吸血鬼と9㎜パラベラム 完
吸血鬼の腕からM2が離れ、床に音をたてて落下する。そして、それに従うようにして吸血鬼の体も倒れ込んだ。
「・・・ひゅっ・・・ひゅっ・・・・」
息の乱れる墨善の耳には掠れた呼吸音が聞こえてきていた。まだ生きているとは驚きだった。よく見れば随分と着弾位置が中央から外れている。改めて銀弾の命中率の悪さを実感した墨善だ。
墨善はAUGの弾丸を取り換え、銃口を奴の左腕に向けながらゆっくりと近づいていった。
「よう、まだ生きてるか?」
日本語は通じるはずだ。墨善は決して警戒を解かずに一定の距離を保った。
「・・・ひゅ・・・ひゅ・・・」
吸血鬼からの返事はない。だが、呼吸をしているのだ。生きているとして墨善は話を続けた。
「なら一つ答えてから死んでくれないか?」
「ひゅ・・・なんだ・・・・」
掠れた声。それでも、まだ喋れるだけの体力があるのはさすが吸血鬼といったところだ。
「・・・雇い主か?それとも・・・他に派遣されている・・・殺し屋の情報か?」
「んなもん興味ねぇよ。うちには全部お見通しの化け物が一人と言わず存在するんでな」
「ふっ・・・ふっふっふ・・・化け物・・・か」
「お前、なんで防がなかった?」
さっき、M2を盾にしなかったこと。そして防弾ベストを着ていなかったこと。 柔らかい銀弾なら防弾ベストを着れば十分防げるはずなのに、吸血鬼はそれを着用していなかった。それは、墨善にとって純粋な疑問だった。
人間に見下ろされ、吸血鬼は喉の奥だけで笑い出した。
「そんなこと・・・・聞いてどうする・・・・」
「答えろよ。楽に死にたくないのか?」
墨善は反撃される可能性が無いことを悟り、AUGを後ろに回した。そして構えたのは『P14-45』。吸血鬼といえど痛覚はある。鉛弾で秘部を吹き飛ばせば少しは痛いだろう。
「・・・痛みを与える気か?」
「終わらない拷問としゃれ込むのも俺としては悪くねぇ。てめぇはそれだけのことをしやがった」
「・・・なら・・・殺せばいい」
「ぐだぐだ抜かすな。俺はお前の命を指一本でどうこうできる。そして俺はお前に質問している。OK?」
西部劇じみたせりふ回し。咄嗟にこれが出てきたのは祭の影響だろう。
それを聞いた吸血鬼はまた笑いだした。
「ははは・・・護り入って・・・そんなもののどこが楽しい・・・不老不死・・・そんなものに・・・なんの意味がある」
墨善は眉をひそめた。
簡単に死と隣り合わせに生きられないのが妖怪という生き物なのだと、ステラは言っていた。
痛みも不安も無い。そんな奴らは命の重みがわからない。『死なないものは生きてはいない』とはよく言ったものである。そのためにそういった類の妖怪は戦場に降り立つのだ。彼らが生きてることの実感を掴むには結局のところ命のやり取りをするしかない。
「だから・・・殺せる人間を・・・・殺すのさ・・・俺を殺してくれるまでな」
他者の命の散り際を眺めて、自分の生を確認する。そのなれの果てがトリガーハッピーだ。
「お前は・・・・どうなんだ・・・・こっちの世界の人間よ」
酷い咳とともに吸血鬼の口から血反吐がこぼれる。全身に開いた風穴は確かに吸血鬼の体力を奪っていた。
「俺はな、ただのネズミだよ」
墨善はグロックを取出して弾倉を取り換えた。
「日常の世界からはみ出して、鉄火場の中にも踏み込みきれず。二つの世界に横たわる溝の底を這いまわるドブネズミ。それが、俺だ」
スライドを戻し、心臓に向ける。
「日常を飽いたとは言わねぇ。鉄火場を望んでなんかいねぇ。だが、『二度と経験できない出来事を積み重ねていける人生こそ最高』なんだ。俺はな、どぶの中から世界を見る」
体中からどす黒い血を流す吸血鬼、ほっといても出血で死ぬ。だが、それではだめなのだ。
「そこから見える景色は美しくは無い。それでも、こうやって、てめぇみてえな奴の死に際が見られるんだ。悪くはねぇさ」
世界的な乱射魔だ。殺して困る奴は本物のクソだけだ。
「じゃあな。『カトリーナ』」
女の名前とは笑える冗談だ。
その時だった。吸血鬼の目が墨善をとらえた。
「ぐふ・・・まだだ!」
吸血鬼の腕が不意に伸びた。
「なっ!!」
墨善の肩と腕を掴んだ手。慌ててトリガーを引くも既に銃口は明後日の方向だった。
「やべ・・・」
墨善の顔に焦りが走った。吸血鬼の不死性を底上げする方法。それは一つだ。
「・・・血を・・・よこせ」
吸血鬼の口が開かれる。あまりにも長い牙が墨善の視界に映る。
「全身の血を・・・もらう」
もがこうにも吸血鬼の怪力にあらがえるわけもない。墨善の首筋に牙が迫る。吸血鬼に血を吸われれば、吸血鬼になるか食われるかの二択。こいつが墨善を同朋にしたいと思っていないのは明らかだった。
墨善の首筋に牙の先が触れた。
「くっそぉぉぉ!!」
精一杯体を逸らすも、羽交い絞めにされている今の状況ではどうすることもできない。
首の皮を牙が突き破った。
「だめよ」
耳に抜けるソプラノの声。
「その子の血は私の物よ」
そんな声がした。
墨善は背後を振り返った。
「あなたには、渡さない」
ステラが自前のAUGを上に構えていた。黒く輝く黒曜石の瞳が月明かりに光る。
乾いた銃声が一発。
銀の弾丸が音速を超えて、フロアの中心を駆け抜ける。弾丸はまるで吸い込まれるように吸血鬼の眉間へと叩き込まれた。
墨善の首から牙が抜ける。全身を拘束していた腕が離れる。それと同時に触れられていた吸血鬼の腕が塵へと変わって行った。
「はぁ・・・・はぁ・・・」
足が震えだし、腰が抜けた。
「元気そうでよかったわ」
「ステラさん・・・」
「怪我は・・・してるわね」
墨善の頭からの出血は止まっていたが、軽傷とは言い難かった。
「動いて平気なんですか?」
「墨善がくれた血のおかげよ。童貞の血って吸血鬼にとってごちそうだからね」
そして、可愛らしいウィンクを一つ。墨善としては曖昧な笑顔を返すしかなかった。
「ははは・・・」
張り詰めていた空気が弛緩していく。
「墨善!・・・って、ステラさん!?」
「あら、祭ちゃん」
「怪我はもういいんですか?」
「ええ、墨善の血ってけっこう効くのね。ストックもらっとこうかしら」
まだそのネタを引っ張るか。
「どうせ、効果は微々たるもんだろ。ほとんど闇医者のお蔭のくせに。最弱の吸血鬼め」
墨善は小さな声でぼやく。
「聞こえてるわよ」
耳を引っ張られた。
「いてて!す、すんません」
耳を抑え、墨善はさっきの台詞を思いだした。
「そういやステラさん、『墨善の血は私のもん』みたいなこと言ってませんでしたか?」
「ええ、そうでしょ?」
「いや、違うでしょ」
墨善はそう言ったが、ステラは華麗にスルーした。
「あ、夜が明けるみたい」
祭がそう言った。窓の外が少し明るくなってきた。完全暗室の下の階と違ってこの部屋は普通に朝日が差し込むようだ。墨善達の位置からは外を遮るものがなく朝日が昇る澄んだ空が見えていた。
「・・・・・・」
そして、全員があることに気がついた。
「って、朝日!ステラさん、ここにいちゃまずいです」
「熔けちゃいます、熔けちゃいますよ!」
ステラは半分吸血鬼。太陽の日で焼ける。
「ここはまずい!別の階はどうなってる!?」
「ダメダメ!戦闘で壁が穴だらけ!」
「そんなに心配しなくて大丈夫よ。直接浴びなきゃ平気・・・って、熱!」
「ステラさん!危ない、伏せろって!」
「ももちゃん!はやく暗幕かなにか持ってきて!」
彼等の戦いはまだ終わらないらしかった。
「俺、ペプシな」
「ついでにアゲパン買ってきて」
事件が解決してから二週間が過ぎていた。
例の資産家は自宅で絞殺されていたのを発見されていた。定子さんにそれを聞いたところ「ん?なんのこと?」と、とぼけられた。
それから、死体の山と爆発の痕跡をこれでもかと残した我が学校は一週間の休校となった。驚くことにその間に『校舎の損壊はガス爆発』『死傷者ゼロ』とのニュースが出回っていた。それも定子さんが何かしたらしいが、詳しいことはやっぱり教えてくれなかった。
ステラも無事に復活を果たし、傷が塞がりきるのも待たずに五月雨会の組長の抗争に首を突っ込んでいる。今はあちこちの町で忘れられない日々を経験しているようだ。
それから、あちこち怪我をした下宿生の面々ももう包帯を外すことができている。
「この辺で撃ちあいしたんだよな・・・」
学校の怪談がただのおとぎ話になりそうな程の死体がつい先日まであったというのに、生徒達は何の代わりもなく過ごしていた。もちろん、死体が転がってた事実を知る者はいない。だが、それでも墨善はなんだか不思議な気分だ。そんな気分のまま墨善は今日も昼休みを待たずに購買部までのダッシュと相成った。
何もかもが元通り。
いや、彼らの日常は変化すらしてないと言っていいだろう。
事件が起きたのは『向こう側』のことなのだから。
変わったことと言えば、廊下の一部や図書室が『ガス爆発』を起こしてしまったので墨善のダッシュルートを変える必要が出てきたことだ。その為に最近は最短ルートの開拓に余念がない。それはそれで楽しい日常だった。
だが、購買にたどり着く直前に墨善の携帯電話が鳴り響いた。
「はい、こちら『運び屋ラット』」
仕事用の携帯だったのでその名を語る。
「墨善!ちょっと来て。手が足りないの」
焦ったようなステラの声の向こうでは銃声が鳴り響いている。
「俺は運び屋ですよ。荒事は専門外です」
「日があがっちゃって私が思うように動けないの!お願い、力を貸して!!」
確かにそうだ。ステラが日の光を浴びたら燃え上がる。墨善は元凶である太陽を仰ぎながら大きく溜息をついた。
「わかりましたよ。高くつきますから」
「ええ、最悪、体で払うわ」
「笑えないんですよ。その冗談」
「冗談じゃないんだけどね」
それはそれで冷や汗ものだ。墨善はネズミ。
どっちの世界の人間にも深く情を注ぐことなどできはしない。
「それじゃあ、ついでに武器一式運んできて。三十人分」
「どんな戦場に巻き込まれてるんですか・・・」
「百春には連絡つけてる。頼むよ」
戦場の場所は近くの港、倉庫群の一画で行われているというのだから驚きだった。墨善は電話を切り、今度は祭に電話をかけた。
「祭、仕事だ。俺の護衛」
「ええ~・・・高くつくぞ」
「最悪、体で払う」
「わかった、墨善の体は私が守る」
冗談だったと言えなくなった。この仕事の成否に関わらず墨善の体が無事で済む気がしない。余計なことを言った。
「ま、いいや・・・とりあえず、裏門出たとこ集合。佐助にも連絡頼む」
「了解」
祭が休み時間はクラスメイトに囲まれているのはわかっているので細かい話は後回し。
「さて・・・」
今日という日が記憶に残るといい。
「ヨーイ・・・」
墨善は笑う。
「ドン!」
ラットは今日も溝の底を駆け抜けていく。
第一部 完
といった具合です。次回『メデューサと10㎜ショート』を予定しています。
ではでは、またお会いしましょう。