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神様の身代わり ―光の兄と、罪の妹―  作者: FERILU
第6章:揺れ動く恋心

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番外編:湊の相談(雫視点)

この番外編はみゆ視点のメインシナリオには出ていない真相を含んでいます。


みゆ視点でストーリーを楽しみたい方は「日記」の真相後に読んでください。



物語の全容をいち早く知りたい方はこのままお進み下さい。










みゆが浴室へ消え、家の中に水が流れる音が規則正しいリズムで響き始めた頃。

リビングのソファに深く腰を下ろした雫は、手元にある一冊の本に目を落としていた。しかし、その耳は階段を降りてくる、迷いを含んだ重い足音を正確に捉えていた。


「……随分と思い詰めた顔ね、湊」


雫は本を閉じ、淹れ直したばかりのハーブティーの香りをゆっくりと吸い込んだ。湯気の向こう側で、湊が立ち尽くしている。合宿の疲れだけではない、魂を削るような葛藤が、その端正な顔立ちに深い影を落としていた。


湊は無言のまま、雫の正面にあるソファに身を沈めた。大きな手で自分の顔を覆い、指の隙間から漏れるような声で、ようやく言葉を絞り出す。


「……姉さん。俺は、自分が分からなくなっている。この合宿中、何度も、自分の中にある理性が決壊しそうになるのを感じたんだ」


「決壊、ね。テニスのこと? それとも……みゆのこと?」


雫の問いに、湊の肩が微かに跳ねた。彼は顔を覆っていた手を下ろし、まるで告解室にいる罪人のような瞳で姉を見つめた。


「合宿の間、俺はずっと『兄』として振る舞おうとした。みゆを危険から遠ざけ、変な男が寄ってこないよう目を光らせる……。それは兄として当然の責務だと思っていた。だが、陽太がみゆに近づくたびに、俺の中にある理性が、自分でも驚くほどの速度で摩耗していくんだ」


湊は自分の右手をじっと見つめる。


「……あいつがみゆの肩に触れようとした時、俺は本気であいつをコートから叩き出したいと思った。みゆが白い水着で笑っているのを見た時、周囲の男すべての視線を遮り、どこか光の届かない場所へ隠してしまいたいとさえ……。テニスでもそうだ。セオリー通りにみゆを狙えば、左手だけでも一瞬で勝てると分かっていても、どうしても彼女をターゲットにできなかった。俺のショットが彼女に触れることさえ、耐え難かったんだ」


湊の独白は、熱を帯びて加速していく。それは「兄としての心配」という枠組みを、すでに大きく踏み越えていた。


「俺の『右手』は、みゆを守るためにあると思っていた。だが、今はその力が、彼女を自分の檻の中に閉じ込め、誰の目にも触れさせないための暴力になりそうで……怖いんだ。姉さん、これは本当に兄としての正当な保護欲なのか? それとも、俺はもっと醜いものに飲み込まれようとしているのか?」


雫は湊の隣に静かに歩み寄り、その強張った拳に、冷たいほど滑らかな自分の手をそっと重ねた。


「……湊、落ち着きなさい。それはあなたが、誰よりも『水瀬の兄』であることを全うしようとしているからよ。責任感が強すぎるのね」


雫の言葉に、湊は救われたように視線を上げた。湊にとって、雫の肯定は唯一の拠り所だった。彼女が「兄の愛」だと言ってくれれば、自分はまだ正気でいられる。


しかし、湊からは見えない雫の瞳の奥では、冷徹な思考が渦巻いていた。

(……湊。あなたがみゆを攻撃できなかったのは、慈しみからじゃない。執着よ。そして陽太くんへの怒り……それは、妹を奪われることへの恐怖に他ならないわ)


雫は、かつて両親の書斎で見つけた古い日記の内容を反芻していた。そこには、親友であった神崎夫妻が事故で亡くなったこと、そしてその事故が、みゆという新しい命が誕生したその日に起きた悲劇であったことが記されていた。みゆは血の繋がらない他人であるだけでなく、湊の両親の命と引き換えに残された、いわば「因縁」の子なのだ。


(日記に書かれたあの真実を知れば、あなたはみゆをどう見るのかしら……。憎むの? それとも、その罪悪感さえも燃料にして、さらに深く愛でるのかしら……)


雫は湊の肩を優しく抱き寄せた。湊は、姉のその動作に「家族の温もり」を感じ、ようやく荒い呼吸を整え始めた。


「姉さん……俺はどうすればいい。この、胸を掻きむしりたくなるような執着を、どうやって消せばいいんだ」


湊の切実な問いに対し、雫は慈愛に満ちた姉の顔を保ちながら、心の中ではその絶望的なまでの愛執の行く末を、静かに見守る決意を固めていた。


湊は雫の指から伝わる微かな体温に安堵し、深く吐息をついた。姉の腕の中にいる時だけは、自分を蝕むどろどろとした独占欲が、一時的に「家族愛」という清らかな名前に上書きされるような気がした。


「……姉さん、俺はどうすればいい。この胸のザワつきを、どうやって消せばいいんだ。みゆを大切に思えば思うほど、俺の中の『何か』が、あいつ(陽太)を敵として排除しろと囁くんだ」


雫は湊の背中を、まるで幼子をあやすように優しく撫でた。その眼差しは湊には慈愛に満ちた聖母のように見えたが、その脳裏にはかつて両親の書斎の奥で見つけた、色褪せた日記の一節が鮮明に浮かんでいた。


(……もし、あなたが知ったらどう思うかしら。親友である神崎夫妻が、みゆという命が生まれたその日に、彼女を遺して逝ってしまったことを。そして、あなたが『妹』として守り抜こうとしているその子が、本当は赤の他人だということを)


日記を読み終えたあの夜、雫は戦慄した。だが同時に、彼女の心に芽生えたのは、弟への猛烈な同情と保護欲だった。

いつか湊がこの真実を知る日が来るかもしれない。その時、彼は自分を「妹の幸せを邪魔する最低の兄」だと責める必要すらなくなるのだ。同時に、最愛の両親が繋いだ命、両親を奪った娘を、湊がどう受け止めるべきか――その重責を、雫は弟一人に背負わせたくなかった。


「消す必要なんてないわよ、湊。むしろ、もっと自分の心に正直に向き合ってみたら? ……例えば、もしも。これはただの、もしもの話よ」


雫は湊の耳元で、静かに、けれど逃げ場のない声を落とした。


「もし、あなたとみゆに『血の繋がり』がなかったとしたら。……二人が赤の他人だったとしたら、あなたはどうする? それでもあなたは、今のように『兄』であることに縛られて、苦しみ続けるのかしら。それとも――」


湊の心臓が、鐘を打つように大きく跳ねた。

「……そんな仮定に意味はない。俺たちは水瀬家の兄妹だ。血が繋がっているからこそ、俺は自分を律しなければならないんだ。……そうだろ、姉さん」


湊は縋るように雫の目を見つめた。肯定してほしかった。自分たちが「兄妹」という強固な鎖で繋がれているからこそ、この感情は間違いであり、抑え込むべきものなのだと。


しかし、雫は残酷なまでに静かな微笑みを浮かべたままだった。その微笑みは、湊を追い詰めるためのものではなく、「どんな答えを出しても私が受け止めてあげる」という究極の肯定の表れだった。


「……ええ。血は重いわね。でもね、湊。もしその鎖がなかったとしたら、あなたは陽太くんにみゆを譲るなんて、これっぽっちも思わないはずよ。あなたは、一人の男として彼女を望んでもいいの。……その可能性を、自分の中に閉じ込めないで」


「……っ」

湊は顔を覆った。

脳裏に一瞬だけ、禁断の光景が過る。兄という枷を外され、ただの「男」として、みゆのすべてを独占する自分の姿。


(湊……。いつかあなたが真実を知って、みゆを「両親の形見」として慈しむ道を選んでも、あるいは「一人の女」として狂おしく愛する道を選んでも。私はあなたの味方よ。)


雫は心に決めていた。もし湊が真実を知り、みゆを恨むようなことになっても、あるいは逆に深い愛憎に溺れることになっても。世間が彼をどう指差そうと、自分だけはこの家の屋根の下で、彼を肯定し続けようと。


「ふふ、ごめんなさい。意地悪な質問だったわね」

雫はゆっくりと湊から離れ、慈しむような眼差しで彼を見つめた。

「でも湊、あなたがどれほど苦しもうと、私はあなたの味方よ。あなたがどんな道を選んでも、私が最後まで見守ってあげる。……水瀬家の長女として、あなたの姉としてね」


「……ありがとう、姉さん。少しだけ、視界が開けた気がするよ」

湊は立ち上がり、自分に言い聞かせるように深く頷いた。

「俺は……兄として、精一杯みゆを守ってみせる。夏の大会も、陽太ごとあいつを守り抜くよ。それが、今の俺にできる唯一のことだ」


湊は決意を新たにした表情で、自分の部屋へと戻っていった。


取り残された雫は、静かに冷えたハーブティーを飲み干した。

(湊……。あなたが選ぶのは、守護者としての自分? それとも、愛に狂う一人の男? どちらになっても、私があなたを離さないわ)


浴室の扉が開く音が聞こえてきた。

「……お風呂、上がったよ」

みゆの、少し眠たげな声。


雫はその声を聞いた瞬間、反射的に優雅な姉の表情を取り繕った。

(もうすぐ夏の大会ね。あなたの気持ちに整理が着くといいわね)


窓の外、夏の終わりの重苦しい闇が、静かに深まっていった。

おはようございます。

作者のFERILUです。


『神様の身代わりー光の兄と罪の妹ー』

を読んでくださりありがとうございます。


際どい内容で相談を受ける姉の様子でした。

6章はこちらで完了となります。

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