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練習と調整の嵐が過ぎ去り、あっという間に土曜日――新メンバーお披露目ライブの前日を迎えた。

金曜の夜から近隣のホテルへ集結した一行は、早朝から戦場さながらの会場入りを果たした。

明日の開演まで、一分一秒を惜しむようにスタッフと演者が一丸となって調整を進めていく。


会場となる「Tokyo Musica」は、すでに独特の熱気に包まれていた。

ロビーでは会場運営スタッフが導線を確認し、案内用の柵をテキパキと並べていく。

物販ブースでは、運び込まれた大量のグッズが検品され、整然とレジ横に積み上げられていった。


ステージ上では、設営チームによる大道具や背景セットの最終組み上げが急ピッチで進み、

その頭上では照明・映像エンジニアたちが、複雑なLEDディスプレイの構成とグラフィックの同期に目を光らせている。


「大道具、背景セットの固定確認もう一度!」

「映像、LEDのドット欠けチェック! グラフィック送出開始!」

「音響、ワイヤレスマイクの電波干渉チェック完了。回線開きます!」

PA席から響く音響エンジニアの鋭い声と、トランシーバー越しに飛び交うスタッフたちの怒号。


バックステージでは、ケータリングの準備やメンバーのサポートに走る制作・進行チームの足音が絶えない。

そんな喧騒の渦中で、メンバーたちはセツナ渾身の「戦装束」を身に纏い、ステージ上の立ち位置バミリを確認していく。


目に刺さるような照明の逆光、足元を覆うスモークの密度、そして全身の骨を震わせるスピーカーの音圧。

設営・撤去の荒々しい音と、精密な演出技術が交差するこの「本物の現場」を前に、新メンバーのアウラとビオラの表情には、隠しきれない緊張の色が浮かんでいた。


「――それじゃあ、始めるよ」

PA席に座る光一の声が、ステージに向かって鋭く響き渡る。


音響スタッフが一曲目『Glacies』を流す。


アウラのアカペラによる咆哮が、無人の観客席を突き抜けた。


「やばいね、これ。空気が震えてるよ」

アイビスが思わず自身の腕をさすって震える。

「先に体験しておいて正解だったわね」

アクアが冷静を装いつつも、感嘆の息をついた。

「うん、絶対、初見だったら動揺して自分たちのパフォーマンスに響いていたね」

リーダーのルナも深く頷き、アウラがもたらす破壊力を再認識していた。


続いて、多数のスポットライトが一点に集中する。

白光を一身に浴びたビオラが、指先まで神経の行き届いた、優雅で深いカーテシーを披露した。

巨大ディスプレイにその姿が映し出される。


「わお……」

ネージュが感嘆の声を漏らす。

「やっぱり、ビオラはどこか異国のお姫様なのかなあ?」

アウラが、自分と同じ「新入り」とは思えないその完成された佇まいに、思わず呟いた。


「……うん。アウラ、もっと遠くの壁を突き破るつもりで声を出せるかな?。

ビオラ、顔を上げる角度をあと三度高く。君は『見られる』側ではなく、観客を『見下ろす』側だ」

PA席から飛んでくる光一の指示は、一滴の妥協も許さない鋭利な刃のようだった。

「「はい!」」

二人が声を揃えて返事をする。


いつもの穏やかな様子とは一変し、まるで戦場を俯瞰する指揮官のような光一の雰囲気に、ルナたち既存メンバーの間にもぴりりとした緊張感が走る。

「……あんなプロデューサー、初めて見るかも」

アイビスが小声で呟くと、ルナが静かに頷いた。

「それだけ、この二人のポテンシャルに期待してるってことだよ。

……私たちが置いていかれないようにしなきゃ」


「次は『Glacies』のシンクロダンス、いくよ。

一番のサビ、移動のところから」

光一の合図で、メンバーが立ち位置を変える。


光一が目配せすると、音響スタッフがスイッチを押した。

サビに向かって盛り上がる重厚な旋律が、巨大なスピーカーから爆発するように響き渡る。

六人はステージ中央に集まり、逆光の中でその影を一つに重ねた。


「歌いながらも観客への視線を忘れずに!」

客席側からミーナの檄が飛ぶ。

「移動の際の息継ぎに気をつけて。

声をしっかり音に乗せて!」

負けじとコウが鋭い指示を重ねる。


メンバーは歌いながら、観客席を囲むように設置されたリング状のサブステージへと散っていく。

六人が等間隔に並んだ瞬間、メインステージに設置された六枚の巨大ディスプレイには、それぞれの表情が映し出された。


「皆、出だし、しっかりね!」

ミーナの檄が飛ぶ

サビが終わり、一瞬、音が消える。


心臓の鼓動さえ聞こえそうな、濃密な一拍。


――そして、強烈なグルーブが再開された。


六人の体が、磁石に引き寄せられるように、あるいは弾かれるように連動し始める。

ミーナとコウの鋭い怒声にも似た指示が飛び交い続ける中、

彼女たちはもはや自分の意志を超えた何かによって動かされているかのようだった。


複雑なステップ、指先まで統制された腕の振り。

激しいダンスのシークエンスが終わり、二番のイントロが鳴り響く。

歌いながら、今度は円を描くようにメインステージへ戻ろうとしたその時。


突如として、音が止まった。


静寂が、冷たい水のようにメンバーを包み込む。

「ごめん、一旦止めるよ。

今回のシンクロダンスは、とても大きな挑戦だ」

光一の静かな、だが重みのある声が会場に響き、メンバーの足が止まった。

皆、呼吸を乱しながらも、緊張した眼差しを光一へ向ける。


光一は続ける。

「曲では四十五秒の間奏をつなぐものだが、今回はダンスを三分まで拡張してある。

かなりきつい条件を皆にお願いしているのは重々承知だ。

でも、ここが新生Ice Dollを魅せつける大事な場面だ」


そう、今回の『Glacies』は特別仕様だった。

通常の間奏を、ダンスと視覚演出のための「狂演」の場へと変貌させている。

激しいステップとフォーメーション移動を、文字通り三分間ノンストップで続けるのだ。


「三分間、完全に意識を一つにしてくれ。

誰か一人の呼吸が乱れれば、この氷の華は崩れる。

……もう一度、今のパートから」

光一が目配せすると、再び重低音が空気を震わせた。


一拍の静寂の後、強烈なグルーブが六人を突き動かす。


ビオラは密かに指先から魔力を放出させた。

それはメンバーの疲労を和らげるためではなく、彼女たちの「感覚」を増幅させるための糸。

リング上ステージに広がる六人の間隔は決して近くない。

しかし、ビオラの魔力の糸が、鼓動を、呼吸を、筋肉の収縮を、一本の神経のように繋いでいく。


「一、二、三……今!」


一糸乱れぬステップが、ステージの床を力強く叩く。

腕を振り上げる角度、膝を曲げる深さ、空中で静止する一瞬のタメ。

客席側の照明が激しく点滅し、スモークが彼女たちの足元を覆う。

視界が遮られる過酷な条件。しかし、メンバーはもはや目で見ることなどしていなかった。

空気の振動を、魂の震えを「感じて」動いている。


六人の動きは、一つの巨大な「氷の結晶」が回転しているかのような、

人知を超えたシンクロニシティを見せ始めた。


その中心で、ビオラが全ての動きを統率するように、針の穴を通すような精密さでリズムを刻んでいく。

メインステージの六枚の巨大ディスプレイには、彼女たちのシンクロした動きが多角的に映し出され、

万華鏡のような幾何学模様を描き出した。


「……すごい。」

ステージ脇でミーナが思わずつぶやく。

横にいたコウもまた、満足げに頷いた。


三分間の「地獄」が終わり、再び歌唱パートへと繋がるメインステージへの帰還。

汗が滴り、限界を超えたはずの彼女たちの瞳には、不思議と疲労の色はなかった。

あるのは、互いの魂が混ざり合ったという、かつてない高揚感だけだ。


「――よし!、一度休憩」

音が止まり、静寂が訪れる。 肩で息をする六人の頭上、数瞬遅れて光一の声が降ってきた。


その後も、照明のタイミングやスモークの量、そしてメンバー間の細かな距離感の修正にまで及び、

数時間にわたって、チェックが続けられた。


早朝からの怒涛の調整が一段落し、会場にようやく短い静寂が訪れた。

昼休憩の時間だ。


バックステージの通路には、制作スタッフが手配した豪華なケータリングの香りが漂う。

「今日だけは好きなだけ食べなさい。

午後のゲネプロで全部消費してもらうわよ」


ミーナの許可が下りるやいなや、アウラの目が獣のように輝いた。

「待ってました!

このカレー、めっちゃおいしい!

こっちのパスタもモチモチ!」

両手に食べ物を抱え、リスのように頬を膨らませるアウラ。


特訓中の厳しい食事制限を爆発させるような食べっぷりに、

ルナも「よくそれだけ入るね……」と呆れ顔だ。


ビオラはそんな喧騒にも動じず、「アウラ、お口の横にソースがついておりますわよ」と、

微笑みながら優雅にハンカチを差し出した。


そこへ、カツカツと鋭い靴音を響かせて衣装担当のセツナが現れた。

「……アウラ。あんた、それ以上食べたら衣装のウエストを今すぐ広げることになるわよ」

セツナの冷徹な一言に、アウラの手がピタリと止まった。


「ひっ! セ、セツナさん!

これは……その、午後のエネルギーを補給しているだけでして……」

「わたしの衣装は一ミリの妥協も許さない芸術品なの。

スナップボタンが弾け飛んだら、承知しないわよ!」


セツナの刺すような視線に、アウラは小刻みに震えながらも、

……それでも離さなかった唐揚げを、そのままパクりと口に運んだ。


「ははは。アウラ、さすがだねえ」

ネージュが、恐怖に打ち勝つ食欲に謎の感心を寄せる。


「ここまでくると、もう一種の信念だね」

アイビスも感心したように頷いた。


セツナは深いため息をつきながらも、手早く全員の衣装をチェックし、

照明の逆光や激しい動きで崩れる箇所がないか厳しく見極めていく。


「……とにかく。その余ったエネルギー、全部ダンスに乗せなさいよ!」

不器用な激励を残して去っていくセツナの背中に、

アウラは「はいっ、頑張ります!」と、口をパンパンにもぐもぐさせながらも力強く応えた。


「……まだ食べるのね」

アクアのぼそりと漏らした呟きが、なぜか静まった楽屋中にしっかり響き渡った。


休憩時間が終わり、会場の空気は一瞬で戦場へと切り替わった。 ついにゲネプロの幕が上がる。


客席の端には会場運営の警備スタッフが配置につき、映像エンジニアは六枚の巨大ディスプレイに映し出されるマルチアングルの最終確認を行う。

照明・音響チームもコンソールの前に陣取り、全員の視線がメインステージへと注がれた。


「それじゃあ、本番通りに行きます。

3、2、1……Q!」

光一のキューイングとともに、1,000人を収容する「Tokyo Musica」が完全な暗転に包まれた。


静寂。

次の瞬間、地響きのような重低音が鳴り響き、青い閃光がステージを切り裂く。


リハーサルがすべて終わり、他のメンバーが熱気の残る楽屋へと戻っていく中、

ビオラは一人、照明の落ちたステージに残っていた。


暗い無人の観客席を見つめていると、背後からゆっくりとした足音が近づいてくる。

「明日は、多くの視線が君に注がれることになる。……怖くはないかい?」

振り返ると、そこには光一が立っていた。


彼は手にした運営資料を閉じ、穏やかな、しかしどこか深い懐かしさを湛えた瞳でビオラを見つめる。

ビオラの鼓動が、不意に速くなった。

「……怖くはありませんわ。ワクワクしていますわ」

その高鳴りを押し隠すように、ビオラは凛とした声で答える。


光一はわずかに目を見開き、そして切なげに、愛おしそうに微笑んだ。

「そうだね。君は誰よりも強く、高潔な人だ。……あの日から、何一つ変わらない」

「えっ?」

その言葉が耳に届いた瞬間、ビオラの胸が激しく震えた。


確信が、熱を持って全身に広がっていく。

静寂の中、二人の視線が強く結ばれる。


やがて、震える声を絞り出すようにして、ビオラはずっと胸に秘めていた問いを投げかけた。

「……やはり、あなたはリヒト様なのですわね?」


光一は肯定も否定もせず、ただ優しく目を細めた。

「……今はまだ、プロデューサーとアイドルだ。

明日のライブが終わるまで待ってくれるかい。すべて、ちゃんと話すよ」


「リヒト様……。あなたは、わたくしのために……」

ビオラが言葉を詰まらせると、光一は、そっと彼女の髪に触れようとして

――プロデューサーとしての理性がその手を止めた。


「明日のステージ、期待しているよ。

……しっかり楽しんでおいで。僕の、誇り高き薔薇」


「……承知いたしましたわ、プロデューサー。

最高に美しい夢を、皆様に見せて差し上げますわ」

ビオラは深い会釈を返し、光一の前を通り過ぎる。


その背中は、かつての悲劇の令嬢ではなく、明日を掴み取ろうとする一人のアイドルの強さに満ちていた。

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