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神様の身代わり ―光の兄と、罪の妹―  作者: FERILU
第5章:一番近い光のそばで

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アドレス帳の嘘

「さあ、一階へ行きましょう。お母さんも腕を振るって待っているわ」


私の部屋を出るお姉ちゃんの足取りは軽く、その背中からは「完璧な家族の夜」を演出する悦びが滲み出ているようだった。私は震える膝を必死に叱咤し、あの『神崎』という名が記されたアルバムを隠したクローゼットに背を向けて、吸い込まれるように階段を下りた。


一階へ下りると、キッチンからは食欲をそそる香ばしい匂いが漂っていた。お母さんがエプロン姿で微笑み、お姉ちゃんも「私も手伝うわね」と手際よく並んで料理を仕上げ始める。二人の背中を見ていると、さっき見た真実が恐ろしい白昼夢だったのではないかと錯覚しそうになる。けれど、掌に残るアルバムの埃の感触が、それが紛れもない現実だと残酷に突きつけていた。


「みゆ、こっちへおいで。まずはこれを渡しておこう」


リビングのソファに座っていたお父さんが、小さな箱を差し出した。待ち焦がれていた、最新型のスマートフォン。私はお父さんの隣に座り、教わりながら初期設定を始めた。画面が明るく光り、新しい世界が開通していく。けれど、指先が触れる硝子の冷たさは、私の心臓の凍りつきをそのまま映しているようだった。


「ただいま! 悪い、ちょっと遅くなった!」


元気な声とともに玄関が開いた。部活帰りの湊兄さんが、少し汗をかいた顔でリビングに飛び込んでくる。


「お、みゆ。ついにスマホ手に入れたんだな。おめでとう!」

「おかえり、兄さん……」


湊兄さんは私の隣にどさりと座ると、画面を覗き込んでフランクに笑った。

いつもなら、その爽やかな石鹸の香りと、すぐ隣にある大きな肩の熱にドキドキして、「お兄ちゃんなのに変だ」と必死に自分を律していた。けれど今は、その自制心が足元から音を立てて崩れていくのを感じていた。


(この人は……私の、本当のお兄ちゃんじゃない)


そう思った瞬間、今まで「家族愛」という強固な蓋で押さえつけていた湊兄さんへの秘かな恋心が、行き場を失って溢れ出しそうになった。湊兄さんは何も知らない。自分がこの家の人間ではないことも、私が今、彼を「一人の男の子」として、これまで以上に烈しい熱を帯びた眼差しで見つめていることも。


料理がテーブルに並び、家族五人が揃った。お父さんがグラスを掲げようとした時、私は震える声で口を開いた。


「あのね、みんなに報告があるの。……私、さっき陽太から告白されて、付き合うことになったんだ」


一瞬の静寂の後、一番に声を上げたのは湊兄さんだった。


「マジか! やったじゃん陽太! あいつ、ずっと悩んでたからさ。僕も昨日、相談に乗ってアドバイスしてやったんだよ。本当によかったな、みゆ!」


湊兄さんは自分のことのように顔を輝かせ、私の肩を力強く叩いて喜んでくれた。陽太の恋を応援し、妹の幸せを心から祝う、理想的な兄の姿。

でも、その屈託のない笑顔を見れば見るほど、私の胸は引き裂かれるように痛んだ。湊兄さんと血が繋がっていないのなら、私は陽太と付き合う必要なんてなかったのかもしれない。湊兄さんを、正々堂々と好きになってもよかったのかもしれない。

……そんな叶わない「もしも」が、頭の中で毒のように回る。


「……ありがとう。ねえ、ちょっとだけ陽太のところへ行ってきてもいい? 番号、交換してきたいの」

「いいよな、姉さん? 隣なんだし、すぐだろ」


湊兄さんがお姉ちゃんに問いかける。

「ええ、いいわよ。でも、お料理が冷める前に帰ってくるのよ、みゆ」


私はスマートフォンを握りしめ、夜の空気の中に飛び出した。すぐ隣にある陽太の家のチャイムを鳴らす。出てきた陽太と連絡先を交換しながら、私の心はどこか遠く、リビングに残してきた湊兄さんのもとにあった。


「……これ、俺の番号。なんかあったらすぐ言えよ」

「うん。ありがと。……大好きだよ、陽太」


私は、自分自身に言い聞せるようにそう呟いた。

陽太は私の「彼氏」だ。そして湊兄さんは「兄さん」だ。そうでなければ、この幸せな家族は壊れてしまう。アルバムの真実を知ったのは私だけでいい。私がこのまま、陽太という「正解」の中に逃げ込めば、水瀬家は平和なままでいられる。


家に戻ると、湊兄さんが自分のスマホを手に待っていた。

「おかえり。交換できたか? じゃあ、次は僕たちだな。家族なんだから、何があってもすぐ繋がれるようにしておかないと」


湊兄さんに言われるまま、私はまずお父さん、次にお母さんの番号を打ち込んでいく。次にお姉ちゃんの連絡先を登録し、最後、湊兄さんが読み上げる数字を慎重にタップした。


入力が終わり、画面をスクロールして最後に確認する。


アドレス帳に並んだ、その名前。


『水瀬 湊』


その文字を指先でなぞったとき、鼻の奥がツンとした。

水瀬という名字は、彼にとって借り物でしかない。血の繋がらない、けれど世界で一番愛しい人。

私はこれから、彼を「兄さん」と呼ばなければならない。彼を、お姉ちゃんの弟として、水瀬家の長男として、一生守り抜くための「共犯者」にならなければならないのだ。


「よし、これで全員揃ったな。これでいつでも、家族全員と繋がれるぞ」


湊兄さんは満足そうに私の頭をガシガシと撫でた。その手のひらの温かさが、今はひどく切なくて、叫び出したくなるほどに愛おしかった。


「……うん。そうだね、兄さん」


私は偽物の笑顔を顔に貼り付け、煌々と明かりの灯る食卓へと戻った。





メインディッシュが片付けられ、リビングの照明が少しだけ落とされた。お母さんがキッチンから運んできたのは、私の名前が誇らしげにチョコプレートに刻まれた大きなデコレーションケーキだ。


「さあ、みゆ。願い事を込めて、一気に吹き消して」


お姉ちゃんの促す声に、私は形ばかりの微笑みを浮かべて立ち上がった。ろうそくの炎が、ゆらゆらと家族の顔を照らし出す。お父さん、お母さん、お姉ちゃん……そして、湊兄さん。


私が知ってしまった秘密。血が繋がっていないという「真実」を知らぬまま、彼は世界で一番優しい兄の顔をして私を見つめている。


(私の願い事は……)


心の中で呟きかけた言葉を、私は慌てて飲み込んだ。もし、本当のことを願ってしまったら。湊兄さんと結ばれたいと願ってしまったら。その瞬間に、この温かい食卓も、ケーキの甘い香りも、すべてが砂のように崩れ去ってしまう気がした。


「ふうっ」


炎が消え、暗がりに白い煙が立ち上る。家族の拍手の中で、私は再び「妹」という仮面を深く被り直した。


「よし、ケーキカットは俺に任せな。主役は座ってろ」


湊兄さんが器用にナイフを入れ、等分に切り分けていく。私の皿に一番大きな苺を乗せて、「ほら、みゆの分だ」と差し出してくれる。その指先がわずかに私の手に触れただけで、新しいスマホを握ったときよりも鋭い電流が全身を駆け抜けた。


「……ねえ、兄さん。兄さんは、私が誰かと付き合うの、本当に寂しくないの?」


自分でも驚くほど、意地悪な問いかけが口を突いて出た。 湊兄さんはフォークを口に運ぼうとして、少しだけきょとんとした顔をした。そして、困ったように笑って私の頭を軽く小突いた。


「何言ってるんだ。寂しくないって言ったら嘘になるな。でも、陽太なら安心だし、みゆが幸せなのが一番だ。それに、付き合ったって『兄貴』は俺一人だろ? どこにも行かないから安心しろ」


どこにも行かない。 その言葉は、本来なら何よりも心強いはずなのに、今の私には残酷な呪いのように響いた。 兄さんは「水瀬湊」として、永遠に私の手の届かない「兄」という檻の中に居続けると宣言されたようなものだった。


「そう……だよね。ずっと、兄さんだもんね」


私は苺を口に含んだ。甘酸っぱいはずの果実は、なぜか鉄のような味がした。 隣で見守るお姉ちゃんが、満足そうに頷いている。彼女はこの「完璧な家族」を維持するために、あのアルバムを隠し通してきたのだ。私もまた、彼女と同じ道を歩み始めている。


誕生日会が終わり、自室に戻った私は、真っ暗な部屋で新しいスマートフォンの画面を点灯させた。 アドレス帳の最後に登録された『水瀬 湊』の名前。 そして、さっき交換したばかりの『河村 陽太』の名前。


私は震える指で、陽太にメッセージを送った。 『今日はありがとう。大好きだよ。おやすみ』


送信ボタンを押した瞬間、涙が頬を伝って画面に落ちた。 これは陽太への真っ直ぐな愛の言葉ではない。湊兄さんへの想いを殺すための、自分自身への処刑宣告だ。 陽太を愛することで、湊兄さんを守る。 陽太という光の中に逃げ込むことで、水瀬家の深い闇に蓋をする。


窓の外では、夜の風が静かに庭の木々を揺らしていた。 私は13歳になった。 世界で一番残酷な真実を抱え、世界で一番優しい嘘を愛しながら。



おはようございます。

作者のFERILUです。


『神様の身代わりー光の兄と罪の妹ー』

を読んでくださりありがとうございます。



今の学生ってアドレス帳って言わないのかな?

スマホのアプリは連絡先とかContactsだもんね?


メールアドレスが無くてもLINEやCメールでやりとりできるから

登録しなくなっていいって人も増えているんだよね。


メールもGMailあれば十分とか思っています。


次の話で5章は最後になります。

6章は夏休み期間の話になります。

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