14
次の日。
学校を休み、ビオラは、剛志と美咲と共に、車でブルーローズプロモーションに向かう。
「お父様、お母様」 ビオラが車に乗り込むと、両親は緊張した面持ちで頷いた。
車はすぐに、昨日訪れたブルーローズプロモーションのビルへと到着する。
建物を見上げると、朝日に映える鮮やかな濃紺のプレートに、
Blue Rose Promotionの文字が浮かび上がっていた。
剛志が、その文字を見つめながら口を開く。
「きっ、緊張するね。まさか、うちの紫音が、本当にアイドル事務所と契約するなんて……」
彼の声は、不安と誇らしさが入り混じっていた。
感慨深げに美咲がいう。
「そっ、そうね。はあ、紫音、本当にアイドルになったのねえ」
美咲は、娘が遠い世界に行ってしまうような、一抹の寂しさも感じていた。
ビオラは、二人の手をそっと握った。
「お父様、お母様。大丈夫ですわ。行きますわよ」
その声には、公爵令嬢として、自然と優しく民を導き、かつ何事も動じない揺るぎない覚悟が宿っていた。
両親は娘の毅然とした態度に自然と背筋が伸びる。
そして、三人は一緒に事務所の入り口へと向かった。
事務所に入ると、ビオラは受付のカウンターへと進んだ。
「Ice Dollに新規加入いたしました、花城紫音と申します。
本日、契約のお話でお伺いいたしました」
ビオラが丁寧に挨拶する立ち居振る舞いに、剛志と美咲は目を潤ませて、感動しきりだった。
「ああ、紫音が大人になって……」
「いつの間にあんなに立派に……」
そんなやり取りを察したのか、受付嬢はくすりと微笑みながら、
両親の方へ視線を合わせ頭を下げた。
「ようこそ、花城様。本日はご足労いただきありがとうございます。
いまマネージャーの天城を呼びますので、あちらのソファにお掛けになってお待ちください」
「「はっ、はい!」」
剛志と美咲は、緊張しながらソファへ向かう。
ビオラは、その受付嬢の対応に感心した。
……やりますわね。ブルーローズは、使用人のレベルが高いですわね。よき環境ですわ。
ソファで三人で待っていると、圭一がやって来る。
「お待たせして申し訳ありません。
はじめまして、Ice Dollのマネージャー、天城圭一と申します。
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。それでは、こちらにどうぞ」
両親は依然として緊張しており、二人は慌てて立ち上がった。
その様子を優しい目で見ながら、ゆっくり立ち上がるビオラ。
圭一が案内して、一行は応接室へと移動する。
応接室には、既にプロデューサーの冬木光一が着席していた。
互いに挨拶を交わし、自己紹介をする。
ソファに腰掛けた途端、部屋で待機していたスタッフが、音もなく近づき、さっとお茶を出した。
その一連の動作の淀みのなさに、ビオラはまた感心する。
……お見事ですわね。何てレベルの高い教育が施されているのかしら。
ビオラは、その完璧な所作を見て、何故だか前世で毎日のように顔を合わせていた王妃セレスティア・ルミナリア・アールバイトを思い出した。
あの方は王妃として完璧な方だった。
その立ち居振る舞いだけでなく、まわりの人間への指導や配慮、全てが完璧で、ビオラの目標だった。けれど、
……いまとなってはもはや過去のことね
圭一は、契約内容を両親に丁寧に説明し始めた。
剛志と美咲は、一言一句聞き逃すまいと、真剣な表情で資料を読み込んでいく。
両親の紫音のために真剣になっている様子に、ビオラは胸の奥が温かくなるのを感じた。
ローゼンブルク公爵家では、自分の行動は自分で責任をとることが当たり前であり、
家名と爵位を守るため、常に神経を尖らせる必要があった。
しかし、花城家は違う。両親が、まるで紫音を全てから守ろうとしてくれている。
……この家族であったら、あの断罪もなかったのかしら……いいえ、詮なきこと。
わたくしは花城紫音として、新しい人生を歩むのですわ。
一瞬、思いが頭をよぎったが、ビオラはすぐに気持ちを切り替える。
契約は、終始、光一の穏やかな微笑みと、圭一の誠実な説明のもとで進行していった。
「それでは、契約手続きは以上となります。
疑義が生じましたら、遠慮なく、私、天城圭一までご連絡ください。」
「よろしくお願いします」
圭一が書類の最終確認を終えて、完了を伝える。
剛志が深々と頭を下げた。
光一が口を開く。
「花城剛志さん、美咲さん。紫音さんをお預かりします。
紫音さんは、きっと素晴らしい活動をしてくださると確信しています」
光一は、その言葉を伝える間、まっすぐにビオラを見つめていた。
そのリヒトと同じ瞳に、ビオラの心が大きく跳ねる。
……なぜかしら。この方の視線は、不思議な安堵感がある。
契約を終えたビオラは、両親と共に事務所の玄関口に立った。
「それじゃあ、私たちは先に帰るわね。頑張ってね」
美咲が優しく声をかける。
「応援してるぞ」
剛志も力強い視線を送った。
「ありがとうございます。頑張りますわ」
ビオラは両親に優雅に頭を下げ、見送った。
中に入ると、マネージャーの圭一が待っていた。
「良いご両親ですね」
圭一が穏やかに微笑む。
「はい、自慢のお父様とお母様ですわ」
ビオラもまた、心からの笑顔を見せた。
「さて、それじゃあレッスンです。ダンスルームに移動しますよ」
「はい」
圭一に連れられ、ビオラがダンスルームに入ると、
そこでは、すでにアウラが振付けの練習をしていた。
流れているのは、Ice Dollの代表曲の一つ「Glacies」だ。
氷河を意味するこの曲は、繊細な曲調で、冷たくも美しいダンスがファンを虜にしている。
ビオラが入るタイミングで曲が止まり、講師の鋭い指示が飛ぶ。
「だめだめ、もっと指先まで意識して! その動きじゃ、氷の結晶の繊細さが出ない!」
「はいっ」
アウラはへこたれず、大声で返事をする。
その熱心な姿を、ルナとアクアは優しく見つめていた。
「ルナ。ちょっと見本をみせてあげて」
講師が、ルナに声をかけた。
「はい」
ルナが頷く。
再度、「Glacies」のイントロが流れる。
ルナの身体が、一瞬にして音の世界と完全に同調する。
彼女のダンスは、精巧な自動人形のようだった。
Ice Dollの代表曲「Glacies」の振付け。
その動きは、極寒の中で生まれた氷の結晶のように、滑らかでありながら、音の変わり目では、氷河が砕けるような大胆で鋭いキレを見せる。
体の軸は一ミリもブレず、指先一本、首の角度一つまで、計算し尽くされた美しさが宿っていた。
冷たく、完璧で、一切の感情を排した究極のクールさが、そこにはあった。
「すっすごい」
アウラの目が、ルナの完璧な動きに完全に惹きつけられる。
ビオラも、その完璧な技術と表現力に感嘆した。
「まだまだIce Dollの真骨頂はこんなものではないわ。アクア!」
講師がビオラが入ってきたことに気づき、チラっと目線を送ったあと、アクアにダンスに加わるように促す。
サビのタイミング、無言でアクアがルナの横に並ぶ。
無音が半小節、次の瞬間、テンポの速いビートに変わる。
そして、二人のシンクロダンス。
ルナの鋭利な動きに、アクアのしなやかで力強い動きが加わる。
二人の動作は、鏡に映したように完全に同調しており、その圧巻のダンスは、まるで風を巻き起こすブリザードのような強さと迫力があった。
空間そのものが、二人の繰り出す冷たいエネルギーによって支配され、
ビオラとアウラは、その場で身動きが取れなくなるほどの衝撃を受けた。
曲が終わり、二人が完璧なポーズで静止する。
「これが、Ice Dollのダンス。参考になったかしら?あらビオラ来てたのね」
ルナが、静かに息を整えながら、アウラに体を向ける。アウラ越しにビオラに気づく。
「おはよう、ビオラ」
アクアがビオラに声をかける。
「ごきげんよう、アクア」
さきほどの冷えた空気感は霧散して、昨日と同じ親しみやすいアクアに戻っていた。
そのとき、先ほどルナとアクアに指示を出していた、鋭い目つきの女性講師が、ビオラに体を向けた。
「ビオラね。私はIce Dollのダンス指導を任されているミーナよ。これからよろしくね」
講師に声をかけられて、ビオラは姿勢を正す。
「ごきげんよう。ミーナ様。ご指導、どうぞよろしくお願いいたしますわ」
ビオラは、いつものように見事なカーテシーを決めた。
「わおっ。聞いてた通りね。これは新しい振り付けにつかえるわね」
ミーナはビオラの優雅な仕草に目を奪われ、すぐに腕を組み、その場で思考にふける。
「ミーナさん、アウラとビオラが困っているよ」
アクアが呆れた感じで、ミーナに声をかける。
「ミーナさんはダンスのことになると夢中になるんだから」
ルナがやれやれという表情で、肩をすくめる。
ミーナはハッと我に返ると、ルナを睨みつけた。
「ルナ? レッスンが足りないようね」
「大丈夫ですっ間に合ってます」
ピシっと姿勢を正すルナ。
「もう、まあいいわ。じゃあ、ビオラ。どんな感じか知りたいから、少し踊ってみてくれる?
さっきの『Glacies』の振り付けは分かるかしら?」
ミーナは、ビオラのカーテシーと優雅な雰囲気に、新たな興味を抱いていた。
「ええ、もちろん」
ビオラは不敵に頷く。
……動画サイトで公開されているIce Dollの曲は、PV、MV、音楽番組、全てのパターンを研究済みですわ。
公爵令嬢として、如何に情報収集して分析し、予測するかを叩き込まれていたビオラにとって、それは、ごく自然のことだった。
「そう、それじゃあ、お手なみ拝見ね」
軽く笑いながら、ミーナが音楽をかける準備をする。
ビオラは床の中央、ルナとアクアが踊っていた位置についた。
曲が鳴る。
「Glacies」。
雄大な氷河をテーマにしており、そこに誰も寄せ付けない孤高の美しさを表現する楽曲。
初めはゆったりと始まる曲。それに合わせるようにビオラはゆっくりと踊り始めた。
指先、足先まで意識して、しなやかに、しかし冷たさを秘めて動く。
スローテンポの振付けは、ごまかしが効かず、所作の美しさや基礎の有無がモロに出てしまう。
だからこそ難しい。
ビオラの動きは、その場で見ていた全員を驚愕させた。
「すごいわね。曲を完全に理解してる感じね。」
講師のミーナまでが、ビオラの醸し出す「氷の薔薇」の優雅さに、息を呑んでいた。
そして、サビの変調。テンポが急に上がり、激しくなる動き。
……先ほどのルナとアクアの動き、あれをキチンとトレースしましょう。
もう少しギアを上げた方がいいわね。
ビオラは動画サイトで覚えた振付けに従っていたが、首を軽く振り、思い直す。
小さく、ほとんど音にならないように身体強化の魔法を呟く。
その瞬間、ビオラは今までになかった、超人的なスピードとキレを手にいれた。
激しく、そして完璧に音とシンクロするビオラのダンス。
その動作は、ルナのクールさに「熱狂」の片鱗を加えたかのような、驚異的な再現度と躍動感を見せた。
「えっ? 激し過ぎない?」
アクアが思わず声を上げる。
「どれだけ身体能力高いの?」 アウラが唖然とする。
「いやいやいや、ビオラの動きのキレ……おかしいよ」
ルナも目を丸くし、呆気にとられるメンバー。
……あらっ、やり過ぎかしらね。
ビオラが内心で反省したとき、ミーナが曲を止めた。
「そこまで」
ビオラは姿勢を正し、息一つ乱さずに尋ねる。
「いかがでしょうか?」
「完璧以上ね。技術も表現力も文句なしよ」
ミーナは感心しきりだったが、すぐにプロの講師の顔に戻る。
「だけど、ビオラいい? これはグループの踊りよ。
あなた一人が完璧でも、Ice Dollとしては未完成なの。そこを考えた練習が必要ね」
ビオラは、なるほどと思い、ミーナの言葉を深く受け止めた。
……シンクロ……一人では成しえない、調和の美。わたくしが前世で知らなかった境地ですわ。
公爵令嬢として、全てを一人で背負うことに慣れていたビオラにとって、「調和」の必要性は新鮮な学びだった。
「承知いたしました。肝に銘じますわ」
「それじゃあ、四人で合わせましょう」
ミーナの指示で、ルナ、アクア、紅葉、そしてビオラの四人での合同レッスンが始まった。
「「「「はい」」」」
四人の声が揃う。
ビオラの動きは正確で美しいが、ルナとアクアが長年培ってきた「氷の芸術」としての微細な間の取り方や、
他のメンバーとの呼吸の同期が、どうしてもずれる。
彼女の動きは「完璧なソロ」であり、「完璧なシンクロ」には至らない。
レッスンが続き、汗が床に落ちる。
「それまで。はい、みんなお疲れ様。しっかりクールダウンはしておいてね」
ミーナはそう言い残し、次の仕事へ向かうため、ダンスルームを出ていった。
「「「「ありがとうございました」」」」
「ビオラ、すごいね。初めての練習で、あんなに踊れるなんて!」
アウラが、汗を拭いながら興奮気味にビオラに話しかける。
「ありがとう。アウラは先に来ていましたのね」
「うん、朝一番で来ていたから。楽しみ過ぎて早く来過ぎちゃったよ」
てへへと笑うアウラ。
その無邪気さから、ビオラは彼女を天然の妹キャラだと認識した。
「アウラもビオラもお疲れ。ストレッチが終わったら、次はボイストレーニングだよ」
アクアが優しく声をかける。
ルナは、クールダウンのため床に座り込みながら、ビオラをじっと見ていた。
(天才的なダンス能力ね。だけど、力が強すぎて、
周りのメンバーとうまく合うかしら? いや、これはリーダーの私が頑張らないと)
ルナは、ビオラの圧倒的な才能が、Ice Dollの既存のスタイルを打ち破り、新たな道へ開くことを予感していた。
「じゃあ移動するわよ」
ルナが立ち上がり、声をかける。
「やったー、次は歌だー!」
アウラは喜ぶ。
自分の持つ最大の武器である歌唱力を試せることに、期待で胸を膨らませていた。




