11 どうぞこの機会をお見逃しなく、ご利用ください
今回招かれた理由は、端的にいえばそういうこと。
サチさんは、目覚めてから寝るまでほぼずっと聖純セインとして活動している。洗濯の時間すら惜しむような多忙な日々は、掃除はどうしても後回しになるようだ。
ましてや、あの炎上事件でメンタルを崩して以降は、手をつける余裕すらなかった。海外への高飛びで家を空けてからは、ずっと放置されていたという。
積もりに積もった埃と汚れを、活動再開へ向けて一掃したい――そのための助っ人として、僕は呼ばれたのだった。
にしても、ひとり暮らしには贅沢過ぎる3LDK。
これはまた、やり甲斐がありそうだ。
まず取り掛かったのは水回りのキッチンだった。全体的にうっすらと埃が積もっていて、シンクとその周りは水垢がこびりついている。とはいえ、顔をしかめるほどの汚れではない。どこか、僕が住み着く前のユエさんの家を思い出させた。つまり、日常的に料理している形跡がないということだ。
「サチさーん、冷蔵庫の中はどうします?」
扉が全開の配信部屋に向かって声をかけると、返事は予想通りだった。
「おねがーい! 中のものは、ツバメくん判断で処分していいから!」
お許しが出たので、冷蔵庫に手を付ける。
すると、腐敗した飲食物の饐えた臭いが僕を襲った――と覚悟していたのだが、拍子抜けした。飲み物や調味料の類しか入っていなかった。
サチさんは一体、日頃なにを食べているのだろう。逆に不安を覚えながら冷凍室に手を点けると、そこに答えがあった。
「わ、前に案件動画でやってたアレだ」
そこには冷凍宅配弁当がぎっしり詰まっていた。
案件を受けただけではなく、本当に続けているんだなと、感心した。
そんな調子でキッチン、浴室、洗面所、トイレと、水回りを集中してこなしていくと――
「もうこんな時間か。ご飯がてら、休憩しましょ」
サチさんがお昼休憩を提案した。時計を見ると、既に午後一時を回っている。
「ウーバー頼むけど、なにか食べたいものある?」
「わたし、なんでもいいよ。ツバメくんにお任せー」
リビングのソファーに腰を下ろしながら、ユエさんは言った。
要望を求めるように、サチさんの顔が無言でこちらを向く。僕は、折角ならと気になっていたものを口にした。
「その……冷凍庫のやつ、ダメですか?」
「冷凍庫? ああ、あれね」
サチさんは意外そうに目を見開いた。
「それは構わないけど、わざわざ冷食? 遠慮しないで、好きなもの頼んでいいのよ」
「むしろ、あの冷食が一番食べてみたいです。だってあれ、ユーチューバーがこぞって紹介してるじゃないですか。どんな味なんだろうって、ずっと気になってたんですよね」
「ツバメくんもミーハーね。いいわよ、好きなだけ食べなさい」
「やった!」
胸元で小さなガッツポーズをした。
こうしてリビングのローテーブルに、見慣れたユーチューバーの案件商品が並んだ。
「あ、ユーチューバーがこぞって紹介って、これだったんだ」
ユエさんは腑に落ちたようにパッケージへ目を落とし、そのままサチさんへ視線を移した。
「さっちゃんが続けてるってことは、やっぱりいいんだ、これ」
「忙しいときって、なにを食べたいかじゃなくて、なにか食べないとの頭だからね。そういうとき、頭空っぽでこれ食べとけばいいから楽なのよ」
「あー、わかるー。わたしは周りが管理してくれてたからいいけど、さっちゃんはそうはいかないもんね」
「そうそう。身体が資本のこの商売で、偏った食生活を続けてると、痛い目見るのは自分だからね。かといって修行僧みたいな食事は、心に栄養が回らないから。味と栄養バランス、そしてタイパ。これに勝るものはないわね」
「ほんとだ。美味しい、これ」
ユエさんはハンバーグに手をつけると、驚嘆したように目を丸めた。
「いいなー、これ。ツバメくんが家を出てったら常備しよう」
「でしたら、こちらのQRコードからご購入いただきますと、なんと最大五千円分も割り引かれるクーポンが、今回限りでご用意しております。どうぞこの機会をお見逃しなく、ご利用ください」
「わー、おっ得ー」
そんな小芝居を繰り広げてる横で、僕はふたつの食品を味わっていた。
このレベルの味をレンジでチンするだけで食べられるなんて、素直に感動した。でも、ひとり暮らしの高校生が身銭を切って常備するような値段ではないと知ると、これはタイパを求める大人の贅沢品なんだな、としみじみと思った。
またひとつ、貴重な大人の世界を経験して、午後からもテキパキと掃除をこなしていく。
没頭していると、時間が過ぎるのも早いもので、あっという間に時刻は午後六時を過ぎていた。
「いやー、綺麗になったわねー」
リビングで周囲をぐるりと見渡したサチさんは、満足気に言った。
「今日はありがとね、ツバメくん。任せきりにしたのに、ここまで綺麗になるとは思わなかったわ」
「いえ。取り柄といったら、このくらいですから」
「ユエちゃんも、顎で使ってごめんねー。助かったわ」
「ううん。わたしはツバメくんみたいなスキルはないから。役に立てたならよかったよ」
各々身体を伸ばしながら、僕らはようやく一息をついた実感を得た。
「これで直前になって、バタバタせずに人を呼べるわ」
「コラボとかでですか?」
「うん。どうあれ私、界隈を騒がせちゃったから。色んなところに顔出しして、ファン以外にも聖純セインは変わらず健在ですって広めないと」
「じゃあ、もう色々とコラボ予定は決まってるんですか?」
「ぜんぜんね。戻ってきたら同期はいなくなってたし、箱の仲間たちにはまだろくすっぽ挨拶してないし。まだまだ打診できる段階じゃないから」
「あー、まだ数日しか経ってないですもんね」
「でもひとりは決まってるんだけどね」
「誰です――って、聞いて大丈夫ですか?」
「ヒィたん」
いいわよと言うように頷きながら、サチさんはナンバーワンVの名前を口にした。
「凄いね、さっちゃん。別の事務所のナンバーワンと、もうそんな予定決まってるの?」
「箱の内外問わず、色んなVと交流は持ってるけど、あの子が唯一、友達感覚で付き合ってる子だからね」
「同じ事務所の子はそうじゃないの?」
「仲間は仲間だけど、友達相手するみたいに弱みは見せられないから。それを晒したとき、弱みを握られるって感覚になっちゃうのよ」
「信用ならないの?」
「もしそれが表沙汰に出たとき、疑いたくはないからね」
サチさんは困ったように眉を下げたが、ユエさんはそれをおかしそうに言った。
「でも、ヒィたんには晒せるんだ、弱み」
「あの子はこっちの毒気が抜かれるくらい、いい子だからね。よくあそこまでスレずに生きてこれたっていうか。天真爛漫のように見えて、ちゃんと人を見ている子だから。友達甲斐がありすぎて、今回だってすぐに駆けつけて助けてくれたし。ほんと、ヒィたんしか勝たんわね」
心から信用しているのが伝わってくる、自慢げな微笑みだった。
「コラボの日取りはまだ決まってないけど、お泊り放送になるから。楽しみに待ってなさい」
「ヒィたんコラボは毎回神回なんで、楽しみにしてます」
僕がそう言うと、サチさんは満足げに頷いてから、口を開いた。
「さーて、ご飯でも食べに行きましょう。お肉は昨日食べたから、お寿司でも行く? こう、回らない感じの」
「ツバメくんにお任せー」
「いやいや、昨日あれだけご馳走になったから、そんな大層なものは――」
そこで、僕のスマホが鳴り響いた。
「あ、すいません。電話です」
そう断りを入れてからスマホを見ると、080から始まる電話番号が表示されていた。
前のスマホを失って電話帳は登録し直したばかりなので、誰の番号かわからない。元々個人的な連絡先が少ないうえ、普段のやり取りはほとんどライン通話だ。
直接電話をかけてくる人など思い当たらなかった。
「誰だろう?」
間違い電話かと思いながら着信を取ると、
「あ、もしもし。若井くん?」
「え……えっ!?」
聞き覚えのあるその声に、腹の奥から驚愕が飛び出した。
「店長!?」
誕生日に腹部を刺されていたところを発見した、バイト先の店長だった。




