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招かれざる来訪者




「ようこそ、おいで下さいました。ミハイル殿下」

「ありがとう。突然の訪問で驚いたことだろう、すまなかったね」


どうしてこうなっているのだろう。

ソファに腰掛け、柔和な微笑みを浮かべる美しい王子を前に、エバリーは顔を引きつらせていた。


「驚いていないと申し上げれば嘘になりますが、きっと何か事情がおありなのでしょう」

「実は少し気になる事があってね」

「気になること、ですか」


こんな風に気安く言葉を交わしている事に、あまりにも違和感があった。こちらはずっと王子を見つめていたが、ミハイルからすればこの間挨拶したばかりの婚約者候補の一人に過ぎない。そう思い知らされたばかりだというのに。


「なんでも、ラッセル公爵令嬢は下賤な手で触れられるような事がないように使用人たちに革手袋を着用させて、自分の世話をさせていると」

「まあ、そのような噂が?」

「かなり広まっているよ。みんな噂好きだからね」

「ご心配をおかけしております。けれど、少し趣向を変えただけで、大したことではありませんので」

「近頃王宮で見かけないから……この間、会った時も様子がおかしかったから、気になっていたんだよ」


エバリーは不思議そうにミハイルを見上げた。変わらない笑顔で、こちらを見つめている。

確かにこれまでであれば、暇さえあれば王宮に出かけ、王子の姿を一目でも見ようと通いつめていたものである。けれど判然とはしないまでも、己がただ婚約者候補の一人にすぎず、いつか嫉妬に駆られるあまり罪を犯し、そのせいで両親を失い、ついには自らも処刑される未来が見えてしまったのであれば、もはや今までと同じように振る舞うことはできなかった。いや、それどころか、身の程をわきまえて、婚約者候補の座さえ退くべきだろうと考え始めているところである。

だからこそ、エバリーはこのような展開は予想していなかっただけに、どう対処すべきか考えあぐねていた。


「先日は、お見苦しい姿をお見せしてしまい、申し訳ございません。お心遣い、感謝いたします。ただ……気分が優れなかったのです」

「謝らなくていいさ、もう良くはなったのか?」

「はい、ご心配には及びません」

「それは良かった」


窓から差し込み光を反射して、ミハイルの青い瞳が瞬いた。優しい王子様。微笑む姿に、エバリーは思わずほうと息を吐いた。エバリーの胸を占める、捨て切れない恋心が顔を覗かせる。けれどすぐに、悲痛な両親な顔がそれを霧散させた。


「エバリー嬢」

「……っは、はい?」

一瞬、名前を呼ばれて反応できなかった。慌てて顔を上げる。


「これなら、君に触れても?」


こちらに微笑みかけながら、ミハイルは黒い革手袋をはめた手をそっと差し出した。

何を言われているのか、理解できなかった。

あの日、初めてエスコートのために手に触れた。そして、破滅の未来が怒涛のごとく頭の中に流れ込んできたことを思い出す。

ハッとして首を振る。

「い、いえ。ただの革手袋では駄目なのです。私は大の潔癖で、非接触の魔法を施した手袋で、ない、と」

言いながら、非常に無礼なことを言っていることに気がついて青ざめる。

けれど気にした様子もなくミハイルは納得したように頷いた。

「なるほど。じゃあこれなら構わない?」

小さく何事かを詠和して、ミハイルの手から金色の光が放たれた。

魔法だ。美しい螺旋の光が幾重にも重ねがけされ、次第に光が粒子となって消えていく。

構わないかどうかを聞かれているのであれば、魔法をかけた革手袋をしているなら、構わないということになる、のだろうか。混乱する頭でおそるおそる頷けば、深まる微笑。

あの日の無礼を咎められることもなく、潔癖な女に配慮をして、寄り添ってくるなど。何を考えているのだろうか。

黒い革の指先が、エバリーの手の甲に触れる。反射的にびくつくこちらに微笑み、指先は弄ぶようにエバリーの白い頬にかかる。


彼が何を考えているか、わからない。細められた青い瞳は、こちらを冷静に見つめていた。


ゆっくりと形の良い唇が近づいてくる様を、不思議に眺めていた。ガラスごしの向こうで、自分とは関係ないことを傍観しているような気分だった。彼の金髪がさらりと首筋をかすめ、それは静かに落とされる。

想像していたよりも熱い温度が、エバリーの頬に宿った。

その柔らかな感触に、弾かれたように後ろに飛び退いて、頬を押さえる。


意味がわからなかった。

二人とはいえ、周りには使用人たちが控えている。


「なに、を」

「……親愛を込めて」

良くなってくれて、良かった。そう言って穏やかな表情でにこりと笑う、美しい王子様。

親愛の意味を込めた、キス?私たちはそんな間柄だったのだろうか。エバリーはずっと王子を見つめ続けてきたかもしれない、彼を手に入れたいがために、どんな厳しい教育にだって耐えてきた。けれど、彼はいつだって、手の届かない高みにあった。

ようやく私が選ばれると喜び勇んで会いに行った日に、他の婚約者候補となんら変わりない存在だと、いやそれ以上に彼の前にいることすらおこがましい存在であると思い知らされたというのに。

美しく微笑むその姿が、まるで悪魔のように見えた。


彼の一挙一動に翻弄され、手のひらの上で転がされている。


そう思うと、カッと頬に朱が走った。頭に血が上る。

凄惨な未来を前に怯んでいた元々の苛烈な性格がよみがえる。

馬鹿にして、馬鹿にして!!!

悔しさと憎らしさのあまり涙がにじむ、様々な感情がない交ぜになったように胸の中が黒く染まっていく。

エバリーは衝動のままにミハイルに手を伸ばした。


「おっと」


ガシャンと音を立ててティーポットが落ちた。

「いいの?君は手袋をしていなくて」

薄く微笑んで、王子は首を傾げた。

控えていた騎士がすぐに駆け寄ろうとするのをミハイルは片手で制して、目の前の少女を眺める。紫紺の瞳が正気を失ったように光を失い、涙を湛えていた。ソファに腰掛けていたミハイルに体重をかけるように細い身体を乗り上げ、仕立てられた滑らかな白いシャツを震える手で掴んでいた。エバリーの長く美しい黒髪が、ミハイルを囲むように垂れる。

エバリーはミハイルに触れたところから、頭の中に直接注ぐように自らの末路が延々と流れ込んできて、身動きが取れなくなっていた。頭がガンガンと痛む、火あぶりになって断末魔を上げるエバリーの姿、聖女とミハイルが仲睦まじく寄り添い会う、人々が口々に罵る、魔女め、魔女め、悪魔め、処刑を、聖女様、万歳!!!!!!!絶え間なく聞こえる声、恐ろしい未来。

けれど、すぐ近くで私を真っ直ぐに映し出す青い瞳から、目が逸らせなかった。


「私は……私、はっ……」

ぶるぶると手が震える、息が荒くなる。

言いたいことが纏まらない。衝動のままに行動して、どうしようもなくなっている。だから、あんな末路を辿るのだろう。考えなしにも程が有る。

やがてミハイルのシャツを掴んでいたエバリーの手から力が抜けた。


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