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お姉様、名誉と賞賛は全部差し上げます。私は自分の道を行くから

掲載日:2026/08/21

 クエイタ伯爵家の長女、レブリアは「完璧な令嬢」と呼ばれていた。

 家政を取り仕切り、帳簿を確認し、使用人への指示を出す。茶会の日程を組み、招待状を書き、季節の贈答品を選ぶ。

 学園では生徒会役員として行事を取り仕切り、予算を組み、決算書類まで仕上げる。


「レブリアなら任せて安心ね」

「本当にしっかりした子だ」

「クエイタ家の長女はなんでも出来て、優秀だな」


 両親も教師も、そう言って彼女を褒めた。

 もちろんレブリアは成績も優秀。

 赤みがかった金髪に、水色の瞳は涼やかで、ほっそりとした物腰は貴族令嬢の見本のようだ。


 対して三歳下の妹、フェシリスは、姉とは正反対だった。

 凡庸な薄茶色の髪に、丸い褐色の瞳。貴族子女というよりは、下町が似合っている風貌だ。

 のんびり、おっとりと言えば聞こえが良いが、俊敏さや明晰さには少々(大分)欠けている。


「まあ、かわいい」

 フェシリスは窓辺で小さな動物を眺めたり、余紙に花や鳥を描いたりしている。

 家事を頼めば手順を一つ飛ばす。社交の席ではぼんやりしていて、貴族の子女の名を間違える。学園の成績も悪くはないが、姉ほど良くはない。


「フェシリスは、もう少しお姉様を見習いなさい」

「そうよ。レブリアにばかり負担をかけては駄目でしょう」


 両親のみならず、叔母や姉の友人からも叱られるたび、フェシリスは少しだけ笑う。

「はあい、気をつけます」


 別に、フェシリスは気にしてはいなかった。

 姉が自分を「気が利かない、何もできない可哀想な妹」と陰で評していることを。それでも、姉は姉、自分は自分。

 なんでも出来る姉は凄いけれど、皆が皆、姉のように出来るわけではないから。

 それに、姉のレブリアが望んでいないのだ。

 フェシリスがテキパキと、姉のように振舞うことなど。

 そして、妹であるフェシリスが、賞賛や評価を浴びることを。


 ◇

 例えばこんなことがあった。

 フェシリスは珍しく姉の部屋を覗いた。姉がピリピリとした気配をまとって、走り回っているのが気になったからだ。

 レブリアの机の上には、小山のように盛り上がった書類。

 茶会の予定表、学園行事の資料、領地から届いた帳簿、贈答品の一覧。

 どこから手を付けて良いものか、まったく分からない。以前、手伝おうとして紙の山に手を出したら、その手を姉にぴしゃりと叩かれた。

 とりあえず、姉に尋ねてみた。


「お姉様。私に何かできること、ない?」


 レブリアは顔を上げた。

 疲れていたのだろう。

 いつもより鋭い目で妹を見た。


「聞く前に自分から動けない人には、何も頼みたくないわ」

「……そう」


 フェシリスは、それ以上何も訊かなかった。姉は無言で書類を片付けていく。

 鬼気迫る、そんな雰囲気だった。


 結局その日の夜、レブリアは高熱を出して倒れた。

 医師は過労だと診断した。


「頑張り屋さんですね、レブリア嬢」

 医師の言葉に両親は頷く。

「ええ、自慢の娘です。でも、頑張りすぎて困ってしまいますよ」


 フェシリスは寝台の横に座り、眠る姉を眺めた。

 ――お姉様は、頑張るのが好きなのだ。きっと。


 自分の力だけを使い、誰にもできないことを成し遂げる自分が好き。

 だから、無理をする。

 自分の能力も体力も限界まで使って、それでも仕事を終わらせる。

 ならば、自分が仕事を分けてもらおうとするのは、余計なお世話なのだろう。

 フェシリスはそう結論づけた。


 それ以降、姉に「何か手伝おうか」と声をかけることなどは、全くなくなった。


「まったく、少しはお姉様を手伝いなさい」

 母の言葉は、聞き流すことにした。


 ◇

 ところが、それが気に入らない人物がいた。

 レブリアの婚約者、アウグストである。


「君は妹だろう! どうしてレブリアを助けないんだ!」

 ある日、邸の庭園で突然怒鳴られた。


「お姉様が助けを求めたことはないけれど……」

「求められなくても助けるのが家族だろう!」

「……それなら、アウグスト様が助けてあげたら? じきにお姉様のお婿さんになって、家族になるのでしょう?」

「なっ……!」

 アウグストは顔を赤くした。


「と、とにかく君がしっかりしていないから、レブリアが大変な思いをするのだ!」

 あたふたと立ち去るアウグストを、フェシリスは、静かに見送った。


 不思議だった。

 どうして、自分が姉の仕事量まで責任を負わなければならないのだろう。

 姉が自分で抱え込んでいるのに。

 手伝いが必要なら、せめて指示を出せば良いのに。


 両親も同じ科白を繰り返す。


「レブリアを少しは見習って、もっとお手伝いなさい」

「だからあなたには、いつまで経っても良い釣り書きが来ないのよ」

「レブリアのようにしっかりしていれば、誰だってあなたを妻として欲しがるのに」


 その言葉を聞いて、フェシリスは、理解した。

 自分に釣り書きや婚約の打診が来ないのは、自分の地味な外見のせいや、基礎能力がないからだけではない。

 確かに姉ほどの華やかな外見はない。貴族子女としての能力が、全て足りているとは言わないけれど。

 レブリアが両親や婚約者だけでなく、周囲にそう思わせていた。なんとなく、そうではないかと思ってもいた。


『妹は何もできない』

『私ばかりが妹の面倒を見ている』

『フェシリスは気が利かないから、社交を任せるのは無理』


 そうした言葉を、姉は何度も口にしていたようだ。

 信頼度の高い人が繰り返す言葉は、精査されることなく、いつしか真実の衣をまとう。


 フェシリスは怒らなかった。

 悲しくもなかった。当然うれしくもなかったが。

 貴族の嫡子以外は、どこかに嫁ぐ必要がある。だが、このままでは、かなり年上の後妻くらいしか、フェシリスに縁談は来ないだろう。

  

 よって随分前から決めていたのである。自分の生き方は、自分で決めたい。

 両親や姉からの干渉が、限りなくない場所で。


 ――ここを出よう。一日でも早く。


 ◇


 機会は、思いのほか早く訪れた。


「フェシリス。隣国へ来ないか?」


 そう声をかけてきたのは、かつての絵画教師、プライセル・マートンだった。

 この国の貴族の子女は、十二歳で学園に入る前、芸術や歴史の家庭教師をつけられることがある。

 クエイタ伯爵家も、二人の姉妹のため、いや、どちらかというと長女レブリアのために、絵画と詩作の教師を雇っていた。


 プライセルはその一人だった。子爵の三男に生まれた彼は、芸術大国と言われている隣国へ渡るための費用を稼ぐために、絵の指導を請け負っていた。

 その後、無事に隣国へ渡り、今や彼は、かの国の宮廷画家である。


「宮廷で助手を探している。君の絵を覚えているよ。君には才能がある」

「私に、才能が?」

「ああ。断言する」


 フェシリスは目を丸くした。

 幼い頃から絵を描くのが好きだった。

 けれど、家族から褒められたことはない。

 レブリアのほうが、何でも上手だったからだ。


 レブリアは精密かつ写実的に、風景や人物を描いていた。

 フェシリスも同じように描いたら「私の真似をしないで」と、レブリアに怒鳴られ、絵を破かれたことがあった。


 ――真似したわけじゃ、ないのに……。


 それからのフェシリスは、なるべく姉が描かないようなモチーフを選び、描き方も変えていった。

 レブリアが花壇のアスターを精密に描く。両親は惜しみなく、高価な画材と白い布のキャンバスを与えている。

 一方フェシリスは、物置小屋から廃材を集め、キャンバス代わりにする。プライセルに作り方を訊いて、厨房で余った油を少しずつ貰い、色のついた石を細かく砕いてそれに混ぜ、絵具を作り出した。お手製のキャンバスから、はみ出るように描かれたひまわりは、写実的ではないものの、勢いのあるものとなる。

 もっとも大人たちの評価は、レブリアのお手本通りの絵の方がいつでも高かった。

 だが。

 プライセルだけは、何の偏見も持たずに絵を評価した。


『お姉さんより、あなたのほうが絵の才能はある』


 彼はフェシリスの描いたひまわりに、慈愛のこもった瞳を向ける。


『これは、ひまわりが生きているね』


 その直後、彼は家庭教師を解雇された。

 プライセルの都合とフェシリスは聞かされたが、本当の理由は違ったのだろう。


 そして今。

 久しぶりに里帰りしたプライセルが、フェシリスを呼び出した。


「隣国の留学生試験を受けてみないか。合格すれば、学費は無料だし、生活に必要な給付も貰える」

「……受けます」


 迷いはなかった。難易度の高い試験であると聞いたが、越えるための地道な努力は嫌いではなかった。

 経済的な負担はかけないとフェシリスは説明したが、両親は反対した。というか、彼女が合格出来ると思っていなかった。

 

 一年後。フェシリスは試験に合格した。

 半年の準備を経た十七歳の春に、フェシリスはクエイタ伯爵家を出た。


「絵描きなんて、何の役に立つのかしら」

 レブリアは笑った。

「すぐに泣いて帰ってくるわ」


 両親も笑った。

「そうだな。お前が隣国で何ができるというんだ」


 フェシリスは、何も答えずに頭を下げた。

「行ってきます」

 ここにはもう、戻りません、という言葉は飲み込んだ。


 ◇

 隣国での生活は、忙しかった。

 学生をしながら、プライセルの指示を仰ぎ、材料の補填や発注に走る。

 絵画の基礎知識を覚えながら、孤児院に赴き、子どもたちと一緒に絵を描く。

 毎日が圧倒されるほど早く過ぎていく。

 だが、不思議と、苦しくはなかった。


「フェシリス、この背景を任せてもいいか?」

「はい!」

「君の色使いは面白い。宮廷の壁画にも使ってみよう」

「本当ですか?」


 絵を描けば褒められる。

 動物を観察すれば、それが絵の題材になる。

 小さな植物の形を覚えていれば、それが装飾画の役に立つ。

 画材が足りなくなると、手元の材料から作り出す。


 フェシリスが「役に立たない」と言われていたものが、ここではすべて才能になった。


 留学生の肩書が取れる頃。 

 彼女の絵は宮廷で評判になった。

 特に、王太子の婚礼のために描いた一枚の絵が大きな話題を呼んだ。


 春の庭。

 花の陰から顔を出す小さな白兎。

 その奥には、柔らかな光の中で微笑む少女。

 派手ではない。

 けれど、見る者の心を温かくする絵だった。


「この絵を描いたのは誰だ?」

 そう尋ねたのは、留学先の第三王子、エドワルドだった。


「フェシリス・クエイタです」

 プライセルは答えた。


「……クエイタ?」

 エドワルドは驚いた。


「隣国の伯爵令嬢か」

「はい」

「会ってみたい」

 こうしてフェシリスは、エドワルドの前へ呼ばれることになった。


「君は、何が好きなんだ?」

「絵と、小さな動物です」

「それだけ?」

「はい。それがあれば幸せです」


 フェシリスがにこりと笑うと、エドワルドも笑った。


「いいな。私は君の絵が好きだ。……そういうところも、好きだ」

 それが恋の始まりだった。


 ◇

 一方、クエイタ伯爵家では、隣国から届いた噂に皆が狼狽した。


「フェシリスが隣国で宮廷画家の助手をしている?」

「王太子殿下の婚礼画を描いたですって?」


 両親は耳を疑った。

 そしてレブリアは、さらに信じられない報告を聞くことになった。


「フェシリス嬢は、第三王子殿下のお気に入りだそうです」

「……嘘よ」


 レブリアは首を振った。

「フェシリスが? あの子は何もできない子なの」

 しかし、その言葉に同意する者は、少なくなっていた。


「ですが、隣国では大変な評判です」

「我が国の絵画展へ、出品の依頼を出したそうです」


 レブリアは唇を噛んだ。

「でも……私のほうが、ずっと……」


 学園の成績。

 生徒会での実績。

 社交界での評価。

 勿論絵画の評価でも!

 家のためにどれだけ働いたか。妹は何一つ、手伝いすら出来なかったではないか!

 

 なのに。それなのに、なぜ!

 私はずっと頑張ってきたのだ!

 長い間、一人で!


「レブリア」

 婚約者のアウグストが言った。


「フェシリス嬢のことを悪く言うのは、もうやめたほうがいい」

「どうして?」

「君は以前から、妹君が何もしない、君ばかりが苦労していると言っていた」

「だって、本当でしょう!」

「違う」


 アウグストは静かに首を振った。


「俺たちは、君が妹を助けてやっていると思っていた」

「……」

「だが、今になって考えると違った。君は妹が何もできないと、思いたかっただけなのではないか?」


 レブリアの顔が強張った。


「私が、妹を……?」

「そうだ」


 そして彼は続けた。

「君は頑張りすぎる。だが、それは君の妹の、フェシリスの責任ではない」


『フェシリスの責任ではない』


 かつてフェシリスが、聞きたかった言葉であった。

 誰でもいい。一度で良いから、言ってほしかったのだ。

 けれどもう、フェシリスの耳に届くことはない。


 ◇

 さらに数年後。


 隣国の王宮には、一枚の大きな絵が飾られていた。


 柔らかな陽射しの庭。

 色とりどりの花。

 その中央で、白い小動物を抱き上げて笑う一人の女性。

 

 画家の名は、フェシリス・マートン。

 フェシリスは隣国でプライセルの養女となり、第三王子に嫁いだ。


 王子妃となった彼女は、今も暇を見つけては絵を描いている。


「フェシリス、また小動物を描いているのか?」

「はい。かわいいでしょう?」

「ああ。ウサギがキャンバスから、飛び出して来そうだね」


 エドワルドが微笑む。

 フェシリスは幸せだ。


 ――フェシリスは、何もできない。

 そう言われていた。

 けれど、それは正確ではない。

 自分が好きなものを、好きだと言えること。そのための努力を惜しまないこと。

 

 誰かと比べなくても、自分の人生を歩いていける。

 それだけで、人はちゃんと幸せになれる。



 そしてフェシリスの生家では、レブリアが今日も机に向かっていた。

「この仕事も私がやらなければ。誰にも任せられないもの」

 

 もっとも、誰も以前のように「レブリアなら任せて安心」とは言わなくなっていた。

 彼女が何でも背負い込むことが、仕事を遂行する上での最適解ではないからだ。

 そんな妻に、アウグストはため息をつく。

 元々政略での婚姻。互いの家の利益のために、今日も彼はレブリアを慰める。


 レブリアは、ようやく知った。いや、以前から、内心では分かっていたことだ。

 自分が「何でもできる人」であり続けるために、妹を「何もできない人」にしていたことを。

 謝罪はしない。出来はしない。


 ただ、フェシリスの幸福な生活の噂が届くたびに、胸がチリチリするだけである。


 了

お読みくださいまして、ありがとうございました!!

評価、ブクマ、ありがとうございます!!

感想は、ありがたくすべて読ませていただいてます。

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― 新着の感想 ―
 このお姉ちゃん過労で死にそうだなあ  他人に仕事割り振れない人は苦労するよ
抱えてしまう人はいる。 自己肯定感が高い人だったかも と、これ読んでいて思った。『自分は出来る 認められたい』みたいな。 どちらかと言うと、私もそのタイプだけど、仕事していない時期に、仕事やらなくちゃ…
姉君は妹君に対して 『出る杭は打たれる(出る杭が優秀とは限らない。でも目障りだから潰す)』 という感じで徹底的に『前に行かない様に妨害している』んですよね…。 姉君→優越意識(エリート意識)の塊。 …
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