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アウラとビオラは、別室でアシスタントによる入念な採寸を受けている。

メインのフィッティングルームでは、セツナとほかのメンバーによる、火花の散るような「衣装調整」が始まっていた。


「いい、あんたたち。今回のお披露目ライブは3曲。

でも着替える時間なんてコンマ1秒もありゃしないわ。

光一からは『魔法を見せろ』って無茶振りされてるのよ」

セツナはルナの衣装ラインをミリ単位で確認しながら、深く響くバリトンボイスで言い放った。


「3曲、イメージを変える……。

セッちゃん、まさかステージの上で脱げって言うんじゃないわよね?」

アイビスが冗談めかして笑うが、セツナの目は笑っていない。

「そうよ」

「えっ、お嫁にいけなくなる!」

本気で怯えるルナに、セツナは心底呆れたように溜息をついた。


「おバカ、着替えはできないって言ったでしょ。

ベースの衣装に『ギミック』を仕込むのよ。

1曲目の『Glacies』では氷の鋭さを。

2曲目の『Alba Neige』では雪の柔らかさを。

そして最後の『Volare Ibis』で、全てのパーツを弾き飛ばして、内側に隠した情熱を爆発させる……。

まるで脱皮するように、一瞬で姿を変えていくのよ!」


「脱皮……。確かにそれならば劇的な変化が見込めますね」

アクアが感心したように頷くが、すぐにパフォーマーとしての懸念を口にした。

「けど、重ね着が多いと重くなるんじゃ? 動きにくいのは困ります。

特にサビの激しいステップで衣装に振り回されるのは避けたいな」

ダンスに人一倍の情熱を注ぐアクアならではの指摘だ。


しかしセツナは、待っていましたと言わんばかりにニヤリと唇を歪めた。

「そんなことは百も承知よ。だから今日の打ち合わせがあるのよ」


セツナは4人の周りを回りながら、生地の伸縮性を確かめるように指を走らせる。

「まず今着てもらっているのが、3曲目で披露する最終形態の基本形。

それぞれの個性はこれから足していくけど、動きやすさや着心地はこれだと思ってちょうだい」

「なるほど、これが『0(ゼロ)』の状態ね」

アイビスが鏡の前でポーズを決める。

今の衣装は非常にタイトで、体のラインを美しく強調しつつも、驚くほど動きやすい。


「そう。これにパーツを足していって、1曲目、2曲目の衣装を作る。

動きを阻害するのはどういうデザインか、どこまでなら付け足していけるか……。

あんたたちの肉体の声を聴かせなさい。意見をどんどんちょうだい!」


「よし、じゃあとりあえず踊ってみていい? 意見はそれからね」

ルナが提案すると、他の3人も即座に戦闘モードに切り替わった。

「よし、やる気になったわね! 私の針は、あんたたちの動きをミリ単位で追いかけるわ!」

セツナが鋭い声を飛ばす。


狭いフィッティングルームの中で、4人が激しく動き出した。

適宜動きを止めさせては、セツナが4人の衣装に素早い手つきで布を足していく。

瞬時に1曲目の「Glacies」をイメージした鋭いパーツが、ルナたちの肩や腰に現れる。


「……これは、ちょっと重いかなあ」

ターンの直後、ネージュが肩を回しながら呟いた。

「あなた、筋トレ足りてないんじゃない?」

「いやいや、セッちゃんに比べたら誰もが筋力不足だよ」

ネージュの言葉に、ルナ、アクア、アイビスが激しく首を縦に振って同意する。

セツナの逞しい腕を見れば、反論の余地などなかった。


「……仕方ないわね。布の重なりを数ミリ削るわ。これでどう?」

セツナが4人の衣装を再調整する。ハサミを入れ、待ち針を打ち直す速度は神業に近い。


「うん、さっきよりもいい」

アイビスが跳ねるように動くと、アクアも満足げに頷いた。

「これならいけそう。重心がぶれないわ」


さらにセッションは続く。

皆がターンするたびに、衣装の継ぎ目に負荷がかかる。

セツナはその一瞬の「歪み」も見逃さず、膝をついて裾を調整し、時には直接待ち針を打ち込んでいった。

職人と表現者。

互いのプライドが火花を散らしてぶつかり合い、部屋の熱気はさらに高まっていく。


「よし、これで基本形の布重ねが出来たわ。

このあと、それぞれのデザイン案から起こして、個性に合わせて衣装を完成させるわ。

楽しみにしていなさい」

セツナが額の汗を拭いながら、満足げに微笑む。

その逞しい腕に浮き出た血管が、これまでの作業の激しさを物語っていた。


「楽しみだねえ」

「私のはかわいくしてね、セッちゃん!」

ネージュがのんびりと言い、アイビスもにっこり笑ってねだる。


その時、別室とつながる扉が控えめにノックされた。

「どうぞ」

セツナの低く通る声に応じ、アウラとビオラが扉を開けて入ってくる。

「お待たせしました……」 「お待たせいたしましたわ」


「終わったようね。どれどれ」

アシスタントから二人の採寸データを受け取ったセツナは、眼鏡を指で押し上げ、鋭い視線で数値を追い始めた。

「……ビオラは問題なさそうね。理想的なバランスだわ。

この数値をもとに、あなただけの基本型を作るわ。

……それで、アウラ!」


「ひええっ! はい!」

名前を呼ばれた瞬間、アウラが直立不動で飛び上がる。


「……アウラ。あんたの食事データ、これ……何かの冗談?」

セツナがタブレットに表示されたリストを指先でなぞる。

そこには『朝:カツ丼、昼:カツ丼、夜:生姜焼き(大盛り)』といった、およそアイドルとは思えない字面が並んでいた。


「……ありのままを、書きました」

アウラが消え入りそうな声で白状する。

「あんた、カツ丼好きにも程があるわよ!

朝から揚げ物を胃に叩き込んで、よく平気な顔で踊れるわね」

セツナの視線は、もはや恐怖すら通り越して生物学的な興味へと移っていた。


「だ、だって、カツ丼を食べないと力が出ないんですっ。

あのサクサクの衣と、甘辛いタレが染みたご飯が、私にステージの魔法を……」

「やかましいわ! その魔法は、私の衣装を破裂させる呪いにもなりかねないのよ!」

「ごっごめんなさい」


「あんた、燃焼効率が異常だわ……でもダメ、これじゃ、いずれ体型が崩れるわ。

でもステージでエネルギー切れを起こさないようにしないと……綿密な指導が必要ね。

ミーナとも相談しなきゃ」

セツナの目が、獲物を定める料理人のそれに変わる。


「アウラはここに残りなさい。後のメンバーはレッスンに行ってよし。

ルナ、ごめんだけどレッスン室に行ったらミーナをここに呼んでくれない?」

「わ、わかりました……」

セツナの迫力に、ルナが震える声で応える。

アウラはもはや、まな板の上の鯉のような絶望的な表情を浮かべていた。


「アウラ、まあ……頑張んな」

ネージュが去り際、とりあえずの同情を込めて肩を叩く。


アウラを残して、逃げるように部屋を出ていくルナたち。

中ではいまだセツナの怒号が響き渡っている。


「アウラ、あんなに食べてたんだ……」

アクアが呆然と呟く。

「道理で、レッスンの合間に、どこからともなく『揚げ物の匂い』がすると思ったわ」

アイビスが、かつて感じた違和感の正体に合点がいった様子で頷く。

ビオラだけは全く別のことを考えていた。

……カツ丼。これほどまでにセツナ先生を激昂させ、かつアウラに活力を与える食べ物……。

恐ろしい食べ物ですわね。いつか、わたくしも食してみたいものですわ


「ビオラ、行くよ」

ネージュがそっと肩を叩き、一行はレッスン室へと向かった。


「いい、これから毎日あんたの食事写真を私に送るのよ!

油の量は一滴残さずチェックしてあげるわ!」

セツナのバリトンボイスが、いつまでも追いかけてきた。


……アウラ、強く生きるのですわよ

心の中でエールを送りながら、ビオラは嵐の予感がするフィッティングルームを後にした。


レッスン室についた一行。

「……じゃあ私、ミーナ先生に話してくるわね」

ルナが重い溜息をつきながら、隣のスタッフルームへと向かった。


残されたアクア、ネージュ、アイビス、そしてビオラの4人は、

ストレッチを始めながらレッスンの準備を整える。


「……本当、アウラには同情するけど、自業自得よね。

アイドルがあの量を食べて体型維持してるなんて、ある意味奇跡だわ」

アイビスが苦笑混じりに首を振った。


「でも、その奇跡もセッちゃんの前では通用しなかったねえ。

あのアウラの顔、完全に終わってたもん」

ネージュが思い出し笑いをする。


しばらくして、ルナがミーナを連れて戻ってきた。

ミーナの手に握られたタブレットには、すでにセツナから共有された「アウラの献立」が映し出されている。


彼女の額には、隠しきれない青筋が浮かんでいた。

「……信じられない。

あの子、私のレッスンの裏であんな脂っこいものを胃に流し込んでいたの?

セツナさんが怒るのも当然だわ」

ミーナの声は低く、ひどく冷ややかだった。


「……みんな悪いけど、今日のレッスンは先にボイストレーニングからしてもらうわ。

私はこれからセツナさんと、アウラの『特別更生プログラム』を組まないといけないから。

コウにはすでに連絡を入れてあるから、ルナ、あとはお願いね」

「はい」

ルナが短く、そして神妙に答える。


ミーナはそのまま、獲物を狩る猛獣のような足取りでフィッティングルームへと向かっていった。

「……今日は波乱万丈だね」

アイビスが肩をすくめる。


一行はボイストレーニング室へと移動を開始した。

部屋の扉を開けると、コウが静かに微笑んでいた。

「話はミーナさんに聞いたわ。……あなたたちは大丈夫なのよね?」

「もっもちろんです」

何だかコウの雰囲気も怖い。アクアがかろうじて答え、皆がコクコクと頷く。


「ふふ、まあいいわ。

アウラさんのことはミーナさんたちに任せて、私たちは『声』を磨きましょうか」

「「「「「はい!」」」」」

今日のメンバーは、いつもよりずっとハキハキと、軍隊のような統率力で挨拶を返した。

これ以上、プロフェッショナルたちの逆鱗に触れるわけにはいかないのだ。


コウが鍵盤の上で指を走らせ、軽やかな旋律を奏でる。

「さっきセツナさんから連絡があったわ。衣装を『脱皮』させるんですってね。

なら、歌声も同じよ。声をのせる感情を変化させる訓練をしましょう。いい?まずは……」


ボイスレッスンが終わりを迎えるころ、ミーナに引きずられるようにしてアウラが現れた。

「コウ、ごめんなさいね。アウラへの指導が思いのほか、時間がかかったわ」

「仕方ないですよ。大事なことですからね」

コウがピアノから手を離し、アウラを鋭く睨む。

その冷ややかな視線に、アウラは「ひいい」と情けない声を漏らして縮み上がった。


「……本日のレッスンはここまで。全員、自分の課題を忘れないように」

コウの涼やかな声が響き、ボイトレの時間は終了した。


「10分後、ダンスレッスンに移るからね。よろしく」

ミーナがそう言い残し、コウと共にスタッフルームへと消えていった。

残されたのは、魂が抜け落ちたアウラと、それを見守る5人。


ミーナとセツナによる「特別更生プログラム」の洗礼を受けたアウラは、

壁に寄りかからなければ立っていられないほど、文字通りボロ雑巾のようになっていた。


「ア、アウラ……。大丈夫?」

アイビスが恐る恐る声をかけるが、アウラの瞳にはもはやハイライトが残っていない。

焦点の合わない目で虚空を見つめている。


「なになに……『特別健康メニュー』。

朝:温野菜サラダと白身魚。

昼:鶏のささみと玄米。

夜:豆腐と海藻……。

間食、夜食は一切厳禁。……ああ、まあそうなるよね」

アクアの冷静な言葉が、アウラの心に追い打ちをかける。


「わたしのサクサクがあ……。……わたしのジュワがあ……」

アウラがうわ言のように呟く。

それは、彼女が愛してやまない「カツ丼」の衣と肉汁への、悲痛な鎮魂歌だった。


「だっ、大丈夫これ? ライブ前に餓死しちゃうんじゃ……」

ルナが本気で心配して慌てふためくが、ネージュがどこ吹く風といった様子で口を開いた。

「まあ、ライブが終われば、食べさせてもらえるんじゃない?」


その言葉を聞いた瞬間、アウラの瞳にバッと光が戻った。

ガタガタと震えていた膝が止まり、彼女は力強く顔を上げる。

「……そう。そうだよ。ライブが終われば、私は自由!

わたしのカツ丼、ぜったいまた再会してみせる!」


「んじゃ、ライブは絶対成功させなきゃね」

アイビスがニヤリと笑って、アウラの背中をバシッと叩く。


「まあ、動機が不純だけど、頑張るのはいいことだわ」

アクアも、やれやれといった様子で、呆れながらも口元を緩めた。


「よし、ダンスも頑張ろう!」

ルナの掛け声に合わせ、全員が拳を高く突き上げる。


「「「「「「おー!」」」」」」

ビオラも周囲に合わせて拳をあげ、「おー」と控えめながらも声を合わせた。

……一人の少女の食欲という名の執念が、チームの士気をここまで高めるとは。

ビオラは深い感慨に耽っていた。


「ふー……今日は疲れましたわ」

お風呂を上がり、ベッドに体を預けたビオラは、心地よい疲労感の中で「しろまる」をふにふにと弄る。

……ミーナ先生のレッスン、今日はいつにも増して激しかったですわ。

まあ、アウラのあの一件の後では仕方がありませんわね……。

ですが、ことあるごとに『脂肪を燃やせ!』と叫んでおられたのが、少々気になりましたけれど。


……明日はオフですわね。……そうですわ、沙織に連絡してみましょう。

ビオラはスマホを手に取ると、慣れた手つきでメッセージアプリを開いた。


※「ごきげんよう、沙織。明日のお茶、楽しみですわ」

送信ボタンを押すと、数秒で既読がついた。


※「おつかれ紫音! もちろん、私も楽しみにしてるよー!」

ビオラはふっと微笑み、続けて指を動かす。


※「……少々お聞きしたいのですが、『カツ丼』というのは、それほどまでに罪深い料理なのですか?」


今度は、返信までに少し時間がかかった。

※「……え?まあ私たち女子にとって天敵だよねえ。美味しいけど!」

※「天敵……やはり、平和を脅かす存在なのですわね」

※「平和を脅かす!?何かあったの?」

※「明日のお茶会でお話ししますわ」

※「もー気になるじゃん!絶対だよ!」

ビオラはクスリと笑いながら、了解とおやすみのしろまるスタンプを送る。


「おやすみなさい、しろまる」

電気を消すと、ビオラは心地よい眠りの中へと落ちていった。

その夜、彼女がたどり着いた夢の境界では、サクサクとした黄金色の衣が、

オーロラのように美しく揺らめいていた。

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ここまで一気に読みました。とても面白いです 続きも楽しみにしています
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