11
車を降りて家の扉の前まで来た。
扉が急に開き、ビオラは思わず立ち止まった。
「おかえりーっ!!」
玄関に飛び出してきたのは、美咲だった。
その明るい声に続いて、陽翔がクラッカーを鳴らしながら現れる。
「おめでとう!」
剛志が、いつの間にか家族に合格を報告していたらしい。
リビングには、手作りのケーキと華やかな紙吹雪が散らされ、まるで小さな祝賀会のような光景が広がっていた。
「……ただいま戻りましたわ」
ビオラは戸惑いつつも、自然と頬を緩めた。
公爵令嬢としての誇りや威厳よりも先に、純粋な喜びが胸にこみ上げる。
そのとき、スマホが震えた。
画面には、沙織からのメッセージ通知。
「どうだった!?」
心配そうなスタンプと一緒に送られてきていた。
「やりましたわ」
ビオラはすぐにとメッセージを打ち、続けて喜びを表現するしろまるのスタンプを送信した。
彼女の心は、この世界で得た初めての大きな勝利と、家族や友人からの温かい祝福に満たされていた。
翌朝、教室についたビオラは、すぐにクラスメイトたちに囲まれていた。
「すげえな、紫音! マジで受かっちまったのかよ!」
とくに囃し立てるのは、颯太だ。
興奮した様子の彼は、まるで自分のことのように喜んでいる。
「俺、オーディションってすげえ遠い世界の話だと思ってたぜ!
紫音、マジでアイドルになるのか!」
「すごいすごい」
「私たち、アイドルのクラスメイトじゃん!」
クラスメイトたちも口々に言い、教室はまるで小さな祝賀会場のような熱気に包まれた。
皆がビオラに質問を投げかけ、その才能と勇気を称賛する。
ビオラは、少し圧倒されながらも、満面の笑みで優雅に一礼する。
「皆様、ありがとうございます。これからも、精一杯努めてまいりますわ」
その丁寧な物腰は、アイドルの座を射止めた後も変わらない、公爵令嬢の品格を保っていた。
その輪の少し外側、窓際の席では、悠真が静かに微笑んでいる。
彼の瞳は、賞賛の輪の中心にいるビオラを優しく見つめていた。
悠真と視線が交わると、ビオラの胸がふわりと温かくなる。
「悠真も何か言えよ」
悠真が席に座ったままなのを見つけた颯太に促され、悠真は少し照れたように口を開く。
「うん。花城さんの才能なら当然の結果だと思うよ。頑張ってね」
「ありがとうございます、冬木様」
ビオラは、そのシンプルな応援の言葉に、心から感謝した。
その熱狂から離れた教室の隅。
神崎玲奈は机に座ったまま、祝福の中心にいる紫音を睨みつけていた。
彼女の周りだけ、空気が張り詰めている。
(ただの嫌がらせのつもりだったのに……なんで、あんな地味な子が受かるのよ!)
玲奈は、そもそも紫音が書類審査を通過するとは夢にも思っていなかった。
不合格になった暁には、それをクラス中に周知し、「身の程知らず」と祭り上げるつもりだったのだ。
そのために勝手に応募したというのに、まさか受かるとは。
さらに、引っ込み思案だったはずの紫音は二次審査を受けずに辞退すると思っていたのに、自分から受けると言い出し、しかも合格するとは。
(なにが、どうなってんのよ。あの地味な花城紫音が、なんで急に……)
元々は、玲奈が「Ice Doll」のオーディションに興味を持っていた。
自分ならいけると内心思っていたが、落ちた時の恥ずかしさや、クラスにバレるリスクを恐れて応募しなかった。
このもやもやした気持ちを晴らすために、「ちょっと美人だけど目立たない」紫音を利用したのだ。
その結果、今や紫音はクラスの人気を独占し、まるでヒロインのように輝いている。
玲奈は、屈辱と羨望が混ざり合った、煮え切らない感情を噛み締めていた。
「玲奈、どうしたの? 紫音に何か言ってあげなよ」
クラスメイトの一人に声をかけられ、玲奈は逃げ場を失った。
重い腰を上げ、祝福の輪を睨みつけるように近づくと、紫音に向かって吐き捨てるように言葉を放った。
「……ふん。私のおかげでしょ。感謝しなさい」
その言葉は、自分のした行為を正当化しようとする、精一杯の強がりだった。
ビオラは、その瞬間、社交界でのあらゆる種類の意地悪や陰口を思い出した。
玲奈の言葉など、かつての貴族間の嫌がらせからすれば、児戯にすぎない。
ビオラは満面の笑みで、玲奈の目を見つめ返した。
「ええ、とても感謝しておりますわ。
神崎様のおかげで、わたくしの新しい道が開けました。
本当にありがとうございます」
完璧な笑顔と、社交界仕込みの優雅な一礼。
ビオラは、玲奈の敵意を感謝という名のドレスで包み込み、相手を完膚なきまでに打ち負かしたのだ。
その言い得ぬ圧力に、玲奈は何も言い返すことができなかった。
無言で教室の扉を乱暴に開けて出て行った。
クラスメイト数人が慌ててその後を追う。
「どうしたの? 玲奈」
「何もないわよ。トイレに行くだけ」
苛立ちを隠せない玲奈は、それ以上何も話さず、早足で廊下を去っていった。
「紫音! やったね! 私、本当に嬉しいよ! 昨日、家で一人で叫んだもん!」
「貴女の応援が、わたくしの背中を押してくれましたわ」
「もう! そういう真面目なところも好きだよ!」
何事もなかったかのように輪に戻るビオラ。
心からの友の祝福を受けながら、この新しい日常が、いかに満たされているかを実感した。
放課後。
マネージャーの天城圭一が運転する黒塗りの車が、ビオラを迎えに学校の前に滑り込んだ。
「花城さん、お疲れ様です。お迎えにあがりました」
「ありがとうございます、天城様」
ビオラが乗り込むと、車はすぐに次の目的地、十森紅葉の高校へと向かう。
紅葉は、緊張した面持ちで車に乗り込んできた。
「こんにちわ……花城さん」
「ごきげんよう、十森さん。これから、よろしくお願いいたしますわ」
ビオラの優雅な挨拶に、紅葉は「は、はい!」と小さく頷く。
二人はしばらく無言だったが、ビオラが隣で静かに微笑むと、紅葉は意を決したように口を開いた。
「あ、あの……昨日は、ありがとうございました。ペットボトル、拾ってくださって」
「気にしないでくださいまし。ああいう場では、緊張してしまうものですわ」
「花城さんって、全然緊張してないみたいで、すごいです……」
「そう見えましたか? でも貴女も、これからは同じIce Dollのメンバーですわよ。一緒に頑張りましょう」
ビオラの言葉に、紅葉の表情が変わる。
それは喜びを胸に噛み締めながらも、アイドルとして歩む決心をした、きっぱりとした顔つきだった。
「はい!」
初々しい二人のやり取りを、運転席の圭一は静かに見守る。
車内の空気は、新しい船出の前の、微かな期待と緊張に満ちていた。
車はブルーローズプロモーションのビルに到着し、二人は応接室へと案内された。
圭一がノックして、中から返事があり、扉が開く。
部屋の中にはプロデューサーの冬木光一と、「Ice Doll」の既存メンバー四人が座っていた。
彼女たちは皆、黒やグレーのシックな衣装を身に纏い、その静謐な佇まいからは、まさに「氷の女神たち」と呼ぶべき圧倒的なオーラが放たれている。
紅葉は思わず息をのんだ。
その様子を見た光一が、柔らかに微笑みながら口を開く。
「皆、揃ったね。改めて、花城紫音さん、十森紅葉さん、合格おめでとう。
そして、Ice Dollの皆、新しい仲間だ」
光一は、ビオラと紅葉に視線を送る。
ビオラは一歩前に進み、背筋を伸ばした。
「花城紫音と申します。Ice Dollの一員となれて光栄ですわ」
そして、スカートの裾を軽く持ち上げ、優雅にカーテシーをした。
静寂に包まれていた既存メンバーの間に、ざわめきが起こる。
黒いキャップを深く被った女性が、思わず口元に手を当てて呟いた。
「えっ。どこかのご令嬢?」
ポニーテールの女性が苦笑する。
「なかなかの逸材だねえ」
ボブカットの女性と、ツインテールの女性の二人は、その洗練された仕草に唖然としている。
慌てて紅葉が続く。
「わっ、わたしは十森紅葉と申します。精一杯頑張ります!」
紅葉は深く、きちんとしたお辞儀をした。
ポニーテールの女性が笑いかける。
「これこれ、こういうのが新規メンバーだよねえ」
ボブカットの女性も、同意するようにうなずいた。
「紅葉ちゃんかわいい……妹キャラ狙い? どうしよ」 ツインテールの女性は、少し心配そうに呟いた。
光一が、キャップを被った女性に目配せする。
「はじめまして、リーダーのルナ、月上理央です。
わからないことがあれば気軽に相談してね」
ボブカットの女性が続いた。
「わたしはアクア、水無瀬詩織よ。これからよろしくね」
ポニーテールの女性がビオラと紅葉に笑いかける。
「ネージュ、白雪凛だよ。一緒に頑張ろうね」
ツインテールをした女性は、少しぶっきらぼうに頭だけ下げる。
「アイビス、鳥宮雫」
挨拶を終えて、ビオラと紅葉が席に着くと、光一はメンバー全員を見渡した。
そして、Ice Dollが目指すコンセプトと、新メンバーの役割を語り始めた。
「Ice Dollは、結成以来、完璧に同調したダンスと息の揃った歌唱力を強みとしてきた。
その芸術性の高さは評価されている。だが、正直に言おう――人気が今ひとつ伸び悩んでいる」
リーダーのルナが、静かに頷く。
他のメンバーも表情を変えないが、その目には緊張の色が滲んでいた。
光一はビオラと紅葉を見つめて言った。
「そこで、二人には、グループに『新しい風』を吹かせてほしい」
彼は二人に、それぞれが担う「役割」を明確に提示する。
「十森さんは『圧倒的な声量』の持ち主だ。そのパワフルさを存分に発揮してほしい。
今までIce Dollになかった、ステージを『沸かせる』役割だ」
紅葉は驚きで目を見開いたが、すぐに闘志を込めて頷いた。
そして、光一の視線がビオラに向けられる。
その瞬間、ビオラは彼の瞳の奥に、かつてリヒトが見せていたような、情熱的で、それでいて冷静な光を見た気がした。
「花城さんは不思議な魅力の持ち主だ。
ぼくは君から人を惹きつけるカリスマ性を感じ取った。
メンバーを巻き込んで観客を魅了してほしい。できるかな?」
光一の言葉は、まるでビオラがかつて公爵令嬢として背負っていた「象徴」としての役割を、このアイドルという舞台で再び課すかのようだった。
それは、ビオラにとって、過去の宿命と今一度向き合うことであり、同時に未来のやり直しでもあった。
ビオラは、背筋を伸ばし、迷いのない瞳でプロデューサーを見つめ返した。
「承知いたしました。プロデューサーの期待に、必ずやお応えいたしますわ」
彼女の決意に満ちた声が、応接室に静かに響き渡った。
ルナは、その声に含まれた絶対的な自信に少し戸惑いを覚え、ビオラを一瞥した。
光一が続ける。
「さて、Ice Dollのメンバーは、コードネームというものを持っている。
活動中はその名で呼ぶことになる。ルナ、アクア、ネージュ、アイビスだね。
十森さんと花城さんにも用意した。いい?」
「「はい」」
ビオラと紅葉は、緊張と期待の入り混じった声で答えた。
「まず十森さんはアウラ。これからそう呼ぶし、そう名乗ってね」
「アウラ……それが私のコードネーム!」
紅葉は、Ice Dollの一員となったことを実感し、その嬉しさに、瞳を輝かせた。
さっそくネージュが、明るく声をかける。
「よろしくね、アウラ」
アウラは嬉しそうにうなずいた。
その微笑ましいやり取りを見て、アイビスは、メンバーの「末っ子」のポジションがアウラに奪われそうだと感じて、「うぬぬ」と小さな葛藤の声を漏らした。
光一は、その場の雰囲気を楽しむように微笑み、改めてビオラに視線を向けた。
「そして、花城さん」
「はい」
ビオラは背筋を伸ばし、静かにその言葉を待った。
「ビオラ。それが花城さんのコードネームだ」




