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神様の身代わり ―光の兄と、罪の妹―  作者: FERILU
題7章:夏の大会 受け継がれる意思

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地区大会の火蓋、古豪の再来

県大会からわずか一週間。 夏の熱気はさらにその勢いを増し、アスファルトから立ち上る陽炎が、地区ブロック大会の会場である総合運動公園をゆらゆらと歪ませていた。各地区の予選を勝ち抜いてきた猛者たちが一堂に会するこの場所には、県大会とは比較にならないほど鋭く、刺すような「気」が満ちている。


「……さすがに、空気が違うわね」


美咲が隣で小さく呟く。彼女の額にはまだ、あの日の衝撃を物語る小さな絆創膏が貼られていたけれど、その瞳にはリベンジを誓う強い光が宿っていた。私は知らず知らずのうちにラケットバッグのストラップを強く握りしめ、胸に溜まった熱い空気を吐き出した。


そんな中、会場の一角が不自然なほど静まり返るのを感じた。 星和学院の選手団。その中心を歩く湊兄さんは、眩い陽光を反射する白いウェアを纏い、一歩踏み出すごとに周囲の喧騒を力ずくでねじ伏せるような圧倒的な威圧感を放っている。その後ろを、陽太が必死に食らいつくような、けれど一歩も引かない決然とした足取りで続いていた。


「――久しいな、湊」


背後から届いた、地鳴りのような低い声。 振り返ると、そこにいたのは星和学院の最大のライバル、古豪・修徳館中等部のエースである九条だった。昨年の全国大会出場を懸けた戦いで、湊兄さんとタイブレークまでもつれ込む血を吐くような接戦を演じた男。その筋骨逞しい体格と、獲物を狙う鷹のような鋭い眼光は、一年間の研鑽を経てさらに研ぎ澄まされていた。


九条の視線は、真っ直ぐに湊兄さんの腕へと注がれる。

「予選のビデオを観たぞ。……お前、一体何の真似だ? 準決勝まで不慣れな『左手』で試合に出ていたそうじゃないか。怪我か? それとも、俺たちを舐めているのか?」


その言葉に、周囲にいた他校の選手たちが一斉にざわめき立った。

「水瀬が左手を……?」

「本当かよ、あの怪物が?」

「舐めすぎだろ……」

湊兄さんが左手を使い始めたのは、夏合宿からのわずかな期間。その変遷を知るのは偵察ビデオを分析した一部のトップ層のみ。会場を包むざわめきは、驚愕と、そして王者への反発を含んでいた。


「……九条か。別に、舐めているわけではない」

湊兄さんは足を止め、九条の挑発を柳に風と受け流した。その表情はどこまでも冷静で、冷徹なまでに静かだ。

「ただ、今の俺にはさらなる『進化』が必要だった。左手での試行錯誤は、そのための過程に過ぎない」


「進化だと?」

九条が不快そうに目を細めた。

「決勝では右手で圧倒したらしいが……随分と余裕だな。だが、そんな慢心が命取りになることを教えてやる。今年の俺は、お前のその右手を粉砕し、絶望させるためだけに地獄を見てきたんだ」


九条から放たれる凄まじい殺気。しかし、湊兄さんはその執念を真っ向から受け止めながらも、どこか遠い場所を見据えていた。

「お前の執念は認める。だが、俺が目指しているのはお前との再戦ではない。……俺自身の、さらなる高みだ」


その絶対的な自負。自分が敗北するなど一塵も考えていない王者の言葉に、九条は顔を歪ませて笑った。

「相変わらずだな。……だが、お前がその高みに辿り着く前に、まずはそこの『期待の1年生』を再起不能にしてやろう。お前が目をかけている相手を叩き潰すのが、一番の屈辱だろうからな」


九条の冷酷な視線が、湊兄さんの後ろに控えていた陽太に向けられる。陽太は一瞬、その重圧に肩を震わせたが、すぐに湊兄さんの広い背中を見上げ、グッと足を踏ん張った。


「……やってみろよ。俺は、湊さんの下で本当の地獄を見てきたんだ。あんたなんかに、簡単に負けたりしない!」


陽太の真っ直ぐな反撃に、九条は鼻で笑い、最後は湊兄さんを鋭く睨みつけた。

「……フン、威勢だけはいい。湊、せいぜい反対側の山で無様にこけるなよ。決勝のコートで、その右手を粉砕してやる」


湊兄さんは表情一つ変えず、静かに言い放った。

「……お前こそ、俺に届く前に消えるなよ。決勝で待っている」


二人の王者が放つ殺気が火花を散らす。地区ブロック大会の火蓋は、三人の間に渦巻く複雑な想いと、決勝での再会を期する冷徹な約束とともに、今、切って落とされた。




「これより、男子団体1回戦。星和学院対、西大寺中。試合を開始する!」


会場に審判のコールが響き渡り、二面のコートで同時にダブルスの試合が始まった。団体戦の定石通り、まずはダブルスの二組がチームに流れを引き寄せる役目を担う。


ダブルス2(D2)に出場したのは、2年生コンビの岡田慎吾と佐久間良だ。

「佐久間、まずは一本!」「おう!」

岡田の広い守備範囲と、佐久間の果敢なポーチ。2年生らしい安定感のあるプレーで、まずは一つ目の白星を確実に手繰り寄せた。


続くダブルス1(D1)は、3年生の渡辺直人と部長の大野健斗。

「湊に繋ぐまで、俺たちが負けるわけにはいかない」

部長・大野の重厚なストロークを、渡辺の正確なボレーが補完する。三年間共に汗を流してきた二人の阿吽の呼吸は、相手に付け入る隙を一切与えず、瞬く間に二勝目を挙げた。


王手をかけた状態で、ついにシングルス3(S3)、1年生の河村陽太がセンターコートに呼び出された。 湊兄さんや大野部長がベンチで見守る中、陽太は緊張で強張る指先をギュッと握りしめ、コートの中央に立った。


対戦相手は、県予選でも実績を残してきた3年生。

「1年坊主が星和のS3かよ。舐められたもんだな」

相手の露骨な挑発が飛ぶ。会場の観客たちも、「なぜあの水瀬湊が、1年生をこの重要なポジションに据えたのか」と疑念の視線を送っていた。


しかし、陽太の心はすでに、そんな外野の声を超越した場所にあった。

(県大会のあの屈辱……そして、湊さんとのあの地獄みたいな特訓に比べたら、あんたの打球なんて止まって見えるんだよ!)


「おおおぉぉ!」


陽太の放ったファーストサーブ。湊兄さんから「無駄な力を抜け、一点に集中しろ」と徹底的に叩き込まれたフォームから放たれた一撃は、完璧なサービスエースとなって相手のラケットを弾き飛ばした。


「……速い!?」


観客席がざわめく。陽太の進化はそれだけではなかった。 夏合宿から今日まで、陽太は湊兄さんの「左手」による、予測不能で極端なアングルの打球を連日拾い続けてきた。その結果、彼の動体視力と一歩目の踏み出しは、同学年のレベルを遥かに凌駕していたのだ。


相手が必死に放つ左右への揺さぶりも、陽太はまるで先が読めているかのように軽々と追いつく。そして、湊兄さん直伝の重いフォアハンドを正確に叩き込む。


「……すごい。陽太、あんなに正確にコースを突けるようになってるなんて」


私は美咲と一緒に、フェンスにしがみつくようにしてその姿を見守った。 陽太の瞳には、かつての迷いは微塵もない。そこにあるのは、絶対的なエース・水瀬湊の背中を追い、共に全国へ行こうとする一人の戦士の覚悟だった。


「ゲーム、セット! 河村、6-0!」


完封。3年生の意地を真っ向から粉砕し、チームの勝利を確定させる決定打となった。 陽太は派手なガッツポーズをすることもなく、淡々とネット際で握手を交わすと、湊兄さんたちが待つベンチへと戻ってきた。


「……湊さん、一勝。持ってきました」

少し肩を揺らしながら報告する陽太に、兄さんは椅子に深く腰掛けたまま、フッと口角を上げた。


「……よくやった。だが、お前の課題はまだある。次の試合までに呼吸を整えておけ」


陽太がシングルス3で鮮烈な勝利を挙げ、星和学院のチーム勝利は確定した。しかし、ブロック大会の形式上、試合はシングルス1まで全て行われる。


続いてコートに入ったのは、シングルス2(S2)を任された1年生、田中瑛太だ。 陽太の親友であり、最大のライバルでもある田中。


「……陽太だけじゃない。俺だって!」


相手は修徳館を脅かす勢いを持つシード校の2年生。粘り強いストロークに田中は何度も追い詰められる。額から流れる汗が目に入り、膝が笑い始めても、彼の視線はボールから外れなかった。


「よし、行くぞっ!!」

田中の執念が、相手のミスを誘う。一球、また一球と、泥臭く繋ぐことでリズムを掴んでいく。最後は相手の強打を執念で拾い、浅くなったボールをネット際に沈める。


「ゲーム、田中! 6-4!」


勝利が決まった瞬間、田中はコートに膝をついて拳を握りしめた。陽太がベンチから「瑛太、ナイスガッツ!」と声をかける。1年生コンビが揃って白星を挙げたことで、星和学院の応援席の熱気は最高潮に達した。


そして、会場の全ての視線がメインコート――シングルス1(S1)へと注がれる。 ゆっくりと立ち上がり、グリップテープを巻き直す水瀬湊。


「……ようやく俺の番か」


兄さんがコートに足を踏み入れた瞬間、それまでの熱狂が嘘のように、会場が冷徹な静寂に包まれた。相手選手は県内でも屈指のパワーヒッターだったが、湊兄さんの前に立つと、まるで蛇に睨まれた蛙のように硬直している。


「――お前の得意な『右手』は、九条との決勝まで温存しておく」


兄さんがボソリと呟き、ラケットを「左手」で構えた。 観客席がどよめく。

「左……? 水瀬湊は右利きだろ!?」

「何考えてるんだ、相手を馬鹿にしてるのか?」


しかし、試合が始まった瞬間、非難の声は驚愕へと変わった。 湊兄さんの「左手」から放たれるショットは、右手ほどの爆発的なパワーはないものの、物理法則を無視したかのような鋭いアングルと、予測不能なスピンがかけられていた。


「……っ、なんだよこの軌道! 届くわけないだろ!」

相手選手が必死に右往左往するが、ボールは意志を持っているかのように、彼のラケットが届かない絶妙なポイントへ沈んでいく。湊兄さんは表情一つ変えず、まるで精密機械のように淡々と「左」でポイントを重ねていった。


「ゲーム、セット! 水瀬湊、6-0!」


一滴の汗も流さず、兄さんはコートを去った。 その圧倒的な「異質さ」。九条がビデオで見て戦慄した真の姿が、今、白日の下にさらされたのだ。


「大野部長、坂上先生、終わりました。」



1回戦を全勝で突破した星和学院は、休む間もなく準決勝へと駒を進めた。 相手は、徹底したデータテニスで知られる強豪・城聖中。1回戦での陽太や湊兄さんのプレーを克明に分析した彼らは、明らかな「星和対策」を講じてコートに立っていた。


「……データ通りなら、1年の河村はバックハンドの深い球に弱点があるはずだ」

「水瀬の左手も、コースの傾向は掴んでいる。粘れば必ず隙が出るぞ」


城聖中の選手たちの不気味な自信。しかし、湊兄さんはその視線を鼻で笑うかのように、淡々とオーダー表を掲げた。


「データ、か。……俺たちがこの一週間、どんな地獄を通ってきたかも知らずに、よく言えるものだ」


試合が始まると、城聖中の目論見は脆くも崩れ去った。 D2の岡田・佐久間ペア、D1の大野・渡辺ペアは、相手の分析を上回る手数と精神力で圧倒。そしてS3の陽太も、弱点とされたバックハンドを湊兄さんとの特訓で克服しており、逆に相手の裏をかく鋭いパッシングショットを連発して勝利を収めた。


そして、再び会場の注目がシングルス1(S1)、湊兄さんのコートに集まる。 相手の城聖中エースは、必死に「左手の湊」を攻略しようと、緩急をつけた揺さぶりを仕掛けてきた。


「……無駄だと言ったはずだ」


湊兄さんの左手から放たれるショットは、1回戦よりもさらに鋭さを増していた。相手の打球が深ければ深いほど、より鋭角に、より冷酷にサイドライン際へと突き刺さる。 データなど介在する余地のない、圧倒的な「個」の力。


「ゲーム、セット! 水瀬湊、6-0!」


審判のコールが響き渡ると同時に、星和学院の決勝進出が確定した。 城聖中の選手たちが呆然と立ち尽くす中、湊兄さんはラケットをバッグにしまい、一度も振り返ることなくベンチへと戻る。


その時だった。

「――おい、湊。準決勝まで遊び倒すとは、余裕じゃないか」


コートサイドのフェンス越しに、低く、地鳴りのような声が響いた。 修徳館の九条だ。彼らもまた、反対側のブロックで全ての対戦校を「0」に抑え込み、決勝へと勝ち上がってきていた。


「……九条か」

「左手で小細工をして、手の内を隠しているつもりだろうが……そんなものは決勝では通用しない。お前のその『右手』を、俺が力ずくで引きずり出してやる」


九条から放たれる凄まじい殺気。しかし、湊兄さんはその執念を真っ向から受け止めながら、陽太の肩にポンと手を置いた。


「……陽太、お前も準備しておけ。決勝は、今までのような温い試合にはならないぞ」

「はい……! 望むところです、湊さん!」


陽太の瞳に、九条への恐怖を塗りつぶすほどの闘志が宿る。 ついに舞台は整った。 ブロック大会の頂点を懸けた、星和学院と修徳館の宿命の決戦。 湊の左手という「進化」と、九条の「執念」。その全てが激突する決勝戦が、今、始まろうとしていた。


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