2:The utopia
――――新暦3006年 第11月4日 昼 第七研究所管区 イーストブリック
第七研究管区は大きく5つのエリアに分かれている。管区中央、第七研究所を有するセンターブリックがその中でも大きなエリアとなっており、その周りに4つのエリアが東西南北にそれぞれ存在している。中でもイーストブリックは第七管区の商業の中心であり一番の繁華街とも言える。一番大きな通りは週末ともなると、その全長5kmもの左右に大小様々な屋台が立ち並び、賑わいを見せる。特に今日は人が多いようだ。
衣服、食料、ハードウエア、ソフトウエア、資材など……その他諸々、数多くの屋台でアンドロイドやユーザーが客を呼び込んでいる。ところどころ警備課所属のBB型アンドロイドの姿も見えたが、俺はマフラーで顔を隠した。ちなみに今日はちゃんとコートをおろしてきている。まあ、もしも見つかったところで今日は休みを取っているので、仕事をしろ、手伝えなどという世迷言は言われないはずだ。
すぐ横を警備巡回ボットが通り過ぎた。腕のSciFiもそれを通知してきたが無視をする。警備ボットには簡易ではあるが身体スキャン機能があり、スキャン結果は各々のSciFiに送信される。スキャン結果は後でも見られるし、今すぐ目を通す必要もない。
通路の真ん中ではDG型の系列らしき女性型アンドロイドが、急ごしらえらしいやぐらの上で大道芸を披露していた。薄桃色のバレエシューズに同じような色の淡い印象のパニエを身に纏っている。頭に髪の毛はない。代わりに何やら複雑な紋様が色とりどりにペイントされていた。
女性型は白い手袋をした繊細そうな指先で頭の上に赤い丸いものを乗せた。遥か昔、この世界にまだ魔法があった頃に儀式で使われ、呪われたという赤い果実。確か子どもの頃おとぎ話の中でもこの果実の絵を見たのだ。何という名前の果実だったかまでは思い出せない。
果実を頭に乗せた彼女は同じように赤い目を中空に向ける。視線をそのままにゆっくり開脚し始めた。周りの観客はそれを固唾を飲んで見守っている。
とうとうストンと完全に体が落ちたところで、今度は腰を捻り始めた。ちょっとした柔軟体操のような趣で、しかし彼女は腰を180度後ろに回す。そこで観客から初めて歓声が上がった。腰はそのまま一周ぐるりと回り、顔は正面に戻る。歓声は続くが、無表情な顔だ。
腰は更に回る。加えて、アンドロイドはまるで関節がないかのように腕をくねらせた。いや、見たところ今の動きで間接を外して可動範囲を広げたらしかった。そのまま腰を回転させながら腕が蛇のようにのたうった。開脚したその上で回る体、頭はぶれることなく果実を乗せ続けている。歓声はうるさいぐらいで囃すように拍手や口笛が鳴る。よく見ればやぐらの下にアンドロイドのユーザーらしき女性がいた。アクセサリを纏えるだけ纏い、笑みを浮かべて客を招く言葉を吐いている。その女性のSciFiに客は電子通貨を送信している様子だ。
アンドロイドのショーは引き続き続くようだったが、俺はここで見るのをやめた。踵を返して視界にあの光景が入らないようにした。気分がひたすら悪かった。できるだけ足早にそこから離れる。
DG型系統は、確かに各種の芸をさせる目的で作られている。プログラミングもある程度ユーザー側で弄れるはずだ。どんな風にユーザーがアンドロイドをカスタマイズしようと法に触れない限りは自由だ。確かに、そうだ。それは分かっている。
さっきの光景を思い浮かべると息が早くなり動悸が激しくなる。
「緊急警告。現在のユーザー脳波パターンはv25です。速やかな鎮静波セラピープログラム起動を推奨します。起動しますか」
SciFiが赤く光り警告を発した。鎮静派セラピープログラム、俗に“安眠プログラム”などとも呼ばれて、その呼称通りの目的に使われすることが多い。今回みたいに激しい情動が検知された時もこうしてプログラム起動確認が入ることになっている。しかし、俺はこのプログラムもあまり好きではなかった。
「起動しない。しなくていい。……これから1時間、緊急通信以外の通知をOFF」
「了解。1時間、緊急通信以外の通知をOFFにします。この設定は推奨設定ではありません。設定を更新しますか」
「ああ」
「しばらくお待ちください。……設定を更新しました」
SciFiが沈黙して、深く息を吐く。上まで留めていたシャツのボタンを外して、首元を緩めると少し息が楽になった。
「試供品のドリンクです。いかがですか」
ハッと視線を上げると目の前に男性型アンドロイドが笑顔を浮かべて立っていた。アームが6本あり、うち4本には籠が括りつけられている。中にはペットボトルが詰まっていた。残り2本には1本ずつペットボトルが握られている。胴に装着したモニターには商品のCMが流れていた。近頃、大々的に宣伝している商品だ。
男性型アンドロイドは一般的なセールス専用機、RS型のアンドロイドだ。他の型のアンドロイドよりも自然な笑顔を浮かべるということで人気を博し、自宅用に購入する者も増えているという。
「試供品のドリンクです。いかがですか」
快活そうな声が再びそう言った。
「……もらっておく」
差し出されたペットボトルの中には濃い紫色の液体が入っていて、更にキラキラ光る白い粒が浮遊していた。紫は容器のそこに行くほど濃くなっていて、粒の光が際立っている。まるで夜のようだった。
「ありがとう」
礼を言ったときにはもうアンドロイドは次の目標にペットボトルを差し出しているところだった。最新機種だと少し返答パターンがあったはずだが、どうやら彼は少し前の機種らしい。いくらなんでも戦後機種だろうから、古くても1000番台だろうか。
道の端までどうにか避難して、壁際に寄りかかってしゃがみこむ。ペットボトルの液体に咽喉を鳴らす。咽喉越しが独特で、白い光が喉の奥で弾けているようだった。
ああいう大道芸を見るのは無論初めてではない。研究所研究課所属の身の上としては、こういう類のアンドロイドが存在すること、その必要性も知っている。知っているのだ。だからこそ。
行き交う人もアンドロイドも自分たちの用事に執心して、こんなしゃがみ込んだ男など気にも留めない。
「……ああ、何なんだよ」
小声で呟く。きっとメリセラが今の俺を見たら“研究者たるものとは思えない”と一蹴するのだろうが。
研究者である前に、それ以前に、俺は“俺”なのだから、それをとやかく言われる筋合いはないのだと、思うのだ。
※
思ったより時間を食ってしまった。このイーストブリックに来た本来の目的は、大通りで気分が悪くなることではない。
昨日1日使って、先日ゴミ溜めから拾ってきたあのアンドロイドの頭部を調べていたのだ。基本的にどのアンドロイドも共通して中枢システムは首から上に集中している。言い方を変えれば、頭部さえあれば体が破損していても、アンドロイドを丸々買い直さなければならないという事態にはならないというわけだ。体のパーツを買い替えたり技師に修理を依頼したりすればいい。修理業を専業としている技師もいるが、研究所所属の者が兼業として請け負うこともある。兼業をしている大半は研究所だけでは生計が立てられない四級以下の技師たちだ。かく言う俺も、研究所の仕事と並行して修理業を請け負うこともたまにする。ただ、研究所の仕事だけで十分生計は立てられているので、修理の方は現在では趣味のようなものだ。今回も言ってしまえばこの趣味の延長線上だった。
ただ、今回のアンドロイドは少し妙で、通常の家事専用機とはCPUの構造特徴が異なっていたのだ。頭部の内部破損が随所に見られたので修理をしたいところではあるが、これでは下手に弄れない。首筋にあるはずの型番も見当たらず、情報検索すらもままならない。家事専用機は趣味で幾度か見てきたはずなのだが、このような構造は見たことがなかった。
『なるほど。それで妙と』
そこで昨日、メリセラに連絡を取ったのだ。仕事で第六研究区域に出張している彼女はSciFiごしにどこか考えるようにそう言った。
「CPU構造は送信した通りだ。何か思い当たることはあるか」
『なんというべきか、とにかく色々滅茶苦茶だな。恐らく既製品を何も知らん素人がしっちゃかめっちゃかに弄ったんだろう。他の箇所も確認した方が良さそうだな。しかし、そう考えると……うむ、セベロ、もしかしたら迂闊に触らん方が良い案件かもしれんぞ』
「“そこに未知があると、踏み出したくなるのが研究者”だろ。アンタの言だ」
『ああ、そうだった。しかし“その道を踏み外しても尚”とも言ったぞ』
おかしげに笑う声が響く。
『お前がそれで良いなら、尚且つそれを選ぶなら、私は止めんよ。それに、興味がある。帰ってから私も詳しく調べたいが、構わないか? 』
「もちろん。むしろ協力してくれ」
『では、決まりだな。何事も準備が肝心だ。マップデータを送るから、そこに表示された資材屋で色々買い付けておいてくれるか。私の名前を出せば、良くしてくれるはずだ』
SciFiでマップ情報を呼び出して、マップ上で明滅する赤い点を目指す。大通りから少し外れた脇道に入るとマップ上の点は明滅を止めた。
少し煤けた赤レンガの建物には他のレンガ長屋と違って、奇抜な装飾が施されていて悪目立ちをしていた。出入り口周囲には花壇があり、そこから伸びた色とりどりの植物の蔦が壁に這っており、それに埋もれるように“甘いものがある店”とたどたどしい字で書かれた鉄板の看板が下がっている。その下には更に“言葉は●●●死に 始まりは終わり”と訳の分からない文言が続いている。看板作成途中に字を間違ったらしく、“言葉は”と“死に”の間が塗りつぶされていた。植物の方は遺伝子操作で作られた人工植物だ。鮮やかすぎる色合いが目には刺激が強い。花壇のいくつかには風車のミニチュアのようなものが添えられておりカラカラカラと軽い音を立てながら回っている。回るたびに羽の色がグラデーションで変化していくのがなかなか洒落ている。
何だか出入り口だけで気疲れしてしまった。これから中に入るのだが、あまり気は乗らない。限りなくぶっ飛んだ見た目の建物の中に、まともな人間がいるとは到底思えない。しかし、まあ、メリセラの顔に泥を塗るわけにもいかないというのもある。風車のミニチュアが立てる音にどうにか慣れた頃に俺は中に入る決意を固めたのだった。
※
飴が降っていた。たとえではないし、ダジャレでもない。
無数の穴が空いた天井から、可愛らしいポップなデザインの包み紙にくるまれた飴が降っていた。床に落ちたそれはコロコロと転がり、これまた床に無数に空いた小さな穴に落ちて行く。どういう仕組みになっているのか興味深くはあったが、それ以上に部屋の異様さに困惑している自分がいた。出入り口で既に精神的に洗礼を食らっていたが、内部はそれ以上に、そういう意味では攻撃的と言える。
部屋の三方にはレンガでしつらえた棚で埋められて、同じサイズの瓶がひたすら並んでいる。咄嗟に目に入ったラベルには“54の幸せはどこ?”“最後の人間は売れない”などと看板以上に不可解なことが書かれていた。
「おや、いらっしゃい」
部屋の真ん中には丸テーブルが1つ、左右に丸椅子が赤1つ、青1つ。右の赤い椅子には真っ赤な傘を差した小柄な人物が座っていた。黄色いポンチョを着てそこから長靴を履いた小さな足がぶらついている。声は少女のようでいて少年のようでもある。どっちつかずの状況と頭や肩に当たり続ける飴に俺は顔を顰めた。
「傘立てにある傘は自由に使っていただいて構いませんよ。それに椅子も。よろしければ」
「……どうも」
思いの外、落ち着いた口調で面喰いながらも俺はすぐ脇にあった傘立てにささるいくつかの傘のうち一番地味な青い花柄のものを選ぶと、その人物の正面に座った。なるほど、こうして正面からよく眺めてみると目の前の人物が少女であることは一目瞭然だった。10歳にも満たないような小柄な体。ぶかぶかのレインコートのフードで少し陰っている茶色の目が細くなり、小首を傾げながら無邪気そうな笑いを向けてくる。同じく茶色の前髪がそれに合わせて揺れる。
「久々のお客様をお迎えできて、ボクは嬉しく思います。この店に来て下さる方というのは稀ですから」
そうだろうよ、と心中で突っ込む。しかし、見た目の割には話し方ははっきりしているし、もしかしたらダグラスのように見た目と中身が伴わないのかもしれない。
「メリセラの紹介で来たんだ。知っているか」
飴が傘に当たって落ちる音がうるさくて俺は少し声を張った。少女の声は不思議と空間を通ってくる。
「ええ、第七研究所研究課主任及び同研究所副所長のメリセラ=アルメンタ一級技師のことでしたらよく存じています。もちろん、貴方様のことも存じ上げておりますよ。メリセラ女史の秘蔵っ子のセベロ=フェンテス三級技師殿、ですよね? 」
「そうだ。このリストの品を購入したい」
SciFiが音声認識でメリセラからのリストを呼び出し表示する。少女はそれを上から下までじっくり眺めている。何だろう。妙な気分だ。この妙な空間がそうさせているのか。あまり、ここに長居したくない。居心地の悪さを感じる。
「確認しました。在庫は下にありますので後でお持ちします。それより少しお話をしませんか、セベロ氏」
少女が首を向けた先を見れば、床の一部に穴が空いていない部分があり、代わりに取っ手らしきくぼみが見えた。
「じゃあ、どうせだからはっきりさせたいことがある」
しかし、さっきから相手は確かにはっきりものを言っているのに、話しているとモヤモヤと晴れない気分になる。はぐらかされているというわけでもないはずなのに、話そうとすることがすり抜けていく。はっきりさせたいことはいくつかあったが、そのうち一番はっきりさせたいことから俺は尋ねることにした。
「アンタは何なんだ」
「何なんだ、というのが、“ボクの存在を定義せよ”ということでしたらそれは難題ですね。先の時代を生きてきた者たちもその質問には難儀したでしょう。しかし、できる限りの言葉で非常に端的に言うならば“ボクは、ボクです”という答えになるでしょうか。あるいは、アンドロイドか人間かでしたら後者です」
打って響くように、彼女はすぐに返答を寄こした。
「呼称ということで申し上げるなら、皆はボクのことを“駄菓子屋”と呼びます。だから、セベロ氏にもそのようにお願いしたいです」
「ああ、別にそれは構わないんだ」
違う。彼女の返答は確かに的を射ているように見えて、どこか外れていた。俺は得たい答えを得られていない。飴が降る音が嫌な響き方をしている気がする。胸がざわざわと落ち着かない。
「ボクはボクですよ、セベロ氏。貴方が貴方であるように」
駄菓子屋は再びそう言った。ドキリと心臓が跳ねたような気がした。さっきまで考えていたことをよもや初対面の少女に言い当てられるとは。いや、言い当てたのではなく、たまたまだろうが。
「驚かれているようですね」
またしてもそう言い当てながら駄菓子屋は傘の外に左手を伸ばし、降ってきた飴のうちの1つを受け止めた。そして、俺の方に差し出す。受け取らない理由はなく、受け取る理由もない。しかし、少女はこちらに手を伸ばしたままだ。降る飴は彼女の細腕に当たり、丸テーブルの上に落ち、反動で更に床に落ちて行く。目でそこまで追ってから、再び少女に視線を戻すと少女はやはり笑っていた。内心、呆れ半分、関心半分。よくも無言でここまで他人に要望を伝えられるものだ。
「ボクの趣味は人間観察なんです」
手を伸ばしかけたところでそんなことを言われた。そのまま素早く掻っ攫う。柔らかい感触の皮膚が霞める。飴はポケットに突っ込んだ。
「アンタに観察される側はたまったもんじゃないな。観察されるなんてのは、良い気分じゃない」
「ふふ、そうかもしれませんね。でも、貴方が落ち着かない理由を教えて差し上げることはできますよ」
少し大人げなかったかもしれないと一瞬思ったが、少女の台詞を聞いて俺は心中で考えを撤回した。そう思っているうちに少女は困ったような表情を浮かべて傘をくるりと1回転させた。
「……飴が止めば恐らく分かるでしょう」
「……!やめっ……!」
落ち着かない理由、そして少女が飴を止めると言った理由。双方を瞬時に理解して俺は静止の叫びをあげる。しかし、言い終わる前に飴が突如止んだ。
途端に、飴の音に隠れていた音が空間を支配する。キンと耳を這う甲高い音波、規則性があるはずのそれは数の暴力によって無秩序へと変貌している。耳を押さえても指の隙間から容赦なく入り込む。傘が床へと滑り落ちた。音を防ぐことができない。耳が、痛い。全身が響くように、軋む。思わずテーブルに突っ伏した。悪態を吐く。
「くっそ……どんだけ、いるんだ」
「メリセラ女史の言っていたことは本当だったんですね」
音の暴力の合間を縫って、駄菓子屋が感心したように言うのが聞こえた。こっちの悪態はまったく無視している。
「セベロ氏、貴方は相当耳が良いそうですね。機械施術を受けていないのにも関わらず、その耳はあらゆる機器の異音や機器が発する高周波を正確に聞き分けるとか。こんな便利な能力を持っているとは、感服いたします。メリセラ女史が可愛がるのも頷けますね」
悠長に構えている少女に俺は焦りを覚える。変な汗が背中を伝う。
「良い、から、止めろ」
「あ、申し訳ありません」
駄菓子屋がそう言ったのを合図に再び天井から飴が降り始めた。さっきまで耳障りだった飴の音が逆に心地よく感じて、大きく息を吐いた。
「あの、大丈夫ですか? 」
「ああ、大丈夫だ」
ぬけぬけと何言っているんだか。こっちはおかげで吐きそうだ。
そう言いたいのを飲みこんでテーブルから顔を上げると少女はそこにはいなかった。いつの間にか俺の傍らで俺の背中を撫で始めていた。小さな手がポンポンと叩くように跳ねる。しかし、すぐにその手も止まった。
「……ごめんなさい」
驚いた。泣いている。片手に傘を持ち、もう片手で俺の背中を撫でていて、そのせいで自分の涙を拭うこともできずにただただ泣いていた。泣きじゃくるというほど激しくはなかったが、それでも両目から大粒の涙を流している。こうなるともうただの小さな子どもだ。
どうしたものか悩んでいる間にも、飴は降り少女は泣いていた。
とりあえず少女の前にしゃがみ込んで、頭を撫でてやった。そもそも俺がえらい目にあったというのに、何故今こんなことになっているのやら。そう考えるとバカらしささえ感じるが、そんなことも言っていられない。駄菓子屋が持つ傘を脇に置いて、1つの傘の下で小さな体を抱き寄せて背中をさすってやる。
「謝るくらいなら最初からやらなきゃいいだろ。何であんなことしたんだ」
「知りたかったんです、この店に来てくれるお客様のこと」
だからと言って何をやっても許されるというわけではありませんでした、と駄菓子屋は嗚咽を強めながら言った。ここに客が来るたびにこんな嫌がらせのようなことをしていたのだとしたら、大したものである。親の顔が見てみたい。
駄菓子屋はしゃがみ込んだ俺の肩に顔を埋めている。弱った。子どもの相手はあまりしたことがないからどう対応したら良いのか分からない。相変わらずあやすように背中をさするしかない。
「別にそこまで怒っていない。ただ、少し驚いた」
言いたいことはそれなりにあるが仕方がないのでとりあえずそう言った。
驚いたのは2つ。1つは駄菓子屋が泣いたこと。もう1つはさっきの音のことだ。何重にも渡って響いた高周波。今でも思い出すと頭が割れそうになる。居心地も悪くなるはずである。音がしたのは真下、床下から。そこから推測するのは簡単だ。先程の音を反芻しながら俺は頭を押さえる。
「この床下に何があるんだ。機種は不明だが、恐らく小型ボットが1000機はあるはずだ」
「そこまでお分かりになるんですか」
グッと胸を両手で押されて、背中に回していた腕を外す。駄菓子屋は目をレインコートの袖で乱暴に擦ると傘を拾い上げた。目は真っ赤に腫れていて、どこか毅然としたように見せようとしている少女に微笑ましさを与えている。
「所持総数は2145、しかしその内の1024は第七管区内に散っていますので、そうですね。ご明察です」
「そんな数のボット、業者に頼んだのか。何に使ってるんだ。仕入か何かか」
「まあ、内緒です。また追々お話させていただきます」
泣いたカラスがもう笑ったなんていう諺があるのは知識としては知っているが、恐らくこれほどその言葉にマッチしたシチュエーションはない。茶目っ気を見せるように笑顔を向ける駄菓子屋に俺はあからさまに顔を顰めて見せた。ここまで切り替えが早いとさっきまでの反省も嘘だったのではないかという気さえしてくる。そもそもこの少女が商人だということを踏まえると、この早さも少しは納得はいくかもしれない。その商人気質の少女はまた傘をくるりくるりと器用に回して、今度は商人らしからぬことを言った。
「さて、さっき指定していただいたお品物をお持ちします。今回はお詫びにタダにさせていただきますね」
「でも、」
「良いんです。もうお代はいただいたようなものですから」
駄菓子屋は首を横に振りながら俺を見上げる。不可思議な言葉だった。お代と言えるものを俺は支払っていない。間違いなく。こっそりSciFiの出入金履歴を参照したがそれらしき記載はない。よもやシステムを掻い潜ったとも思えない。
駄菓子屋が地下に物を取りに行った後、俺はさっき彼女からもらった飴の包みを開けた。小さなビニールの包装は白と水色の縞模様、それを左右でねじって留めてある。何だか凝った包装の仕方だ。端を引っ張ると容易に開けることができた。くるくると回転しながら出てきた飴は包装と同じように半分は白、もう半分は水色になっている。ひょいと口に入れれば、何故だかキンと冷たく舌が痺れるように刺激される。
「ん、何だこれ」
しわくちゃになったビニールを広げるとそこには小さく文字が書かれていた。飾り文字で読みづらいが、1文字ずつたどれば問題はない。
「“アーモロートの夢を見る働きハチの味”……全く何なんだか」
最後までわけの分からない店だったと嘆息して、俺はそのビニールをコートのポケットに突っ込んだ。