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4:The fixer

 ―――― 新暦3006年 第11つき4日 朝 第六研究所管区 第六研究所 



 メリセラ=アルメンタはここ1週間ほどを6thサブアーカイブシステム制御区画内で過ごしていた。居住区間として考えれば区画内はあまり居心地が良い場所とは言えないが、彼女はそういった生活の上での利便性よりも自分の興味関心を優先する人間だった。それは幸か不幸か、現状危機的状況にある6thサブアーカイブに現在は向けられていた。


 “第六研究所6thサブアーカイブシステムα領域に未確認端末からのクラッキングが確認された。至急調査されたし。”


 以上のような雑な命を中央から受け第六管区に来てみれば、申し訳程度に組織されていた第六研究所の調査委員会に結局は調査を丸投げされてしまったのである。一級技師に調査指令が下るような大事はそうそう頻繁に起きないので、メリセラ自身今回の調査を内心少しばかり好奇心が刺激される節はあった。しかし、同時に今回のクラッキングは結局第六研究所の怠慢が招いたことなのではないかと思うところもあったのだった。

 寝袋から起きたばかりの彼女は大きく伸びをしててきぱきと支度を進める。ウェーブのかかった赤毛を掻き毟りながら、えんじ色のロングのフレアスカートや白のシンプルなブラウスなどを身に着けていく。黒手袋に黒いコンバットブーツを着用し、研究所職員に支給されている装備一式を腰に着けた。最後に白衣を羽織る。

 腕のSciFiでニュースチェックするが特に面白そうなものはない。セントラルガーデンのお偉いさん方のうちの1人がまた“身に覚えはございません”などという声明を出しているのを確認したところで、朝食の携帯栄養ブロックを口に咥えた。ちなみに寝袋の周りにはブロックのストックが散乱している。

「QEF-2188型、スリープモード解除」

「こちらQEF-2188型。スリープモードを解除、通常モードに移行します……おはようございます、メリセラさん。良い朝ですね」

 寝袋の傍、ブロックに囲まれたところに目を瞑って立っていた白衣の女性がぱちりと目を開けてそう言った。メリセラの研究支援機であり、今回はクラッキング調査のカスタマイズを受けた上でメリセラに同伴している。支援機の涼やかな声にメリセラは倦怠感を隠すことなく応じる。

「おはよう。良い朝かどうかは、まだ分からないがな。一先ず、仕事にとりかかるとしよう」

「了解しました」

 2人の声が広い空間に響く。

 彼女たちを丸く囲う様に巨大機器が設置されている。多色のシグナルが点滅し、様々な記号が宙を泳ぎ、演算状況を知らせている。それは彼女たちの頭上、遥か上まで続き、その果ては暗がりで視認することができない。これこそ、6thサブアーカイブシステムを司るシンクライアントだった。



 ※


 サブアーカイブは各研究所に設置されている総合情報管理システムであり、有体に言えば研究所のメインシステムである。サブアーカイブの全データは最終的にセントラルガーデンの保有するメインアーカイブ、通称デウス=エクス=マキナに集約されている。国民は通常、SciFiを通してサブアーカイブΔ(デルタ)領域以下にアクセスする権限を持ち、各種情報取得、手続きなどが行える寸法だ。メインアーカイブ指定領域およびサブアーカイブγ(ガンマ)領域以上へのアクセスは各特権指定機関のみがそのアクセス権限を持っている。研究所はその特性から比較的高度の領域までアクセスが許可されている。

「ここまで中枢に侵入されていたのにも関わらず、それに数時間も気付けなかったという話だったな。セキュリティの問題もガバガバで話にならん」

「6thアーカイブは、メインアーカイブ提供のベースウォール一式、ヤキタック社製のセンシティヴウォールを計65282層、加えてAKF及びAKMの1990型98機の自動スキャンが常時展開されていた模様です。クラッキング当初、98機中36機がビジー状態で、研究課所属の研究員が状況に気付いたときには既にクラッキング開始から2時間58分32秒が経過していました。履歴を確認されますか?」

「良い。もう知っている情報だからな。頭に入っている。今のは独り言だ」

 球体型ジンジャーに座って浮遊し、脆弱性を1区画ごとに改善していきながら、メリセラはそう嘆息した。

 自動スキャンに使用されていたのは1000番台後期、しかも末尾0は量産型。代替機は発注したが、到着は明日になるらしい。それまではまだ1990型でやりくりするしかない。メリセラのメンテナンスによりだいぶパフォーマンスは大幅改善されたが、それでもやはり限界はありザルスキャンであることには変わりない状況だ。

「……随分と旧式で呆れて言葉も出ん」

「言葉は出ていますよ」

「今のは比喩だ。もう少し、人間のユーモアを学習しろ」

「了解。学習します」

「……無論、今ではなく、後でだぞ?」

「了解しました。後で学習します」

 メンテナンスもろくにされていなかったザルスキャンを抜かれたこと、それ自体は大した問題ではなく、一番の問題はセキュリティウォールがすべて突破されたことである。ヤキタック社のウォールと言えば、研究所認定を受けている一級品である。それを抜けるのさえ至難の技だと言うのに、クラッキング犯はその先にあるメインアーカイブ提供の最高峰のセキュリティウォールさえも超えてみせた。下手をすれば、6thアーカイブを通してメインアーカイブまでやられていたかもしれないと考えるとぞっとしない話だとメリセラは小さく身震いした。シャレにならない。

 でも、面白い。それがメリセラと言う女の今現在の原動力となっていた。

 複数の小型端末を無線や有線で次々と繋げ、時折、SciFiを操作し、いくつかのプログラムを並行して走らせる。QEF-2188型も傍らで別の機器にアクセスをしていた。

「……生体反応11、機体反応3」

 QEF-2188型が作業の手を止めずにそう言ったのは、作業開始から3時間ほど経った頃だった。メリセラも手を止めずに声だけで応じる。

「ほう、機体の型は?」

「QEF-2506、2511、2514型です」

「……ということは、少し降りるかな。君も付いて来い。面倒ではあるが、運が良ければ仕事の1つが片付くかもしれん」

「了解しました。下降します」

 手早く端末の接続をすべてカットし、ジンジャーのハッチ内に放り込む。その間にもQEF-2188型が告げた者たちが近づいてくる。広いサブアーカイブ内にぞろぞろと入り込む人間とアンドロイド。いずれも白衣を纏っている。そわそわと辺りを見回す若い白衣たちの中から大きな腹をし、口ひげが立派な男が一人近づいてきていた。愛想の良さそうな笑みを浮かべているが、どうにも脂汗が酷い。頭に髪の毛はなく右側頭部が大きく盛り上がっている。人工皮膚の下、右前頭葉にストレージが接続されているのだ。白衣の上からでも分かるくらい体の様々な部位に身体補助機器(通称ARM、エーアールエム)が無骨に装着されている。白衣の胸ポケットには二級技師であることを示すピンバッジが付けられていた。

「アルメンタ様、おはようございます。今日も良い朝ですな。進捗の方はいかほどですかな?」

「……おはようございます、デートリッヒ副所長殿」

 メリセラはジンジャーから降りて、愛想の良さそうな声の男に眉を僅かに動かして挨拶をした。QEF-2188型は背後に控えて沈黙を守っている。

 デートリッヒのすぐ背後にはやはり研究支援機、その女性型であるQEF型が控えている。こちらも無表情で沈黙は守っていたが、前を合わせていない白衣の下は露出の異常に高いオレンジ色の下着を身に着けている。

 メリセラはできるだけ朗らかな笑顔を浮かべ、更に後ろに控えている若者たちについて言及した。それでも若者たちの表情は硬い。

「そちらの白衣の皆さんは、研修生ですか?」

「ええ、おっしゃる通りです。白衣着用を許されているとはいえ、まだ研究員の卵です。四級技師が4人と五級技師が7人、是非、一級技師たるアルメンタ殿の実力を見たい言って聞かなくてですね」

 控える研修生たちは、落ち着きなく辺りを見渡して、その視線の動きの中で時折メリセラに目を向けていた。そして、時折小声で互いに囁き合っている。あの感覚が鋭敏なセベロなら恐らく聞き分けられるだろうに、とメリセラは小さく嘆息する。しかし、そう思ったのは束の間だった。生憎、彼らの戯れ言には興味がなかったし、何を話しているのかは大体想像できたからだ。

 さて、どうしたものか、と彼女は一瞬思考を巡らせた。

「私は構いませんよ。知識欲のある若者は嫌いではありません」

「左様でございますか!不肖ながらこのデートリッヒも後学の為に、是非、貴女様の美技を!!」

「けれどデートリッヒ殿、貴方にとってはまずいのでは?」

「……はぇ?」

 メリセラに息を荒くして迫っていたデートリッヒはメリセラの言葉で固まった。直前までの言葉の勢いが殺し切れなかったのか、変な声を出して疑問を呈する。まだ彼のアンドロイドは黙ったままだ。メリセラは盛大にため息を吐いて見せた。

「デートリッヒ殿、ここは第六研究所中枢、6thサブアーカイブです。そんなところにノコノコと、たかが研修生の分際が侵入。そんなことが、たかが貴方の責任ごときで許可されるとお思いでしたか? それも、こんな再構築作業中に」

「な、な……??」

 口をパクパクさせながらデートリッヒは後ずさった。研修生も怪訝そうな顔でこちらを見る。

「これだからここのセキュリティは杜撰だと言うんだ」

 綺麗なせせら笑いが、デートリッヒの耳を突く。

「どんなに強固なウォールでも、自ら中に招き入れる格好になってしまってはどうしようもない。その瞬間、壁は壁の意味を為さなくなる。壁が脆弱であることよりも、そのことの方が余程大きく深刻な問題だ。君たちがそんなことでは、いくらセントラルガーデンの命があっても、いくら私のメンテナンスがあっても、全く意味はない」

「わ、私は、そんなつもりは決して……!!」

 脂汗が増し、しかし逆に愛想笑いが増す。目は泳ぎ、デートリッヒの顔が真っ赤に染まった。その表層の変化をメリセラは見逃さなかったが、指摘せず話を続ける。

「ジャン=デートリッヒ二級技師。第六研究所副所長及び同行政課課長。52歳。ここ5年で、セントラルガーデンの筆頭研究所へ転属希望を24回繰り返し申請し、却下されている」

 今回のクラッキング調査開始時、第六研究所所長から受け取っていた職員リストを脳裏に浮かべ、メリセラはそう諳んじた。後ずさりする男を追う様にコンバットブーツを鳴らす。

「あ、あ……」

 デートリッヒはそのままその体を転倒させた。ガンと鈍い音が響く。研修生たちがざわめきを大きくする。それでも助けの手を差し出そうという者はいない。むしろ、彼から距離を取っている。

 デートリッヒは更に体を引き摺ってそこから離れようとした。メリセラという女の視界から逃れようとした。メリセラはメリセラで、彼の支援機に目を移す。目の前で自身のユーザーがここまで取り乱しているというのに身動き一つしない。露出した肌に汗はなく、目には涙さえない。ただ、目の前で起こる事実だけを、ただ単調に享受している。

 紫色の唇が震えるのを、メリセラは赤毛の合間から冷たい目で見下す。

「ああ、それと、第六研究所のような田舎のあばら屋で朽ちたくないなどとほざいていたそうだな」

「そんなこと私は!!」

「国産機器が得たすべてのデータは各地域のサブアーカイブに蓄積される。発言にしろ、その他記録にしろ、履歴を消すならもっと上手くやることだ。今回のクラッキング犯のようにな。履歴消去の履歴なんていうものがご丁寧に残っていては、復元してくださいと言っているようなものだろう」

 メリセラはクラッキング調査と並行して、第六研究所の所長から極秘調査依頼を受けていた。


 曰く、第六研究所内で不審な通信、解析などの動きが最近多くあり。

 曰く、それは履歴から推定するに配属に不満を持つ副所長によるものと予想される。

 曰く、


「今回のクラッキング事件との関わりも疑われる、と。クラッキング発生と同時刻、君の支援機がウォールに干渉していたことは確認済みだ」

「そ、そんなものは知らない!!!」

 口角泡が飛び散った。目が泳ぎ、焦点は定まらない。デートリッヒは大きく腕を振っている。まるで目の前に何かが飛び回っていて、それを払うかのように。

「まあ、私は君自身が主犯とは考えていないがね。君はウォールの脆弱性を多少なりと高めたに過ぎん。ただ、副所長更迭は免れんだろうな。それで済めばまだマシな方かもしれんが」

 ここでメリセラは言葉を切った。腕を組み、床に這いつくばるものを見る。若者たちが肩を寄せ合う様はまさしく群れるばかりが取り柄の小動物、デートリッヒが足をばたつかせる様はまさしく虫けら。メリセラはため息交じりに、小首を傾げてみせた。

「それとも、何か納得できる言い分を提示できるのかな?」

「……こ、この、」

 虫けらでも言い返すことはできるらしいとメリセラは僅かに目を見開いて少しばかり感心した。そして、男の言い分を聞くのにもう一度首を傾げてみせた。デートリッヒはしゃっくりのなりそこないのような呼吸を数度繰り返すと次の瞬間には叫び声をあげていた。

「この、鉄の処女があああああ!!!!」

 男の腰部あたりから白衣を突き破って腕型ARMが出てくるのを、見逃さずメリセラは床を蹴り飛ばした。そのまま、体を逸らして体勢を立て直しながら地上から5mほどの中空からARMの動きを睨み据える。腰部のARMは全部で4本、うち2本がデートリッヒの体の支えとして使用され、あとの2本が向かってきていた。明らかにメリセラを殺しにかかってきている。レアメタルのフェルム製らしいそれはしなりながら鞭のように迫る。

「QEF-2188型、防護モードに移行っ!!」

「了解、防護モードに移行します。以降は、“システム機器の防護”を最優先します」

 指示を飛ばしながらベルトに差してあった装備を取り出す。フェルムには若干劣るが、柄が比較的硬いテルム合金でできている接近戦用の小型ビームナイフだ。腕型ARMの1本をその柄でやり過ごし、2本目は着地をしつつ、起動して刃部を出現させ先端を切断、切られた末端は吹っ飛び爆散する。デートリッヒは何やら四つ這いになって喚いている。今更その内容まで耳を向けようとはメリセラも思っていない。再び地を蹴り、えんじのフレアスカートが舞う。次の瞬間には一跳びでデートリッヒの懐に入り込んでいた。その首筋の皮膚にはビームナイフの刃が当てられている。ARMの動きも完全に沈黙した。

「被害報告。システム機器、被害0。ARM部品が飛来しましたが、処理しました。状況終了につき、当機の通常モードへの移行を推奨します」

「QEF-2188型、通常モードへの移行を許可する」

 静寂の中、1人と1機の会話がやたら響く。若者たちは一様にまるで息をつまらせたような顔をしていた。いち早くここを去りたいようでもあるし、ここに少しでも留まって先を見たいという研究者然とした様子も垣間見える。

「鉄の、処女……さてさて、懐かしい名だ」

 言葉を区切るようにゆっくりとメリセラは発音した。

「鉄の処女と言えば、有名な拷問具だ。300年ほど前、この国にまだ魔法があった時分に考案されたとされている。確か、魔女たちが不老不死になるための儀式で処女の血が必要で、その採取目的に使用されたのが最初だという説が有力だったか。それが人形型であったことから、今のアンドロイドの原型ともする説もある。そんなことが古い文献に書いてあったな」

 デートリッヒの首筋に血が滲む。

「し、しし、知らん。そんな……」

「なるほど、君が叫んだのは決して拷問具の名称ではない。私は自分が他人から何と呼ばれているかちゃんと知っている」

 メリセラ=アルメンタ。またの名を“鉄の処女”。

 研究者であるならば、そしてかつて10年前に起こった戦争に関わった人間であるならば、誰もが知っている名。しかし、あえてそれを口にするような“命知らず”はそういない。

 拷問具の名を冠した女性は、しかし不敵に笑う。

「まあ、私は処女ではないがね。それはこの名を知っている誰もが知っていることだ」

 そうしている間にもビームナイフが少しずつ食い込んでいく。血が流れ、男の顔は蒼白を通り越し、土気色に変化していく。

「あ……ぁあ…やめっ」

 表情のない瞳でメリセラはそれをしばらく見つめた。そして、すぐにそこから目を逸らし、ビームナイフの動力を切った。首から一気に血が溢れ出る。緊張状態から抜け出したのかデートリッヒは一気に体を弛緩させた。支えを失い、そのまま体を俯せで地に沈める。焦点の合わない目から涙が溢れ、鼻から口から体液を撒き散らしている。おまけに失禁しており、そこら中異様な臭いが立ち込めた。一先ず、装備品の1つである電子拘束具を取り付けた。四肢を束縛するだけでなく、ARMの機能も停止させることができる優れものだ。

「ぁ……ああ……んぁ」

「喘ぐな、馬鹿者。こんなつまらんことで殺したりしない。この後、詳細な取り調べもあるしな」

 結局、デートリッヒの支援機たちは表情一つ動かさなかった。その事実にメリセラは眉を顰める。恐らくこの男がそのようにプログラムを組んでいたのだろうが……そう考えると自業自得ではあるかもしれない。

「さて、本来なら壁の中に無断で入った異物は完全に排除されるべきだ。そう諸君は思わないか?」

 一転してまるで天気の話でもするかのような口調のメリセラの視線を受けて、若者たちはその場から後ずさる。異様な様子になってしまったデートリッヒを見、それを引き起こした張本人である“鉄の処女”メリセラを見、自分たちの行く末を絶望と共に察しているような顔。

 そんな顔にメリセラは思わず吹き出した。ケラケラと笑いながら、

「冗談だ。君たちはこの男に嵌められただけだ。多少のお咎めはあるだろうが、悪いようにはならないだろうよ。いずれにせよ、私の仕事は終わりだ。あとは所長の指示でも仰ぐと良い」

 若者たちから少し離れ、第六研究所所長に連絡を入れるためにSciFiを操作しながらQEF-2188型にメリセラは声をかける。

「だから言っただろう?」

「何を、でしょうか?」

 QEF-2188型は訝しげに訊ね返した。メリセラは肩を竦める。

「“良い朝かどうかは、まだ分からないがな”と」




 ※



 ―――― 新暦3006年 第11つき6日 昼 第七研究所管区 7thポート




 各研究所にはポートという施設が隣接している。すべてがガラス張りの7thポートは外の様子がよく見える。レンガの町並みと研究所の塔を見るとようやく戻ってきたという安堵感をメリセラは少なからず感じたが、彼女の役目はまだ終わっていなかった。この国では、クジラと呼ばれる大型飛空艇がそれぞれのポートを結び貨物機や旅客機の役割を担っている。管区外から来た人間は必ずここで入区検査を受け、滞在IDを取得する。滞在IDは国民IDに付与される形で発行され、滞在中の身分保証となる。ちなみにアンドロイドの渡航も事前手続きをしておけば可能であり、ユーザーと共にクジラに搭乗も可能だ。

「QEF-2188型、国民ID166389197541の到着予定時刻は?」

「ネットワークで国民ID166389197541を照会します。しばらくお待ちください」

「……やはり処理速度が難点だな」

 ターミナルに整然と並ぶソファの1つに座り、人を待つ白衣の女、メリセラ=アルメンタは憂鬱そうにため息をひとつ吐いた。外が生憎の雨で空は分厚い雲で覆われているというのもその憂鬱の原因の一つではあるが、何より一昨日も昨日も結局デートリッヒについての報告やサブアーカイブの最終調整などに追われてきちんと休めていないというのもある。すっかり予定よりも帰還が遅れてしまったことで、部下たちはてんやわんやだろうとメリセラは少し思う。が、大してそれを憂いているわけではなかった。

 傍らにいる女性型アンドロイドはそれに意を介さず、検索を開始し、5秒も経たないうちにそれを完了した。メリセラは処理速度に苦言を呈したが、それでも支援機という特性上、市販アンドロイドよりは圧倒的に早い。

「照会結果が出ました。ホログラム表示を実行しますか?」

「いや、口頭で良い」

「了解。国民ID166389197541の到着時刻は12:07です」

 アンドロイドの発言を受けてメリセラは首を反らして背後のホログラム掲示板に目を移す。12:25を示していて、アンドロイドが述べた時間はとっくに過ぎていた。

「クジラの遅延状況は?」

「各便通常通り運行しております」

 クジラは多少の異常気象ならば、電磁防護フィールドによって防ぐことができるので余程の事故がない限り遅延はあり得ないと言って良い。

 そうこうしている間にも人やアンドロイドは飛び去り、

「おかしい」

 メリセラはとうとう口に出してそう言った。

「国民ID166389197541、7thポート第6ターミナル到着予定は12:07……」

「メリセラさん、それは違います」

「……は?」

 緑の目が見開かれ、支援機の真面目な表情を見る。互いに見つめ合う。

「到着予定は7thポート第8ターミナルです」

「……」

「到着予定は7thポート第8ターミナルです」

「あ、いや、大事なことだからって2回も言わんで良い」

 やはり疲れているのかもしれないとメリセラは内心思う。大体の事柄は自分の頭に叩き込んで支援機任せにしないようにしている彼女ではあるが、このようなときはもう少し支援機に頼るべきかと思わないでもないのだった。

「……確か第8ターミナルはここから真反対だな」

 よっこらしょと掛け声をあげて立ち上がったメリセラはQEF-2188型に持たせていた電動立ち乗りタイプのジンジャーを受け取った。ちなみに警備課に支給されていたものをこっそりと拝借したもので、私物ではない。

「QEF-2188型、後ろに乗れ。少し飛ばす」

「了解。後ろに乗ります」

 そして、1機のジンジャーがポート内を超高速で駆け抜けていった。



 ※



「待たせたな、えーっと」

 多少の息切れをしつつもメリセラは威厳を保って目の前の男に声をかけた。

 第8ターミナル前で待ちぼうけていたその男は明るい茶髪の青年で、見た目はセベロと同じ20代前半といったところだろうか。しかし、セベロより背は高く、体つきもしっかりしている。真新しい白衣をきっちり上まで締めて、黒いマフラーを巻いている。同じ色の手袋も着用しているようだ。堅物そうな顔に不器用そうにぎこちない笑顔を浮かべていた。傍らに大きな自走型キャリーバッグが控えている。メリセラはそれにチラと目をやり、すぐに男に視線を戻した。

「フェデリコ=シューレディンガー三級技師です。お初にお目にかかります、アルメンタ一級技師」

 テノールの声が心地よく耳朶を打ったのをメリセラは感じて、応じる。

「長旅ご苦労様。シューレディンガーくん、君を待っていたよ」

「待っていたのは、フェデリコ=シューレディンガー三級技師の方ですが?」

「QEF-2188型、少し黙ろうか」

「了解、少し黙ります」

「さて、シューレディンガーくん、研究所就職、並びに我らが第七研究所への配属おめでとう。しかし、その固い呼び方は止めろ。新人とは言え、そこまで身構えられてもこっちが困るんだ」

「では、何とお呼びすれば?」

 フェデリコのアーモンド色の目は体つきに似つかわしくなく円らで純粋そうな輝きを放っている。それを払うようにメリセラは手袋をした右手をサッと振った。

「何でも構わん。大抵はメリセラさんと呼ぶ。あと、呼び捨ての奴もいるな」

「では、俺はメリセラさんで」

 フェデリコは低い声でそう応じた。即断即決、豪胆というわけではない遠慮のなさ。

 メリセラは思わず笑みを浮かべる。

「さて、研究所に向かう前に少し管区内を案内しよう。QEF-2188型、先に研究所に戻っていろ。恐らくセベロ辺りが他課からの雑務に追われているはずだ。支援をしてやれ」

「了解、支援に向かいます」

 QEF-2188型にジンジャーを貸し与え、その他荷物を持たせると、そのまま階下に繋がる通路を滑空していった。ポートと研究所は地下通路で繋がっているのだ。

「さあ、少し歩こう。私と君でな」

「こんな雨の中を、ですか?」

 フェデリコは苦言を呈する。その表情が歪み、動揺を表したのをメリセラは見逃さない。懐から2つ折り畳み傘を取り出す。1つは赤、もう1つは黒。彼女は黒い方をフェデリコに手渡した。

「趣がない男だな、君は」

 クスクスと笑うその様子をフェデリコは不愉快気に見る。純粋そうな瞳とは打って変わり、今は獰猛ささえ見せるほどぎらついた瞳を女に向けている。

 メリセラはそれを受け流し、外へと続くゲートをくぐる。赤い傘がパッと広がり、灰色の風景に映える。パラパラと雨が布を打つ音が響く。

「あえてこんな雨の中を散歩するというのも乙なものだよ。それとも雨に当たると何か不都合かな?」

 そして、未だに中にいるフェデリコにメリセラは獰猛に笑う。フェデリコは傘を持っていない方の手でキャリーバッグの柄を力の限り握った。柄は歪み、曲がり、そしてへし折れた。ゲートを出る手前で立ち止まって、観察するようにメリセラ=アルメンタという女を見ている。

「……相変わらず白々しいな、鉄の処女」

 そして、最終的にため息と共に吐き出されたのはそんな言葉だった。

「それが上司に対する態度か?まあ、構わないがね」

 赤い傘がクルリと回る。メリセラは呼ばれた二つ名で眉を僅かに上げたが、それに関しては特に反応はしなかった。その代りに声が嫌に朗らかで機嫌の良い。フェデリコは更に顔を顰めた。

 そして、諦めたようにキャリーバッグの外ポケットからあるものを取り出す。何の変哲もない黒い帽子。縁があるそれを深々と被れば、首元のマフラーを相まって顔が陰って全く見えなくなる。手袋をした左手が帽子の縁を僅かに上げる。そこから覗いた目はもう完全に先までのアーモンド色のそれではなかった。そこから覗いたのは空色の鮮やかな瞳。

「では、改めて挨拶しようか。ごきげんよう」

 男はゲートをくぐる。そして、不敵な笑みを崩さない女をその目で見据える。

 女はそれを見つめて、真摯に言葉を紡いだ。

「君を待っていたよ、戦争の英雄」


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