12 花を持たせてもらえると思うな
部活に入っていない僕にとって、放課後に学校に残る理由は特にない。
掃除当番でもなければ、HRが終わった時点でそのまま帰宅ルートに入る。コウくんほど急ぎ足でないにせよ、誰かと歩幅を合わせる必要がないぶん、学校を出るのは早いほうだと思う。
「待ってたよ、テルくん」
なのに校門には、僕を待ち受けていた在校生がいた。
呼び方こそ親しげだが、相手はカグヤ先輩ではない。ここ最近、『噂のテルくん』を求めて教室に乗り込んでくる、あの先輩たちだった。
「前にも言いましたけど、僕はテルくんじゃないですって。この名前のどこに、テルの要素があるんですか」
「いつまでもそうやって、しらばっくれると思うなよ。調べはもう、ついてるから」
「どういう意味ですか?」
「源為朝を『トモ』って読むようにさ、燕にはテルって読み方があるってことだ」
「調べはついてるって……そっちのほうから調べたんですか」
てっきり教師や生徒に聞き込みでもしてきたのかと思ったら、まさか名前の読み方を調べてくるとは。努力の方向性がおかしいというか、その執念があまりにも粘着的すぎた。
「まったく……この二週間、すっかりテルくんには振り回されたよ」
彼はやれやれと肩をすくめながら、勝者の余裕を匂わせてみせる。
たしかに、まさか二週間もの間、先輩たちをやり過ごし続けられるとは、僕自身も思っていなかった。そして同じくらい、ここまで執拗に食い下がってくるとも、当初は思っていなかった。
今回は、その粘着質な粘り強さに軍配が上がったということだろう。
「これ以上、逃げも隠れもできないんだ。大人しく、ついてきてもらえる?」
「嫌ですよ」
即答した。
「……え?」
呆気にとられたように、彼の顔から勝者の余裕が消える。後ろにいたふたりも、きょとんとした目で僕を見た。まるで、こうして拒否されるなんて想定していなかったというふうに。
「だって先輩たち、粘着質に僕のこと探してたじゃないですか。そんな人から逃げも隠れもできないなんて言われて、『はい、わかりました』なんて従えませんよ。このまま付いてったら、人目のつかない場所で、暴力を振るわれるに決まってますもん」
「暴力って……いやいや、そこまでのことは――」
「そこまでのこと? 今、そこまでのことって言いましたよね? それに近しいことはするってことですか!?」
僕はわざとらしいくらいの大声で叫んだ。
ちょうど下校時で混み合っていた校門前。にわかに生徒たちの視線が集中し、場の空気が緊張で固まる。
もう、後輩とのじゃれ合いでは通らない。完全に不穏な現場として認識されている空気だ。
注目されるのに慣れている先輩たちでも、こういう人目の集め方は歓迎していないのだろう。狼狽えたように、視線が右往左往していた。
「い、いや。ただ、話したいことがあるだけでさ。物騒なことはしないって」
「ならどうぞ、ここで話してください」
「だから場所を変えて、その話をしたいんだけど?」
「場所を変える必要、あります? ここでいいじゃないですか」
「……あのさ、テルくん。わかってる? 俺たち、先輩なんだけど」
イライラが募ってきたのか、声の調子が変わった。凄みを利かせるような口調で、彼は一歩前に出てくる。
少し前の僕だったら、ここで萎縮して、言いなりになっていたはずだ。そもそも、教室に乗り込まれた時点で、言われるがまま着いていっただろう。
それが今回、こうも強気な態度で臨んだのは、コウくんに背を押されたからだ。
「それで、いよいよ捕まったらどうするか、決めてるのか?」
そう聞かれたのはいつもの屋上。月曜日の昼休みのことだった。
「今までの調子で、うまいことのらりくらりやり過ごせたらいいなー、って思ってる」
僕は悩ましげに答えた。
「そこまでうまくはいかんだろ」
「いかないかー」
「とりあえず、バカ正直についていくことは絶対するな」
「ついて行きたくないのは山々だけどさ。いざその場面に出くわしたとき、どうやればうまく逃げられるか。思いつかないんだよね」
「だったら、逃げなければいい」
コウくんは正しい答えを差し出すように言った。
「その場にとどまって、戦うんだ」
「戦うって……一対三だよ?」
「厳しい戦いか?」
「一対一でも負け戦だよ」
生まれてこの方、暴力とは無縁に生きてきた。中二のときに同級生と揉めたときでも、胸ぐらひとつ掴んでいない。
そんな僕が上級生と戦ったところで、勝てるなんて微塵も思わなかった。
「殴り合いだとそうかもしれないがな。でも人前で手を出してくるほど、向こうもバカじゃないだろ」
「なら、どうやって戦うのさ」
「そんなの、口だよ、口」
「口?」
「ただの言い合いの場でも、数の暴力ってのは威圧になる。でも、それをひけらかした時点で、周囲の目には悪者に映る。だから、手じゃなくて口の勝負に持ち込める」
「たしかにそうかもね」
「で、向こうがワカとどんなお話をしたいのか。想像くらいはついてるだろ?」
「少なくとも、『竹林との仲を取り持ってくれ』なんて微笑ましいお願いではないだろうね」
彼らのことは、カグヤ先輩たちからある程度聞いている。
「だったら開き直って、嫌なものは嫌。受け入れられないものは受け入れられないって、言ってやればいいのさ。立場が上ってだけで、花を持たせてもらえると思うなってな」
目の前にあの先輩たちがいるかのように、コウくんは鼻で笑った。
「なにより、ワカ。おまえは一度、この手の相手に絡まれたときに、きっちり言い返すって経験を積むべきだ」
「積むべきなんだ」
「高いと感じてるハードルも、一度飛んでしまえば案外どうってことないってわかる。雑魚狩りして、度胸の経験値を稼いでおけ」
「コウくんにとっては、あの先輩たちは雑魚なんだ」
「ああ。ケツはしっかり持ってやるから、安心して戦ってこい」
その自信満々な笑みは、この上なく心強かった。
戦えなんて大層なことを言っているけれど。要するに、立ち向かえということだろう。
向こうに大義なんてあるわけがない。譲る理由も、必要性もない。もしあるとすれば、それが『大事にしたくないから』とか『ことを荒げたくないから』という逃げ腰の理屈。つまり、ただの保身だ。
カグヤ先輩と親しいなんて知れ渡れば、こういう人たちに絡まれることくらい、最初からわかっていた。だから今回の件はむしろ想定の範囲内。これが山場だと思えば、むしろこんなものかと拍子抜けするくらいだった。
それに、コウくんがケツを持ってやるとまで言ってくれているのだ。
ここまでお膳立てされたのなら、もう、乗り越えられない理由なんてない。
「先輩なのは、もちろん知ってますけど?」
「は?」
「いや、だから。先輩なのは、ちゃんと承知してますけど……それで?」
胸の内にはたしかに自信が宿っていた。コウくんの言葉が、僕の背中を力強く推してくれているのだ。




