お使い B
夏杵 墨善は『運び屋』である。
その前に『凄腕の』とか『完璧な』などの言葉が付くこともある。もっと言えば『若すぎる』『小さすぎる』なんてものが付くこともある。多分、人によっては『無敵の』『化け物みたいな』とかを付けるだろう。
そんなふうにいくら呼ばれても全くうれしくない。特に『小さすぎる』を最初に考えた奴はいつか酷い目に合わせてやると常々思っている。軽くなった自転車をこぎながらでもそう思う。どうせだからと帰り道は違うルートを通ることにした。襲撃を受けた時に通るつもりだった予備のルートだ。来たときとはうって変わって賑やかな街並みである。繁華街とでも言えばいいのだろうか。そのままアーケードを通って更に道を変える。
高速道路の高架下に永遠と道が続いている。一応、自転車は車道を走れということなので、車道を走ることにした。左隣には一定間隔で樹が立ち並び、歩道との境となっている。その歩道に沿って走りながら排気ガスを吸い込む。やっぱり来た道をそのまま通ればよかったと今更ながらに思ったがもう遅い。
そうやって、しばらく走っていると黒塗りの車が横に並んできた。ママチャリは普通の速度だ。自転車を普通に漕いでいればだせる速度。要するに車にしては遅い速度だ。
背中に一筋の汗が流れ込んだ。
その車の一つ奥の路線を赤いスポーツカーが走り抜けていった。それでも並走してくる車。つくづく来た道をそのまま帰ればよかったと思う。助手席のパワーウインドウが開く。明らかに一般人じゃないスキンヘッドの男性の顔がのぞく。
「『ラット』だな?」
「なんの話ですか?俺は人間ですよ?」
高い声でそう言い放ち、軽く笑って見せる。だが、相手は反応しなかった。どうせ、最初から期待していない。『ラット』は俺が仕事でよく名乗る名前だ。
「ここにいるということは物を運んだ後だな」
「運ぶっていうか、今学校に向かってんですけど。ほら、俺って見た通り剣道部でしょ?いや~部活って大変ですよね」
「なら、用済みだ」
こちらに向いた銃口。
「わかりやすいやつらだな?ええ?」
低い声でそう呟いた。
組織が秘密保持の為に『運び屋』を始末しようとするのはあまり珍しいことではない。ハンドルを急激に右に切った。ママチャリが車に激突する。それと同時に拳銃型のストラップを引きちぎってトリガーに指をかけた。
これはリボルバー式の拳銃を模したストラップ。
だが、玩具では無い。
これは実弾を三発発射できる『オートマチック式の拳銃』だ。
照準を合わせて指を掛けたその瞬間、世界の時間が止まったような感覚が走った。
指を掛けた引き金。そこに約一キロの重みをかけてやれば、その金具に連動して後ろに下げられた針状の金属がバネの力で前方に撃ちだされる。弾丸のケツに叩き込まれたその針は弾丸内の火薬に火花を放り込む。燃え上がり、爆発を起こす弾薬。そのエネルギーを受けて発射される弾丸。音速の壁を突破する勢いで加速していく鉛の塊。火薬の燃焼炎を迸らせ、後ろに硝煙の臭いを残して飛翔した弾丸が皮膚を通過して脂肪組織を突き破り、側頭筋と頭蓋の一部を破壊してさらに突き進む。大脳の中でひしゃげた弾頭が空洞を作りながら周囲を圧迫して内部を破壊する。一発目とほぼ同時に放たれた二発目の弾丸も似た形状の弾痕を刻む。打ち込まれた二発の弾丸は容易に人の脳を破壊して致命傷を負わせるに至る。適切な治療を施せば命をつなぎとめることは可能かもしれないが、この状況では彼は死ぬだろう。
で、それがどうしたというのだ。
硝煙と血の匂いという嗅覚をもって明確な現実へと入れ替わる。突然車内に満ちた死の香りに動揺が走った。ついでに運転手の眉間に残りの一発を叩き込んだ。力なく握られた拳銃を奪い取ってハンドルを左に切る。わずかな振動がして歩道へと乗り込んだ。条例だかなんだかに違法するかもしれないが、そんなこと知ったことではない。こちとら今しがた刑法に触れたところだ。
奪った拳銃の弾丸を車内に数発打ち込んでママチャリを更に加速。
後ろへと引き離されていく車の運転手はもういない。助手席の男もいない。大きな交差点に差し掛かる。車が流れるように目の前を横切っていた。赤信号を無視してその隙間を目がけて突っ込む。体を傾けるようにしながら加速していき、速度を落とす気配のない鉄の大名行列を横切る。車の前方数センチを駆け抜けるときに高鳴る心臓の鼓動。これは多分経験した人間にしかわからない。
後方から聞こえる自分に向けられた急ブレーキ音とクラクション。そして自分とは関係の無いところで起こる巨大な金属同士の激突音。振り返ればオシャカになった黒い車。
「いい気味だ」
ただのチンピラだった。本物の殺し屋とかならこう簡単にはいかないのは経験則でよく知っている。間違いなく死んだであろう二人の人間に対してほくそ笑む。人を殺すことなどこうも容易いのだ。それは不思議なことでもなんでもなかった。
不意に横風が吹いた。自分の足元。平地における最高のパフォーマンスを発揮しているママチャリに追いついている影が三つ。茶色い毛並をしたイタチが三匹。皆、口に鎌を構え、腰のあたりに陶器のツボを結び付けている。拳銃を突き付けられた時を上回る脅威。全身の細胞が警鐘を鳴らした。
「『本物』かよ」
次の瞬間に左にいたイタチの一匹が車体に体当たりをかましてきた。揺れるママチャリ、コントロールを失うハンドル、タイヤが茂みの生える土の上に乗り上げた。首だけでイタチを追えば既に二匹目が攻撃態勢だ。
とっさに首を前に倒した。
激しい風の音がして自分の隣で何かが割れる音がした。ハンドルを握りしめて腰を浮かせて更に加速する。その後ろで、樹の一本が見事に切り倒されていた。どっかの剣豪が日本刀で居合でもしたかのようだ。直撃してた時のことは考えない。というより考えてる暇がない。再び並走してくる三匹のイタチ。後方付近のイタチが初動に入る。ブレーキで減速し、やりすごした。強烈な嵐のような音を轟かせて再び木が一本無残な姿に変わる。その時、前方へと回り込んでいた二匹が飛び上がってきた。鎌が視界を塞ぐ、自分の顔が三つにわかれるのは勘弁だ。自転車を横倒しにするように滑らせて鎌の下をくぐり抜けた。地面を蹴って自転車を起こし、再び加速していく。
「このままじゃ、らちがあかねぇ」
思わずこぼれた独り言は真実をついている。このままいくと血も出ない程の鋭い刃物で斬殺された遺体の話が明日の三面に間違いなく乗る。最近は政界ぐらいしか事件がないので、下手をすれば一面記事だ。先程、墨善本人が起こした交通事故よりは話題を集めるだろう。驚くようにして飛び退く通行人を通り過ぎる。
後方を振り返ればやはり三匹のイタチ。
一発の舌打ちと共に背中の竹刀袋に手を伸ばす。中から抜き放ったのは白銀の輝きを持つ日本刀。模造品やお土産などではない、明治初期に作られた名刀だ。
自転車のタイヤをすり減らして無理やりドリフトを決める。右手に日本刀を握りしめて、今きた道を逆走していく。足元で自転車を全力で漕ぎながら目の前の状況に集中する。
一匹目が飛び上がる。
鎌を受け流しつつ返す刀で腹を両断。
次の一匹、放たれた真空の渦。
自転車を横に四十五度傾けてかわす。斜めになった自転車でも車輪は回り続ける。高速で走る自転車の上、ハンドルの片側を握って車体を持ち上げながら日本刀を振る。イタチの口元に入った切っ先は頭蓋をなぞるように皮を切り裂き、頸椎、背骨を這うようにして腰骨までの正中線上の筋肉をぶった切った。骨までは切れなかったが背骨が見えるほどの傷は致命傷だ。
そして、自転車を正常な姿勢に戻す勢いで最後の一匹を跳ね上げる。
空中を飛び、少し先のアスファルトに叩きつけられるイタチ。
前輪を持ち上げ、イタチの首にめがけて一気に振り降ろした。気分は中世ヨーロッパの処刑人だ。いくつかの骨が砕けたのを前輪で感じ、そのまま後輪でダメ押し。やはり、また骨が砕けるような音がした。三匹の無残なイタチを背後にしてママチャリのペダルを漕ぐ。
『かまいたち』は全滅できた。
溜息をつきながら先程無視した交差点を右に曲がる。この周囲の地図を頭の中に描いて道を割り出す。
「まったく、とんだ『おつかい』になった」
念のため尾行を巻きやすい道を選んで今度こそ帰路についた。
『運び屋』
それは危険な物を運んで金を得る仕事だという認識が一般的だろう。その認識は間違ってはいない。そんな仕事をしていて、わかったことが三つある。
一つは物心ついていた時からわかっていたことだが、こういった裏社会に生きる人間が常に後ろ暗い過去を抱えているわけではないということだ。その筋の人でも表では普通の家庭を築いている人だっている。自分がその代表例だと言う気はないがそれでも自分の周囲はやっぱり平和だ。昨日も今日も学校に通い、下宿でおやつを頬張りながら日々を生きている。それが普通だと言う気はないが、それでもやっぱり日常は平和だ。
そして二つ目。自分は人を殺せる人種だということだ。昔から銃器に触れる機会は多かったが、やっぱりそんなこととは関係なく自分は人を殺すのにためらいはない。洋画のスターなんかよりはよっぽど多くの人間を殺してきた。数だけなら『ランボー』も真っ青だろう。
そして三つ目、多分あまりに突飛なことを言うから驚くかもしれない。でも、自分にとっては前の二つと同様に不思議なことでは無かった。
なぜなら『彼等』は常に自分の周りにいたからだ。
『彼等』それは『妖怪怪奇』