黄金色のファーストキス
六月二十日。私の十三歳の誕生日は、世界が黄金色に輝く奇跡のような一日になろうとしていた。
今日はお父さんとお母さんが昼過ぎに帰ってくる。駅まで二人を迎えに行った雫お姉ちゃんからは、「最高の誕生日プレゼントを内緒で選んでから帰るわね」と連絡が入っていた。 けれど、私の心をそれ以上に激しく揺さぶっていたのは、カバンの奥にそっと忍ばせた一通の封筒だった。
(放課後、屋上で待っています。伝えたいことがあります。 みゆ)
何度も書き直し、昨夜は一睡もできずに準備した陽太への呼び出し状。今日、十三歳になるこの日に、幼馴染という関係から一歩踏み出す勇気を、私は絞り出そうとしていた。
昼休み。誰もいない廊下を確認し、鼓動を早めながら陽太の下駄箱にその手紙を入れようとした、その時だった。
「え……?」
陽太の靴の隙間に、私の手紙を差し込むより先に、私の視界に飛び込んできたものがある。それは、私の下駄箱の中に無造作に投げ込まれた、一通の白い封筒だった。 慌てて自分の下駄箱を開け、その封筒を取り出す。そこには見覚えのある、少し角ばった陽太の字で「水瀬みゆ様」と書かれていた。
(陽太からも……呼び出し?)
運命の悪戯に胸を熱くしながら、私は震える指でその封筒を開封した。中から出てきたのは、便箋というよりはノートの切れ端のような紙で、そこには驚くほど堅苦しい文字が並んでいた。
『拝啓 初夏の候、水瀬様におかれましては益々ご清祥のこととお慶び申し上げます。さて、本日は貴殿の生誕記念日という慶事に際し、放課後十六時に北校舎屋上にてお話したき儀がございます。万障お繰り合わせの上、ご来場いただければ幸いです。敬具 河村陽太』
「……ふふっ、何これ」
思わず、緊張が抜けて笑いが漏れてしまった。どこかのビジネス文書か、あるいは湊兄さんの蔵書から書き写したのか。中学生になったばかりの男の子が、一生懸命に「真剣さ」を演出した結果の、あまりにも社交辞令な文字の羅列。 けれど、その不器用な言葉の裏に、彼がどれほど緊張し、どれほど真面目に私に向き合おうとしてくれたのかが伝わってきて、愛おしさで胸がいっぱいになった。
私は、自分が用意していたラブレターをポストに投函するのをやめ、そっとカバンの奥深くにしまい直した。
(私からの手紙は、また今度……。今日は、陽太の勇気を受け取りに行こう)
放課後の十六時。 夏至を明日に控えた太陽はまだ高い位置にありながら、その光は昼間の白さを脱ぎ捨て、すべてを宝石のように輝かせる濃密な黄金色へと移り変わろうとしていた。
私は一人、震える足取りで誰もいない北校舎の階段を上った。一段上るごとに、ローファーの音が静かな階段に響き、心臓の音が耳元まで迫ってくる。
(陽太、あんな堅苦しい手紙書いて……今、どんな顔して待ってるのかな)
可笑しさと、それ以上の高鳴る期待。重い鉄の扉の向こう側には、きっと私たちの新しい関係が待っている。 私は一度立ち止まり、深く息を吸い込むと、黄金色の光が漏れ出す屋上の扉に手をかけた。
重い鉄の扉を押し開けると、そこには初夏の熱を帯びた風と、視界を焼き尽くすほど鮮やかな西日が広がっていた。
「……来たか」
フェンスに背を預けていた陽太が、ゆっくりとこちらを振り返った。 逆光の中で目を細める彼の姿は、あの日ブカブカで笑ってしまった制服を今は完璧に着こなし、いつの間にか私よりも少しだけ背が高くなっている。
「ごめん、待った?」
「いや……俺も今来たところだ」
陽太はゆっくりと、吸い寄せられるように私の方へ歩み寄ってきた。その瞳は、いつもの悪戯っぽい光を消して、見たこともないほど真っ直ぐに私を射抜いている。黄金色の光が、彼の真剣な表情をよりいっそう際立たせていた。
「……あの、手紙。読んだか?」
陽太が気まずそうに、けれど真剣に問いかけてくる。私はたまらなくなって、少しだけ悪戯っぽく微笑んだ。
「読んだよ。『万障お繰り合わせの上』、来ちゃいました。あんな丁寧な陽太、初めて見たかも」
「……うるせーよ! 湊さんの部屋にあった手紙の書き方本、必死に写したんだからな。湊さんと雫さんに嫌われたくなくて、変な言葉使いじゃ失礼かと思って……」
真っ赤になって言い訳をする陽太。その不器用な優しさが、私の胸を温かく満たしていく。彼は一度大きく深呼吸をすると、私の両肩にそっと手を置いた。その手は、驚くほど熱い。
「みゆ。……今日、お前が十三歳になるのを、ずっと待ってたんだ。中学生になって、毎日お前と一緒に登校して、部活でもお前の姿を探して……。俺、やっと自分の気持ちがハッキリしたんだ」
「陽太……」
「中学生になって、セーラー服を着て隣を歩いてるお前を見たとき、急に……俺の知らない、綺麗な女の子に見えて。ただの幼馴染だったはずなのに、もう、それだけじゃいられないんだ」
陽太の告白を聞きながら、私の胸の奥で、数年間ずっと大切に、大切にしまっていた記憶が熱を持って溶け出した。
「……陽太。あの時のこと、覚えてる?」
「あの時……?」
「小学校のとき、私が足を挫いて……陽太が家までおんぶしてくれた日のことだよ。私ね、あのとき陽太の背中から伝わってくる大きな心臓の音を聞きながら、お風呂上がりみたいに顔が熱くなって、どうしていいか分からなかったんだ」
私は顔を上げて、潤んだ瞳で真っ直ぐに陽太を見つめた。あの日、伝えられなかった想いが言葉となって溢れ出す。
「陽太が真っ直ぐお姉ちゃんに謝ってくれたとき、喧嘩ばかりの幼馴染じゃなくて、誰よりも頼もしい男の子に見えた。私は、あの時からずっと、陽太のことを……特別な男の子として見てたんだよ」
私の言葉に、陽太は一瞬呆然としたように目を見開き、それから耳まで真っ赤にして俯いた。
「……マジか。お前、そんな前から……。俺は、中学生になるまで、自分の気持ちが恋だなんて気づきもしなかったのに……」
陽太は照れ隠しをするように自分の頭を乱暴に掻くと、再び私の肩を自分の方へと引き寄せた。黄金色の光が二人の間に溢れ、初夏の風が私のスカートと陽太の制服の裾を優しく絡ませる。
「……でも、今は、誰よりもお前のことが好きだ。幼馴染じゃなくて、俺の彼女になってほしい。一生、俺が守るから。……俺と、付き合ってくれないか?」
その真っ直ぐな言葉が、黄金色の空気の中に溶けていく。これ以上ないほどの幸福感が、私の胸を焦がした。
「......ズルいよ、陽太...。私から気持ちを伝えようと思って、手紙まで書いていたのになぁ......」
私はカバンの中にある、陽太に渡せなかった封筒を思い出しながら応えた。
「……うん。私も、陽太のことが、大好きだよ」
私が答えると、陽太は顔をくしゃくしゃにして笑った。安堵した彼は、そのまま私の手を強く握りしめた。その掌は驚くほど熱くて、少しだけ汗ばんでいて、彼も私と同じくらい緊張していたことが伝わってくる。
陽太の顔が、ゆっくりと近づいてくる。 私は逃げることもできず、けれど逃げたくもなくて、吸い込まれるように彼の瞳を見つめた。
「みゆ……いいか?」
「……うん」
私は反射的に、ゆっくりと目を閉じた。 鼻先が触れ、次の瞬間、唇に柔らかくて温かな感触が、戸惑うようにそっと触れた。
(あ……)
初めて知る、陽太の体温。 ほんのりと石鹸の香りがして、日差しをたっぷり浴びたシャツのような、清潔で温かい匂いがした。時間は永遠に止まってしまったのではないかと思うほど、短くて長い、純粋なファーストキス。
ゆっくりと顔を離すと、陽太の顔は夕焼けよりも赤く染まっていた。
「……誕生日、おめでとう。みゆ」
「……うん。ありがとう、陽太。最高の誕生日だよ」
私たちはどちらからともなく手を繋ぎ、燃えるような黄金色の空を見上げた。家族の誰にも監視されていない、屋上という名の二人だけの自由な時間。
今日から私は、陽太の特別な女の子になる。 けれど、この時の私はまだ知らなかった。 私が「水瀬家」という聖域の一部であるために、どれほど歪な代償が払われているのかを。 そして、大好きで尊敬してやまない湊兄さんと私の間に、運命を根底から覆すような、残酷で、けれど抗いがたい「秘密」が隠されていることを。
幸せに満ちた夕暮れの光の向こう側で、私を待つ「家族の真実」への秒読みは、もう始まっていた。
おはようございます。
作者のFERILUです。
『神様の身代わりー光の兄と罪の妹ー』
を読んでくださりありがとうございます。
付き合うことになりました。
…...早すぎる? いいんですよ、細かいことは。
むしろここからが始まりです。
とはいえ、しばらくは陽太路線ですので、そこまでは大きく変わりません。
進行度は全体の20分の1くらいですかね。
まだまだ続きますので、お付き合いいただけると幸いです。




