お姉様、名誉と賞賛は全部差し上げます。私は自分の道を行くから
クエイタ伯爵家の長女、レブリアは「完璧な令嬢」と呼ばれていた。
家政を取り仕切り、帳簿を確認し、使用人への指示を出す。茶会の日程を組み、招待状を書き、季節の贈答品を選ぶ。
学園では生徒会役員として行事を取り仕切り、予算を組み、決算書類まで仕上げる。
「レブリアなら任せて安心ね」
「本当にしっかりした子だ」
「クエイタ家の長女はなんでも出来て、優秀だな」
両親も教師も、そう言って彼女を褒めた。
もちろんレブリアは成績も優秀。
赤みがかった金髪に、水色の瞳は涼やかで、ほっそりとした物腰は貴族令嬢の見本のようだ。
対して三歳下の妹、フェシリスは、姉とは正反対だった。
凡庸な薄茶色の髪に、丸い褐色の瞳。貴族子女というよりは、下町が似合っている風貌だ。
のんびり、おっとりと言えば聞こえが良いが、俊敏さや明晰さには少々(大分)欠けている。
「まあ、かわいい」
フェシリスは窓辺で小さな動物を眺めたり、余紙に花や鳥を描いたりしている。
家事を頼めば手順を一つ飛ばす。社交の席ではぼんやりしていて、貴族の子女の名を間違える。学園の成績も悪くはないが、姉ほど良くはない。
「フェシリスは、もう少しお姉様を見習いなさい」
「そうよ。レブリアにばかり負担をかけては駄目でしょう」
両親のみならず、叔母や姉の友人からも叱られるたび、フェシリスは少しだけ笑う。
「はあい、気をつけます」
別に、フェシリスは気にしてはいなかった。
姉が自分を「気が利かない、何もできない可哀想な妹」と陰で評していることを。それでも、姉は姉、自分は自分。
なんでも出来る姉は凄いけれど、皆が皆、姉のように出来るわけではないから。
それに、姉のレブリアが望んでいないのだ。
フェシリスがテキパキと、姉のように振舞うことなど。
そして、妹であるフェシリスが、賞賛や評価を浴びることを。
◇
例えばこんなことがあった。
フェシリスは珍しく姉の部屋を覗いた。姉がピリピリとした気配をまとって、走り回っているのが気になったからだ。
レブリアの机の上には、小山のように盛り上がった書類。
茶会の予定表、学園行事の資料、領地から届いた帳簿、贈答品の一覧。
どこから手を付けて良いものか、まったく分からない。以前、手伝おうとして紙の山に手を出したら、その手を姉にぴしゃりと叩かれた。
とりあえず、姉に尋ねてみた。
「お姉様。私に何かできること、ない?」
レブリアは顔を上げた。
疲れていたのだろう。
いつもより鋭い目で妹を見た。
「聞く前に自分から動けない人には、何も頼みたくないわ」
「……そう」
フェシリスは、それ以上何も訊かなかった。姉は無言で書類を片付けていく。
鬼気迫る、そんな雰囲気だった。
結局その日の夜、レブリアは高熱を出して倒れた。
医師は過労だと診断した。
「頑張り屋さんですね、レブリア嬢」
医師の言葉に両親は頷く。
「ええ、自慢の娘です。でも、頑張りすぎて困ってしまいますよ」
フェシリスは寝台の横に座り、眠る姉を眺めた。
――お姉様は、頑張るのが好きなのだ。きっと。
自分の力だけを使い、誰にもできないことを成し遂げる自分が好き。
だから、無理をする。
自分の能力も体力も限界まで使って、それでも仕事を終わらせる。
ならば、自分が仕事を分けてもらおうとするのは、余計なお世話なのだろう。
フェシリスはそう結論づけた。
それ以降、姉に「何か手伝おうか」と声をかけることなどは、全くなくなった。
「まったく、少しはお姉様を手伝いなさい」
母の言葉は、聞き流すことにした。
◇
ところが、それが気に入らない人物がいた。
レブリアの婚約者、アウグストである。
「君は妹だろう! どうしてレブリアを助けないんだ!」
ある日、邸の庭園で突然怒鳴られた。
「お姉様が助けを求めたことはないけれど……」
「求められなくても助けるのが家族だろう!」
「……それなら、アウグスト様が助けてあげたら? じきにお姉様のお婿さんになって、家族になるのでしょう?」
「なっ……!」
アウグストは顔を赤くした。
「と、とにかく君がしっかりしていないから、レブリアが大変な思いをするのだ!」
あたふたと立ち去るアウグストを、フェシリスは、静かに見送った。
不思議だった。
どうして、自分が姉の仕事量まで責任を負わなければならないのだろう。
姉が自分で抱え込んでいるのに。
手伝いが必要なら、せめて指示を出せば良いのに。
両親も同じ科白を繰り返す。
「レブリアを少しは見習って、もっとお手伝いなさい」
「だからあなたには、いつまで経っても良い釣り書きが来ないのよ」
「レブリアのようにしっかりしていれば、誰だってあなたを妻として欲しがるのに」
その言葉を聞いて、フェシリスは、理解した。
自分に釣り書きや婚約の打診が来ないのは、自分の地味な外見のせいや、基礎能力がないからだけではない。
確かに姉ほどの華やかな外見はない。貴族子女としての能力が、全て足りているとは言わないけれど。
レブリアが両親や婚約者だけでなく、周囲にそう思わせていた。なんとなく、そうではないかと思ってもいた。
『妹は何もできない』
『私ばかりが妹の面倒を見ている』
『フェシリスは気が利かないから、社交を任せるのは無理』
そうした言葉を、姉は何度も口にしていたようだ。
信頼度の高い人が繰り返す言葉は、精査されることなく、いつしか真実の衣をまとう。
フェシリスは怒らなかった。
悲しくもなかった。当然うれしくもなかったが。
貴族の嫡子以外は、どこかに嫁ぐ必要がある。だが、このままでは、かなり年上の後妻くらいしか、フェシリスに縁談は来ないだろう。
よって随分前から決めていたのである。自分の生き方は、自分で決めたい。
両親や姉からの干渉が、限りなくない場所で。
――ここを出よう。一日でも早く。
◇
機会は、思いのほか早く訪れた。
「フェシリス。隣国へ来ないか?」
そう声をかけてきたのは、かつての絵画教師、プライセル・マートンだった。
この国の貴族の子女は、十二歳で学園に入る前、芸術や歴史の家庭教師をつけられることがある。
クエイタ伯爵家も、二人の姉妹のため、いや、どちらかというと長女レブリアのために、絵画と詩作の教師を雇っていた。
プライセルはその一人だった。子爵の三男に生まれた彼は、芸術大国と言われている隣国へ渡るための費用を稼ぐために、絵の指導を請け負っていた。
その後、無事に隣国へ渡り、今や彼は、かの国の宮廷画家である。
「宮廷で助手を探している。君の絵を覚えているよ。君には才能がある」
「私に、才能が?」
「ああ。断言する」
フェシリスは目を丸くした。
幼い頃から絵を描くのが好きだった。
けれど、家族から褒められたことはない。
レブリアのほうが、何でも上手だったからだ。
レブリアは精密かつ写実的に、風景や人物を描いていた。
フェシリスも同じように描いたら「私の真似をしないで」と、レブリアに怒鳴られ、絵を破かれたことがあった。
――真似したわけじゃ、ないのに……。
それからのフェシリスは、なるべく姉が描かないようなモチーフを選び、描き方も変えていった。
レブリアが花壇のアスターを精密に描く。両親は惜しみなく、高価な画材と白い布のキャンバスを与えている。
一方フェシリスは、物置小屋から廃材を集め、キャンバス代わりにする。プライセルに作り方を訊いて、厨房で余った油を少しずつ貰い、色のついた石を細かく砕いてそれに混ぜ、絵具を作り出した。お手製のキャンバスから、はみ出るように描かれたひまわりは、写実的ではないものの、勢いのあるものとなる。
もっとも大人たちの評価は、レブリアのお手本通りの絵の方がいつでも高かった。
だが。
プライセルだけは、何の偏見も持たずに絵を評価した。
『お姉さんより、あなたのほうが絵の才能はある』
彼はフェシリスの描いたひまわりに、慈愛のこもった瞳を向ける。
『これは、ひまわりが生きているね』
その直後、彼は家庭教師を解雇された。
プライセルの都合とフェシリスは聞かされたが、本当の理由は違ったのだろう。
そして今。
久しぶりに里帰りしたプライセルが、フェシリスを呼び出した。
「隣国の留学生試験を受けてみないか。合格すれば、学費は無料だし、生活に必要な給付も貰える」
「……受けます」
迷いはなかった。難易度の高い試験であると聞いたが、越えるための地道な努力は嫌いではなかった。
経済的な負担はかけないとフェシリスは説明したが、両親は反対した。というか、彼女が合格出来ると思っていなかった。
一年後。フェシリスは試験に合格した。
半年の準備を経た十七歳の春に、フェシリスはクエイタ伯爵家を出た。
「絵描きなんて、何の役に立つのかしら」
レブリアは笑った。
「すぐに泣いて帰ってくるわ」
両親も笑った。
「そうだな。お前が隣国で何ができるというんだ」
フェシリスは、何も答えずに頭を下げた。
「行ってきます」
ここにはもう、戻りません、という言葉は飲み込んだ。
◇
隣国での生活は、忙しかった。
学生をしながら、プライセルの指示を仰ぎ、材料の補填や発注に走る。
絵画の基礎知識を覚えながら、孤児院に赴き、子どもたちと一緒に絵を描く。
毎日が圧倒されるほど早く過ぎていく。
だが、不思議と、苦しくはなかった。
「フェシリス、この背景を任せてもいいか?」
「はい!」
「君の色使いは面白い。宮廷の壁画にも使ってみよう」
「本当ですか?」
絵を描けば褒められる。
動物を観察すれば、それが絵の題材になる。
小さな植物の形を覚えていれば、それが装飾画の役に立つ。
画材が足りなくなると、手元の材料から作り出す。
フェシリスが「役に立たない」と言われていたものが、ここではすべて才能になった。
留学生の肩書が取れる頃。
彼女の絵は宮廷で評判になった。
特に、王太子の婚礼のために描いた一枚の絵が大きな話題を呼んだ。
春の庭。
花の陰から顔を出す小さな白兎。
その奥には、柔らかな光の中で微笑む少女。
派手ではない。
けれど、見る者の心を温かくする絵だった。
「この絵を描いたのは誰だ?」
そう尋ねたのは、留学先の第三王子、エドワルドだった。
「フェシリス・クエイタです」
プライセルは答えた。
「……クエイタ?」
エドワルドは驚いた。
「隣国の伯爵令嬢か」
「はい」
「会ってみたい」
こうしてフェシリスは、エドワルドの前へ呼ばれることになった。
「君は、何が好きなんだ?」
「絵と、小さな動物です」
「それだけ?」
「はい。それがあれば幸せです」
フェシリスがにこりと笑うと、エドワルドも笑った。
「いいな。私は君の絵が好きだ。……そういうところも、好きだ」
それが恋の始まりだった。
◇
一方、クエイタ伯爵家では、隣国から届いた噂に皆が狼狽した。
「フェシリスが隣国で宮廷画家の助手をしている?」
「王太子殿下の婚礼画を描いたですって?」
両親は耳を疑った。
そしてレブリアは、さらに信じられない報告を聞くことになった。
「フェシリス嬢は、第三王子殿下のお気に入りだそうです」
「……嘘よ」
レブリアは首を振った。
「フェシリスが? あの子は何もできない子なの」
しかし、その言葉に同意する者は、少なくなっていた。
「ですが、隣国では大変な評判です」
「我が国の絵画展へ、出品の依頼を出したそうです」
レブリアは唇を噛んだ。
「でも……私のほうが、ずっと……」
学園の成績。
生徒会での実績。
社交界での評価。
勿論絵画の評価でも!
家のためにどれだけ働いたか。妹は何一つ、手伝いすら出来なかったではないか!
なのに。それなのに、なぜ!
私はずっと頑張ってきたのだ!
長い間、一人で!
「レブリア」
婚約者のアウグストが言った。
「フェシリス嬢のことを悪く言うのは、もうやめたほうがいい」
「どうして?」
「君は以前から、妹君が何もしない、君ばかりが苦労していると言っていた」
「だって、本当でしょう!」
「違う」
アウグストは静かに首を振った。
「俺たちは、君が妹を助けてやっていると思っていた」
「……」
「だが、今になって考えると違った。君は妹が何もできないと、思いたかっただけなのではないか?」
レブリアの顔が強張った。
「私が、妹を……?」
「そうだ」
そして彼は続けた。
「君は頑張りすぎる。だが、それは君の妹の、フェシリスの責任ではない」
『フェシリスの責任ではない』
かつてフェシリスが、聞きたかった言葉であった。
誰でもいい。一度で良いから、言ってほしかったのだ。
けれどもう、フェシリスの耳に届くことはない。
◇
さらに数年後。
隣国の王宮には、一枚の大きな絵が飾られていた。
柔らかな陽射しの庭。
色とりどりの花。
その中央で、白い小動物を抱き上げて笑う一人の女性。
画家の名は、フェシリス・マートン。
フェシリスは隣国でプライセルの養女となり、第三王子に嫁いだ。
王子妃となった彼女は、今も暇を見つけては絵を描いている。
「フェシリス、また小動物を描いているのか?」
「はい。かわいいでしょう?」
「ああ。ウサギがキャンバスから、飛び出して来そうだね」
エドワルドが微笑む。
フェシリスは幸せだ。
――フェシリスは、何もできない。
そう言われていた。
けれど、それは正確ではない。
自分が好きなものを、好きだと言えること。そのための努力を惜しまないこと。
誰かと比べなくても、自分の人生を歩いていける。
それだけで、人はちゃんと幸せになれる。
そしてフェシリスの生家では、レブリアが今日も机に向かっていた。
「この仕事も私がやらなければ。誰にも任せられないもの」
もっとも、誰も以前のように「レブリアなら任せて安心」とは言わなくなっていた。
彼女が何でも背負い込むことが、仕事を遂行する上での最適解ではないからだ。
そんな妻に、アウグストはため息をつく。
元々政略での婚姻。互いの家の利益のために、今日も彼はレブリアを慰める。
レブリアは、ようやく知った。いや、以前から、内心では分かっていたことだ。
自分が「何でもできる人」であり続けるために、妹を「何もできない人」にしていたことを。
謝罪はしない。出来はしない。
ただ、フェシリスの幸福な生活の噂が届くたびに、胸がチリチリするだけである。
了
お読みくださいまして、ありがとうございました!!
評価、ブクマ、ありがとうございます!!
感想は、ありがたくすべて読ませていただいてます。




