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神様の身代わり ―光の兄と、罪の妹―  作者: FERILU
第6章:揺れ動く恋心

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32/62

七月の陽光

期末テストが終わった解放感と、校舎のコンクリートをじりじりと焼く午後の日差し。中学校の廊下は、すぐそこまで迫った夏休みの気配に浮き足立っていた。教室のあちこちで「海に行く」「塾の夏期講習が嫌だ」という声が飛び交う中、私は陽太と並んで、重いラケットバッグを肩にかけ、練習に向かう階段を下りていた。


吹き抜ける風さえも熱を帯び、セーラー服の襟元が肌に張り付く。けれど、今の私にとってその不快感は、隣にいる陽太の存在感にかき消されていた。


「なぁ、みゆ。夏休みに入ったら、どこか行きたいところあるか?」


不意に、陽太が歩調を緩めて問いかけてきた。少し掠れた、まだ声変わりが安定しない独特の低い声。彼は廊下を通り過ぎる他の生徒たちの視線を気にするように周囲を一度見渡し、誰も見ていないと確信すると、そっと私の左手に自分の右手を滑り込ませた。


付き合って一ヶ月。

陽太の手は、連日の練習でマメが潰れては固まり、私よりも一回り大きく、少しだけザラついている。けれど、その指先から伝わる体温は、この夏の暑ささえも凌駕するほど熱く、私の指先を優しく、けれど逃がさないように独占的に絡め取った。


「うーん……陽太は? 夏休みは大会も近いし、練習きついんでしょ?」

「合宿とか遠征はあるけど、一日くらいオフはあるよ。……せっかく付き合ったんだし、どっかデートっぽいこと、したいだろ」


『デート』。その言葉が彼の口から零れるたび、私の胸の奥に小さな、甘い火が灯る。

陽太は照れ隠しに視線を泳がせているけれど、繋いだ手には「離したくない」という彼の真っ直ぐな意志が宿っている。あの日、湊兄さんの過酷なノックに泥まみれで食らいつき、膝をつきながらも私にガッツポーズを向けてくれた時と同じ。不器用で、ひたむきで、自分を必要としてくれる情熱がそこにはあった。


「……水族館とか、行ってみたいな。涼しそうだし、お魚見てるだけで落ち着きそう」

「いいな。じゃあ、俺が有名なところ調べておくよ。チケットとかも、ネットで取れるか見ておくから」


陽太がはにかみながら、私の顔を覗き込んできた。その濁りのない瞳に見つめられるとき、私は自分が「血の繋がらない兄」への醜い執着を抱えた異端者ではなく、どこにでもいる普通の、恋を知ったばかりの中学一年生になれる気がした。彼という光に照らされていれば、私は水瀬家の暗い秘密から目を逸らしていられるのだ。


けれど、そんな二人の淡い甘さを一瞬で凍りつかせるように、背後から重厚な響きを持つ声が響いた。


「おい、そこの一年。いつまでそこで立ち話してるんだ。早くコートに行け、部長が首を長くして探してたぞ」


心臓が跳ねた。

振り返ると、踊り場の逆光の中に湊兄さんが立っていた。

最高学年となった今の彼は、そこにいるだけで空気を支配するほどの圧倒的なオーラを纏っている。一年前よりもさらに背が伸び、引き締まった体躯。ユニフォームの袖から伸びる腕には、鍛え上げられた筋肉の筋が浮き上がり、スポーツマンとしての「強者」の威厳が溢れ出していた。


「あ、兄さん……」

「湊先輩! すみません、すぐ行きます!」


陽太が弾かれたように私の手を離し、数歩距離を取った。直前まで交わし合っていた熱の余韻が、湊兄さんの鋭い視線に晒されて急速に冷えていく。

湊兄さんは、私たちが付き合っていることを知っている。陽太からの相談を受け、二人の仲を誰よりも喜んでくれたのも彼だった。


湊兄さんはゆっくりと階段を下りてくると、私の隣で立ち止まり、大きな掌で私の頭をガシガシと乱暴に撫でた。


「みゆ、あんまり陽太を捕まえとくなよ。こいつは将来の星和を背負う部長候補なんだ。お前のわがままで練習時間を削られたら、俺が困るんだからな」


その言葉は、完璧な「良き兄」としての冗談交じりの叱責だった。けれど、頭に乗せられた手のひらの重み、髪の間をすり抜ける指先の感触。それらすべてが、今の私には暴力的なまでの「異質」として五感を刺激してくる。


(お兄ちゃん、じゃない……。この人と、私は一滴も血が繋がってないんだ)


先月まで当たり前だった家族のラベルが剥がれ落ちた今、湊兄さんの存在そのものが、私の内に秘めた醜い欲動を煽る。彼は陽太に向き直り、ニヤリと挑戦的に笑った。


「陽太、今日はサーブのフォーム調整をやる予定だったな。俺が直々に相手をしてやる。一秒でも遅れたら、校庭十周追加だぞ。……ほら、走れ!」


「はい! よろしくお願いします!」


陽太は顔を赤くし、湊兄さんへの畏敬の念を露わにしながら、弾かれたようにコートへと走り去っていった。その背中を見送りながら、湊兄さんも「じゃあな、みゆ。水分補給しっかりしろよ」と軽く手を振り、陽太を追うようにゆっくりと歩き出した。


私はその二人の背中を見送りながら、胸の奥がギュッと、壊されるような感覚で締め付けられるのを感じた。

大好きな彼氏である陽太が、私の愛する「兄」を目標に追いかけ、絆を深めていく。

その美しすぎるはずの師弟関係が、秘密を抱えた私には、何よりも残酷な拷問のように思えた。



「――ちょっと、みゆ! 今の、湊先輩に見つかったらどうするつもりだったのよ!?」


女子部室の重い鉄の扉を閉め、鍵がかかった音を確認した瞬間、美咲が待ってましたと言わんばかりに詰め寄ってきた。

西日の差し込む蒸し暑い室内には、制汗スプレーの甘い香りと、使い込まれたラケットバッグのゴムの匂いが混じり合って充満している。私たちは手際よく、湿り気を帯びたセーラー服のボタンを外していった。


「とぼけないでよ。さっき廊下で河村くんと、あんなに近くで歩いてたじゃない。付き合ってないなんて言わせないわよ?」


美咲がブラウスをハンガーにかけながら、確信犯的な笑みを浮かべて私の顔を覗き込んでくる。

「……そんなんじゃないってば。ただ、練習場所が同じだから移動してただけだよ」

私が顔を赤くして俯き、テニスウェアのスコートに履き替えようと片足立ちになると、隣でインナー姿になっていた奈緒が、羨望の混じった溜息をついた。


「でもさ、最近の河村くん、みゆのこと見る目が明らかに違うよね。あんなに『好き』って顔に出てる男子、他にいないよ。まだ正式に告白とかされてないの?」


「ちょっ、奈緒! 声が大きいってば……!」

際どい追求に、私は思わず脱ぎかけのシャツを胸元に抱きしめた。

「いいじゃん、教えてよ。莉奈もそう思うでしょ?」

同じく着替えを中断した莉奈が、私の隣に詰め寄って、悪戯っぽく肩を指で突っついてくる。


「私も美咲に同意かな。湊先輩は学校一の有名人で、すぐ隣には期待の新人・河村くんがいて……みゆの周りだけ、少女漫画の世界が始まってるみたい。ねえ、みゆ。もし河村くんに告白されたらどうする? オッケーしちゃうの?」


「……そんなの、まだ分からないよ」


私は乾いた笑いで受け流しながら、スコートのウエストを整える手に力を込めた。女子部のみんなには、まだ陽太との「本当の関係」は話していない。あの日、湊兄さんの過酷な特訓の果てに、陽太と私が結ばれたことを知っているのは、私の家族だけなのだ。


着替えを終えた私は、逃げるように部室の隅にある、西日に焼かれた窓際へと歩み寄った。金網越しに、男子コートの喧騒が熱気と共に伝わってくる。


そこには、容赦ない日差しの下でサーブを叩き込む陽太と、フォームを指摘する湊兄さんの姿があった。

湊兄さんへの、決して口にしてはいけない、血の繋がりを超えた執着。

そして、不器用でも自分だけを見て、泥臭く手を伸ばしてくれた陽太への、守り抜かなければならない恋心。


「……湊先輩に、認められたいんだろうね。河村くん」

後ろから莉奈が覗き込み、感心したように呟く。

「うん。……そうだね」


二人の大切な「男の子」が、同じコートで汗を流し、師弟のような熱い絆を結んでいる。その、残酷なまでに純粋な光景。

私は自分の心が二つに引き裂かれそうなほどの、贅沢で、そして救いようのない痛みに身を焦がしていた。


(……ごめんなさい、陽太。私、あなたのことを『盾』にしているのかもしれない)


心の中で陽太への愛おしさを懸命に反芻し、彼を「正しい光」として縋りながらも、私の瞳は、無意識のうちに湊兄さんの、あの逞しい背中だけを追い続けていた。七月の烈しい陽光が、私の迷いを焼き尽くしてくれることは、最後までなかった。

おはようございます。

作者のFERILUです。


『神様の身代わりー光の兄と罪の妹ー』

を読んでくださりありがとうございます。



みなさんは付き合っている相手がいた時周囲に伝えてました?秘密にしてました?

中学1年生の時期って小学生の延長線の感覚で男の子同士、女の子同士のグループに分かれているので公言出来ないって人も多いかと思ってます。


そのうちバレちゃうのがオチですけどね。



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