05 顔もろくに覚えてない
「うん……うん。わかった。また明日電話する。それじゃ」
いつもの調子で電話を切る。
相手は婆ちゃん。連絡が取れないことに、散々心配をかけてしまった。そのことに申し訳無さを感じながら連絡したのだが、拍子抜けした。
災害の件はニュースで見ていたものの、僕の住んでいる地域だとは気づいていなかったらしい。
一方、学校のほうはお通夜ムードだったようだ。
スマホを手放せない令和の高校生と丸一日音信不通なら、そりゃそうなる。
一年の担任の先生には、こんなことを言われた。
「若井くんは、死んじゃったんだって思ってたわ」
もちろん、こうして無事だったからこそ言える軽口だろう。
どこにいたのか、なぜ連絡がつかなかったのか――その説明は、ユエさんと段取りしたとおりの言い訳を使った。
『スマホを忘れて、学校外の友達の家に泊まっていた』
『徹夜でゲームしていたから昼まで寝ていた』
『起きてから災害をニュースで知り、慌てて連絡した』
『その友達は明日から旅行へ行くから、泊めてもらえるのはあと一泊だけ』
なぜ友達のスマホからではなく公衆電話からかけてきているのか、に備えて『友達のスマホはデータ通信専用だから』という苦しい言い訳を用意していたが、そこは突っ込まれることなく先生はすべて信じてくれた。
「今後のことは、学校でも考えてみるから」
先生にそう言われた後、婆ちゃんにも似たようなことを言われたので、結局はユエさんの思い描いていた通りになった。
「お疲れ様。無事にことが運んだようだね」
剣呑な言い回しでユエさんが労ってくる。キャップの上からパーカーのフードを深く被り、サングラスまでかけた姿も相まって、胡散臭さ満点だ。
「ことが運んだって、悪巧みじゃないんですから」
「だったら、見ず知らずの大人のお姉さんに拾われたおかげで無事でした、って素直に言えばよかったのに」
「そんな説明したら、それはそれで大丈夫なのか、って心配されますよ」
「でしょ?」
言い訳を考えなければならない時点で、すでに悪巧みと変わらない。そう勝ち誇った顔のユエさんに負けっぱなしも癪だったので、少しだけ抵抗してみる。
「それに大人のお姉さんってほど、歳は離れてないでしょう?」
「あら、これでも成人済みですわ」
「なら、お酒は飲めるんですか?」
「Coming soon」
妙に流暢な英語がツボに入り、軽く吹き出した。
「お留守番で寂しくしてるはずだから、早く帰ろ」
ユエさんはそう言って、ペット用のキャリーバッグを掲げる。
お留守番、というのは子猫のことだ。
目星をつけた動物病院に連絡を入れると、六時なら空いていると予約が取れた。予約時間まで四時間以上あったので、それまでの間にペット用品店に向かい、猫用のキャリーバッグを購入。ついでに、学校と婆ちゃんに連絡を取るため、公衆電話を利用した。ユエさんのケータイを借りるのは、なにかと面倒なことになりそうだからだ。
そうして最寄り駅まで出てきたわけだが――あの災害が嘘のように、街は平穏だった。
東口に出たらまた違うのかも知れないが、西口にいる限り、住民も駅の利用者も普段通り。災害の影響で心が昂ぶるものもいるだろうが、この雰囲気だと対岸の火事くらいにしか捉えていないのかもしれない。
宝くじ売り場の前では、スクラッチを削ってはしゃぐ若者たちがいる。
それが、なによりの証拠だろう。
「どうしたの?」
「……あ」
ユエさんが数歩先で振り返っている。
僕は、立ち止まっていることに気付いた。
ユエさんが僕の視線の先を追い、小さな声で尋ねる。
「知り合いでもいた?」
「そういうわけじゃ……」
「じゃあ、夢を買いたくなった?」
「それはまったく」
苦笑しながら、かぶりを振る。
「ああいうのは、どうせ当たりませんから」
「そんなことないよ。意外と当たるもんだよ、あれ」
「一セットで三百円は保証されてるんですっけ?」
「そうやって斜に構えておいて、なんでそんな熱心に売り場を見てたの?」
「そんな熱心でした?」
「文字通り目を奪われてる、って感じだったよ」
「あー……」
だったらそれは、無意識の願望の表れだったのかもしれない。
昨日、立て続けに襲いかかってきた不幸。
推しと、給料と、憧れを一気に失った僕から、まだ足りないとばかりに住居まで奪われた。
ユエさんに助けられ、目先の問題こそ解決したが――問題はまだまだ山積みだ。
特に住む場所。
破格の家賃だったからこそ、学校までアクセスのいい都心に住めていたのに。条件をいくら下げたところで、同じような家賃で借りられる物件なんて、そうそう見つからないだろう。
つまるところ、お金の悩みが頭をもたげたのだ。
「あのアイドルのように当たったら、こんな風に悩まなくてもいいんだろうなって」
「あのアイドル?」
「夜桜ルナ」
去年の夏頃、アイドルに興味のなかった人間ですら、その名を知ることになった存在がいた。
夜桜ルナ。
テレビを見ず、芸能界にも無関心だった僕ですら、いつの間にか彼女の名前を覚えていた。
なぜ、その名がそこまで広まったのか。
「ほら、十億を当てたアイドルですよ」
夏の宝くじの一等と前後賞を、ユーチューブの生配信中に引き当ててしまったのだ。
当選の瞬間、夜桜ルナははしゃぐどころか、ただただ呆然。何度も「え、間違ってない?」と疑い、側にいたアイドルやスタッフたちも、執拗に当選番号を確認し続けていた。
そして現実だと受け入れると――ぎこちない拍手が、場に響いた。
「る、ルナちゃん十億、当てました」
「……や、やったー。十億、当たりました」
夜桜ルナは引きつった顔のまま、棒読みで喜んだ。
当選発表前までは、「もし十億が当たったら?」と盛り上がっていただろうに。実際当たった瞬間、まるでスキャンダルが暴露されたかのような空気が流れる。
一言で表すなら、放送事故だった。
ドームツアー中のアイドルが、生配信で十億円を当てる。その衝撃的な出来事は、まるで炎上騒ぎのように世間へ広がり、夜桜ルナの名を知らしめることとなった。
「あの配信、ほんと凄かったですよね」
僕が何気なく言うと、ユエさんは少し考えるように口を開いた。
「君は、夜桜ルナのファンだったの?」
「いえ。話題になりすぎて、名前を覚えただけです」
令和の高校生にとって、スマホは日常の一部。
通勤時間に駅へ行けばスーツ姿のサラリーマンを見かけるように、あの頃はスマホを開けば夜桜ルナの名が目端に映った。
「配信も生で見たわけじゃなくて、切り抜き動画をツイッターで見ただけですし」
「じゃあ、顔もろくに覚えてないんだ」
「もし素顔で隣を歩いていても、絶対気づきませんね」
「だろうね」
ユエさんはサングラス越しに、ニヤニヤと笑っている。
小馬鹿にしているわけではなさそうだが、なにかを面白がっているのは伝わった。
ドームツアーをするレベルアイドルの顔を知らないのは、そんなにおかしいだろうか。
――その疑問は、日付が変わる前に解消することになる。
そりゃ、笑いたくもなるよな、と。