキョッという音を聞いた。
見た目にはなんともないが、絶対なんかあっただろ、今の音は。
「オラ来いきやがれてめえこのオラこら!」
こいつ、もう無茶苦茶すぎるよ。本当に女なのだろうか。ぼく的には否なんだけど。
五つのリールが、ちょっとガクガクしながら回転している。
絶対におかしかった。
今まではもっとスムーズに回っていたと記憶している。
そんな、急におかしな挙動になったリールも、やがて左から順に止まっていった。
━━7。
━━7。
━━7。
━━7。
おいおい、嘘だろう?これって、五つ揃ったら━━
と思ったら最後のリールだけ7の手前、犬図柄と7の間で引っ掛かってしまったような、中途半端な位置で止まっていた。
「ふんっ!」━━ばきっ!
フィリエルがマシンをぶっ叩くと、リールがズレて7で止まった。
ええー。
というか、これって━━大当たりなんじゃ?
「うおらっしゃああああ!キタコレえええええっ!」
もはや完全に瞳孔が開いたフィリエルがのけ反りながら吠える。気がつけばフロアの全員が注目していた。
けたたましく鳴りつづけるファンファーレに、明滅を繰り返すスロットマシン"ゴッド・ファイブ"。
JACKPOTの文字が点滅している。
メダルは一切出てこなかったが、代わりにボーイが現れた。
「お、おめでとうございますお客様!すごい、まさか当てる人が出るなんて、ほんと信じられません!
あっ、失礼しました。ジャックポットは特別ですので、バックヤードのほうで、お手続きいただかなければいけません。御手数ですが、ご一緒にお願いします」
大勢の観衆が見守る中、フィリエルが手を振って盛り上げる。歓声と拍手に囲まれて、ぼくは萎縮してしまった。
急転直下の出来事に、まったく気持ちがついていかない。
「なんだと!おいおい本当かよ、本当にかよ!オーマイ・・・頼む姉ちゃんオレと結婚してくれ!なあ姉ちゃん頼むよお願いだからオレと結婚してくれえっ!」 と、確かさっき笑って通りすぎたはずの男が大声で求婚したが、フィリエルは笑顔で中指を立てるとそっぽを向いた。
「お客様、こちらへどうぞ」
スタッフオンリーの出入口からバックヤードに案内される。
わりと簡素な椅子とデスクで、しばらく待たされた。
なにやら話し声が近づいてくる。
「━━どうして━━ではないのか?━━なんで━━」
よく聞き取れないが、明るい声ではない。なにか問題でも起きたのか?と疑う。
数人の男を引き連れて現れたのは、シルクハットを被った初老の男性だった。
「いやあ、まさか、ジャックポットを出されてしまうとは思いませんでしたよ、おめでとうございます。
ああ、申し遅れました。わたくし、当カジノの支配人をしておりますバクチッチと申します」
バクチッチさんが握手を求める。フィリエル、ぼくの順で握手をした。ぼくの手が汗でびちょびちょだったので、一瞬、表情が曇った気がするが、仕方ないじゃないか。
ぼくは小心者なのだ。
「まあ、こちらとしましては、正当な、真っ当でフェアな商売をしているつもりなんで、ええ、ジャックポットの払い出し分は、しっかりお渡しするつもりですし、手続きもします━━」
なんだ?何が言いたいんだ。歯切れも悪いし。怪しいな。
「しかし、ええ、まさかジャックポットを出されるとは、いやはや夢にも━━」
話が長そうだ。とっとと手続きをするのが嫌なのだろうか。
「ああ、それで、ですね。
当カジノといたしまして、一つ、規定がありまして━━お客様が魔術師であった場合は、無効とさせていただくことになるんですよ。それは、あくまでも通常の、魔術を持ち得ない、普通のお客様を想定した施設なわけですので、まあ、魔術師協会のほうでも周知していただいておりますので、そのようなかたはいらっしゃらないかと思うのですが━━」
じゃあ、アウトじゃないか。この女、魔術を会得しているし。
「念のため、お客様のお名前を、魔術師協会のリストと照合させていただきますので、ご了承ください」
あ、だったらセーフだ。
フィリエルの名前など、魔術師協会には登録されていない。団長だったら話は別だが、ぼくたちは、魔術師協会なぞには所属していないのだ。
バクチッチ支配人から渡された書類に、フィリエルが必要事項を記入する間に、スタッフが名前の照会に向かう。
ぼくは暇になった。さすがに緊張も薄れてくる。
「でもなんで・・・おかしいなぁ・・・ぜったいに揃わないはずなのに・・・どうやって・・・」
小声の独り言だったが、バクチッチ支配人は完全に口を滑らせていたし、完璧に聞こえていた。
フィリエルにも聞こえたはずだが、反応はない。
やっぱり、インチキじゃないか。最初から揃わないようになっているんだ。
あれ?じゃあ、なんで・・・。
大体の事態が飲み込めたので、ぼくはすべてを忘れることにした。お互いにとって、それが最善かと思われたからだ。
ほどなくしてフィリエルが魔術師ではないとの判断が下り、晴れて手続き終了となり、ぼくたちは、大金持ちになった。
★
片手に金のインゴットを持ったフィリエルと、両手に現金が詰まった袋を持たされたぼくが、大勢の人間に注目されながらカジノ施設をあとにする。
カジノですら、全額をいっぺんには支払えないということだったし、ぼくたちとしても、一度に持ち運べるわけではない。なので、獲得した金額のほとんどはカジノに『預けた』かたちになった。持ってきたのは、その中のごくわずかな量である。
それでも、当面の生活にはまったく困らないほどの金額がある。
しかも、カジノの預り期限もなく、あるいは潰れるなんてことがあっても、契約上預けた金額は保証されるということで━━ぼくたちは、この世界において、ほぼ一生安泰だと言える地位を獲得したことになる。
だが、それにはほとんど意味がない━━ということを、ぼくはなんとなく、わかっていた。
お金など、重要ではない。
少なくとも、ぼくたちにとっては━━
宿屋"綿毛の平原"に戻ったぼくたちは、ニーナさんチームと合流。ことの顛末を説明した。
「すごい、本当ですか・・・あぁ、でしたらイヤリングは売らなくてもよかったわね」
「すごすぎ。神」
ロゼが、おそらく最上級の賛辞を贈る。
「賭博の神。ゴッド」
「へっへっ、まーなー!どっかの誰かと違って、運が違うんだよ運が!」
どこかの誰か、ね。誰だろね。
「そんでさ、聞いてくれよ。タケシのやつ━━」
ご丁寧に、ぼくのツキのなさを詳しく、微に入り細をうがつように話すフィリエル。
「そういうことも、ありますよ」
フォローしてくれたニーナさんには悪いけれど、多分、そういうことはないと思う。一回も揃わないなんてことは。
「ほお・・・逆に神・・・逆の神?つまり・・・悪魔?」
ロゼの中ではそうなったらしい。とうとう悪魔呼ばわりとは。
泣けてくる。
「これでもう、路銀の心配はなくなりましたね。安心して旅を続けられます」
「やっぱオレって、役に立っちゃうよなぁ。誰かと違ってさ」
誰か?はて、誰のことやら。
ばくは大量の現金を運ばされたことで、両腕が上がらなくなっていた。多分、肩が壊れてしまったと思う。実際ライフも減ってたしね。
明日の筋肉痛が恐ろしいけれど、明日は必ずやって来る。
大型船で運ばれた馬車は、港に着くなりそのまま預けたままだったので、まずはそれを引き取りに行く。
馬は馬小屋にいるので、手続きのため港湾事務所へ行く途中で、ついでに様子を見る。ニーナさんに"レディ"と名付けられた牝馬は元気そうだった。
手続きを済ませて、馬車を引き取る。
ここから、旅の再開だ。
ラクフォティの出口付近で、形ばかりの検問を受けるが、二三会話をしたくらいで、ろくに調べもしない。この街の平和さが、それを許しているのだろう。世界最大級のカジノを擁く街とは思えない。
街道に出、暇になったぼくはラクフォティの雑貨屋でフィリエルに買ってもらった(と言うと、情けなく聞こえるが)世界地図を広げてみる。
馬を操っているのは、珍しいことにロゼであった。「なにごとも、経験」と、随分やる気を見せている。
ぼくは最新版であるという、世界地図に見入った。
現在位置はほぼラクフォティ市の近辺。マクシマーグ湾を挟んで西にエゼンスマ市。さらに西へ行けば、首都・ザパンシティがあって、周辺には小さな町や村などの名も記載されている。フィリエルの故郷であるイチチ村の名前もあった。
刮目すべきは、そのさらに西━━ぼくの旅の始点だ。そこには山脈の絵が描かれており、その外側はすべて黒く塗り潰されていて、白文字の"World's End"が記されている。
つまりは、世界の終端━━その先には、なにもないという。
本当だろうか?
確かに、世界を取り囲むような壮大な山々があり、その向こう側など見ることはできなかったけれど━━
遥か北方には氷の王国・アスバーン。ロゼの故郷だ。
そこからさらに北へ進むと、急に世界が途切れてしまっていて━━"World's End"の文字がある。
南には大洋がどこまでも広がっていて、最終的には切り取られたように黒い部分が現れる。こちらもやはり"World's End"。
この世界はどうやら、球体ではなく、平面らしい。
ぼくの知識(これが、なにに由来するかはわからないが)によれば、惑星が自転することで、昼や夜があるはずだ。
ならば、この世界の太陽はなぜ沈み、昇るのかという話になる。まさか向こうが動いているわけではあるまい。
謎すぎて、頭が痛くなってくる。これはそのうち、ニーナさんに訊ねてみようと思う。今は、気持ちよさそうに寝ているから、その時ではない。
再び地図に集中し━━右手側━━東に広がる土地を見る。
まだまだ先は長い。首都から離れてもなお、大きな街や小さな村などは無数に存在している。
目指すはその終点━━東の"World's End"である。
それはそうと、考えてみれば世界政府の本拠地・首都とされる街が、どうして西の端っこにあるのか、そこからして謎ではあったのだが。
なんだか、この世界には謎が多いな━━そう思いながら、金のインゴットをなぜか頭に乗せている謎なフィリエルを見やる。
ロゼに「黄金の魔術師、爆誕」と言われて気をよくしたのか。
すこぶる機嫌はいいのだった。
第四章 異次元からの来訪者
ラクフォティから伸びる街道を進み、最初の町が見えた。
ぼくの地図によれば、オトという名の町だ。
農作物を植えた畑が村を取り囲むように広がっている。
仕事中の町人もちらほら。もうすぐ陽が沈むころなので、そろそろ道具もしまいはじめる。
「旅人の宿、発見」
すっかり馬の操縦にも慣れたロゼが、報告した。
「宿屋"タニシの寝床"」
名前まで報告した。なんか、微妙な名前だけど。
大丈夫だろうか?
馬車専用の駐車スペースがわりと広い。すでに先客もいるらしく、馬が繋がれている。
宿屋自体も、町の規模からすれば、かなり大きなものだった。ラクフォティへ続く街道上にあり、その一番近場であるという立地条件のためだろう。きっと、儲かっているに違いない。
「へい、あらっしゃい!」
扉を開けて入るなり、威勢のいい声をかけられる。『あらっしゃい』はもちろん『いらっしゃい』のことだろう。わざわざ説明してしまったじゃないか。自分に。なんだろう、精神が不安定なんだろうか、ぼくは。
「おっちゃん、一番いい部屋、四人分な!」
「あいよ、わかった。いっちゃんいい部屋、四名様っ!」
なんとなくフィリエルと宿屋のオヤジの息が合っているというか、同類の気配がする。ぼくの苦手なタイプだ。
"一番いい部屋"は大人数でも泊まれそうな広さで、内装もわりと豪華な部屋だった。いよいよ、小さな町には似合わない。
あのオヤジ、相当儲けてやがるな、と推察する。
ベッドの端に座ったロゼが、背負い袋をガサゴソ━━中から取り出したのは、ラクフォティの玩具店で購入したオモチャだった。
三センチくらいの厚さがある四角い土台の上に、身長十センチほどの拳闘士の人形が二人、向き合っている。それらは機械仕掛けになっており、台の端から突き出ている三つの棒で、人形本体、腕、足がそれぞれ動かせるような仕組みだった。
「タケシ、勝負」
言われたので、ぼくもオモチャを挟んだ反対側に座る。どの棒がどこに対応しているのか、軽く確認。
「いざ尋常に━━ファイッ!」ゴングが鳴る━━鳴ってないけど。
開始早々、拳を振り回すロゼ。遮二無二乱打するが、そんなもの、距離を取ってしまえば当たらない。
ぼくは前蹴りで牽制。ロゼを間合いに入らせない。
今度はキックに切り替えたロゼが、徐々に距離を詰める。常に蹴りを放っているので、一見隙はなさそうだが、実はあるのだ。
そんなに無闇に連打を繰り返せば、そこにはリズムが生まれる。
相手の足が下ろされる一瞬のタイミングで、一気に間合いを詰めると同時に拳を突き出す!
ぼきっ、と効果音が鳴って、ロゼ(が操る人形)の首が折れる。体から力が抜けて、膝を付いたところでぼくのサイドにWINの表示が点灯した。
おー、このオモチャ、楽しいかもしれない。
「・・・・・・な」言葉を失っているロゼ。
そんな彼女に、ぼくは渾身のドヤ顔を見せつける。
「痛ったい!」爪先を踏まれ、ライフが1ポイント減少した。
「ゴッド召喚」
よほど悔しいのか、今度はフィリエルを引っ張って連れてきた。
「神の裁き、カモン」
「これってロゼが買ったオモチャじゃん。なに、タケシに負けたのか?おもしれー、オレに任せな。こんな糸屑野郎、三秒もありゃあ粉々にしてやるよ!」
なんだか、最近のぼくに対する暴言が目に余るのですが━━ようし、そっちがそんな態度なら、と、ぼくも気合いを入れる。
日頃の鬱憤を晴らすなら、今が最大のチャンスだろう。
絶対に負けないぞ。
「いざ尋常に、ファイッ!」ロゼが言う。
「オラァァァ!顔面ガラ空きだぜ糸屑ちゃんよぉーっ!」
フィリエルが猛然とラッシュをかける。が、やはりぼくは一定の間合いを取りながら、軽い蹴りを連打する。
このオモチャのよくできたところは、しっかりと手より足のほうが長く作られているところだ。なので、フィリエルの足元にポコポコ蹴りを当てて、動きを制限してやる。軽い蹴りなので倒すには至らないが、それで十分。
業を煮やしたフィリエルが蹴りに切り替えたその一瞬を見逃さず、ぼくは距離を詰める━━相手の足が上がりきる前に威力を殺し、なおかつカウンターの必殺パンチを叩き込む!
ぼきいっ、という派手な効果音とともに、やはりフィリエル(が操る人形)の首が折れる。
やった!ぼくの勝利だ!
やってやったぞ、ついに、ぼくはフィリエルを凌駕した!
こんな素晴らしい瞬間があるだろうか、ははっ、ざまあみろ!
「ははっ、ざまあみろ!」やば、声に出ちゃった・・・。
「!」大きな目を見開いて、口の両端を吊り上げるフィリエル。
まるで悪魔そのものじゃないか。
そんな悪魔の笑顔を張り付かせたまま、フィリエルがほとんど無意識に突き出したストレートパンチがぼくの顔面を陥没させて、ライフが見事になくなった。
嘘ぉ・・・えー、仲間に殺されるって・・・もうシャレになって・・・・・・。ぼくの脳機能は停止した。
☆
「あれ?タケシくんの姿が見えませんけど」
ニーナがフィリエルとロゼの姿を確認して、言った。
「なんか別の部屋で寝るって。変なヤツだぜ、まったく」
そう言ったフィリエルの後方、押入れの中にタケシの亡骸は隠されていた。
すぐに生き返らせなければ、取り返しのつかないことになる━━というわけではない、という事実を知っている上でのいたずらだった。
「そうですか、タケシくんも、お年頃ですからね・・・」などと、まったく疑いを見せないニーナ。ロゼは我関せず、といった様子でオモチャを片づけている。
「明日は、休み」片づけ終わったロゼが、ころんとベッドに転がった。
翌日は、この町にとどまることになっていたので、すでに二晩分の宿代を支払っていた。
「さぁて、勝負もついたし、寝るとすっか」
「なんの勝負ですか?」
それには答えず、フィリエルはベッドに潜り込む。
翌朝、宿屋の朝食に集まる三人。そこにタケシの姿はない。
「あら、タケシくんは?」
「なんか調子悪いから、朝飯食わないって。今日は寝てるって言ってた」
さらっと嘘を報告して、食卓に座るフィリエル。
ロゼは寝ぼけているので、テーブルのカドで引っ掛かっている。ニーナがそれを引っ張って、椅子へと導いた。
「タケシくん、大丈夫でしょうか」
「あー、ダイジョブダイジョブ、どうせ風邪だろ」
適当なことを言い、朝食を食べ始めた。
宿屋の前が騒がしくなり、人の数が増える。すぐに異変に気がついた三人も、外へ出る。事件の予感がした。
「どうした、なにがあったんだ」フィリエルは、もはや顔見知りの親しい人間と認識している宿屋の主人に話しかける。
「ああ、嬢ちゃん。それがよ、なんだか子供がいなくなったとかで、大騒ぎしてんのよ」
「いなくなったんじゃなくて、さらわれたそうよ」近くにいた若い女性が言った。
「なんだって、そいつは大変じゃねーか!」
「ミックスさんとこの、ミカリンちゃん(8才)がさらわれたって、ベンベレおじいさんが」
ミックスさんもミカリンちゃんもベンベレおじいさんもまったく知らないが、どうやら誘拐事件の様相である。
そこへ、首都警備隊ラクフォティ支部オト出張所の兵士が到着する。人数は二人。そのうちの一人は、見たことのある顔だった。
町人から話を聞き、さらに詳細を訊ねるべく目撃者と子供の母親だけを指名して、宿に入るよう促す。場所の提供を宿屋の主人に確認したところで、ようやく三人に気がついたようだ。
「あれえ、お嬢さんがた、奇遇っスねぇ!まさか、またお会いできるなんて!オレです、チャラウスっスよ。まさか、忘れていないですよね?」
それは、山岳地帯ではじめて出会った、政府の男だった。以前とは違い、兵士の格好をしている。前は私服のようないでたちだったので、違和感があった。
「知らん」
「知らねーな」
「どちら様ですか?」
三人揃って、すっとぼける。ニーナが乗ってきたのは意外であったが、彼女たちの連携が熟練してきた証かもしれない。
「うっそ〜ん!いやいや、そんな去年の話でもないのに!」
「冗談だって。あれだろ、馬糞を蒸し焼きにして食べるのが好きなチャラウスくんだろ?忘れてねーって」
「誰っスかそれは!馬糞を蒸し焼きにして食べないほうのチャラウスっスよ!その憶えかたなら、逆に忘れてほしいっス!」
目撃者のおじいさんがねむたくなってアクビをする。
「ところでもう一人、男性がいませんでしたっけ?」
しっかりとタケシも記憶していたらしい。これは、男性には珍しいことだった。大抵の男はニーナとロゼと露出過多なフィリエルにしか興味がない。タケシの姿を記憶しないのだった。
「ああ、あいつは風邪引いて寝てるよ。病弱だから」
けして死んでいるとは漏らさないフィリエル。その嘘つきぶりは徹底している。
「おっといけない、仕事を忘れるところでしたよ」
目撃者のおじいさんはすでに眠っていたが、起こすしかないだろう。
「話によると、ミカリンちゃん(8才)が早朝、犬の散歩をしていたところ、翼の生えた悪魔に森のほうへ連れ去られた、と」
「悪魔、ですか。確かに、翼が生えていたのなら、人間ではなさそうですね」
「たまに羽生えてる人間、いなかったっけ?」
「それはさすがに、いない。しっかりしろ、ゴッド」
「う〜ん、ちょっと聞いたことない化け物っスね。本当に悪魔とかだと、事は簡単じゃないっスよ」
太古、邪神の中には、背に翼を持つ者がいたとされるが、そういったものであれば、自分たちの手には負えない、とチャラウスは言った。
「黒いフードの男(あるいは女)が、関係しているのでしょうか?」
ニーナは強大な魔力を秘めた謎の男(?)を思い浮かべる。邪神の封印を解く━━そのような話をしていた人物。
「ああ、前に言ってた例の魔術師っスか。
あの後も継続して調査はしてるみたいなんスけど、いまだ正体はわからないみたいっスね。もしかしたら、今回の事件にも関係しているかもしれないっスね。可能性はあるかも」
ベンベレおじいさんの話によれば、ミカリンちゃんが連れ去られたのは町の北に広がる森の方角らしい。
翼の生えた悪魔が、ミカリンちゃんを抱えて飛び去ったという。それが本当であれば、どれほどの距離を飛行したのか、予想は困難だった。
そして、ミカリンちゃんの安否も不明。
母親のミックスはもはや娘の安否が気がかりで、まともな精神状態ではない。
彼女は、宿屋の夫妻が面倒を見てくれている。その間に、チャラウスともう一人の兵士、そしてスカーレット魔術団の三人が協力して捜索することが決まった。町民の中にも有志はいたが、なにしろ相手が相手なので、万が一を考えて同行は避けることになった。
「では、捜索開始と行きますか。っと、その前に紹介が遅れましたが、こちらは新米兵士のジェンダーソンくんっス」
「あ、どうも。ジェンダーソンといいます。まだ新人ですが、チャラウスさんに倣って、がんばりますので、よろしくお願いします」
「足手まといになんじゃねーぞ、兄ちゃん」
「は、はい・・・」
言葉づかいとか、あるいは自分より年下なのでは、といった考えが薄れるくらいに、ジェンダーソンの目はフィリエルの胸元に吸い寄せられていた。
その様子をロゼがじーっと観察している。
「失格」
「え、何が?」
ロゼの独り言を拾ったフィリエルが首を傾げた。
「肌色の魔術師」
「うわっ、なぜか急に黄金じゃなくなった!」フィリエルが落胆する。
「それじゃあ森に入りますよ。だいたいの方角がわかるだけっスから、正直、どこまで歩くかわかりません。そこんとこは、覚悟しといてくださいっス」
「大丈夫だって━━ニーナはちょっと心配かなぁ?」フィリエルが、ニーナの方を向いて言う。
「大丈夫です。たまには運動もしないといけませんし」
「ボス、ガンバ」ロゼが拳を握った。
「よっし、そんじゃあ行くか!」
五人の捜索隊は、森の中へと踏み入った。
森は深く、何者が潜んでいてもおかしくはない。土のにおい、草木のにおい、あるいは、獣のにおいすら漂う。そのいずれかが悪魔と呼ばれた誘拐者のものかもしれず、油断はできない。
五人分の足音が、時に枝を踏み折りながら進んで行く。それで、野生動物であれば逃げるだろうし、誘拐者であれば身を隠すだろう。とは言え、足音を立てずに歩くことなど不可能だったし、フィリエルが鼻歌を響かせているので、今更気にする人間はいない。最大の目的は、あくまでもミカリンちゃんの保護である。
全神経を集中させて、辺りの気配を探る面々。
鳥の影が飛び立ち、木立が揺れる。
風はないので、わずかな葉擦れの音さえ疑われる。
━━突然、木々の向こうに廃屋が現れた。
それは、古めかしい教会のような建物だった。
ひび割れて、ほとんど半壊に近い状態で残っている。背の高い雑草に囲まれて、どこが入り口かもわからない。それでも半分崩れているわけだから、侵入口はいくらでもあった。
「なんスかね、ここ。昔の教会みたいな」
雑草をかきわけて、なんとか近づいていく。
壁のいたるところが崩れて、大小の穴だらけの外観。建物の左手側は屋根部分からまるごと無くなっていたので、そこから中へ入れそうだ。
「みなさん、気をつけてくださいっスよ。なにが出るかもわかんないっスから」
「すっすすっすうるせー、早く行け!」
「そんな〜」
フィリエルに小突かれるチャラウスを先頭にして、警戒しながら侵入する。一見して、生物の気配はない。
「うわぁ!」急にジェンダーソンが驚く。
「どうしたんです、ジェンダーソンくん?」
「あ、あれはなんですか?ものすごく大きい・・・なにかの卵?」
彼が指さす場所に、全員の視線が集まる。
そこには、二メートル近くもありそうな、巨大な『繭』が存在していた。
天井と壁の境━━まだ原型の残る建物のカドに、しっかりと固定されたように下がっている。異様な物体。
確かにそれは、巨大なクモかなにかの卵を想像させる。
それに加えてあのサイズとくれば、想像を拒みたくなるような怖気に襲われたとしても、不思議はない。
どんな化け物が飛び出して来るのか━━そういった危険性を孕んだ物体に思えた。
「デンジャラス・エッグ・・・もう帰る」
ロゼは少しずつ後退して行った。
「大丈夫だって、どうせ化け物グモかなんかだろ」
みんなその化け物グモが怖いのだが、フィリエルはまったく意に介さない様子である。生身の生物にはめっぽう強い。
「卵があるってことは、親もいるってことっスよね・・・」
と、チャラウスが言ったその時━━。
天井付近の風景が、一瞬ぐにゃりと歪み━━突然、その空間に巨大な"蛾"の化け物が出現する。
二メートルほどの体躯をした、巨大な蛾。 ただし、それには人間のような手と足が備わっている。まさに化け物だった。
「なっ、どっから出やがったんだ、あの化け物!」
それは、外から来たわけではない。どう見ても、空間そのものから現れたとしか思えなかった。
手と足がある以外は蛾そのものの怪物が、浮遊している。
「なんなんスか、あれは」
「あれは、モスマンと呼ばれる生物です」
「なんだそれ?なんで知ってんの、ニーナ」
「本来、この世界の生き物ではありません。局所的な、時空間の歪みを通ってやって来たのでしょう」
「さすがボス、超物知り」ロゼが誉める。
「なんだかわからないっスけど、この世の者じゃないなら、まさにそのもの、悪魔ってことっスよね」
「話してる暇はなさそうだぜ、来るぞ!」
それを合図に、蛾の化け物"モスマン"が向かってくる。
「おわっ!」真っ先に狙われたフィリエルがとっさに炎を放つと、構成が不完全だった魔術は拡散し、横方向にはじけ飛ぶ。
「ぎゃああっ!熱っちぃ!」
悲鳴を上げたのはチャラウスだった。
「なんでオレに来るんスか!」
「悪い、滑った」滑ったわけではないが、そう弁解するフィリエル。肝心の敵は、直撃こそ免れたものの、炎の攻撃により再び天井付近へと戻っていた。攻撃の機会を窺っているのか、その慎重な様子には知性があるように思われた。
「よし、ロゼ、やっちまえ」フィリエルが指示を出す。
「オッケ。カチコチかき氷!」
そう名付けられた氷の散弾が、モスマンに向けて打ち上げられる。
当たった━━そう誰もが思ったのだが、避けたはずもないモスマンの位置が体二つ分ほど横に移動していた。
まさに、瞬間移動。
超高速で動いたにせよ、人の目で捉えられない動きは、もはやそうと呼ぶしかなかった。空間から空間への移動に、まったく時間を要さない。
「そんなん、勝ち目ねーじゃん」
あの勝ち気なフィリエルも、現実を正しく認識している。攻撃が当たらないとなれば、少なくとも、倒すことはできない。
最高でイーブン。そんな戦いになる。
「勝つ必要はありませんよ」突然、ニーナが言った。
「どうするんスか?」
「わたしが話しましょう。あの方を、元いた世界に戻します」
「なにそれ!話すったって、通じるわけ━━」フィリエルが言い終わらぬうちに、ニーナの手のひらから何かが浮き上がる。
黒い真珠のようなものが、わずかな輝きを放ちながら上昇していく。
「別たれし言語━━ほどけた糸を再び結ぶ、鏡合わせの神の元━━」
詠唱とともに、黒い真珠の輝きは増して━━世界が、白い光に包まれる。
『あなたはどこから来ましたか?』
『ミーは、青ト赤ノ世界に、イた』
『どうして、この世界へ来ましたか?』
『雲ノ上ノ丸に入っタら、ここにキた』
『なんのために、女の子を連れ去ったのですか?』
『食べルため。溶かシて、食べルため』
『女の子は、無事ですか?』
『まダ、溶けナイ。時間かかル』
『元の世界へ、帰りたいですか?』
『帰りタイ。ここ、ミーの場所じゃなイ』
『それでは、お帰ししましょう。あなたの、元いた世界へ━━』
視界を埋め尽くしていた白い輝きが消失する。
チャラウスは、なにが起きたかわからない。視力を失ってしまったのかと思ったほどだ。
景色が戻ったことで、フィリエルは全員の位置を確認した。みな、同じ場所で同じように戸惑っていた。ニーナを除いては。
「どうなったっスか?」
「あれ?化け物消えてんじゃん!」
フィリエルの言った通り、そこにはすでにモスマンの姿は無くなっていた。あの光の中で、消滅したのであろう。そう考えたのだが、違っていた。
「モスマンは、彼が元々いた世界へと帰りました。もう、現れることはないでしょう」
「違う世界っスか・・・ちょっとにわかには信じられないものがあるっスけど」
「どうしてそのような生物が、やって来るんですか?」ジェンダーソンがニーナに問いかける。
「最近になって、この世界の時空に歪みが生じてきました。おそらく、その影響の一つでしょう」
「時空の歪み・・・そんなことが?」
「それよりも今は、早く少女を助けなくては」
「助けるったって、一体どこに━━」
「あの繭の中です」
「マジっスか」チャラウスが上を見上げた。
いろいろ瓦礫や家具の残骸などを積み上げたり、終いには肩車をしたりした男性二人の手によって、ミカリンちゃんは救い出された。
衣服の一部と髪の毛がわずかに溶けていただけで、命は失われていなかった。救出成功だ。
「早い段階で見つかったのは、本当によかったっスね」
「そうですね、これ以上溶かされれば、危なかったと思います」意識のないミカリンちゃんの体を拭きながら、ジェンダーソンは言う。ネバネバの粘液がなかなか取れない。
「あとは、水で流さないとだめですね」
「それでは、町へ戻りましょうか」
そうっスね、とチャラウスは言うと、ミカリンちゃんを背中におぶって歩き始めた。
太陽が中天に差しかかろうかという時刻になっていた。
★
ニーナが部屋に戻るより先に、フィリエルはタケシの死体をベッドの上に用意して、なに食わぬ顔でくつろいでいた。そこへニーナがやって来て、死んでいるタケシを発見する。フィリエルは「風邪で死んだのかな」と言い、ロゼは「とうとう自然に逝くようになったか」と呟いていた。
ともあれ、急いで蘇生の術を施したニーナの手により、実に十時間以上の時を経て、タケシはこの世に舞い戻った。
「・・・・・・」
ぼくは恨みがましい視線をフィリエルに送っていたが、彼女に飴玉を投げつけられただけで終わった。
「悪かったよ、オレのせーだよ。飴、舐めろよ」
まあ、そんな感じだけど謝罪と言えば謝罪である、ぼくはいくらか気持ちが収まるのを感じて、投げつけられた飴玉を口に含んだ。
「ブーッ!」
めっちゃくちゃクソまずい味だったので、拒否反応を起こした体が反射的に飴を吹き出させる。
「なにこれ、食べ物?」ぼくは口を拭いながら訊ねる。気分の悪くなる臭いが、口の中に残っていて取れない。
「え、そんなまずい飴だったか・・・なんだこれ、『馬糞味』って書いてある」
「味が食べ物のやつじゃないし!おかしいし!」
「宿屋のお菓子ボックスから持ってきただけだから、オレのせいじゃないぞー」
「うう〜」おそらく人生のドン底を味わった気がしたぼくは、もうこれ以上の底がないことだけを願った。
ぼくが死んでいる間に(この表現は、まったくもって納得がいかなかったが)なにかの事件が発生し、すでに解決されていた。後程ニーナさんから事件のあらましを聞くまで、ぼくは話についていけなかった。
「本当にありがとうございました。あなた様がたのおかげで、娘を取り戻すことができました」
「ありがとう、お姉ちゃんたち!」
ミックスさんという母親と、その娘であるというミカリンちゃんの二人に、ぼくたちはとても感謝された。
う〜ん、フィリエルが仲間を殺害する女だと知ったら、どういう反応をするだろう。などと、ぼくは少しだけ思う。もちろん黙っているけれど。
「みなさん、今回ばかりは本当に助かったっスよ。ジェンダーソンくんと二人だったら、ヤバかったと思うっス」
「まあ、そうだろうな。オレたちがいなかったら、お前今頃繭の中にいたかもな」
「おそろしくて、考えたくもないっスね」
「ところでお前、なんで左遷されたの?」
「左遷じゃないっス、出張っスよ!まったく、人聞きの悪い。新米兵士ジェンダーソンくんの教育係として、わざわざ派遣されて来たんスから。つまり、それだけ優秀ってことっスよ」
「ジェンダーソン、お前ってイケメンだよな。今更だけど」フィリエルは全然聞いていなかった。すでにジェンダーソンくんのほうに興味が移っている。
「え、そうですか、そんなことは・・・」ジェンダーソンくんは照れながら、間近に接近したフィリエルの胸元をチラチラと気にしていた。
当然ロゼに見咎められる。
「おっぱ〜い」と、遠くからジェンダーソンくんに向かって小石を投げつけるロゼ。
「おっぱ〜い」投げつづける。
そして、ジェンダーソンくんの顔に見事命中。
「痛い!ちょっと、なにをするんですか、やめてください」
ふっ、そのくらいで騒ぐなんて、キミもまだまだだな、ジェンダーソンくん。ぼくなんて、殺されるんだぜ?と、内心先輩面をしたぼくは思った。
町を発つ準備を終えたぼくたちは、町の出口で、ほとんど全員なのではと思うような大勢の人々に囲まれていた。
ミカリンちゃんをほぼ無傷で救出したことで、町の英雄として称えられる。ぼくはなんにも関係なかったから、とても場違いな印象を受けたけど、まあ、仲間が誉められるのは嬉しいものだ。たとえ殺人鬼だとしてもね━━フィリエルさん。
「あなたがたの旅の無事を祈ってるっスよ」
「おう、祈っとけ。またな、ジェンダーソン」
「は、はいっ。是非また、お会いしたいです!」
ジェンダーソンくん、殺人鬼フィリエルに惚れてませんか?と、ぼくはそんな恐ろしいことを考えてしまう。
たくさんの人に見送られて、ぼくたちの旅は再開した━━
第五章 銀の浜辺にて
ラクフォティからオトを経てつづく街道を東へ二日。細い脇道を除けば最初の分岐である二股に分かれた道。左へ進むと山岳地帯を通過しなければならないということで、ぼくたちは右へと進路をとった。
こちら側は海沿いを通るルートで、ほぼ平坦な道がつづくとのこと。一度通った経験があるというニーナさんは、いろいろなルートを心得ているようだ。
「じきに海辺の村が見えます、そこで休みましょう」
「よっしゃ、海なんてガキの頃以来だからな、楽しみだぜ」
今でも十分ガキだけどね、などとぼくは思う。まちがって口を滑らせようものなら、即刻命はなくなるだろうが。
そう考えると、ぼくって常に危険と隣り合わせているようなものじゃないのか?
それに気づいて、鳥肌がたった。
そのままバードスキンマンとなっていたぼくの目に、きれいな海辺の景色が飛び込んでくる。
陽光に煌めく砂浜が、銀色に輝いて見える。
海の透明度も素晴らしく、ほんの小さな村には似合わないほどの景色があった。
馬車で潜った木製のゲートには「ようこそ、カリマシラ村へ!」と書かれてあった。気持ちの悪い深海魚のような絵がシュールである。村人の誰かがよかれと思って描いたのだろうが、おそらくなくてもよかったと思う。いや、ないほうがよかった。
「宿屋は浜辺のほうにあります。小さいですけど、数がたくさんあったはずだから、二組に別れれば大丈夫です」
え、ニーナさん・・・またかよ!と、内心で吠えるぼく。頼むからあの殺人娘と二人きりにはしないでくれ、ぼくの命が危ないから!
よほど懇願しようかと思ったが、思わぬところから、救いの手は差しのべられた。
「そんじゃ、今回はオレとニーナが一緒で。ロゼもたまには、タケシと一緒だっていいだろ?」
おお、なんという奇跡だろう。
でも単に、こないだのことがあるから、いかにフィリエルとて多少の気まずさがあったということだろう。
「む・・・仕方ない、もやし小屋で寝るか」
あまりワガママを言わないロゼは、大人しく了承する。
とりあえずはこれで、部屋で死ぬことはなさそうだと、ぼくの気持ちは軽くなった。
宿に荷物を預け、番をしていると言ったニーナさんを除いた三人で村をあちこち見て回る。
ロゼがなにか片手に袋を下げているが、なんだろう。
「お、質屋発見」
「なんだロゼ、質屋なんか行くのか?」
目的はわからないが、ぼくとフィリエルも一緒に向かう。村の小さな質屋『がらくた集め』という店だ。そんな名前だからか、看板が傾いている。
「いらっしゃいませ」店主はまだ若いお兄さんだった。
「これ、いらない」ロゼが取り出したものは、例の拳闘士のオモチャだった。ぼくに勝てないからか、すでに飽きたらしい。
「おー、そんなもんは売っちまって正解だ!」
フィリエルも賛成するが、ぼくとしてはちょっと気に入っていたので、少しだけ残念だった。
「え、これって『脊髄損傷ファイターズ』の限定版じゃないですか。けっこう、レアものですよ」
そうだったのか。どのへんが通常版と違うのかわからないけど。
「本当に買い取っていいんですか?」
そんなに貴重な物なのか、最終確認をするお兄さん。
「いらん」ロゼはあっけなかった。そこまで言われても、考えを変えないところはさすがだ。
「でしたら、がんばって━━二万八千ネンで買い取りますが、それでよろしいですか?」
嘘だろ。外箱に定価三万三千ネンって書いてあるから、それとほとんど変わらないじゃないか。
「オッケー」ロゼはピクリとも表情を変えないが、驚きはないのだろうか。
「すげえ高ぇじゃん、やったなロゼ」
「ベリベリハッピー。なんか買える」
やっぱり、嬉しかったのか。ほんと、顔に出ないよなぁ。
次に訪れたのは、服屋だった。
腐っても女子というわけか、フィリエルも興味がありそうに眺めている。
下着まで含めた数点を両手に持った二人を、ぼくは仏のような無表情で見つめる。しかし、念のため(?)下着の色や形状は完璧に記憶した。おそらく、死んでも忘れないだろう。
「お、水着あるじゃん」
水着のコーナーを見つけて立ち止まったフィリエル。
「これ買ってけば、泳げるじゃん」
「泳ぎはあまり・・・」珍しくロゼが乗り気ではない。泳ぐのは苦手なのだろう。
「ロゼ、海はダメか?」
「浮くことは可能」
「なら大丈夫だ、水着買ってこうぜ!ニーナの分も・・・サイズは適当でいいか━━」
いや、ダメだろう。いい加減なやつだな、まったく。
「おい、タケシもこっちきて選べよ」
呼ばれたので行ってみるけど、男性用が少ないなぁ。なんとなく、男性をないがしろにしている雰囲気がある店だ。けしからん。
「これなんか、どうだ?」
どれどれ━━おお、胸がしっかり隠れて・・・って、女用のやつじゃないか!
でも、着てみようかなぁ。
あっ!ロゼが犯罪者でも見るような目でぼくを見ている!
ぼくはまだなにもしていませんよ。
「似合うと思ったんだけどなぁ」
思ったのか。まあそれはいいとして━━男性用のものは、たったの3パターンしかなかったので、一番無難な、ぼく並みに存在感の薄いものを選んだ。これを履くことによる相乗効果で、ぼくは見えなくなるかもしれないが、それはそれで構わない。
その後も楽しいショッピングがつづき、お菓子を大量に仕入れたところで宿屋に戻った。
宿の二日目を旅の休日とすることが、すでに恒例となっていたので、翌日は自由な時間が待っている。
夜、水着を試着すると言ってフィリエルが突然その場で脱ぎ始めたところで、ロゼが魔術を使い、ぼくの瞼が凍りつく。
全然、目が開けられない。というか、痛いんですけど・・・。
絶対ライフ減ってるでしょ、今。
その状態ではなにもできないので、もうどうでも良くなったぼくはそのままベッドに横になった。
窓を開ければ、流れ込む潮風が心地いい。
気温の上がりはじめたころ、ぼくたちは水着に着替えて、砂浜へと向かった。ちなみに、ニーナさんは留守番をすると言い張った。それもそのはず━━フィリエルの選んだ水着が、ほとんどヒモのような代物だったのだから、当然だ。ニーナさんがあんなものを付けて出歩くわけはないし、仮に出歩いたとしたら、それこそ大事件になるだろう。
たとえばどんな事件かって?
そう、たとえば・・・周辺の男性諸氏が全員前屈みになるとか。
え、なんでみなさん、お辞儀をしてるんですか?みたいな。
・・・くだらないと気づいたので、ぼくはその考えを消した。
フィリエルが砂浜を駆けると、浜辺の男性グループが目を見張り、あるいは「おお」と声を上げる。水着の女性二人組の片方が顔を歪めて舌打ちをした。
いろんな反応があって、ぼくはそれらを観察するほうがおもしろかった。正直、ぼくも泳ぎは得意じゃないのだ。
しかし、フィリエルって目立つよなぁ。
中身さえ違ったら・・・黙ってさえいれば、顔はそこそこ良いからなぁ。と、つい変なことを考えてしまう。
胸の脂肪を弾ませて波打ち際を走るフィリエルと、その動きを追いかける若い男性たちの頭の動きが合っているのがおもしろすぎる。そんなに追いかけるほどのものじゃないだろ、とぼくは思うが、彼らは見た目しか知らないからな。仕方ないのか、とも考える。
ロゼの水着姿はまあまあカワイイと思ったが、フィリエルなんて、あいつ、普段とそんなに変わらないじゃないか。
なんでもいいけど、どこまで走って行くんだ、あのバカは。
「ねえ、あれって何?」
ぼくの近くにいた女性がそんなことを言ったので、指差すほうに視線を移す。
遠くの海上━━ずいぶんと遠くだが、確かに何かが見える。
光の柱のようなもの。それが、水中から出ているのか?
海の中に、そんな光源があるのだろうか?
考えながら見ていると、やがて異変が起きた。
わずかに地面が揺れて、海面に波が立つ。地震であるが、ただの地震ではなさそうだ。
細かな振動がつづき、止まらない。
わずかに潮が引いたかと思ったら、突然、光の柱があったはずの海面に黒い何かが浮上する。
最初、黒いドーム状の物体が現れたのかと思ったけれど、それは、ほんの一部分なのだとすぐに知ることとなる。
「きゃああああーっ!」女性たちが逃げる。
男性たちも慌てて浜辺を離れていく。ぼくも一緒に行きたかった。
「マジヤバ・・・」ロゼも唖然と見上げている。
そいつは、漆黒の鎧を纏ったような、鋼鉄の大巨人だった。
三百メートルもあろうかという巨体に、しかし目や口は見当たらず、完全に飾り物のようである。
動くのか?動くんだろうな、と絶望的な予測を立てる。
「タケシくん、ロゼ、なんですか、あれは!」
ニーナさんだ。騒ぎに気づいて駆けつけたのだろう。
そういやフィリエルどこ行った?
「ボス、謎の巨人が海から出現」
「急に現れたんです、海の中から!」ぼくも、それ以上の説明はできなかった。
「ん・・・なんか来る」ロゼが指差す。
大巨人の方向から、海上を浮遊してくる人影があった。かなりのスピードで、それは見る間に近づいて来る。
それは、かつて見たことのある黒いフードの魔術師だった。
「またお会いしましたね、魔術団のみなさま!」
やはり声が高い。どうも、男の声のような気がしてきた。めちゃくちゃ高い声の男。
「海底に眠りし古代の邪竜・ネーゲンブラウドザッハの魂。その力を得るのに苦労しましたが、わたしはそれを成し遂げた!」
両手を広げ、まるで演説でもしているように男(?)は告げた。
「その力によって、わたしは海に沈みし古代文明ヤンゲラの遺物"鋼鉄の大巨人"を復活させることに成功したのです!」
古代文明の遺物━━そんなものが海の中にあるのか。
「そんなわけで、危険の芽は早めに摘んでおきたいわたしとしましては、あなたがたには本日この場で、死んでいただきたいと思います」
なにを勝手なことを!いやらしく笑みを浮かべた口元しか見えないが、ぼくはそいつを睨み付けた。
「村のみなさんも消滅するかと思いますので、先に謝っておきますね━━すいませ〜ん」
この野郎!もうトサカにきたぜ、その首へし折ってやろうか!ぼくはロゼとフィリエルの首を(オモチャの試合で)殴って折った男なんだぜ!
そんなぼくを恐れてか、フードの魔術師が再び巨人のほうに飛んでゆく。あのように、ずっと浮遊していられるのも、強大な魔力を持つ証左なのだろう。
「嫌な予感がします━━ロゼ、最大出力で、どれくらいの壁が作れますか?」
「村全部は無理・・・半分くらい」
「わかりました、それでお願いします」言って、ニーナさんは銀のロザリオを数本、砂の上に並べる。
「これで防げなければ・・・」
ぼくたちは、多分死ぬことになるだろう。そんな予感がする。そして、欠片も残らず消滅した場合は、さすがのぼくも生き返ることはできない。そう言われていた。
「なんだよアレは!あんなもん、倒せねえだろ!」
どこかに行っていたフィリエルがいつの間にか戻っていた。
これで見納めかと思ったので、胸に注目する。
「ここで死ぬわけにはいかないのですが・・・今度ばかりは、自信が持てません」
ニーナさんがそんなことを言うなんて・・・本当に終わりかもしれない。
ぼくは巨大な敵を眺める。
大巨人の一番上━━海中から最初に現れた、頭部にあたる球面の中央に、穴ができていた。
その中に、赤い光が集まっていく。
それは見る間に大きくなって、遠目にも、それだけで村を壊滅させると思わせるスケールに膨れ上がる。
あの赤い光を飛ばされたら━━そう思ったぼくの目が、赤い光の中から真っ直ぐに伸びる太い線を捉えた。
まさかのレーザー破壊光線だった。
走馬灯でも見るかのように、なぜかスローに感じたけれど、それは物凄いスピードでこちらへ向かって伸びてくる。
「死んだ」ロゼの声がした。
最後の最後くらい、目を開けておこう━━そう思ったぼくの目前で、真っ赤な光線が直角に、真上へ折れ曲がった!
な、なんですとォーッ!
「生きた」ロゼが言った。
「う、うわ〜ん、おしっこ漏れた〜っ!」フィリエルが腰を抜かしてへたり込む。
「お姉さまっ!」
ニーナさんが、本当に嬉しそうに声をあげた。
そう、そこにいたのは━━魔術師協会の制式ローブをまとった緋色の髪の女性。我らがスカーレット魔術団の団長その人だった。
団長も、黒いローブの敵みたいに、海上に浮いていた。
強い魔術師って、みんなきっと飛べるのだろう。
「ヒーロー登場!ニーナ、腰が抜けたんじゃない?」団長が言う。
「大丈夫です、お姉さま」
「マイマスター、アイラヴュー」ロゼがラブコールを送る。
「ロゼ、ひさしぶり。フィリエルも、元気そうね」
「団長ぉおおおお〜ん!」フィリエルは失禁したことも手伝ってか、大泣きしていた。ぼくも泣きたくなった。
「タケシ、ちょっと見ないうちに、少しは成長したみたいだね」
そう言われたのは嬉しかったが、ぼく、成長していたのか?あまり自覚はないのだけれど。団長が言うなら、そうなのかも。
「さて、放っとかれたのをいいことに、随分と危険な代物を持ってきたみたいだね━━アレには消えてもらいましょう」
団長が右手の指を軽く立てると━━たったそれだけの動作で、あっという間に家ほどもある大きさの、白い球体が出現する。
ビリビリとした、電気の塊を思わせるその球体を、ぼくは一度だけ見たことがあった。始まりの地で、岩のような怪物に襲われた時に見たのだが、その時のものは人の頭くらいの大きさしかなかった。それでも、岩の怪物を一撃で葬り去ったのだ。
それが、今のサイズとなれば━━ぼくにはもう、よくわからない領域であった。
プラズマ火球。
団長がそう呼んだ魔術が放たれる。
そのまま、真っ直ぐ巨人へ向かっていき━━触れた瞬間、静電気が弾けたような音がしたかと思った時には、巨人の姿は消滅していた。一瞬の出来事だった。
ぼくは改めて、団長に畏敬の念をいだいた。
「ひいいいいーっ!」
海の向こうから、悲鳴が近づいてきた。黒いフードの魔術師であった。その口元は恐怖に歪んでいるように見てとれる。
「き、貴様、緋色の者!い、いったいなにを━━どんな魔術を使ったのだ!」
団長は、それには答えず━━「声を変えているようだけど、あまり悪さをつづけると、わたしは魔術協会長に"内部告発をするかも知れないぞ"」と言った。
「な、内部告発ぅ〜・・・?え〜、なに言ってるのか、ちょっとわたくし理解ができないんですケド〜?」
なんだこいつ、なんか急に怖くなくなってきたぞ。団長、やっちまってください!
「あらそう?最後にひとつ、身を滅ぼす前に諦めたほうがいいとだけ、忠告しておきましょう。あとはあなた次第━━ただし、わたしの『家族』に手を出すことは、許さないけどね」
おお、団長、かっこよすぎます。一生付いていきます。
「き、今日のところはこの辺で、あたくし、お花の世話がありますので・・・あなたたちに構っている暇など・・・あ、もう時間ない、ほんと時間ない、早く帰らないと・・・あ、どうも、失礼しま〜す・・・なんちゃって・・・」
へこへこと空中で頭を下げた黒フードが、団長の顔色を見ながら遠ざかってゆく。
仲間があんなのに殺されかけたのかと思うと、どうしようもなく怒りが湧いてくる。
こんなに腹がたったこと、今まであっただろうか。
「お姉さま、なぜここに?」
「ん〜、それはね、内緒の秘密道具がキミたちのピンチを伝えたからだよ」
「さすが、マスター。ゴッドオブゴッド」
「うえええ〜ん、団長ぉ〜、しゅき~っ!」真実、小便くさいフィリエルが団長に抱きついた。
「アレを知ってて放っておいたのは、わたしのミスだしね。まさか鉄の巨人を見つけるとは思わなかったよ」
「ご存じのかたなのですか?」ニーナさんが問う。
「うん、まあね。あとでまた釘を差しておくよ」
「そうですか」
「ロゼとフィリエル、水着姿もイイわね。すごくカワイイ。タケシも」
ええ、ぼくもですか?なんだか照れてしまう。
「ちょっと、写真撮らせてもらえるかな?」
「シャシン?」
「団長、それなに?」フィリエルが物珍しそうにして訊く。
「これ、スマホっていうの。スマートフォンの略称」
「へ?すまーとほん?」
「スマート本。つまり、薄い本」ロゼが説明するけど、なんか違う気がするんだよなぁ。
ぼくたち━━ぼくとニーナさん、ロゼとフィリエルの四人が浜辺に並ばされて、団長に(ロゼいわく)スマート本を向けられる。カシャリ、と音が鳴り、団長からオッケーをもらう。
そして団長に見せてもらったスマート本には、ぼくたちの姿が閉じ込められていた。
「なんだこれ!魂吸いとられた!」フィリエルが大袈裟に騒ぐ。
「ほう・・・理解不能、正体不明」ロゼも困惑。
ニーナさんはニコニコ微笑んでいたから、きっと見たことがあるのだろう。
団長は、本当になんでもできる魔術師なのか。
ロゼではないが、それってほとんど神じゃないかと本気で思う。
雑談も一段落して━━ぼくたちは団長とともに宿屋へと戻った。
「タケシがそんなに死んでいたとは、ちょっとビックリ」団長には珍しく、驚いた表情をみせた。
いやぁ、ぼくとしても好きで死ぬわけじゃないので・・・あまり団長を驚かせたくはなかったのですが、と内心で呟く。
「もっと早く渡せるとよかったね━━これ、持っていなさい」と、団長はハート型の小さなガラス玉をぼくに寄越した。中に不思議な液体でも入っているみたいな、奇妙に濁った赤いガラス。
「それがあれば、死んでも自力で生き返れるから!」
いや、団長・・・できれば死を回避する方向で、ご検討願えないでしょうか・・・とは言えない。せっかくくれたのだし。なにも保険がないよりかは、よっぽどマシなはずであるし。ここは黙って、ありがたく頂戴しておく。
「ねえねえ、こっからは団長も一緒に旅しようよ〜」まるで母親に甘える娘そのものの様子で、フィリエルが団長にしなだれかかる。
「それがベスト」ロゼも同意する。
「ごめんね、わたしまだ、やらなくちゃいけないことがあるんだ。こう見えて、忙しいのだよ諸君」
「そんな〜、いいでしょママ〜」
おいおい、とうとうママとか言っちゃってるし。誰も突っ込まないし。ロゼも「マミー」とかすり寄ってくし。
なんだこの状況。
━━ぼくだって団長にスリスリしたいのに!
おっと、つい本音が出てしまった。たま〜に心を読まれるから、気をつけないとダメだな。
「タケシくんも、お姉さまにスリスリしたいみたいですよ」
あれれ、ニーナさん?読みましたね、心を━━というのは冗談としても、こういった女性の勘の鋭さというものは、本当に厄介極まりないよ、まったく!
「そ、そんなことありません!スリスリしたいだなんて、思っているませんから」
「いるのかいないのか、わからん」ロゼに、言い間違いを指摘される。
「ほらタケシ、スリスリしたいなら、来なさいな」団長からの、まさかの申し出があった。
「行きませんよ!」ぼくは真っ赤になり、意地になって否定するのだった。
本当は、行きたかったのに━━ぼくのバカ野郎!
その夜は団長とロゼとフィリエルの三人が同じベッドで眠るという離れ業をしたみたいだったが、夜が明け、ぼくたちが目覚める前に、団長の姿は消えていた。
「うわ〜ん、ママ〜!」
って、それまだやってたのか。と、ぼくは呆れる。
朝、団長の姿が見えないことに気がついたフィリエルが、泣き叫ぶのである。まるっきり、小さな子供じゃないか。
「まるで子供じゃないか」と、聞こえないように言ってやった。
「なんだって!もういっぺん言ってみろ!」
聞こえてしまっていた━━残念。
「ごふっ!」腹部に強烈な打撃を受けて、ぼくはよろめく。
はい、ライフ半分減りました〜。
「こら、朝から喧嘩はいけませんよ」
ニーナさんだ。寝起きなのにちゃんとしてるし、元々薄化粧だが化粧なしでも完全美人。性格も良いというところが、フィリエルとの決定的な違いであり、存在価値の違いである。と、ぼくは誰にともなく語ろうと思う。
「だって〜、こいつがバカにしやがるから・・・」
「それでもダメです。まだまだ先は長いのですから、みんなで仲良く行きましょう━━お姉さまも、そう言っていたでしょう?」
「は〜い」渋々といった感じで、返事をするフィリエル。ふっ、ガキだな・・・と、ぼくはニヤケた。
「いでえっ!」足を踏まれる。
さらにライフが減少した。
村へ来てから三日目の昼前に、出立となった。
「ちょっと、ご挨拶」と、ロゼが一人で質屋に向かって行く。
しばらくして戻ってきた彼女の手には、袋があった。またなにか、オモチャでも買ってきたのだろう。サイズ的に、例の拳闘士を買い戻したわけではなさそうなので、別のオモチャと思われる。また、こないだみたいにならなければいいが・・・ぼくはそれだけが心配だった。
仲間と遊んでて殺されるとか、あり得ないから。
━━あり得たんだけどね、と。
「村を救っていただき、まことにありがとうございました!」
見送りにきた村長さんが、感謝の意をあらわした。
突如出現した謎の大巨人から、村を救った魔術師たち、と認識されることになったのだ。間違ってはいないと思うけど、厳密に言うと団長の魔術オンリーだったのだが、それをわざわざ説明する必要もないので、言わないでおく。
若い男性数名が「フィリエルさま〜!」と手を振っている光景が、なんだかばかばかしく見える。あの人たちも「ママ〜」とか甘えていたフィリエルを知れば、我に返るのだろうか。
必要物資を十全に詰め込んだ馬車は、村人に見送られてカリマシラ村を出発する。
ぼくたちの旅は、まだまだつづくのだった━━




