オリンピック廃絶を提唱する
オリンピックが終わった。メダルを何個獲った。しょうじき、興味がない。だから観ない。他人の栄光、他人の感動。「ふうん、よかったね」、私にはまるで無関係だ。私はどうやら、ナショナリストにはなりきれない。
国を背負う。国の威信。国の名誉。いくらメダルをいくつ獲得したところで、国益に繋げられるのものなのか。外交ではいいように、やられっぱなしなのに。政治家や官僚にメダリストばりのストイックさがなければ、まるで意味がない。国を背負わせる意味が。
東京オリンピック。じつにざんねんでならない。あんな欺瞞の祭典が四年後、わが国でおこなわれることが。いつだかの選考のとき、「エコオリンピック」とかたわけ抜かしていたのを忘れられない。既存の施設をつかって、「地球にやさしい」オリンピックが開催できる云々と。そのときも反吐が出そうになったもので、落選して安堵したものだ。地球にやさしくしたいなら、人間をやめてしまえと言いたい。「エコオリンピック」とやらの理念はどこへやら、あたらしい競技場をつくるとか。「お・も・て・な・し、おもてなしい」とかいう猿芝居で、東京に決まってしまった。ロゴのデザイン料で一億円。建物つくるのに百億円。舛添の小さな不正は叩かれる。他国でやるぶんには我慢できる。他国のことだから、どうだっていい。自国であんな欺瞞をなされることに、我慢がならない。
オリンピックが終わりました。パラリンピックが始まります。マスコミはオリンピックに投じたのと同じ熱量で、パラリンピックを報じるだろうか。アリバイ程度に放送して終わりだろう、おそらくは。ちょっとまえまでは完全に黙殺していたから。
オリンピックに興味のない私は、パラリンピックにも興味がない。メダルを何個獲ろうが、それは他人の栄光。オリンピックに熱狂するひとたちは、なんでパラリンピックにも同量の熱を向けないのか。むかしからふしぎでしかたがない。「障がい者ガー障がい者ガー」とよく言っているマスコミは、いちばんの差別主義者だ。だまされてはいけない。
今年も性懲りもなく、24時間テレビが始まる。毎年やるけれど、いまだに地球を救えていない無能番組が。いまだに障碍者の子らを利用しているらしい。アイドルとダンスさせて「あげる」。特権意識が見えすいて、不愉快きわまりない。あれで涙を誘えると思っているのだから、視聴者を舐めきっている。
ウォッチメンとしては、オリンピックとパラリンピックの格差には興味がある。是正されることはないだろう。村上春樹じゃないが、私は判官贔屓で虐げられるほうに味方したい。だから、オリンピックの廃絶を訴える。