3:The business
―――― 新暦3006年 第11月6日 朝 第七研究所管区 第七研究所
第七管区、センターブリックの中央には150年ほど前まで大きな塔があった。当時の私立の天体観測所の記録によれば、空に輝く星々にはそれぞれその光を発するために強大な電力が蓄積されており、それを採取することで地上での資源として活用しようという計画の一環で建てられたものだったらしい。この“第1次黄金の夜明け計画”で“天啓の塔”と呼ばれる塔が現在のセンターブリック中央にて当時の技術の粋が結集され、施工された。高さは雲を突き抜けるほどだった、と当時の記録に示されているだけで正確な高さは分からない。その後計画は第2次、3次と進行していった。
しかし、新暦2898年、突如塔は崩落し、施工作業中の3201名がその瓦礫の下敷きとなったと記録されている。地盤調査の不足が原因というのが当時の文献の記載だが、実際にそれが真実かどうかは今もって分かっていない。構造の欠陥だとか、天変地異だとか、色々考えられる要素はある。しかし原因を究明しようとする者など今までもいなかったし、きっとこれから先もいないだろう。どのような原因だとしても、塔が崩れ去ったという事実は変わらないのだから。
結果として崩落跡地には、その塔の基盤部分が残された。それを基に改築されたのが現在の第七研究所である。煉瓦の町並みとは様相を異にしたコンクリートの壁がぐるりと大きく円形を形作っている。ちなみに塔は改築されたとは言え、崩落時の状態をほぼそのまま保っていて、塔の西側は10階部分、東側は7階部分まで現存しているという歪な建築物なのであった。
塔北側に一般用ゲート、その真裏にあたる南側には職員用ゲートが設置され、それぞれ守衛ボットが配備されている。SciFiをかざせば守衛ボットが国民IDや職員データをスキャンし承認、10層構造の高セキュリティドアが瞬時に開き、入所できるという寸法だ。
見慣れているはずの研究所の概観を見て、俺は顔を顰める。まだ朝も早く、周囲に他の職員がいる様子はない。所内いるのはせいぜい宿直や夜勤連中くらいだろう。前回の研究所勤務からそんなに日がたったわけではないのに、ここ数日アンドロイドにかかりきりだったせいか何年かぶりの出勤かのように錯覚する。そんなわけないと分かっているのに、何とも不思議な話だ。
顔を顰めた理由は無論、そんなことではない。まず、研究所を見上げた時に塔の窓を反射して太陽の光が目を直撃したというのが理由の一つ目。もう一つは、俺から見て階段を26段上った先にある職員用ゲートの前の守衛ボットにメンチを切っている人間がいたからというところだ。
メンチを切っていると分かったのはそこにいた人物が両手を腰に当てて、足を踏み鳴らし、イライラとした様子でボットに詰め寄って、
「ふざけないでよ!何とか言ったらどうなの!」
などと、喚いているのが耳に届いたからである。
声質的に20代前半の女性だろうか。聞いたことがない声なので、恐らく研究所の職員ではない。長めの黒いコートにヒールの高い黒ブーツ、そして頭には縁の広い黒帽子と、全身黒づくめで腰の手前までブロンドが輝いている。先日見かけた、あのダグラスのいかにも人工毛だった金髪とは違い、今ストレートのそれは一目で本物だと分かる。
そのブロンドもかなり目を惹くが、一番目立っていたのは彼女が背中に背負っているものだった。衣服と同じように黒い縦長の妙な形の箱で、成人男性一人くらいなら入れそうだ。箱の側面には濃紺の模様があまり目立たない形であしらわれている。
女性はまだボットに何事か言っている。俺は仕方なく重い足を引き摺って階段を上る。
実を言うとここの他にも地下に職員用ゲートが設置されているので、そっちを利用してあの女性を回避しようと一瞬だけ考えたのだ。その思考が一瞬で終わったのは、その地下に入るには今いる場所からまた少々歩かなければならないということを思い出したからだ。そもそも徒歩でここまで通勤している俺にとって、今から更に歩くのは正直気が進まない。確かに散歩は趣味ではあるが、朝は弱いので極力自宅から職員用ゲートまで歩くので、気力の大半を使ってしまうのである。それなら、たぶん目の前の女性にここが職員用ゲートであること、一般のゲートは真反対にせっちされていることを告げてここを通る方が現実的だと思うのだ。朝は体を動かすよりも、口を動かす方がまだ容易い。
「あの、すみません」
ゆっくりと階段を上がったその先、残り3段を残したところで俺は女性に声をかけた。振り返った女性はそれは獣のような眼光で、俺は自分が判断を誤ったのではないのだろうかと一瞬思うには十分だった。しかし、この女性、獰猛そうな相貌とは裏腹にどこか静謐な雰囲気を纏っていた。少なくとも俺が今まで会ってきた人間とはどこか違った空気を纏っている。
「こちらは職員用の入り口ですから、一般の方は入れませんよ」
「そんなことは、知っているわよ!」
初対面に対してそりゃないだろ、と露骨に顔に出てしまったということを彼女の顔を見て一発で分かった。
「だからこそ、あたしはここにいるんだから」
「は、はあ?」
訳が分からない。女性は例によって黒い手袋の右手でバシバシとボットの丸い脳天を叩き始めた。待機中の緑の小さなランプの点滅が、警戒中の黄色いランプの点滅に密かに移行したのを俺は見逃さなかった。駆動音も僅かだが変わる。
本格的に自分の判断力のなさを一瞬嘆いて、俺はすぐに気持ちを切り替える。嘆き続けても今の現状は変わらない。過去を振り返ることにさしたる意味はない。
「そもそもその守衛ボットは研究所職員用付与ID使用のアクセスしか受け付けないですよ」
「じゃあ、貴方が、えっと、あいでぃーしよーのあくせす?とやらをしてよ!あたしはね、ここの所長に話があるのよ!分かるでしょ!」
分からないと言ったら殺されるかもしれない。そう思わせるだけの迫力が彼女にはあったし、その迫力をはねのけるほどの気力が今の俺にはなかった。
しかし、こんな得体の知れない女を所内に、しかも職員用ゲートから入れるわけにはいかないという理性は流石に働いている。
それにしてもこの女性、うちの所長に話とはどういうことだろうか。ただの一般人というわけではないのだろうか。だとしたら、テキトーな応対はそうそうできない。
「それなら来客用付与IDの発行は事前にされていますか?まずは一般用ゲート入ってすぐの総合窓口で、国民IDを使ってサブアーカイブの領域にアクセスして……」
「さっきから、こくみんあいでぃーだのさぶあーかいぶだの、専門用語並べ立てられたって分からないわよ!誰かに何かを伝えるつもりがあるなら、誰にでも分かる言葉で言いなさい!」
流石に愕然とした。
この国の人間には生まれたその日にSciFiと共に国民IDが与えられる。日常生活でそのIDを使用する場面というのはよくある。言い方を変えるなら、国民IDを使わない日はない。職務に使いプライベートに使う。売買に使うし、ゲームにも使う。国民IDは身分証明であり、言うなれば自分自身だ。加えて、必要に応じて一時IDや臨時IDなどの付与IDが使用されることもある。
機械に疎い人間というのはいつの時代にもいるというが、常日頃から使用しているであろう国民IDすらも知らないとは。この女性はどのような生活をしてきたのだろうか。ふと女性の腰にある両手を見れば、そこにSciFiが装着されている様子はなかった。そこで合点がいく。
「ああ、なるほど」
思わず声を出すと、彼女の眉が跳ね上がった。
「何一人で納得しているのよ。私は、何にも納得していないし、理解もできない。ああ、もう!これだから白衣は嫌いなのよ!大体ね!!!」
「貴女はラッドですね?」
「……何ですって」
女性は息を飲む。俺の指摘はあながち間違っていないらしい。しかし、思いの外彼女の顔は目に見えて色が変わった。一瞬サッと朱に染まり、次の瞬間には青ざめて。今にも吐くんじゃないかというほど、彼女はその瞳を潤ませた。猛獣のような眼光は一瞬にして鳴りを顰める。
「貴方、それって……」
「ラッド。機械化が一切されていない人間のことだね」
俺たちはどれだけ話し込んでいたのだろうか。その声に俺は目の前の女性から背後へと目を移す。広い階段を何やら話し込みながら上がってくる若い女性職員たち、こちらに目を向けながらもあまり関わりたくなさそうにしている初老の男性職員、彼らに続いて職員用ゲートをくぐっていく研究支援機。そして、すぐ背後に笑顔の第七研究所所長、ヒルベルト=ディアスその人が立っていた。色素の薄目の茶色い髪に縁の無い眼鏡、その眼鏡の奥の薄茶の瞳は細くこちらを見ている。白衣を上まできっちりと締め、足元は研究所職員規定で定められている通り黒いコンバットブーツ。俺とほぼ同じ出で立ちだ。
「最近ではラッドは確かに珍しい。全くいないわけじゃない。それをわざわざ女性に指摘するなんて、少々失礼ではないかな、セベロくん?」
俺たちの会話に、彼の低い彼のテノールが自然に参加をした。あまりに自然な登場に俺はしばし言葉を失った。女性も同様のようだった。
「……はい、あまり適切な発言ではありませんでした」
「うん、分かってくれるなら良いよ。僕もあまり責める気はないからね……ああ、ところで、その女性はセベロくんのお友達かな?朝から職場の前で痴話喧嘩とは無粋じゃないかい?」
「貴方が、ここの所長?ヒルベルト=ディアス二級技師で間違いない?」
痴話喧嘩云々を否定しようとしたところで、女性がこちらに進み出た。睨む彼女と朗らかな笑みを浮かべる所長の間に立たされる俺、そんな構図が出来上がる。周りには少しずつ野次馬が増えつつあった。
お前ら仕事しろ。目線でそんな風に合図しても、返ってくるのが察したような気の毒そうな顔か、何かを勘違いしたらしい下品なハンドサインばかりである。
「ええ、そうですよ。僕に何かご用でしょうか?」
見るからに優男の所長は朗らかにそう答えた。端から見れば、爽やかで愛想が良いように見えるだろう。端から見れば、の話だが。
女性は背中の黒い箱を背負い直し、探るように所長と、そして何故か俺を見る。目は太陽で黄金に輝いていた。その下で唇が声なく小さく動く。
「え?」
落ちる花を唱えて
私はそれを拾う
「あたしはアリシア……アリシア=フランカ、葬儀屋よ」
次の瞬間には彼女の視線は所長に移っていた。言葉も視線も俺の存在はもう完全に無視している。そこにどこか焦燥のようなものを感じながらも俺はアリシアに声をかけることはできなかった。
葬儀屋という言葉を聞いても所長は表情を動かさない。
あらゆる生命を葬る儀式をすることを生業とする者。しかし、今どき葬儀屋なんていう職業を名乗る人間がいるとは思わなかった。アリシアは続けて言う。
「貴方はあたしに覚えがあるはずだけれど」
「……申し訳ありませんが。僕のSciFiの記録を確認しても構いませんか?」
「記録にあっても記憶にないなら何の意味もない」
先程までのあの獰猛さはどこへいったのか、今の彼女はどこか冷静な怒りを秘めていた。獰猛さを無理やり押さえつけ、それでもその場に立ち続けているようだった。
「でも、そう……そうなのね。なら、もう良いわ。今日はそれがはっきりしただけで。けれど最後に。これだけは忘れないで、その心に刻み付けなさい」
アリシアは手袋を外し、その指先が所長の白衣の合わせ突く。爪は黒く塗られていて、鋭い。
「あたしは、決して貴方たちを許さない。いつか報いを受けてもらうわ!」
「忘れないという確約は残念ながらできませんよ。何故なら僕は人間ですから」
所長の僅かな筋肉の動きを俺は見逃さなかった。微笑んだままだった右頬がほんの僅かに痙攣して動揺を示す。アリシアの言葉の真意は分からないが、それがとにかく所長のことを乱したのが意外だった。
「しかし、記録はしておきます。それでご勘弁いただけますか?」
アリシアは返事をしなかった。ただ振り切るように髪を揺らして、階段を降りていく。僅かに振り向くこともなく。
周囲の野次馬はそれが合図だったかのように、足早にゲートで入所のためのスキャン承認を受けていく。まったく、この研究所の職員はそろいもそろってちゃっかり者である。
「すまなかったね、セベロくん」
所長が俺の肩を軽く叩いた。もう片手は拝むようにしている左手首には無論SciFiが装着されている。
「さて、足止め食ってしまったね。早く中に入ろうか」
所長に促されて、俺は右手首のSciFiをボットに掲げた。公共ログにある俺の状態が通勤中から出勤に更新されたことをSciFiが点滅で知らせる。
高セキュリティドアが開き、俺たちを招き入れた。
※
入所してすぐに所長室へと向かった所長と別れ、俺は研究課へと向かう。結局さっきのは何だったのだろうとふと振り返ってみたが、振り返っても特に意味がないだろうという結論に達するまでそう時間はかからなかった。俺はあくまでその場に居合わせただけに過ぎず、あくまで所長とあのアリシアという女性の間の問題であるからだ。俺は不幸にもそれに半ば巻き込まれただけである。アリシアの唇が紡いだ言葉には多少なりと興味はあるが、それだって特に考える意味はないだろう。誰かに何かを伝えるつもりがあるなら、誰にでも分かる言葉で言えなどという彼女のことだから、きっと意味があるならもっと簡潔に言うはずだ。
いずれにせよ、朝から働かない頭をそう酷使するものではないだろう。
ただでさえ、昨夜は遅くまであのアンドロイドの基部を弄っていた。まあ、途中で匙を投げてしまったが。メリセラが出張から帰還するまでに少しでも修理を進めておこうと思ったが、どうにも上手くいかない。型番も分からずじまいだし、やはり彼女の帰りを待つしかない。
リノリウムの床を歩いていると、警備課の連中3名とすれ違った。QE型を2機連れている。よほど急用があるようで、白衣を風にたなびかせて挨拶もせずに反重力滑空機ジンジャーで飛び去って行った。電動立ち乗りタイプのそれは広い研究所内の移動にうってつけだが、所内支給を受けているのは一部の課だけである。研究課は支給対象外だ。俺も一応バイクタイプのジンジャーを1台、個人的に持ち合わせている。と言っても普段の通勤は徒歩なので、余程遠出をしたい時か、少しスカッとしたいとき、メリセラに足を頼まれたときくらいしか使わない。
研究課まで行くには塔の周縁部をぐるりと回っていく方法と、真ん中の中庭を突っ切る方法がある。後者の方が圧倒的に短時間で到着できるのと、その名の通り中庭となっているという理由で俺は好きだった。中庭は崩落当初そのままの吹き抜けになっており、野外研究施設や天体定点観測装置などが設置されている。しかし、職員の休憩スペースとしての役割が専らだ。流石に朝からここで油を売っている者はいない。自分の課にジンジャーを飛ばす者がほとんどだ。俺はその中をゆっくりとした足取りで歩いていく。
「流通課よりマシステウム合金アジャスター1500セットが届いています」
「合同学会申告書類の提出期限を過ぎています。研修課に再手続きをしてください」
「地域行政課より来年度星体採取研究事業計画の試算要請が出ています。詳細はサブアーカイブγ領域第153区分を参照してください」
「戦術課依頼のGDM-2101型31機納入期限は本日12:00までです」
「所内イベント課より合同コンパ参加人数申告書が届いています。記入の上、再度イベント課に送信してください」
課長室前に到着すると各課から集まった白衣姿の男女……もとい、QE型がひしめいて待っていた。何を待っているかと言えば、無論うちの課長を待っているわけだが。
すぐ隣には各課員用の執務室が何部屋も並んでいる。研究室もいくつかあるが、今はどれもステータスが“閉鎖中”になっている。課長がいないのを良いことに誰も彼も重役出勤らしい。
QE型に再び視線を戻す。確かメリセラは今朝には戻ってくる予定ではあったし、そういう意味ではこの支援機大混雑も分からなくはない。QE型たちの表示を見れば明らかに出張に行く前に片付けられただろう事柄も山積している。朝から頭が痛い。
「QEM-2014型、他課からの仕事を課員で割り振り……」
一先ず、もう何というか朝だけでドッと疲れてしまった。SciFiを通して自分のQEM型にそう指令を出すと俺は伸びをしながら自分の研究室へと向かったのだった。せめて仕事前にコーヒーを一杯飲む時間くらいはあっても良いだろう。
さっきの入り口でのいざこざは、俺の中でもう過去のものになっていた。
2014/11/11 ところどころ描写を修正しました。