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第20話 逃亡と喪失。

 マウリシオ視点。

『花園』の最奥の敷地は、もとから『神の裳裾山脈』の麓の一部を取り込んでいるという。

 だから、『花園』を囲う壁沿いに行くのが、山脈への一番の近道なのは、疑いのない事実だ。


 だが、こんなに広かったのか、この『花園』は。


 幸い、幼少時よりずっと、兵士ほどではないにせよ、多少の鍛錬はしていたから、今のところへばるような無様は晒さず済んでいるが。


「結構距離があるものですねえ」

 これまた、王という立場にある者でありながら、姉を腕に抱いたまま、息を切らしもせず、平然と速足で歩き続けるアルケイデス王が、呑気な感想を述べる。


「実は、ここまで広いとは思っていませんでした。私も奥まで入ったことは全くなかったので。

 ただ、正規の道ではないにしても、地面が比較的平坦なので助かりますね」

「はい、外壁も清掃や点検なども致しますので、壁沿いだけは、年二回程職人が入っているのですよ」


 聖女以外に『花園』に入る事のできる唯一の人間であった『花の騎士』たる私だが、それでも『花園』の奥に入ったことなど、一度もない。


 いつも門から少しばかり入った場所にある前庭で、形式的に茶を供されるだけだったからな。

 だから、『花園』の日常は、門を警備する任に当たっている兵たちの方が詳しい事もある。


 我らがいま、走るのではなく歩いているのも、彼らの意見だ。

 長丁場になるから、走るのは無謀である、と。


「日常に助けられるか」

「平和であったのじゃな。良き国であったのじゃろう」

 異国の王はくすりと笑い、遠き地の神女様は、これまでの我が国を嘉する。


「神女様の御国では、どのように?」

「妾は本来なれば、王宮の奥院から出ることも叶わぬが……今回は、そうしていると我が国も滅ぶとてて様が言うのでな。

 身体が幼き故な、出歩けぬ事自体は案外と苦にはならぬ。父様もはは様もおるしの」


 成程、神女様として選ばれるのは皆幼少であるが故に、母君も伴って宮入りするのか。


「じゃが、普通は母様だけじゃ。妾は特に父様が望んで、敢えて半神として生まれた故、父様と呼ぶを許され、他の神女より近くあるを許されておるがのう」


 そのような話を重ねながら、道とも言えぬ道を行くこと、三時間ばかり。


「まあ、追いついてしまいましたわ!」

 後方から、聞き覚えのある声がする。

 これは確か、陛下の婚約者、グウェンドリン嬢?


 振り向いたその先にいたのは、確かにグウェンドリン・エドレイド公爵令嬢。

 だが、その姿は。


 美しく整えられていた黒髪の巻き毛はざんばらに切られ、ところどころ縺れている。

 その縺れからは、血の匂い。


 着ている物は公爵令嬢にして王の婚約者としての装いではないどころか、城勤めのものとはいえ、一般兵士のそれだ。

 手にするはその身に余る、これも血濡れた長い槍。


 供回りとしてモタードが気に入っていた近衛の兵士が二人、これも誰かを背負い、血にまみれた一般兵の服で付き従っているが……


 そのうちの一人が背に負うのは、既に息をしていないように見える、モタード……王の姿。

 彼も姿は兵士のそれだから、恐らくは、兵の中に紛れて逃げようとしたものか。


「アリシア様は、王宮に残ってしまわれました。王宮詰めの者たちを逃がしつつ、わたくしどもが逃げる時間をも稼ぐ、と。

 ですが、王宮の敷地から出る寸前に、陛下が、わたくしを庇ってしまわれて……」

 わたくしどもが庇わねばならなかったのに、と、ここで初めて涙を零すグウェンドリン嬢。


「弟たちは」

「モーリス様は、ここに。モデレード様は判りません」

 近衛の一人が示すモーリスは、ぎゅっと目を瞑り、震えているけれど、確かに生きている。


 エドレイド家は公爵家、いや、この国の貴族家の中でも特に尚武の気風であることは知っていたが、よもや、まだ成年にも達していないグウェンドリン嬢までも、実戦向けの武技をものしているとは。


 いや、練習をしている、程度の話は聞いていたのだが……


 更に背後から、罵声のようなものが聞こえはじめる。追手であろうか。


「もう少しでございますのに……」

 姉が悔し気な顔を見せる。


「ええ、あと少しです。わたくしが、僅かな時間でありましょうが、あれらを止めましょう。皆さまはお進みください」

 そしてグウェンドリン嬢は、自らが足止めになり死地に残ると宣言した。


 年端も行かぬ少女を、あの暴徒の前に残す?

 命を喪うより惨い事態が待っているだけではないのか!


「わたくしは、陛下を御守りできなかった、失敗者です。故に、最期の花道を下さいませ。

 ああ、生き残る気もございませんが、辱めを受けるつもりなども毛頭ありませぬから、そこはお気に病みませぬよう。


 では参ります。ごきげんよう、皆様!!」


 そして彼女は、我々が何か言う間もなく、兵士の服の姿ですら完璧なカーテシーを行うや否や、素早く身を翻し、小道を駆け戻って行ってしまった。


「行くしかあるまい」

 黙ってやり取りを見ていたアルケイデス王は静かに述べると、道を歩き始める。


「ええ、彼女の意思を無駄にしてはなりませんね」

 感情を押し殺し、そう答えて私も足を進める。


 そう、聖女の生き残りといえる姉と、王家の生き残りであるモーリス。

 私はともかく、この二人は、必ず生き延びて貰わねばならぬのだ。


 そして、聖女ではなくなったという、私の腕の中で眠るグレシア嬢も。

 恐らく、彼女にもまだ、重大な役割が残っている、そう予感が告げている。


 ややあって、予想外の轟音が背後から響き、喧騒が一気に遠ざかった。


 ……いったい、あの方は何をなさったのか。

 だが、音の正体も、それが齎した結果も判らぬまま、我らは足を進めるしかない。



 そのまま、新たな追手は現れることなく。


 馬の鞍に括りつけられたモデレードが、人馬共々、文字通りの半死半生の有様で追いついてきた頃に、『神の裳裾山脈』の麓に、我々はようやっと足を踏み入れることができた。


 だが、この有様では、王都の民の大半は、助かる者も助からないのではなかろうか。

 そこまででもない、はず<民衆


 なお『花園』の水やりは毎日違う場所をやって数日かけて一周する仕様だし、奥の方は噴水による自動給水。


 前話でもちょっと触れてますが、エドレイド公爵家は籠城戦やってます→次話

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