表と裏 A
ステラとの談笑を終えた墨善は弁当箱を回収して帰路についた。まだ残ってた中身はステラのタッパに詰めて冷蔵保存するとのこと。昨日は無かった冷蔵庫の電気は上の階から拝借しているそうだ。昨日の今日で随分とい手早い環境の整備だ。ステラの素敵空間から外に出ると空は既に真っ暗だった。
墨善が歩こうとしたその時、目の前に止まっていた白いバンがクラクションを放った。運転席の窓が半分程開く。
「よっ、チビ」
発砲音がした。
「うおっ!びくった!ホントに撃つ奴があるかぁ!」
百春が今日仕事に出かけているのは知っていた墨善だ。乗っているバンは防弾仕様だと予想できたので墨善は容赦なく発砲した。
「お前の驚いた顔が見れたからまぁ今日はいいとしよう」
「おお、デカイ心をお持ちで。だから体がチビなんやな」
発砲音がした。
「あっぶな!」
百春が肘を乗せていた窓がひび割れた。
「パンパン撃つなや!銀玉鉄砲ちゃうねんぞ!」
「知ってるよ。この距離だからな、急所は外せる」
「ウチの運が悪かったらどうなんねん」
「棺桶の中で自分の口でも呪ってろ」
墨善はストラップの中の空薬莢を取出した。
「で、どうした?迎えか?」
「ちょい違う、残念やったな」
期待してなかったので、別にかまわない。
「墨善、ステラさんまだいる?」
祭が後部座席から顔を出す。その表情を見る限り随分とご機嫌のようだった。ステラに会いに行くときはいつもいい顔をしている祭だが、彼女の顔にはそれ以上の興奮が見える。今日は随分派手に暴れたらしい。
「で、ステラさんは?」
「これから風呂にいくとか言ってたけど」
「よっし、間に合った!」
祭が首をひっこめたと思ったら、次の瞬間にはドアがあいて祭が飛び出してきた。服の裾にわずかに返り血がついてるが、注意してみなければわからない程度だ。心のほんの片隅で彼女の怪我を心配していた墨善は少し安心した。
「ほな、ウチもいくからこのバンよろしくな」
「そんなことだろうと思ったよ」
二人は通学鞄と着替え持参だった。この様子だと、外泊の許可もおりているのだろう。
「んじゃ、また明日学校でね!墨善、愛してるよ」
「はいはい」
「背伸ばしとけや~」
「さっさと行け」
墨善は運転席に乗り込み、差しっぱなしになっていたキーを回した。
このバンは墨善の使ってる下宿の面々が仕事をする時によく使う車だ。武器庫も兼ねているこのバンには後部座席が無い。また、壁際には大型の銃器や弾薬が並んでいる。今日はその間に祭の武器が転がっていた。『鬼』という吸血鬼さえ上回る圧倒的な怪力がある祭の武器は小柄な墨善にはまず扱えない。ツェリザカなんか撃った日には、撃たれた相手と同じくらいの衝撃を受けることになるだろう。
墨善はカーステレオをいじり、ラジオをつける。すると墨善がいつも聞いてる番組のDJの声が聞こえてきた。
『おっ、むーちょの方に進展があったようです。むーちょ?』
『はーい、徳光さん。さっきまで駅にいたんですけど。学生が来まして文化祭の準備を手伝って欲しいとのことで、今学生さんと学校に向かっています』
『え?こんな時間まで準備してんの?で、文化祭いつ?』
『いつ?え?あ、ちょ、君、いつ?』
『なんだよ、聞いてねぇのかよ。むーちょ、仕事しろよ』
毎日音楽のランキングを発表しながらその間にいろいろなコーナーを展開する。どこにでもありそうな番組。墨善はこの番組の愛好家だった。メールで投稿してステッカーも何枚か貰ってる。
『さて、使えないむーちょはほっといて、ランキングの続きにいきましょう。25位から20位まで一気にドン!』
流れ出したイントロを聞きながらハンドルを握る指でリズムをとる。
20位付近というのは意外と数週間前のビッグネームがしぶとくランクインし続けている。そのおかげで好きな曲も嫌いな曲も毎日聞ける。こんな風に本当に普通の高校生みたいなことをしてると、時々変な感覚に襲われる。
銃器に触れ、硝煙の臭いにまみれ、返り血の中を駆け抜ける『運び屋』という仕事。その一方で自分はこうもラジオを楽しみ、のんびり街をドライブだ。
不思議なもんだと常々思う。
父親は木材からミサイルまで売り払う商人、母親は世界中の危険なデータをかき集める情報屋。それで二人のなれ初めが仕事の依頼から始まったのだというのだからこんな変わった息子が出来上がるのも仕方ないような気もする。
それでもこんな生活を行っているのは自分の意志に他ならない。安全な仕事などこの日本の至るところに転がっている。こんなことしなくても、喰うぐらいは別に困りはしない。
「どこか~壊れた~オルゴール~」
流れる曲のサビを歌いあげながら、墨善はブレーキを踏んだ。赤信号で止まったバンの前を子連れの親子が仲良く歩いていく。目の前のフロントガラスには自分の顔が幽霊のように写っていた。家族連れが横断歩道を渡り、別の道へと入っていく。その姿を追う墨善。フロントガラスに映った墨善はそんな墨善自身を眺めているかのようにも見えた。
後ろからのクラクションで信号が青になっていることに気が付いた墨善は慌ててアクセルを踏み込んだ。
下宿まで十分と少しでたどり着き、墨善はバンを庭のガレージに駐車する。ガレージの中には車二台分の駐車スペースが設けられている。今日はもう一台は留守にしているらしく、ガレージの中はやけに広く感じた。
墨善は弁当と祭の銃を抱えてガレージを後にした。まだそんなに遅くは無いので夕食の時間には間に合ったかもしれない。そう思って玄関を開けると、案の定、鼻の奥にクリームの良い香りが流れ込んできた。今日はシチューかとあたりをつけて墨善は廊下を抜けてリビングに顔を出した。
「あら、おかえり」
「ただいま」
「ういー」
「ういーっす、なんか元気ないな佐助」
「言わないでください。思い出したくもないッス」
墨善が帰ってくるまでに佐助のトラウマが増えていた。いったい何があったのか興味はあるが、友の傷をえぐる趣味は墨善にはなかった。あらためて定子さんの立つキッチンに目を向けるとパスタを盛り付ける皿が並んでいる。
「カルボナーラ?」
「大正解」
下宿の管理人や食堂のおばちゃんよりも、寮母さんという肩書が似合いそうな笑顔。墨善は手伝えることを探しにキッチンへと入った。
「っと、その前に手洗ってきな」
「は~い」
甲高い声でわざと返事する。そうすると子供に見えるのは自覚している。リビングを出て、洗面台に向かう。鏡の中の自分は思うほど疲れた顔はしていなかった。その顔に溜息を吹きかけて石鹸を手に取った。
色も無い、臭いも無い石鹸。掌に残っているのは血の記憶。自分の手に血がしみ込んでいるのは間違いない。手のひらどころか頭までどっぷり浸かっていることも間違いない。だが、鏡に映る自分はあまりに普通で、泡を落としたその手は何の変哲もなくて、時々本当に勘違いしてしまいそうになる。
墨善は水を止めて、変顔をしてみた。
「いーー・・・・・」
アホらしくなってきて、やめてしまう。墨善はストラップを手に取り、流れるように弾をこめて構える。銃口は微動だにせず、墨善の体も精巧な石造のように固まる。この安定する姿勢を難なくできるようになったのはいつだったのか。
鏡の中の自分の眉間に照準を合わせる。
「パーン・・・」
本当に引き金を絞ると定子さんに怒られる。それは嫌なので、墨善は口で銃声を表現してみる。どちらにせよ、アホらしくなった。
そんな自分の姿を見て、墨善は笑う。
墨善は改めてストラップから実弾を抜き取った。
「何やってんだか」
余計なことを考えてもしょうがない。とにかく今はもっと優先することがある。
「さて、ばんっごっはん」
実弾を洗面台に放置し、ストラップを片手で弄びながら墨善はリビングへと戻っていったのだった。