吸血鬼 B
「わぁお、二人とも大きくなったわね。さ、入って」
『大きくなった』この台詞に随分と感激した墨善である。隣では祭がこれ以上ないくらい目を輝かせている。彼女はステラに会えたという事実だけで昇天しそうなのだろう。
「おじゃまします」
「しま~す」
部屋の内装は相変わらずであった。部屋の中央付近の床に敷かれた寝袋。隅に広げられたキャンプ用のガスバーナーや食器類。部屋の壁際に寄せられたステンレス製の机。天井にはどうやったのかわからないが小さなシャンデリア風の電灯が光っていた。部屋の中を照らす暖色光はこれのおかげだ。彼女は日本の首都圏に滞在するときはかならずここを使用する。まだ来て間もないこともあって部屋の中は整頓されていた。これが、日を追うごとに散らかっていくのだ。
「とりあえず、久しぶり。二年かしら?」
「そんなもんだね」
「正確にはまだ二年は経ってないけどな」
前回ステラが旅立ったのは秋だったと記憶していた。
墨善は部屋の片隅、ちょうどドアの真正面の壁際に置かれた植木鉢に視線を送った。
「よ、ナデシコも久しぶり」
植木鉢に植えられた木に話しかけると、随分とはっきりとした返事がある。
木と言ってもただの木ではないのだ。根と幹こそ普通だが、そこから伸びた枝はいつしか青白い色に変化していき、質感も樹木の感触から人の肌のように変化していく。そして、枝の末端は人の手の形になっていた。
「少し大きくなったか?」
すると、十本程ある手の一つが親指を立ててきた。残りの枝も思い思いに肯定の意を示してきた。目も耳もどこについてるかわからないのに、よくこちらが認識できるものだ。
この木は妖怪『頬撫で』。普段は柳の木になって道端に潜み、夜になると道行く人の頬に手を当てて驚かせることを生きがいとしている妖怪だ。ステラが伐採されそうになってたところを助けたと聞いている。ステラが付けた名前はナデシコ。
「ほれ、新ネタだ」
墨善は自分の手を組み、影絵を作る。それに応じるようにナデシコも影絵を次々と作り出していった。さすがにステラと共に旅してるだけあって、ナデシコの方が墨善の何倍もネタが豊富だった。
「ステラさんはどこ回ってたんですか?確かあのときは西ヨーロッパに行くっていってましたよね」
その間に祭はぐいぐいとステラに詰め寄っていた。祭の身長で迫られたら無意識に体を引きそうなもんだが、ステラは平然と立っている。
「うん、そのままユーラシア大陸を縦断して。ロシアのほうからこっちに来たの。定子さんに頼まれた品を届けにね」
「また銃かなんかか?」
墨善は影絵を作っていた手を止めてそう言った。
「いいえ、お酒」
「何頼んでやがんだ、あいつ」
墨善はナデシコとハイタッチをかわし、持ってきた弁当を壁際に並ぶ机の上に置いた
「これ、その定子さんからの差し入れ」
「はい、確かに受け取りました。運んできてくれてありがとうね」
これでも現役の運び屋だ、と言いたいところだが今回運んだのは主に祭なので黙っていた。
「それと、定子さんにもありがとうって伝えといて」
「はいよ」
そして彼女は二人に柔らかく微笑んだ。
「二人とも、コーヒー飲んでく?」
「はい!」
「いただきます」
彼女のブレンドは好きだ。断る理由は無かった。しばらくして差し出されたコーヒーを啜りながら少し世間話をした。ステラの話は狼男に会っただとか、友達のメデゥーサと再会しただとか、人間の紛争に巻き込まれかけたとか、相変わらずまともに生きていれば遭遇することの無いであろう話だ。
「世界は広いわよ。まだまだ私が経験したことないことで溢れてる」
『二度とできない経験を積み重ねていける人生こそ最高』
それが彼女の持論だ。
墨善と祭が二杯目のコーヒーを受け取った時、ステラはこちらにも話を振ってきた。
「そっちはどうだった?仕事は順調?」
「あたしは最近は暇。全然仕事がまわってこない」
祭はそうだろう。彼女はそんなにしょっちゅう仕事があるわけではないのだ。
「墨善は?」
「ぼちぼちってとこかな。最近は武器の運びが主だったからそんな危険なことは無かったし」
そして少し考える間を置いてから言葉を付け加えた。
「今日を除いて」
「何かあったの?」
質問に応じるように今日の仕事と襲撃を受けたことを話した。
「運んだのは『河童の首』だったわね」
話し終えた後、ステラは少し考える仕草でそう言った。
「念のために言っておくが俺はやってないぞ。運んだだけだ。」
彼女は微笑んで「わかってるわ」と言ってくれた。
「それは何か価値のある首だったの?」
「さあね、俺は運んだだけだし。定子さんは別にたいしたもんじゃないって言ってた。せいぜい五月雨会の小遣い稼ぎの案件だったはずなんだけどな。もしかして、俺単体を狙った犯行だったりして」
こっちとしては冗談を言ったつもりだったのだが、ステラは少し違った反応を返してきた。
「気を付けてね」
ステラは真顔でそう言った。こちらを見つめる瞳が輝きを鋭くしたような錯覚を受ける。
「あなたが死んじゃったらやっぱり私は悲しいから」
肩をすくめるしかない。それには気を付けるとかいうこと以前の問題がある。
「とか言われても、少なくとも俺はステラよりも先に老いていくわけだもんな。俺達人間はせいぜい百年ぐらいしか生きられない」
「それはわかってるけども。それでもね」
ステラは笑ってくれなかった。こちらを見つめる視線に耐えかねて明後日の方を見る。
「まだ墨善の弔いには参加したく無いわ。だって、まだ知り合って十年ぐらいじゃない」
「そりゃな、ステラにとってはたった十年だろうけど」
何せ彼女は百十七歳だ。俺とちょうど百歳差。
「私だっていずれ朽ちていくわ。その時に、墨善との思い出が少ないのは嫌じゃない」
「どうせ、二百年後には忘れてるさ」
「それはあなたが断定できることじゃない。私の記憶力を甘くみないでね」
自分の口から溜息ともとれる吐息が漏れる。
「悪かった。ごめんなさい」
「よろしい」
生きてる時間が違いすぎる。下手に逆らっても口で勝てないのは今までの経験から知っている。
「『二度と経験できない経験を重ねていける人生こそ最高』それはそうなんだけど、それが必ず命と隣り合わせである必要はないんだからね」
「へいへい、わかってますよ」
「祭ちゃんもね」
「は~い」
墨善は腰を上げた。
「今日はもう帰る」
「え!!もう!?」
墨善に潤んだ目を向けてきた祭。墨善はその襟首を掴んで引っ張り上げた。身長差で途中までしかあがらないのが心にグッとくる。そんな二人にステラは蠱惑的な声音を演出した。
「あら?泊まっていかないの?」
「泊まります!」
「泊まんな、バカ!!」
膝立ちの姿勢で未だわずかな抵抗をする祭の頭を墨善がはたいた。ステラは二人のかけあいを見てくすぐったそうに笑う。その笑顔はまるで無邪気な子供のようだ。十年前からの知り合いである墨善にとっても少しドキリとする笑顔だった。
「門限があるんでしょ?今度はちゃんと定子さんに許可取ってからきなさい」
「嫌です、今日泊まります」
「まだ言うか」
いい加減にしろ、と墨善は拳骨を軽く当てた。だが、その程度で祭がどうにかなるわけがない。墨善は仕方なく最後通告をした。
「門限破ると定子さんに呪い殺されるぞ」
その一言がようやく祭に変化をもたらした。
「それは・・・嫌だな・・・」
顔が明らかに引きつっていた。そして、こぼれる溜息。
「まあ、祭ちゃん。私は二か月ぐらいこっちにいるから、いつでもいらっしゃい」
「はい!明日にでも!」
「はいはい、許可貰ってからね」
ステラははしゃぐ子供をあやすようにそう言った。先程まで子供のようだった彼女。今は母性溢れる女性になっている。その変化にまた墨善は心臓をときめかしてしまう。ステラと会うのは楽しみだが、心臓に悪いのは少し困る。
「そんじゃな」
墨善はそれを隠すようにそっけなく言ってみる。
「墨善も明日は泊まっていってね?」
そんな墨善を見透かしたようにステラは再び蠱惑的な声でそう言った。今度はサキュバスのような人を魅了するような笑みが付いてきた。
「考えとくよ」
これ以上心臓に付加をかけられてたまるか。墨善は後ろ手に手を振りながらステラに背を向けた。
「ほれ、祭」
「は~い、お邪魔しました」
完璧な敬礼を決める祭を引っ張るようにして墨善はその場をあとにした。ステンレスのドアが閉じ、その向こうでは小突きあう二人の声が聞こえてくる。
「相変わらず可愛い二人ね」
ステラはそんな独白を呟いて笑ったのだった