学校 A
酔っ払いが出没する時間ではない。だが、通行人がいるかもしれないので大げさに銃を構えられない。そんな状況での登校は神経を使った。
幸い、敵にも一般人にも出会うこと無く学校にたどり着いた。もし、出会っていたら発砲していただろう。学校までの移動中はそれほどに気を張り詰めていた。
「私は今までの人生の中で学校と名のつく所には通ったことがないのだけれど」
校門を乗り越えて、学校の敷地内に入りこんだ時にステラが口を開いた。
「なんだか、監獄に似てるわね」
確かに、夜見る校舎は少し不気味である。普段が昼日中で人に溢れている分なおさらである。その静けさは囚人が規律に従って寝静まった監獄に見えなくもなかった。
ただ、それは普段を知る墨善の感想だ。ステラは初めて見る校舎に対してそんな評価を下した。
「お化けとか出ないわよね?」
吸血鬼は立派なお化けである。ステラなりの冗談かと思ったが、その顔を見る限りどうやら本気らしい。
「意外だな、ステラがものそんなのを怖がるなんて」
遊園地のお化け屋敷なんか爆笑しながら出てきそうなタイプだと思っていた。もちろん、彼女が大口開けて笑ったらお化けのほうがビビりそうなもんだ。なにせ、あの長い牙は八重歯にしては長すぎる。
「昔、武装した幽霊の集団を敵に回したことがあってね」
随分と物理的な恐怖だ。墨善は幽霊相手に仕事を受けたこともあった。確か、ヤクで死に、死後もヤクを求めたろくでなしだった。本来なら薬の運びはやらない主義だが、薬を大量に処分してくれる上に不幸になるのは死人、介護は閻魔に任せればいいので引き受けた依頼だった。
ステラの昔話を聞きながら墨善は侵入できる場所を探していた。
「本当にやっかいだったわ。空飛ぶから立体的に仕掛けてくるし、銀弾で負傷させることはできても成仏まではしてくれないからすぐに回復してくるし」
「そこまで攻撃されるなんて、何をしたんだ?」
「幽霊達の出身の村を爆破するための発破を売ったわ」
「そりゃ、まぁ・・・」
幽霊どころか生きた人間にまでも追われそうな話である。たぶん、実際に爆破した人間はけっこうな恐怖を味わったことだろう。
「結局どうなったんだ?」
「朝まで持久戦を繰り広げて逃げ出したわ。向こう50年ぐらいはいかない方がいいわね」
ステラですら苦戦する相手。墨善としては仕事でかち合わないことを祈るしかない。
「しかし、本当にいろんなことしてんな」
振り返り、墨善はそう言った。
「二度とできない経験を積み重ねていける人生こそ最高よ」
ステラは楽しそうに笑う。墨善は肩をすくめた。これから先、本人曰く500年の寿命が用意されてるステラに何かを言うつもりはなかった。
墨善はいつか侵入に使うかと思っていた窓を見つけた。
「少し待っててくれ」
そう言って手頃な排水管を見つけて飛びついく。
狙いは警備会社に管理されていない窓ガラス。警備が来てくれれば確かにチンピラぐらいは制圧できるかもしれない。だが、残念ながら日本の警備員は吸血鬼殺しの訓練は受けていない。
墨善はパイプ伝いに二階へとあがる。職員室の奥にある茶室が目的地だ。墨善は壁に取りつき、窓ガラスを割って中に侵入する。墨善は念のため中を確認してステラを手招きした。ステラの表情は暗くてわからなかったが、なんだか楽しそうだった。
ステラは重い銃器の入った棺桶を背負ったままでも難なく二階までたどり着いた。最後の一歩だけ手を貸してやって、ステラは日本の学校に無事初登校した。
「さすがに疲れた」
「でしょうね」
突然の奇襲を受けてここまで気を張りっぱなしだった。敵をまいたとは思えないが、さすがに少しは休憩できるだろう。だが、座り込む前に墨善は自分の銃を確保しておきたかった。
「ステラはここで休んでろ、俺は武器を取ってくる」
「ええ、行ってらっしゃい」
軽い感じで見送られて、墨善は職員室から出て行った。
静かで、月明かりの入る教室は少しだけ肌寒く感じた。季節が季節なので墨善が薄着なのももちろんあるが、墨善はそれ以上に寒さを感じた。前後に広がる廊下には誰もおらず、人の気配も全くしない。これだけ広い空間に自分一人。その感覚が、墨善の体を包んでいた。まるで、校舎が熱を吸い取っているようだ。
学校が怪談の舞台になりやすいのもなんだかわかる気がした。
墨善は覚悟を決めて廊下を歩きだした。今はもっと即物的な危機が進行している。制服にタクティカルベスト。通学鞄の代わりにサブマシンガンを抱えて墨善は階段を下る。向かう先は一階の生物室である。
我が校に限ったことかどうかは知らないが、生物室は顕微鏡の保管に場所をとるためか、それとも様々な生き物が飼われているせいか、やけに広いスペースが取られている。墨善は職員室から持ってきた鍵を使って中に入る。
中はやたら騒がしい。水槽の中に酸素を送り込むポンプがやけに大きく聞こえ、夜行性のネズミがあちこちのハムスター小屋の中で動きまわっている。ネズミたちはいつもと違う時間帯にやってきた侵入者に気づき、墨善を見つめていた。
「お前ら、こいつは内緒にしておいてくれよ」
墨善はネズミたちに話しかけてみる。もちろん、明確な返事が返ってくるわけがない。そういえば、ステラはネズミや蝙蝠ぐらいなら会話できると言っていた。彼女によると蝙蝠はけっこう紳士的で、ネズミはスポーツマンだそうだ。だが、ネズミはしゃべる前に握りしめてこちらを向かせないと落ちついて会話してくれないとのこと。
もちろん、会話などできない真人間の墨善にとってはネズミの個性などあまり気にならない。特に今の状況では悠長に会話してなどしていられない。墨善は机をどかしてスペースを作り、床下のパネルを剥いだ。
そこには別の空間が広がっていた。涼しげな床下はさほど埃っぽくもなく、適度な温度に保たれている。それも当然。墨善は仕事で貯めた金の一部を使い生物室の床下を大幅に改造していた。通気口を入れて、換気扇を回し、冷暖房完備。ルンバが時折掃除のために徘徊するので埃も無い。さすがに地下に掘り下げることはできなかったが、武器類を収納するには最適な場所である。
並べられている銃は小ぶりなものが多かった。
今、ステラから借りているMP5をはじめ、その派生型であるMP7、発射速度が異常ともいえる程に速いイングラムM10、最近小銃の主流になりつつあるFN P90。その他もろもろのサブマシンガンやアサルトライフル、拳銃やナイフ。万が一にでも暴発したら洒落にならないので爆発物の類は一切置いていないが銃弾は豊富にある。一通りの迎撃用の装備は整っていた。
墨善は現在の装備のバックアップとしてグロック18を二丁取り出し、専用に作ったベルトを腰回りに巻きつける。グロック18は拳銃と同じく9mmの弾丸を使うが、アサルトライフルのようなフルオート射撃が可能だ。しかもこの銃は銀弾を発射できるように改造がなされている。墨善は更に40発のロングマガジンを八本と弾丸の箱をそれ床下から取り出した。ついでだったので、先ほど消費した弾丸はここで補充しておいた。あまりステラの持ち物を消費すると後が怖い。
改めて、ふたをもとに戻しておく。
余談だが、祭の装備もこの生物室に保管してある。彼女は天井裏だ。祭は背が高いので余裕で手が届く。
どうして生物室を選んだかというと、色々と武器を保管するにあって好都合だったからだ。四六時中ポンプが動いているので電気を少々拝借しても気づかれにくい。動物の管理は主に生徒の仕事なので教師の手が入りにくい。大掃除をするにも汚れやすいケージの方が優先される。どんな時でも見ているのはネズミとウーパールーパーだけ。学校内で武器を保管するならここが一番良い。
もちろん、学校側が墨善達のようなアウトローを何人も秘密裏に飼っているとか、部活の一つが実は暗殺部などという小説みたいな話があるなら違うのだろう。だが、いまだ墨善はこの周辺のアンダーグラウンドにこの学校の名前が挙がっていたのを見たことは無かった。墨善は拳銃を合計三丁ぶら下げ、背中にサブマシンガンを抱え、小脇に弾丸の入った箱を挟んで生物室をあとにしたのだった。