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 王は、勇者を元の世界へ帰すことに反対していたが、必死に説得してようやく首を縦に振ってもらった。命をかけて世界を守った勇者から、我々が勇者自身の世界を奪って良いものかと訴え貴族達にも承諾を得たはずだった。彼女の帰還を妨げる者は最早居ないと、警備を緩くしたのが先週のこと。妨害など今まで一切なかったと言うのに。勇者が戻るこの日に限って、何故!


 あまりの事に茫然とし過ぎて、私は真綿で締め上げるような、緩やかな苦しみに気付かなかった。ばたん、と盛大に扉が開けられる。ノックもなしに入ってきた人物にメイド達は反射的に警戒し、次の瞬間には顔色を変えた。

 衝撃から抜け出せないままに顔を上げると、そこに居たのは紛れもなく勇者様だった。


 外装は薄汚れ、頬には泥がついている。到着したその足でこの部屋までやってきたのだろう。私と目があった瞬間、勢いよく感情の奔流が襲いかかってきた。

 一度大雨が降った後の状況確認のために向かった村で見た、穏やかな川のなれの果て。全てを押し流さんとばかりに満ちた黒い水が、木々を飲みこみながら広がっていく、その中に自分が放り出されたような。


 出発前まで、勇者様は私を心から信頼してくれていた。私も其れに答えようと努力した。それなのに、どうしたことか彼女の目は私に全く正反対の感情を伝えてくる。

強い憤りと、それすら飲み込む程の不安。

濁流の中で浮き沈みしながら、流れてくる巨木に打ちつけられるような息苦しさと痛みが体を襲う。どうして勇者様が私をそんな目で見る?一つの可能性に至り全身から血の気が引いた。


――まさか、勇者様は陣の崩壊を既に御承知で?


 勇者様は、自分が生まれ育った世界へ戻りたいという当然でささやかな願いのために私達の世界を守って下さった。命を懸けて戦い魔王を滅ぼすという快挙を成し遂げ、やっとの思いでここまでの道のりをお戻りになった。

 それなのに勇者様の世界への扉が永遠に閉ざされてしまった!私の配慮が足りなかったばかりに!


 何も言えず、立ち尽くす私の前で勇者様は俯いた。その瞬間、どっと体中に重しを乗せられたような感覚に襲われる。

勇者様は何も言葉を発することはなく、身を翻し部屋を出て行く。靴から剥がれおちた泥だけが、彼女の来訪を示すように残された。罵られることも殴られることもなく、無言のままに。メイド達は勇者がそれ程怒ってはいないのだろうと慰めたが、心が繋がっている私には解っていた。


 声すら出せない程に、彼女は怒り狂っていたのだ。その事実を彼女自身が目の前で証明してくれた。

 望みの物を言えと王が促す。当然元の世界への帰還を願うものだと皆が思っていた。彼女は口元を弧にし、王座を見上げる。漆黒の宝石にすら見間違う、美しい瞳はただ漆黒が広がるばかりで最早輝きなど感じられなかった。


 全身を茨で締めあげられるような痛みで呼吸も出来ず、意識すら朦朧とする。これは彼女の憎しみだ。彼女が誰かを怨む時の痛みよりも数段力が増している。彼女が、心から私を怨んでいた。単純な好き嫌いという感情を超えてしまう程に強く、強く私が苦しむことを願っている。

 体面すら保てず、その場で崩れ落ちそうになる私を騎士が支えた。理由が解らずとも私が苦しむ原因が勇者だと感づいたのだろう、側控えの者達が一斉に勇者を睨む。

 止めて頂戴、私が全て悪いのだから。勇者様にそのような目を向けては……


「旅に一緒に来てくれた、王女様付きの騎士様をあたしにください」


 勇者様の一声で、思考が停止する。あの方を?弱弱しく顔を上げ、勇者を見上げる。彼女は笑っていた。弱者を踏み潰す強者のような顔で、残忍に。あんな風に笑う娘では無かった。照れたように笑う優しい、純粋な娘だった――あの笑顔すら、私が奪ってしまったのか。

止めを刺すがごとく与えられた痛みに、私はとうとう意識を失った。


 そして、勇者はあの方の妻となった。

勇者様は王宮から出ることなく、敷地内の離宮で生活を始めた。これは王家からの願いではなく彼女のたっての希望だ。彼女の本意は、言わずとも解る。彼女の住む離宮は、私の住む区画から庭を挟んで向かいに立っていたのだから。


 彼女は私があの方を想っていたことを御承知で、故にあの方を望んだ。


 時に見せつけるように庭を歩き、連れ立って面会に現れたこともあった。まだ私の近衛であるはずなのに彼女の勝手な理由で勤務を放棄させたり、勤務から外させたりという暴挙まで起こす。最初は同情していた近衛やメイド達も、彼女の行動にすっかり批判的になり、私を庇って彼女へ敵対するようになってしまった。


 勇者が今日も面会に来て、帰っていく。彼女が歩き去る背中を見送ったのち、メイドが私の顔を見て目を見開いた。ぽたりとドレスにしみができて、初めて自分が涙をこぼしているのだと気付く。素早く布を手渡され、顔を上げればメイドは揃って向こうに敵が居るとばかりにドアを睨みつけていた。


 私が今泣いているのは彼女の所為ではない。確かに彼が他の女性を連れ立っている所を見て平静ではいられないが。

 僅かな動揺を殺す私を蔑み笑った勇者様が、心の奥で泣いていることに気付いてしまったからだ。私を傷つけたい、苦しめたいという感情が同時にあの心優しい勇者様を傷つけている。私など、心から憎まれても仕方がないというのに。


 あの優しい娘を、これ以上苦しませたくはなかった。だから多少私が傷つく姿を見せる程度のことはさせてやりたかったのだ。だから何も言わずに、傷の痛みを紅茶と共に喉奥へ流し込んだ。


 それが間違いの一つだったと、後々気付かされることとなる。何故あの時私は彼女と向き合うことを避けたのか。悪いと思っていたのなら、地に頭をつけて謝罪をすべきだったのだ。ただ娘の言動を拒まないことしかしなかった私は、次期王家としての自分の立場をすっかり見失っていた。



 ある時は夜会の一興として、ある時はお茶会の話題として貴族達の間にある噂が密やかに広がる。姫様を怨んだ勇者が王女の密やかに好意を抱いていた相手を悟り、恨みを晴らす一念で奪い取ったのだと。


 聖国で力ある貴族達程、王女の尽力を知っていた。彼女が何度も頭を下げ、勇者の帰還を目指して皆をまとめ上げたことに評価もされている。確かに彼女は不幸だったと言えるが、魔法陣の崩壊は姫の手による物では決してない。勇気ある何人かの者が勇者様へ直訴したそうだが、彼女は一貫して貴族達の言葉を信用しなかった。

 何故そこまで、王女を怨むのか。彼女の力あってこその勇者ではないのか。誰よりも勇者を尊び、敬愛し守ろうとした王女に対するその仕打ちは、決して許されるものではない。

 勇者を排そうとする貴族が現れるのも、時間の問題であった。


 その裏で広がる噂がもう一つあった。これは貧しい街を中心に、次第に範囲を広げ都市部にまで伝わる。伝達したのは、主に旅人や商売人達だ。彼らは人の集まる酒場や、広場で盛大に話をしそれぞれに怒りをぶちまけあった。


 勇者は魔王を倒すため、直接的に魔王城へ向かうのではない。各都市を回り襲い来る魔獣達をその腕で蹴散らしてきた。普段は大きな図体で威張り散らす兵達が蜘蛛の子のごとく逃げても、彼女だけは逃げずに闘い民を守ってみせた。

 感謝すべきは国でも召喚した王女様でもなく、目の前で闘った勇者だ。


 その勇者様が王女に騙され戦わされていたのだという噂。

 彼女は他人を傷つけることを厭う、心優しい娘だったが神の国から無理やりに連れ出されこの国へやってきた。何度願っても神の国へ帰されず、魔王さえ倒せば国へ帰してやるという王女の願いに渋々頷き戦いに身を投じたそうだ。ところが魔王を倒したところで、国へ帰る方法など最初からないと知らされたらしい。旅の途中で勇者に心を奪われた王子が、良心の呵責に耐えきれなかったのだという話。


 そして今彼女は王都で貴族達に疎まれ酷い目に合わされている、と。


 元々あった国への不満が勇者を苦しめる国への怒りと合わされ、増長する。王女も勇者も知らない所で、聖国崩壊への火種がくすぶり始めていた。


読んで下さりありがとうございました!

6話で終わりそうもありません……orz

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