待ち遠しい約束
「ねえ、見て兄さん! こっちのパキッとしたオレンジ色の方が、陽太には似合うと思わない?」
リビングの床いっぱいに画用紙や折り紙を広げ、私はワクワクしながら湊兄さんの顔を覗き込んだ。陽太が十二歳になる誕生日まで、あと数日。私たちの「極秘プロジェクト」は、今まさに佳境を迎えていた。
開け放した窓からは、夏の名残を惜しむような、けれどどこか涼やかさを帯びた九月の夜風が入り込み、切り抜いたばかりの紙端をパタパタと揺らしている。
「……そうだね。陽太くんはいつも元気に走り回っているから、その明るいオレンジはあいつのイメージにぴったりだよ。みゆ、いいセンスだね」
湊兄さんは私の隣に優しく腰を下ろすと、私の頭を軽くポンと叩いて笑った。中学生になって少し背が伸びた湊兄さんの指先は驚くほど器用で、細長く切った紙を糊付けしていく動作も、どこか魔法でもかけているみたいに丁寧だ。
私はそんな湊兄さんの横顔を誇らしい気持ちで見つめながら、胸の奥で小さな優越感を味わっていた。
近所の女の子たちは、絶対に知らない。学校ではクールで、部活動でも一目置かれている憧れの湊先輩が、家ではこうして妹と同じ目線になって、一生懸命年下の幼馴染のために折り紙を折ってくれているなんて。
「ふふ、陽太、当日びっくりして腰抜かさないかな」
「はは、そうだね。きっと驚いて、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をするんじゃないかな。楽しみだね、みゆ」
私と湊兄さんが顔を見合わせて笑っていると、キッチンからトントンと小気味よい包丁の音が響いてきた。
「陽太くんの好物、スペアリブにするって決めたわよ。材料は明後日、私が最高のものを選んでくるわね。ケーキのスポンジも、当日の一番いい時間に焼き上がるように調整しましょうか」
雫お姉ちゃんがキッチンから顔を出し、聖母のような穏やかな微笑みを浮かべる。お姉ちゃんの料理は、そこらへんのレストランよりずっと美味しい。陽太のやつ、一口食べたら幸せすぎてひっくり返っちゃうんじゃないかな。
(お姉ちゃんが料理を作って、兄さんが飾り付けを手伝ってくれて、私がプレゼントを選んで……。陽太、世界一の幸せ者だね)
そして迎えた、誕生日の三日前。
放課後、小学校の校門近くで、部活動の練習が休みだった湊兄さんと待ち合わせて、私は陽太が出てくるのを待っていた。
「陽太、お疲れさま!」
「……おう、みゆ。湊さんも、お疲れっす!」
陽太はランドセルを揺らしながら、憧れの眼差しで湊兄さんを見上げて歩み寄ってくる。小学校最後の夏を越えて、陽太の肌は真っ黒に日焼けして、少しだけ背が伸びたように見えた。
私はほんの一瞬、少し前の雨の日に足を挫いた私を、この背中で負ぶってくれた時の感触を思い出して、心臓がトクンと跳ねた。
「陽太くん、学校お疲れさま。今日も元気そうだね」
湊兄さんは、私に優しく目配せをしてから、陽太の目線に合わせて少し腰を落とし、その肩を優しく抱き寄せた。
「三日後の夜、予定を空けておいてくれるかな? みゆの足を助けてくれたお礼に、雫姉さんが腕によりをかけて夕飯を作って待っているんだよ。……それにね、お前の十二歳の誕生日、僕たち家族みんなでお祝いしたいんだ。来てくれるかな?」
「えっ、お礼なんて……そんなのいいですよ! 俺が好きでやったことだし。……それに、湊さんたちの家でお祝いしてもらうなんて、なんだか照れくさいっていうか……」
陽太は嬉しそうに、でも少し遠慮がちに頬をかいた。でも、そこで引き下がる私じゃない。
「いいから! 雫姉さんのスペアリブだよ? それに、私が選んだ特別なプレゼントもあるんだから。来なかったら、一生恨むんだからね」
私が身を乗り出して畳みかけると、湊兄さんも「雫姉さんの料理、本当に気合が入っているよ」と笑って追い風を吹かせてくれた。陽太は「スペアリブ」という言葉にゴクリと喉を鳴らし、ようやく観念したように笑った。
「……わかったよ。そこまで言うなら、行ってやるよ。……スペアリブ、楽しみにしてる」
「うん、約束だよ。楽しみに待っているからね」
湊兄さんが陽太の頭をくしゃくしゃと撫でて、私たちは三人で一緒に家路についた。
空にはうろこ雲が広がり、秋の虫が鳴き始めた帰り道。私は二人と一緒に並んで歩きながら、三日後の夜のことを考えて、スキップしたい衝動を必死に抑えていた。
(誕生日、おめでとう。……まだ、三日前だけどね)
私の心は、九月の夕焼け空よりも鮮やかなオレンジ色に染まっていた。




