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季球妖物語  作者: 柊らみ子
第一幕・桜鬼
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其の四

 ――ポゥ、と遠くに小さな火が灯った。

 それを確認し、草雲は珪吾に悟られないように注意しながらそっと安堵のため息をつく。

 上手く、行きましたか。

 つ、と横目で珪吾の様子を伺う。少年は、その光を見てはいなかった。両手を固く握り締めて膝に乗せ、ただひたすらに床を睨みつけている。

 視線を妖しく揺らめく小さな火へと戻し。今、兄弟が行っているだろう事を考えた。

 ――計画通りに事が進んだら、青戸の家から小さな火が見えるでしょう。

 そう霜雪は言って、彼に珪吾をこの家から出さないようにと頼み、珪宋を伴って家を出たのだった。

 山の入り口で雷封が退治し終わったはずの、沙雪の姿を見せる為に。

 もちろん、それは本物では無い。予め雷封が式術を使って作り出した型を素に、簡単な幻術を組み合わせて作り出した偽物である。わざわざ、暗くなるのを待って計画を実行したのも、それが偽物だとバレにくくする為にと霜雪が提案した事だった。

 ポゥ、と小さな火が一つ増えた。

 あの火が灯ったという事は。少なくとも偽物を沙雪だと思わせる事には成功したという事になる。何故ならあの火は、彼女への弔いの火――生を真っ当出来なかった彼女が、今後彷徨い出てくる事が無いようにと、霜雪が仕掛ける結界――封印――の準備であるはずなのだから。

「沙雪は、何で戻って来たんだろう」

 独り言のように、珪吾が言った。

「戻って来なけりゃ、こんな事には」

「沙雪さんは、記憶を失っていたのでしょう?そんな状態で、少しでも見覚えがあると感じた場所に居たいと思うのは、当然じゃないでしょうか」

「そう、かな」

「違いますかねぇ」

 居心地が良い場所だと彼女は言っていたそうですよ、と草雲は言い口を閉ざした。

 この少年は、何も知らないのである。

 彼は、兄が知ってしまった事を何一つ、知らない。

 沙雪にとって不幸だったのは、彼女の出生の秘密を知ってしまったのが珪吾では無く、珪宋であったという事だろう。知っていたのがもし、兄では無く弟の方であったなら。きっと、そんな事は気にせずに幸せにやっていけたのではないか――。

 もし。きっと。

 そんな言葉を使わずに生きられる人生を送れたら、どれだけ素晴らしいのでしょうねぇ。



 何だって、報酬を辞退しちまうかねェ。

 ……どう考えたって、割に合わねェ。

 そりゃまァ結局。鬼退治なんてしなかった訳だし、やった事といやア「鬼を退治しましたよ」と騙くらかした事だけであるのは確かなんだけどよ。

 あれから十日程経った。ねぐらにしている首都外れの廃寺でごろごろとしながら、未だ雷封は先だっての仕事について鬱々と考え込んでいるわけである。普段、あまり根を詰めて仕事をする事の無い彼だけに、終わってしまった仕事にこれだけ拘るのは珍しい事だと言えた。

「……でもやっぱり、納得いかねェ」

 ぼそり、と声に出して呟く。不機嫌そのもの、というような口調でぶつぶつごちゃごちゃとまた続けた。

「大体だ。そりゃア、確かに鬼退治はしてないさ。だけど実際、アイツがぬくぬく家の中で茶ァでも飲んでた時にひーこら歩いて沙雪を探したのは俺だぞ? アイツがのんびり村長と散歩みてェに歩いて来る間に式神で仕掛け作ったのだって俺だぞ。芝居とは言え、子供殺すなんて後味悪ィ役までやらせやがったクセに、表向きはどうあれ、依頼内容と違うから報酬は貰えねェだと? じゃア何だよ、俺はタダの骨折り損の草臥れ儲けじゃねェか」

 ぶつぶつとぼやいて、雷封は立ち上がった。いくら悩んだってどうしようも無い事を悶々と考えていると、余計に頭に血が昇る。元より、あれやこれやと考えるのは性に合わない質なのだ。

 気分転換でもしようと、思いっきり大きく伸びをする。埃っぽい寺に篭りっ放しだったのが悪かったのか骨がごきりと盛大な音を立て、気分転換どころか余計に情けない気持ちになった。

「ら、雷封さん!」

 その音を掻き消すように、騒々しく駆け込んで来たのは草雲だった。黒衣の青年があからさまに嫌そうな顔をしたのにも気付かず、草雲は屋内をきょろきょろと見回すと切羽詰った口調で問う。

「霜雪さんは? 霜雪さんは、何処です!?」

「あいつなら、ここにゃアいねェぜ。まァた仕事でもどっかで勝手に請けちまったりしてるンじゃねェか?」

「そ、その、仕事ですよ! 大変な事が分かったんですよ!」

「大変な事ねェ……」

 じとーっと半眼で草雲を見つめる。

「また、金にならねェ情報かよ?」

 そんな、雷封の皮肉は右の耳から入って左の耳から抜けているようだった。そんな事を言っている場合じゃ無いんです、とさらりと受け流し、草雲はぱらぱらと帳面を捲る。

 どうしても、気になって調べてみたんです、と帳面に視線を落としたまま草雲は言った。しばらく捲って、慌しく動いていた手が止まる。

「……沙雪さんの母上を殺したのは、珪宋さん達なんですよ!」



 ――だってもう、この世界に未練なんてありゃしないから。

 その言葉には、嘘は無いはずだった。少なくとも、そう思っていたから口にしたのだ。

 それなのに。

 時間が経てば経つ程、外の世界が懐かしく感じるのは何故だろう。

 ――今更?

 外の世界では、あたいはめでたく死んだ事になってるってのに。

 あの祓い屋が、そう言っていた。自分を始末したように見せかけるのだと。

 本当は、そうした後にひっそりと別の土地へ移って欲しいのだと言われた。誰も、知っている人間がいない土地へ移って欲しいと。

 もちろん、その言い分は分かり過ぎるほどによく分かる。死んだはずの人間が同じ場所でのうのうと生活していたらまずい。ただ、それだけの事だろう。

 分かっていたのに。

 何故か、首を縦に振れなかった。

 それがどれだけ祓い屋の仕事に支障をきたすか、気がついていないと言えば嘘になる。本当は、自分を退治する為に雇われたはずの彼らが、何故か自分を助けようとしてくれている事も、また。

 だけど。

 だけど、あたいには。

 ――ホントに、良いンだな?

 あの時の、雷封の問い。その問いに、迷わず首を縦に振ったのだ。もうこの世界に未練など、ありはしないと。

 その答えを聞いて。

 雷封が、一瞬悲しそうな表情を浮かべたのは何故だろう。

 それは、およそ彼には似合わない類の表情ではあったのだけれど。

 けれど、そんな似つかわしくない表情を浮かべていたのも一瞬の事。

 彼は諦めたようにため息を吐くと、仕掛けを聞いた後でも考え直せるからなと念を押し、気乗りしない調子で話し始めた。

 依頼された通り、自分を始末したように見せかけるという事。幻術で自分の死体を作り、その後に彼女がここを離れないという場合はこの周りに結界を張り、他人が入れないようにするという処置を取る予定だという事。

 そこまで話し、雷封はもう一度、彼女の意思を確かめた。

「この結界は、そンなに力の強いモンじゃねェ。お前まで出られなくなったら生活していけねェわけだし、あくまでも応急処置的な手段なんだ。だから、何となく嫌な場所だ、ここは避けて通ろう、と他人に思い込ませるぐらいの効力しか無い。お前の出入りを出来るようにするとなると、これ以上強力なモンは仕掛けられねェンだよ」

 つまり。

 余程ここに思い入れのある人物にゃ効かねェぜ。

 雷封は、そう言った。

「やると決めたからにゃア、失敗は出来ねェ。だから、俺個人の意見を言わせてもらえば、この応急処置には頼りたくねェンだが……」

 彼にしては珍しく、歯切れの悪い台詞だった。そもそも、自分のこんな言葉一つで沙雪の決心が変わるわけも無いと分かり切っていての意見だったのだろう。

 分かり切っていながら口にせざるを得なかったのはきっと、先程、雷封には似つかわしく無い表情を浮かべたのと同じ理由。

 そう思ったから。

 話す気になったのだろうか。

「……あたいには、この場所しか無いの」

 祓い屋から目を逸らし、少し遠くを見るような目で。

「気がついたら、ここにいたの。あたいの知ってる場所は、ここだけなの。ここだけが、懐かしいっていう気持ちが分かる場所で、ここだけが、あたいの――」

 ――名前を、聞いてくれた人がいた場所で。

「だからここが、あたいの全てなんだ」

 それが、雷封を説き伏せた一言だった。

 ――ここが、あたいの全て。

 そのはずなのに。

 どんどん外の世界が恋しくて堪らなくなってくるのは、何故?

 そんな自分に腹が立ち、手近にあった湯呑みを壁に投げつけた。勢い良く土壁にぶつかった湯飲みはひとたまりも無く粉々に砕け散り、中に残っていた僅かな量の水も一緒に飛び散って沙雪の顔に跳ね返る。

「……水」

 聞き覚えのある声が、呟いた。それが自分の声だという事に気がつくまで、少しの時間を必要とする。

 声を出す事も少なくなったから、そのうち自分の声も忘れそう。

「水、汲んで来なきゃ」

 わざとに声に出して言いながら、彼女は桶を持って家を出た。

 この小屋に、井戸は無い。生活に必要不可欠は水は、赤月村にある共同の井戸から汲んで来て使っている。

 辺りはすっかり暗くなっている。今なら、誰にも見られずに水を汲んで来る事が出来るだろう。

 そう思い水場へと駆けて行く沙雪を、真っ白い満月が見つめていた。



 案の定。

 彼女は、井戸に辿りつく事が出来なかった。山の入り口付近で男が二人、立ち話をしているのが目に入ったからである。

 咄嗟に、小さな身体を脇の茂みの中に隠す。尖った葉が当たって多少チクチクするが、この二人をやり過ごすまでの辛抱だと自分に言い聞かせた。

 山の入り口は、自分が退治された事になっている場所である。霜雪が張った結界の境目にもなっている場所でもあり、それを印象付けるかのように小さなお地蔵様が建てられていた。その前には、誰が供えたのか小さな饅頭と真新しい花が几帳面に置かれている。

 ……あたいが、化けて出無いように、かな。

 そんな事を考えて、くすりと笑った。死んでしまっても怖がられるなんてと、何故だか少し滑稽に思えたのだ。

 井戸の前の二人組は一向に立ち去る気配を見せない。背の低い方の男がちらりと地蔵へと視線を走らせ、「可哀相になぁ」と聞き取れないほど小さな声で呟いた。

「どうしてあの子は戻って来たんだろうな。戻って来なけりゃ、母親と同じ場所で死ぬ事にもならなかっただろうに」

 小さいはずのその言葉は、まるで直接頭の中に届けられたかのように鮮明な響きを持って沙雪の心に突き刺さる。

 ……え?

 ――どくん。

 今、あの人は何て……?

 母様は……。

 どくん。

 割れるように、頭が痛んだ。身を潜めて隠れながら、がんがんと痛む頭を抱えるようにして耳を塞ぐ。それでも、その声は容赦無く沙雪の耳の中に潜り込んで来た。

「いくら鬼の血が入っていると言ってもなぁ、村長。あんな小さな女の子まで、殺す事は無かったんじゃないのかい? 追放するぐらいで良かったじゃないか」

「今となっては、私もそう思っていますよ。沙雪は、証を持っていなかった。あの時、母親が彼女に持たせたと思ったのですが……」

 ――どくん。

 いや。

雪華ゆきかさん、どうして村長家の宝刀を持ち出すなんて事、したんだろうなぁ。そんな事さえしなけりゃ……あんな事には」

 ――違う。

 一面の、朱。

 珪宋が口を開くより早く。

「母様がそんな事したなんて、嘘だ!」

 考えるよりも先に、言葉が口をついていた。身を隠していた茂みから勢い良く立ち上がり、一体何が起きたのかと理解出来ないまま動きを止めた二人の男に向かって言葉を叩きつける。

「あの刀は、父様から貰ったんだって母様は言ってた。父様から貰った、大切な宝物だって。だから……ッ」

 貴女が、持っていてくれる?

 ――貴女の父様が残してくれた、唯一の形見ですもの。

 目の前が、朱に染まる。

 美しい、鮮やかな朱に染まった母。

 もう何も映さない、深緑の瞳。

 ひゅうひゅうと漏れる耳障りな空気の音と共に、母の口から短い台詞が紡がれる。

 ――逃げて。

 ずきりと、一際深い痛みが走った。

「……父様、だって?」

 小男が、どういう事だという疑問を筆頭に色んな質問を貼り付けた顔のまま、珪宋へと顔を向けた。珪宋は男と顔を合わす事もせず、突然現れた少女の姿に釘付けになっている。

 そして、話し続ける沙雪も、また。

 目の前に立つ男の顔を、穴が開くのではないかと思える程強い視線で睨みつけている。その顔は、沙雪の記憶の中の顔と一致していた。

 あの時。

 朱に染まった母の、肩越しに見えた顔。

 薄ぼんやりとした記憶が、はっきりと形を結ぶ。

 ――ギリッと。

 奥歯が、軋んだ音を立てた。

「どういう事だよ、村長。この子は、死んだはずじゃあ……」

 訳が分からないという疑問を顔一杯に貼り付けて、珪宋と沙雪の姿を交互に見やる。珪宋は、そんな小男の姿を見る事もせず、死んだはずだな、と独り言のように呟いた。

「だが、どうやら化けて出てきた、という訳でもなさそうです。しかし、あの時の祓い屋の態度は、依頼に失敗したという感じにも見えませんでしたが……」

 ……報酬を、受け取る事も、しませんでしたね。

 一言一言、自分に言い聞かせるようにゆっくりと言い。

「狂言ですか」

 結論を出した珪宋の顔は、何故か穏やかだった。

「生きていてくれて嬉しいですよ、沙雪。私はね、お前が死んだと聞かされても、お前の死体を目にしても何故だか心は晴れないままでした。私を縛り付けてきた父の影も、お前の母親の影も、消える事が無かったんです。……何故だか、分かりますか?」

「……村長?」

 父の時は、最期を看取り。

 雪華の時は、自分のこの手で。

「お前だけが、最期をこの手で感じていないからですよ。本当に死んだのかどうか、確かめられなかったからですよ。……確かにお前は死んだはずだと、自分に言い聞かせなかった日はありません。実感の沸かない恐怖。形の見えないものが一体どれほど恐ろしいものか」

 だから。

 こうして、姿を見る事が出来て、嬉しいのです。

 そう言った年若い村長の声は、本当に嬉しそうだった。小男が、小さく喉を鳴らして後ずさる。

「……それなら、何でわざわざ人を雇ったりしたんだよ。最初っから、自分であたいを殺しに来たら良かったじゃないか」

 驚くほど静かな口調で沙雪が問う。その問いに珪宋は小首をかしげ、苦笑を浮かべて見せた。

「そうなんですよ。今となっては私もそう思うのですが。ですがやはり、一人も二人も一緒、というわけにはいかなかったのでしょうね」

 それは、瞬きする間も無い程短い、刹那の時間。

 二人からそろそろと離れていた小男の目からは、まるで他人事のように話す珪宋に向かって沙雪が軽く手を振っただけのように見えた。

 ――たった、それだけ。

 珪宋の身体が、ゆらりと揺れた。

 身体は、前の方向へ。

 そして、首だけが後ろの方へ。

 どさりと。

 とさりと。

 恐怖も痛みも無く。先程の苦笑を浮かべたままの村長の目と、視線が合った。

「……ひッ……!」

 悲鳴を上げる事も出来ず、しゃくり上げたような音だけがかろうじて喉を鳴らした。すぅっと通り過ぎて行った風が、生臭い匂いを運んで彼の身体に纏わり付かせて行く。

 振り払いたいのに、両足が根を下ろしてしまったかのように動かない。

「……最初から自分で来てりゃ、もっと早くにこうなってたのに」

 その静かな声に小男は、びくんとして顔を上げた。沙雪は自分の身体程もある大きな太刀を地面に突き刺し、静かに珪宋を見下ろしている。そのあまりに不釣合いな大きさに、彼女があの太刀で村長を斬ったのだ、という答えに達するまで彼は少しの時間を必要とした。

 そんな事を考えている時間があるのなら、必死になってこの場を離れる努力をするべきだったと気付かされるのは、ほんの少しだけ後の事である。そうしていたなら、彼がまだその場にいる事に気が付いた沙雪が何かを言おうとする事も、そんな沙雪に向かって小男が思わず、彼女の心を粉々に砕いてしまう力を持った一言を呟く事も無かったのだろう。

 それも多分、瞬きする間も無い程短い、刹那の時間。

 白い月明かりに照らされ、朱に染まった少女の姿を見て、彼は言ってしまったのだ。

「……鬼」

 ――きりりと。

 沙雪の心が軋んだ音を立てた。



 鬼の子は鬼だって。

 化け物の子は化け物だって。

 皆が、そう言うなら。



 ――お望み通り、なってあげるよ。



 ざんッ。

 嗚呼、思ったよりも、ずっと簡単。

 沙雪の手に握られているのは雷封と対峙した時に見せた、小さな彼女には不釣合いな程大きな太刀だった。鬼と人の混血であるが故、血の薄い彼女が持つ鬼としての唯一つの力。それが、魔力を結集させて作り出したこの巨大な太刀をも軽々と操る事が出来る、馬鹿力。

 その力のままに、太刀を振るう。力任せで大振りなその太刀筋は、相変わらず滅茶苦茶なままだ。だが、戦う術を持たない村人達にはそれで十分なのである。

 ごつッと固い感触が腕に伝わる。眉をしかめて動きの止まった太刀の先を見た。

 得物は人間の胴体に食い込み、半分程の所で止まっている。脇腹から太刀を生やしたまま、その人間はびっくりしたように目を見開き、自分の腹から生えた太刀を当たり前のように、見た。

「……え?」

 名前を呼ぶ事も出来ず。

 それが、最期の言葉。

 太刀を持つ手に力を入れる。ただそれだけの動作で、まるで人形を切断するように簡単に村人の胴体が半身毎に泣き別れ、ぬるりとした生温かいモノが少女の小さな身体を濡らした。

 不思議そうな表情を浮かべたまま。

 上半身だけの身体で、珪吾は彼女を見つめていた。

 否、見上げてはいるが、その瞳は彼女を映してはいない。その瞳はすでに、何かを映すという本来の機能を失ってしまっている。

 まだ、瑞々しさを保っている所為か、何も映さないソレは奇妙な宝石のように美しかった。

 それはあの時の、母の瞳と一緒で。

「――なぁんだ」

 こうなっちゃったら、オニもヒトも一緒じゃない。

 じゃあ皆、母様と一緒になっちゃえば良い――。

 ――ふふっ。

 自分が笑みを浮かべていると気付かぬまま。

 全身を朱に染めて、白い少女は死を招く巨大な得物を振り下ろした。



 ヒラヒラ、ヒラリ。



 そこはもう、村では無かった。

 かつて村だった場所。村が存在した場所。つまりは、廃墟となっていたのである。

 その廃墟の中に、転々と転がる村人の身体。人という生命体の一部であったという事すら想像出来ないようなモノと化してしまった部品からそれなりに人としての原型を留めているモノまで様々ではあるが、それらは皆一様に恐怖や後悔と言った負の感情を染み付かせて転がっていた。これから先、二度と命の火を灯す事が無いであろうそれはもう、廃墟の中に転がる瓦礫と同一のモノでしか無い。生きている人間が居て、住むべき場所があって。生活があって初めてその場所は村となる。ここにはもう、その僅か一つも感じる事は出来なかった。

 ほんの一月も経たない間に。

 赤月村は、村を構成する物全てを失って崩壊していた。その惨状を見て、草雲が声にならない声を上げ、その場にへたり込む。

「……霜雪。これが、お前のやった事の結果だよ」

 低く、押し殺したような雷封の声。そんな彼の声を、これまで草雲は聞いた事が無かった。

 その声に引き摺られるかのように、彼は黒い法衣の式術師を見上げる。

 式術師は、とても厳しい顔をしていた。

「俺達が関わるべきじゃア無かったンだ。途中で、手を引くべきだったンだよ」

 血の繋がらない兄の、何処か哀しげな声を聞きながら。

 霜雪はぼぉっと一点を見つめ、立ち尽くしていた。

 悔しいが。

 兄の言う事は、正しかったのだ。

 話を聞き、全てを理解したところで手を引くべきだったのだ。

 『村』という組織の中に、無理に手を加えるべきでは無かったのだ。

「でもこれが、沙雪のやった事だとは――」

 我ながら、らしくない反論だと思った。否、反論では無い。これは、ただの言い訳だ。

 こんな事。

 村を一つ壊してしまうなどと言う事が、あの少女以外に誰が行える。

 あの――。

 鬼の血を引く少女以外に、誰が。

 言い訳だと、解っているから。

 霜雪は、言葉を最後まで口にする事が出来なかった。雷封もまた、最後まで言わせる事はしなかった。

 草雲は。

 そんな二人の歳若い祓い屋を、ただ黙って見つめている事しか出来なかった。

 彼が知る限り。是ほど完璧に兄弟が仕事に失敗したのは、初めての事である。今まで、多少計画通りに行かなかった事があれど、臨機応変で対応し、結果的には成功を収めてきたのだ。

 ――だからこそ。

 そんな二人を見ていたからこそ、草雲も簡単に二人に話を持ちかけたりしたのだろう。心の何処かで、失敗するはずが無い、と思い込んでしまっていたから。

 ちりん、と。

 雷封の法衣に結わえ付けられている小さな鈴が、鳴った。

 そんな小さな音を合図にしたかのように。

 その場から動けない二人を尻目に、雷封は村の中を見て回った。普段軽口を叩いている彼からは想像もつかないような厳しい表情を崩さないまま、あちらこちらを確認して回る。

 ……ふと。

 彼の動きが、止まった。

 何かを拾おうとでもしたのだろうか。すっと地面に手を伸ばしかけ、そして止める。

「……僕は」

 呟くような霜雪の声。村だったものの惨状から目を逸らし、すぐ下の地面を見つめながら、少年は続ける。

「私は、どうしたら良かったのです? 私は、沙雪を助けたかった」

 ――だから、あんな芝居まで打ったのに。

「良かれと思ってやった事が裏目に出る事はある。そんな事は良くある事です。……でも。……でもッ」

「人の心が絡んじまえばさ。それを一から十まで読み切るなんて事、到底出来やしねェんだ。そんな事を考えるのは――傲慢だよ」

 雷封の言う事は正論だ。確かに、人が人の心を読み切るなんて事が出来るわけが無い。人が、人である限りは。

 だからこそ。

 人の世を生きていくのは、難しいのだ。

「……全く」

 ――季節外れの、桜が咲いちまったなァ、と雷封は呟いて。



「それじゃア」



 ――鬼退治と、行きますか。



 ちりん。

 冷たい、鈴の音が鳴った。

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