お嬢様は気が触れたらしい
公爵令嬢エバリーは気が触れたらしい。
この噂の出所は一体どこなのか、数多くいる使用人のうちの誰かか。
王子との顔合わせから帰ってきてからというもの、エバリーの様子は異常で、周囲の者たちを困惑させた。
当然家族は心配したが、本人の激しい拒絶にどうすることもできなかった。身支度も全て自らで行い、食事もほんの少ししか摂らず、自室に引きこもり、誰も寄せ付けず、独りきり。
しかし、ある日のこと、エバリーは自室から出て、ぼさぼさの黒髪に青い白い顔色で、震える唇を開いた。
「お父様、私、魔法師を呼んでいただきたいの」
魔法、はこの国では魔力のある者しか使うことはできない。それは限られた一握りの存在であり、魔法師団体に所属する者たちか、王族のみである。一般の人間たちが魔法に触れることは、生まれた時に祝福を授けることと、治療の時くらいなものだった。それ以外の用事で魔法師を呼ぶとなれば、よほど特別な理由が必要となる。ゆえに、そのための費用も馬鹿にならない。とはいえ、ようやく出てきてくれた娘の願いを叶えるためならば、と公爵はすぐに魔法師を呼び寄せた。
やってきたのは深々と暗い紺のフードを被った年嵩の男だった。公爵令嬢だというのにぼさぼさの頭をして、中途半端な身支度をしているエバリーを前に、魔法師である男は表情を変えずに佇んでいる。
「御用命をどうぞ」
「その……聞きたいことがあるのだけれど」
「何なりと」
「え、ええ……あなたは、未来を見ることはできるのかしら」
甘やかされた貴族の令嬢の戯言を聞いたかのように、男は深い皺の刻まれた目尻を神経質そうに動かした。
「……残念ながら、そのような魔法は今現在、存在いたしません」
「似たような魔法もないの?」
「予言書であれば、存在しますが」
「予言書?」
エバリーが紫紺の瞳を向ければ、男は頷いて白髪混じりの髪を揺らした。
「ええ、王家に伝わる秘宝です。私も現物を見たことはありませんが、数百年に一度大きな出来事を予言するとか。過去には三百年前に厄災が予言され、多くの者たちが避難して命が助かったと言われています」
「まあ……」
「それ以来、予言されていることはありません」
それ以外に用が無ければすぐに踵を返したそうな男に、エバリーは次の質問を続けた。
「そう、では一つあなたに頼みがあるわ」
「はい、如何様で?」
「まずは相談なのだけど、私は人に触られるのが嫌なの。だから人が触っても触られていないようにして欲しいのよ」
「ふむ……」
「そこで、私自身に誰にも触られない魔法をかけることはできる?でも、髪の手入れや支度はさせたいの」
「防御魔法で相手を弾くことはできますが、触られない魔法というと、非接触の魔法?いや、しかしそれも結局のところ弾いてしまう……」
眉間に皺を寄せ、男は考え込んだ。
「であれば、物を媒介にすれば可能でしょう」
「媒介?」
「例えば、手袋に魔法を施すのです。魔法は自然に近いものの方が施しやすいので、手袋は皮で作られたものが良いでしょう。手袋にのみ非接触の魔法をかけ、対象を限定したことで、その手袋越しであれば触っても相手に直接触られたことにはなりません。少々複雑な魔法にはなりますがね」
「いいわ、すぐに革手袋を用意させるから、できるだけたくさんのものに魔法をかけてちょうだい」
「承知いたしました」
「ねえ、そうだわ。もう一つ聞きたいことがあった」
「どうぞ」
慇懃無礼な魔法師の男は、手袋に魔法をかけた後、億劫そうに振り返った。
「聖女について教えて」
「聖女?」
不可解そうな表情で男は首を傾げた。
「絵物語の聖女ですか?」
幼い時によんだ絵本に聖女の存在が描かれていた。銅像にも美しい天使や聖女のモチーフが使われている。
「そうだけど」
「私が知る限り、この国の文献で聖女について記されたのは1000年以上前のことです。その時の王家の祖先……王妃様が聖女であったとされています。癒しの力や、聖なる力で民を救ったと言われています」
「また現れる可能性は?」
「それこそ、そんなことがあれば予言書が予言するでしょう」
ふっと笑って魔法師は肩をすくめた。
やがてエバリーは自らの身支度や世話をさせる際に、侍女たちに必ず魔法を施した革の手袋を着用させ、決して素肌に直接手が触れることのないように徹底させるようになった。それは幾度もの実験の上でようやく訪れたエバリーの安寧であった。たどり着いた平穏は、厚い革手袋ごしの奉仕。
その異様な生活が社交界に噂が回るのも当然のことだった。ある者は、エバリー公爵令嬢は人嫌いだと言った。ある者は潔癖症だと言った。ある者は変わり者だと言った。
その噂を聞いて、物思いにふける男がいた。窓際に佇み、ミハイルはふと手のひらを青い目で見つめ、じっと考えた後、何事かを決めたように側近の男を呼んだ。
「ラッセル公爵家に、先触れを出してくれ」




