学校 B
「あ、お帰り」
部屋に戻ると、いきなり紅茶の良い香りがした。
「何やってんの?」
「見てわかるでしょ。お茶を楽しんでるの」
ステラは銀色に光るマグカップを二つ用意していた。墨善の分もあるようだ。正体不明の敵に追っかけられてるこの状況。墨善としてはここでそんなことをしてる神経を疑いたかった。だが、結局無粋なことを言うことはしなかった。
「こんなお茶どこにあったんだ?」
墨善は簡素なパイプ椅子に腰かけて弾丸のつまった箱を机に置く。紅茶と9mmパラべラム。少しシュールな組み合わせだった。
「私の持ち物よ」
ステラの得意としてる飲み物はコーヒーだとばかり思っていた墨善にとっては少し意外だった。
「味は保障してくれんだろうな」
墨善はロングマガジンに弾を一発ずつ詰め込みながらそう尋ねた。
「それはこの香りを嗅いだうえで言ってるの?」
ステラの淹れた紅茶は柑橘系の良い香りがしている。もちろん、墨善にだってそれはわかっている。
「香りと味は別だろ」
墨善がそう言うと、ステラは大きな溜息をついた。
「あなたに言った私のほうに問題があったわね」
「ん?」
墨善は首を傾げる。
「いいから飲みなさい。あなたは経験が足りないのよ」
コーヒー派の家庭で育った自分としては紅茶の良し悪しを計る経験は無い。墨善は手を休めて素直にマグカップに口をつけた。
途端、口の中に広がったのは味ではなく香りだった。口の中から気道を介して香りが鼻まで流れ込む。舌で転がすまでもなく、それだけで十分に楽しめた。そして次に訪れる濃厚な味わい。わずかに漂うリンゴのような香りがよい刺激となっていた。
「なるほど」
「でしょ」
確かに墨善は間違っていた。
紅茶本来の香りとハーブの香りが絶妙だ。この旨さならアメリカの港に紅茶がばらまかれたのも納得がいく。海を越えてでも飲みたくなったヨーロッパの人達の気持ちがわかる気がした。
「いつも言ってるでしょ。大事なのは新しい経験。自分から求めていかないと世界はつまらないものになるわ」
ステラは満足そうだ。
「飲み物一杯で随分と大げさだな」
それでも、間違ってはいないとは思う。墨善はもう一口味わって、作業を再開した。ステラも自らの武器の弾を補充していく。
「それよりも、やけに窓の多い建物ね」
「ステラには通えないことは間違いないな」
光を浴びたら燃え上がるステラには学校は窓が多すぎる。
「もっと深刻な問題よ。朝になったらここじゃ私はまともに動けなくなる。墨善一人であいつらを相手取ることになるんだからね」
「それは勘弁だな。下手すればそのままステラが生徒と鉢合わせるんだからな」
少しその状況を作ってみたくもあるが、今は口にしない。
「でも、直射日光浴びなきゃいいんだろ?遮光カーテンにでもくるまればいいんじゃないのか?」
学校という場所は暗幕にはことかかない。体育館や視聴覚室には腐る程ある。
「それはそれで吸血鬼らしいけど・・・」
ステラは少し考え込む。墨善も考えてみた。真っ黒な遮光カーテンに体をくるめ、フード状にして頭から被ったステラ。
「まぁ、職質は免れないな」
「警官がフードを取った瞬間、私は大やけどすることになる。下手すればそこで私の寿命はおしまいね」
彼女は半吸血鬼。傷の回復力は人間と大差ない。
「本当に最弱の吸血鬼だな」
日が昇ったら完全に足手まといだ。
「自分で言うのはいいけど、他人に言われると少しムカッとくるわね」
「暴れんなよ」
「どうかしら」
そしてステラは弾倉をAUGに叩き込んだ。一区切りついて携帯を取り出してみるが、そこに着信もメールも何も入っていなかった。
「心配ね」
「ああ・・・」
連絡が取れないということは最悪の場合も考えざるおえない。仲間の葬式を想像し、嫌な汗が一筋ながれた。祭の死装束は思い浮かべたくもなかった。
「かといって動くわけにもいかねぇ」
墨善はそう言って乱暴に携帯を机の上に放り投げた。
もし、本当に家族を攻撃されていたのなら・・・
墨善はほんのりと手汗が滲んだ拳を握りしめた。そいつらは絶対に許さない。相手が誰だろうと殺してやる。拷問する時間はいらない。命乞いさせる時間もいらない。祈る時間など絶対にやらない。出会いがしらに数十発程鉛玉をぶち込んでやる。妖怪なら銀弾だ、確実にぶち殺す。
そこまで考えてたところで、眉間に鋭い痛みが走った。
「っつ!」
自分の頭に何かがぶつかって跳ね返る。
「はい、そこまで。不確定な未来で感情を揺らさないの」
額に当たったのは自分の携帯電話だった。それは墨善の頭蓋骨で見事にバウンドして、再び机の上に転がった。
「まだまだ、プロには程遠いわね」
墨善は少し赤くなった額をさすりながら机の上の携帯電話に手をのばした。
突如、携帯が鳴りだした。
「もしもし!」
墨善は誰からかかってきたかも確認せずに通話ボタンを押した。
「墨善!生きてるか?」
祭の声だ。
「祭、無事か!?」
「そういう台詞が出るってことはそっちも結構やばかったりする?」
「ああ、ステラと一緒に襲われた。吸血鬼まで出てきてる」
「あちゃ~」
携帯の向こうから何かを叩く音がかすかに聞こえた。祭が自分の額を叩いた音だろう。
「そっちもやばいのか?」
「いや、やばいのは・・・そっちだ」
携帯の音にノイズがわずかに混ざった。
「妨害電波?嘘だろ」
ただのチンピラにしてはいくらなんでも用意が良すぎないか。
「祭!俺らは学校にいる」
「まじか・・・すぐ・・・に・・い・・・」
祭の音はノイズの音の向こう側に消えてしまった。携帯から耳を離すと「ガチャン」と音がした。ステラがAUGのコッキングレバーを引いた音だった。
「見つかったみたいね」
「一体どうやってここみつけたんだか」
墨善は机の上に置いたままだったマガジンのうちの二本をグロック18に叩き込む。残りをベルトに装着し、グロックもホルスターに差し込んだ。
「とりあえず、撃滅するしかなさそうだな」
「ええ、らしいわね」
どこか遠くでガラスが割れる音がした。しかも複数。警報装置は鳴りださない。もともと期待していなかったのでそれはいい。
「人数がわからない。下手に散開するのは危険ね」
墨善もMP5をコッキングする。
「ステラはここの構造に詳しくないしな」
「そんなに複雑なの?」
「いや、そうでもない。けど、物の配置まで完璧に頭に入ってるわけじゃないだろ」
「それもそうね」
ステラは棺桶を担いだ。
「それ置いてけば?」
「いやよ、ここに全財産入ってるんですからね」
墨善は肩をすくめて答えた。
「そんじゃ、はじめるか」
「忘れらない経験になるといいのだけれど」