番外編:家族が増えた日(雫視点)
みゆの十三歳の誕生会は、家族の温かな笑い声に包まれて幕を閉じた。
主役である妹が、どこか火照った顔で自分の部屋へと引き上げた後のリビング。私は一人、ソファの端に深く腰掛け、テーブルの上にぽつんと残された数冊のアルバムに手を伸ばした。
それは、みゆが誕生会の合間に、懐かしそうに、けれど熱心にめくっていた私たちの家族の記録だ。
分厚い表紙の隅を指先でなぞると、古い紙と糊が混ざり合った独特の匂いが鼻をくすぐる。
一頁ずつ丁寧にめくれば、そこには鮮やかな「幸せ」が、セピア色の情景となって整然と並んでいた。
私の指先が、ある一ページでぴたりと止まる。
「……可愛い。本当に、天使みたいだったわね」
誰もいない部屋で、思わず独り言が漏れた。
そこに写っているのは、まだ寝返りを打つのがやっとだった頃の、真っ白な赤ん坊のみゆ。そして、その横で誇らしげに胸を張り、小さな指先で赤ん坊の頬を優しく突ついている、二歳直前の湊。
あの日――湊が私の「弟」として、この水瀬家に迎え入れられた日のことを、私は今でも昨日のことのように鮮明に覚えている。
当時、まだ幼かった私には、大人の事情なんて何一つ理解できていなかった。
雨上がりの午後だっただろうか。お父さんとお母さんに抱えられて玄関に現れた、小さな男の子。
「今日から、この湊くんが雫の弟になるのよ。仲良くしてあげてね」
お母さんにそう言われた瞬間、私の胸は弾けるような純粋な喜びで満たされた。
私を慕ってくれる可愛い妹のみゆがいる。そして今度は、私が手を取り、一緒に走り回り、守ってあげるべき「弟」がやってきたのだ。
私は迷わず、湊の温かな手を、自分の小さな掌でぎゅっと握りしめた。
「湊、よろしくね。私、いいお姉ちゃんになるからね。ずっと一緒に遊ぼうね」
湊はもうしっかりとした足取りで立ち、少し照れくさそうに、でも力強く私の手を握り返してくれた。その手のひらの確かな熱を感じた時、私は自分の幸運を心から神様に感謝した。こんなに素敵な宝物を私たちの元へ届けてくれたことを、幼いなりに奇跡のように感じていた。
それから始まった、五人の「水瀬家」としての、絵に描いたような生活。
深夜に響くみゆの泣き声さえ、当時の私には幸せな日常のBGMのように聞こえたものだ。
おむつを替えるお母さんの傍らで、湊が自分の足でトコトコと駆け寄り、一生懸命にガラガラを振って赤ん坊のみゆをあやしてくれた時間。
歩けるようになった湊と、まだ抱っこのみゆ。二人の小さな存在に囲まれて、春の光が降る近所の公園を散歩した昼下がり。
(ああ……なんて幸せなんだろう、って。毎日、それだけを噛み締めていた)
みゆの無邪気な仕草に癒やされ、湊の成長を誰よりも近くで見守り、三人で笑い転げる毎日。
この黄金色の時間が永遠に続くことだけを、私は一寸の疑いもなく信じていた。
血が繋がっているとか、いないとか。そんな言葉がこの世にあることさえ知らないほど、私は純粋に「家族が増えたこと」を喜び、この箱庭のような幸せを慈しんでいた。
私はリビングのアルバムを閉じると、それを小脇に抱え、静まり返った階段を二階へと上がった。
「みゆ、アルバムを片付けておくわね」
ドアをノックしたが、返事はない。そっとノブを回して覗き込むと、みゆは誕生会の疲れからか、既にベッドの中で規則正しい寝息を立てていた。
机の上には、みゆが持ち出したのであろう、数冊のアルバムが乱雑に積み重なっている。
私はその山を崩さないように、手にした一冊を元の場所へ戻そうとして、ふと動きを止めた。
山の一番下。他の鮮やかで豪華なアルバムに押し潰されるようにして、あの「古びた表紙のアルバム」が静かに眠っていた。
私たちの両親と、今は亡き神崎夫妻が、赤ん坊の湊を真ん中にして笑い合っている、あの忌まわしい過去の記録。
私は息を潜め、その古いアルバムを指先で慎重に引き出した。
そして、恐る恐る中を確認する。
神崎夫妻がまだ幼い湊を抱いているページ。
古い糊の跡や、写真の四隅の固定具合。配置が変わった様子も、新しく指紋がついたような不自然なテカリもない。
(……よかった。みゆは、この一冊にはまだ指をかけていないわ)
私は心の中で、深く、長い安堵の溜息をついた。
積み重なったアルバムの順番から推測するに、みゆは手近な「水瀬家」の輝かしい思い出の数々に夢中になり、一番底にあるこの、不気味なほど古びた表紙を捲るまでには至らなかったのだ。
みゆはまだ何も知らない。
最愛の湊が水瀬の血を一滴も引いていない「他人」であることも、あの一家を襲った凄惨な事故の記憶も。
あの子はただ、陽太くんという素敵な男の子との恋に胸を躍らせる、無知で、だからこそ美しい女の子のままだ。
「……おやすみなさい、みゆ。何も知らなくていいのよ。あなたはそのまま、この綺麗な世界で笑っていればいいの」
私は満足げな微笑みを浮かべ、アルバムの山を元の通り、美しく整えてから部屋を後にした。
私は、この平和な日常が維持されていることを確信し、穏やかな眠りにつく。
私たちが世界で一番幸せな三人姉弟でいられるように。
あの日神様に感謝した幸せを、お姉ちゃんである私が、嘘を塗り重ねてでも永遠に守り抜いてあげるから。
おはようございます。
作者のFERILUです。
『神様の身代わりー光の兄と罪の妹ー』
を読んでくださりありがとうございます。
6章へ入る前の番外編です。
お姉ちゃんはまだバレていないと思っているからこその安心感。
みんなが寝静まったあとの一コマでした。




