仕事 A
人を殺した日だろうと、妖怪を殺した日だろうと眠れなくなるという経験は今まで無い。それ故に次の日の朝もそれほど苦労することなく起きることができた。いつもと同じ通学路を通り、いつもの校門をくぐり、そしていつも通りの教室にたどり着く。相変わらず腰から下げられた拳銃がぶらぶらと揺れている。中に実弾は入っていないが、念のためにいつでも装填は可能である。襲撃を受けたのは昨日、油断していいほどの時間は経過していなかった。
「おっはよ~」
教室用の甲高い声。自分でもよく毎日続けるとは思っていた。
周りからおざなりに返事が返ってくる中で唯一こちらに向けられた声があった。
視界の隅で確認すれば案の定、祭が不機嫌そうに眉をひそめてこちらをにらんでいた。
苦笑しそうになるのを抑えて自分の席につく。
「おい、夏杵。コーヒー買ってきてくれよ」
「いいよ、いつものやつでいいの?」
「ああ」
「あ、ついでに俺の分も」
「俺も俺も」
更に数人の要求があり、買ってくるべき本数が増える。面倒だとは思いつつも逆らう気力はさらさら存在しない。鞄を机に置いて駆け出すのにそんなにためらいは無かった。
日常は日常らしくあればいい。
一日の雑務をこなしつつ、放課後になればほぼ連行されるように祭に引っ張られて帰路につくことになった。
「私、仕事が入った」
そして、本日の第一声がこれである。
そこには悲しそうな響きは多少含まれているとはいえ、大部分は怒りにまみれていた。それに加えて、かなり高い位置から威圧的に言われればこちらとしては殺気を感じざるおえない。
「で?なんでそれを俺に言う?」
あまりの勢いにほとんど地声に戻りながらそう言う。まだ周囲には下校中の生徒がちらほらいるのだ。もう少しの間は無害な生徒を装っていたかった。
「定子さんに言っても聞いてくれると思うか?頼む、今日ステラさんとこいきたいから、ピンチヒッターを」
『代われると思ってるのかこのバカ』と、言ってしまいたかった。
だが、それを言うと洒落じゃすまない拳が飛んでくることを墨善はよく知っている。
「俺にお前の代役が務まるわけがないだろ、バカ」
でも、結局言ってしまった。他に言いようがないのだ。殺意が一割増しになった気がする。自分で刺激しといてなんだが、これ以上はあまりよくない。絶対によくない。もはや経験論などではなく、十人が十人そう言うだろう。
「バカってなんだ?あたしが何の考えもなくお前に仕事を押し付けてると思ってんのか」
そう思っている墨善なのだが、今下手なことを言うことはできなかった。彼女は竜の化身というわけではない。だが、逆鱗は確かに存在している。
「今回の仕事は多分墨善でもできる。そう思ってるから私が任せてやろうってのに、今仕事受けとかないと損するんじゃないの?」
もはや押し売りだ、仕事の押し売りである。いくらストラップに実銃をぶら下げているとはいってもこの間合いで祭と戦えば間違いなく負ける。というより殺される。
だからと言ってこちらが引くわけにもいかないのだが。
「今回の仕事の内容言ってみろ」
祭が足を止めた。
「昨日聞いてたろ」
それに釣られて墨善も足を止めた。
「聞いてたが、変更があったかもしれないだろ?」
「変更は届いてない」
祭に仕事の話が来たのは昨日の消灯直前だった。皆でホットミルクを飲んでいた時に定子さんが突然言い出した。
『あ、祭、百春。明日二人でビル一つ潰してこい』
段ボール箱を潰しとけ、ぐらいの気軽さで定子さんがそう言いだした時には既に祭に反論の余地は残されてなかった。
「それは俺の手に余る」
「なんでだよ、相手は普通のちんぴらだぞ、楽勝だ。ちょっと撃つだけでお金が貰えるんだから」
今度は押し売りから詐欺にはめてやろうという言葉遣いになった祭である。
「そんな言葉に引っかかるか。お前が受けたんだから責任もってお前が行け」
「ううううう・・・・やだ・・・」
今度はだだをこねるかこいつは。
「やだじゃないだろ」
こちらが歩き出すと祭も思い出したように歩き出す。
「だって・・・」
「仕事をさっさと終わらせればいいだけだろ」
祭のテンションの下がり具合に少し心配になる。これから鉄火場に行くと言うのに、これで大丈夫なのだろうか。
「手を貸すぐらいならやってやってもいいぞ。援護射撃とか」
「ん・・・それはいいや・・・」
祭は諦めたようにそう言った。
「なんでだ?」
「そりゃ・・・」
見下ろしてきた祭と目が合った。
「やっぱいい」
墨善は肩をすくめた。
「ま、やばくなったら呼べ。飛んでいくから」
「わかってる。そこは信頼してる」
墨善は通学路の途中の十字路で立ち止った。
「そんじゃ、俺は様子見と弁当箱の回収がてらステラのとこに寄ってくから。お前も終わったら来いよ」
祭からの返事は無かったが、苦悩のうめき声が口から洩れていた。
「行きたい・・・」
「だから行けないんだろ?」
「行きたい」
「だから手伝おうか?」
「墨善一人でやって」
「それはやだ」
どうして鉛玉の中を好んで一人で歩かなきゃならないんだ。俺は男で祭は女だが、そんなところで意地は張れない。
「じゃあ、佐助も付ける」
「あいつは八百屋のおまけかなんかか。だいたい、許可取ってないだろ」
「うぅ・・・」
下から覗き込んだ祭の顔は苦悩を通り越して泣きそうになっていた。
「なんでダメなの?」
「涙目の鼻声でそんなことを言うな」
下手に脅しかけられるよりよっぽど堪える。だいたい、祭は気の毒そうな表情になってはいるが、現実はそんなに悲壮ではない。ステラだって今日明日でいなくなるわけではないと確かに言っていた。
「お前と俺の戦力差を考えろっての。俺は嫌だからな、お前の仕事肩代わりして怪我するのは」
祭の表情が固まった。
「・・・そっか・・・」
「そうだ」
墨善はぶっきらぼうに言った。
「んじゃ、ここでな」
「うん・・・」
やけに素直になってしまった祭を尻目に墨善は繁華街の方に向かって道を曲がった。取り残された祭は少し重くなった足取りで帰路へとついたのだった。
「一緒に仕事なんて・・・できるわけないじゃん・・・」
墨善と共同作業なんて、緊張して絶対に照準が狂うにきまっている。