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神様の身代わり ―光の兄と、罪の妹―  作者: FERILU
第5章:一番近い光のそばで

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フェンス越しの熱線

中学校生活が始まって一週間。新しい制服も少しずつ体に馴染み始めた頃、1年B組の教室では、放課後のチャイムと同時に独特の熱気が渦巻き始めていた。


「ねえ、水瀬さん。この後、もし時間あったら……」


斜め前の席の男子が、顔を真っ赤にしながら私の机に歩み寄ってきた。その後ろでは、数人の男子が固唾を呑んでこちらを伺っている。 入学以来、私は自覚のないままクラスの注目の的になっていた。雫お姉ちゃんに「可憐に育ったわね」と笑われる今の私は、男子たちにとって、どうにかして接点を持ちたい「憧れの存在」だったらしい。


「あ、ごめんなさい。今日はこの後、部活の……」


私が断りの言葉を口にしようとした、その瞬間だった。 教室の空気を切り裂くような音が響いた。


ガララッ!!


廊下側の窓が、外側から乱暴に、しかし迷いなく開け放たれる。 「みゆ! 行くぞ! 準備遅いと大野部長に絞められるぞ!」


窓から身を乗り出し、土足に近い勢いで声をかけてきたのは、隣のA組の河村陽太だった。 陽太の登場に、私に声をかけようとしていた男子がビクッと肩を震わせる。教室中の男子たちの視線が、一斉に陽太へと向けられた。それは、明らかに「またあいつか」という拒絶と、敵意に近い嫉妬が混ざり合ったものだった。


「……あ、河村くん。また来たの?」

私の隣で帰り支度をしていた美咲が、呆れたように声を上げる。

「おう、松本。お前もみゆを独占してないで、早く行くぞ。今日は坂上先生も来るって噂だ」

「ちょっと、さっきの授業中も廊下で叫んでたでしょ! 本当に河村くんは、みゆと同じクラスになれなかったのがそんなに寂しいわけ?」


美咲の意地悪な問いかけに、陽太は少しも怯むことなく、むしろ当然といった顔で胸を張った。

「当たり前だろ! みゆが可愛いからって、変な虫がつかないように俺がしっかり見てなきゃいけないんだよ」


そのあまりにもストレートな、それでいて「幼馴染」という特権を振りかざした発言に、教室の温度が数度下がった気がした。私の前の男子は、握りしめた拳を震わせながら、逃げるように自分の席へ戻っていった。


「も、もう……陽太、バカなこと言わないで」

私は顔が火照るのを感じながら、急いでバッグに教科書を詰め込んだ。 陽太のこういう「無自覚な独占欲」は、昔から変わらない。けれど、中学生になって、彼の肩幅が広くなり、声が少し低くなった今、その言葉は以前よりもずっと重く、熱を持って私の心に響いてしまう。


「あーあ、可哀想に。クラスの男子全員を敵に回しちゃったね、河村くんは」

美咲がくすくすと笑いながら立ち上がる。

「敵? 何のことだよ。それより早く行こうぜ、湊さんに『一年生が遅い』なんて思われたくないだろ」


陽太は私の手を引くような勢いで、窓から廊下へと促した。 私は一度だけ教室を振り返った。そこには、私たち二人の親密な空気に入る隙を見つけられず、唇を噛み締めるクラスメイトたちの姿があった。



中学校の放課後、テニスコートを包み込むのは、焼けたゴムの匂いと、絶え間なく響く乾いた打球音だ。 コート脇のベンチには、今年から男女両テニス部の顧問を受け持つ坂上さかがみ先生が腰を下ろし、鋭い眼差しで部員たちの動きを追っている。坂上先生は元国体選手という経歴を持つ厳格な指導者だが、生徒の主体性を重んじ、普段のメニューは部長たちに一任していた。


男子テニス部の部長・大野おおの健斗ゆうと先輩が「整列!」と声をかけると、コートの空気は一瞬で張り詰める。 部員たちの視線が集中するその先に立っているのは、三年生のエース、湊兄さんだった。最高学年になり、一年前よりも背が伸びた兄さんの纏うオーラは、以前にも増して頼もしく研ぎ澄まされている。


「今日から一年生振り回し(ノック)を始める。基本、俺の球についてこられるところまででいい。脱落しても落ち込むな、まずは体力作りからだ。残りは大野部長のコートで基本練習に戻れ」


湊兄さんの声は、厳しさの中にも部員を気遣う余裕があった。新入生たちは期待と緊張を胸に次々とコートへ入る。けれど、湊兄さんが「いくぞ!」と放った球は、一年生たちの想像を遥かに超える「本物」だった。


湊兄さんの打球は正確で、なにより重い。最初は数人いた一年生も、左右に激しく振られる球に足がもつれ、ラケットに当てることすらできずに次々と脱落していく。


そんな中、最後までコートに残ったのは、陽太と、経験者の佐藤さとう健二けんじくん、俊足の田中たなか瑛太えいたくんの三人だった。


「はぁ、はぁ……っ!」


湊兄さんのラケットから放たれる球が、コートの左右へと散らされる。

「ほら、足が止まってるぞ! 田中、もっと踏み込め!」

湊兄さんの檄が飛ぶ。けれど、俊足が自慢だった田中くんが最初に限界を迎えた。「……すみません、もう、足が……」と肩で息をしながら、彼は力尽きたようにコートを外れた。

残ったのは陽太と佐藤くんだ。佐藤くんは経験者らしい無駄のない動きで粘っていたけれど、最後は湊兄さんが放った鋭いドロップショットに一歩も動けず、悔しそうにラケットを地面に置いた。


「……河村。お前はどうする。さすがに、もう限界だろ」


湊兄さんが少しだけ口元を緩め、ただ一人残った陽太に問いかけた。

陽太の白いユニフォームは、すでに膝も肘も土埃で茶色く汚れ、額からは絶え間なく汗が滴り落ちていた。他の二人のようにスマートな動きじゃない。転び、泥にまみれ、なりふり構わずボールを追いかける泥臭い姿。


「……終わって、ねえ。まだ、動けます……!」


陽太の声は掠れていたけれど、その瞳だけは異様なほど燃えていた。

湊兄さんは「へぇ、言うようになったな」と一瞬だけ笑うと、さらに厳しいコースへ球を打ち込んだ。陽太は肺が焼けるような呼吸を繰り返しながらも、泥だらけの靴で地面を蹴り、ボールの落下地点へと飛び込んでいく。


「……っし!」


陽太が湊兄さんの鋭いショットを、ようやく一本、ラケットの芯で捉えた。鈍い音を立てて返ったボールが、ネットを越えて湊兄さんの足元へ落ちる。


「……一本。取ったぞ……!」


陽太はラケットを杖代わりにして、膝をついたまま湊兄さんを見上げた。

湊兄さんはその球を拾い上げると、豪快に笑って陽太の元へ歩み寄った。


「合格だ、河村。今日の練習メニューを最後まで完遂したのは、お前だけだ。明日からも俺が直々についてやるから、覚悟しとけよ」


湊兄さんが泥だらけの陽太の手をガシッと掴んで引き立たせる。その姿は、厳しい先輩というより、頑張った弟を褒める兄貴そのものだった。その瞬間、陽太の顔に浮かんだ、誇らしげで少年のような純粋な笑顔。

フェンス越しにタオルを握りしめて見守っていた私は、自分の心臓が大きく高鳴るのを感じていた。

エースとして君臨する湊兄さんと、その背中を泥まみれで追いかける陽太。二人の間に流れる、言葉を超えた熱い絆。私はその光景を、眩しくて、そして少しだけ胸が苦しくなるような想いで見つめ続けていた。



男子コートの張り詰めた空気とは対照的に、女子テニス部は賑やかな活気に満ちていた。

「さあ、一年生! ボール拾いの合間に素振り100回! 湊くんに負けないくらい、私たちも気合入れていくわよ!」 部長の高城たかぎ紗良さら先輩の声が響く。彼女は湊兄さんと同じ三年生で、女子部を地区ブロック大会へと導く実力派だ。


私の周りには、同じ一年生の部員が五人。

「やっぱり、みゆのフォームって綺麗だよね。湊先輩が教えてるの?」

そう言って笑いかけてくるのは、お喋り好きな松本まつもと美咲みさき

「でもさ、隣の男子コート凄くない? あの河村くん、湊先輩の『三年のノック』に最後まで残ったんだよ。一年生であのメニューについていけるなんて、信じられない……」

真面目な田中たなか奈緒なおが、驚きを隠せない様子でフェンス越しを指差した。


「……うん。陽太、昔から負けず嫌いだから」

私はラケットを握り直しながら、短く答える。 三年生の湊兄さんは、部員全員にとって手の届かない存在だ。そんな兄に、幼馴染である陽太が食らいついている。その事実に、私は誇らしさを感じると同時に、二人の世界に置いていかれるような、小さな焦燥感を覚えていた。


女子部の練習は、高城先輩による基礎の球出しが続いた。

「水瀬さん、今のショット、腰の回転が凄くいいわ! さすが湊くんの妹ね」

高城先輩に褒められるたび、私は「湊の妹」として期待に応えられた安堵感に包まれる。けれど、その直後にチラリと男子コートへ目を向けると、そこには三年生としての威厳を纏い、冷徹に部を統率する兄と、その足元で泥にまみれ、なりふり構わずもがく陽太の姿があった。


完璧な兄の姿に憧れる心と、不格好でも懸命な陽太から目が離せない心。 二つの感情が、私の胸の中で複雑に混ざり合っていた。


休憩時間になり、私たちはベンチで水筒の水を飲んだ。

ふと見ると、男子コートでも練習が一段落したようで、陽太が地面に大の字になって寝転んでいた。湊兄さんがその横に立ち、笑いながら陽太にスポーツ飲料を手渡している。


その時だった。

大の字になっていた陽太が、ふいと顔をこちらに向けた。

何重ものフェンスと、立ち働く部員たちの隙間を縫って、陽太の視線が真っ直ぐに私を射抜いた。


陽太は顔の汚れをユニフォームの袖で乱暴に拭うと、私に向かって小さく、けれど力強くガッツポーズを作ってみせた。


『見てたか?』


声には出さないけれど、彼の唇がそう動いたのがはっきりと見えた。

「……バカ陽太。見すぎだってば」

私は小さく呟いて、顔が熱くなるのを隠すように慌ててタオルで顔を覆った。


「あー! みゆってば、今河村くんと合図したでしょ! 幼馴染特権、ずるいー!」

「違うってば、もう、美咲!」


友達の冷やかしに抗議しながらも、私の心は春の空のように高く舞い上がっていた。

湊兄さんという存在を誇りに思いながらも、泥だらけの合図を送り合える陽太との時間が、私にとって何よりも特別なものになりつつあった。

おはようございます。

作者のFERILUです。


『神様の身代わりー光の兄と罪の妹ー』

を読んでくださりありがとうございます。


本格的な部活練習開始の様子を描いてます。

男子テニス部は1年生8名、2年生7名、3年生6名の21名

女子テニス部は1年生5名、2年生4名、3年生5名の14名

になっています。結構な部員数ですね。


まだ名前の決まっていないメンバーに出番があるかは未定です。

正直使い分けできる自信がありません。。。



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