表と裏 B
最近の銭湯は素晴らしい。
ステラは日本に来るたびに風呂の発展に対し大いに尊敬の念を抱く。
ステラは銭湯が昔から好きだった。銭湯に入りたいためだけに入れ墨なども体に入れてこなかった程だ。
古き良き銭湯で隣の人と雑談に花を咲かせるのも悪くない。健康ランドのように様々な風呂があり、のびのびとできる風呂もいい。温泉と名がつくならなおよしだ。
そして、今日はこの近辺で最大級の大きさを誇る銭湯に来ていた。サウナ、ジャグジー、壺風呂、檜風呂、露天風呂とよりどりみどりだ。
「く~~っ」
風呂の淵に背を預けて、旅の疲れで凝り固まった筋肉を湯の中で伸ばす。この瞬間が最高である。そして、道連れがいるなら幸福感は割増である。ステラは少し扇情するように腕をしなやかに動かして、隣に流し目を送った。
「祭ちゃん、どうしたの?私の体じっとみちゃって」
「へ!?え、あ!す、すみません」
頬を赤く火照らせてのけぞる祭。普段は男勝りなのに、動揺すると途端に可愛くなる。ステラはくすぐったそうに笑った。
「謝らなくていいのよ。どうしたの?」
「え・・・あ~・・・」
祭はきまりが悪そうに少し頭をかく。彼女の濡れた短い髪の間から小さめの角がのぞいていた。
「いや、ステラさんって肌綺麗だなぁ・・・って」
こういうところはお年頃といったところだろう。今日一日で何人も地獄に叩き込んだ鬼でも普段の姿はただの学生である。
「これでも吸血鬼ですからね、日に浴びれないのだからシミなんてできようもないのよ」
そう言って立ち上がったステラの体は見事に均整のとれたプロポーションだ。それを見て、祭は自分の体を眺める。度重なる戦場に身を置いてきただけあって、祭の体にはいくつかの傷跡が残っている。体は筋肉で盛り上がり、どこをとっても無駄な肉は一切ついていない。自分の胸部を見て祭はため息をつき、祭はステラの後に続いた。
ステラが向かったのは露天風呂の一角にある寝風呂だった。ぬるめのお湯に浸り、夜空を見上げれる風呂。町の明かりのせいで星は見えなかったが、今日は月が綺麗だった。
「二人とも、こっち来たん?」
「ええ、隣お邪魔するわね」
既に入っていた百春の隣にステラが入り、祭もステラの隣に入った。
「祭ちゃんだって綺麗よ。そういう女性が好きっていう男性だって多いんだから」
「男にモテたってうれしくないんですよ」
昔からそうだ。男性だろうが女性だろうが告白されても祭は困るだけだ。
「ほんま、墨善一筋やな」
「一途な心はいいと思うわよ」
「そこは否定しませんけど。まぁ、相手次第って気もするわな」
祭はただ一人、夏杵墨善に振り向いてもらいたいだけなのだ。
それなのに、いつも彼は右から左。
「あたしって・・・魅力ないんでしょうか・・・」
「んなこたないって。まっちゃんはええこやで」
百春が慰めようとするも、祭はどんどん後ろ向きになっていく
「そりゃあたしは背もでかいし体もごついし・・・普通の女の子じゃないのはわかります。でも、これでも頑張ってるんですよ・・・裁縫も料理も練習してるし」
うなだれる祭。ステラはそれを黙って見ていた。そこには少しだけ躊躇うような顔が浮かんでいた。
「これでも、毎回勇気全開なんですから」
暴力団の事務所に単身乗り込む勇気はあっても、墨善へのアタックは別だ。もっとも、殺し合いでもチンピラより墨善を相手取る方がよっぽど勇気がいる。下手したら殺されかねない。そんなことを考えて祭は少し自嘲するように笑った。
だが、表情は再び沈み、祭はつぶやくようにこう言った。
「墨善は・・・あたしのことを友人のままにしておきたいんじゃ・・・」
「そ、そんなことは・・・ん~・・・」
百春には「そんなことは無い」とは言い切れなかった。百春は墨善ではないのだ。頭を捻る百春。項垂れる祭。悩める二人の少女達の間でステラは首を左右に動かした。子気味のよい音がして、今までの凝りが解れていくのがわかる。
「やっぱり・・・私が・・・鬼だから・・・」
「それは違うわよ」
ステラは背中の筋を伸ばしながらそう言い切った。というより、それだけは言い切れるといった方が正しいのかもしれない
「墨善とはここ二年会ってなかったから、あんまり滅多なことは言えないんだけどね」
ステラは前に伸ばした腕で顔の大半を隠す。祭からは彼女の瞳だけが見えていた。
「それでも、あの子がそんなつまらない子になってないことはよくわかる」
「つまらない・・・」
「祭ちゃんは立派な子よ。墨善はそれを外見だけで見失ってしまうような男じゃないわ」
そして、ステラは腕を湯の中におろして続ける。
「それにね」
ステラはいつの間にかその顔に冷笑をたたえていた。長い八重歯がこぼれ、祭の視線がそこに移る。
「もし、墨善がそんな男になってたら」
ステラの口角が吊り上る。祭と百春は思わず生唾を飲み込んだ。風呂の中だというのに寒気まで覚える。
「私がたっぷりと教え込んであげるわ・・・」
具体的な話は聞きたくなかった。世界を渡り歩き、齢100を超えるお方の教育法など知りたいとは思わない。祭が願うのは墨善の身の安全だった。
「と、冗談はさておいてね」
「えと、どこからが冗談でした?」
「最後だけよ。それより、墨善のことだけどね」
「は、はい」
「あの子、根は真面目でしょ?」
その質問には百春が答えた。
「真面目ちゅうか、愚直ちゅうか」
そうでなければ、毎日のようにパシリをすることなんてできはしない。墨善はなんだかんだいってまめである。
「だから、既成事実をつくっちゃうのが一番だと思うのよ」
「き!!既成!!」
「おお、その手があったか」
祭の顔が燃え上がる。それでもステラはおかまいなしだ。
「うん、そうそう。それで引くに引けない状況にしちゃいなさい。ああいう手合いを落とすにはそれが一番」
「なるほど、それはええ案やな」
ステラの長年の経験から言ったことなのだろうが、そこに秘められた体験談をぜひとも傾聴したいと思う祭であった。
「だいたい、煮え切らないのは墨善の方よ。あんな男は女が強引に攻め落とすぐらいでちょうどいいの。そうでなきゃまとまるものもまとまらないわよ」
「は、はい」
「それじゃ、墨善をどうやって落とすかだけど・・・」
「そりゃ、夜這いが簡単やろ」
百春はしれっと言い放った。
「そ、それって簡単か!?」
祭からしてみれば一番難易度が高い気がする。
「なにゆうてんねん。同じ屋根の下に寝泊まりしとるんやで。それが一番早いわ」
「でも、そ、そんな・・・」
この程度の会話で、全身を火照らせてしまう祭だ。実力行使に踏み切るには今までの何倍の勇気がいるのか想像もできなかった。
そんな祭にステラは少し声を落とした。
「祭ちゃん。忘れてるかもしれないから一応言っておくけどね」
更にステラは視線を細める。雰囲気は戦場のそれだ。気分的には鬼軍曹に睨みつけられているようなもんだ。祭は自然と背筋が伸びるのを感じた。
「墨善はね、今まで立ちふさがる妖怪や人間を問答無用で叩きつぶしてきた武闘派の運び屋よ。生半可な覚悟で寝技をしかけたら痛い目を見るからね」
「寝技・・・」
単なるスパーリングの話がしたい。祭は耳まで真っ赤に染め上げながらそう思った。
「さて、それじゃ私はサウナでも行こうかな。祭ちゃんはどうする?」
「あ・・・えと・・・」
「うちは行きま~す」
ステラと一緒に行きたい、でもこれ以上この会話を続けたくない。
そんな葛藤が手に取るようにステラに伝わってくる。
「い、一緒に行きます」
「ん、それじゃ行きましょ。サウナは人が多いから、具体的な手法は今晩にでもね」
ステラがそういうことを言うたびに体を緊張させて赤くなる祭。可愛い。ステラは純粋にそう思う。これだから彼女をからかうのはやめられない。ステラは寝風呂からあがり、サウナへと足を向けた。後ろから従順についてくる祭はまだ自分の中の動揺を消化できずにいた。
「具体的・・・そ、それって・・・子供を・・・う、うううう」
「へっへっへ、今晩は盛り上がるで。楽しみやな、まっちゃん」
「・・・ももちゃん、親父臭い」
ステラは二人に気づかれないように笑いをこらえたのだった。