其の二
ばさっ。
静かな羽音を立てて飛び去った梟を見送り、雷封は振り返った。小さな家の中では、沙雪がその光景を黙って見守っている。
「あんたさ……。変わってるよね」
雷封がかろうじて存在を主張している粗末な縁側に腰を降ろしたのを確認し、沙雪がぼそっとそう言った。興味無さそうな口調と裏腹に、その瞳は興味津々といった光を込めて彼を見つめている。雷封は水を一口飲み、「そっかァ?」と意外そうに返した。
「俺から見りゃ、お前の方がずっと変わってるけどねェ。退治されそうになってもずっとここに居座ってるなんてよ」
「……あたい、何も覚えて無いからさ。気がついたら、ここにいたんだ」
雷封の横に膝を抱えて座り込み、何処か遠くを見ているような目で沙雪は呟いた。その様子を見て、雷封は軽い既視感を覚える。
――そう遠くない昔、隣で座り込んでいる少女と全く同じ表情を浮かべていた少年の姿を思い出してしまったから。
どーも自分は、こういった子供を拾ってしまう事が多いらしいと、彼は知らずに苦笑を浮かべていた。少女がちょっと眉を寄せ、怪訝な表情を作る。
「いや、ね。どーも俺、ガキに好かれてンのかな、ってさァ」
「本気で言ってんの?」
「うん。結構本気」
しれっと答えた雷封を見つめ、失礼なほど長いため息を吐いて沙雪は目を逸らす。また、彼女の視線は、何処を向いているのか分からなく曖昧になった。そんな表情をすると、子供とは思えないほど冷めた、大人びた顔になる。
それを見つめ、雷封は真顔になってぽつりと言う。
「前にも……お前と同じような事言ったガキ拾ってよ」
――僕は……誰、なんですか?
「お陰で、それ以来ずぅぅぅぅっと付き纏われる羽目になってたりしてるモンだからよ。ガキに好かれンのかねェってさ」
「……あたいに付き纏ってるのはあんたじゃないか」
「そりゃー、一応は仕事で来てるんだからな。お前を見つけられませんでした、はいさようならで終わるほど、俺の弟は甘かねェンだよ」
「何だあんた……使いっぱしりなの」
「誰がパシリだ。俺はね、弟の顔を立てて、あいつがやりたがらないような事をやってやってるだけなの」
「でもホントは、頭上がんないんでしょ。さっきの式神だって、その弟にあたいの事見つけたって報告するために飛ばしたんでしょ? 探すのはあんたで、弟はあんたから報告があるまでのんびりしてる。充分、こき使われてるじゃん」
今まで通りの無表情に見えて、その瞳に子供らしいいたずらっぽそうな光が灯っているのを雷封は見つけた。確かに俺は、ガキと相性が良いらしいと心の中でのみぶつぶつとぼやく。
「へいへい。まァ、そう思うなら思っとけ。ンな事よりよ……。お前、さっき何か話そうと、したよな?」
「……何が?」
いきなり真面目な話を振られ、沙雪はあからさまに動揺したようだった。視線が定まらず、空中をあちらこちらと彷徨っている。
「今更隠す事もねェじゃねェか。さっきは、何か話そうとしただろ? そうじゃなきゃ、何も覚えて無いなんてわざわざ人の好奇心くすぐるような事、言わねェよな?」
「……普通、遠慮しない?」
雷封に言われてやっと、自分がそんな事を口走ったのだと思い出したのだろう。失敗したなぁというぶすっとした顔になりながら、沙雪はぼそりと突っ込みを入れる。雷封はふるふるとかぶりを振って、「しない」と一言あっさりと言い放った。
「少なくとも、今はな。お前が何で退治依頼が来るほど嫌われてるかっての、分かるかもしれねェし」
「……嫌われてる理由、分かってるもん」
つんと横を向いて、早口で言い切った。
「あ? そうなの? それじゃ話が早ェだろ。俺はな、理由も分からねェで勝手に退治すんの、嫌いなんだよ」
「それなら、何でこんな仕事してんのさ? 毎回毎回、こうやって理由聞いて退治してるワケ?」
「そーゆーワケでもねェけど。さらっと問題すりかえるなよ。今は俺が、質問してるんだぜ?」
「……アンタってホント、むかつく」
ぼそっとそんな事を呟きつつも、沙雪はぽつぽつとその『理由』を語り始めた。その間、雷封は少女から目を逸らし、遠くの空を見ているような目付きで彼女の話を聞いている。時々、目を瞑ったりするものだから、本当に沙雪の話を聞いているのかと心配になるほど、関心の無さそうな顔をしていた。
「……名前聞かれるの久しぶりって言ったの……嘘なの」
そんな台詞から始まった沙雪の話。
それは確かに、彼女の知りうる限りの理由で。
そう、知りうる限りの――。
――ヒラヒラ、ヒラリ。
青戸珪宋が姿を現したのは、雷封に梟を送り返し、のんびりと寛ぎながら出されたお茶を二杯もおかわりをした後の事である。年若い村長は、部屋に入るなり待たせた事を詫びると二人の前に腰を下ろし、早急に用件を切り出した。その行動が妙に焦っているように見え、霜雪はふと首を傾げる。
「……どうか、しましたか?」
それを草雲に目ざとく見咎められたが、霜雪は「いいえ、何でもありませんよ」と普段通りの穏やかな口調で返した。内心、「いらないところで敏感ですね」と呟いていたのだが、彼がそんな事を考えているとは誰も気がつけないだろうほど穏やかな口調だった。
「鬼については、もうお聞きになられましたか?」
「ええ、大体のところは」
「そうですか。それなら話が早い。どうかあの化け物を、退治して頂きたい」
「もちろん、それなりの報酬が頂けるのでしたらそれは構いません。しかし、お引き受けする前にいくつか確認しておきたい事があります」
「……え」
霜雪の言葉を聞き、そう声を上げたのは草雲だった。その視線が、約束が違うと言わんばかりに霜雪と珪宋の間を行き来している。
そんな草雲に視線を向ける事無く、霜雪は質問を始めた。
「まず。草雲さんに聞いた話では何でも『人を食いかねない鬼』が出るという事でした。という事は、まだそういった被害は出ていないわけですね?」
「ええ、その通りです。だが、凶暴な化け物がいるのは事実だ。被害が出る前に手を打っておきたいと思うのは当然でしょう」
「しかし、そんな鬼が出るという割にはこの村は平和そのものに見受けられます。何故です?私は今まで同じような依頼を受けて様々な村を見てきましたが、赤月村のように普段通りを保っていられた村などありませんでしたよ」
穏やかな口調の中に挑発的な響きを感じ取り、珪宋は眉をひそめる。
「何が、おっしゃりたいのです?」
その質問に霜雪が答えようとした時。
「つまりさ。この話は兄さんの狂言じゃないかって言いたいんだろ、祓い屋さん」
廊下から聞こえてきた少年の声に、珪宋は弾かれたように振り返る。
「ちょうど良い。僕もいい加減、聞いてみたかったところだよ。どうしてこんな嘘をついてまで、沙雪を殺そうとするのかってさ」
「……どなたです?」
霜雪のその言葉には二つの意味合いが込められていた。一つは、今この場に乱入して来た少年の正体を問うた質問。そしてもう一つは、少年が言った「沙雪」という人物の正体に対して言った言葉。
「……青戸珪吾。私の、弟です」
疲れたように掠れた声で言った珪宋の言葉。先ほど少年自身が珪宋の事を「兄さん」と呼んでいる事からしても、それは紛れも無い事実なのだろう。そう結論を出しながら霜雪は、「弟さんがいらっしゃるなんて、聞いていませんよ」と話を持ち掛けて来た草雲に向かって小さく呟いた。
「あ、いえ……。私も、今初めて知ったものでして……」
そんな何気ない言葉の中に、何となく威圧感のようなものを感じ、何とは無しに縮こまりながら草雲が答える。それはいつも、血の繋がらない弟の言葉の中に雷封が感じているものと同じようなものだったのだが、草雲がその点に関してピンと来る事は無かった。
「その人が知らないのも無理無いと思うよ。だって兄さん自身が言ってないんだろ、僕の事」
兄さんは、僕の事を話さないから。
「僕が、沙雪と仲が良いから。だから、兄さんは僕の事を人に話せない。村長の弟が、問題の鬼と仲良くしてるなんて言えないから」
「珪吾。お客様の前だ」
「そう。立場ってモンがあるんだよね、兄さんには。でもだからって、何の罪も無い沙雪を殺して良いなんて事は絶対に無いよ!」
「珪吾ッ!」
ぴしゃりと自分の名を呼ばれ、少年はびくんと背筋を伸ばした。
「……珪吾。私はお客様とお話がある。部屋に戻っていなさい」
弟の顔を見る事もせずに言った台詞。静かな声だが、有無を言わせぬ響きを伴っている。
だがその顔には、ありありとした疲れが見て取れた。
珪吾が立ち去ってしばらくの時をおき。歳若い村長は「お見苦しいところをお見せ致しました」と言って深々と頭を下げた。それを見て、草雲なんぞはとても居心地の悪さを感じたりもしたのだが、隣に座る、彼より十も若い祓い屋の少年はいつもと変わらぬ普段通りの態度を崩さぬまま一言「いいえ」と返す。
歳は若いが自分などよりもずっと場数を踏んでいる。
この落ち着きは、その慣れの所為か、それとも生来の性格の所為か。
何となく、後者っぽいよなーなどと、むしろどうでも良い事をふと考えてしまう草雲だった。
「弟さんがおっしゃっていた、沙雪、という人物が貴方が言う『鬼』なのですね? 先程の会話から察するに、『人を食いかねない』と言っているのは貴方だけだ。違いますか?」
「……その、通りです」
微妙な、間があった。正座している膝の上でトントンと人差し指が一定のリズムを刻んでいる。
「一体どういう事なのか。全てお話して頂けますね」
柔らかい口調だが有無を言わせぬ響きを持った台詞である。諦めたように肩を落として肯いた村長を見、草雲は改めてこの幼い顔をした少年の怖さを思い知ったような気がしたのだった。
――沙雪は、半人半鬼なのです。
ええ、半分は人の血が混ざっているのです。だからなのか歳の所為なのかは定かではありませんが、鬼としての力も然程強いものではありません。
……はい。
お察しの通り、そんな事は問題ではありません。鬼である事が、問題なのでは無い。
問題なのは、人の血です。
彼女の、沙雪の父親は――青戸兵衛。
赤月村前村長にして、私達の父親。
沙雪は、父と鬼の女の間に出来た子供です。私達とは異母兄妹という事になる。
え?
ああ、この事は、私しか知りません。珪吾も、当の沙雪も知らないはずだ。
――いいえ。
それは、違います。
珪吾と沙雪の仲が良い事。それは、喜ばしい事態じゃないにしても、貴方方を雇ってまで沙雪を追い払って欲しいという理由にはなりません。
父は、とても良い村長だった。とても良い父親だった。こんな小さな村ではありますが、いや、小さな村だからこそ、父は真剣に人々の悩みに耳を傾け、この村をもっと良い村にしようと努力した。だから、小さいけれど小さいなりに纏まった村になり、父は信頼を集める事が出来た。
――ただ。
父は……一度だけ、過ちを犯した。
十年以上も昔の話です。
父は、青戸兵衛は、一人の行き倒れの女を助けた。白い髪と緑の瞳を持った、女を。
それが、沙雪の母親です。鬼狩りに会い、命からがら逃げ出してこの村に辿りついたところで、父に助けられたのです。
父は、そういった話が大嫌いでしたから、大層怒っていたのを覚えています。今でこそ、殺すほど追い回すという事はほとんど無くなりましたが、当時はそこまで畏怖され、虐げられていたのですよ、鬼とは。
話を聞いて大層憤慨した父は、村の小山の上に建っていたあばら家を綺麗にし、彼女をそこに住まわせた。村人となれば、自分が責任を持って同じような目には合わせないと約束して。
当時それが出来たのも、一重に父が良い人間だと言う印象が強かったからです。良い村長。良い父親。良い人間。その印象が有ったからこそ、風当たりの強かった鬼を自分達の村に受け入れるという提案にも然程意見はされなかった。
良い人間がする良い行いは、上手い具合に美談になります。どんどん、良い方向へと尾鰭がついて。
そして。
あまりにも美化され、理想化された人間が起こす予想外の行動は、それこそ予想外の方向へと一人歩きしてしまう。
良い人間が良い事をするのは当たり前。当たり前になり、それに慣れてしまって父が何をして良い人間だと言われるようになったのか思い出せなくなってしまった頃に。
――もし。
もし、予想外の行動を、起こしたなら?
……私は、そうなるのが、怖い。
父が、母を裏切っていたのだと、露見するのが怖いのです。
最初は、同情だったのかもしれません。自分達と違う者を否定する、その弱さに憤慨したのも事実でしょう。
ですが。
超えてはいけない一線を越えてしまったのも、また事実です。母を裏切り、私達をも裏切って。
六年前、母は何も知らずに流行り病で亡くなった。父も、後を追うように同じ病で四年前に亡くなりました。
沙雪は、十か十一です。父は、四、五年間も母を、そしてその後も私達と、村人達を欺き続けていた事になる。
……死ぬまで、ずっと。
――私はね。
それが、露見するのが、怖い。
――怖いんですよ。
ここは、父の村なんです。私が継いだ今だって、父の村なんです。父が纏めて、父が住み易くした村。
それが、赤月村なんですよ。
だから。
だから、怖いんです――。
長い話を語り終え、膝の上で固く握り締めた拳に暗い視線を落としながら口を閉ざした珪宋を見つめながら、草雲は複雑な気分を味わっていた。
私が継いだって、父の村――か。
少し、理解出来るかもしれない。
親が偉大であればあるだけ、子供には親の影が纏わりついてしまう。それは昔、草雲自身が身を持って経験した事であり、だからこそ認められずとも違う道を選んだのだろう。
それが、親の影を断ち切る唯一の方法だったから。
この人は。
この、若くして父の村を継がざるを得なかった村長は立場上、それも出来なかった。だからこそ、付いて回る父の影に縛られ、縛られているが故にその影が汚される事を恐れているのだ。
――情けねェ。
雷封なら、きっとそう言うだろう。家出という形で、全てを強引に断ち切っているらしい、彼なら。
だったら、自分の村を作ッちまえよ。
「……それで」
そんな草雲の思考を中断したのは、いつもと変わらぬ聞き慣れた少年の声だった。不思議にすら思える程、いつもと変わらない冷めきった声音。
――何故。
何故、この少年は、こんなに落ち着いていられるのだろう。
仕事だから、だろうか?
……いや。
それは何か、違う気がする。
「それで。沙雪の母親は、どうなったのです?」
「え?」
――嗚呼。
これは、ただの。
「貴方のお話には、沙雪の母親がどうなったのかという件は出てきませんでした。真逆今も、その小屋に一緒に住んでいるわけでは無いのでしょう?」
これはただの、好奇心だ。
何も知らない小さな子供が、どうして、何で?と、親に質問をするのと同じ。
純粋にただ、知りたいだけ。
少年のいつもと変わらぬ深い紫色をした瞳を見、草雲は何故かそう思った。
霜雪の問いに、若い村長はゆるゆると首を振って答える。
「彼女がどうなったのか、私は知りません。父が亡くなった後、沙雪を連れてこの村を出て行ったのですが」
少し経ち、何故か沙雪だけが元居た家に戻って来たのだと言う。
「沙雪は……あの子は、何も覚えていなかった。この村の事も――父の事も」
「ふむ……。それでは、もう一つ」
何故、貴方は沙雪がご自分の妹だと、知っているのです?
「そ、霜雪さん! そ、そんな事は……ッ」
――別に、どうだって良い事じゃあありませんか。
そう続けるつもりだった。これ以上、この少年の好奇心を満たす為だけに珪宋を追い詰めるような真似はしたくなかったのだ。
だが、草雲のその言葉は、他でも無い珪宋自身の台詞によって遮られてしまう。
「守り刀が」
「守り刀?」
「沙雪は、うちの家紋のついた守り刀を持っているのです」
見るつもりは、無かったのだ。
それはきっと、偶然という名の悪戯だったのだろう。
「父が与えなければ持っているはずがありません。ただの村人の娘であるなら」
何故、そこまでするのです?