21 最終着地地点
「どんな話も否定せずに聞いてくれるし、電話したくなったら必ず一時間以上付き合ってくれるし。バイトがない日なら、誘えばいつでも遊んでくれるし……もう、テルくんに会うだけで満たされるんです。これが真の友情――一番のお友達がいるってことなんだなって、知ったんです」
どこかうっとりしたような表情を浮かべるカグヤに、ふたりの大人は揃って顔を引きつらせた。
それに気づかぬまま、カグヤはなおも続ける。
「だからこの一ヶ月、テルくんとろくに遊べないし、話せないし……会いたくて会いたくて震えてきちゃって……今日も、あの災害の跡を見るついでに……テルくんに会えないかなって、来ちゃって」
「おぉ……カグヤちゃん、ヤバイね」
ユエは呑まれそうになるのを堪えながら、目を丸くする。
「いやー……カグヤちゃんのジャンル、目まぐるしく変わっていったけど……」
サチはマジマジとカグヤを見つめ、その正体を暴くように言い放つ。
「まさか最終着地地点が、依存系メンヘラ女子だったとはね」
「依存……! メンッ……!?」
思わぬレッテルを貼られて、カグヤは狼狽した。そんな一回りも離れた子どもに、サチは迷いなく言葉を突きつける。
「依存してるつもりも、ヘラってる自覚もないようだから、ハッキリ言うけどね。カグヤちゃんの掲げてる真の友情、重たすぎるわ」
「……重た、すぎる……?」
「同性相手でもうんざりするレベルで激重なのに、それを異性相手に向けるなんて……。もしツバメくんに告られて、そんなつもりなかったなんて断った日には、刺されても仕方ないわよ?」
「え……テルくん。もしかして、わたしのこと……?」
「今のところ、そこまでの感情は抱いてないようだけど」
ユエがそう前置きしながら、補足を加える。
「そもそもツバメくん、男として自信がない子だから。カグヤちゃんとは釣り合わないからって、最初から期待しないタイプなんだよね」
「そういえば元々、家事の一芸特化の陰キャなんだっけ? 初めて会ったときには垢抜けてたから、そこんとこ忘れてたわ」
「ま、わたしが手をかけてあげたからね」
サチに向けて、得意げに胸を張るユエ。
「それはそれとして――もしツバメくんに彼女できたら、どうする?」
唐突な問いかけに、カグヤは一瞬の迷いもなく答える。
「もちろん、一番の友達として祝福します。だって、好きな人と結ばれるって、それだけでおめでたいことですから」
「じゃあ、その彼女に『もうテルくんと、今までみたいに遊んだり電話したりしないでください』って言われたら?」
「そ、それは……」
「ていうか、まず間違いなくツバメくんにそうしてって言うと思うよ。普通に考えて」
「う、うぅ……」
「それは仕方ないこと、って言えない時点で、カグヤちゃんが言う友情って、ちょっと健全じゃないんだよ。だって、聞いてるだけでヤバイくらい重いもん」
ぐうの音も出ない指摘に、カグヤは今にも泣き出しそうな顔で視線を落とした。
たしかに、自分はテルに依存していたのかもしれない――そんな自覚が、胸に芽生えた。
それでも、関係は変えたくはなかった。
これからも、友達としてテルの側にいたい。たとえ、彼に恋人ができた後も、変わらない形でずっと。
それがどれだけで身勝手で、独りよがりな我が儘か。わかっていても、テルを手放すなんて選択肢を、選ぶことはできなかった。
「でもね、カグヤちゃんの気持ちはよくわかるよ」
「……え?」
恐る恐る顔を上げると、そこには優しく微笑むユエの姿があった。
「十億円事件って言うくらいだから、なんでわたしがアイドル辞めちゃったか、知ってるよね?」
「は、はい……その、お気の毒様でした――って、すみません! こういう言い方、たしかよくなかったですね! ……こういう場合は、えっと――」
「いいのいいの。そんな気を使わないで」
ユエは、やんわりとした笑みを浮かべたまま、静かに言葉を紡ぐ。
「わたしが言いたいのはね――あんな辞めた方だったからさ、グループの仲間や、事務所の人たち……芸能界で築いてきた縁が全部きれちゃったの。世間に顔向けできないし、そもそも誰にも顔を見られたくないから、ずっと家に籠もって……ネットフリックスばかり見てた。……それがね、ちょっと寂しかったんだよね」
どこか自嘲気味な笑みを浮かべるユエ。
「そんなときに、ツバメくんと子猫を拾ったの。子猫はそれだけで可愛いし、ツバメくんは……年上のお姉さんとして、なんかこう……マウントが取りやすくてさ。だから話してて、楽しくなっちゃって」
「それで……テルくんに、同棲を持ちかけたんですか?」
「うん。猫を飼うのは初めてだったし、ひとりだと心細くてね。人柄も信頼できそうだったし、家のことも任せられるし。……なにより、あんないい子が、あんなふうに困ってるのを見てたら、なんだか放っておけなくて。やり方はさ、たしかに社会的によろしくないかもしれないけど……助けてあげたいなって、思ったんだ」
「そんなユエさんに拾われたなら、テルくんも幸せものですね」
カグヤが嬉しそうにそう言うと、ユエはそっと微笑みだけ返した。
「そうやって始まった、期間限定のふたりと一匹暮らしだけど……早々に子猫がいなくなっちゃったんだよね」
「あ、そういえば猫、いないですね」
「あの子のことは、飼い主じゃなくて、その身内が勝手に捨てたらしくてさ。今はちゃんと家族のもとに戻ったよ」
「それはよかったですね」
「よかったんだけど……やっとお名前を付けたばかりで、いーっぱい可愛がってたからさ。その行き場のない思いを、ぜーんぶツバメくんにぶつけちゃって。構ってほしくてベタベタして、甘えすぎちゃったんだよね」
ユエは肩をすくめて、苦笑いを浮かべる。
「今はさっちゃんが相手してくれるからマシになったけど……やっぱり、あのときは困らせちゃってたと思うよ」
「ユエさんにベタベタ甘えられて困ってたなら、テルくんは贅沢ものですね」
「そこの困ってたはほら。こんな綺麗な大人のお姉さんに甘えられてるのに、手を出しちゃいけないって我慢だよ」
「それは、ありますね」
カグヤがくすっと笑うと、ユエも釣られて笑みをこぼした。
「だからさ、甘えられる相手がひとりしかいないって、カグヤちゃんの気持ち、よくわかるの。抜け出そうって思っても、冬のお布団みたいに簡単にはいかないんだよね」
「……それでも、いつかは抜け出さなきゃダメってことですか?」
「うん。このままじゃ、いつかお互いに辛くなるかもしれないから。カグヤちゃんだって、ツバメくんを困らせたくはないでしょ?」
「それは……もちろんです。でも……」
そう言われて、すぐに切り替えられるなら、そもそもこうなってはいない。
カグヤが俯きがちに肩をすくめていると、ユエがいつの間にか隣に移動していた。
「だからさ。カグヤちゃんがよかったら、いつでも家に遊びにおいで。わたしでよければ、いくらでも話し相手になるから」
「……ユエさん」
ぽん、と頭を撫でられたカグヤは、息を呑むように顔を上げた。
ずっと変わらないはずのその顔が、今はまるで、慈悲深い女神のように見えた。
「それにわたし、ずーっとネットフリックス見てるからさ。最近、アニメは沢山見てるんだ。でもツバメくんって、意外とそこまで見てないから。そういう話、できる相手がいたら、わたしも嬉しいな」
「わ、わたし……おすすめとかも、いっぱいあります……!」
「それは楽しみだね。ただ、Vチューバーの話はできないけど……Vチューバーなら、うちによく遊びに来てくれるから」
「今どきの現役JKからしか得られない栄養はあるからね。大人になると、そういう機会って貴重なのよ。若いエキスは、吸えるときに吸っておかないとね」
「ひじりんほどのVチューバーになら、いくらでも吸われてもいい……!」
憧れの職業のトップ層にいる存在からそう言われて、カグヤは目を輝かせながら答えた。
ギャルの仮面を被って以来、周囲が望む理想のカグヤを演じ続けてきた。
本当の自分を見せられ、甘えられるのは今までテルだけだった。
それが今――思いがけない形で、新たな理解者たちと出会えた。
込み上げる感動に胸を震わせながら、カグヤはリビングに戻ってきたテルのほうへ、くるりと振り向いた。
「テルくん!」
「わっ! な、なんですか?」
「今までごめんね……そして、ありがとう。わたしはもう、大丈夫だから」
「え? え? 大丈夫って、なにが?」
「あー、カグヤちゃんは可愛いねー」
そう言って抱きついてくるユエに、カグヤは嬉しそうにしながら抱き返す。
トイレに立ってから戻って来るまでの短い時間に、一体なにがあったのか。
状況を飲み込めず立ち尽くすテルと目があったサチは、にんまりと笑いながら言った。
「テル✕カグの時代はもう終わり。これからはユエ✕カグよ。ユニコーンに売り込むなら、やっぱり百合よね、百合。間に挟まる男はいらないってわけ!」
なにひとつ説明になってないことを言い放つと、サチは手にしていた缶ビールを飲み干し、空き缶を掲げる。
「ツバメくーん、お代わり取ってー」
それはまるで、新たな門出を祝うかのようであった。




