16 とんだ風評被害
突然疑いをかけられたカグヤ先輩は、これでもかというほど仰天した。
「してませんよ、そんなこと!」
「そうよ! カグヤちゃんは、そんなことをするような子じゃないわ!」
身に覚えのない罪だと訴えるカグヤ先輩を、サチさんが真っ先に擁護する。
昨日「どうしたらいい」かと尋ねたとき、「どうでもいい」と言い放った人とは思えない、見事な手のひら返しぶりである。
「これは冤罪よ! きっとなにかの間違いに決まってるわ!」
「ひじりん……!」
サチさんの力強い擁護に、カグヤ先輩が感動に打ち震える。
「実はわたしも、そう思っていたところです。あれだけの啖呵を切っておいて、自分がやってたら驚きだよ」
容疑を口にしたユエさんもまた、芸術点の高い手のひら返しを披露した。
たしかに、あそこまで僕のことを大事に思って言葉にしてくれたカグヤ先輩には、心を打たれた。彼女にかけられた容疑のことなど、思わず忘れてしまいそうになるほどに。
だからこそ、これでカグヤ先輩がパパ活、あるいは成人男性と交際していたら、僕は人間不信になるだろう。
とはいえ、その疑いの出どころは――
「そもそもなんで、わたしにそんな容疑がかけられてるんですか……?」
「それはね、カグヤちゃんがパパ活していた、って目撃者がいるからだよ」
「誰ですか!?」
「彼です」
ユエさんは目撃者を指し示すように、手のひらを差し向けた。
「テルくん……どういう、ことなの?」
「い、いや……それは……」
急に諸悪の根源のように話を振られた僕は、思わず言葉を詰まらせてしまった。
たしかに、カグヤ先輩にかけられた容疑は、すべて僕の証言が発端だ。今更「見間違えでした」とは言えないが、いくらなんでもこの流れは酷すぎる。
「わたしたちはね、カグヤちゃんを信じてるよ」
「でもね、ツバメくんが言って聞かないの。『僕は見た! カグヤ先輩がパパ活してる!』って」
大人ふたりはお酒に口をつけながら、外野席から囃し立てるように言葉を投げかけてくる。
店を出るまでは尊敬できる大人だったのに、今やただの無責任な酔っぱらいである。頼んでもいない背中だけを押して、後からハシゴを外してくるとは、なんともたちが悪い。
「見たって……わたし、そんなことしてないよ……?」
カグヤ先輩がショックを受けながら、涙ぐんで無罪を訴えた。
その視線をまともに受けた僕は、あの日の光景は夢や幻だったのではないかと、自分の記憶を疑いそうになる。あのカグヤ先輩が、本気で大人相手にいかがわしいことをするなんて――そんなはずがない。
「すみません……見間違い――」
「ツバメくん」
ユエさんが、僕の言葉に被せるように声をかけた。
「そうやって、自分が見たものから逃げちゃダメだよ」
「逃げちゃって……そもそもユエさんたちが――」
「わたしたちはわたしたち。なにも見てないから、カグヤちゃんはそんなことする子じゃないって信じちゃえるの。ツバメくんだって、誰かが見たって言うだけなら、カグヤちゃんを疑わなかったはずでしょ?」
「それは……もちろんですけど」
「なら、今日まで胸が痛い思いをしてきたのは、なんで? 自分の目で、ハッキリと見ちゃったからでしょ?」
僕は、言葉もなく頷いた。
「見間違いだったって、自分でも信じてない理由で納得したフリして……それで今まで通り、なにもなかったみたいになんて――本当に、カグヤちゃんと向き合える?」
できる、なんてとても言えなかった
それができなかったからこそ、今日までカグヤ先輩とまともに顔を合わせられなかった。息が詰まるような、胸の痛みを抱えたままでいたのだ。
「だったらちゃんと、自分が見たものがなんだったのか。カグヤちゃんに聞かなくちゃ。それが見間違いでも誤解でも真実でも、ここでハッキリさせないと――カグヤちゃんも、そのほうがいいよね?」
「はい! よりにもよってパパ活してるなんて……テルくんに思われたままなんて、絶対に嫌です!」
「ほら、カグヤちゃんもそう言ってるから。ちゃんと聞こう?」
ユエさんは怖がって前に進めない子供の手を引くような、優しげな声でそう言った。
無責任に背中を押してハシゴを外してきたと思えば、今度はしっかりとした大人の顔を見せてくる。
その変わり身に、僕は頼もしさすら覚えていた。
だからこそ、ただ顔を向けるだけではなく、身体ごとカグヤ先輩に向き直った。
「僕の誕生日のことなんですけど……僕、見てしまったんです。カグヤ先輩が、大人の男性と……ホテルに、入っていくのを」
「テルくんの誕生日に? 誰かと……見間違えたんじゃない?」
「僕はカグヤ先輩を、誰かと見間違えたりなんてしません」
心当たりがない様子で眉をひそめるカグヤ先輩に対し、僕は一切視線を逸らさず、言い切った。
するとカグヤ先輩は腕を組み、難しい顔をして考え込み――やがて、片手を顎に添えて小首を傾げる。
「いやー……やっぱりそれ、わたしじゃないよ。だってその日、家から一歩も出てないもん、わたし。テルくんのことで、色々とそれどころじゃなかったから」
「僕のことで?」
「うん。誰よりも早く『誕生日おめでとう』って言いたくて、日付が変わった瞬間に電話したんだけどさ。テルくんと全然連絡取れなくて……。それでなんとなくテレビを点けたら、あの火災の中継がやってて。あっ、これテルくんが住んでるところじゃん、って――」
「待ってください。僕の誕生日の話ですよ?」
「え? うん。テルくんの誕生日の話だよ?」
「うん?」
「うん?」
僕らは顔を見合わせ、同時に首を傾げた。
どこか話が噛み合ってない。
日付が変わってすぐ電話して、直後に火災のニュースを見た――それが僕の誕生日だというなら、どう考えても時系列的に無理がある。
「カグヤちゃん。ツバメくんの誕生日って、いつ?」
ユエさんが、横からふっと問いかけた。
「四月一日です」
「え!?」
即答したカグヤ先輩に、僕は思わず驚きの声を上げた。
「違いますよ。僕の誕生日、三月三十一日ですよ!」
「え、嘘っ!?」
まさかの事実に、カグヤ先輩も仰天する。
「だってテルくん、前に言ってたじゃん。『もう一日遅く生まれてたら、まだ中学生だった』って。それで、てっきり四月一日だと……」
「いやいや、言いましたけど……なんで、それで四月一日になるんです?」
「あー、これはあれねー。ツバメくんのほうが間違ってたパターンね」
サチさんがビールを置きながら割って入る。
「日本の学校って、四月一日までが早生まれ扱いで、学年が変わる境目なのよ」
「へー、知らなかったー。わたし、ろくに学校に通ってなかったからさ。そういう常識、あまりないんだよね」
「なーに、三月三十一日生まれの現役高校生も知らなかったんだから、気にすることないわよ。あ、ユエちゃん、お代わりちょーだい」
「はーい」
とてとてと冷蔵庫へ向かうユエさんを見送りつつ、僕はカグヤ先輩に再び向き直る。
「と、いうことです。僕の誕生日の日のこと、なにか心辺りはありませんか?」
「うん。それならあったわ」
「え、あるんですか!?」
あまりにもあっさり出てきたものだから、今度はそれに驚かされた。
カグヤ先輩はスマホを操作して、画面をこちらに向けてくる。
「テルくんが見たっていうのは、もしかしてこの人?」
「あ、そうです! この人です!」
興奮のあまり、勢いのまま膝をついて叫んでいた。
画面いっぱいに拡大されたその顔は、まさしくあの日、カグヤ先輩と腕を組んで、仲睦まじくホテルへと入っていった成人男性そのものだった。
今でも鮮明に思い出せ――
「その人、従兄弟のお兄ちゃんだよ」
「……従兄弟の、お兄ちゃん?」
「うん。わたしをギャルに仕立て上げたお姉ちゃんの、お兄ちゃん」
「はい、しゅーりょーう!」
サチさんがパンと手を叩いて、話を締めくくる。
まるで、引っ張るだけ引っ張ったネタのオチに、肩透かしを食らったかのような、そんなガッカリっぷりだ。
「カグヤちゃんがいい子だとわかったときから、そんなオチだろうと思ったわ。パパ活だー、パパ活だー、なんて騒いじゃってさ。こう……もうちょっと捻りが欲しかったわね」
「まあ、待ってさっちゃん。まだ腑に落ちないことがあるから」
「腑に落ちないこと?」
眉根を寄せるサチさんに、ユエさんが疑念を瞳に浮かて言う。
「従兄弟のお兄ちゃんっていうけどさ。その辺の嘘は、いくらでもつけるから」
「う、嘘じゃないです! 本当に、従兄弟のお兄ちゃんです! そりゃ、歳は一回り離れてますけど……でも、それってそんなにおかしいことじゃないですよね!?」
「うん。わたしもお兄ちゃんとは、そのくらい歳離れてるから。従兄弟なら全然、おかしくないよ。でもね、おかしいのはもっと別のところにあるの」
「おかしいって……なにがですか?」
「なんで従兄弟のお兄ちゃんと、ラブホテルなんかに入ったのかなー?」
「ラブホテル……? そのとき入ったのは、ただのビジネスホテルですよ」
「ツバメくーん!」
ユエさんの目が、まるで糾弾するように僕を捉えた。
「どういうことかなー? わたし、『ふたりがホテル街へ向かって、そのままホテルの中へと消えていった』って聞いてるんだけど? カグヤちゃんは、嘘をついてるのかなー?」
「いや……たしかに、ビジネスホテルでしたけど」
「はい、しゅーりょーう!」
ユエさんがパンと手を叩いて、バンと声を張る。
まるで、推理モノの作品で重要な情報が伏せられていたとでも言いたげに、不満げな顔をしていた。
「ホテル街のホテルって言われたら、普通、ラブホテルだと思うじゃん! 最初から『ビジネスホテルに入った』って言われてたら、こういうことじゃないかって最初から指摘できたのに。これじゃまるで、騙す気満々のミスリードじゃん。結論、ツバメくんが全部悪いでーす」
投げやり気味にそう言い捨てる、ユエさんは手元のお酒を一気にあおった。缶を振って空になったのをたしかめると、立ち上がろうと卓上に手をつく。
「ま、待ってください!」
それを引き止めるように、僕は慌てて声を上げた。
カグヤ先輩の疑惑に、納得できないことがあるからではない。ここから先は、完全なる自己弁論である。
「だってカグヤ先輩たちが入ったホテル、ア◯ホテルだったんですよ!」
「だから?」
「ア◯ホテルって、芸能人が密会とか、不倫とかでよく使ってるじゃないですか。それがバレてニュースになったりとか……。だからア◯ホテルって、ラブホテルに入りづらい人たちが使う、いわば裏ラブホみたいな場所なんじゃないかって思って。それで……」
「テレビはろくに見ないくせに、そういうことはよく知ってるんだね。ア◯ホテルもとんだ風評被害だよ」
ユエさんが呆れたように眉をひそめた。