15 試させていただきました
冷ややかな視線をサチさんに向けた。
なぜこの人は、わざわざややこしい方向に話を持っていくのか。もしかしてこの状況を、コラボ配信のコントかなにかと勘違いしているのではないか?
「さあ、燕大くん。今こそ神に、私たちの愛を誓うのです。聖徒たちも必ず、私たちの新たな門出を祝福してくれるでしょう」
「いやいや、祝福どころか呪われますって。魔女裁判ばりに火あぶりにされて、今度こそ活動終了に追い込まれますよ」
「聖徒……? 活動終了……?」
急に現実に引き戻されたように、カグヤ先輩は目をパチパチと瞬かせる。
顎に手を添え、考え込むこと十秒。
「言ってることもそうだけど……お姉さん、声も喋り方も、ひじりんそっくりだね」
「あ、いや、それは……」
動揺のあまり、視線を泳がせた。
活動終了なんて余計なことを口走ったせいで、サチさんの正体が――と自責の念に駆られそうになったが、そもそもひじりんのノリを持ち出したのも、聖徒のワードを持ち出したのもサチさんのほうだ。
「カグヤちゃん」
そのサチさんが、まったく動じる様子もなく、右手を差し出してきた。
「手を」
「手……?」
促されるがまま、恐る恐る手を伸ばすカグヤ先輩。サチさんはその手を十秒ほど優しく握り、そしてそっと手を離した。
一体なにをされたのかと、ぽかんとした様子のカグヤ先輩に、サチさんは言った。
「あなたは今、ヒィたんと間接的な握手を交わしたんですよ?」
「ヒィたんと、間接握手……!?」
カグヤ先輩は驚嘆したように目を見開き、握手したばかりの手に視線を落とす。
感動に打ち震えるように息を呑んだ後、その意味に思い至ったのか、勢いよくサチさんに顔を向けた。
「じゃあ、お姉さんは本当に……?」
「聖徒と結ばれているなんて知られたら、他の聖徒たちに怒られちゃいますから。ここだけの秘密、ですよ?」
「はい! 絶対誰にも言いません!」
サチさんが人差し指を口元に添えると、カグヤ先輩は目を輝かせながら、勢いよく何度も頷いた。
一体この話は、どんな方向へ、どんな形で着地するのだろうか。
僕はすっかり置いてけぼりだった。
先の見えない結末に呆然としながら見守っていると、恐る恐るカグヤ先輩は尋ねる。
「えっと……じゃあ、テルくんに渡したお金は?」
「燕大くんは愛する人であり、同時に人生を豊かにする推しでもあります。私は彼にガチ恋しているのです。それだけ言えば、賢明なあなたにはもうおわかりですね?」
「赤スパですね」
「はい、その通りです」
「そっかー、赤スパだったのかー」
カグヤ先輩は胸の靄が晴れたかのように、清々しい表情を浮かべている。
あれを赤スパで片付けていいのかと思う前に、僕は口を開いた。
「その……大人と交際している問題について、なにも解決してませんけど……?」
「大好きな推しと繋がれたんだよ! 相手が大人とか、年の差とか、些細な問題じゃん。応援するに決まってるよ、友達なんだから!」
疑問を投げかけたら、晴れやかな笑顔で祝福された。
いや、そもそも交際なんてしていないのだが。
「そっかー……テルくん、ひじりんと付き合ってるのかー」
「……この話、いつまで引っ張るんですか?」
自分の幸せのようにニコニコしているカグヤ先輩を横目に、僕は呆れ混じりで尋ねる。サチさんは悪びれもせず、こつんと頭を叩いて、ぺろりと舌を出した。
そこで、ユエさんが咳払いをひとつ。
「カグヤちゃん」
「あ、はい!」
呼ばれて、ぴしっと背筋を伸ばして応じるカグヤ先輩。その目にはもう、怪しげな大人への警戒心はなかった。
「祝福ムードのところ言いにくいんだけど……実はこのふたり、愛し合ってなどいません」
「え……じゃあ、付き合ってるっていうのは……?」
「嘘です。ふたりの間に愛は育まれてはおりません」
「嘘……だったの?」
僕に向けられる視線に、再び疑念や猜疑の二文字が浮かび上がった。カグヤ先輩はもう、なにを信じていいのかわからないといった様子だ。
「じゃあ、やっぱりママ活なの!?」
「だったとしたら、どう思う?」
「う、うぅ……」
ユエさんの問いかけに、カグヤ先輩はしばらく悩んだ末に、大きな丸を頭上に掲げた。
僕は力が抜けたように、がっくりと肩を落とす。
「いいんですか、それで……」
「相手が最推しと考えれば……これもひとつの推し活かなって」
もどかしげに、カグヤ先輩は口にした。
「悪いことなのかもしれないけど……それを止めろなんて、わたしには言えないよ」
「……まあ、ママ活じゃないんですけどね」
「え、違うの? じゃあ、あの赤スパは?」
「労働の対価よ」
ひじりんの演技を止めたサチさんが、あっさりと口にした。
「今日一日かけて、家の掃除を手伝ってもらったから」
「掃除の手伝いに……二万円も、ですか?」
「私は子どもの労働力を買い叩くような、ださい大人じゃないからね。きちんとこなした仕事には、見合った報酬を差し出す。大人として、当たり前の礼儀よ」
「おー、さすがひじりん!」
パチパチと拍手を送ったカグヤ先輩は、ふと手を止めると、恐る恐る問いかけた。
「……本物、なんですよね?」
「男を、それも聖徒を部屋に入れてるなんてバレたら、また燃えちゃうからね。ナイショよ?」
「おー!」
人差し指を口元に添えるサチさんに、感動した様子で頷きながら拍手を再開するカグヤ先輩。
「でもよかったー。大人とママ活や交際してるテルくんなんて、いなかったんだね」
「残念ながらね、カグヤちゃん。このままよかったよかったで終われないの」
「え?」
物々しいユエさんの口調に、カグヤ先輩の拍手が止まる。
「むしろここまでが前置きというか……カグヤちゃんを試させていただきました」
「試すって、なにをですか?」
「倫理観」
ユエさんが再び卓上で両手を組み、口元を隠すようにしながら、静かに言った。
「カグヤちゃん。あなたには今、パパ活――あるいは成人男性との交際容疑がかけられています」
「え……えええええええええ!?」




