深夜の涙
陽太を送り出した後の我が家は、祭りの後のような切なさを伴う、いつもの静寂を取り戻していた。
ベッドに入って目を閉じても、陽太がオレンジ色のリストバンドを何度も眺めては照れくさそうに笑ってくれた顔や、賑やかだった食卓の光景がまぶたの裏で鮮やかに繰り返される。
(楽しかったな……。陽太、本当に喜んでくれてよかった。準備、頑張ってよかったな)
心地よい高揚感と疲れの中で、私は一度深い眠りに落ちた。けれど深夜、喉の奥がカラカラに乾くような感覚に襲われ、ふと目が覚めた。枕元のデジタル時計に目をやると、青白い数字が午前二時を回ったところを示している。
私は寝巻きのまま、冷えた廊下を足音を立てないようにゆっくりと進み、一階のキッチンへと向かった。
月の光が大きく差し込むリビングは、昼間の暖かなオレンジ色の面影はなく、青白く、どこか底知れないほど冷ややかだった。キッチンの入り口まで来たとき、ふと、窓際のソファの影に誰かが座っているのが見えて、私は心臓が跳ね上がるのを感じて息を止めた。
「お姉ちゃん……?」
暗闇に目が慣れてくると、そこにいたのは昼間の完璧な微笑みを脱ぎ捨てた、雫お姉ちゃんだった。
背中を丸め、顔を両手で覆って、声を押し殺しながら、ひどく肩を震わせている。その姿はあまりにも小さく、今にも夜の闇に飲み込まれて、消えてしまいそうに儚かった。
私は慌てて駆け寄ろうとしたけれど、お姉ちゃんは私の気配に敏感に気づくと、弾かれたように顔を上げた。
「みゆ……? どうしたの、こんな時間に。……喉が渇いて、起きてしまったの?」
一瞬。本当にお線香の火がふっと消えるような、ほんの僅かな間だった。
お姉ちゃんは瞬時に表情を切り替えた。目元を乱暴に拭い、乱れた髪を整え、いつもの凛とした、非の打ち所がない「水瀬家の長女」としての顔に戻る。けれど、月明かりに照らされたその瞳は縁が赤く、隠しきれない悲しみが澱のように溜まっていた。
「お姉ちゃん、泣いてたの? 何かあったなら、話して。私、もう子供じゃないよ。お姉ちゃんの力になりたいの」
私が必死に手を伸ばして、その驚くほど細く冷え切った指先を握りしめると、お姉ちゃんは一瞬だけ、何かに怯えるように目を見開いた。それから、とても悲しそうに、でも壊れ物を扱うような手つきで私の頬を撫でた。
「ありがとう、みゆ。優しいのね。……でも、大丈夫よ、本当に何でもないの。ただ、少しだけ昔のことを思い出していただけ。……さあ、お水が飲めたらもう寝なさい。明日も学校でしょう?」
お姉ちゃんの笑顔は、どこか遠い、手の届かない場所から向けられているようで、温かいのにひどく冷たかった。私は何かを言いかけ、けれどお姉ちゃんの拒絶のない、それでいて決して内側へは踏み込ませない見えない「壁」に阻まれて、それ以上は何も聞けなかった。
私は後ろ髪を引かれる思いで、コップ一杯の水を一気に飲み干し、逃げるように階段を上った。自分の部屋のドアに手をかけた時、静まり返った下のリビングから、風の音に混じって、消え入りそうな掠れた声が聞こえてきた。
「(……幸せを願うなんて、そんなこと、できるわけがないじゃない。……私たちは、もうあそこへは行けないのよ……)」
それは、自分自身に言い聞かせているような、あるいは逃れられない運命を呪っているような、不気味で切実な独り言だった。
「(あなたたちだけは、何も知らないままで。……ずっと、この家で、綺麗なままで……。どうか、あの子たちだけは、汚さないで……)」
胸が激しくざわついて、私はしばらくドアの前で立ち尽くした。
お姉ちゃんが一人で背負い、守ろうとしているものは一体何なのだろう。
お父さんもお母さんもいない、このあまりに広すぎる家で、彼女は何をそんなに恐れ、何に絶望して泣いているのだろう。
私は暗い部屋の中で、布団に深く潜り込み、冷え切った自分の指先をぎゅっと握りしめた。
あの時、陽太が言った「旦那さんになる人は幸せ者」という言葉。それを聞いた時のお姉ちゃんの、あの凍りついたような横顔が脳裏から離れなかった。
おはようございます。
作者のFERILUです。
『神様の身代わりー光の兄と罪の妹ー』
を読んでくださりありがとうございます。
本エピソードは雫視点で進めようと考えていたのですが、
何か悩み事があるというのをみゆに意識させるため、
主人公側で展開しました。
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