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世界を救うのは勇者ではない、この魔王様だ!※習作※  作者: 神月契
第一章 巡る数多の光の中
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プロローグ 『幸福な一瞬』

 2月9日 8:15


 近隣の学校では本鈴ほんれいが鳴り響き、今が平日なのだという事を否が応にも知らしめる。

 いくらここが田舎町で知り合いの多い電車の中として、乗っている出社前の人々の顔は、そこまで明るくは無い。不景気と呼ばれるこのご時世だ、金銭を得る喜びよりも未来への不安の方が強いのだろう。

 誰もが心なしネガティブな雰囲気を醸し出す中、菊池鳳華だけは、とても楽しそうに微笑んでいた。


 それもそのはず、今日は憧れの秘書になれる日なのだ。

 本人的には昔から秘書のつもりではあるのだが、社長から見れば、色んな知識に乏しい彼女は秘書どころか、社員として雇うつもりも無かった。

 社内一利益を出している営業ウーマン、白石雪子の強い、それはもう強い後押しが無ければ、一瞬の迷いなく切り捨てるレベルに雇う気は皆無だったのだ。


 雪子の顔を立てて雇いはしたが、社長は菊池鳳華を切るつもりで厳しく当たった。

 しかし、菊池鳳華は粘った。

 事務仕事を1から覚え、マナーを学んだ。接遇力も磨き、実務の勉強も怠らず、パソコンも使いこなせるように色々と遊ん……体験を通して学んだのだ。


 そして根負けした社長は、条件を出した。

「2月9日、秘書として使えるか1日試験する。資格なんぞ出されても、学のない俺には信じられないからだ」


 その後も細々と条件を出したが、ここまで陰ながら努力してきた菊池鳳華には、結果など見えたも同然だ。

「ふふん、今日が年貢の納め時ですよ社長」

 小さく笑っている菊池鳳華を前に、周囲にいるリーマン達は、心なし距離を置いた。


 2月9日 8:47


 会社最寄りの駅を出て、大通りをしばらく歩く。いつも通りの道も、今の菊池には浮かれ補正で華やいで見えていた。

「そう、私は秘書。社長の後ろで静かに控え、さり気なく最大限社長を支える秘書。そして生まれる信頼、近づく心の距離。あぁ、そして最後は純白のウェディングドレスを着て……!」

 妄想を膨らませるだけ膨らませ、周囲を歩く人を引かせるだけ引かせ、自身の未来に思いを馳せる。その瞬間、確かに彼女は、幸福だった。




 ……故に、気づかなかった。


 不意に聞こえる、何かと何かがぶつかって起きただろう衝撃音。

 悲鳴、車の警告音、甲高い摩擦音。

 1秒にも満たない時間の間に収集された音が、本能的な危機感を体に伝える。

 背筋を襲う寒気、硬直する体。

 状況を把握しようと、無意識に頭が後ろを向く。

 自身の数メートル先には大型トラックが迫っていた。青信号で見切り発車をしたトラックが、信号無視をして飛び出して来たバイクを避けようとし、アクセルを間違えて踏んでしまったため操作性を失っていたのだが、そんな事に気づく事もなく。

 車の速度からして、回避行動は間に合わない。不意に訪れた危険に硬直した体は、直ぐには動いてくれなかったのだ。

 自らの死を直感的に感じ取った菊池は、反射的に叫んだ。

 己の人生に置ける、最大の未練を薄めようと。死を前にして、剥き出しになった本心を、せめてあの人に届けようと。



「社長、愛してま――」



 それは奇跡にも近い行動であった。死への恐怖より、彼女の心を一人の男が満たしていたからこそ出た、愛の告白。

 しかし、その想いはクラクションの音にかき消され、誰にも知覚されることは無い。


 彼女は、菊池鳳華は、愛の告白を言い切ることも出来ぬまま、この世を去った。


 そしてその同日同時、近くの小さな会社で、経営を営む一人の男は、ひとりごちた。


「菊池鳳華。まだ、来ないのか」


 彼の机の上には、ベルベット製の小さな箱が、半開きになって置かれていた。そこには、ほとんど宝石の付いていない指輪がひとつ。彼もまた、その瞬間は、確かに幸福であったのだ。

 まだ来ぬ想い人を前に緊張する男の手元で、その指輪は弱々しい光を反射していた。


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