01 新たな不幸の始まり
存分に年上のお姉さんぶれるユエさんと、素の自分をさらけ出して話を聞いてほしいカグヤ先輩。そんなふたりの相性は抜群で、他人事を酒の肴にできるサチさんの存在も相まって、まさに『女子三人寄れば姦しい』を地でいくような女子会になってしまった。
一応その場にいたけれど、そこに僕の居場所や存在感なんてものは、もはや微塵もなかった。
一言も口を挟めないまま、ふと時計を見やると、すでに十時を回っていた。
「……あ、あの。もう十時ですけど……?」
「へー。――でさー、カグヤちゃん」
「いやいや、『へー』で流さないでください」
なんとか会話に割って入ると、ユエさんは「いいところだったのに」という顔でようやくこちらを見た。
「あのですねー、ユエさん。もう十時なんですよ」
「それがどうしたの?」
ユエさんは心底不思議そうに目を瞬かせる。
「どうしたの、じゃなくて……もうお開きにしませんか?」
「お開きー? 夜はまだまだこれからだよ?」
「大人はそうかもしれませんけど、カグヤ先輩はそろそろお帰ししないと」
「なにー!? ツバメくんは、カグヤちゃんに帰ってほしいの!?」
「え……もしかして、わたしって、邪魔なの……?」
けしからんと憤るユエさんの隣で、カグヤ先輩がショックを受けたように涙ぐむ。
なぜ、僕がいじめ加害者みたいな空気を背負わされているのか。
疲れたように肩を落としていると、不意にサチさんが口を開いた。
「まあ、子どもを帰すには、今の時点で遅すぎるくらいだもんね」
あれだけ好き勝手楽しんでいた大人とは思えない判断。
さすが今年で三十歳を迎えることだけある。ユエさんとは、大人としての貫禄が違った。
駅まではさすがに送るが、そこから先はひとりになる。補導される時間まで引き止めてから、カグヤ先輩を帰すわけにはいかない。
その心配を察してくれたのか、サチさんは僕にちらりと目を向け、すっと頷いてから手を打った。
「ツバメくんがこうして心配してるわけだし、カグヤちゃんには泊まってもらいなさい。それでいいでしょ?」
「いいともー!」
「やったー!」
ユエさんは腕を高く掲げ、カグヤ先輩は思い切り拍手していた。
こうして、まさかの方向からカグヤ先輩の安全は配所されることになった。
数時間前に出会ったばかりの大人の家に泊まる――僕と同じ穴のムジナとなったカグヤ先輩だったが……このままゴールデンウィーク最終日まで、連泊するとはさすがに予想できなかった。
◆
「ふぅ……疲れたー」
「はい、おつかれさまー。ありがとねー」
玄関に段ボールを下ろして一息つくと、サチさんが労いの言葉をかけてくれる。
中身はビールだ。350ミリ缶のパックが四つ、合計二十四本。十キロはないが、サイズ的な抱えづらさも相まって、スーパーから運ぶのはなかなか大変だった。
「いやー、重さはともかく、抱える体勢が……。これだったら箱から出して、袋二枚に分けたほうが楽だったかも」
「だから言ったじゃない。ビニール袋代なんてケチるもんじゃないって。このくらいの便利は、お金で買いなさい」
「次からは、そうさせていただきます」
「ま、今回は急だったから頼ったけど、次からは酒屋に届けてもらうわ」
「でもスーパーと比べたら、高くつきません?」
「そのくらい誤差よ誤差。二ケースも頼めば、配達料なんて取らないわよ。知らんけど」
「知らないんですか」
「そもそも酒屋から配達なんて、頼んだことないからねー。今日だって、昨日の反省を生かして思いついただけだし」
昨日はビールを一パック持参したサチさんだったが、そんなものは二時間もかからずなくなった。飲み足りないのなら買いにいくところを、面倒くさがったサチさんはウーバーイーツを利用したのだ。
しかし、お酒の酔いもあってか、登録している住所のまま配達を頼んでしまった。「遅いわねー」なんて言って確認したら、オートロックを突破できない配達員がエントランス前に置き配していたのだった。
結局、無駄な送料だけかかって、コンビニへ行くのと同じくらいの労力をかけて、マンションまで取りに行くことになった――僕が。
そんな反省を生かしたサチさんから先ほど、「あ、ツバメくーん? ちょっと重いもの頼みたいから、今からスーパーに来れる?」と電話が来て、こうして荷物持ちを請け負ったというわけだ。
「ただいまー」
「お邪魔しまーす」
「あ、さっちゃんいらっしゃーい」
「テルくんおかえりー」
サチさんとリビングに入ると、ソファーから出迎えの声がかけられる。ユエさんとカグヤ先輩が仲睦まじく肩を並べて、揃ってこちらに顔を向けてきた。
テレビから流れる聞き覚えのある声に、サチさんは「おっ」と反応した。
「ヒィたんの配信見てるの?」
「はい!」
力強く返事するカグヤ先輩の隣に、サチさんは顔を向けた。
「デジタルデトックスはいいの?」
「カグヤちゃんの大好きと、さっちゃんが活躍してる界隈だからね。少しくらいいいかなって、一部解禁しました」
「無理してるわけじゃないならいいわ」
そう言いながら、サチさんはダイニングテーブルに両手の買い物袋を置いた。袋の中からごそごそと缶ビールをふたつ取り出して、それをユエさんに見せる。
「飲む人ー」
「はーい」
ユエさんがそれを受け取り、開封すると、「おっおっおっ」と溢れてきた泡に口をつけ、そのまま缶ビールを掲げた。
「かんぱーい!」
サチさんはもちろんのこと、カグヤ先輩もペットボトルのお茶を掲げ、それにトンとぶつけた。
僕はローテーブルの側に備えられた充電ケーブルをスマホに差し込みながら言う。
「もう飲み始めたんですか……まだ四時ですよ?」
「いいのー。やることはしっかりやってきたしー」
サチさんは美味しそうに喉を鳴らし、開放感に溢れた声で答えた。
「それに活動再開したら、こうしてダラダラ飲むこともできなくなるし。楽しめるうちに楽しまないとね」
ローテーブル前にどっしりと腰を下ろしたサチさんは、またごくりと喉を鳴らした。
僕はその背中を見ながら、夕飯の支度――買ってきた惣菜や冷凍食品の準備のため、キッチンへ入った。これらすべて、サチさんからの提供品である。
今日はゴールデンウィーク後半の三日目。
初日に泊まったカグヤ先輩は、翌日いったん家に帰りこそしたが、しっかりお泊りの準備をして戻ってきたのだった。一晩だけでは話し足りなかったユエさんが、
「うちだったらいくら泊まっていってもいいよ。ご飯だってツバメくんが作ってくれるし。なんだったら休み明け、そのままうちから登校したら?」
そう提案したのだ。
カグヤ先輩はひとり暮らしなので、連泊のためお伺いを立てる同居家族はいない。ユエさんの提案に甘えるように昨日はもちろん、今日明日と泊まっていく予定である。
それに不満を覚えたりはしていない。
この一ヶ月、一方的に誤解して、カグヤ先輩と距離を取ってしまった。それが大変申し訳なさすぎたから、その取りこぼした時間を取り戻してくれているユエさんには、正直なところ助かっていた。
結局、友達といっても、僕とカグヤ先輩は異性だ。友達としてあれもこれもと受け止めるには、やはり限界がある。これ以上受け止めるのは、もはや恋人としての領分だ。そういう関係に至るのは、カグヤ先輩も望んではいない。
だから自分をさらけ出せる親しい同性ができたのは、カグヤ先輩にはいいことだ。ユエさんもまた、可愛い妹分のような相手ができて楽しそうだから、ウィンウィンである。そこにサチさんも混じっているのだから、ウィンウィンウィンだ。
「……って、もしかしてこのヒィたんの配信、御伽ネット?」
「ですです。この配信、マジ神回で――」
「あー、だったらダメダメ。早く消して」
「え! なんでですか?」
「あっ、そういえばさっちゃん。復帰明けに、このゲームやるみたいなこと言ってたね」
「だからネタバレは困るのよねー。今日だってセインの頭に巻く、アルミホイルを作ってきたんだから」
「サチさん、復帰明けから攻めますねー……絶対見よ」
「それよりカグヤちゃん、64版のマリカーやらない? 周回遅れのハンデをつけてあげるから」
「乗っちゃダメだよカグヤちゃん! さっちゃん、ズルしてくるから!」
「知ってます。コラボ相手を弄んでる切り抜き、テルくんに見せられましたから」
そんな三人の会話を聞きながら、料理の温め直しや、盛り付けなどしていた。
「あ、ツバメくん。ライン来たよ」
ふいにユエさんが、スマホの通知を知らせてくれた。
「誰からですか?」
「見ていいの?」
「大丈夫です。見られて困るような相手はいないんで」
「はいはい。だったらお構いなく……ツグミ?」
「お、ツバメくん。もしかして女の子からのラインかな?」
「違います。唯一の男友達です」
そう口を挟んできたサチさんに、後ろめたさのない僕はハッキリと言い切った。
するとカグヤ先輩がぽつりと言う。
「あっ、来光くんか」
「その来光くんのこと、ツバメくんから話には聞いてるけどさ。カグヤちゃんから見て、どんな子なの?」
ユエさんの質問に、カグヤ先輩は顎に手を添えながら、難しい顔で答える。
「うーん……こう、学校にファンクラブができるタイプのイケメン、ですかね?」
「え、コウくんのファンクラブ、あるんですか!?」
「ファンクラブはもののたとえっていうか、その……ラインじゃないメッセンジャーアプリで、来光くんを語るグループチャットがある、みたいな?」
「……そんなものが裏でできてたんだ」
初めてそんなことを知ったものだから、僕は驚嘆した。でもその感情は、すぐに慄きへと変貌する。
「わたしも聞いただけの話だから、詳しくは知らないけど……来光くんの盗撮画像も、みんなの共有資産のように出回ってるとか」
「えぇ……コウくんに注意しとこう」
「そうしたほうがいいよ。勝手に写真を撮られるのって、気分悪いから」
カグヤ先輩はうんざりしたように肩をすくめた。苦労が色濃く、そのため息に滲んでいた。
「それで、コウくんからはなんて来てますか?」
話が逸れたので、ユエさんに尋ねる。
「名前だけで、メッセージは表示されてないよ」
「表示されてない?」
「ツバメくんがそう設定したんじゃないの?」
「ラインを入れ直したときに、そんな設定になっちゃったのかな?」
カグヤ先輩と距離を置く必要がなくなった後、ラインはすぐに入れ直した。おそらくその際に、設定が前と変わってしまったのだろう。
「パスワード解除しないと見れないよー」
ユエさんがスマホを掲げて言うと同時に、オーブンレンジが鳴った。そちらを優先すべく、僕はリビングに背を向けながら言った。
「あー、だったらカグヤ先輩、頼めます?」
「はーい」
カグヤ先輩にスマホを託し、僕は規定温度に達したオーブンレンジに冷凍ピザを入れた。
「『明日、朝からどうだ?』だって」
「その感じなら、遊びの誘いかな」
「いやいや、待って待って。なんでツバメくんのスマホのパスワード、当たり前のように知ってるの?」
ユエさんが混乱したように、話に待ったをかけてきた。
「わたしたちのスマホ、お互いの誕生日がパスワードなんです」
「お互いの誕生日!?」
カグヤ先輩が得意げにそう言うものだから、ユエさんは仰天した。
背中に突き刺さる、物言いたげな視線。
言い訳がましく口を開こうとしたところで、サチさんのほうが先に言った。
「大方『わたしたち、一番の友達だから』って、カグヤちゃんから持ちかけたんでしょ? 依存系メンヘラ女子の面目躍如ってやつね」
「依存系メンヘラ女子?」
また思い切ったジャンル付けをするものだから、思わず振り返ってしまった。するとカグヤ先輩が、どこか申し訳なさそうに顔を覆っていた。
「重い女でごめんね、テルくん……」
「いや、重いと思ったことはないですけど……その様子だと、僕のいないところで、既に言われてたんですか?」
無言で頷くカグヤ先輩の側で、まるでいい仕事をしたかのようにサチさんが親指を立てている。
僕が一昨日トイレに行っている間に、そう指摘したのだろうとなんとなく察した。それがきっかけで、ユエさんたちに心を開いたのなら、それはそれでいいことなのかもしれないと納得した。
「それより、明日かー……」
手を動かしながら、コウくんのラインの返事を考える。
暇といえば暇なようで、しかし家を空けていいものか悩む。一応、カグヤ先輩は僕の友人として、こうしてユエさん宅を訪れているのだ。それを放って、他の友達と遊びに行くのはどうなんだろうか?
「折角なんだし、行ってきたら?」
すると、僕の背中を押すようにユエさんがそう声をかけてくれた。
「カグヤちゃんのことはわたしに任せて、たまには男水入らずで、羽を伸ばしてきなよ」
憂いを断つような気遣いに満ちた声に、僕は気づけば頷いていた。
「じゃあ、ちょっと明日は、遊びに行ってきます」
まさかこの選択が、新たな不幸の始まり――
コウくんのグループチャットで、争いの火種になるとは思いもしなかった。




