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1:The android

 ――――新暦3006年 第11つき2日 夜 第七研究所管区 ウェストブリック




 密やかな煉瓦道はその先を闇に溶かしていた。街灯は道に乱立し、どれも電球がイカれているらしくオレンジの光をチラつかせているか、それすらもせず沈黙を守っているという有様だった。いっそ暗闇の方がまだマシと言えるほど、その灯は目に煩わしい。道に沿って並ぶ煉瓦長屋の窓からはそれぞれ光が漏れている。

 ほとんどの研究区域は10年前の戦争が終わってからの急激なアンドロイド産業発展を受けて、研究所周辺の土地開発が進められたという話だが、この第七管区に関してはまだ戦前・戦中の町並みがある程度原形を保っている。研究所所長の趣味だとか、古き良き町並みの保護だとか、単に整備し直すのが面倒だとか、色んな憶測が飛び交っていて何が真で偽なのかは定かではない。いずれにせよ、第七管区はその入り組んだ煉瓦道とそれに沿って建てられた煉瓦長屋が特徴だ。俺自身もこのようなレトロな雰囲気の町並みは好きだ。チラつく街灯は確かに煩わしいが、それが嫌いなわけでもない。そのどこか不完全で不備のある様が懐かしさを感じさせるのだ。だからこそ、俺はこうして1日1回、町中を散歩することに決めていた。

 だが一方で、他に18ある研究所管区と比較すると治安は良くない。窃盗、殺人、機器違法改造、性犯罪、通信妨害……挙げたらキリがなく、研究所の警備課と行政課が日夜頭を抱えている。最近は特に違法な電子ドラッグが出回っているらしく、所長もひっくるめて対処に当たっている。俺が所属している研究課も一応手を貸してはいるが、研究課長があまり乗り気ではないので形だけといったところである。

 それでも第七管区の中ではウェストブリックが治安面では一番マシなはずなのだが、どうも俺は運が悪いらしい。

 目の前には半裸の男が締まりのない顔で涎を垂れ流していた。ところどころ髪が抜けた頭皮に電極をいくつも張り付けている。それらは、大昔に流行ったというラジオカセットレコーダーという音響機器に似た装置に繋がっていた。だが、音響を流す機能は失われているはずだ。やり方は古いが、見た目で警備ボットを欺くための方策だろう。

 男はほとんど白目を剥いた状態で、目の前の俺の存在も把握できていないようだった。どうやら相当キマッているようで、見ているうちに全身を強張らせて泡を吹き始めた。男の饐えた体臭がきつく鼻を突く。

 辺りを見回したが、通行人も定期巡回しているはず警備ボットも周囲に見当たらない。確か、ただでさえ治安が悪いのに警備予算が削減されたとかでボット総数を減らしたと通知があったか。この分だと、警備課に警備計画再案を打診した方が良いかもしれない。道幅は狭く、痙攣する男の体は側溝に落ちかけている。

「あら、こんな時間にこんなところで、こんな良い男が見られるなんて。アタイも案外ツイてるかも」

 どうしたもんかと思案に暮れていると、背後の方からカランカランという大きなベルの音が聞こえた。振り返れば、燭台の明かりに揺れる赤いドレスの人物が目に入った。娼婦だろうかと疑問に思ったところで、確かウェストブリックは違法経営の娼館が隠れて点在しているという噂を思い出した。警備ボットの監視を掻い潜って営業を続けているのだから、本当に脱法を絵に書いたような町である。俺は国家技師であり、したがって国家公務員でもあるが、特に順法精神も正義感もあるわけではない。なので、わざわざそれを通報しようとは思わないわけだ。現に、違法電子ドラッグをキメている男に関しても、自分の通行の邪魔になるからどうにかしたいという思いしかなかった。

 目の前の赤いドレスの裾から細い足首が覗き、ドレスと同じような鮮やかな赤いヒールが映えている。金色の目に金色の髪、この国では珍しい組み合わせだ。赤いルージュが引かれた唇が面白げに弧を描く。

「あらあら、随分とイっちゃってるのね。そんな男放って置きなさいな。アンタさんが助けなくたって、直にボットが回収していくよ。それより、ねえ、アタイと良いコトしない?白衣なら安くしておくよ」

 燭台を持ったまま、両手を組み、豊満な胸を大胆に露出させる。外気に触れたそれが鳥肌を立てているのが見えた。妙に色気づいた声が絡むようだ。

 “白衣”は、研究所職員の俗称だ。第11月ともなれば暦の上では冬である。寒さを凌ぐのにちょうど良いのと、日頃から着慣れていることもあって今も俺は白衣を羽織っている。こんな風に絡まれるくらいなら、コートをおろしてくるべきだったかもしれない。

「生憎、散歩中なんだ」

 俺はやれやれとため息を吐きながらそう言ってみせた。ドラッグをキメてる男、赤いドレス。厄介事をいくつも背負う気はない。しかし、どうやら幸運なことに、赤いドレスの方は早急に片が付きそうだった。

「それに、俺は男に興味はないんだ、生憎な。いつもそう言っているだろ、ダグラス」

 俺の言葉に、“その男”は長いまつげを揺らしながら大きく目を見開いた。

「あらあら、どうしてバレたのかしら?」

「昨今の機械整形は表情筋の動きをほぼ完全と言って良いほど再現しているが、それ独特の駆動音を消し切れていないんだ。アンタの場合、動きが若干遅い上左右の動きにズレがある。あと、今時、自分のことをアタイなんて呼ぶ女はいない。話し方の研究を念入りにやった方が良い」

「まあ、理詰めで女を責めるだなんて、相変わらずつまらない男」

「だから、アンタも男だろ」

 思わず突っ込みを入れると、彼は諦めたように首を横に振った。

「男だとか女だとか、そういうことじゃないわ。アタイはアンタさんの人間性に惚れているの」

 人間性。その言葉に肩を竦めた。自分がそこまでできた人間性を持っているとは思えない。機械によって大きく盛られているダグラスの胸元が目に留まって俺は再びため息を吐いた。肉感は上手く出せているようだが、無駄に揺れが大きい。

「そんなことより、今回はどんな技師に依頼したんだ?また裏技師でも……」

「セベロくんったら、失礼しちゃう!違うわよ!」

 ダグラスは俺に詰め寄ると、両手でバシバシと胸元を叩いてきた。端から見たら痴話喧嘩のようにも見えるが、幸い人目らしい人目はない。ドラッグの男は相変わらず何かを認識するということを放棄していた。

「確かにお金が無くてそういう無資格連中に頼んだこともあったけれどね、今回はちょっと奮発して一級技師を雇ったんだから!」

「はあ……」

 目の前で膨れる顔から、機械独特の熱を感じる。掲げられている燭台の蝋燭の熱とは違う。無機質で温かみの無い、ただの熱だ。鈍く小さい駆動音が静かな通りではより目立っているようにも思えた。呆れを通り越して、哀れにすら思えてくる。ここで同情を表すとつけあがるのは目に見えているので、あえて突き放す方向で行くことにした。我ながら、こういうときの演技力には自信がある。

「この出来で一級技師はあり得ない。せいぜい良いとこ四級、五級ってところだぞ。騙されたな」

 一級技師と言えば、この国最高の技術力を持つ機器技師に与えられる国家資格であり、役職である。そもそも一級技師はこの国に7名しかいない。うち半数の4人は首都セントラルガーデン配属で、彼らは俗に筆頭研究所と呼ばれている第一~三研究所の所長や政治家を務めている。残りは全国の研究所に散らばっているはずだ。

 そして、その散らばっているうちの1人というのを俺は個人的に知っているが、彼女はこういう仕事を請け負うような柄ではない。仮に受けたとしてもこんな雑な仕事はしないはずだ。

「何よ。そういうことだったのね。これでも職業柄、人を見る目はあるつもりだったんだけど」

 ダグラスは声に怒気を含みつつも残念そうに自らの体を細い指先でなぞった。無駄に艶めかしいその仕草に不覚にもドキリとする。僅かだが香水の香りも鼻を掠めた。何やら花の香りがする。

「でも、良いわ。セベロくんのそういう顔、見れただけでも良しとしましょ」

 そして、指が俺の顎をそっと捉える。指先に触れられた部分がジンとして、何かを錯覚しそうになった。

「ねえ、本当にアタイと寝てみる気はない?一度だけで良いわ。淡泊なアンタさんでも深いところまで落としてあげるだけの自信はあるのだけれど?」

「馬鹿言うな。何度も言っている。男に興味はない」

 それでも、密やかな声ににべもなく返す。そうすると割と呆気なく、指は離れた。怪しげな金色の瞳が、チラつく光を映し込んでいる。

「今夜はそういうことにしておいてあげるわ。ついでに、そのドラッグ野郎も通報しておいてあげる。民間通報の方が何かと都合が良いでしょ?その間に裏通りから行くと良いわ」

「そうだな。助かる」

 妙に朗らかな声で言うダグラスに気味悪さを感じながらも彼の申し出を遠慮なく承諾する。下手に俺から通報して、余計な案件を増やされたなどと警備課の連中に思われたくない。

「気になることがあるのだけれど、訊いてもいいかしら」

 別れ際に、ダグラスが俺に言った。

「機械整形の話は分かったけど、どうしてアタイの正体まで見破れたの?」

「さあな」

 どう答えようか悩んだ。正直、明確な根拠がないまま俺は赤いドレスがダグラスだと判断していたのである。どうして俺は根拠がないままあんなことを言ってしまったのだろうか。見破れたというのは、結果論に過ぎないように思う。けれど、俺はあえてこう答えた。

「アンタの人間性が透けて見えたのかも」



 ※



 ダグラスに案内された裏路地は静寂に包まれていた。さっきの通りも静かではあったが、ここでは何もかもが死んでいるようだった。しばらく歩くと旧型の犬型ロボットが首を捥がれた状態で転がされていた。他にも酒瓶やら機器部品やらガラクタが捨て去られている。週に何度か業者が廃品回収に回っているが、この場所は正規の回収ルートではなかったと記憶している。煉瓦長屋が立っているのは相変わらずだったが、人気はなくどうやら廃屋となっているようだ。傷だらけの煉瓦壁には下品な言葉がスプレーで吹き付けられている。それは一目で下品と分かるものから、恐らく隠語であろうというものまで様々だった。自己顕示欲が明後日の方向へ向いている奴らが、書き残していったものだろう。そういったものを横目に俺は更に進む。

 俺が日課である散歩を始めたのは三級技師になった時のこと、まだ住む場所が決まっておらず第七研究所のメリセラの研究室で寝泊まりをしていた頃の話だ。昼夜問わず、仕事の無い時間帯にこうして外に出てフラリと歩く。そして住居にできそうな場所を探す。メリセラは一応上司として、住居の斡旋をしてはくれたが“自分で好きなところに住むのが一番良い。だって好き勝手できるから”とか何とか言って、結局はほぼ丸投げといった形だったのだ。

 そんな当時の習慣が今でも続いている。現在はウェストブリック北西部に住んでいるが、この場所に住み始めてから数年は経っているし、第七管区の入り組んだ道はほとんど把握している。しているつもりだ。

 だが、違う。入り組んだ道々は昼と夜とでその雰囲気をガラリと変えて人を惑わしてくる。今も自分の進む方向に確信が持てていなかった。確信の持てなさに気持ち悪さを覚える。やはり、あのドラッグ男を自力で退けてあの道を通るべきだったかもしれない。そんな今更な思考をしながら、俺は曲がり角を曲がる。そして、顔を顰めたのだった。

 目の前は行き止まりだった。そして、ゴミ溜めがあった。ゴミ捨て場ではなく、ゴミ溜めである。ゴミ溜めにはゴミだけでなくカラスやネズミ、蠅なんかが群がっていて衛生的とはとても言えない。即座に鼻と口を覆う。しかし、そんな状況で俺は目を見開いた。7

 ゴミ溜めの中に、一際大きなゴミがあった。白いドレスを着た少女だ。より正確に言えば、少女の形をしたアンドロイドだ。さっきのようなチラつく街灯さえもない、暗い場所なのに、その白さが際立っていてそのアンドロイドは発光しているようにも見えた。捨てられたばかりなのか、衣服には沁み一つなかったが、関節がイカれてしまっているようで、四肢が明後日の方向に曲がって、あるいは千切れてちょっとしたオブジェみたいになっている。確か業務の一環とか適当な理由をでっち上げてメリセラに連れられて、美術館に行ったのを思い出す。確か、これと同じような美術作品を目にしたのだ。

 白衣のポケットに突っこんである小道具からペンライトを取り出して、少女を照らす。大きく上げられた右腕に首を抱えていた。肩に触れるくらいの白い髪に何も映さない大きな青い瞳。ペンライトを右手に持ち、左手の指先でそっとその青をなぞる。千切れた四肢の断面や口腔内の部品配列を見れば、家事専用機らしい特徴が見て取れた。目に見えるところに型番がないので機種判別はできないが、瞳がガラス製なのと粘膜形成がないのを考慮すると恐らく15年ほど、つまり戦前から戦中にかけて作られた古い型だろう。可能なら首の後ろあたりにあるだろう電子回路基板を確認したいところだが、ろくな工具や機器もない状態で弄るべきではない。しかしザッと見たところ見たところ、少し修理すればまだ動きそうだ。

 俺は右腕に装着していた携帯端末SciFiサイフィの画面をタップした。鈍い音と共に通信画面がポップアップする。その画面に俺は迷いなく呼びかけた。

「QEM-2014」

【こちら、研究支援機QEM-2014。ユーザー認証開始、確定。第七研究所研究課所属、セベロ=フェンテス三級国家技師】

「俺の現在地をマップデータで端末に送信。以降、自宅までのナビ。ナビ、フィルター、警備ボット及び監視を避けたルート」

【了解。マップデータ作成およびルート算出までしばらくお待ちください】

 機械音声が沈黙して、また静寂が訪れる。周囲に落ちていた少女の部品らしきものを拾い上げて、最後に彼女の体を抱え上げた。思いの外軽く、拍子抜けだ。QEM-2014の支援を待つのも良いが、一先ずこのゴミ溜めから自力で抜け出しておくとしよう。

 ふと目に入った空には月がぽっかりと浮かんでその周りを星が散らばっていた。明かりのない場所から見上げるそれらは、気が遠くなるほど遠くにあるはずなのにここまで届く光を帯びているのだと思うと不思議と言葉が漏れた。

「綺麗だな」

 俺は呟く。分かってはいたが、少女は返事をしなかった。


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