魔法少女VSエターナルシャイニングドリーミングパフェ
ニルアドミラリ――何事にも動じない、何事にも揺るがない。そんな成句を頂く組織の目的は、わかりやすく言えば世界征服である。なぜか日本で発足したこの組織は、既存のそれとは一線を画す技術を以て、驚異的な戦闘能力を備えた改造人間――いわゆる怪人を世に送り出した。異形の者どもは思うままに力を振るい、欲望を満たし、常識を打ち壊す。彼らに対する明確な対抗手段など存在せず、日本の、そして人類社会の未来は絶望の闇に包まれたかと思われた。
――が、しかし。闇あるところに光あり。世界は天秤のバランスに縁って成る。怪人の出現と呼応するように、彼らに対抗しうる力を持った人々が現れたのだ。原理は不明ながらも怪人と同等に戦える力を持ち、その力を正しく使うことのできる者たち。彼らは国の管理下に入り、この世界を守ることを誓った。魔法少女だったり変身だったり戦隊だったりといまいちフォーマットが統一されていないのが不安なところであるが、とにかくヒーローである。
正義対悪。ヒーローと怪人の戦いは続いている。
そしてその戦いの一つが今ここに始まろうとしていた。
顕れたのは、異形。恐竜を人型にして、切り詰めたと言えばいいだろうか。人に鱗を鎧わせて、首を蜥蜴と挿げ替えたと言えばいいだろうか。それは既存の系統樹からはっきりと隔絶している――竜。腰の辺りからは太い尻尾がずるりと伸びて地面を穿つ。両腕の先からは残虐な鉤爪が空を切る。硬質の鱗は瑠璃の煌き。縦長の瞳は玻璃の輝き。徒爾なりし絶対者。
来歴は一切不明。言葉を喋ることもない。ときおり、遥か彼方から呼びかけてくるような、そんな音を発することから敵味方にディゾナンスと呼称されている。
対するは我らが魔法少女、ネ・ナルシェーナ。華奢な肉体を青いドレスに秘め隠し、凛と前を向いている。可憐にして優美。肌には毒々しい紅の文様が刻み込まれ、手にした魔法のステッキからは蒼の燐光が零れ落ちている。環境によって磨き抜かれた凄みがまだ幼い横顔に凄惨な彩を添える。
日本全国津々浦々において唯一、勝率が1%を切ったヒーロー――蔑称、カテネーナ。
両者が対峙するのは昼下がりのカフェだ。既に避難は完了し、いるのは命知らずのヒーロー怪人マニアとお義理程度にカメラを回しているやる気のないカメラマン。限りなく盛り下がった場に響くのは咳払いと盛り上がったマニアの意味不明な絶叫会話ばかり。ナルシェーナとディゾナンスは向き合っていなかった。
具体的に言ってしまうなら、ディゾナンスはカフェのテーブルの前にでんと座って、その巨大な手で細長いスプーンをチマチマと操って、パフェを食べていた。ナルシェーナはそれをげんなりしながら見ていた。
「なんか食べてるよ、このデカトカゲ……」
ナルシェーナがそう呟くと、ディゾナンスはちょいちょいと尻尾で彼女を招いた。素直に近づいた彼女に、ディゾナンスはそっ……とスプーンを差し出す。付き合いの長いナルシェーナにはわかったが、爬虫類ベースの何考えてんだかわかりにくい顔がぐんにゃりしていた。疲れきっていた。それもそのはず。彼が食べているのはただのパフェではない。カフェ名物といいつつ、今まで誰も注文したことのなかった一品――その名もエターナルシャイニングドリーミングキングパフェ。バケツ換算すると実に二杯分にもなるという狂気の産物、地獄の糖蜜を煮詰めて現世に流し入れた代物である。専用の容器はまだ半分も空になっていなかった。堆積した生クリームに覆い隠されて、その奥に何が隠されているのかはわからない。
「嫌だから。人っていうか、トカゲの食べかけなんて口つけたくない」
ナルシェーナは差し出されたスプーンをきっぱりと突っ返した。ディゾナンスの瞳が絶望に染まる。視線が何度もナルシェーナとパフェの間を往復したが、魔法少女は揺るがない。
「というかさ、ディゾナンス。あんた店員脅してこれ作らせたんでしょ? 逃がしてあげたの?」
一応の義務を果たすためにナルシェーナはディゾナンスを問い詰めたが、彼は力なく頷くだけだった。エターナルシャイングドリーミングキングパフェは怪人をこの上なく打ちのめしたらしい。ここぞとばかりにナルシェーナはディゾナンスのデカい尻尾をぐりぐりと踏みつけた。
「だいたいほら、何? 作戦とかあんでしょ、作戦。もう中止してるよね? それともそのなんちゃらパフェ食べるのが仕事なわけ?」
ディゾナンスはよろよろと手を伸ばし、首にぶらさげていたショルダーバッグから指令書を取り出してナルシェーナに渡した。銀行襲撃計画。ディゾナンスの膂力で壁を壊しディゾナンスの膂力で金庫を持ち出しディゾナンスの膂力で逃げ切る。上の方で「かんぺきなさくせん」とポップなフォントが踊っていた。懇切丁寧にわかりやすい地図まで描かれている。銀行のある場所は海沿いであり、そこは今いる県境付近とは遠く離れていた。もちろん日付は今日である。
「……」
魔法少女は沈黙した。一から十までディゾナンス頼りの作戦を立てる悪の組織と、それを完全にスルーして巨大サイズのパフェを頼み食べ切れずにいるディゾナンス。もうどうにもならなかった。
「ねえ……もう食べられないんでしょ? 残したっていいよ。いいから帰んなさいよ……気まずいんだったら、私が一緒にお店の人にごめんなさいしてあげるからさ」
ナルシェーナがディゾナンスの肩をぽんぽんと叩く。ディゾナンスはなおも未練がましくパフェの方を見ていたが、そっ……とスプーンをナルシェーナに手渡した。
「食べないって言ってんでしょ!」
スプーンを圧し折りナルシェーナは吼える。ディゾナンスはきょとんとしたが、すぐにうんうんと頷き、店のカウンターの中にのしっのしっと我が物顔で侵入し、おたまを持ち出して、そっ……とナルシェーナに手渡した。
「あんたが使え!」
ナルシェーナはおたまをディゾナンスに叩きつけたが、当然ながらおたまがひしゃげただけだった。
ナルシェーナの心はまだ大丈夫だ。まだ折れてもないしひしゃげてもいない。正義に燃えている。
「オラッ! さっさとやりゃあさっさと帰れるっつってんでしょ! 出て来い!」
魔法少女のマジカルパワーに牽引され、ディゾナンスはずるずると路上に引き摺り出される。マニアが一人「おっせーぞ!」と叫んだが、誰も反応しなかった。路上に転がされ、ぴくりとも動かないディゾナンスを放置し、ナルシェーナは名乗りを上げる。
「ネ・ナルシェーナ」
たった一言言い捨てて、魔法少女は宙を蹴る。手にしたステッキが細い蒼のラインを描く。空高く舞い上がったナルシェーナは太陽を光背に魔力を収束させる。トリスメギトス術式によって魔力を三の三乗に増幅し、更にその術式を三の三乗に増幅し、更にその術式を三の三乗に増幅し……自己言及のパラドクスを克服したことによって、魔力は天文学的な増加を続ける。ビッグバンさながらのエネルギー量に、空間が歪み、時間が揺らぐ。
そして。極点に達したところで、すべてが一に堕ちてゆく――!
「レイ」
紅唇が紡ぐ。パウッ、と軽い音と共に光の線が伸びた。地球程度の惑星などやすやすと貫通するエネルギー量に対し、ディゾナンスはつい、と腕を振った。それだけのことで光線は霧散した。あまりにあっけない幕切れ。だがしかし、空に彼女の姿はない。
「疾……!」
光線はあくまでも囮。ナルシェーナの本命は拳だ。地を這うように低い姿勢で接近し、無防備な腹部に一撃を叩き込む! 魔術によるブーストで強化された筋肉に任せ、狙い済ました、一撃。
ずうん、と大地が揺れた。地軸を傾けかねない一撃は、確かにディゾナンスの腹に突き刺さった。さすがのダメージに、怪人も身を捩って苦しんでいる――ように、見えた。
ごぼごぼと音がする。ぐるぐると音がする。上から下から前から後ろから、音が、聞いたことのある音が迫ってくる。魔術術式に干渉され身動きの取れないナルシェーナをいたぶるように、ディゾナンスはゆらりと立ち上がる。
そのときナルシェーナは敗北を覚った。
「おっごげえええっげっおげえええええええええええっ」
「あんぎゃあああああああああああああああああああああ!」
ちょっと口に入った。
近くに噴水があったのが幸いした。やむを得ず全身を洗い流したナルシェーナに対し、ディゾナンスは犬よろしく伏せをして、上目遣いにぱちぱち瞬きしてみせる。全長三メートル超もある怪人のカワイイアピール! ツヨイ!
おそるべき追撃を受けてナルシェーナはもはや無言である。そもそもこのディゾナンスという怪人はナルシェーナの不幸の二割ほどを担っている。どれだけ攻撃しても通用しない、絶対的な防御性能。というよりは、基礎スペックそのものの桁が違う。何回戦っても勝てない。百負けても、千負けても、万負けても、まだ。攻撃されたことがないと気づいた日には噛み締めすぎた奥歯が砕けた。ナルシェーナの振る舞いなど、ディゾナンスの中では戦いという扱いにすらなっていないに違いない。ナルシェーナはあまりにも無力だった。ちょっと仲良くなってしまったのがもうどうにもならないところだ。
ちなみに残りの八割は私生活である。魔法少女ネ・ナルシェーナ、本名「桜木数葉」は父が再婚して以来、継母に実母の形見を切り刻まれてこれ見よがしにゴミ袋に入れられて「あらーごめんなさいだってそんないいもの数葉ちゃんにはもったいないわよー」と言われたり胎違いの弟に「いつ出てくんだよヨソモノー」と階段から突き落とされたり実母が生きている間は優しかった父に話しかけても目の前に立っても完全に無視されるようになったり継母の言うことを信じたご近所さんに「数葉ちゃんもグレちゃったのねえ」とヒソヒソされたり学校で浮き始めて小学校以来の親友に「話しかけないでくれるかな?」と集団で遊びに誘われたその席で言われたり……悪堕ちしていないのは単にナルシェーナが根性の人だからである。彼女の心は鋼鉄などというやわなものではできていない。
なにはともあれ、決着である。
水浸しになった髪をぎゅうぎゅう絞っているナルシェーナに、そっ……と差し出されるものがある。白いハンカチだった。
「……礼は言わないからね……」
鱗塗れの手からひったくるようにして受け取ったハンカチをナルシェーナは繊細な手つきで扱う。ディゾナンスは自分のショルダーバッグの中をごそごそと漁っていた。
服を着てないからポケットがなくて、だからあんなショルダーバッグを首に下げてるわけだけど、それってつまり裸ってことだよね……そんなことを考えて、ほんのりと頬を赤らめた。ナルシェーナ、乙女であった。
ショルダーバッグの中身を探しているふりをすれば怪しまれない。だからこう、不自然にならないように、あくまでも自然に、なにもやましいことのないように……そんなことを考えて、ディゾナンスは魔法少女をガン見した。水に濡れて顕わになった乙女の肉体のフラジャイルなボディラインを、ディゾナンスはしっかりと見た。はっきりと見た。じっくりと見た。ディゾナンス、漢であった。
気づけば横で騒いでいたマニアの一人が近寄ってきていた。この手の人種に生理的嫌悪感を抱くナルシェーナは冷ややかなまなざしで対応する。
「写真撮ったら殺す」
「あああああああああんおおおおおおおおおお」
「あ、はい」
「そそそそっそそそそ、そ、そのお、ん、コプォ、ん、ああんん」
「はい」
「おおおおおおおおめぁうういぁあす」
「はい?」
コミュニケーションの分厚い壁がそこには存在していた。常敗無勝のネ・ナルシェーナ、カテネーナなんてドマイナー魔法少女を見に来るレベルのマニアが現役女子○学生と話すことなどできるだろうか。いや、できない。偶然とはいえ初の有効打を祝福してくれているファンを相手に、ナルシェーナはただ困惑することしか出来なかった。
その隙にディゾナンスはドゲザ・スタイルでナルシェーナのパンツをガン見する。竜が人を愛することはできるだろうか。できる。竜が人に欲情することはできるだろうか。当然できる。種族が違うからと警戒心が緩いのをいいことにやりたい放題という二重に畜生なこともできる。
謎の三つ巴はマニアがさっとカメラを構え、ナルシェーナがすっと没収し、ディゾナンスがそっとスカートの中に手を伸ばすまで続いた……。
正義と悪の戦いのひとつが今ここに終わった。だが、忘れないで欲しい。今日もまたこの世界のどこかで正義と悪は戦っている。天秤のバランスを正すために。
頑張れナルシェーナ! 負けるなナルシェーナ! 後3800回勝てば君の勝率は1%を越える!