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紫音は、指示された椅子の前に立つと、静かに一礼し、ゆっくりと腰を下ろした。

その動作は、まるで舞踏会の一幕のように優雅で、空気がふわりと揺れる。

まるで、そこに一輪の薔薇が咲いたかのような錯覚を覚えるほどだった。


「……ほう」

審査員のひとりが、思わず息を漏らす。


紫音は、背筋を伸ばしたまま、視線を正面に向ける。

そこに座っていたのは――先ほど廊下で出会った、あの黒のジャケットの男性だった。


彼は、資料を閉じ、穏やかな口調で言葉を紡ぐ。

「本日はお越しくださりありがとうございます。プロデューサーの冬木光一といいます」

……さきほどの方はプロデューサーでしたのね。 粗相はなかったかしら。

それにしても――冬木? あら?まさか……。


「花城紫音です。本日は、貴重な機会をいただき、誠にありがとうございます」

紫音は、立ちあがり、スカートの裾を両手で軽く持ち上げて、優雅にカーテシーをした。

その姿勢には、これまでの鍛錬と、貴族としての誇りが滲んでいる。


審査員たちが、思わずどよめいた。

「カーテーシー!……わたし、初めて生で見ました」

「まるで舞台の一幕のようだ……」

空気が一瞬、静まり返る。


その中で、審査員の一人が気を取り直し、静かに口を開いた。

「それでは、表現力審査を始めます。準備はよろしいですか?」

紫音は、ジャージの袖を軽く整えながら、目を閉じて深く息を吸う。

そして、ゆっくりと目を開け、まっすぐに前を見据えた。

「はい。ダンスを披露させていただきます」


スタッフの一人がうなずき、音響機器に手を伸ばす。

「音源を確認いたしますので、少しお待ちください」

控え室で伝えておいた曲が、試しに流れ始める。

“Ice Doll”の代表曲――高難度のダンスで魅せる、緻密な構成と感情表現が求められる楽曲だ。

紫音は、音の入りを確認しながら、静かに立ち位置へと移動する。

その歩みは、まるで舞台の幕が上がる直前の主役のようだった。


……さあ、ショータイムの始まりですわ。


音楽が静かに止む。

最後のポーズを決めたビオラは、深く一礼し、静かに呼吸を整えた。

その場に残るのは、彼女の動きが描いた余韻と、張り詰めた沈黙。


審査員たちは、資料に目を落としながら、何やら小声で相談を始めた。

一人が頷き、もう一人が眉を寄せる。

光一がビオラの目を見ていう。

「……お疲れ様でした。審査はこれで終了です。控え室にお戻りください」


ビオラは再び一礼し、静かにその場を後にした。

その後ろ姿には、舞台を終えた舞姫のような気品と余韻が漂っていた。


控え室に戻ると、他の候補者たちがちらりと視線を向けた。

ビオラは何も言わず、静かに席に戻る。

その表情には、やりきった者だけが持つ静かな誇りが宿っていた。


そして―― 全員の表現力審査が終了し、次なる段階へと進む。

面接の時間が、始まろうとしていた。


控え室の扉が再び開かれ、スタッフが名を呼ぶ。

「花城紫音さん、面接室へどうぞ」


ビオラは静かに立ち上がり、椅子を音を立てずに戻すと、深く一礼して歩き出す。

面接室に入ると、先ほどの審査員たちが再び並んでいた。

中央には、黒のジャケットを纏った冬木光一。


「改めまして、花城紫音さんですね。どうぞ、おかけください」

ビオラは椅子の前に立ち、一礼し、腰を下ろす。

その洗練された所作に、まだ慣れない審査員たちがざわつく。


冬木が微笑みながら口を開く。 「では、始めます」

ビオラは背筋を伸ばしたまま、穏やかな声で応じる。

「よろしくお願いいたします」

審査員たちは静かに頷き、資料に目を落とす。


冬木は、彼女の瞳を見つめながら問いかけた。

「なぜ、アイドルになろうと思ったのですか?」


ビオラは一瞬だけ目を伏せ、そしてまっすぐに前を見据える。

「わたくしは、かつて“役割”の中で生きておりました。

けれど、この世界に来て初めて、“選ぶ”という自由を知りました。

アイドルとは、誰かの心に光を灯す存在。 わたくしも――そうありたいと思ったのです」

室内に静かな沈黙が広がった。

意味を測りかねるような、あるいは理解しようとするような、微妙な空気が流れる。


審査員の一人が、資料のページをめくる手を止め、苦笑を漏らす。

「……独特の世界観をお持ちですね」

別の審査員も、肩をすくめながら小さく頷いた。

「まるで物語の登場人物みたいだ」


だが、冬木は笑わなかった。

彼はただ、静かにビオラを見つめていた。

その言葉の奥に、何か確かなもの―― 言葉では説明しきれない、真実のようなものを感じ取っていた。

冬木の胸に、ふと疑問がよぎる。

“この世界に来て”――そう語った彼女の言葉は、ただの比喩ではないのかもしれない。


冬木はゆっくりと頷いた。

「では……次の質問です。あなたにとって、“仲間”とはどのような存在ですか?」


ビオラは、ほんのわずかに目を細めた。

それは、遠い記憶をたどるような、静かなまなざしだった。

「仲間とは――」 一拍置いて、言葉を選ぶように続ける。

「わたくしは、かつて“孤高”であることが美徳とされる世界におりました。

けれど、今は違います。 この世界で出会った人々が教えてくれました。

誰かと心を通わせることの、あたたかさと強さを」


花城家の面々や沙織たちを浮かべるビオラの声には、誇りと、少しの柔らかさが混じっていた。

審査員の一人が、思わずペンを止めて彼女を見つめる。

(ただの不思議ちゃんではないのか?)

その疑念は、次第に尊敬へと変わりつつあった。


冬木は静かに頷く。 「……ありがとうございます。では、最後の質問です」

彼は、まっすぐにビオラの瞳を見つめる。

「あなたが“Ice Doll”の一員になったとしたら、どんな存在でありたいと思いますか?」


ビオラは、すっと背筋を伸ばし、微笑んだ。

しかし、その笑みには確かな決意が込められていた。

「わたくしは、かつて民を導き、象徴たれと教育され、精進してまいりました。

けれど……それは叶いませんでした。

だからこそ、アイドルとして――皆を導く光でありたい。

誰かの記憶に残る、そんな“輝き”を届けたいのです」


面接室に、再び静寂が訪れる。

だがその沈黙は、先ほどよりも柔らかく、どこかあたたかいものだった。


冬木は、ゆっくりと息を吐き、微笑む。

「……面接は、以上です。ありがとうございました」


ビオラは立ち上がり、深く一礼する。

「こちらこそ、貴重なお時間をいただき、ありがとうございました」

その所作は、最後まで美しく、そして揺るぎなかった。


控え室は、重苦しい空気に包まれていた。

「十森紅葉さん、こちらにどうぞ」

先ほどペットボトルを落とした少女がスタッフに呼ばれ、10分以上経つ。

沈黙は、緊張というよりも、諦念に近いものだった。


誰もが言葉を発することなく、ただ時間の流れに身を委ねている。

ビオラは、そんな空気の中でも表情を変えなかった。

背筋を伸ばし、膝の上に手を重ね、静かに座っている。

けれど、その胸の奥では、わずかなざわめきが広がっていた。


候補者たちの間には、目に見えない“終わり”の気配が漂っていた。

誰もが、心のどこかで悟っていたのだ――自分は選ばれなかったのだと。

ビオラもまた、ふと視線を落とす。

……わたくしは、選ばれなかったのかしら

その瞬間、婚約破棄を受けた時の感情がよみがえり、胸の奥にぽっかりと穴が空いたような感覚が広がる。

思考が一瞬、白くかすんだ。


控え室の扉が、再び開いた。

現れたのは、冬木光一だった。

静かな足取りで中へと入ってくる。

彼の視線が、まっすぐにビオラを捉えた。 そして、微笑みながら一言。

「花城紫音さん、こちらへどうぞ」


その声に、ビオラははっと顔を上げる。

冬木が差し出した手は、まるで――

……リヒト?

かつてのパーティーで、ダンスの誘いを受けたあの夜。

差し出された手の温もりと、導かれる安心感。

その記憶が、冬木の姿に重なった。


……いえそんなわけありませんわ。

ビオラは静かに立ち上がり、一礼して彼のもとへと歩み寄る。


光一は控え室を見渡し、穏やかに告げた。

「他の皆さまは、今回はご縁がありませんでした。今後のご活躍を、心よりお祈り申し上げます」

その言葉に、誰もが静かに頭を下げた。

そして、ビオラは光一とともに、控え室を後にした。

扉が閉まる音が、静かに響いた。


応接室へと向かう廊下。

二人は言葉を交わさぬまま並んで歩いていた。

けれども、不思議とその沈黙は苦ではなかった。

むしろ、静けさの中に漂う確かな気配が、ビオラの心を落ち着かせていた。

……この感覚、どこか懐かしいですわ。


応接室の扉が開かれる。

中には、すでに紅葉がソファに腰掛けていた。

その隣には、凛とした雰囲気を纏う女性。

壁際には、腕を組んだまま無言で立つ男性の姿もある。


「花咲紫音さんね。こちらにおかけなさい」

女性が、鋭くも落ち着いた声で促す。

「はい。よろしくお願いいたします」

ビオラは一礼し、静かにソファへと腰を下ろす。

その所作に、女性がふと目を細めた。

「あら、礼儀が行き届いたお嬢さんね」


その視線は、まるで内面を見透かすように鋭い。

ビオラは一瞬、息を呑んだ。

――そのとき、記憶の扉が開く。

(……もっと胸を張りなさい。姿勢を正して。あなたは王太子妃になるのですよ)

厳しくも凛とした声。 背筋を正され、歩き方を矯正され、言葉遣いを何度も直された日々。

けれど、その厳しさの奥に、確かにあった。 王妃の、静かな優しさと、未来を託すまなざし。


……まさかね。でも、懐かしいわ。

あの頃の自分が、今の自分を見たら、どう思うだろう。

ビオラは、そっと胸の奥で問いかけた。


「よろしいかしら?」

鋭い声に、ビオラははっと意識を戻す。

「申し訳ありません」

女性の方へ視線を向けると、彼女は微笑を浮かべていた。

「はじめまして。

私はブルーローズプロモーションの代表取締役を務めています、神代セレスです。

よろしくね」

「よろしくお願いいたしますわ」


その丁寧な言葉遣いに、紅葉が思わずつぶやく。

「あわわ。やっぱりお嬢様だ……」


セレスは紅葉を横目で見ながら、話を続ける。

「あなたと、こちらの十森紅葉さん。

二人を“Ice Doll”のメンバーとして迎えます。よろしいわね?」

「はい」 「はいっ」

声の調子は違えど、二人の返事は重なった。


「それじゃあ、二人にマネージャーを紹介するわね」

セレスが壁際の男性に目を向ける。

彼は静かに一歩前へ出ると、落ち着いた声で名乗った。

「“Ice Doll”のマネージャー、天城圭一です。些細なことでも構いません。

いつでも相談してください。どうぞよろしくお願いします」


「よろしくお願いします」 「よろしくお願いしますわ」

……侍従の扱いには慣れてますわ

ビオラは心の中で、ふと屋敷での暮らしを思い出す。


「それじゃあ、天城くん、あとはよろしく。冬木さん、このあと良いかしら?」

セレスと冬木が席を立つ。 冬木は二人に向き直り、柔らかく微笑んだ。

「紅葉さん、紫音さん。これからよろしく」

「よろしくお願いします」 「よろしくお願いいたしますわ」


天城圭一が手元の資料を開きながら、静かに口を開く。

「それでは、今後のスケジュールについて説明します。明日の夕方、メンバーでの顔合わせをします。

そのあと活動方針の確認があるので少しお時間をいただきます。

また、家族への説明はこのあと電話でいたしますが、改めて場を設けます。

あと学校との調整など、順を追って進めていきます……」

二人は真剣な表情で頷いた。


そして、応接室を後にし、玄関口へ向かう。

外には、迎えに来た剛志の姿があった。

「お疲れ」

その一言に、ビオラはふっと微笑む。


……わたくしアイドルになるのね

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