表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神様の身代わり ―光の兄と、罪の妹―  作者: FERILU
題7章:夏の大会 受け継がれる意思

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

52/59

王者の再来、咆哮と静寂

陽太の劇的な逆転勝利に、星和学院の応援席は、まるで震動しているかのような興奮の渦に包まれていた。

でも、その余韻に浸る暇もなく、コートには冷徹なまでの緊張感が戻ってくる。


「男子決勝、シングルス2。星和学院、田中選手対、修徳館、三島選手。コートに入ってください!」


審判の鋭いコールに応じ、軽やかな足取りでベンチを立ったのは、1年生の田中瑛太くん。

陽太の良きライバルであり、その「俊足」にかけては部内で右に出る者はいない。彼は、アイシングを受けながら肩を震わせている陽太の隣を通る際、その肩をポンと軽く叩いた。


「陽太、いいバトンだったぜ。……あとは俺が繋いでやる」


不敵な笑みを浮かべてコートへ向かう彼の背中は、1年生とは思えないほど大きく見えた。

けれど、対戦相手の三島さんは、修徳館の九条さんが「最もミスの少ないマシーン」と評する3年生。精密機械のような安定感を誇る強敵だ。


「……瑛太くん、頑張って!」

隣で莉奈が、祈るようにフェンスを握りしめている。


試合開始早々、会場からは「おおっ!」という驚きの声が上がった。

田中くんの足が、まさに稲妻のようにコートを駆け抜けたからだ。

三島さんが四隅を突く鋭い打球を放っても、田中くんは異次元の反応速度で追いつき、泥臭く、けれど確実にボールを拾い続ける。


「15-0!」


田中くんの快走から放たれた強烈なパッシングショットが、三島さんの脇を抜けた。


「ナイス、瑛太! そのままいけぇ!」

陽太が氷嚢を抱えたまま、声を枯らして叫ぶ。

湊兄さんの容赦ないサーブ練習で叩き上げられた田中くんの瞬発力は、修徳館の精密な配球さえも無効化していくように見えた。


でも――。

ベンチに座る湊兄さんの瞳だけは、冷徹なまでに静かだった。

兄さんは田中くんの躍動を認めつつも、その先に待ち構える「暗い淵」を見抜いているようだった。


「……坂上先生。田中は、飛ばしすぎだ」

湊兄さんの低い呟きに、顧問の坂上先生が重々しく頷く。

「ああ。三島はわざと走らせているな。田中のスタミナを削り取り、足が止まる瞬間を……虎視眈々と待っている」


修徳館のテニスは、どこまでも非情だった。

田中くんの最大の武器である「速さ」を、三島さんはあえて利用していたのだ。左右に、前後に、執拗に振り続けることで、田中くんの心肺機能に過酷な負荷をかけていく。

第4ゲームを過ぎたあたり。

田中くんの額から、滝のような汗が吹き出した。

あんなに軽やかだった一歩目の爆発力が、目に見えて鈍り始める。


「……あ、足が……重い……っ」


コートチェンジでベンチに戻る田中くんは、ラケットを杖代わりにして、ようやく体を支えている状態だった。

ふと修徳館のベンチに目をやると、九条さんが冷ややかな笑みを浮かべてこちらを見ていた。


まるで「無知な1年生の末路を見届けてやろう」とでも言うかのように。


私の瞳には、田中くんの荒い呼吸と、彼を追い詰める修徳館の残酷なまでの「静寂」が、はっきりと映し出されていた。


「ゲーム、修徳館! 5-3!」


審判の声が非情に響く。

第1ゲームのあの勢いはどこへ行ったのか。田中くんの足は、もはや目に見えてもつれていた。


修徳館の三島さんは、表情一つ変えない。田中くんがどれほど必死にボールを拾っても、それを嘲笑うかのように、さらに一歩遠い場所へ、精密なショットを落とし続ける。


「……はぁ、……はぁ……っ!」

フェンス越しに、田中くんの喉から漏れる、焼けるような呼吸の音が聞こえる。

ユニフォームはダイビングレシーブのたびに土にまみれ、膝からは擦り傷の血が滲んでいた。


「もういいよ、瑛太くん! 無理しないで……!」

莉奈の悲鳴に近い声が響く。

でも、田中くんは止まらなかった。彼は湊兄さんからかつて浴びせられた「速いだけの置物」という言葉を、自らの走りで撥ね退けようとしている。


第9ゲーム。

田中くんは、もはや動かなくなった脚を、気力だけで動かしていた。

三島さんの放つ鋭いボレーに対し、彼は体ごと投げ出すような泥臭いロブで対抗する。格上の3年生を相手に、1年生がここまで泥沼の展開に引きずり込むなど、会場の誰もが予想していなかったはずだ。


「……30-40!」

「……デュース!」


「信じられない……。あの子、どこにそんな体力が残ってるの?」

観客席から漏れる驚きの声。

田中くんの走りは、もはや技術じゃない。仲間のために一秒でも長くコートに立ち続けるという、執念そのものだった。


「……ゲーム、田中! 5-5!」


ついに追いついた。

その瞬間、星和の応援席だけでなく、会場全体から割れんばかりの拍手が沸き起こった。

修徳館の「精密機械」三島さんの顔に、初めて戦慄の色が走る。


けれど、運命の神様は残酷だった。

最終ゲーム、アドバンテージを握られた場面。田中くんは最後の力を振り絞って、三島のサービスをリターンした。しかし、踏み出した右足が、ついに限界を伝えて崩れる。


「……っ!」

田中くんの身体が大きくよろめく。

その一瞬の隙を、修徳館は見逃さなかった。三島の放った鋭いボレーが、田中くんの届かない逆サイドのライン際へと突き刺さる。


「ゲームセット! 修徳館、7-5!」


審判のコールが響いた瞬間、田中くんはその場に倒れ込んだ。

勝負には敗れた。けれど、勝利したはずの三島さんは、肩を激しく上下させ、茫然と瑛田中くんを見つめていた。一人の1年生に、王者のプライドをここまでズタズタにされた屈辱と、底知れぬ恐怖がその瞳に宿っていた。


田中くんがフラフラと、支えられるようにベンチに戻ってくる。

彼はアイシング中の陽太の隣に座り込むと、悔しさに顔を歪めて、土で汚れた拳を握りしめた。


「……わりぃ、陽太。……繋げ、なかった……」

「……何言ってんだよ。お前、最高にかっこよかったよ」


陽太が、自分のタオルを田中くんの頭に被せる。

これで対戦成績は2勝2敗。

男子団体決勝の勝敗は、ついに大トリ――シングルス1(S1)に委ねられた。


ベンチから、一人の男がゆっくりと立ち上がる。

星和学院のエース、水瀬湊。


兄さんは足元に転がっていたラケットを拾い上げると、倒れ伏す後輩たちの肩に、一度ずつ、黙って手を置いた。

「……田中、河村。お前たちが削った一分一秒、無駄にはしない」


湊兄さんの声は、静かだが地響きのような威圧感を伴っていた。

その視線の先では、修徳館の絶対王者・九条が、不敵な笑みを湛えてコートへと歩みを進めている。


午前中の熱気がピークに達し、会場の温度が一段と上がったのを感じた。

「男子団体決勝、シングルス1。星和学院、水瀬選手対、修徳館、九条選手。コートに入ってください!」


ついに、運命のコールが響き渡った。

昨年、事実上の決勝戦と呼ばれたカードの再来。地区の頂点を決める最後の戦いが、真昼の太陽の下で幕を開ける。


湊兄さんはベンチから、重厚なプレッシャーを纏って立ち上がった。

「……湊さん、すみません。……あとは、お願いします」

満身創痍の田中くんが、震える手でタオルを差し出す。

「ああ。田中、お前の走りは無駄にはしない。……陽太も、よく繋いだ」

湊兄さんは二人の肩を強く叩いた。それは言葉以上の信頼の証。


湊兄さんが自身の右腕をぐっと握りしめる。その瞬間、私の瞳にはっきりと見えた。兄さんの瞳から穏やかさが消え、底知れない深淵を湛えた「王者の眼」へと変貌するのを。


「兄さん、頑張って! 信じてるから!」

私はフェンスを指が白くなるほど強く握りしめて叫んだ。隣には、午後の女子決勝を控えた高城部長が並んでいる。

「……始まったわね、水瀬湊の戦いが。みゆ、彼の背中を目に焼き付けておきなさい。これが私たちへの『勝利の道標』になるわ」


コート中央。ネット越しに対峙した九条さんは、溢れ出す殺気を隠そうともしなかった。

「待ちわびたぞ、水瀬。……その右手の不調を隠すために、随分と小細工(左手プレー)を弄したようだが、どれほど鈍っているか、俺が暴いてやる」

湊兄さんは、その挑発を冷徹な視線で受け流す。

「九条。お前の執念は認めるが、今の俺が見ているのは、もはやお前ではない。その先にある『完成』だ」


審判の合図とともに、九条さんが初手から牙を剥く。修徳館伝統の「重爆サーブ」が唸りを上げて兄さんのバックサイドへ突き刺さる。時速200kmを超える剛速球に、観客席からは悲鳴に近いどよめきが起きた。


しかし、今の湊兄さんは、去年のように「いなす」ことはしなかった。

(――来る、兄さんの『右手』が!)


湊兄さんが右腕を鋭く振り抜いた。左手での修行を経て手に入れた完璧な運動連鎖に、かつての剛力が加わった一撃。


「――っ!?」


九条さんが反応する間もなく、ボールは彼の股下を貫いた。バウンドした瞬間に加速し、フェンスを激しく叩く乾いた音が会場に響き渡る。

「15-0!」

会場は水を打ったように静まり返った。九条さんは、自分の足元を通り過ぎたボールの残像を、呆然と見つめていた。


「……何だ、今の音は。お前、一体この一週間で、どんな地獄を通ってきた……!」

驚愕に震える九条さんに、兄さんは淡々と答えた。

「地獄ではない。……ただ、自分の弱さと向き合ってきただけだ」


右手の封印を解いた王者は、もはや「去年の水瀬湊」を遥かに凌駕していた。

九条さんも意地を見せ、極端なロブやドロップショットで兄さんの重心を奪おうとする。泥に汚れながらも食らいつく九条さんの執念。スコアは4-4のタイ。


しかし、激しいラリーの最中、兄さんがふっと、これまで見せたことのない穏やかな表情を浮かべた。

「――静寂を知れ、九条」


放たれたボールは、凄まじい回転を伴いながら九条さんの頭上を越え、ベースライン際で急激に沈み込んだ。

暴力的なパワーではなく、計算し尽くされた「美」が宿るロブ。剛と柔、右と左。相反する要素を高次元で融合させた兄さんのテニスは、九条さんの執念さえも「静寂」で包み込み、完全に無力化していった。


「ゲームセット! 6-4、星和学院、水瀬!」


九条さんはコートに大の字に倒れ込み、最後には力なく笑った。

「……完敗だ。水瀬、お前……本当に、化け物だな」


兄さんはネット際に歩み寄り、倒れたライバルに右手を差し伸べた。

「お前の執念がなければ、俺はここまで辿り着けなかった。礼を言う、九条」


二人の王者が握手を交わした瞬間、会場からはこの日最大級の拍手が送られた。

男子テニス部、地区大会優勝。

その輝かしい勝利の余韻に浸る間もなく、兄さんはコートを出ると、まっすぐ私と高城部長のもとへ歩み寄った。


「……次は、お前たちの番だ」


汗を拭いながら、兄さんが不敵に微笑む。その瞳には、すでに午後の女子決勝を戦う私たちへの、強烈な激励が込められていた。


「ええ、見てなさい。男子に続いて、私たちも星和の旗を掲げてみせるわ」

高城部長が力強く応える。


バトンは今、男子から女子へと、最も熱い形で受け渡された。

おはようございます。

作者のFERILUです。


『神様の身代わりー光の兄と罪の妹ー』

を読んでくださりありがとうございます。


男子決勝の後半でした。

引き続き女子の決勝戦に入ります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ