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神様の身代わり ―光の兄と、罪の妹―  作者: FERILU
題7章:夏の大会 受け継がれる意思

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束の間の休息―湊の不器用な休日―

県大会優勝から一夜明け、坂上先生から与えられたのは、地区大会前の「完全オフ」だった。

連戦の疲れと緊張を解きほぐすための、静かな休日。昨日の決勝戦、あの灼熱のコートの熱気が嘘のように、家の中は冷房の音だけがしんと響いている。


「……ふぅ」


自室のベッドに寝転がり、私はぼんやりと天井を見上げていた。

昨日、祝勝会の帰りに湊兄さんが零した独り言のような一言が、まだ耳の奥に微かに残っている。

『もし、倒れていたのがお前だったら、俺は試合に出れていたのかな』

あの一言を聞いてから、私の心にはさざ波が立ち続けていた。血が繋がっていない「義理の兄」だと知ってから、私たちは以前と同じ兄妹に戻ったつもりでいたけれど。


ピロン、と机の上のスマートフォンが鳴る。陽太からのメッセージだった。

『みゆ、昨日はお疲れ! 俺、じっとしてられなくて壁打ちに来ちゃった。湊さんに少しでも近づけるように頑張るわ!』


陽太の真っ直ぐな言葉に少しだけ心が軽くなる。返信を打とうとしたその時、ドアが軽く二回、規則正しくノックされた。


「……みゆ、入るぞ」


入ってきたのは、部活のジャージを脱ぎ、ネイビーのシャツを羽織った湊兄さんだった。

いつもより少しだけ表情が柔らかく、瞳にはコート上の鋭い光の代わりに、穏やかな凪のような色が宿っている。


「兄さん? どうしたの、そんな格好して」

「昨日までずっと張り詰めていただろう。今日は部活のことは忘れろ。……気晴らしに、映画でもどうだ?」

「映画? 兄さんが誘ってくれるなんて珍しいね」


私が驚いて体を起こすと、兄さんはふいっと視線を逸らし、棚に並んだ私のテニス雑誌を眺めながら続けた。


「ちょうど見たいと言っていただろう。新作のミステリーだ。……午後の回なら、今から準備すれば間に合う」

主将としてチームを率いる多忙な日々の中でも、そんな些細な会話を覚えていてくれたことが、純粋に胸を温かくした。けれど同時に、血の繋がりがないと知って以来、初めての「二人きりのお出かけ」だという事実に、急に鼓動が早まり始める。


「行きたい! 準備するから、ちょっと待ってて」

「あぁ。リビングで待っている」


兄さんが部屋を出た後、私は急いで鏡の前に立った。

いつもはポニーテールにまとめている髪を解き、ブラシを通す。お気に入りの淡いブルーのサマーワンピースに袖を通すと、鏡の中の自分が、テニスプレイヤーではなく「一人の女の子」に見えて、急に足元がふわふわとした感覚に襲われた。


(ただの兄妹のお出かけなのに……どうしてこんなに緊張してるんだろう。昨日、あんなこと言われたからかな)


コートの上での兄さんは、誰もが畏怖する完璧な王者。けれど、今は私の「兄」として、いや、一人の「男の人」としてそこにいる。その境界線が曖昧になる戸惑いを振り切るように、私はバッグを掴んで階下へ降りた。


玄関先で時計を眺めていた兄さんは、私の姿を認めると、一瞬だけ動きを止め、それから喉の奥で何かを飲み込むように視線を逸らした。


「……準備できたか。よし、行こう」


兄さんが開けてくれた玄関のドア。その先には、昨日までの激闘を忘れさせるような、澄み渡った夏の青空が広がっていた。


映画館へ向かう道中、私は何度か自分の足元が覚束なくなるような感覚に陥っていた。

隣を歩く湊兄さんは、テニスコートで見せる厳しい表情を封印し、どこか穏やかな雰囲気を纏っている。けれど、血の繋がりがないと意識して以来、彼の端正な横顔を意識すればするほど、「義理の兄妹」という事実は、重低音のように私の心に響き続けていた。


「……キャラメルでいいか?」

「うん! キャラメルがいいな」


映画館のロビーで兄さんがポップコーンを買ってくれる姿さえ、今日はなんだか特別なものに見えてしまう。大きなカップを一つ、二人で分ける形になったとき、不意に心拍数が跳ね上がった。


場内に入り、照明が落とされる。

完全な暗闇ではない。スクリーンに映し出される予告編の光が、兄さんの鋭い鼻梁や、膝の上に置かれた大きな手を淡く照らし出していた。


(……近い。どうしよう、隣にいるだけでこんなにドキドキするなんて……)


隣り合うシート。腕を置くスペースは一つしかない。兄さんの腕がそこにあるだけで、私の右側は熱を帯びたように熱かった。

映画が始まり、本編の物語が進んでいく。ミステリーの緻密な構成に引き込まれるはずなのに、私の意識の半分は、どうしても隣に座る兄さんの気配に吸い寄せられてしまう。


「……みゆ」


不意に、暗闇の中で兄さんが囁いた。

その声が耳元に近く、私は肩をびくりと震わせてしまった。

「な、なに……?」

「ポップコーン、食べるなら今のうちだぞ。これから物語が加速する」


兄さんはそう言って、カップを私のほうへ少し寄せた。その際、兄さんの指先が私の手の甲をかすめる。ほんの一瞬。火花が散ったような熱さが走り、私は思わず指を丸めた。


(兄さん、わざとかな……? いや、まさか。でも、あの時の顔、ちょっと固まってたような……)


兄さんは動じる様子もなくスクリーンを見つめていたけれど、その横顔をよく見ると、微かに顎のラインが緊張で強張っているように見えた。まるで、初めてのデートで緊張している少年のような、そんな初々しさが垣間見えた気がして、私の胸はさらに高鳴った。


映画の内容はほとんど頭に入ってこなかった。スクリーンの中では事件の謎が解き明かされていくけれど、私と兄さんの間に流れるこの「謎」のような空気の正体は、誰にも暴くことはできない。


不意に劇中の緊迫したシーンで、大きな音が響いた。

驚いた拍子に、私は隣に置かれた兄さんの手に、自分の手を重ねるように置いてしまった。


「あ……」


私が思わず声をもらすと、兄さんの体がぴくりと反応した。

そして、私の手を引っ込める間もなく、兄さんの熱い掌が、ほんの一瞬だけ。

強く、逃がさないように上から重ねられた。その瞬間、兄さんの指先が、私の指の間をそっと絡め取るように動いた。


暗闇の中、スクリーンの光が兄さんの瞳に反射して、一瞬だけ妖しく煌めいた。その瞳は、妹を慈しむ兄のものではなく、初めて手にした宝物を慈しむような、ひどく熱のこもった眼差しだった。


映画館を出ると、街はオレンジ色の夕闇に包まれていた。

館内の冷房に慣れた肌には、残暑の空気がどこか甘く、重く感じられる。隣を歩く湊兄さんは、先ほど暗闇の中で私の指を絡めとったことなどなかったかのように、真っ直ぐ前を見据えていた。


けれど、その歩幅はいつもより少しだけ狭く、私に合わせるような不器用な優しさが滲んでいる。


「……面白かったね。最後、あの二人が再会するシーン」

私は、自分でも驚くほど浮ついた声で話しかけた。兄さんともっとこの時間を引き延ばしたい――そんな、昨日までの自分なら思いもよらなかった感情が、胸の内で熱く脈動している。

しかし、その幸福な静寂を破るように、前方から聞き覚えのある声が響いた。


「……あ! 湊さん、それにみゆ!?」


駅近くのスーパーの前。レジ袋を提げた陽太が、驚いた顔でこちらへ駆け寄ってきた。

「お前……朝から壁打ちに行っていたんじゃなかったのか」

兄さんの声が、瞬時にいつもの「主将」のものへと切り替わる。


「あ、いや、練習は昼過ぎに切り上げて……今日は母さんが遅いから、俺が夕飯の買い出しに来たんだ」

陽太が提げた袋の中には、玉ねぎと人参、それにカレールーの箱が見えた。

「……カレーか」

兄さんが短く呟く。その視線は、陽太の手元の重そうな袋に向けられていた。


「半年前……雫姉さんの荷物を真っ先に持とうとしたのも、確かそんな重そうな荷物だったな」

「えっ、湊さん、覚えててくれたんですか!?」


陽太が嬉しそうに声を上げる。まだ私たちが小学生だった頃、重い買い物袋を提げていた姉の雫に「重いでしょ、俺が持つよ」と真っ先に駆け寄って笑っていた陽太の姿。あの頃から、彼は何も変わっていない。誰かのために自然と動ける、真っ直ぐな優しさ。


「……貸せ。家の方向は同じだ。半分持ってやる」

「えっ、悪いですよ湊さん!」

「主将の命令だ。指に食い込んで血行が悪くなれば、3日後の試合のストロークに響く」


兄さんは半ば強引に陽太から袋を一つ奪い取ると、さっさと歩き出した。

「ほら、みゆも行くぞ。突っ立っていると置いていく」


「あ……うん!」

私は慌てて二人の後を追った。 前を歩く、対照的な二人の背中。 誰に対しても分け隔てなく光を注ぐ、陽太の太陽のような優しさ。 そして、ぶっきらぼうで言葉は鋭いけれど、その実、誰よりも繊細に周囲を見守っている湊兄さんの、月のような静かな優しさ。


(……ズルいよ、二人とも)


どちらの優しさも、今の私にはあまりに眩しすぎて、胸の奥がぎゅっと締め付けられる。 しかし、そんな穏やかな空気は、陽太のふとした一言で一変した。


「あー……。でも、今日こうやって湊さんとみゆに会えたのは、ある意味、運命かもしれない……」


不意に、陽太が地の底から響くような絶望の声を漏らした。立ち止まり、カバンからぐちゃぐちゃになったプリントの束を引っ張り出す。


「どうした、陽太。そんなに顔を青くして」

湊兄さんが怪訝そうに尋ねると、陽太は震える指先でプリントを指し示した。

「……夏休みの、前半課題。地区大会が終わってからでいいやと思って放置してたら……さっき坂上先生からメールが届いて『明後日の練習までに提出しない奴は、どんなエースだろうと大会に出さん』って宣告されたんだ……。まだ一文字も書いてねえ……」


「......確かに届いているな……お前、地区大会が3日後だというのに、そんな状態でよく平気な顔をしていられたな」

兄さんの呆れたような溜息が響く。私と兄さんは、練習の合間に計画的に課題を進めていたから、残りはあと僅かだ。けれど、陽太のその惨状は、放っておけば本当にテニスの試合どころではなくなってしまう。


「湊さん! みゆ! お願いだ、俺を助けてくれ! このままじゃ俺、コートに立つ前に坂上先生の雷で消し飛んじまう!」

陽太が道端で深々と頭を下げる。その必死な姿に、私は思わず吹き出してしまった。


「ふふ、しょうがないなあ。陽太らしいけど」

私が兄さんの顔を伺うと、兄さんは少しだけ考え込む素振りを見せた後、静かに頷いた。

「……仕方ない。明日は練習も休みだ。幸い俺もみゆも少し残っている。午前中から水瀬家で勉強会を開く。いいな、みゆ」

「うん、もちろん! みんなでやった方が捗るもんね」


「本当か!? ありがとう、湊さん、みゆ! 二人は俺の命の恩人だ……!」

陽太は地獄で仏に会ったような顔をして、何度も何度も手を合わせて拝んでいる。


「今度、俺のカレーも食べに来てくださいよ!」と再び活力を取り戻して笑う陽太と、それに「課題が終わってから言え」と返す兄さん。


3日後には、また過酷な地区大会が始まる。 けれど、その前の束の間の休息……。いえ、陽太にとっては別の意味で過酷な戦いになりそうだけれど、三人で机を囲む時間は、きっと特別なものになるはずだ。


オレンジ色に染まる三人の家路。 テニスの誓いと、山積みの課題への不安が入り混じった、どこか賑やかで温かな夕暮れ。 私たちは並んで、明日への一歩を踏み出した。

おはようございます。

作者のFERILUです。


『神様の身代わりー光の兄と罪の妹ー』

を読んでくださりありがとうございます。


夏休み期間ですから当然宿題は大量にあるわけで...

みなさんはどのように取り組んでいましたか?

・夏休み始めにほとんど終わらせる

・計画的に進める

・終わりごろに慌てる

・放置する(やらない)


私は開始前にある程度終わらせて、残った物を終わりごろに片付けていたので、

1番目と3番目の合わせタイプでした。


というわけで、次は勉強会になります。

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